カテゴリー「高田渡」の19件の記事

2021年12月27日 (月)

【読】2021年 ぼちぼちいこうか総集編(今年読んだ本)その2

今年読んだ本のリストの続き。
書名の前の日付は、読了日。
図書館から借りた本が、ほとんど。
家にある山積みの本が、なかなか読めない。

■ノンフィクション、エッセイ、評論類■

今年も世界中を震撼させた疫病関連。
けっこうまとめて読んだ。
『臨床の砦』はフィクション。現役の医師の作品で、臨場感あふれる力作。
東海林さだおさんの本は、ご愛敬。

■ 1/2 稲葉剛・小林美穂子・和田静香 編 『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』 岩波書店 (2020/11/26) 186ページ
■ 1/9 大野 和基 編 『コロナ後の世界』 文春新書1271 (2020/7/20) 202ページ
■ 1/13 朝日新聞社 編/養老孟司 他 『コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線』 朝日新書781 (2020/8/11) 200ページ
■ 1/18 村上陽一郎 編 『コロナ後の世界を生きる――私たちの提言』 岩波新書1840 (2020/7/17) 205ページ
■ 1/29 西浦博/(聞き手)川端裕人 『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』 中央公論新社 (2020/12/10) 292ページ
■ 6/10 東海林さだお 『マスクは踊る』 文藝春秋 (2021/1/30) 237ページ
■ 7/30 夏川 草介 『臨床の砦』 小学館 (2021/4/28) 206ページ
■ 9/12 牧田寛 『誰が日本のコロナ禍を悪化させたのか?』 扶桑社 (2021/8/24) 311ページ

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下に並べた本も、おもしろかった。

■ 2/3 なぎら健壱 『高田渡に会いに行く』 駒草出版 (2021/1/16) 332ページ
■ 2/11 春間豪太郎 『草原の国キルギスで勇者になった男』 新潮社 (2020/10/30) 279ページ
■ 2/13 椎名誠 『ぼくがいま、死について思うこと』 新潮社 (2013/4/25) 190ページ
■ 2/15 椎名誠 『遺言未満、』 集英社 (2020/12/21) 253ページ
■ 2/23 鈴木理生(すずき・まさお) 『江戸の町は骨だらけ』 ちくま学芸文庫 (2004/8/10) 275ページ

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大好きな高野秀行さん。
その高野さんが紹介していた、高野さんの友人でスーダン出身の盲目の人が書いた『わが盲想』が、たいへんおもしろかった。

■ 8/8 高野秀行・清水克行 『世界の辺境とハードボイルド室町時代』 集英社インターナショナル (2015/8/31) 314ページ
■ 8/10 高野秀行 『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』 文春文庫 (2020/11/20) 325ページ
■ 9/30 高野秀行 『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』 講談社文庫 (2015/9/15) 397ページ
■ 10/9 モハメド・オマル・アブディン 『わが盲想』 ポプラ文庫 (2015/2/5) 297ページ

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今年、惜しくも亡くなった小三治さんの本。
続編も入手したが、まだ読んでいない。

■ 8/2 柳家小三治 『ま・く・ら』 講談社文庫 (1998/6/15) 419ページ

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その他、今年出会った、すてきな本の数々。
『ひらけ!モトム 大学生のぼくが世田谷の一角で介助をしながらきいた、団塊世代の重度身体障害者・上田さんの人生』に描かれた、上田要(もとむ)さんは、それほどのお付き合いはないものの、よく存じあげている方。いい本です。

■ 1/22 岩下紘己 『ひらけ!モトム 大学生のぼくが世田谷の一角で介助をしながらきいた、団塊世代の重度身体障害者・上田さんの人生』 出版社ジグ (2020/9/15) 223ページ
■ 3/20 内澤旬子 『内澤旬子の島へんろの記』 光文社 (2020/11/30) 366ページ
■ 4/13 鹿子裕文 『へろへろ 雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々』 ナナロク社 (2015/12/15) 283ページ
■ 5/5 鹿子裕文/絵・モンドくん 『はみだしルンルン』 東京新聞 (2021/1/31) 201ページ
■ 5/9 馬場悠男 『「顔」の進化』 講談社 (2021/1/20) 270ページ
■ 5/11 鹿子裕文 『ブードゥーラウンジ』 ナナロク社 (2020/1/1) 447ページ
■ 11/19 頭木弘樹編 『絶望図書館――立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる12の物語』 ちくま文庫 (2017/11/10) 363ページ

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「あの戦争」「憲法」「天皇制」などは、私の生涯にわたる(おおげさだが)読書テーマ。
『西瓜とゲートル』は、いい本です。

■ 1/11 江橋崇 『日本国憲法のお誕生 その受容の社会史』 有斐閣 (2020/11/3) 218ページ
■ 9/14 大澤真幸・木村草太 『むずかしい天皇制』 晶文社 (2021/5/30) 349ページ
■ 10/13 一ノ瀬俊也 『軍隊マニュアルで読む日本近現代史 日本人はこうして戦場へ行った』 朝日文庫 (2021/4/30) 233ページ
■ 10/16 吉田裕 『日本軍兵士 ――アジア太平洋戦争の現実』 中公新書2465 (2017/12/25) 228ページ
■ 11/14 鴻上尚史 『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』 講談社現代新書 (2017/11/20) 292ページ
■ 11/23 桑原茂夫 『西瓜とゲートル オノレを失った男とオノレをつらぬいた女』 春陽堂書店 (2020/8/15) 237ページ
■ 11/25 保坂正康 『「特攻」と日本人』 講談社現代新書1797 (2005/7/20) 227ページ
■ 12/7 大貫健一郎・渡辺孝 『特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た』 朝日文庫 (2018/8/30) 358ページ
■ 12/13 保坂正康(監修) 『半藤一利 語りつくした戦争と平和』 東京新聞 (2021/11/30) 190ページ

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半藤一利さんの「昭和史」ものを、引き続き読んでいるところ。

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(おしまい)

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2015年4月14日 (火)

【楽】高田渡さん没後10年

そうか、もう10年になるんだ。
渡さんが旅先の北海道で亡くなったのが、2005年4月16日。
享年56。

高田漣さんの記事が、今日の東京新聞夕刊(芸能面)に載っていた。

東京新聞 2015/4/14(火) 東京新聞夕刊

高田渡 没後10年
 長男・漣 ベスト盤監修&トリビュート盤
   父と僕との共同作業

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アルバムと本が出るそうだ。
欲しくなってしまう……。

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2014年11月 2日 (日)

【楽】北海道三日目の朝

MOTEL(須藤もん&対馬照)の夫婦ライブツアーを追いかけて北海道に来ている。
いまは三日目の朝。
昨夜からの雨で、肌寒い。

ようやくブログに書く時間ができた。

初日、新千歳空港から札幌へ。
南三条のビジネスホテルに宿をとり、近くの「もーりー処 才谷屋」でのライブを聴く。
打ち上げにごいっしょさせてもらい、深夜まで酒盛り。

対バンの箕輪さんのソロと、店主のもーりーさんのユニット(ギターとブルースハープの伴奏)も、ステキだった。

2014/10/31(金) 札幌 「才谷屋)

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きのう(11/1)の昼間は、二人とは別行動。

札幌から列車に乗り、森林公園駅で降りて「北海道開拓の村」を見学した。
明治村に匹敵するほどの広大な敷地に、北海道のさまざまな古建築物(といっても、明治以降のものばかりだが)が並ぶ。

 北海道開拓の村
 http://www.kaitaku.or.jp/

三時間ほど歩いてまわったが、すべて見ることは不可能だった。

詳しいことは、帰宅してからゆっくり書きたい。
写真を500枚ほど撮った。
行きたかった場所なので、念願がかなってうれしい。
もう一、二度は行きたい。

列車を乗り継いて芦別に夕方到着。

二日目のライブの店、芦別「珈琲 貘」へ。
獣編の「獏」ではなく、むじな編の「貘」という名前。
もちろんこれは、高田渡さんのアルバム「貘」にちなんだもの。
さらにさかのぼれば、渡さんが愛好していた詩人「山之口貘」から来ている。

素敵なログハウスのお店を、念願かなってようやく訪れることができた。
Facebookでしか知らなかったマスターの西正(さいしょう)さんや、ほかのFB友達にもお会いできてよかった。

ここでも、ライブ後の楽しい打ち上げに参加させてもらった。

2014/11/1(土) 芦別 「珈琲 貘」

 Coffee /  貘  [BAKU]
 http://black.ap.teacup.com/bakucoffee/

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というわけで、幸せなことに、連日、MOTELの歌と「夫婦漫談」を満喫している。

今日は、三日目のライブ会場のある岩見沢へ、いっしょに列車で向かう。

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2014年3月14日 (金)

【楽】吉祥寺バウスシアター閉館へ

今日の東京新聞朝刊にでていた。
吉祥寺の「バウスシアター」が、5月いっぱいで閉館することになったという。

こういう場所が、だんだん無くなっていくのかと思うと、淋しい。

この劇場で、高田渡さんの映画 「タカダワタル的」 を観たことを思いだす。
物入れを探して、チラシとパンフレットをようやく見つけだした。

なつかしいな。
DVDも持っているので、また観てみようかな。

東京新聞 2014/3/14(金) 朝刊 30面記事 より

<映画界の革命児が幕を下ろす。ライブ会場ともなり、中央線沿線のサブカルチャーをけん引してきた「吉祥寺バウスシアター」が、5月いっぱいで閉館することになった。青春期、この場所で感性を磨いた文化人らから惜しむ声が上がる。>

<……中央線沿線を拠点とするアーティストが続々とライブをする。フォーク歌手の高田渡さん、ロックバンドでは田口トモロヲさんの「ばちかぶり」、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの「有頂天」…。渡辺えり(当時はえり子さん)主宰の「劇団3〇〇(さんじゅうまる)」や、コント赤信号もステージに上った。>

<閉館の理由について、本田社長は「シネコンが増え客足が減っていた。今後の展望が見いだせなくなった」と説明する。>

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吉祥寺バウスシアター
 http://www.baustheater.com/
タカダワタル的
 http://www.baustheater.com/takadawataru.htm

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2010年4月25日 (日)

【楽】休日の朝に聴く歌 須藤もん

宣伝もかねて。

晴れて気分のいい朝、ひさしぶりに大音量で聴いてみた。
「隧道」 と 「めし」 の二曲が、ことのほか好きだ。

須藤もんさん自身のアクースティック・ギター、告井延隆さんのピアノ・二胡(胡弓)・パーカッション、あおやぎとしひろさんのマンドリン、くみこさんのアコーディオン。
使われている楽器はこれだけ。
シンプルで、アクースティックなサウンドだ。

音を重ね重ねて、これでもか、と、圧倒的に迫ってくるサウンドが多い昨今だが(嫌いではないが)、そんな風潮にあえて背を向けるような、武骨ともいえる素朴な味わいがいい。
まるで、すぐそばで生の演奏をしてくれているようなあたたか味、手づくりの感じがうれしい。


須藤もん  隧道  発売元:(有)M&I音楽出版 YKCR-204

  http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000FDF0FW

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【収録曲】 全7曲
めし (詞:藤本長門/須藤もん 曲:須藤もん)
雪よ、葬って (詞:三善亜紀 曲:須藤もん)
逃げる (詞・曲:須藤もん)
この川を (詞・曲:須藤もん)
冬は厳しく (詞・曲:須藤もん)
夕焼け (詞・曲:対馬照)
隧道 (詞・曲:須藤もん)

このアルバムのプロデュースは須藤もんさん。
ディレクターは玉井まさじさん。
玉井さんは、憂歌団や上々颱風のマネージャーをつとめた経歴の持ち主。
現在は吉祥寺音楽祭をはじめ、さまざまなイベント、コンサートの縁の下の力持ち的活動を続けていらっしゃる。

伴奏の告井延隆さんは、センチメンタル・シティ・ロマンスの中心メンバー。
あおやぎとしひろさん と くみこさん は、高田渡さんのアルバム (1999年「ベスト・ライヴ」) にも参加しているミュージシャン。

メジャーではないが、じつは錚々たるメンバーなのだ。

「雪よ、葬って」 の作詞者 三善亜紀さんは、もんさんのファースト・アルバム収録曲 「かえろう」 でも詞を提供している(アルバム・タイトル曲 「かえろう」)。

「冬はきびしく」 での、あおやぎさんのマンドリンが絶妙。
「隧道」 他で、くみこさんの素敵なアコーディオン演奏が聴ける。

たくさんの人に聴いてほしいアルバムだ。


センチメンタル・シティ・ロマンス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9

吉祥寺音楽祭
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%A5%A5%E5%AF%BA%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E7%A5%AD

高田渡 「ベスト・ライヴ」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FP4F

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2010年2月14日 (日)

【楽】ひさしぶり ハコさんのライブ

昨夜、みぞれまじりの小雨のなか、阿佐ヶ谷へ。

阿佐ヶ谷 ロフトA
 VINTAGE A VOL.1 ~山崎ハコ 阿佐ヶ谷ライブ~

1002130001阿佐ヶ谷駅南口、パールセンターにある地下の店。
ロフト(LOFT)といえば、1980年代初頭、新宿LOFTへハコさんのライブを聴きにいった頃のことを思いだす。
Hako_ticket3あれから三十年近い歳月が流れ、ハコさんも私も変わってしまったけれど、ひさしぶりに元気なハコさんの姿を見ることができて、うれしかった。

「阿佐ヶ谷ロフトA」は、地下の小広いライブスペースで、荻窪の「ルースター」や、吉祥寺の「のろ」に似た感じがした。

開場の18時前に店に着き、入場を待つ。
前売りチケットの整理番号が一桁台だったので、地下への階段を降りた店の入口で待たせてもらったが、階段には開場を待つ行列ができていた。
大入り満員である。
阿佐ヶ谷という場所のせいもあるのだろうが、ハコさんの人気は根強い。
うれしくなる。
    
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19時過ぎ、開演。
体格のいいギターの安田裕美さんがステージにあらわれ、2台のギターのチューニングがおわる頃、華奢な体つきのハコさん登場。
この人が登場するだけで、ステージがぱっと華やぐ。

その昔、ハコさんがステージにあらわれると、彼女の緊張が伝わって開場はしーんと静まりかえっていたものだったが、今は全くちがう。

明るく、よくしゃべるようになった。

冒頭一曲目の出だしから、右手の爪が割れるというハプニングもあったが、安田さんが楽屋からガラス製の爪やすりを持ってきてくれる。
そういえば、これも昔の話だが、吉祥寺の「曼荼羅」ライブで、演奏中に弦が切れたことがあった。
あの頃は、弦を張り替えるあいだも客席はぴーんと張り詰めた空気だったが……。

セイタカアワダチソウ――「織江の唄」の歌詞(五木寛之)に触れて、先日亡くなった立松和平さんのエピソードが語られる。
「高田渡トリビュート」に収録されている「祭(フィエスタ)」では、高田渡さんのエピソードも。

立松和平さん(ハコさんは「わっぺいさん」と呼んでいた)も、渡さんも、遠くへ行ってしまった。


休憩をはさんで、後半は、ビリー・ホリデイ、美空ひばり、藤竜也/エディ蕃、サッチモなどのカバーが中心だったが、これもよかったな。

「恋は愚かというけれど」 (I'm A Fool To Want You)
「りんご追分」
「横浜ホンキートンク・ブルース」
「このすばらしき世界」 (What A Wonderful World)
(ハコさんが歌う日本語詞は、渡辺えり子さんによるものだということを初めて知った)


一夜あけて、曲目も曲順もあいまいになってしまったが、ひさしぶりにいいライブを体験できて満足。

私のすぐ前に座っていた若い女性(隣りに座っていた男性に連れて来られたようで、ハコさんのライブは初めての様子)が、ずっと食い入るようにステージをみつめていたのが印象的だった。

帰りに店を出て歩いていると、おそらく四十代とおぼしき男性二人が、「いいライブだったなあ」「セカンド・アルバムを聴いたのが俺たち高校生の頃だったな」などと話しているのを耳にはさんで、うれしくなった。

ハコさんの、歌に賭ける熱意が、こうして伝わっていくのだな。

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2009年10月30日 (金)

【読】期待を超えるおもしろさ

今日から読みはじめたばかりで、まだ40ページほどしか読んでいないけれど、期待していた以上におもしろい。

Shiomi_hinmin_teito_2『貧民の帝都』 塩見鮮一郎
 文春新書655 2008/9/20
 770円(税別)

まえがき(序章 山手線の男)から、興味ぶかいエピソードが語られる。
私にも経験があるが、混雑する電車のなかにひと所だけ人が寄らない空間ができていることがある。
そこには、煮しめたような服をまとい、シートをひとりじめして眠っている人がいる。
まわりには、ぷーんと、異臭がただよっていたりする。

いまは 「ホームレス」 などという、なんだかインチキくさい呼び方になっているが、こどもの頃、ルンペンとかホイト(私の田舎ではそう言っていた)と呼ばれる、住む家をもたない人がけっこういたものだ。
いまでも、街でみかけることがある。

著者の塩見さんは、こどもの頃からそういう人たちに、人一倍魅かれていたという。

<わたしは十代のころから困窮者が気になって仕方がない。自分でも理解できないのだが、戦後すぐのころに幼少期をすごしたからだろうか。まわりにはいつも戦災孤児がぶらついていたし、白衣か軍服の傷痍軍人がいた。おさない子の手を引きながらゴミ箱を漁っている母親も見た。みだれた白髪の老婆が闇市で食べ物のかけらをさがいていた。少年のわたしも着の身着のままでハダシだったが、かれらから目が離せなくなる。じっと観察している。> (本書 「序章 山手線の男」)

<日比谷公園で、隅田川河畔で、山谷掘のあたりで、すこしむかしのことだが、わたしはなんどか路上生活者と会話をかわしている。世間話ですむこともあれば、酒かタバコをねだられるケースもあった。たまに険悪な雰囲気になったが、それはかれらが泥酔しているときだけだ。ふしぎなのは、ふつうに話すことができても理解がいっこうにふかまらない。ディスコミュニケーションを確認する結果になった。……> (同上)

― 目次より ―

序章 山手線の男
一章 混乱と衰微の首都
 こじきの新都/三田救育所と浪人保育所/明治二年の大窮状/麹町と高輪の救育所/町会所と寄場と溜
二章 困窮民を救え
 維新後の町会所/営繕会議所/露国皇太子来朝/浅草溜時代/工作所と日雇会社
三章 さまよう養育院
 上野護国院時代/育児院や訓蒙院の誕生/神田和泉町へ/渋沢栄一のたたかい/本所長岡町時代
四章 帝都の最底辺
 四大スラム――鮫ヶ橋、万年町、新網町、新宿南町/感化院と全生園/孤児救済と救世軍/大塚本院と別院/スラムの賀川豊彦
五章 近現代の暗黒行政
 関東大震災と移転/『何が彼女をそうさせたか』/戦時下の養育院/一億の浮浪者/いじめと無策の果て
終章 小雨にふるえる路上生活者


この目次をながめて興味のわく人は少ないと思うが、ほー、と思われた方は、ぜひ書店や図書館で手にとっていただきたいと思う。
べつに、誰かれかまわず推奨する気はないが。

この本には浅草弾左衛門(十三代、弾直樹)の名もでてくる。
(江戸時代に関東地方の賤民を統括)


街を歩けば、きらびやかな服装をまとい、お金に困っていない顔をした人びとばかりだが、いまの東京も、この本に書かれた時代とさほど変わっていないと思う。
ひと皮むけば――のはなしだが。

ちょうど、きれいに舗装された街のアスファルトやコンクリートをはがせば、そのすぐ下には、昔から堆積された地層があるように。


ふと、いま、こんな詩をおもいだした。
高田渡さんが、すこし歌詞を変えて歌にしている。

 歩き疲れては、
 夜空と陸との隙間に潜り込んで寝たのである
 草に埋もれて寝たのである
 ところ構はず寝たのである
 寝たのであるが
 ねむれたのでもあつたのか!
 このごろはねむれない
 陸を敷いてはねむれない
 夜空の下ではねむれない
 揺り起されてはねむれない
 この生活の柄が夏むきなのか!
 寝たかとおもふと冷気にからかはれて
 秋は、浮浪人のままではねむれない。

   山之口貘 「生活の柄」
    (思潮社 現代詩文庫 1029 「山之口貘詩集」)

山之口貘(1903-1964)という沖縄出身の詩人も、若いころ、土管のなかで寝るような生活をしていたという。

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2008年12月13日 (土)

【楽】12/13 国分寺gieeライブ

今夜は、地元 国分寺北口の 「giee(ギー)」 で、私にとっては久しぶりのライブを楽しんできたのだった。

08121300012008年 歳末めおと♪アワー
12月13日 (土)  国分寺 giee (ギー)
19:30開演 チャージ 1,500円 (ドリンク別)
出演 MOTEL (須藤もん&対馬照)
 井上としなり (from 豊橋)



井上としなりさん

私ははじめてだったが、とぼけた話で笑わせながら、みごとなギター・テクニックと落ちついた歌声にすっかり魅了された。
さすが、ベテランという感じ。
(先日までこのブログで 「from前橋」 と誤記していたが、豊橋の方である。たいへん失礼しました)

 としなり (井上としなりさんのサイト)
  http://www.toshinari.info/

今夜は、思いがけないゲストが、お二人。
須藤もんさん・対馬照さんと親交のあるジミー矢島さんと、佐藤GWAN博さん。

ジミー矢島さん

数年前まで吉祥寺の「からまつ亭」で蕎麦屋さんを開業していたが、今は八ヶ岳山麓にお住まいである。
八ヶ岳の「からまつ亭」には、二度ほど蕎麦をいただきに行ったこともあったが、お会いするのは久しぶり。

 ジミー矢島の八ヶ岳日記
  http://www.doblog.com/weblog/myblog/50972

佐藤GWAN博さん

お名前だけは知っていたが、これまで演奏を聴いたことはなかった。
しっとりと落ちついた感じの演奏。
いっぺんでファンになってしまいそうだ。

 「青空と星空」(通称 GWANさん)のページ
  http://www.mmjp.or.jp/soho/gwan/

来年4月4日に、武蔵野市民文化会館大ホールで、高田渡さんの 「生誕会60」 が開かれるということを、アナウンスされていた。
高田渡さんはすでに故人となられたが、「追悼コンサート」 ではなく、「生誕会」 という名前で来年が4回目だという。
一回目の主催は中川イサトさん、二回目、佐久間順平さん、三回目、中川五郎さん。
そして、来年、四回目の主催(担当)が佐藤GWAN博さんということで、ちらしをいただいてきた。

今夜は、高田渡さんの 「ブラザー軒」 も歌ってくださった。

 高田渡生誕会
  http://www.takadawataru.net/

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2008年7月 6日 (日)

【読】添田唖蝉坊

こんな本を、少しまえに近くの本屋で見つけた。

Azenbou_hayariuta_2『流行り唄後十年 唖蝉坊は歌う』
 添田知道(そえだ・ともみち)
 小沢昭一 解説・唄
 朝日選書 105  2008.4.30

添田知道は、添田唖蝉坊の長男。
1902年、添田唖蝉坊の長男として東京に生まれる。
1919年頃より父の演歌制作に加わり、芸名・添田さつきとして共に街角で歌う。
昭和になってからは小説・随筆を書き、『教育者』で新潮賞、『演歌の明治大正史』で毎日出版文化賞受賞。 1980年3月18日、77歳で死去。
― 本書 著者紹介より ―

この新書には、小沢昭一の歌うミニCDが付いている。

Ozawa_azenbou唖蝉坊のつくった歌は、高田渡やソウル・フラワー・モノノケ・サミットなどによって歌われている。

高田渡
 「ごあいさつ」 ―しらみの旅―
 「Best Live」 ―イキテル・ソング―

ソウル・フラワー・モノノケ・サミット
 「レヴェラーズ・チンドン」 ―むらさき節―
 「アジール・チンドン」 ―ラッパ節―

また、添田知道(芸名:添田さつき)の歌が、おなじくソウル・フラワー・モノノケ・サミットによって歌われている。

ソウル・フラワー・モノノケ・サミット
 「アジール・チンドン」 ―復興節、東京節―

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久しぶりに、高田渡さんの 「Best Live」(二枚組)を聴きなおして、あらためて気づいたのだが、青柳利博さん(ギター)と久美子さん(アコーディオン)が渡さんのバックプレイヤーとして聴ける。
(1997年5月5日、吉祥寺ハバナ・ムーンでのライブ録音、8曲)


「イキテルソング」 ――大正7年、米騒動の頃につくられた歌。
 ♪ 生きたガイコツが踊るよ踊る
   ガイコツどんなこというて踊る、よ
   やせたやせた外米食うて痩せた
   日本米恋しいというておどる …… ♪


―以下、Wikipediaより転載―
http://ja.wikipedia.org/wiki/

添田唖蝉坊(そえだ・あぜんぼう)
1872年12月25日(明治5年11月25日) - 1944年(昭和19年)2月8日)
昭和の演歌師の草分けである。
号は、自らを「歌を歌う唖しの蝉」と称したところから由来。

神奈川県の大磯の農家の出で、四男一女の三番目の子として生まれる。

叔父が汽船の機関士をしていた関係で、海軍兵学校を志願して上京したが、受験勉強中に浅草の小屋掛芝居をのぞいたのがきっかけで、その世界にのめり込む。海軍兵学校には入学せず、汽船の船客ボーイになり、2年で挫折。以後、横須賀で土方人夫、石炭の積み込みなどの仕事に従事していたが、1890年(明治23年)、壮士節と出会う。当時は政府が廃藩置県、地租改正、学制、徴兵令、殖産興業などの政策を実行している最中で、自由民権運動も盛んな時代であり、「オッペケペ」で有名な川上音二郎らの壮士芝居も、この時代のものである。

唖蝉坊は、最初の演歌といわれる「ダイナマイト節」を出した青年倶楽部からその歌本を取り寄せて売り歩いたが、のち政治的な興奮が冷めていくと、政治批判ではない純粋な演歌を目指して、自身が演歌の歌詞を書くようになる。唖蝉坊が最初に書いたといわれているものは、「壇ノ浦」(愉快節)、「白虎隊」(欣舞節)、「西洋熱」(愉快節)などで、1892年(明治25年)の作である。これ以降、「ゲンコツ節」、「チャクライ節」、「新法界節」、「新トンヤレ節」と続く。1930年(昭和5年)に「生活戦線異状あり」で引退するまでに182曲を残したという。

1901年(明治34年)に結婚し、本所番場町に居を構えた。翌年長男の添田知道(添田さつき)が生まれる。この頃、友人と始めた「二六新報」がうまくいかず、茅ヶ崎に引っ込むが、「渋井のばあさん」と呼ばれていた知り合いの流し演歌師に頼まれてつくった「ラッパ節」が、1905年(明治38年)末から翌年にかけて大流行する。これがきっかけで、堺利彦に依頼されて、この改作である社会党喇叭節を作詞。1906年(明治39年)には、日本社会党の結成とともにその評議員になるなどし、その演歌は、社会主義伝道のための手段になる。

1910年(明治43年)、妻タケが27歳で死去。唖蝉坊は悲嘆して、知道の妹は他家に養子にやられる。やがて唖蝉坊は、当時の有名な貧民窟であった下谷山伏町に居を定めた。なおここは、一軒が四畳半一間、それが十二軒ずつ四棟、計四十八軒ならんでいたので、「いろは長屋」と呼ばれていた。

その後、全国行脚をしながら、屑屋の二階に居候。そこで死去した。浅草、浅草寺の鐘楼下に添田唖蝉の碑が、添田知道筆塚と共にある。

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2008年4月12日 (土)

【楽】7年前、真鶴で

高田渡さんの本のことを書いていて、思いだした。
7年前の真鶴海岸、野外ステージ。

写真があった。
渡さんのステージは、撮影禁止などというヤボなことは言わなかった。

上々颱風のステージは、例によって撮影禁止のアナウンスが事前にあったのだが、エンディングでは地元の若者たち(主催者)もステージに呼ばれて、たいへんなことになった。
どさくさまぎれに撮った写真である。
ブログなどにあまり掲載してはいけないのだろうけれど・・・。

いつまでも忘れられない、宵闇のすてきなライブステージだった。

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