再読 服部文祥『北海道犬旅サバイバル』(続)
服部文祥 『北海道犬旅サバイバル』 (みすず書房、2023年9月)
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2024/7/12~7/20 再読
2024/2/18~2/19 初読
昨夜読み終えた、この本の感想の続き。
■中盤戦■ (続き)
2019年10月17日~30日。
天塩岳ヒュッテ~山小屋芽室岳。193キロ。
山小屋芽室岳のデポは、そもそもヌプン小屋に置く予定だったという。
ヌプン小屋への林道が豪雨で壊れ、デポ設置が丸一日行程になるとの情報を得て、登山口近くにある山小屋芽室岳(ここも無人の避難小屋のひとつ)に変更していた。
ここで、角幡唯介さんの著作『極夜行』に触れている。
<角幡(唯介)君の極夜行は、デポが白熊に荒らされていることが発覚してから、がぜん面白くなっていった。連れている犬まで食べるかという窮地に追い込まれるのだ。/その報告を読んだとき「デポを回収できない事態を想定して食糧計画を立てておけよ」と思い、角幡君にもそう言ったのだが、実際に長期の旅をやってみると、デポを回収できないことを想定したら、デポの意味がないことがわかった。デポが回収できなくても旅が成り立つなら、最初からデポがなくてもいいからだ。>(P.162)
あたりまえと言えば、あたりまえ。
こんなふうにカッコつける服部さんも、私は好きだ。
角幡唯介さんの本は、私もたくさん読んできた。
『極夜行』『極夜行前』も、面白い本だった。
■無人小屋へのデポは、事前に管理者・団体に届けてあるとはいえ、心ない登山者に荒らされる可能性がなくはない。
さいわい、服部さんの山小屋芽室岳のデポは無事だった。
ただ、天塩岳ヒュッテでも食べたスナック菓子のポリンキーが無かった!
<三日くらい前からずっとポリンキーのことを考えていたのだが、蓋を開けて中を見て、スナック菓子が天塩デポのスペシャルメニューだったことを思い出した。自分自身に期待して自分自身に騙された自分自身のばかさ加減にがっくりくる。>(P.164)
このあたりも可笑しいが、がっくりする気持ちはよくわかる。
ここまでが中盤戦の記述。
■後半戦■
2019年10月31日~11月25日。
山小屋芽室岳~幌尻岳~ペテカリ山荘~楽古山荘~襟裳岬~帯広空港。375キロ。
いよいよ、この山旅のフィナーレ、核心部だ。
日高山脈の縦走。といっても、稜線歩きは避けて、主脈西側の沢を辿る。
途中、いくつか尾根を越える。
次のデポ地はペテガリ山荘。
荷物を少しでも軽くするために、山小屋芽室岳にデポの半分を置いていくことにした。
すいぶん悩んだ末の決断。
<そうだ、食料を残しておけば、やばくなったら帰ってきて、仕切り直すこともできる。>(P.168)
この判断が、のちに裏目に出るのだが…。
■ここまで鹿ばかり撃って食料にしてきたが、キタキツネに出会い、撃ち逃す。
<ちょうど引き金を引くときにナツが吠えながらリードを引いた。完全な失中。…/「なにやってんだよ」とリードを引いて小突いた。/運ぶ重量を考えても、肉の旨味を考えても、ここでキツネが獲れたら理想的だった。ナツのせいで取り逃がした、といっても、獲物を見つけたのもナツである。ナツは私が腹を立てている理由がわからないようで困った顔をしている。>(P.171)
ナツの擬人化が面白い。ここまでも、ナツが「どうしたんですか」とか「何してるんですか」という顔をする、といった記述が多く、それが微笑ましい。
戸蔦別岳から幌尻岳へ。積雪の上を”バリズボ”歩行。
ナツの足が切れて出血するも、ナツが気にしているそぶりはない。
■新冠ポロシリ山荘(避難小屋)に二泊して休養。
その後、ナツが行方不明になる。
ナツ失踪のそれまでの最長記録が40分。それをはるかに超えて3時間たってもナツが戻らない。
服部さんは本気でナツの遭難(死亡)まで覚悟し、家族への弁解を考える。
読んでいて、ハラハラする。
<私は「ナツは死んだ」と納得するまで何日かかるのだろう。/もう戻らないとあきらめたとき、私はどこに向かうのか?/そこまで考えて、ふと「私は何のために歩いているのだ?」という自問に行き当たり、ぞわぞわと背筋が泡立つような感じがした。>(P.183)
<…ナツが戻らなかったら、「ナツは死んだ」と自分が納得し、家族に言いわけが立つまでここで待って、そのあととぼとぼと帯広に向かうということだけだ。帰宅後、もし家族が納得しなかったら、ここに家族を連れてくるしかない。/それをすべてやって、決着し、一段落した後、私はもう一度この旅をやり直すだろうか。>(P.183)
結局、ナツは3時間を過ぎた頃、幕営地の服部さんのところに戻ってきた。
さすがにバツが悪いのか、服部さんを遠巻きにしながら、なかなか近くまで来ない。
<チャイを一杯飲んでから立ちあがり、ぐるりとまわり込むようにナツとの距離を縮めていく。ナツは観念しているようだ。一メートルほどまで近づいてから、おもむろに首根っこを掴んで、手荒く持ち上げ、「どんだけ心配したかわかってんのか!」と怒鳴りつけた。/たった三時間の不在なのに、ちょっと涙声になってしまう。>(P.185)
感動的なシーンだ。
この後、面白いエピソードが続き、私にはこの「後半戦」の部分がいちばん楽しめた。
■肛門不調事件
ここまで食べるシーンはあっても、”出す”シーンがなく不満だったが、ここで肛門問題が出来。
旅の始めから、長くアスファルトを歩くと肛門の調子が悪くなり、山に入ると治るというパターンを繰り返していた。
<…肉と米しか食べない長期の冬期サバイバル登山をくり返してきた私は、繊維質の足りない大便をひり出すことが多く、肛門に古傷を抱えていた。その古傷に新冠ポロシリ山荘滞在時の二日ぶりのウンコで、痛みが走った。>(P.188)
山登りをしていた私にもよくわかる、深刻なモンダイだ。
触ってみると、古傷部分が小豆サイズに腫れている感じがするというから、イボ痔になりかけていたのだろう。
それまで、出発時に山仲間が差し入れてくれた抗生物質で、なんとかなだめてきた。
鏡がないので、コンデジ(カメラ)で接写してみたという。その姿を想像すると、笑うに笑えない。
服部さんが考えついた”処方”は、鹿の脂(これは豊富にある)を抽出し、排便前に浣腸するというもの。
問題は二つあり、その一つは、浣腸する注射器がないこと(当然のことだ)。
ポイズンリムーバー(蜂に刺されたときに毒を吸引するためか)を持っていたが、肛門に挿入する管がない。ボールペンの軸で代用する。
もう一つの問題は、鹿の脂の温度。鹿は体温が高く、鹿脂は融解温度が高いそうだ。そのため、人間の体内では、冷めて蠟のように硬くなってしまう。液状のままだと、熱すぎて直腸を火傷してしまいそう。
苦労の末、体内注入に成功。硬い便がスムーズに排出された。鹿の脂は外気温ですぐに固まり、大便は厚めの砂糖衣をまとったカリントウのようになっていたそうだ。その便は、後日、キタキツネが食べた、とも。
微に入り細を穿つリアルな描写に笑ってしまう。
<ズボンもパンツも脱ぎ、傾けて脂を寄せたフライパンから、ポイズンリムーバーで脂を吸い、若いころ複雑な気持ちで眺めた「タンポン挿入法」のイラストと同じ姿勢で、ボールペンの軸を挿入し、ゆっくりとポイズンリムーバーの軸を押した。この瞬間に、もし誰かが小屋に入ってきたら私は言いわけの余地がない変態だ。>(P.192-193)
■上記の”処方”は、デポ地のペテカリ山荘でのこと。
ここで食料不足が明確になってきた。
<デポの整理をすべく、並べてみるとペテカリ山荘のデポは、これまでのデポに比べて内容が貧弱でチャンポンや本格インドカレーのレトルトが入っていなかった。それを見て、デポ設置時「旅も後半になれば、心身ともに研ぎすまされてストイックになっているだろうから、自分を甘やかす必要はない」などと考えていたことを思い出した。/「ふざけんなよ」と過去の自分を毒づいてしまう。>(P.194-195)
ちなみに、このペテカリ山荘の写真が掲載されているが、なるほど、立派な山小屋。服部さんは何度も利用しているという。
肛門は小康状態。
初冬のペテガリ岳を、ナツといっしょに往復。
いよいよ終盤戦。荒れ模様の天気のなか、襟裳岬までの往復と、楽古山荘から楽古岳を越えて帯広空港までの道のりが控えている。外は吹雪。
米の残りがあと10日分ほどになり、一日200グラムに制限する。
山荘の水道の水も止まってしまい、ナツの食料も乏しい。
■ペテカリ山荘から楽古山荘へ。
楽古山荘には残りの地図と飛行機に乗るためのシャツをデポしてあった。
ペテカリ山荘で小屋の備蓄食料に手を出したことで”気持ちのタガが緩み”、楽古山荘でも備蓄食料を食べるつもりまんまんになっていたのだが・・・小屋に食料はなく、ミツカンの麺つゆがひと瓶と、固形燃料の缶が6個あるだけだった。
小屋には薪ストーブがあるので、固形燃料を使う必要はない。
「食いもん置いとけよ」と八つ当たりする。
※ここまでも、ずいぶん長くなってしまったので、さらに続く。
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