カテゴリー「山野井泰史」の12件の記事

2011年11月19日 (土)

【山】【読】読了 「いのち五分五分」

山野井孝有(やまのい・たかゆき) 著
 『いのち五分五分』 山と渓谷社(2011年7月発行)

本日読了。
クライマー 山野井泰史さん、妙子さん夫妻と二人をとりまく人びとが描かれている。
著者は、山野井泰史さんのお父さん。
1932年生まれ、13歳で軍需工場に動員され、グライダー特攻訓練を受けた、戦中世代。
毎日新聞の労組で本部書記長を務めた経歴もある。

孤高のクライマーと呼びたいような泰史さんと、よきパートナーである妙子さん(旧姓・長尾妙子)を見守るあたたかい気持ちが伝わってくる。

とくに印象に残った一節がある。
山野井夫妻の、つつましく、モノを大切にする生活ぶりを象徴するエピソードだ。

 <泰史と妙子の奥多摩の家の電気製品のほとんどが友人の廃品だ。テレビもビデオデッキも、電気釜も。…(略)…
 泰史、妙子の車はワンボックス4WD7人乗りのマニュアル車だ。山に行くときにはこれで寝泊まりをしてきた。…(略)…ようやくオートマチック、走行距離10万キロ、価格は5万円の「古車」に買い替えた。今は19万キロだ。2010年4月に奥多摩に行くと、泰史がこの車の屋根にパテを埋め込んでいた。雨漏りがするという。昨年、泰史たちと伊豆旅行した時には屋根にガムテープを貼っていたのを思い出す。
 妙子は言う。
「『エコ減税だ』『エコ補助金だ』と言って、新車、薄型テレビ、冷蔵庫を売りつけているが、新製品を作るのに必要な鉄など大量の材料を作るために二酸化炭素を出す。電池に使うリチウムは貴重な資源だ。エコカーを作る時と中古車を破棄する時、どちらも二酸化炭素を出すのだ。さらに、エコ商品を購入できる人たちは恵まれた人たちだ。この恵まれた人たちに『税金』を使うのは納得できない。年収200万円以下の人たちはまったく無縁なのだ」>

 <さらに妙子はこんなことも話してくれた。先日、信号待ちで止まっていると横に車が止まった。いきなり「今はエコだぞ、その車はなんだ!」と怒鳴られたという。燃費の悪い二人の「古車」とエコカーと、どちらが最終的に環境に配慮しているのだろうか。>

 (第4章 泰史のパートナー・妙子 P.103-105 「妙子とエコロジー」 より)

二人は、奥多摩の古い家を借り、自給自足的な生活を続けながら、自分たちが納得できるクライミングを続けている。
「定職を持たない」「登山のために企業から支援を受けない」――これが二人の基本姿勢だという。
その生き方は一途で、「山」を最優先させるものだが、けっして人づき合いを避けることはない。
二人の他人を思いやる心は、この本の随所に描かれている。
まったく、頭がさがる。

山野井泰史・妙子夫妻を描いた『凍』の著者・沢木耕太郎さんが、二人と深い交際を結んでいるのもうなずける。
毎年、12月上旬には、奥多摩の家で「餅つき望年会」が行なわれる。
沢木さんや、夫妻と関係の深い人たちが集まるその会では、山野井夫妻の畑でとれた野菜や手作りのこんにゃくが振る舞われ、鍋を囲んで参加者全員がその年の反省と翌年の抱負を語り合うという。
うらやましい。

これから先、私の身の上につらいことがあったら、こういう人たちのいることを思い出そう。
きっと、勇気づけられることだろう。


【山野井泰史・妙子夫妻を描いた本】

沢木耕太郎 著 『凍』

丸山直樹 著 『ソロ―単独登攀者・山野井泰史』

【山野井泰史さんの著作】
 山野井泰史 著 『垂直の記憶―岩と雪の7章』

【参考サイト】
 山野井通信 (株式会社エバニューのサイト内)
  http://www.evernew.co.jp/outdoor/yasushi/yasushi1.htm
  最新号
   http://www.evernew.co.jp/outdoor/yasushi/yasushi4.htm
 Facebook内 山野井泰史ファンページ
  https://www.facebook.com/pages/%E5%B1%B1%E9%87%8E%E4%BA%95%E6%B3%B0%E5%8F%B2Yasushi-Yamanoi/193753620643484?sk=wall&filter=2


蛇足で、個人的なことだが……
山野井(長尾)妙子さんといっしょに、グランドジョラス北壁ウォーカー稜を冬期初登(女性)した笠松美和子さんを、正月の南アルプスの山小屋で(と記憶しているが)、お見かけしたことがある(冬山ガイドをされていた)。
その後、中央アルプス宝剣岳で遭難死している。
笠松さんの死後、妙子さんと友人の寺沢玲子さんが、笠松さんのお母さんを誘って北海道旅行をしたというエピソードも、この本に書かれていた。

Wikipedia 登山家一覧 (笠松美和子さんが載っていた)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BB%E5%B1%B1%E5%AE%B6%E4%B8%80%E8%A6%A7

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2011年11月14日 (月)

【山】【読】いのち五分五分

図書館に予約しておいた本が、ようやく届いた。
人気のある本なのか、貼り紙がついていた。

「この本は、次に待っている方がいらっしゃいますので、なるべく早くお返しください」

こんな貼り紙は、初めて見た。
予約の行列ができているのかも。

山野井孝有
  『いのち五分五分 息子・山野井泰史と向き合って』
 山と渓谷社 2011年7月5日発行
 270ページ 1800円(税別)

書名にあるとおり、著者は、クライマー 山野井泰史さんのお父さん。
新聞広告をみて、読みたいと思っていた本だ。
「いのち五分五分」というタイトルもいい。

<泰史が先か、私が先か――。生死の境で苦悩してきた先鋭登山家の親が綴る「いのち」への想い。日本を代表する先鋭的な登山家・山野井泰史を、危険な登攀に送り出す度に生還を願い、不安と戦いながら、ともに「挑戦」してきた父・孝有(たかあき)。高齢になった自分の寿命と山で死ぬかもしれない息子の「いのち」。その不安と葛藤の日々を真っ向から綴った感動の実話。> ― Amazonより ―

私が敬愛するクライマー 山野井泰史さんについては、これまで何度か書いたことがある。
下記リンクのカテゴリーで、まとめてご覧いただきたい。
 http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/cat22962637/index.html


もう一冊、図書館から借りて読んでいる本がある。
私のまったく知らない著者だったが、Twitterの縁で知った。

廣川まさき 著 『ウーマンアローン』
 集英社 2004年11月23日発行
 252ページ 1500円(税別)

著者は女性(念のため)。
1972年生まれというから、若い人だ。

<第2回開高健ノンフィクション賞受賞作
伝説の日本人の足跡を訪ねるため、女一人、初めてのカヌーを繰ってアラスカ・ユーコン川下りに挑んだ著者。様々な表情を見せる自然、人々との交流。それは楽しい学びの時でもあった。> ― Amazon より ―

 廣川まさきさんのサイト
  ノンフィクションライター廣川まさき・ウエブホームページ
  http://web.hirokawamasaki.com/

この人の最新作も、読んでみたいと思わせる本だ。

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2011年10月22日 (土)

【読】勢古浩爾著 「アマチュア論。」

まだ読みはじめたばかりだけれど。

勢古浩爾 著 『アマチュア論。』
 ミシマ社 2007年
 238ページ 1600円(税別)

内容(「BOOK」データベースより)
「ふつうの人」に必要なのは、「武士道」でもない、「プロ意識」でもない、「アマチュア精神」なのだ。素晴らしきプロフェッショナルは、人間として見事なアマチュアである。より良きアマチュアは一流のプロを凌駕する。

勢古さんの著作はほとんど読んでいるが(ファンなので)、この本は、なぜかまだ読んでいなかった。
勢古さんお得意の、人生論というか人間論である。
いつもの勢古節がやや低調の感があるが、読み進めよう。

第5章 「こんなアマチュアになりたい」 に、登山家の山野井泰史さんがとりあげられている。(「不屈のクライマー・山野井泰史」)
うれしいね。

タイトル 「アマチュア論。」 のマルは何だろう。
「モーニング娘。」 のようなものか。謎。

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2010年7月 3日 (土)

【山】【読】山野井さんの連載 最終回

毎日たのしみにしていた東京新聞夕刊の連載が、今日で終わった。

「この道」 山野井泰史
 東京新聞夕刊 2010年5月6日(木)~7月3日(土)
 全51回連載


<幸せ指数っていう言い方、ありますよね。どう表すのか、よくわかりませんけど、もしパーセントでいうのなら、僕は120くらいいってます。(100%を超えて)もうプラスアルファになってると思うんですよ。
 ……四十五年間で、いやってほど登ってる。誰よりも登ってるんです、僕は。つまり、誰よりも生きているという充実感を味わってるんですね。>

「生きているという充実感」 かあ。
たしかにたいせつだよな、などと思いながら連載を読みおえたのだった。

<やまのい・やすし 1965年、東京都生まれ 「世界最強」とうたわれた登山家 文部科学省スポーツ功労賞、植村直已冒険賞などを受賞>


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2010年6月29日 (火)

【山】【読】ヒマラヤ

このところ山岳関係の本に関心が向いて、読み続けているような気がする。

近くの図書館にあった児童書。

Kohara_himalaya古原和美 (こはら・かずみ)
 『ヒマラヤの旅 未知をたずねて』
  理論社 1978年・改装版
  172ページ 1200円
  (初版 1963年)

かなり古めかしい本だが、なかなかおもしろかった。
著者の名前から私は勝手に女性だと思っていたが、男性医師で、ネット検索してみると、いまは長野県山岳協会の名誉会長をなさっている方らしい。

長野県山岳協会公式Web > 役員名簿
http://www.nmaj.org/toppict/


1958年3月から6月にかけて、深田久弥氏を隊長とし、山川勇一郎氏(山岳画家)、風見武秀氏(山岳写真家)、古原和美氏(医師)というわずか四人の登山隊(探検隊)による、ジュガール・ヒマールとランタン・ヒマール地方(ネパールとチベットの国境、チョモランマとマナスルのあいだ)の探検記である。

当時のことだから、シェルパとポーターを多数雇っての、いわゆる極地法による登山だ。
(ピーク・ハンティングが目的ではなく、調査が主体)

残念なことに、カバー写真以外は、ぼやけたモノクロ写真(印刷がよくない)ではあるが、ややマイナーなこの地方(それでも7000メートル級の山岳が連なる)の様子がよくわかる。
ヒマラヤが今ほどポピュラーではなかった時代の苦労がしのばれる。

―― あとがき より ――
<わたしは、中学時代から一貫して山登りが好きだったのですが、1958年、ついに、あこがれのヒマラヤ探検を実現することができました。この旅を終わって、わたしは、少年時代からの夢は、けっきょく実現できるものだ――という深い感慨をいだくのです。そして、多くの少年少女たちに、夢をだいじに育てましょう――と語りかけたい気持です。/しかし、わたし自身の夢も、まだ終わったわけではありません。/1964年第二回ヒマラヤ探検をくわだて全日本山岳連盟ヒマラヤ登山隊長として、再びネパール・ヒマラヤに向い、4月10日、11日の二回にわたり、ギャチュン・カン[7922メートル]の初登頂に成功しました。……>

そうか。
あのギャチュン・カン(山野井泰史さん夫妻がたった二人で北壁に挑み、かろうじて生還した山)の、ノーマル・ルートによる初登が、この古原さんを隊長とするパーティーだったんだ。

それにしても、児童書コーナーに置かれていた、見映えのしない古めかしいこの本。
いまの「少年少女たち」が手にすることは、はたしてあるのだろうか?

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2010年6月 9日 (水)

【山】【読】再読、山野井泰史さん

一週間前にいちど読んだのだけれど、図書館に返す日まで間があるので、もう一度読んでいる。
こんなことははじめてだ。

一度目にはわからなかったことが、二度目のいま、よくわかる。
沢木耕太郎さんの 『凍』、丸山直樹さんの 『ソロ』 と、たて続けに二冊、山野井夫妻を描いた本を読んだせいもあるのだろう。

Yamanoi_iwatoyuki_1山野井泰史 『垂直の記憶 岩と雪の7章』
 山と渓谷社 2004年刊
 244ページ 1500円(税別)

いっそ買ってしまおうか。
おそらく、この先、何度読みかえしてもあらたな感銘を受けるだろう。
躍動感があり、すーっとはいってくる文章が、とてもいい(編集者の力量もあるのだろう)。

あらためて、この本に記されている七つの登攀を、章題とともにあげておこう。
(本書目次、巻末 「山野井泰史 年譜」 を参考にした)
もちろん、年譜には、この他にも数多くの登攀経歴が載っている。

第1章 八000メートルの教訓 ―― ブロード・ピーク
  1991年 26歳 パキスタン、ブロード・ピーク(8047m)登頂
      キャシードラル南壁、敗退  
第2章 ソロ・クライミングの蘇生
―― メラ・ピーク西壁とアマ・ダブラム西壁
  1992年 27歳 ネパール、メラ・ピーク西壁ダイレクトルート単独、敗退
      冬季アマ・ダブラム西壁新ルートより単独初登
  1993年 28歳 パキスタン、ガッシャブルム4峰(7925m)東壁に単独、敗退
      パキスタン、ガッシャブルム2峰(8034m)登頂
第3章 ソロの新境地 ―― チョ・オユー南西壁
  1994年 29歳 マッターホルン北壁登頂
      チベット、チョ・オユー(8201m)南西壁新ルートより単独初登
第4章 ビッグウォール ―― レディーズ・フィンガー南壁
  1995年 30歳 パキスタン、レディーズ・フィンガー(5.10c A3+)南壁初登
第5章 死の恐怖 ―― マカルー西壁とマナスル北西壁
  1996年 31歳 ネパール、マカルー(8463m)西壁単独、敗退
  1997年 32歳 チベット、ガウリシャンカール(7134m)北東稜、敗退
  1998年 33歳 ネパール、クスム・カングル(6367m、80度、5.9)
      東壁新ルートより単独初登
      ネパール、マナスル(8163m)北西壁、敗退
第6章 夢の実現 ―― K2南南東リブ
  2000年 35歳 パキスタン、K2(8611m)南南東リブから単独初登
第7章 生還 ―― ギャチュン・カン北壁
  2002年 37歳 チベット、ギャチュン・カン(7952m)北壁第2登


各章のうしろに、「コラム」があり、本文の厳しい登攀記録とは対照的に、両親や夫人のこと、山に対する考え方など、ほんわかとした内容のエッセイが掲載されている。
いい話がたくさんあるのだが、それはまたあらためて紹介しようかと思う。

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2010年6月 6日 (日)

【雑】今日のカレー

ひさしぶりにカレーをつくった。
ごく普通のカレーだが、今日は満足のいくものができた。

201006060004_2いつものように玉葱大2個をキツネ色になるまでよく炒めて、ぶなしめじを入れ、カレー・ルーはフレーク状のものを使用。
すりおろしたニンニクも、今日は忘れずにいれた。
最後の隠し味だけは、かみさんにまかせた。
冷蔵庫から瓶をとりだして何やら数滴たらしていたが、何をいれたのかよくわからない。
業務秘密らしい(そんなわけはない)。
トッピングは茹で卵。
あいにくラッキョウをきらしていた。

カレーは自宅で食べるにかぎる。

201006060005スーパーでブロッコリーとスナップえんどうを買っていたので、ブロッコリーは茹で、スナップえんどうはレンジでチンして、つけあわせとした。
ほんとうは塩茹でするといいのかもしれない。

スナップえんどうといえば、クライマーの山野井泰史・妙子夫妻(奥多摩在住)の映像のなかに、ご自宅の家庭菜園でとれたスナップえんどうが食卓にあがっている様子があった。

野菜があまり好きではないという泰史さんが、このスナップえんどうだけはお好きらしく、うまいうまいと言いながらばくばく食べていた。
わが家でも、このスナップえんどうが大好きだ。


― Wikipediaより ―
スナップエンドウはアメリカから導入されたエンドウの品種。
特徴と食べ方
さやが柔らかく、さやと豆の両方を食べることが出来る。さやは肉厚で甘みが強いが、硬いスジがある。しかし、あらかじめスジを取り除くとサヤがバラバラになって中の豆がこぼれてしまうので、サヤがついたまま調理した上でスジごと食べてしまうか、食べるときにスジを取り除くようにする。
さっと塩茹ですると鮮やかな緑と甘みが楽しめる。
天ぷらにするとサクサクとした食感を楽しめる。
肉料理のつけあわせ、サラダなどに用いる。
ほかのインゲン同様、長時間加熱すると身が崩れて色も悪くなってしまうため、煮物の彩りとして用いる場合は他の具材とは別に茹でておき、盛りつけの時に添えるようにするとよい。

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2010年6月 5日 (土)

【山】【読】山野井泰史さんを描いたもうひとつのノンフィクション

世界的なクライマー 山野井泰史さんを描いたノンフィクション。
近くの図書館にあったので、今日借りてきた。

Maruyama_solo丸山直樹 『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』
 山と渓谷社 1998年
 286ページ 1500円(税別)

著者の丸山直樹さんは、大学山岳部で山登りを経験しているフリーランスの記者(本書執筆当時)。
山野井さんが書いた 『垂直の記憶 岩と雪の7章』(山と渓谷社)にも名前がでてきて、山野井さんとも親しいらしい。

沢木耕太郎さんの本を読んだ後では、この人の文章はすこし読みにくい感じがするのだが(私も他人のことは言えない)、おもしろそうだ。

タイトルの「ソロ」は、山野井さんの単独登攀スタイル(アルパイン・スタイルによるソロ)に焦点をあてていることによる。

<山野井泰史――言うまでもなく現時点における日本最強のアルパイン・クライマーである。「日本」と限定するよりは、「世界最強のソロ・クライマー」と言っても過言ではないだろう。小学校五年生のとき、偶然テレビで見た劇映画『モンブランへの挑戦』がきっかけで岩登りに取り憑かれ、以来二十年近く、とりわけ高校卒業後の十三年間を、すべてクライミングに費やしてきた。定職はない。富士山頂測候所への冬季歩荷(ぼっか)(徒歩による物資の荷揚げ)である強力(ごうりき)で主な生活費を稼ぎ出し、東京都・奥多摩の山間に建つ、築六十年の借家に妻とともに住む。妻の妙子(旧姓長尾)もまた、ヒマラヤを数多く登っている屈指の女性クライマーである。>
(本書 プロローグ「自分という極限」 P.9-)

アルパイン・スタイルとは、ヨーロッパ・アルプスでおこなわれてきた単独または少人数による登山スタイル。できるだけ短い日数で一気に登る。
日本で我々が一般ルートをたどて山に登るスタイルがそうだ。

これに対して、ヒマラヤのような巨大で難しい山の場合、これまではポーラー・メソッド(極地法)、あるいはシージ・タクティス(包囲法)と呼ばれるスタイルが一般的だった。
ベース・キャンプを築き、大量の物資を運んで、そこからいくつも前進キャンプをつくって荷物をデポし、隊員の高度順化をはかりながら、最後のアタック・キャンプからコンディションのいい隊員だけが頂上をアタックする。
ルートにはロープをフィックスして、できるだけ安全に必要な物資を上にあげられるようにする。
ルートもできるだけ難しいところを避ける。ノーマル・ルートと呼ばれ、稜線をたどることが多い。
金と時間のかかる、いわば物量作戦だが、そうでもしなければ登頂が困難だったのだ。

この方法で世界のおもだった高峰が登り尽くされたあと、より難しいルートが開拓され、さらには無酸素・短期日でいっきに登ることが始められた。
強靭な肉体と体力、トレーニングによって、重い酸素ボンベなど使わずに速く登ることができれば、このアルパイン・スタイルの方が効率がいいにきまっている。

山野井さんの登攀は、そのアルパイン・スタイルの究極にあるもので、もちろん酸素ボンベなど持たず、一人かせいぜい三人ぐらいでヒマラヤの岩壁をよじ登って山頂を目指すのだ。
高度七千メートルを超えると、酸素濃度は平地の三分の一になるという。
そんな危険なところで困難な岩壁を登ることなど、私たち一般の登山者には考えられないことだが……。
岩壁に魅かれる気持ちはわかるような気がする。
ただ、登ってみたいと思ってもとうてい無理なだけだ。


この本、山野井泰史さんのことを知るのには、うってつけのようだ。

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2010年6月 4日 (金)

【山】【読】沢木耕太郎 「凍」 読了

読みおえたあと、これほど充足感をおぼえる本はひさしぶりのことだ。

Sawaki_tou沢木耕太郎 『凍』  新潮社 2005年

よほどの信頼関係がなければ、ここまで書けないだろうなと思っていたら、文庫版 池澤夏樹さんの解説にこう書いてあった。
(文中の「三人」とは、山野井泰史・妙子夫妻と沢木耕太郎。)

<この三人はどれほどの時間をかけて細部を思い出すという共同作業をしたのだろう? そこでは沢木の人柄がどういう力を発揮したのだろう? この話の最後の方に山野井夫妻が再びギャチュンカンの麓まで行くエピソードがある。「登山経験のまったくない男性」と自称する沢木を伴って、かつて残したゴミを回収するためにベースキャンプまで登る。そういうことができる仲を沢木は山野井夫妻との間に構築した。ただ親密なだけでなく、理解者としての沢木を泰史と妙子は受け入れた。> (『凍』 新潮文庫解説 池澤夏樹)

この本は感動的なドキュメンタリーだった。

いいエピソードがたくさんあるが、次の話は微笑ましい。
ギャチュンカンから奇跡的な生還を遂げて帰国後、夫妻は凍傷にかかった手足の指を日本の病院で切断することになった。
その時の話。
(文中の「父親」は山野井泰史さんの父親。)

<山野井の父親が手術室の外で待っていると、まずストレッチャーに乗せられて山野井が出てきた。さすがに顔は蒼白で、体は小刻みに震えていた。
 ところがそれから一時間ほどして出てきた妙子は、女性の看護師と談笑している。山野井とは違って切ったのは片手の指だけだとしても、その様子は驚くべきもののように思えた。さすがに妙子は慣れている、と父親は妙な感心の仕方をしてしまった。>

<父親は妙子に関してこんな話を聞いたことがあった。マカルーから帰って入院しているとき、同じ病院で小指を詰めた暴力団員が入院していた。あまり痛い、痛いと大騒ぎをするので、看護師が言ったという。
「小指の一本ぐらいでなんです。女性病棟には手足十八本の指を詰めても泣き言を言わない人がいますよ」
 しばらくしてその暴力団員が妙子の病室に菓子折りを持って訪ねてきた、という。>

(本書 第十章 喪失と獲得 P.275)


妙子さん(旧姓 長尾妙子)は、山野井泰史さんと知りあった頃の1991年、8481メートルのマカルーに登頂後、下降の途中で重度の凍傷を負い、その結果、手の指を第二関節から十本、足の指も二本を残して八本すべて失い、しかも鼻の頭まで失っている。
(鼻は移植手術によって一部復元。)

ギャチュンカンでの過酷なビバークによって、さらに残っていた第二関節から残っていた手指も切断したのだ。
泰史さんの父親が「さすがに妙子は慣れている」と感じたのには、そういう背景がある。

山野井夫妻は、このギャチュンカンからの生還(2002年)の後も、徐々にリハビリを続けて、とうとうクライミング(岩登り)を再開し、現在に至っている。
ギャチュンカンから五年後の2007年には、グリーンランドで標高差1300メートルの岸壁に挑戦し、十七日かけて登頂に成功している。


「あきらめない」――そのことの大切さを学んだような気がする。
そして、ふたりの「自由な生き方」に感動した。

池澤夏樹さんがこう書いている。

<……人間の身体の力としてこれは驚嘆すべき偉業である。/だが、それだけならば、この記録にこれほど心動かされることはないだろう。感動するのは、彼らが真の意味で自由であるからだ。……泰史と妙子は自由なのだ。すべてを自分たちだけで決められるように生活を、人生を、設計している。あることをするのに、他人が提示する条件を容れた方がずっと楽という場合でも、苦労を承知で自分たちだけでやる方を選ぶ。それは本当に徹底している。その姿勢をぼくは自由と呼びたい。>

<彼らが確保している自由の中で大事なのは名声からの自由である。つまり名声を求めないこと。そういうものに振り回されないこと。> (文庫版解説 池澤夏樹)


新潮文庫の池澤さんの解説は、それだけでじゅうぶんひとつの読み物のように、おもしろい。
どうせ読むのなら、文庫版をおすすめしたい。

Sawaki_tou_bunko沢木耕太郎 『凍』
 新潮文庫 2008年刊
 366ページ 552円(税別)
 解説 池澤夏樹
 巻頭にギャチュンカン峰周辺の地勢図

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2010年6月 2日 (水)

【山】【読】沢木耕太郎 「凍」

今日の東京新聞夕刊には大きな活字が躍り、そのとばっちりをうけて、山野井さんの連載は三面に追いやられてしまった。
一面のニュースについて、私の感想は「いいよなあ」というものだ。
あの人たちは、辞めりゃ済むけど、俺たちはそうそう簡単に辞められないもの。

それはさておき。

Sawaki_tou沢木耕太郎 『凍』  新潮社 2005年刊

期待をはるかに超えるおもしろさだ。
山野井泰史・妙子夫妻がよく描かれている。
さすがに沢木耕太郎の筆はすごい。

YouTubeでちょっとだけ見た夫妻の姿によって、妙子さんも凍傷で手足の指を失っていることは知っていたが、手の指は第二関節から十本すべて、足の指は二本を残して八本すべて、とは驚いた。
そんなことがあっても、あたらしい目標をつくって登攀を続けるのは、根っから山が好きだから、ただそれだけだという。

泰史さんは、いわゆるピークハンターではないから、ヒマラヤの八千メートル峰というだけで登攀するのではなく、じぶんが登りたい山(岩壁)だけに挑戦し続けている人だ。

沢木さんのこの本を読んでいると、夫妻の出会い、結婚にいたる経緯なども詳しく描かれていて興味ぶかい。
つくづく、いい夫婦だな、と思う。
奥多摩での質素な生活ぶり知るにつけ、この夫妻にますます好感をもつようになった。

この本で唯一残念なのは、ギャチュン・カンの地図が掲載されていないため、地理的な位置関係がイメージしにくいことだ。
ギャチュン・カン峰は、エヴェレスト(別名サガルマータ、チョモランマ)のすぐ近くにある。
標高7952メートルで8000メートルにわずかに足りないことと、アプローチの難しさから、登頂しようとする登山家はほとんどいないらしい。
しかし、山野井泰史さんは、この山に魅せられてその北東壁の単独登攀に挑む。
結果的には、北東壁では敗退し、北壁に切り替えて夫婦二人で登るのだが……。


<……日本において山野井は、一般的にはほとんど無名と言ってよかった。山岳関係の雑誌に登山の記録を載せることはあっても、積極的にテレビや週刊誌に出ることはなかった。それは……登山の費用のすべてを自分で賄っているため、名前を売ってスポンサーを見つける必要がなかったからでもある。ただ、自分の好きな山を好きに登ることができさえすればよかったのだ。>

<そうした山野井にとって、八千メートルという高さはヒマラヤ登山に必須のものではなかった。八千メートル以下でも、素晴らしい壁があり、そこに美しいラインを描いて登れるなら、その方がはるかにいいという思いがあった。>

(本書 第一章 ギャチュンカン P.24-25)


中身の濃い本で(活字もぎっしり詰まっている)、まだ三分の一までしか読みすすんでいないが、いい本だ。

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