カテゴリー「平岡正明」の14件の記事

2013年11月 6日 (水)

【楽】平岡正明さんの「幻想旅行」評

山崎ハコさんの素敵なアルバム 「幻想旅行」 のことを、きのう書いた。
そこで、また思いだしたのは、平岡正明さんの本。
今から30年も前に出版されたものだが、私のたいせつな一冊だ。

いやあ、本棚の奥から探しだすのがたいへんだった。

『歌謡曲みえたっ』 平岡正明
 ミュージック・マガジン 1982年

https://amzn.to/47ZvGgB

  Hiraoka_kayoukyoku

前にも少し書いたことがある。
→ 2006年12月 9日 (土) 【楽】【読】歌謡曲
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_8661.html

この本のなかで、平岡さんが山崎ハコさんのアルバム「幻想旅行」を論評しているのだ。
初出は、「週刊漫画ゴラク」1980年6月24日号から82年2月5日号まで連載したコラム。

平岡さんらしく歯切れのいい文章で、ハコさんのこのアルバムをベタほめしている。

マラソン・レビュー1980~82 (81年11月) P.153-154
●山崎ハコ『幻想旅行』――ソウルフルってのはこのことだ
 これでいいんだよ。ちっともヘンじゃないよ。というのは新譜『幻想旅行』(キャニオン C28A0191)を山崎ハコ自身が、あたしらしくないんじゃないかしらと心配しているという噂を耳にしたからだが、心配御無用。
 俺が二グロの音楽家なら、パチリと指を一つ鳴らして、この娘はだれ? ソウルフルだぜ、すごく。ただおれたちのソウルとは別の種類のだが、きっとトキオの娘っていまじゃこんなにソウルフルなんだ、とい言うだろう。
 心配御無用というより、こりゃ最高! ハコはこういうぐあいにハコ入り娘をぬけてくれればいいんだ。…(以下略)
 これが最近のハコだ。楽屋のちょっとしたあいまの時間に、杉良太郎や丹下左膳の話をして笑っていたハコだ。葬式の後で悪酔いするような、あるいは悪酔いの真実だけがハコだと思っていたファンにはショックかもしれないが、今年に入って彼女は主として作曲面で、いかにも20歳をすぎた娘らしい色っぽさを身につけていた。自唱の「男のウヰスキー」だとか、北原ミレイのための「納沙布岬」などがそれで、ハコはホレース・シルバーのように、作曲のいい時期と歌のいい時期があるのだろう。…(以下略)

私も、この時期のハコさんのアルバムが、それまでの殻を破った画期的なものだったと思っている。
「男のウヰスキー」や「納沙布岬」のシングル盤レコードも、この頃手に入れて愛聴してきた。

平岡さんはもうこの世にいないけれど、なんとなく懐かしくなって、本棚から引っぱりだしてみたのだった。

 

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2011年2月12日 (土)

【演】松本留五郎

さきごろ手にいれた、CDつきマガジン 「落語 昭和の名人 完結編」 第一巻、桂枝雀のCDを聴いた。

Shouwa_meijin_shijaku1_2隔週刊 落語 昭和の名人 完結編
 2/22号
 第一回配本 二代目 桂枝雀 (壱)

2011年2月8日発売
小学館 490円(創刊記念特別価格)






代書
 27分49秒
 昭和57年8月19日
 関西テレビ「とっておき米朝噺し」にて放送
親子酒 24分11秒
 昭和56年  10月7日
 大阪サンケイホール「枝雀十八番」にて収録


「代書」(「代書屋」とも)は、枝雀の十八番(おはこ)のひとつ。
代書屋(いまで言う司法書士・行政書士)を訪ねるアホな主人公、松本留五郎は、枝雀がつくりあげたキャラクターである。
この噺の原作者は、四代目桂米團治(米朝の師匠)。
米團治自身が代書屋を営んでいたことがあり、その経験にもとづいて生まれた噺、ということはよく知られている。
その後、愛弟子の桂米朝から三代目桂春團治に伝わり、春團治の十八番になっているという。

米朝が米團治の三十三回忌追善で演じた音源(カセットテープ)を聴いたが、代書屋の客のひとりを中国人とし、今なら「差別的」と指摘されそうな、かなりきわどい内容。
(このときの米朝の口演が、四代目米團治のオリジナルに近いようだ)

その点、枝雀の「代書」は安心して聴いていられる。

Shijaku_hanaikada1_2Shijaku_hanaikada2


― 解説書より (前田憲司) ―
 原作の米團治は代書屋を主人公に、訪れる4人の客とのやりとりを描いた。応対する代書屋の困惑ぶりが笑いに拍車をかけ、噺の奥行きが増した。続く米朝と春團治は、客は履歴書の男ひとりに絞ったが、全体を通しての演出は米團治のものをふまえ、代書屋の描写に力点を置いている。
 ところが枝雀は、主人公を客の松本留五郎にした。もちろん、代書屋の困り顔や、ふと漏らすボヤキにも似たせりふで、展開に緩急をもたせてはいる。だがそれ以上に、陽気で底抜けに明るい客の、天衣無縫の言動を強烈に表現し、〝松本留五郎〟をスターにしてしまったのだ。

「親子酒」の音源は、私がレコードで持っている「枝雀十八番」(昭和56年、大阪・サンケイホールでの六日間連続独演会)で演じられたときのもの。
今回、このCDであらためて聴いてみて、酔客(息子)とうどん屋のやりとりが枝雀一流の演出で、たまらなくおかしい。

Shijaku18ban_3   

― 解説書より (前田憲司) ―
 東西落語会を通じてお馴染みの噺でオチも同じだが、導入部分が東西で異なる。東京では、酒好きの親子が互いに禁酒の約束をする場面から始まり、……(略)。
 上方の演出では、枝雀も演じているように禁酒の約束はなく、冒頭、父親が酔っぱらって帰宅。その後の息子の酔態ぶりが大きな聴かせどころ、見せどころとなる。この件を独立させて『うどん屋』『三人上戸』という演題で演じることもある。


このCDに収録されている演目は、いずれも枝雀絶頂期のもので、天才落語家の笑いの世界に身をゆだねるることができる。


こういう面白い本がある。

Hiraoka平岡正明 『哲学的落語家!』
 2005/9/20発行 筑摩書房
 326ページ 2200円(税別)

平岡さんらしい、爽快な一冊。

― 帯より ―
<江戸っ子平岡正明 上方爆笑王に挑む>
<俺が落語に目覚めたのは数年前だ。/志ん生・文楽から現在の若手までを/ヨーイ、ドンで聞いた。/最も衝撃を受けたのは「彼」。/どえらい上方落語の爆笑王だ。/「彼」の思想性の大きさよ。/俺はナマの高座を聞いていない。/残された音と映像だけから/「彼」の思想の深さを言いたい。/松本留五郎の鼓腹撃壌を、/夢野久作との相似を、/天地の逆転を。/この一冊を泉下の「彼」に捧げる。>


平岡さんも死んでしまった……。


【註】 鼓腹撃壌(こふくげきじょう)
満腹で腹鼓をうち、地面を踏みならすことから、人々が平和で安楽な生活を喜び楽しむさま。太平の世のたとえ。
出 典 『十八史略』
http://www.sanabo.com/words/archives/2002/08/post_2271.html より


(2011/2/15 加筆)

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2009年9月22日 (火)

【読】追悼 平岡正明 (「週刊金曜日」記事)

こういう特集でもなければ、まず買うことのない週刊誌を購入。
これも週刊誌の一種なんだろうな。
ずいぶん高いけど(わずか66ページで500円もする)。

Shuukann_kinyoubi_767『週刊金曜日』
 2009/9/18 767号
 株式会社金曜日

 

 

 

 

 

「追悼 平岡正明とは何者だったのか」
 菊池成孔
 田中優子
 平井玄
 山下洋輔
 粱石日

平岡正明という人の魅力が伝わってくる。
山下洋輔、粱石日(ヤンソギル)、田中優子の弔辞が胸をうつ。

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2009年7月10日 (金)

【雑】平岡正明さん死去

今朝、ラジオを聴いていて知った。

評論家の平岡正明さん死去 asahi.com
http://www.asahi.com/obituaries/update/0709/TKY200907090217.html

 評論家の平岡正明(ひらおか・まさあき)さんが、9日午前2時50分、脳梗塞(こうそく)のため、横浜市内の病院で死去した。68歳だった。

時事ドットコム
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009070900461


【2009/7/10夜 追記】
死亡記事の紹介だけじゃあんまりなので、追記。

私はそれほど平岡さんの著作を読んでいないが、いろんな刺激を受けた人だった。
今年になって、『石原莞爾試論』 という幻の著作を手に入れて読んだところだし、中国大陸シリーズも読み返してみようとしていたところだった。

私より少し歳上だとおもっていたが、いわば叔父さんの世代であることが死亡記事の年齢をみてわかった。
1941年(昭和16年)1月生まれだった。
年長の人たちが少しずついなくなることは、さびしいものだ。

死亡記事(朝日)のタイトルに、『山口百恵は菩薩である』 があげられていたが、とても刺激的な内容の本だった。
思うに、平岡さんは法華経とかかわりが深かったのではないか。
だからどうなんだ、ということもないのだが。

Hiraoka_momoe1Hiraoka_momoe2 『山口百恵は菩薩である』
 平岡正明 著  講談社文庫
 1983/6/15発行 351ページ
 (親本 1979年講談社刊)

平岡節がうなる、快著(怪著?)である。

<……自分の煩悩を歌に昇華させた山口百恵は、他人の煩悩にも鋭敏に反応するだろう。他人の煩悩を自分の悲劇にくり込んで山口百恵はさらに大きくなるだろう。すなわち菩薩である。>


もう一冊、平岡さんの桂枝雀論も面白い。
(全部読んでいないが)

Hiraoka_shijaku『哲学的落語家!』
 平岡正明 著  筑摩書房
 2005/9/20発行 326ページ

<俺が落語に目覚めたのは数年前だ。/志ん生・文楽から現在の若手までをヨーイ・ドンで聞いた。/最も衝撃を受けたのは「彼」。/どえらい上方落語の爆笑王だ。/「彼」の思想の偉大さよ。/俺はナマの高座を聞いていない。/残された音と映像だけから「彼」の思想の深さを言いたい。/松本留五郎の鼓腹撃壌を、夢野久作との相似を、天地の逆転を。/この一冊を泉下の「彼」に捧げる。>

その平岡さんも、桂枝雀さんを追うように、逝ってしまったのか。



【2009/7/11追加】
 東京新聞 2009/7/9(木) 夕刊 (左)
 朝日新聞 2009/7/9(木) 夕刊 (右)

20090709_tokyo_hiraoka20090709_asahi_hiraoka

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2009年3月 7日 (土)

【読】図書館はありがたいな

ひさしぶりに晴れた。
自宅のリビング(というほどのものでもないが)にPCを持ってきて、ラジオを聴きながら書いている。

南向きの窓から、日ざしはまだ入ってこないが、暖房がいらない程度にはあたたかい。

近くの図書館へ、二日前にネット予約してあった本二冊を、受けとりにいってきた。
団地の桜の樹も、つぼみがふくらんできた。
春なんだなあ、とおもいながら帰ってきた。


Sawachi_manshuu_2Itsuki_jigazou澤地久枝 『もうひとつの満州』
 文藝春秋 1982年

https://amzn.to/488xN1O

五木寛之 『深夜の自画像』
 創樹社 1974年

https://amzn.to/3zQCFMi

どちらも、古書でなければ手にはいらない本だ。
文庫版も絶版になっている。
Amazonという手もあるが、これ以上、本を買って増やすのはためらわれる。

『深夜の自画像』のほうは、文春文庫を持っていたはずだが、探してもみつからない。
手放してしまったらしい。

このあいだまで読んでいた、平岡正明 『石原莞爾試論』(白川書院)に、この本のことが書かれていたので、読み返してみたくなったのだ。

<横浜で一つ席が空いた。腰を下ろし、会場で買った『ダイナミック空手』と、車中で読もうと持ってきた五木寛之『深夜の自画像』をとりだして、どちらから読みはじめようかと頁をめくってみた。奇妙な予感がした。うまく人には伝えられないが、俺はいま何か発見するぞという信号のようなもので、電車がポイントを高速で通過する際のカカカカというリズムのなかにその予感が浮上してきたことをおぼえている。>
(平岡正明 『石原莞爾試論』 1977年)

五木さんのエッセイ集が発売された時代の空気がよみがえってくるような文章だ。
私が青年だった頃、1970年代の空気。

借りてきた、五木寛之 『深夜の自画像』の目次をみていたら、あった、あった。
なにやら不思議な符合のように。

― 名著発掘=平岡正明著『ジャズ宣言』 昭和44年9月 ―
<はじめ明烏敏全集のことを書こうと思ったのだが、昨夜たまたま読んだこの新しい本の印象が余りに強烈だったので、まだ評価のさだまらないこの異色の批評集について書くことにした。
 『ジャズ宣言』という本のタイトルから、野間宏の『暗い絵』が書店の美術専門書の棚に並べられたというエピソードと同じ目に会うのではないかと、ぼくはこの本のために気遣っているところだ。
 相倉久人がいみじくも書いているように、平岡正明のこのエッセイの数々は、「ここに六十年代をジャズとして生きているひとりの男」の、六十年代に対する独立宣言であり、……>
(五木寛之『深夜の自画像』 1974年)

Hiraoka_jazz_sengen平岡正明 『ジャズ宣言』
 現代企画室 1990年 (復刻版)
  第一版 1969年 イザラ書房刊
  第二版 1979年 アディン書房刊

https://amzn.to/482NdVl



―日本語第三版への序 より―
<イザラ書房刊の初版(1969)に第三版の序文でつけくわえることは、勝利したジャズは芸術を独裁するというその一点である、なあんて一度言ってみたかった。言ってみるとやはり気持いい。
 むこうは『共産党宣言』だ。こっちは『ジャズ宣言』だ。宣言にかわりはない。>

まさに、なんちゃって、である。
1970年代――おもしろい時代だったな、と懐かしんだりして。

澤地さんの本 『もうひとつの満州』 は、タイトルにひかれた。

目次をみると、

「わが心の満州」 1981年7月10日、北京発の汽車は、翌日未明山海関に着いた
 ここから東北。35年ぶりに訪れる故郷・満州への旅が始まる

――という章ではじまり

「消された村」「通化の陵園」「終焉の地」「故山にして他山」「ひとつの歌」「旅の終り」

と続く。

そうか。
澤地さんが育った「満州」の再訪記なんだな。

こんなにいい本が新本で手に入らないというのも、妙なはなし。
(文春文庫 1986年版も絶版)
安野光雅さんの装幀、挿絵(扉スケッチ)がしゃれている本だ。

本を所有することにこだわらなければ、読みたい本は図書館を利用するのがいいんだな、とあらためて思う。
なかなか「所有欲」から自由になれないのがつらいけど。

【追記】  2009/3/7 夜
澤地久枝 『もうひとつの満州』 (Amazonより)
出版社/著者からの内容紹介
<日本人とにって、中国人にとって満州とは何だったか? 反満抗日ゲリラの領袖・楊靖宇の事跡を追いながら、著者自らの郷愁の思いを問い返す哀切な<旅>のすべて>

図書館から借りてきたこの本を読みはじめている。
たくさんの人の手に触れ、読まれた形跡が感じられる本だ。
シミや折り目の跡がたくさんあり、背綴じは剥がれかかっていて、ていねいに扱わなければ今にもバラバラになりそうなほど傷んでいる。
この一冊の本を、どれだけ多くの人たちが読みふけったことだろう。
まさに「手垢」のつくほど読み継がれた、こういう本を手にするのもいいものだ、と思う。

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2009年3月 1日 (日)

【読】読了 『石原莞爾試論』 (平岡正明)

面白く、勉強になる本だった。
この一冊を論評する力量が私にはないが、怪著というかなんというか。

日に焼けたカバーをはぐと、こんな表紙だった。

Hiraoka_ishihara_kanji3平岡正明 『石原莞爾試論』
 白川書院 1977/5/15発行
 四六判 224ページ  1300円

雑誌 『第三文明』 に連載されたものらしい。
だからどうした、ということもないが、潮出版社、第三文明社と平岡正明の関係は深いようだ。
石原莞爾は「熱心な日蓮主義者」(Wikipedia)であったが、平岡氏のこの著作では、その点までは言及されていない。
(著者は、「本書が石原莞爾論として未完成のものだ」と、あとがきで断わっている。)

終章 「石原莞爾と若き大山倍達」 が、とても興味ぶかい内容。
大山倍達と石原莞爾のあいだにつながりがあったことは、意外だった。

平岡氏は、極真空手の猛者(有段者)でもある。
私は、空手や武術にはまったく詳しくないが、「空手バカ一代」 という劇画は一世を風靡したもので、懐かしく思いだす。


以下、この終章で平岡氏が描く大山倍達氏の若き日のエピソードの一部。
感動的な話だ。

<山梨少年航空学校を卒業した彼は航空機の整備兵にまわされる。 そして一度軍隊から脱走するのだ。 上官の兵いびりが原因だ。 夜、宿舎で、大山倍達が遠く妹さんからきた手紙と写真を眺めていると、上官がやってきて、写真をとりあげ、破りすてた。>

<怒った倍達の一撃、上官を半殺しの目にあわせた。 反抗罪で八か月の重営倉である。 夜毎、上官は仲間とやってきて、竹刀による私刑(リンチ)。 さしも頑健な倍達も、殺されると思い、自ら口唇をかみ切って大量に出血し、ために病院にかつぎこまれた。 そしてこの病院から彼は脱走した。 たった一枚の写真から――。 その写真には朝鮮の民族衣装を着た妹さんが写っていた。>

(本書 218-219ページ)

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2009年2月26日 (木)

【読】石原莞爾

平岡正明という評論家がいる。
1941年東京生まれ、1963年早稲田大学露文科中退。ジャズ評論等で活躍。
――著者略歴には、そのように書かれている。

60年代安保世代で、いろいろ活動してきたらしいが、私はよく知らない。
とくべつなファンというわけでもないが、何冊か読んできた。
この人の文章は面白くて、読ませる。

ただし、いいことを言っているかどうか、内容は保証しかねる。

Hiraoka_nihonjin_chugoku平岡正明 『日本人は中国で何をしたか』
 潮文庫 1985/7/30発行 (親本:1972年 潮出版社)
 350円 236ページ

https://amzn.to/3BHbLab



単行本で読んだ記憶があるが、手元に残っておらず、ネット販売で中古の文庫版を入手。
二、三十年ぶりに読んでみたが、興味深い内容だった。
勉強にもなった。

先の戦争に関する書物はたくさんあるが、どちらかというと 「やられた」記録(いわゆる、わだつみ系の手記など)が圧倒的に多く、日本人がアジアで何を 「やった」 か、加害者の立場から書かれた記録は少ない。

ひどいことをした人たち(自ら進んでやった人ばかりではなく、「やらされた」人も多いだろうが)は、みんな口をつぐんでいるのだろう。

著者 平岡氏はこう書く。
(本書 106ページ、「3 三光における国家意思と兵の実情」)

<日本軍隊の教育は、まず具体的に人を殴ってみること、殺してみることである。
 皇道イデオロギーにもとづく日本軍隊の軍事教育および軍隊教育…(中略)…については、その奇形の精神病理学的分析にしても、集団心理学的分析にしても、あるいは軍隊内の階級対立にしても、戦中派イデオローグによる多くの内省があり、ここでくりかえすものではない。>

<興味ある読者は雑誌『新評』(1971年7月号)、安田武「日中・太平洋戦争を知るための150冊の本」リストを参照されたい。>

――として、この雑誌でとりあげられている 「わだつみ派文献」 を紹介している。

<戦没学生遺稿集、その他の遺稿集、戦争体験者の証言、女性の戦争体験、捕虜収容所・外地引き揚げ、沖縄、原爆、空襲、学童疎開、戦争文学主要作品の十項目について百五十冊の本がリストアップされている。>

<われわれは、これらの 「わだつみ派文献」 を読むべきであり、私自身もあんがい読んでいる。>

続けて、こう言う。

<しかし、安田武のこのリストアップのしかたはまちがっている。 このリストは、日中戦争および太平洋戦争で自分たちがどれだけやられたかという観点で網羅されている。 なにをやってきたかという観点が欠如しており、ことに三光関係の文献が一冊もなく、戦犯クラスの、つまり職業軍人の上層の手記も一冊しかない。 戦史、戦争論、軍事科学関係の本の匂いもない。 これでは日中戦争、太平洋戦争について半分しか知ることはできない。>

まったく、そのとおりだと、私も思う。

Hiraoka_ishihara_kanji平岡正明 『石原莞爾試論』
 白川書院 1977/5/15発行 1300円 224ページ

市の図書館には置いていないので、ネット販売で入手。
かなり変色している(ヤケがひどい)のに、いい値段がついていた(1830円)。
執筆当時(70年代後半、ある意味で騒然としていた時代だった)の「匂い」が濃厚な著作だが、面白い。

船戸与一の 『満州国演義』 にもひんぱんに顔を出す、この不気味な将軍 石原莞爾に関心があったので、読んでみようと思ったのだ。

まさに、「やった」側からの論考である。

<石原莞爾は日本近代史上稀な 「武装せる右翼革命家」 である。 たんに軍国主義者、武断派というだけではない。 職業軍人であり、陸大出の、ドイツ留学をしたエリート軍人である。 職業軍人とはなにか。 軍隊組織の内部にいなくてはアホみたいなものであり、軍隊(もっとも明確な階級制度と指揮命令の系統)がなければ無に等しいい。 これと異なって石原莞爾は、世界戦略をもった軍人であった。>
(本書 17ページ、「おりもおり、満州国建国問題を」)

読み始めたばかりなので、ためになる本なのかどうかは、まだわからない。

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2009年2月22日 (日)

【読】読了 『満州国演義 5 ―灰塵の暦―』

Funado_manshu5船戸与一 『満州国演義 5 ―灰塵の暦―』
 新潮社 2009/1/30発行 2000円(税別)
 469ページ

― 帯より ―
「兵士たちは復讐心に燃えてるんだ。強姦や理不尽な殺戮。人間の残虐性がかならず爆発する」
満州事変から六年。理想を捨てた太郎は満州国国務院で地位を固め、憲兵隊で活躍する三郎は待望の長男を得、記者となった四郎は初の戦場取材に臨む。そして、特務機関の下で働く次郎を悲劇が襲った――四兄弟が人生の岐路に立つとき、満州国の命運を大きく揺るがす事件が起こる。
読者を「南京大虐殺」へと誘う第五巻。

1937年(昭和12年)12月13日、日本軍の南京入城前後の場面でこの巻はおわる。

「南京大虐殺」はなかった、などというとんでもないことを言う輩が後を絶たない。
近頃なぜか書店にはそのての本が並んでいて、私は苦々しく思う。

「それほどの数ではなかった」だとか、「あの状況ではしかたがなかった」、などという輩もいるらしい。
「大虐殺」か「虐殺」か、といった規模の問題ではない。

船戸与一の、資料に裏づけられた記述をみよ。
私は、小説の形で語られたこの歴史的事実を疑わない。

(参考文献一覧はまだ掲載されていない。最終巻に掲載されるという。楽しみだ。)

南京大虐殺 関連リンク集 (Wikipedeiaより)
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/Link.htm

― 『満州国演義 5』 P.448- ―

<敷島三郎は寝床台で半身を起こした。眠れそうにない。南京の城内にはいったのは三日まえだ。あまりにも多くの死体を見過ぎた。それが澱となって脳裏のどこかに溜まっている。>

<南京攻略が下命されてから中支那方面軍のうちの上海派遣軍に帯同して来たが、憲兵としての責務を果たせたとはとても思えない。派遣軍の動きは怒涛のようだった。糧秣の現地徴発。それが派遣軍参謀の通達だったのだ。兵士たちが巣を離れた蜂の群れのように農家に押し入っていく。そこでは輪姦や強姦殺人がつき纏ったが、補助憲兵たちはそれを止めようともしなかった。 (中略) 通州で支那の保安隊が日本人に行なった蛮行の仕返しのつもりだったのだろう。>

― 『満州国演義 5』 P.459- ―

<便衣の支那人たちが連行された先は城壁のそばだった。 (中略) そこにはすでに百名近い支那人が集められていた。だれもが麻縄で縛られている。連行されて来た支那人たちも城壁のそばに押しやられた。
 それを監視する中支那方面軍の兵士たちは三百名近くいた。二個中隊以上がそこに集まっているのだ。だれもが着剣した三八式歩兵銃を手にしている。軽機関銃も二十機ばかり大地に据えつけられていた。>

<将校服を着たひとりが低い声を発した。
 「処理に取り掛かる。手順どおりに進める」
 三人の兵士が進み出た。城壁のそばに踞っている縛られた三人の支那人を引きずりだし、城壁から四米ばかり離れたところに跪かせた。三人のその眼を黒い布で蔽って、そのそばを離れた。
新たな三名が兵士たちのあいだから抜けだして来た。三八式歩兵銃は持っていなかった。その替わりに下士官用軍刀を手にしている。>

<軍刀の刃がゆっくりと引き抜かれた。それが雲間から差し込む陽光に輝いた。軍刀が振り上げられた。何が行なわれようとしているのかはもちろんわかっている。しかし、四郎は動けなかった。竦みきっているのだ。カメラを持ちあげる気力もなかった。濁った気合いとともに三降の軍刀が同時に振り下ろされた。>

<軽機関銃の掃射音がその直後に響いた。
 城壁のそばの百名近い便衣がぎこちなく動いた。麻縄に縛られて踞ったままなのだ、大地に腰を落としたままその体が左右に揺れた。掃射音がつづいている、硝煙の臭いが鼻腔を濡らす。城壁のそばの便衣がすべて崩れ落ちた。掃射音が熄んだ。>

<「残り四十名弱は刺突処理」将校の低い声が響いた。「刺突担当は初年兵」 (中略)
 四十名ほどの兵士たちが進み出ていた。着剣した三八式歩兵銃をかまえている。白兵戦のための刺突訓練は初年兵がかならず受けるものと聞いていた。どれも若い。十八か十九だろう。初年兵なのだ、銃剣をかまえたその姿勢はいかにも腰の座りが悪かった。>

<「刺突開始!」
 だが、兵士たちはすぐには動こうとはしなかった。上海戦から南京攻略へと転戦して来てはいても、この連中は銃弾以外で国民革命軍を殺したことはないのだろう。表情はどれも怯えきっていた。
 「刺突開始!」
 二度目の命令にようやく右足を踏みだした。しかし、城壁に向かって突っ込みはしなかった。ひとりがその場にしゃがみ込んだ。首を左右に振りながら泣きじゃくりはじめた。>

<「刺突開始!」
 怒気を含んだ三度目の命令に銃剣を手にした兵士たちがわあっという声をあげながら城壁に向かって突進した。そこに踞っている麻縄に繋がれた便衣に銃剣を突き刺した。叫びと呻き。それは便衣と兵士の両方から発せられた。兵士たちは便衣の胸を突き刺しては引き抜き、また突いた。そのたびに血液が飛び散った。>

ものごとは単純化して、原則で考えることもたいせつだと思う。
ひとさまの国に、だんびらぶらさげて土足であがりこみ、やりたい放題をやった。
―― 日中戦争を、ひとことで言えばこうなる。

長い小説だったな。
あと三巻、続きが出版される予定のようだが、とりあえず読了。

あの時代が生き生きと描かれている、ありがたい小説だった。
歴史教科書や評論、研究書のたぐいとちがって、あの時代に生きたふつうの人々の表情が見える。

引き続き、この本を読みなおしてみようかな。

Hiraoka_nihonjin_chugoku平岡正明 『日本人は中国で何をしたか』
 潮文庫 1985/7/30発行 (親本:1972年 潮出版社)

― 本書 「序 テーマの提出」より ―
殺しつくし、焼きつくし、奪いつくすことを三光という。殺光、焼光、略光、中国語である。日本軍では燼滅作戦といった。本稿は、旧日本軍が北支で行なった燼滅作戦を、南支における対国民党正規軍戦との対比において論じ、南京大虐殺および日本列島における俘虜強制労働、虐待、虐殺、そして反乱劇としてあらわれた花岡事件を、三光との対応において論じるものとする。

【追記】
船戸与一 『満州国演義 5』 には、あの七三一部隊(石井四郎軍医中佐率いる「関東軍防疫給水部」、主人公の一人である敷島三郎が視察に訪れる)や、満蒙開拓青少年義勇軍が誕生したいきさつについても、きっちり描かれている。

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2009年1月31日 (土)

【読】再読 『満州国演義 2 ―事変の夜―』

ようやく二冊目を読みおえた。

Funado_manshu2船戸与一
 『満州国演義 2 ―事変の夜―』
 新潮社 2007/4/20発行 1800円(税別)

1930年(昭和5年)、「満州事変」(1931.9.18)の前年から、1932年1月の「上海事変」まで。
敷島四兄弟は、それぞれの立場から、この二つの「事変」に深くかかわっていく。
主人公たちはもちろん架空の人物だが、史実が小説のベースになっている。
その史実の説明が、ときに鬱陶しく感じられたりもするが、とにかく面白い。

ここまでの二巻は、週刊新潮に連載されていた基本稿に五百枚程度の加筆修正を施して上梓されたものだという。
二冊、同時発売である。

この二巻目の巻末に、著者による 「後記」 が掲載されていて、参考文献もあげられている。
じつに興味ぶかい。

以下、「あとがき」 から。

<筆者は昭和十九年の生まれで飢餓体験はあても戦争の記憶はもちろん中国で九・一八(チュウ・イーパー)と呼ばれる満州事変前後の事情となるともはや遥かなる記憶でしかない。 したがって執筆にあたってはすべて資料に頼った。>

<小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。 これが本稿執筆の筆者の基本姿勢であり、小説のダイナミズムを求めるために歴史的事実を無視したり歪めたりしたことは避けて来たつもりである。>

参考文献としてあげられている書籍の中で私の興味をひいたのは、上坂冬子 『男装の麗人川島芳子伝』(文藝春秋)、角田房子 『甘粕大尉』(中央公論社)、平岡正明 『石原莞爾試論』 (白川書院) の三冊。

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2008年11月24日 (月)

【読】こんな本がでたらしい

AmazonからDMが届いた。
こんな本がでたらしい。
買ってもすぐには読めないことがわかっているから、とりあえず、おぼえておこう。

なかなか旬(しゅん)な本ではある。

Hiraoka_daitouryou『黒人大統領誕生をサッチモで祝福する』
平岡正明/著 出版社名 愛育社
出版年月 2008年11月
ISBNコード 978-4-7500-0348-1
(4-7500-0348-4)
税込価格 1,890円
頁数・縦 359P 20cm
分類 芸術 /音楽 /ジャズ論

― e-hon サイトより ―
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032165086&Action_id=121&Sza_id=C0

黒人大統領誕生の萌芽はすでに、1917年のニューオルリンズにあった!?ルイ・アームストロングによってなしとげられたジャズの最初の革命のなかに、21世紀には実現するであろう黒人権力の論理が埋伏されている…。揺るぎなき透徹した論考で展開される、本格的ジャズ論集。


― Wikipediaより ―
バラク・フセイン・オバマ・ジュニア (Barack Hussein Obama, Jr.、1961年8月4日 - )
アメリカ合衆国の政治家。ハワイ州生まれ。第44代アメリカ合衆国大統領当選者(President-elect)。
政党は民主党。
選挙により選ばれたアメリカ史上3人目のアフリカ系上院議員(イリノイ州選出、2005年 - 2008年)。
2008年アメリカ大統領選挙で当選後、任期を約2年残して上院議員を辞任した。
アメリカ大統領としては初のアフリカ系・1960年代以降生まれ・ハワイ州出身者となる。


先日、ラジオ番組で大橋巨泉が言っていたのだけれど、オバマ(Obama)は「オマ」と、「バ」にアクセントを置くべきなのだそうだ。
バマ」ではなく、小浜市(オマシ)と同じように発音すべきであると。

まあ、リーガンではなくてレーガンだとアメリカ人から文句を言われて、あわてて改めたこともある、わが日本国でもあるし。
でもなあ、それを言うなら、大リーグの松井を、「マイ」と呼ぶアメリカ人にも文句を言いたいな。

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