【読】ようやく三分の二まで読んだ、船戸与一「満州国演義」
小雨が降る肌寒い日。
灯油を補充しておいてよかった。
明日はもっと寒くなるらしい。
昼間の予想気温は4度に満たず、みぞれか雪が舞うかもしれないという。
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三月下旬から読み続けていた、船戸与一『満州国演義 6』を、今日ようやく読み終えた。
二週間以上かかった。
途中、チャリティ古本市やらで忙しく、まったく本を読む時間のない日が続いた。
全9巻の大河小説、その三分の二まで進んだわけだ。
船戸与一 『満州国演義 6 大地の牙』
新潮社 2011/4/30発行 425ページ 2,000円(税別)
<国難に直面したとき、人々が熱望するのはファシズム。昭和十三年、日中戦争が泥沼化する中、極東ソ連軍が南下。石原莞爾の夢が破れ、甘粕正彦が暗躍する満州に、大国の脅威が立ちはだかる―“大戦前夜”の満州を描く、入魂の書下ろし七五〇枚。> ―Amazon―
「ノモンハン事件」やら、汪兆銘政権の樹立、欧州での独ソ不可侵条約締結、ドイツ軍のポーランド侵攻、ソ連のフィンランド侵攻、といった第二次世界大戦前夜が描かれている。
あらためて興味深かったのは、東北抗日連軍の楊靖宇が、間接的に登場することだ。
この小説では、歴史上の実在人物が直接登場することはなく、登場人物(フィクション)たちの眼や口を通して描かれている。
船戸与一流の小説作法だ。
主人公のひとりである敷島三郎(関東軍憲兵大尉)が楊靖宇討伐に加わるのだが、二人が出会うことはないまま、楊靖宇は日本軍と満州国軍の討伐隊によって殺される。
楊靖宇の最期については、ずっと前に読んだ澤地久枝 『もうひとつの満洲』 にも描かれていた。(過去記事参照)
なかなか魅力的な人物だ。
船戸さんのこの小説でも、その最期の様子が(登場人物の眼を通して)細かく描かれている。
【過去記事】
2009年3月9日
【読】読了 『もうひとつの満州』(澤地久枝): やまおじさんの流されゆく日々
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-84a8.html
【参考サイト】
楊靖宇(ようせいう)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E6%A5%8A%E9%9D%96%E5%AE%87-404837
楊靖宇
http://china-redtour.com/hito/youseiu.html
(中国近現代史の旅 日本人のための中国歴史観光ガイド
http://china-redtour.com/index.html より)
鉄の戦士―楊靖宇
http://japanese.cri.cn/81/2005/07/19/1@45230.htm
(China Radio Internationalより)
<楊靖宇は、東北抗日連合軍の創設者であり指導者であった。本名は馬尚徳、1905年、河南省確山県に生まれる。学生時代は、反帝国主義愛国運動に積極的に参加。1926年、中国共産主義青年団に入団。1927年4月、確山の農民暴動において指導者として参与。同6月、中国共産党に入党。1931年「9・18」事変ののち、中共ハルビン市道外区委書記、市委書記、満州省委軍委代理書記を兼任。1932年秋、南満州に派遣され、中国工農紅軍第32軍南満遊撃隊を編成。政治委員となり、盤石紅を遊撃根拠地の中心とした。1939年、東南満地区における秋冬期反「討伐」作戦では、部隊を率いて濛江一帯転戦。最後はただ一人、5昼夜にわたって敵と渡り合った。
彼は想像を絶するほどの持久力で、弾が尽きるまで戦い続け、1940年2月23日、吉林濛江三道庶?子にて壮絶な最期を遂げた。残忍な日本軍によって頭をかち割られ、腹も切り裂かれていた。彼の胃には枯れ草や木の皮、綿の実が入っているばかりで、食糧を口にしていなかったことが分かった。彼を讃え、1946年、東北民主連合軍通化支隊は「楊靖宇支隊」と改名。濛江県も「靖宇県」となった。>
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