【山】「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」を読む
つい先日、大雪山を舞台にした紀行番組の録画を見た。
その中で、トムラウシ山の周辺が紹介されていた。
すばらしい光景だった。
「天空の方舟」 2013年2月17日(日)午後3時30分~:HBC北海道放送制作-TBSテレビ系12局ネット
http://www.hbc.co.jp/tv/info/tenku/indexpc.html
私は、旭川の高校山岳部に所属していた頃、大雪山には登っていたが、トムラウシは奥深く、とうとう登らずじまいだった。
いまでも憧れの山のひとつだ。
このトムラウシ山(標高2141m)の山域で、4年前の2009年7月16日、18人のツアー登山者(ガイド3人を含む)のうち8人が死亡するという、痛ましい遭難事故が起きた。
当時のメディアの騒ぎはたいへんなもので、私も連日、新聞やテレビの報道に釘づけになっていた。
このブログにも、この遭難事故のことをたくさん書いた。
さて、メディアの騒ぎもおさまった2010.年8月に山と渓谷社から出版されたのが、この本だ。
単行本も持っていたが読んでおらず、文庫版が2012年8月に出版され、このたびようやく読むことができた。
私にしては珍しく、昨夜から今日にかけて一気に読んだ。
『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか―低体温症と事故の教訓』
羽根田治・飯田肇・金田正樹・山本正嘉
山と渓谷社(ヤマケイ文庫) 2012/8/5発行
365ページ 950円(税別)
<真夏でも発症する低体温症のメカニズムが明らかにされ、世間を騒然とさせたトムラウシ山遭難の真相に迫る。/2009年7月16日、北海道のトムラウシ山で15人のツアー登山パーティのうち8人が死亡するという夏山登山史上最悪の遭難事故が起きた。/2010年には事故調査委員会による最終報告書が出され、今回の事故がガイドによる判断ミスと低体温症によるものと結論づけられた。/1年の時を経て、同行ガイドの1人が初めて事故の概要を証言。/世間を騒然とさせたトムラウシ山事故の詳細に迫り、検証したノンフィクションである。/また「気象遭難」「低体温症」「運動生理学」は、それぞれの分野の専門家が執筆にあたり、多方面から事故を分析・検証している。/事故調査委員会の見解を入れ、巻末には解説も新たに挿入。> - Amazon ―
<2009年7月16日、大雪山系・トムラウシ山で18人のツアー登山者のうち8人が死亡するという夏山登山史上最悪の遭難事故が起きた。暴風雨に打たれ、力尽きて次々と倒れていく登山者、統制がとれず必死の下山を試みる登山者で、現場は修羅の様相を呈していた。1年の時を経て、同行ガイドの1人が初めて事故について証言。夏山でも発症する低体温症の恐怖が明らかにされ、世間を騒然とさせたトムラウシ山遭難の真相に迫る。
[目次]
第1章 大量遭難(十五人の参加者と三人のガイド;ツアー初日;差が出た濡れ対策;出発の判断;異変の徴候;足並みの乱れ;一気に進んだ低体温症;介抱か下山か;決死の下山;遅すぎた救助要請;喜びのない生還);第2章 証言(面識のなかった三人のガイド;なぜ出発を強行したのか;聞けなかった「引き返そう」のひとこと;支えてくれた人たちのありがたさ);第3章 気象遭難(遭難時の気象状況;トムラウシ山周辺の気象状況;遭難時の気象の特異性;気象から見たトムラウシ山遭難の問題点);第4章 低体温症(低体温症との接点;低体温症の基礎;トムラウシ山パーティの低体温症;他パーティの低体温症;低体温症の医学的考察;多様な病態を示す低体温症);第5章 運動生理学(気象的な問題;身体特性の問題;体力の問題;エネルギーの消費量と摂取量の問題;事故防止に向けた提言);第6章 ツアー登山(ツアー会社は山のリスクを認識していたか;安全配慮義務と旅程保証義務;ガイドの資格問題;商品に反映されるツアー客のレベル;それでもツアー登山に参加するワケ;ツアー登山は自己責任か)> ― e-hon ―
じっくり時間をかけて関係者を取材したもので、事故当時のメディア報道がずいぶん間違っていたことがわかった。
また、当時、私が疑問に思っていたいくつかの点について、合点がいった。
ひとつはウェアの問題。
この遭難事故で亡くなった8人の死因は、いずれも低体温症。
雨と強風の中、無理な行動をとったために疲労も重なって、急激に体温を奪われ、意識を失って亡くなっている。
遭難当時の稜線は、気温10度ほど、最大風速20メートルという悪天で、雨が吹きつけていた。
まともに立って歩けないほどだった。
ゴアテックスなどの透湿防水雨具を着用してはいたが、薄着の人が多かったと、当時は報道されていた。
しかし、その後の聞き取りでは、それぞれフリースやダウンなどの防寒衣類は持っていたという。
ただ、雨具の下にそれを着た人と薄着のままの人がいて、そのあたりも生死を分けた一因だったようだ。
3人いたガイドからツアー客に対して、重ね着をするなど防寒についてのアドバイスはなかった。
その点、ガイドが責められてもしかたがないだろう。
もう一点は、なぜ、小屋に停滞するか途中で引き返す、最悪でもビバークする、という選択ができなかったのか。
私にはずっと疑問だった。
このパーティーは、初日、旭岳温泉を出発、ロープウェイを使って旭岳に登頂して白雲岳避難小屋に宿泊。
二日目はヒサゴ沼避難小屋まで16kmという長距離を歩いている。
小雨の中を9時間も歩き続け、おまけに登山道が川のようになっている個所もあり、かなりの悪路。
着衣や登山靴を濡らし、ヒサゴ沼避難小屋でそれを十分に乾かすことができていない。
三日目。
天候の回復見込みのないまま、はっきりした方針もなく、行けるところまで行ってみて様子を見る、といった感じで小屋を出発している。
台風のような天候だったという。
なぜ、この小屋で停滞しなかったのだろうか。
あるいは、ヒサゴ沼から雪渓を抜けて稜線に出るまでの間で、すでにツアー客の一部に行動できそうもない人が出始めた時点で、小屋に引き返さなかったのか。
私には、ガイドたちの判断力のなさ(検討すらしなかった?)が不思議でならなかった。
この本を読んでわかったのは、ツアー登山のガイドの立場では、予定通りの日程で下山しなければ、というプレッシャーが強かったようなのだ。
予備日?
そんなものは、ツアー登山では最初から考慮されないらしい。
本文から引用する。
(第6章 「ツアー登山」 羽根田治 より)
<この事故のあと、計画に予備日を設定していなかったことがマスコミに叩かれていたが、それはお門違いだと思う。プライベートな山行であれば、万一のアクシデントに備えて予備日を設けることは珍しくないが、ツアー登山は「登山」であると同時に「ツアー」でもある。予備日を設けているツアー旅行なんて聞いたことがないように、一部の厳しいツアー登山を除いて、原則的に予備日を設けない。> (P.324)
また、こういう事情も。
<さて、ツアー登山はツアー会社とツアー参加者の間で結ばれた旅行契約に従って実施されるが、この契約には「安全配慮義務」と「旅程保証義務」が盛り込まれている。つまり、「参加者の安全に配慮しながら計画どおりの旅程でツアーを行ないなさい」というわけである。> (P.320 強調部分は引用者)
<もちろん、常識的に考えれば旅程保証義務よりも安全配慮義務を優先すべきであり、誰も「ツアー客の安全は二の次にしてもかまわないから、なにがなんでも計画どおり行動しろ」とは言ったりしないはずである。しかし、計画の変更に伴う割増金の発生やキャンセル料の支払いは、ツアー会社としてはできるだけ避けたいところで、なるべくだったら計画どおり登山を遂行したいと考えている。そうした指示が具体的になされているのか、あるいは暗黙の了解なのかはわからないが、最終的な判断を下すことになる現場のスタッフ(添乗員やガイド)にとって大きなプレッシャーになっていることは想像に難くない。> (P.321)
この時のツアーガイドは3名。
他に1名のポーターがヒサゴ沼避難小屋まで同行しているが、遭難当日は最初の雪渓登行をサポートした後、小屋に引き返し次のツアー客を待っており、同行していない。
なお、この本では、ガイド、ツアー客すべてが仮名になっているが、そのまま引用する。
(第1章 「大量遭難」 羽根田治 より)
<三人のガイドのうち、リーダー兼旅程管理者(いわゆる添乗員)だったのが西原ガイドで、瀬戸がメインガイド、山崎がサブガイドという役割だった。全国的なガイド組織である日本山岳ガイド協会の資格を持っているのは、西原ガイドだけだった。三人のガイド同士はまったく面識がなかったそうだ。> (P.21)
西原ガイドは広島空港から、山崎ガイドは中部空港から、それぞれツアー客を引率して千歳空港で集合。
唯一、いちばん若い瀬戸ガイド(32歳)だけが、地元札幌在住で、この山域を熟知していた。
西原、山崎の両ガイドは、この山域をほとんど知らなかった。
言ってみれば登山客の命を預かる立場のガイドがこういう人たちで、しかも、山行中の意思疎通ができていなかったことが、かろうじて生還した山崎ガイドの証言(第2章)から、はっきり窺える。
4年前の事故当時、私はこのブログに書いたのだが、こういうツアー登山は天候に恵まれた順調な山行ならば事故は起きないだろうが、きわめて危ういものだ。
ただ、それを利用したいというニーズが広くあるようで、そのあたりの登山者(ツアー登山客)の意識にも問題があると思う。
羽根田治氏は、ヨーロッパ諸国やカナダ、ニュージーランドなどのガイド登山と比較して、次のように書いている。
確かに、皆が皆ではないが、こういう登山者(登山客)は多いと感じる。
<一方、日本の場合、ツアー登山やガイド登山を利用しようとする人は、「連れていってもらう」という意識が非常に強い。ブームに乗っかって登山を始めた彼らは、技術や知識のバックボーンを持たないまま、日本百名山という目標に向かって突っ走りはじめる。それを手っ取り早く実現するために飛びついたのがツアー登山だった。彼らが目標達成のための手段としたツアー登山は、準備段階のスベテをツアー会社に丸投げでき、あとはガイドのうしろにくっついて歩いていくだけの、100パーセント依存型の登山形態である。彼ら自身が山のリスクマネジメントについて考える必要はまったくなく、現場では常にガイドの指示に従っていればいい。かくして“自立しない登山者”が急増することになっていく。> (P.334~335)
かなり手厳しいが、私も同感だ。
この遭難事故を教訓として、その後、「ツアー登山」 は改善されたのだろうか?
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