カテゴリー「間宮林蔵」の13件の記事

2013年9月30日 (月)

【読】林蔵から武四郎へ

間宮林蔵に関する本を何冊か読んだ。
林蔵から数十年後の江戸末期、当時の蝦夷地に渡って探査し、アイヌの人々の窮状を書き残した人物が、松浦武四郎だ。

Wikipediaには、簡単にこう書かれている。

<松浦 武四郎(まつうら たけしろう、文化15年2月6日(1818年3月12日) -明治21年(1888年)2月10日は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家、浮世絵師。雅号は北海道人(ほっかいどうじん)。蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案した。
 文化15年(1818年)、伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市小野江町)にて郷士・松浦桂介の四男として生まれる。松浦家は、肥前国平戸の松浦氏の一族で中世に伊勢国へ来たといわれている。
 山本亡羊に本草学を学び、早くから諸国をめぐった。天保9年(1838年)に平戸で僧となり文桂と名乗るが、弘化元年(1844年)に還俗して蝦夷地探検に出発し、その探査は択捉島や樺太にまで及んだ。安政2年(1855年)に蝦夷御用御雇に抜擢され再び蝦夷地を踏査、「東西蝦夷山川地理取調図」を出版した。明治2年(1869年)には開拓判官となり、蝦夷地に「北海道」の名を与えたほかアイヌ語の地名をもとに国名・郡名を選定した。翌明治3年(1870年)に開拓使を批判して職を辞してからは余生を著述に過ごしたが、死の前年まで全国歴遊はやめなかったという。
 また、明治3年(1870年)には北海道人と号して、「千島一覧」という錦絵を描き、晩年の68歳より富岡鉄斎からの影響で奈良県大台ケ原に登り始め、自費で登山道の整備、小屋の建設などを行った。
明治21年(1888年)、東京神田五軒町の自宅で死去。遺骨は、武四郎が最も好きだったという西大台・ナゴヤ谷に1889年に建てられた「松浦武四郎碑」に分骨されてもいる。
 なお、生地の三重県松阪市小野江町には「松浦武四郎記念館」が建っている。>

<作品
「蝦夷大概之図」 嘉永3年 松浦武四郎記念館所蔵
「蝦夷変革図」 嘉永4年
「千島一覧」 大判 錦絵3枚続 明治3年 和泉屋市兵衛版 松浦武四郎記念館所蔵
 著作
北海道出版企画センター 『松浦武四郎選集』を刊行中 同社では、多数の著作と関連書籍が出版されている。
吉田武三校註 『三航蝦夷日誌』 上下巻 吉川弘文館、2007年(オンデマンド版)
更科源蔵・吉田豊訳『アイヌ人物誌』 平凡社ライブラリー
 伝記文献
横山健堂『松浦武四郎』北海出版社、1944年
吉田武三 『白い大地 北海道の名づけ親・松浦武四郎』 さ・え・ら書房、1972年
新谷行『松浦武四郎とアイヌ』麦秋社、1978年
花崎皋平 『静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族』 岩波書店、1988年/岩波現代文庫、2008年
佐江衆一 『北海道人 松浦武四郎』 新人物往来社、1999年
中村博男 『松浦武四郎と江戸の百名山』 平凡社新書、2006年
早川禎治 『アイヌモシリ紀行 松浦武四郎の『東西蝦夷日誌』をいく』 中西出版、2007年
高木崇世芝・安村敏信・坪内祐三 『幕末の探検家松浦武四郎と一畳敷』 INAX出版〈Inax booklet〉、2010年>

武四郎が書き残した書物の現代語訳は、なかなか手に入らず、公立図書館にもあまり置いていない。
(国会図書館に行けば別。また、Amazonでも入手可能だが高価だ)
しかし、彼の業績を知ることができる何冊かの本が、さいわい私の手もとにもある。

二冊の文庫本を読み直してみようかと思う。
いずれも、池澤夏樹さんが解説を書いている。
ずいぶん前から手もとにあったのだが、まだ、きちんと読んでいなかったか。
花崎さんの本は5年前に読み通したはずだが、細部を憶えていないのが悲しい。
良い本は繰り返して読め、か。

『アイヌ人物誌』 (蝦夷近世人物誌) 松浦武四郎
 更科源蔵・吉田豊 訳
 解説 池澤夏樹
 平凡社ライブラリー 423 2002/1/9発行
 367ページ 1,300円(税別)

その雅号、北海道人から北海道と名付けたといわれる松浦武四郎。
数十巻にのぼる旅日記とともにまとめられた 原書『近世蝦夷人物誌』には ヒューマニストとしての松浦の本質が 刻み込まれている。
日本人による収奪と不徳に厳しい批判を向け、アイヌ人への敬愛の眼差しをもって綴られた名著。

(本書カバーより)

『静かな大地』 花崎皋平
 解説 池澤夏樹
 岩波現代文庫 2008/2/15発行
 390ページ 1,200円(税別)

幕末の蝦夷地を十数年間も探検・調査し、アイヌ民族の風俗・文化を記録する中で和人による虐待を告発した松浦武四郎。大地に根を張り、固有の習俗を育んできたアイヌ民衆の輝きとは何か。なぜ彼らは抑圧の下で呻吟することを強いられているのか。記録者としてアイヌ民族の受難に向き合うなかで、自己変革を遂げていく松浦を描き出す入魂の評伝。
(本書カバーより)

 

そういえば、北海道企画センターから出版されている目録を2冊、持っている。
役立てなくては。

 

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2013年9月26日 (木)

【読】曇天、図書館へ

朝からどんより曇り空。
北風が強い。秋風という感じだ。
ひさしぶりに、西の山々がくっきりと見える。

201309260009

家の中の用事を済ませてから、すぐ近くの図書館へ。
間宮林蔵がらみの本を、また3冊借りてきた。
どこまで読めるかわからないけれど。

赤羽榮一 『間宮林蔵 ―北方地理学の建設者』
 清水書院 人と歴史シリーズ 日本24 1974年
秦 新二 『文政十一年のスパイ合戦 ―検証・謎のシーボルト事件』
 文藝春秋 1992年 (文庫版もある)
間宮林蔵 述/村上貞助 編/洞富雄・谷澤尚一 編注
 『東韃地方紀行 他』 平凡社 東洋文庫484 1988年

   

昨夜、いっきに読みおえた高橋大輔 『間宮林蔵・探検家一代 ――海峡発見と北方民族』 が、とても面白かった。
オランダのライデン博物館まで出かけて、シーボルトが持ち去った林蔵の地図 『黒龍江中之洲幷天度』 を探しあてるくだり(第五章「持ち去られた古地図」)。
林蔵が蝦夷地でアイヌ女性と夫婦になり、女子を設けたことを、松浦武四郎研究家の秋葉實氏に会って確かめるくだり(第六章「血族」)。
林蔵の 『蝦夷全図』 を国会図書館まで見に行って、そこに記載されている「タナシ」という地名(林蔵がアシメノコというアイヌ女性と一緒になった土地)を発見したくだり(同上)。
……等々、著者の興奮が伝わってくる。

この本は、手元に置いておきたいほどの良書だった。
絶版らしいが、アマゾンで中古を入手できる。
私は、必要ならまた図書館で読むか借りることにしよう。
これ以上、本を増やすのも何だから。

間宮林蔵、松浦武四郎については、アイヌ民族とのからみで関心がある。
すこし読み込んでみようかな、と思ったりして。

高橋大輔さんのブログがあった。
探検家髙橋大輔のブログ
http://blog.excite.co.jp/dt/
林蔵の妻子の謎を追う : 探検家髙橋大輔のブログ
http://blog.excite.co.jp/dt/7771960/

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2013年9月25日 (水)

【読】間宮林蔵追跡の旅

今日は朝から雨模様、肌寒い一日。
午前中、小平図書館友の会の印刷作業参加のため、小平へ。

帰宅後、すこし本を読む。
間宮林蔵がらみ。
この新書が、なかなか面白い。

高橋大輔 『間宮林蔵・探検家一代 ――海峡発見と北方民族』
 中公新書ラクレ 297
 2008/11/10発行 268ページ 880円(税別)

200年前の間宮林蔵の探検を追跡する紀行文の体裁。
サハリン島南部(樺太)から、極東シベリア(黒龍江=アムール川下流、林蔵が訪ねたデレンという土地)まで、足かけ10年、さまざまな準備を重ねて林蔵の足跡を訪ねる。

―目次―
プロローグ
第一章 探検家の揺りかご
第二章 サハリン追跡
第三章 失われたデレンを求めて
第四章 アムール漂流
第五章 持ち去られた古地図
第六章 血族
エピローグ
年表、参考文献

興味ぶかいのは、第六章「血族」。
間宮林蔵が北海道でアイヌの女性との間に遺した実子がいるという話。
著者は、林蔵直系の子孫を北海道に訪ねている。

間宮林蔵は、蝦夷地でも、樺太でも、現地の人たち(アイヌ、樺太アイヌ、ウイルタ、ニヴフ、ウリチ、ナナイなどの先住民)にとけ込み、彼らの信頼を得ながら探検をすすめている。
なんだか、とても魅力的な人物に思えてきた。

【参考サイト】
間宮林蔵の世界へようこそ
http://www.asahi-net.or.jp/~xc8m-mmy/

このサイトは、間宮林蔵の血縁、間宮正孝氏が主宰している。
正孝氏は、林蔵の生家を継いだ林蔵の叔父の次男の末裔。
この本の著者・高橋大輔さんは、正孝氏にも会って教示を受けている。
(第一章 「探検家の揺りかご」)

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2013年9月23日 (月)

【読】読了、「間宮林蔵<隠密説>の虚実」

読みおえたので、いちおう書いておこう。
書いておかないと、すぐに忘れてしまいそうだし、図書館に返却してしまう本だから。

小谷野 敦 著 『間宮林蔵<隠密説>の虚実』
 教育出版 1998/10/28発行 185ページ 1,500円(税別)

全13章。
著者が「はしがき」(まえがき)に書いているように、第12、13章がこの本の白眉だろう。
第11章までは、間宮林蔵の伝記の体裁をとっている。

【目次】
はしがき
第一章 江戸へ出るまで
第二章 当時の国際情勢
第三章 林蔵、蝦夷地へ
第四章 レザノフとクルーゼンシュテルン
第五章 エトロフ島事件
第六章 第一次カラフト探検
第七章 カラフトから大陸へ――第二次探検
第八章 ゴロヴニン事件と林蔵
第九章 シーボルト来航
第十章 発覚――シーボルト事件
第十一章 晩年の林蔵
第十二章 洞・赤羽論争――晩年の林蔵をめぐって
第十三章 「林蔵伝」の成立――明治から昭和へ
参考文献
あとがき

「あとがき」に、こう書かれている。

<ちょっと言い訳めくが、はじめに書いたように、この本のなかで学問的に私のオリジナルと言えるのは最後の二章「だけである。あとは従来の林蔵伝に対して新史料があったわけではない。それでも、現在普通に流布している林蔵伝が洞富雄氏のもので、やや古いのと、指摘したような問題もある。比較的新しいものとしては吉村昭氏の小説があるが、これはあくまでも小説である。だから新たに林蔵伝を出すのも意義があるのではないかと思った次第である。それでも私なりに工夫はしたつもりで、……一般向けの読み物にしたつもりだ。> (本書 あとがき)

間宮林蔵の評価は、明治期以降、幾多の変遷を経ているようだ。

<そもそも、林蔵という人物とその業績が一般に知られだしたのが、明治三十年前後のことで、殊に日露戦争の勃発がその認識を高めたことは前に述べた。だが、同時に皮肉な動きも起こっていたのだ。実は、現在では有名なシーボルトその人もまた、明治初期にはそれほど知られておらず、しかもスパイ事件の主役として知られていただけだったのだが、時期を同じうして「肯定的評価」へ向けてゆっくりと、しかし着実な歩みを進めていったのである。> (第十三章 P.165)

「歴史」というのも、クセモノである。
どうしても、その時代の色眼鏡で過去を意味づけしてしまうものらしい。
なんだか、当今の「歴史認識問題」を思いおこす。

<歴史家は、ありのままに過去を再現するのが使命だと一般には理解されているが、実際にはかくのごとく、「過去」は、ある時代の刻印を帯び、当時の政治情勢との複雑な絡み合いの中で再編成され、それが一貫した「物語」性を帯びていればいるだけ、人の心に焼き付けられてしまう。> (第十三章 P.177-178)

参考資料としてとりあげられている、下の本が面白そうだ。
図書館に貸出予約してみた。

秦 新二 『文政十一年のスパイ合戦――検証・謎のシーボルト事件』
 文春文庫 1996年

その前に、図書館から借りている、もう一冊を読まなくちゃ。
著者の肩書が「探検家、作家」となっていて(私の知らなかった人だが)、間宮林蔵の足跡を実際に辿っている。
アイヌ民族や北方民族についても、自ら足を運んで現地の人々と交流している、興味ぶかいドキュメンタリーだ。

高橋大輔 『間宮林蔵・探検家一代 ――海峡発見と北方民族』
 中公新書ラクレ 297
 2008/11/10発行 268ページ 880円(税別)

<世界地図からその名が消えかけている間宮海峡。厳寒の地に乗り込み、多様な民族と過ごした林蔵の真の偉業とは。発見から200年、現役の探検家がその足跡をたどりつつ、探検の意義を問う> (本書カヴァー)

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2013年9月21日 (土)

【読】間宮林蔵の謎を解く(この本が面白い)

図書館から借りてきて、読みはじめたばかりだが。

小谷野 敦 著 『間宮林蔵<隠密説>の虚実』
 教育出版 1998/10/28発行 185ページ 1,500円(税別)

著者の小谷野さんについて、私はまったく知らないが、目のつけどころがいい。

北方謙三の『林蔵の貌』という小説では、寛政元年(1789年)の「クナシリ・メナシ」の叛乱(アイヌの蜂起)について全く触れられていなかった。
それが私には不満だった。

『林蔵の貌』の冒頭は、「越前三国で十四人の配下を持つ漁師の伝兵衛が、ある命により、野比と名乗る武士を蝦夷地に送り届けるため、日暮の海に舟を進めるところからはじめられる。丸二日かけて陸地に辿り着き、アイヌの村に身を寄せていた伝兵衛と野比は、上陸四日後の夕方、焚火の傍で仁王立ちになった赤鬼のような一人の男と出会う。/間宮林蔵である。」(集英社文庫解説/縄田一男)というシーン。

ここで、野比がアイヌの老人に対して「日本人」という言葉を使っていたことに、私は引っかかった。
アイヌに対する「日本人」の呼称は、当時なら「和人」であるべきだと思ったのだ。
まあ、それはいいとして、時代背景として、寛政元年のアイヌ叛乱のことが一言も触れられていないことも、私には不満だった。
もっとも、この叛乱が起きたのは、林蔵がまだ十歳になるかならないかの頃だったが。

小説としては面白く読んだのだが、そんなこともあって、林蔵が生きた時代のことを、もっと広い目で見直してみたいと思った。
そんなときに、この小谷野さんの本を知った。
ひさしぶりに面白そうな本に出会った。

北方謙三『林蔵の貌』の出版は1994年6月だから、北方さんも1998年刊行のこの本を知らなかったはず。
文庫版下巻の参考文献一覧には、洞富雄 『間宮林蔵』(吉川弘文館)という有名な本が載っていたが、小谷野さんによると、洞さんの本には問題もあるようだ。

洞 富雄 『間宮林蔵』
 吉川弘文館 人物叢書
 1950年、新装版1986年

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2013年9月20日 (金)

【読】ようやく読了、北方謙三「林蔵の貌」

四泊五日の北海道行きに持って行った小説。
ようやく読了した。
上巻を読みおえて、下巻にはいったところで持っていったのだが、案の定、それほど読めなかった。

北方謙三 『林蔵の貌』 (りんぞうのかお)
 集英社文庫 1996/11/25発行
 上巻 404ページ 562円(税別)
 下巻 382ページ 562円(税別)

 

いやあ、面白かったな。

間宮林蔵は謎の多い人物である。
Wikipediaによれば――
<間宮 林蔵(まみや りんぞう、安永9年(1780年) - 天保15年2月26日(1844年4月13日))は江戸時代後期の隠密、探検家である。近藤重蔵、平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれる。名は倫宗(ともむね)。農民出身であり、幕府隠密をつとめた役人であった。>
とある。

探検家として、樺太が島であることを発見し、間宮海峡にその名を残しているが、「幕府隠密」としての行動については諸説あって、興味をそそられる。

<シーボルト事件を幕府に密告したとされている。天文方・高橋景保は間宮にとって大師匠にあたる高橋至時の息子であり、儒教道徳においては許し難い行動でありさすがは冷酷な隠密であるという非難がなされた。しかしこれは誤りで、当時、外国人との交通は届出しなければならず景保はこれを破ってシーボルトとやりとりしており、シーボルトから景保宛の書簡に間宮宛の包みも入っていたので林蔵は規定通り届け出たところ、景保とシーボルトの関わりが明らかになったという。
水戸藩へも出入りし、川路聖謨らと交友する。徳川斉昭や藤田東湖にも献策。>
 -Wikipediaより―

この小説では、上に掲げた間宮林蔵をめぐるドラマが描かれている。
もちろん、小説家の想像力によるところが大きいが、大事なところは史実をベースにしているようだ。

間宮林蔵について、すこし他の書物も読んでみようかな、と思う。
図書館にあるようだし。

   

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2013年9月12日 (木)

【読】さて、小説でも

今日は気温が30度まであがって、暑さが戻ってきたようだ。
夜中や明け方は涼しくて、秋の気配が感じられたのだが。

岡崎さんの本を図書館に返して、さて、何を読もうか。
図書館の書棚をながめてきたが、これといって魅かれるものがなかった。
自分の本棚に、もう何年も入れたままの小説があった。

明後日から五日間ほど北海道へ行くので、持って行ける本がいい。
買ったときのレシートが挟んだままだった、この二冊。
2009年9月18日、錦糸町の書店のレシート。
錦糸町まで電車で通勤していた頃に買ったものだ。

いろいろ、思いだした。
当時、吉村昭の 『間宮林蔵』 を読み(これは、まだ私の本棚にある)、このブログにも読後感を書いていたのだった。
その折、コメントを寄せてくださった方が、この北方謙三の小説が面白いと薦めてくださった。
ほぼ四年間、買ったままで読まずにとってあったのだな。

北方謙三 『林蔵の貌』 (りんぞうのかお)
 集英社文庫 1996/11/25発行
 上巻 404ページ 562円(税別)
 下巻 382ページ 562円(税別)

 

そういえば、北方謙三の小説を読むのは、これが初めてかもしれない。
さすがに手練れの作家。
読ませる。

<激動の予兆をはらむ江戸・文化年間、越前の船頭・伝兵衛は謎の武士・野比秀磨を乗せ蝦夷地へと櫓を漕ぐ。そこに待っていたのは測量家の間宮林蔵。彼らの行ったロシア艦との秘密交渉は、徳川幕府とそれに対抗する朝廷・水戸・島津の連合勢力との抗争の口火となった―壮大な北の海にひろがる男たちの野望。> ― Amazon ―

【過去記事】
2009年7月28日(火) 【読】間宮林蔵
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-25ac.html
2009年7月31日(金) 【読】間宮林蔵(続)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-2918.html

【追記】
読みはじめてすぐ、引っかかるところがあったので書いておく。
それは、登場人物が自分たちを 「日本人」 と呼んでいることだ。
蝦夷地においては、「和人」という呼称が使われていたのではないか? という気がする。
アイヌの人たちの描きかたにも疑問があるが、まあ、小説なのでそのあたりは作者の考え方、時代の捉え方によるのだろう。
船戸与一さんの 『蝦夷地別件』 は、その点、時代考証がしっかりしていたように思う。

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2009年7月31日 (金)

【読】間宮林蔵(続)

吉村昭 『間宮林蔵』 という小説を、夢中になって読んでいる。

Yoshimura_mamiya『間宮林蔵』  吉村 昭
 講談社文庫 1987年  461ページ 695円(税別)

吉村昭の小説を読むのは、『戦艦武蔵』『零式戦闘機』に続いて三冊目だが、淡々とした物語の運びが好ましい。

それにしても、間宮林蔵という人、これほど魅力的な人物だったとは思わなかった。
長大な小説の半分ほど、ちょうど、樺太探検を終えて伊能忠敬に出会うあたりまで読みすすんだ。
現在のサハリンはロシアの領土で、すっかりロシア風になっているらしいが、今から200年ほど前は住む人のほとんどない土地だった。
間宮林蔵、よくもまあ、ちいさな船と徒歩だけで樺太の西岸から海を渡り、清国が支配していた大陸(黒竜江=アムール河沿岸)までたどりついたものだ。
アイヌやギリヤーク(ニブヒ)の人々との交流も、なにやら胸あたたまるものがある。


Taiyo_nihon_tamkenka別冊太陽 「日本の探検家たち」
 平凡社 2003年  2600円(税別)

間宮林蔵、松田伝十郎、近藤重蔵、最上徳内、伊能忠敬など、18世紀末から19世紀初頭にかけて同じように苦労しながら探検した人たちが紹介されている。

― 間宮林蔵の項 より ―
筑波の農民の子に生まれる。後に江戸幕府に奉職し、1808年、松田伝十郎の従者として樺太を探検。翌年、一人で再び樺太へ渡り、松田が到達したラッカ岬からさらに北上、北端の未踏査海峡水域を突破。大陸に渡って黒竜江を遡った。南極、北極とならんで当時、世界地図の空白部だった樺太北部に踏み入った間宮が著した『北蝦夷図説』を見たロシアの探検家クルーゼンシュテルン提督は、「われ日本人に破れたり」と叫んだという。


【参考サイト】

間宮林蔵の世界へようこそ
 http://www.asahi-net.or.jp/~xc8m-mmy/index.htm
  林蔵の末裔である間宮正孝さんの、樺太紀行が掲載されている。
  写真満載の興味深い記事。

間宮林蔵記念館
 http://cobalt.nakasha.co.jp/hakubutu/mamiya/mamiya.html
(ナカシャクリエイテブ株式会社 http://www.nakasha.co.jp/

[記念館] 間宮林蔵記念館 - 茨城 - goo 地域
 http://local.goo.ne.jp/leisure/spotID_TO-8000292/

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2009年7月28日 (火)

【読】間宮林蔵

北海道に住む友人が、つい先日、サハリン(旧 樺太)を訪れたという。
友人のブログでサハリン探訪記が連載されており、毎日楽しみにしている。

 北海道通信
  http://northlancafe.kitaguni.tv/

ところで、樺太といえば間宮海峡(タタール海峡)。
この間宮海峡を「確認」し、海峡名に名を残したのが間宮林蔵だ。

― Wikipedia 間宮林蔵 より ―
<安永9年(1780年) - 天保15年(1844年)
文化5年(1808年)、幕府の命により松田伝十郎に従って樺太を探索。間宮はアイヌ語もかなり解したが、樺太北部にはアイヌ語が通じないオロッコと呼ばれる民族がいることを発見、その生活の様子を記録に残した。文化6年(1809年)、樺太が島であることを確認した松田が帰ったあと、鎖国を破ることは死罪に相当することを知りながらも、樺太人から聞いた、何らかの役所が存在するという町「デレン」の存在、およびロシア帝国の動向を確認すべく、樺太人らと共に海峡を渡って黒竜江下流を調査した。その記録は『東韃地方紀行』として残されており、ロシア帝国が極東地域を必ずしも十分に支配しておらず、清国人が多くいる状況が報告されている。間宮は樺太が島であることを確認した人物として認められ、シーボルトは後に作成した日本地図で樺太・大陸間の海峡最狭部を「マニワノセト」と命名した。海峡自体は「タタール海峡」と記載している。>
 
樺太(サハリン)とユーラシア大陸(現在はロシア、間宮林蔵の当時は東韃靼)とのあいだに海峡のあることは、ここを往来していた人たちには古くから知られていた。とうぜんのことだ。
アメリカ大陸をヨーロッパ人が「発見」したと称するのに似た、一方的な史観ではある。

― Wikipedia 間宮海峡 より ―
<樺太や対岸の沿海州には古来からアイヌ、ニヴフ、ウィルタ、女真(満洲民族)などの民族が居住・往来していた。このため、古くからここに居住していた人達にとって、樺太が島であることは、良く知られたことだった。1644年に作成された正保御国絵図においても、樺太は島として描かれている。>


今日から読みはじめた、この小説がおもしろい。
さすがに吉村昭だ。
うまい、と思う。

Yoshimura_mamiya『間宮林蔵』 吉村 昭
 講談社文庫 1987年刊  461ページ 695円(税別)
 親本 講談社刊 1982年

まだ70ページほどしか読んでいないが、冒頭、エトロフ島でのいわゆる「シャナ事件」(文化4年/1807年)の様子が描かれていて興味深い。
 ※シャナ(紗那)はエトロフ島北岸の地名
「クナシリ・メナシの叛乱」と呼ばれるアイヌ民族の蜂起(寛政元年/1789年)からそれほど年月を経ていない頃のことだ。

― Wikipedia 択捉島 より ―
<1807年4月、紗那と内保(留別村)の集落が、ロシア海軍大尉のフヴォストフ率いる武装集団らよって襲撃されるという「シャナ事件」が発生。/この時、日本側に動員されたアイヌもいる中で、日本側を攻撃してきたアイヌもいた(この時、間宮林蔵も同島にいて応戦行動に参加していた)。その後、南部藩など東北諸藩が警備にあたり、あるときはロシアと交戦し、あるときは友好的に交流した。>

ひさしぶりに、日本語で書かれた小説の醍醐味を感じながら読みすすめている。

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2008年10月11日 (土)

【読】吉村昭 「戦艦武蔵」

ひさしぶにに、本のことを書く。
三日ほど前から読み始めたこの本がおもしろい。


Yoshimura_musashi吉村昭 『戦艦武蔵』
 新潮社文庫 438円(税別)

この本は、猪瀬直樹 『作家の誕生』(朝日新書/2007年6月)の中で紹介されていたのを読んで、気になっていたもの。

昭和13年(1938年)から三年近くかけて、戦艦大和と同時に建造された巨大な戦艦の、誕生から沈没までの物語だ。

吉村昭の書いたものを読むのは、これがはじめてだが、徹底した調査・取材に裏づけられた物語は、読み応えじゅうぶん。

いくつか文庫本で、この作家の書いたものを手に入れた。
全部読めるかどうか、わからないけれど……。


Yoshimura_shijitsu吉村昭 『史実を歩く』
 文春新書 003 1998/10 680円(税別)

<「戦艦武蔵」「深海の使者」などの戦史小説、「長英逃亡」「桜田門外ノ変」「天狗争乱」「生麦事件」など幕末に材をとった歴史小説を精力的に発表してきた著者は、その綿密な取材と細部へのこだわりでも知られる。 作家はどのようにして素材と出会うのか、執筆にあたってはどのように調査を進め、いかにして歴史の〝真実〟に肉薄するのか――作家の史実への姿勢を、失敗も含めて率直につづった、とっておきの「取材ノート」。>
(本書カバーより)


とりあえず、『零式戦闘機』 『破獄』 『羆嵐(くまあらし)』 『間宮林蔵』 『赤い人』 『星への旅』 など、読んでみたいと思い、文庫で手に入れた。

いつものように、大型古書店で買い集めた。
このようにして、本がたまっていく……。



猪瀬直樹 『作家の誕生』 については、7月25日に紹介した記事がある。

【読】この本もおもしろい
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_8a85.html

Inose_sakka_tanjou_2吉村昭 『戦艦武蔵』 については、第9章のコラムで5ページにわたって紹介されている(P.227-232)。
この章(「自己演出の極限を目指す」)は、三島由紀夫を論じたものだが、三島由紀夫とはまったくちがうタイプの吉村昭のような作家の方が、私は好きだ。

<産業社会が高度化した結果、国家とか巨大なシステムなど、身体的な実感ではとらえられにくいブラックボックスが生活空間を支配しはじめる。>

<吉村昭は三島由紀夫より二歳下、1927年(昭和2年)の下町生まれ、繊維関係の工場を営む商家であり官僚エリートでもなければ教育や文学とも無縁の家系であった。 地味な短編作家としてスタートした吉村昭は、三島由紀夫が自衛隊へ体験入隊しようと考えはじめるころ、過去の戦争の姿を社会の一面として描くことに成功した。 1966年に新潮社より刊行さらた 『戦艦武蔵』 である。>

<『戦艦武蔵』『零式戦闘機』など戦史シリーズは、巧みな短編小説の書き手であった吉村昭の仕事を新しい方向へと大きく旋回させた。 七十年代から始まるノンフィクションの時代の幕開けを決定づけた。>

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