カテゴリー「今尾恵介」の12件の記事

2013年5月18日 (土)

【雑】今尾恵介さん講演会

小平図書館友の会主催の今尾恵介さん講演会に行ってきた。
私も主催者側の一員なので、会場準備、写真撮影、後片づけ、と忙しい一日だった。

今尾さんのお話はとてもわかりやすく、スクリーンに映し出された古い地図や時刻表などの資料も、興味深いものばかり。
充実した講演会だった。

会場の小平中央図書館3階視聴覚室は、座席定員80人ほどの会場だが、90人以上のお客さまが来場。
補助椅子もいっぱいになった。
皆さん、2時間の講演を熱心に聴き入っていた。
講演終了後、会場からのいくつかの質問にも、今尾さんはていねいに答えてくださった。

次のご予定があるそうで、お帰りの電車の時刻を気になさりながらも、ご著書にこころよくサインしてくださった。
うれしかったな。
いい一日だった。

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2013年4月 3日 (水)

【雑】今尾恵介さん講演会(5/18)のお知らせ

5月18日(土)の午後、小平市中央図書館の視聴覚室(3階)で、今尾恵介さんの講演会が開催されます。
小平図書館友の会主催、無料です。
申し込み不要。
当日、会場にお越しください。
定員80人。

詳しくは、下のちらしをご覧ください。
(画像をクリックすると拡大表示されます)

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今尾恵介さんのご著書の一部。
Amazonで85点ヒットしました。

【参考サイト】

地図エッセイスト 今尾恵介の応援サイト

http://www.ken-s.net/imaokeisuke/
<このページは今尾恵介氏のオフィシャルサイトではありません。
が、著者公認の、「限りなく公式に近い」 非公式 今尾恵介応援サイト です。>

地図研究家 今尾恵介さん - インタビュー - 環境goo
http://eco.goo.ne.jp/business/csr/ecologue/ecologue09_01.html

今尾恵介さん かしこい生き方のススメ - COMZINE by nttコムウェア
http://www.nttcom.co.jp/comzine/no081/wise/index.html

今尾 恵介 | Facebook
https://www.facebook.com/keisuke.imao

今尾恵介 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E5%B0%BE%E6%81%B5%E4%BB%8B

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2013年2月19日 (火)

【読】今尾恵介さん

<今尾 恵介(いまお けいすけ、1959年 - )は、日本の地図学者、地図研究家、フリーライター。日本地図センター客員研究員、関東学院大学地図学非常勤講師、日本国際地図学会評議員。神奈川県横浜市出身。>

これが、Wikipediaの今尾恵介さん紹介文だ。
私は今尾さんファンで、これまで何度かこのブログでも紹介してきた。

→ カテゴリー「今尾恵介」
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/cat22792419/index.html

まだ読んでいなかったのだが、二年前に出版された本を、先日、パラパラ拾い読みしてみた。

今尾恵介 『地図で読む戦争の時代―描かれた日本、描かれなかった日本』
 白水社 2011/3/15発行 1,800円(税別)

https://amzn.to/4f7lODS

この本のテーマは二つ。
 地図で戦争の時代を読む
 戦争の時代の地図を読む (本書「はじめに」より)

ちょうど、私の今の興味、関心事にぴったりの本だ。
この近辺の地図(戦争遺跡)が取り上げられていた。

軍事施設はその後どうなったか
 軍用鉄道の生まれ変わり――新京成電鉄、東急こどもの国線、西武拝島線
 (P.206-215)
このなかの「日立航空機工場専用線のその後」(P.210-213)に、興味ぶかい話があった。

「日立航空機工場専用線」とは、現在の西武拝島線の一部で、当時は玉川上水駅が終点だった。
日立航空機の工場があったためだ。
(この路線は昭和43年、拝島まで延伸された)

また、現在、ブリヂストン東京工場・技術センターがある場所(小平市小川東町3丁目)には、戦争末期の昭和18年に陸軍兵器補給廠小平分廠ができたという。
戦車や自動車の修理をしていたそうだ。
小川駅(現在の西武国分寺線・拝島線)からそこまで、短い引き込み線があった。
その痕跡を示す地図が、今尾さんのこの本(P.212)に掲載されている。
戦後の昭和26年の製図なので、補給廠は跡形もなく荒地記号になっていて、鉄道線路の記号だけが残っている。

なるほど、地図を読む楽しみとは、こういうことなんだなと、あらためて感心した。
ところで、今尾恵介さんの講演会が5月に小平で実現しそうなのだ。
多摩の鉄道に関するお話しが聞けそうだ。
今から楽しみにしている。

【参考サイト】
小平の歴史・文化・市の誕生|東京都小平市
http://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/023/023249.html
<昭和15年以降になると傷痍軍人武蔵療養所、東部国民勤労訓練所、陸軍経理学校、陸軍技術研究所、陸軍兵器補給廠小平分廠などの軍用施設が設置され、勤める人の住宅も建てられました。>

地図研究家 今尾恵介さん - インタビュー - 環境goo
http://eco.goo.ne.jp/business/csr/ecologue/ecologue09_01.html

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2009年5月14日 (木)

【読】今日の収穫(昔の鉄道地図)

紀伊國屋書店(新宿本店)で、なんとなく買ってしまったムック(雑誌とは呼ばないだろうな)。

Rail_map_tokyo『日本鉄道旅行地図帳 5号 東京』
 新潮社  2008/9/18発行
 680円(税込)

まえから、書店の店頭でみかけて気にはなっていたシリーズ。
東京編だったので、すこし立ち読みしてみたら、なかなか充実しているので買った。

昭和37年都電全図だとか、大正8年頃の東京市電系統図、地下鉄立体透視地図、地下鉄断面図、など、おもしろく興味ぶかい。
監修は、あの今尾恵介さんだ。

今尾恵介さんについては、このブログに何度か書いたことがある。

 

【以前のブログ記事より】

2007/5/31
【読】地名はおもしろい
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_f92f.html

2007/6/17
【読】多摩川絵図・奥多摩絵図
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_764f.html

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2007年6月17日 (日)

【読】多摩川絵図・奥多摩絵図

『多摩川絵図 今昔 ―源流から河口まで』 (けやき出版)の絵図を眺め、今尾恵介さんの解説を読んでいる。
Tamagaw_ezu_1160年前に描かれた長尺の絵図にあじわいがあり、今尾さんの解説もおもしろい。
多摩川の上流部は、奥多摩の山あいを走る国道411号(青梅街道)沿い。
わたしには馴染みの深い土地だから、昔の多摩川沿岸と現在の姿を机上で比べるのが、とても楽しい。

多摩川源流を三頭山(みとうさん―現在、都民の森がある)北西斜面としているが、そこから現在の奥多摩町、青梅市を通って、日野、高幡不動、関戸、府中、是政、登戸、二子、矢口、川崎、羽田沖の河口までの風景が、一巻の絵巻物になっている。
この本では、長尺の絵図を23枚に分割し、 一枚ごとに今尾さんの解説が見開き2ページでつけられている。 各地の現在の写真もある。

内容をざっと紹介すると――
源流付近(大菩薩嶺)からはじまって、小菅(こすげ)村・丹波(たば)村、鴨沢村~留浦(とずら)村、川野村、小河内郷原村~河内村、境村~氷川村~下野村、白丸村~棚沢村~コリツキの滝、小丹波村~川井村~御岳山、等々と、現在も残っている地名がたくさんでてくる。

ちなみに、現在の鳥瞰図が 『奥多摩絵図』 (絵・村松昭/聖岳社/1982年)として発売されている。 これも楽しい絵図だ。


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2007年6月10日 (日)

【読】地図、今昔(続々)

今尾恵介さんの 『地図で今昔』 がおもしろくて、ここでもずいぶん紹介したが、ついに読み終えた。
Chizu_imamukashi_2この本の最後の章、「地図から歴史を読む」 に、奈良県の十津川村が紹介されている。
→心のふるさと 十津川村
http://www.vill.totsukawa.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?wit_template=AM040000
十津川村は、面積672平方キロ、東京23区を全部合わせたよりも広く、日本一広い村だという。
<雨が多く、急斜面の重畳たる山々の連なる紀伊山地のまん中にあり、奈良県全体の面積の5分の1ほどをこの村が占めていることになるが、人口は県人口のわずか300分の1である。 1998年(平成10)現在の人口は5143人だが、ここ10年ほどで一割ほども減ってしまっている。> (『地図で今昔』 1999年 P.213)

この村で、1889年(明治22)の8月に大きな自然災害が起きている。
滝のような豪雨が三日間降り続き、あちこちで土砂崩れが頻発。 谷あいの村を埋めて、流出した家屋426戸、死者168人(同じ十津川流域の上流にあたる大塔・天川の両村と合わせ)、被災者2600人を超えたという。 田畑も十津川旧六村(明治23年に六村が合併)の三分の一が流され、 「十津川崩れ」と呼ばれた。 (以上、『地図で今昔』から)

この災害に村の将来を悲観した被災者たちが、集団で北海道に渡り、樺戸の地にできたのが新十津川村(現・新十津川町)だ。
→新十津川町公式サイト
http://www.town.shintotsukawa.lg.jp/index.jsp

北海道に生まれ育ったわたしには、とても興味ぶかい話だった。
この「十津川崩れ」については、司馬遼太郎の『街道をゆく 12 十津川街道』に詳しいようだ。
http://opendoors.asahi.com/data/detail/2786.shtml

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【山】武甲山

今尾恵介 『地図で今昔』 (けやき出版) に、秩父の武甲山がとりあげられている。
武甲山は石灰岩から成る山で、石灰岩採掘のためにどんどん削られ、山容が大きく変わりつつある山だ。
五木寛之の『青春の門』で有名な九州の香春岳(かわらだけ)と同じような運命をたどりつつある。
Bukousan_map左は、『地図で今昔』のP.170-171に着色したものだが、薄く着色した部分が武甲山だ。 右が昭和4年(1929)の5万分の1図、左は平成9年(1997)の地図。
山頂の北側が大きく削り取られて、左の図では白くなっているのがわかる。
(この禿げたようになった白い部分は、等高線が同じなので、テラス状になっているわけだ)

<武甲山といえば秩父を代表する山として知られている。 山頂の標高は1336.1メートルあったが、現在はもっと低い。 山頂にあった三角点も後退し、やはり山頂にあった御嶽神社も1975年には少し南側に移転させられた。 現在の三角点の標高は1295.4メートルと、以前より40メートルも低くなってしまったのである。> (『地図で今昔』 1999年 P.171)

この武甲山、1980年5月17に登った。
その時の写真があったので、掲載する。
頂上付近は立ち入り禁止だった(左から二枚目の写真)。
深田久弥の「日本百名山」にも選ばれている、歴史の古い信仰の山なのだが、見るも無残な姿だった。
800517bukousan01_3800517bukousan02_3最後の写真は、同じ年の3月に登った奥武蔵の武川岳からの下山時に撮ったもの。 武甲山北斜面の採掘状況がよくわかる。


800517bukousan03_6800315bukousan04_5 <武甲山の石灰の埋蔵量は約30億トンとされる。 今後どこまで掘り続けるのか知らないが、この秩父のシンボルたる名山を切り崩すことが、やはり秩父の経済を支えてもいるので、市民にはさぞジレンマなのだろう。 これだけ激しく切り刻まれている一方で、(中略)そのテラスのすぐ下には、チチブイワザクラ、ミヤマスカシユリ、イチョウシダなどから成る「武甲山石灰岩地特殊植物群落」があり、これが国指定の天然記念物になっている。> (『地図で今昔』 1999年 P.173)

→ 石灰岩地に咲く赤紫 武甲山資料館 チチブイワザクラ展示
 (東京新聞 TOKYO Web 2007年4月13日)
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20070413/CK2007041302008324.html

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2007年6月 9日 (土)

【読】地図、今昔(続)

Chizu_imamukashi_1今尾恵介 『地図で今昔』 (けやき出版 1999年)から、もうすこし紹介。
地名のいわれは、漢字の字面だけでは判断できないものだ。
その例は、さきごろ読んだ今尾さんの 『日本の地名遺産「難読・おもしろ・謎解き」探訪記51』 にたくさんあげられていた。

 

今読んでいる 『地図で今昔』 にも面白い話が載っている。
「帝国陸海軍」のその後
   陸軍成増飛行場→グラントハイツ→光が丘 ――東京都練馬区 (P.95-99)
Narimasu_map1942年(昭和17年)に東京が空襲を受けて、それに慌てた陸軍が急遽、板橋区(現練馬区)高松町内に急造したのが、陸軍の成増飛行場。
敗戦後、米軍に接収され、グラントハイツと名前を変えた。
「グラン」(グランと濁らない)は、米国の第18代グラント大統領の名を冠したもので、米軍士官とその家族用の住宅地だった。 敷地内には、郵便局から劇場、プールやゴルフ練習場まで何でも揃っていたという。
このグラントハイツを建設する際、近くを通る東武東上線の上板橋駅から引込線が建設された。 池袋・グラントハイツ間をノンストップの進駐軍専用列車を走らせるための専用線だった。
その専用線の名前が 「啓志線」(けいしせん)。 「啓志」とは耳慣れない言葉だが、これがなんと、グラントハイツ建設の総責任者だったケーシー中尉の名を冠したものだというのだ。
今尾さんは次のように書いている。
<グラントハイツがカタカナなのにケーシー線が「啓志」となったいきさつは調べていないが、東武か政府かどこかの日本人担当者が 「中尉殿、啓志という文字を当ててみましたが、いかがでしょう。この漢字がどういう意味かといえば……」 などとスマイルを浮かべつつ若い中尉ドノに接していたのだったりして。 あくまでも想像だが。>

もうひとつ、この本から新旧地図を転載したい。
変貌する街・むら
 湿原と原始河川は碁盤目の水田へ ――北海道雨竜郡 (P.140-145)
Uryuu_map北海道生まれのわたしには馴染みのふかい、北海道の雨竜川流域の地図だ。
見開き右側ページが、昭和7年(1932)の「妹背牛」5万分の1図。
左側、平成2年(1990)の同じ範囲の地図。
「妹背牛」は「もせうし」と読む。 アイヌ語起源の地名だ。
昭和初期の段階で、碁盤目状の道路が整然とつくられていたことに驚く。
屯田兵が湿原・原野を切り開いてここまでにしたことを思うと、ため息がでる。
雨竜川が蛇行しているのが目につくが、左側の地図では、その蛇行がなくなっている。 次々と人間の手がはいっているのだ。
このあたり、開拓される前はどんな姿だったのだろうと、静かな大地だった頃の北海道に思いを馳せてみる。

今尾さんの文章を引用する。
<ここに限らず、明治のはじめまでは石狩平野全域が広大な湿原・原野または平地林だったのである。 そこに最初は屯田兵が入り、その後は一般入植者が厳しい自然条件の中で耕地を拡大させてきたというのが北海道の近代史である。 もちろん、この進行に伴って先住民の住むところがどんどん狭められ、合わせて強引な日本人化が進められたのはいうまでもない。> (P.141)

『北海道の地名 アイヌ語地名の研究 別巻』 山田秀三 (草風館) から ―
妹背牛(もせうし) 当初は望畝有志の字を使っていたという。 モセ・ウシ(mose-ush)には「いらくさ・群生する」という意と、、「草刈りを・いつもする」という意があり、伝承でもないとどっちだったのか分からない。
雨竜(うりゅう) 雨竜は元来雨竜川の名から出た名であるが、その川筋を中心とする広大な地域名としても使われて来た。雨竜川は石狩川第2の支流で、北海道の中心部を北から南に160キロの長さを流れている長流であるが、アイヌ時代はその中上流部は殆ど無人の境であったという。/この種の大地名は語義が忘れられているものが多い。松浦武四郎はその郡名建議書の中で「ウリウ。是は大古神が号け玉ひしと云伝へ、訳書相分り申さず候」と書いたのは恐らくアイヌ古老の言をそのまま記したものであろう。/永田地名解は「原名ウリロペッ(urir-o-pet)鵜の川。此川口鵜多きを以て名く」と書いた。(後略)

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2007年6月 7日 (木)

【読】地図、今昔

日曜日に市の中央図書館から借りてきた本が、なかなか読み応えあり。
Chizu_imamukashiCompact_nihonchizu左が借りてきて読んでいる本。
『地図で今昔』 今尾恵介
 けやき出版 1999.11.1
右は、この本といっしょに持ち歩いて、場所を確認するためのコンパクトな日本地図帳。

『地図で今昔』 は、副題が「新旧地図を比較する楽しみ」とあって、同縮尺、同範囲の新旧地図の比較がとても面白いし、楽しい。
いくつかのカテゴリーに分かれている、その一部を、目次から紹介する。
「変わりゆく渚の風景」――島根・鳥取の中海、鹿島臨海地帯、浦安、羽田、兵庫県高砂・大塩、近江八幡・彦根
「姿を変えた山と川」――昭和新山・有珠山、桜島、雲仙、三宅島、神戸、渡瀬遊水池、荒川、九頭竜ダム
「「帝国陸海軍」のその後」――朝霞市、練馬区(光が丘)、相模原、横須賀
「変貌する街・むら」――八王子、大阪府守口市、北海道雨竜郡、富山の廃村、成田・三里塚 
「鉱山の盛衰」――大夕張炭山、武甲山、千葉県富津市、旧浅間山、岡山県犬島、島根県大田市、新居浜市、別子山村
「地図から歴史を透かし見る」――軽井沢、親不知と黒部川、京都、奈良県十津川村

今日、読んでいたところでも興味ぶかいところがたくさんあったが、そのひとつ。
「水車の興した地場産業と米軍基地――埼玉県朝霞市」という章(P.90-94)。Asaka_map
コピー(スキャニング)なので見にくいが、見開きの右側が昭和2年(1927年)の25,000図、左が平成5年(1993年)の同じ場所だ。
自衛隊の朝霞駐屯地のある場所だが、1932年に「膝折村」から「朝霞町」と改称したいきさつがおかしい。
地名の起源は、1929年にできた「東京ゴルフ倶楽部」。 この名誉会長が朝香宮(あさかのみや)だったため、これにちなんで「朝霞」としたのだと。 「朝香」ではあまりにも直接的で畏れ多いということだったのかもしれない、と著者は書いている。 冗談のような地名だ。
新旧の地図を見比べると、水車を動力とした精米、製粉が行なわれていた土地が、昭和16年(1941年、太平洋戦争開戦の年)に陸軍予科士官学校がこの地に移転してきてから、基地の町に変わってしまったことが、まさに一目瞭然だ。
旧日本陸軍→米軍(進駐軍)→自衛隊と、軍事施設が残っている(左の地図の下半分)。

わたしは、山登りをさかんにやっていた頃、国土地理院の5万図、25,000図をよく使っていたので、地図を「読む」のがもともと好きなのである。
ひさしぶりに、その地図読みの楽しさを思いだしている。

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2007年6月 5日 (火)

【読】地図もおもしろい

今尾恵介著  『日本の地名遺産 「難読・おもしろ・謎解き」探訪記51』  (講談社α新書)読了。
おなじ今尾さんの 『地図で今昔』 (けやき出版) をパラパラと見ている。
新旧二種類の地形図(同じ縮尺で同じ範囲)を並べて、日本列島の各地の変化を示す、なかなか面白い内容。
東京の羽田あたりや、秩父の武甲山などは、なじみが深いのでことに興味ぶかい。
古い方の地図は、昭和初期のものが多いが、中には明治時代の地図もあって、新しい地図(平成に入ってから)と見比べると、そのちがいに驚く。
噴火や地震といった自然の力で地形が変わることもあるが、どちらかというと海岸の埋め立て、河川の改修、採掘など人為的な力による変化の多いことがわかる。

そんな本を眺めながら、帰宅の電車を新宿で途中下車。
新宿西口ヨドバシカメラで、仕事がらみの技術書を買うためだったが、新宿駅西口地下広場のイベントコーナーで、地図展のようなものをやっていたので、思わず立ち寄ってしまった。
今読んでいる本との符合にびっくり。

欲しくなる地図や本がたくさんあったのだが、比較的廉価なものを二冊購入。
懐が潤っていれば、買ってしまうだろう高価なものもあった。 私にとっては、まさに宝の山。

Uchuu_nihon_1手にとって、すぐに欲しくなったのがこれ。
『宇宙から見た日本 地球観測衛星の魅力』
 (新井田秀一 著、東海大学出版局) \1,000(税別)
衛星写真で見る日本列島がとても美しい。
私は飛行機の窓から地形を見るのが大好きなので、うれしくなる。

 

Daitoa_mapこれも、目にしてすぐに欲しいと思ったもの。
今の私の関心事にぴったりの本。
『歴史の証人・地図 ~大東亜戦争を語る~』
 (ケイエスケイ) \840(税込)
カラー上質紙、100ページ足らずだが、この値段はお買い得だった。
大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)の頃の日本領土を示す赤く塗られた世界地図を見て、不思議な感じにとらわれた。
当時の人たち(軍人、政治家、一般大衆)は、大陸はもとより、東南アジア、太平洋にどんどん広がっていく日本領を地図で見て、きっと喜んでいたんだろうなぁ、と思う。
当時生きていたら、私も同じように感じたかもしれない・・・。

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