カテゴリー「内村剛介」の8件の記事

2013年3月24日 (日)

【読】見るべきほどのことは見つ

ひさしぶりの「読書日誌」だ。

数日前に読みおえた内村剛介さんのロングインタビューは面白かった。

2013年3月 7日 (木) 【読】そして、こんな本を
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-e73c.html

『内村剛介ロングインタビュー 生き急ぎ、感じせく―私の二十世紀』
 陶山幾朗/編集・構成
 恵雅堂出版 2008/5/25発行
 407ページ 2,800円(税別)

先日、東村山市立中央図書館で借りてきた、『見るべきほどのことは見つ』 を、今日から読みはじめた。
「見るべきほどのことは見つ」というフレーズは、平知盛のことばだそうだ。

― Wikipedia 平知盛 より ―
<自害にあたり、知盛は碇を担いだとも、鎧を二枚着てそれを錘にし、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残して入水したとも言われている。共に入水後遺体となるか、あるいは生きたまま浮かび上がって晒し物になるなどの辱めを受けるのを避ける心得である。>

もちろん、内村さんの書名もこの故事によっている。

― 恵雅堂出版のサイトより ―
<シベリア獄中11年、あれは今にして思えばわたしの人生のもっとも充実した時間帯だったようです。大げさに言えば、平知盛ではありませんが、わたしもまた若く稚くして「見るべきほどのことは見つ」ということになったようです。その見るべきものとはわたしたちの20世紀の文明—なんといおうとそれはコムニズム文明であるほかなかった—そのわたしたちの文明の行きつくさきです。その向う側を見てしまったという思いがするのです。 (本文より)>

内村剛介 『見るべきほどのことは見つ』
 恵雅堂出版 2002年6月発行
 316ページ 3,300円(税別)

恵雅堂出版
http://www.keigado.co.jp/
この本のページ
http://www.keigado.co.jp/goods/1233463757212/

「見るべきほどのことは見つ」 という書名には、強烈なインパクトがある。
私は、内村剛介さんの熱心な読者ではないが、ひそかに敬愛している。

じっくり読んでみたい本だ。
なお、この本の後半は、冒頭にあげた 『ロングインタビュー』 に収録されている陶山幾朗氏によるインタビューの一部である。
すでに読んでいるので、その部分は読み飛ばそう。

         

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2013年3月 7日 (木)

【読】そして、こんな本を

船戸与一の強烈な小説を読み終えて、次に何を読もうかと悩む。
本棚の奥に眠っていた本を思いだし、引っぱりだして読みはじめた。

『内村剛介ロングインタビュー 生き急ぎ、感じせく―私の二十世紀』
 陶山幾朗/編集・構成
 恵雅堂出版 2008/5/25発行
 407ページ 2,800円(税別)

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内村剛介さんは、2009年1月30日に満88歳で亡くなった。

→ 2009年3月 7日 (土) 【読】内村剛介さんの死
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-658c.html

このインタビューは、1997年12月から2005年5月まで、7年半かけて、陶山氏内村宅に通っておこなわれたものだそうだ(陶山幾朗氏のあとがきによる)。
出版されたのは、内村さんが亡くなる8か月前だった。

<1920年、栃木県生まれ(本名、内村操)。1934年、渡満。1943年、満洲国立哈爾賓学院を卒業。同年、関東軍に徴用され、敗戦とともにソ連に抑留される。以後、11年間をソ連内の監獄・ラーゲリで過ごし、1956年末、最後の帰還船で帰国する。帰国後、商社に勤務する傍ら文筆活動を精力的に展開し、わが国の論壇、ロシア文学界に大きな影響を与える。…(中略)…1973年から78年まで北海道大学教授、1978年から90年まで上智大学教授などを勤める。> (本書巻末の著者紹介より)

なぜこの本を思いだしたのか。
たぶん、船戸さんの小説の影響だろう。


【出版社のサイト】
恵雅堂出版
http://www.keigado.co.jp/
恵雅堂出版 > 恵雅堂の書籍・CD
http://www.keigado.co.jp/allgoods/

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2009年9月24日 (木)

【読】読めるかな?

「生き急ぎ、感じせく」(*) ことは、ないのだけれど。

 【2009/9/27】 訂正・追記
  * 内村剛介氏の著書に書かれていた、ロシアのヴャゼムスキーの詩の一節。
  内村剛介 『生き急ぐ スターリン獄の日本人』 あとがき より
  <ヴャゼムスキー公が、その詩『初雪』に「生き急ぎ また 感じせく」と書いた時、
  ロシヤ語の日常では「生きる」と「急ぐ」、「感じる」と「せく」は結び合うことを
  あからさまにこばんでいた。……>

こんな魅力的な本を持っていた。
今なら読めるかもしれない。

Nihon_zankoku_monogatari_1『日本残酷物語 1~5』
 宮本常一・山本周五郎・揖西光速・山代巴 監修
 平凡社ライブラリー  1995/4/15~8/15
 1359円~1456円(税別)
 親本 平凡社刊 初版(1959/11~1961/1) 全7巻(5部、別巻2)
     第二版(1972/9~11) 全5巻

<これは流砂のごとく日本の最底辺にうずもれた人びとの物語である。自然の奇蹟に見離され、体制の幸福にあずかることを知らぬ民衆の生活の記録であり、異常な速度と巨大な社会機構のかもしだす現代の狂熱のさ中では、生きながら化石として抹殺されるほかない小さき者の歴史である。民衆の生活体験がいかに忘れられやすいか――試みに戦時中の召集令状や衣料切符、戦後の新円貼付証紙を保存しているものが、わずか二十年後の今日ほとんどないことからみても、現代がむざんな忘却の上に組み立てられた社会であることがわかる。小さき者たちの歴史が地上に墓標すら残さなくなる日は眼前に迫っている。……>
<民衆の生活にとって、納得しがたいことがいかに多いか、しかもそれらがいかに忘れ去られてゆくか――これが『日本残酷物語』をつらぬく主題旋律である。……>  (『日本残酷物語』刊行のことば より)

平凡社ライブラリー版
 第1巻 貧しき人々のむれ  541ページ
 第2巻 忘れられた土地  573ページ
 第3巻 鎖国の悲劇  587ページ
 第4巻 保障なき社会  525ページ
 第5巻 近代の暗黒  552ページ

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2009年3月 7日 (土)

【読】内村剛介さんの死

もう、ひと月以上も前のことだが、新聞の死亡記事で知った。
記事を切り抜いたつもりだったが、みつからない。

おくやみ:内村剛介氏 | 訃報ドットコム
http://fu-hou.com/2360

内村剛介 | blog 死亡欄
http://bohyo.blog84.fc2.com/blog-entry-1601.html


Uchimura_ikiisogu_3内村剛介 『生き急ぐ スターリン獄の日本人』
 三省堂新書 1967年9月20日発行

内村剛介さんの著書は、『生き急ぐ スターリン獄の日本人』 ぐらいしか読んでいないが、気になる人ではあった。
満州で敗戦をむかえ、ソ連で長い抑留生活を体験した人として、ずっと気にかかっている。
『生き急ぐ』 を読んだ当時(今から30年も前だろうか)、私は「あの戦争」に今ほど関心がなかったせいか、この人のことを深く知ろうと思わなかった。

内村さんの戦争体験を知りたくなった。
ネットで、こんな本をみつけて、入手したのはつい先日のこと。
ボリュームのある内容なので、いつ読めるかわからないが。

Uchimura_gousuke_interview『内村剛介 ロングインタビュー
  生き急ぎ、感じせく――私の二十世紀』

 陶山幾朗/編集・構成
 恵雅堂出版 http://www.keigado.co.jp/
 2008年5月25日発行
 407ページ 2800円(税別)

気合いをいれて本気で格闘しないと読めそうもないが、魅力的な本ではある。

それにしても、こういう先達が世を去っていく、そんな年齢にじぶんが達したということなんだろう。

内村剛介 本名 内藤操。
1920年(大正9年)栃木県生まれ。1945年から56年までソ連に抑留。
2009年1月30日死去。88歳。

私の父よりもすこしだけ上の世代。
私の父は、海軍の飛行練習生だったと聞いているが(詳しいことを聞かないうちに亡くなってしまった)、出陣前に国内で敗戦を迎えた世代だった。
こんど、母に詳しく聞いてみようと思う。

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2008年8月29日 (金)

【読】もう一冊

ついでに書いておこう。

三十年以上も前のこと、親しい友人からもらった本がある。
途中まで読んだおぼえがあるが、最後までしっかり読んでいなかった。

「1974年9月、○○君より」 という書き込みがある。
本棚で、すっかり色あせていた。

今、ぱらぱらと読みなおしてみると、これがすごい内容なのだ。
一般には、ほとんど知られていない本である。

落ち着いたら、ゆっくり読んでみたいと思う。

Oyama_ex_post_tsuushin小山俊一 『EX-POST通信』
昭和49(1974)年6月15日 発行
弓立社

巻末の著者略歴はいたって簡単だ。
1919年 福岡県に生れる
1941年 九州大学農学部卒業
主論文
「カウラの死臭」 (「試行」11号)
「中野重治ノート」 (「試行」13・14号)
「<教育現象>について」 (「教育労働研究」2号)


この本のカバーに、内村剛介の一文がある。
ちょっとびっくりする。

<小山の研鑽は執念深い。 かつ原理的である。 日本人は原理に即しつづける能力に乏しいから執念も浅いのだが、その点では小山は日本人ばなれしているといっていい。 小山はそのような能力に、別言すれば才能に、恵まれている。 だから彼については、「苦しむためには才能が要る」をひっくりかえして「才能があるからには苦しむのが当りまえだ」といってもいいだろう。 しかしお前さんが苦しむのはいい気味だとはいえない。 小山の「原理」は思弁癖とは全く縁のない生ま身の血のしたたる実践的なものだから放り投げるわけにはいかない。 彼の思考はメタフィジカルだがそれだけではない。 むしろフィジカルそのもので、血と死臭から離れようもないのだ。>



小山俊一は軍隊経験者であり(陸軍軍属としてボルネオで従軍)。
ネットでみつけた、あるサイトに、詳しい経歴が紹介されていた。
著作権があるので転載は控えることにしたが、詳細な年譜である。

スカラベの会
http://www.k3.dion.ne.jp/~scarabee/index.html

スカラベ人名辞典
http://www.k3.dion.ne.jp/~scarabee/sukajin-a.htm#o

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2007年8月19日 (日)

【楽】【読】きょうの一枚、一冊

ひさしぶりに近所の BOOK OFFをのぞいて、こんなCDと本を買ってきた。

Ry_cooder_buena_vistaライ・クーダー&キューバン・ミュージシャンズ
 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』
   BUENA VISTA SOCIAL CLUB
  ワーナー・ミュージック・ジャパン
  NONE SUCH WPCR-5594
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HGVA


心がおだやかになる、いい音楽だ。
ライ・クーダーのこんな文章が載っているので、紹介しておこう。
すこし長いけれど。
<とても洗練されていて本質的にファンキーなこの音楽を、過度に組織化された騒々しい世界からは隔絶された空気の中で育んできたのは、「キューバのソン」の演奏家と歌い手たちである。 およそ150年の時間をかけて、彼らは美しいアンサンブルというとてつもない効果を持つコンセプトを発展させてきた。 このアルバムでは現代キューバの最高のミュージシャンが顔をそろえている。 彼らの音楽に対する献身とお互いのつながりの深さは、これまでに見たこともないようなものだった。 その意味でこのプロジェクトに参加したことはかけがえのない体験であり、大きな喜びだった。
ここにあるのはキューバの生きて動いている音楽であって、たまたま入った博物館に陳列してあった何かのかけらなどではない。 自分がさんざん練習を重ねてきたのはすべてこのためだったのだと感じた。(後略)>

Itsuki_hiroyuki_09五木寛之の古い全集のなかの一巻。
解説が内村剛介だったので、読み返してみようと思ったのだ。
この全集、以前、手元に揃えていたのに、手放してしまった。
今はすこし後悔している。
五木寛之作品集9 文藝春秋 1973年発行
 『モルダウの重き流れに』 解説 内村剛介
(収録作品) モルダウの重き流れに / 星のバザール / 残酷な五月の朝に / 白夜の終り / 幻の女 / バルカンの星の下に / ボンジョールノ野郎 / スペインの墓標

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2006年2月21日 (火)

【読】面白半分 1973年7月-12月号

かつて『面白半分』 という月刊誌があった。
半年分、6号ずつをさまざまな編集者が担当して、勝手きままに編集するスタイル。
野坂昭如が編集者だったとき、永井荷風作と伝えられる「四畳半襖の下張」を掲載して(1972年7月号)、裁判になったことで有名である。

― Wikipedia 野坂昭如 の項より ―
1973年2月21日、編集長を務めていた月刊誌「面白半分」に掲載した「四畳半襖の下張」につき、刑法175条「猥褻文書の販売」違反に問われ、起訴される。1976年4月27日、東京地裁にて有罪判決(罰金刑)。1980年11月に最高裁は上告を棄却し、有罪が確定している。

五木寛之も、1973年7月号から12月号にかけて、半年間、この雑誌の編集長をつとめた。
(面白半分 VOL.19-25)
表紙は、米倉斉加年である。

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ずいぶん前に、古本屋でみつけてセットで買ったものだ。
とっくに処分していたと思いこんでいたが、たいせつにとってあったらしい。
貧乏性というか、コレクター根性というか・・・。

いまとなっては、貴重な五木さんの仕事の記録である。
最初の号の編集後記を紹介しよう。

― 面白半分 1973年7月号 編集後記 五木寛之 ―
(適度に改行をいれた)
ドストエフスキーが、風刺新聞 『嘲笑者』 とか、月刊 『時代』 とか 『世紀』、週刊 『市民』 などの編集長なんかをやってたのは面白いね。別にそれを真似たわけでもないけど、ぼくの場合も編集長と名のつく仕事を過去に何度もやってきた。 『福高新聞』 ・・・(中略)・・・大学をやめてからは、『運輸広報』、『創芸ジャーナル』、『洋酒タイムズ』、週刊 『交通ジャーナル』、そして今度の『面白半分』とくるわけで・・・(略)。
いずれにしても編集長というのは、一度やったらやめられないコジキ商売みたいなものらしい。
『面白半分』というタイトルには、あんまり深刻な意味をこめずに、楽に、快活にやりたいんです。
(中略)・・・これだけはぜひやりたいと思うのは、大衆文化(サブ・カルチュア)とか娯楽の問題、あるいはポピュラーであるということはどういうことかというような問題を、割と真正面から野暮にやりたいという気がする。・・・

7月号の執筆者。
李礼仙、カルメン・マキ、中村白葉、片岡義男・五木寛之(対談)、萩原朔美、ソンコ・マージュ、金子光晴、益田喜頓、堤玲子、内村剛介、藤田敏雄、ほか。
1970年代。
思えば、熱い時代だった。

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2006年2月13日 (月)

【読】さらばモスクワ愚連隊

五木寛之のデビュー作 『さらばモスクワ愚連隊』 を読んだ。

itsuki_bookmagazine1この小説、はじめて読んだのはいつだったか。
おぼえていないが、読んでいるはずだ。
五木寛之のデビュー当時(1966年)、ぼくはまだ中学生で、北杜夫にはまっていた時期。
五木寛之には関心がなかった。

今回の再読は、『五木寛之ブックマガジン(夏号・2005年)』
驚くほど新鮮な小説だった。
40年たっても、色あせていない。
媒体が雑誌形式の書籍だったせいか、同時代の小説を読むような感じで胸がおどった。

「五木のエッセイは時がたてば色あせるだろう、だが、彼の小説は時代を超えて生き続けるだろう」・・・こんなことを何かで読んだ記憶がある。
五木寛之作品集(文藝春秋・1972)の巻末解説に内村剛介が書いていたと思うのだが、自信はない。
ぼくは反対に、五木の小説は時代とともに色あせるだろうと考えていたが、このたびの再読で、そうではなかったことを強く感じた。

短い小説だが、じつによくできている。
文体がまるでスイングするジャズのようだ、とは、 この小説についてよく言われることだ。
まさにそのとおり。
ぐいぐい引きこまれ、いっきに読みおえてしまった、と言いたいところだが、通勤電車の中で読んだので最後のところは時間切れ。昼食をとった喫茶店で読みおえた。
途中、感動で涙が出そうになったことも、ちょっと恥ずかしいが告白しておく。なんちゃって。

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