カテゴリー「【読】読書日誌」の572件の記事

2009年11月14日 (土)

【読】さすが、船戸与一 (三都物語)

きのうから通勤の電車とバスのなかで読み継いでいる。
さすが、船戸さん。
ぐいぐいと引きこまれていく。

Funado_santo_monogatari船戸与一 『三都物語』
 新潮社 2003年刊

読みはじめてすぐに、巻末の「初出一覧」をなにげなく見た。

すべて「小説新潮」
 樫の扉の向こう  2003年2月号
 鉛の残光 1998年7月号
 落ちた柿の実 2003年6月号
 驟雨の夜 2001年9月号
 昏き曙 2002年8月号

おや、中編小説集なのか?
と思いながら、一作目、二作目と読みすすんでいくうちに、どうやら連作になっているようだと気づいた。
登場人物は、いずれもプロ野球関係者だが、暗い翳をひきずって生きている男たちばかりだ。
横浜、台中、光州の「三都」が舞台。


帯の文句の意味するところが、読んでいくうちにわかってきた。

 割れるような歓声さえ、魂の飢えを満たしはしない。
 横浜、台中、光州。
 異国の球場に招かれた助っ人たちが味わったのは、
 黒社会の触手、野球賭博の密、そして未だ癒えぬ内戦の匂い。


船戸ワールドは、奥が深いな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月12日 (木)

【読】つぎはこれだ(船戸与一)

船戸与一 『蝶舞う館』 (講談社 2005年刊) を読みおえた。
エンディングがいまひとつだったが、エピローグがいかにも船戸さんらしく、読後感は爽快だった。

次はこれだな。
Amazonで1円。送料の方がずっと高い。
ちかごろ、このての1円本が多いが、どういうことなんだろう。

Funado_santo_monogatari_2船戸与一 『三都物語』
 新潮社 2003/9/25刊行
 396ページ 1800円(税別)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4104623016
出版社/著者からの内容紹介
割れるような歓声さえ、魂の飢えを満たしはしない。
異国の球場に招かれた助っ人たちが味わったのは、黒社会の触手、野球賭博の蜜、そして未だ癒えぬ内戦の匂い。
横浜、台中、光州を舞台に男たちの生き様を描く、異色ハードボイルド小説。




あらためてWikipediaで調べてみて、船戸さんの膨大な著作に驚いた。
こうしてみると、著作の半分ぐらいは読んでいるかもしれない。
ずっとまえに読んで内容を憶えていないものも多いが、たぶん読んだと思われるものも含め、◎印をつけてみた。
買ったまま読んでいない(読んだ気になっただけの)ものもあるはずなので、自信はない。


― 以下 Wikipediaより ―

船戸 与一(ふなど よいち、本名:原田建司、1944年2月8日 - )は、冒険小説家。山口県下関市に生まれる。山口県立下関西高等学校、早稲田大学法学部卒業。在学中は探検部(第三期生)に所属(先輩には西木正明らがいる)。アラスカのエスキモーを訪問し、本名で共著『アラスカ・エスキモー』を刊行した。
小学館、祥伝社などの出版社勤務を経てフリーになり、執筆活動を始める。1979年『非合法員』(講談社)で冒険小説家としてデビュー。
他に豊浦志朗の筆名で『叛アメリカ史』等のルポルタージュ、外浦吾朗の筆名で『ゴルゴ13』、『メロス』の劇画原作も著している。

著書(50音順)

夜来香(イエライシャン)海峡(講談社、2009年)ISBN 9784062152587
蝦夷地別件(新潮社、1995年)ISBN 4-10-602738-0、ISBN 4-10-602739-9◎
エドワルド・フェブレスの素描(徳間文庫 日本冒険作家クラブ編「幻!」収録、1991年)

海燕ホテル・ブルー(角川書店、1998年;徳間文庫、2005年)ISBN 4-04-873111-4◎
かくも短き眠り(毎日新聞社、1996年)ISBN 4-620-10543-0◎
蟹喰い猿フーガ(徳間書店、1996年)ISBN 4-19-860420-7◎
河畔に標なく (集英社、2006年)ISBN 4-08774804-9◎
カルナヴァル戦記(講談社、1986年)ISBN 4-06-202741-0◎
黄色い蜃気楼(双葉社、1992年)ISBN 4-575-23128-2◎
キラー・ストリート(ハルキ文庫 日本冒険作家クラブ編「夢を撃つ男」収録、1999年)
金門島流離譚(毎日新聞社、2004年)ISBN 4-620-10681-X
降臨の群れ(集英社、2004年)ISBN 4-08-774691-7
午後の行商人(講談社、1997年)ISBN 4-06-208850-9◎
国家と犯罪(小学館、1997年)ISBN 4-09-389511-2◎
群狼の島(双葉社、1981年;角川文庫、1985年)ISBN 4-04-163801-1◎

三都物語(新潮社、2003年)ISBN 4-10-462301-6
諸士乱想—トーク・セッション18(ベストセラーズ、1994年)ISBN 4-584-18023-7
銃撃の宴(徳間文庫、1984年)ISBN 4-19-567657-6
新宿・夏の死(文藝春秋、2001年)ISBN 4-16-320020-7◎
神話の果て(双葉社、1985年;講談社、1988年)ISBN 4-06-184216-1◎
砂のクロニクル(毎日新聞社、1991年:新潮社、1994年)ISBN 4-620-10447-7◎
祖国よ友よ(双葉社、1980年;角川書店、1986年)ISBN 4-04-163802-X

猛き箱舟(集英社、1987年)ISBN 4-08-772601-0◎
伝説なき地(講談社、1988年)ISBN 4-06-193964-5◎
血と夢(双葉社、1982年;徳間書店、1988年)ISBN 4-19-568511-7◎
蝶舞う館(講談社、2005年)ISBN 4062131242◎
東京難民戦争(未完 未刊行)

虹の谷の五月(集英社、2000年)ISBN 4-08-774467-1◎
ノロエステからの伝令(徳間文庫 日本冒険作家クラブ編「血!」収録、1988年)

蛮賊ども(角川書店、1987年)ISBN 4-04-163803-8◎
緋色の時代(小学館、2002年)ISBN 4-09-379104-X、ISBN 4-09-379105-8
非合法員(講談社、1979年;徳間書店、1984年)ISBN 4-19-567595-2◎
炎流れる彼方(集英社、1990年)ISBN 978-4087487077◎

風の払暁 -満州国演義1-(新潮社、2007年)ISBN 978-4-10-462302-0◎
事変の夜 -満州国演義2-(新潮社、2007年)ISBN 978-4-10-462303-7◎
群狼の舞 -満州国演義3-(新潮社、2007年)ISBN 978-4-10-462304-4◎
炎の回廊 -満州国演義4-(新潮社、2008年)ISBN 978-4-10-462305-1◎
灰塵の暦 -満州国演義5-(新潮社、2009年)ISBN 978-4-10-462306-8◎
緑の底の底(中央公論社、1989年)ISBN 4-12-001868-7◎
蝕みの果実(講談社、1996年)ISBN 4-06-208340-X
メビウスの時の刻(中央公論社、1989年)ISBN 4-12-001868-7◎

夜叉鴉(新潮文庫 新潮社編「時代小説 読切御免第一巻」収録、2004年)ISBN 4-10-120835-2
藪枯らし純次(徳間書店、2008年)ISBN 978-4-19-862470-5
山猫の夏(講談社、1984年)ISBN 4-06-201386-X◎
夢は荒れ地を(文藝春秋、2003年)ISBN 4-16-321910-2◎
夜のオデッセイア(徳間書店、1981年、1985年)ISBN 4-19-567830-7◎

流沙の塔(朝日新聞社、1998年;徳間文庫、2006年)ISBN 4-02-257160-8、ISBN 4-02-257161-6◎
龍神町龍神十三番地(徳間文庫、2002年)ISBN 4-19-891797-3◎

船戸与一以外の名義の著作
豊浦志朗、硬派と宿命:はぐれ狼たちの伝説(世代群評社、1975年)
豊浦志朗、叛アメリカ史(ブロンズ社、1977年;筑摩書房、1989年)ISBN 4-480-02310-0◎
原田建司、佐藤政信、小島臣、アラスカ・エスキモー(朝日新聞社、1968年)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月11日 (水)

【読】船戸ワールドの魅力

残すところ100ページばかりとなった。
おもしろくてたまらない。

こういう小説をおもしろいと感じるかどうか、人それぞれの好みの問題であることはとうぜんだが、私にはたまらなく魅力的だ。

Funado_vietnam船戸与一 『蝶舞う館』
 講談社 2005年刊

船戸ワールドの一端を、登場人物の会話から。
船戸さんの歴史観、世界観がよくあらわれている部分だ。
長い会話なので、一部省略する(……の部分)。

 「……おれが東南アジアの現代史に興味を持ったのは祖父のことがあるからなんです。日本人は二百万人を餓死させたとされる占領政策でベトナム人には評判が悪い。しかし、……第二次大戦で日本軍が無条件降伏したあと、日本のインドシナ駐屯第三十八軍・独立混成第三十四旅団のうち七百六十六人がベトナムに留まった。フランスと戦うためにベトミンに入隊したんです。……つまり、ディエンビエンフーでのベトナムの勝利には少なからず日本人が貢献してる。独立混成第三十四旅団の参謀だった井川省(いがわあきら)という少佐はクァンガイ陸軍士官学校の創設に協力してます。そこで教育を受けた……がこう証言してる。ベトミンの青年は独立意識や社会主義の理想には詳しかったが、実戦の知識にはまるで疎かった。作戦命令書の作成。壕を掘る技術。戦闘指揮。夜間戦闘技術からゲリラ戦まで。それらは日本人を教師とするクァンガイ陸軍士官学校で教わったとね。……」
 「それで、きみの祖父というのは?」
 「戦死しました。井川省参謀とともにフランスのアンブッシュ攻撃を受けてザライ省の省都プレイクの近くで」  (本書 249ページ 第三章 殺戮の牙)

 「モンタニャール問題はベトナムのアキレス腱だ。……」  (321ページ 第四章 中部高原の渦)

 ※モンタニャールとは、ベトナムの中部高原地帯に住むバナ族やエデ族、ザライ族などの少数民族を指す。この小説の舞台。

 「きみと瀬戸くんの中部高原からの追放はベトナムという国家が命じてるんだ。国家の意思がそうである以上、もう動かすことはできない」
 「国家なんてただの幻想に過ぎない」
 「そのとおりだ、国家というのは幻想でしかありえない。だが、ベトナム社会主義共和国という幻想の背後には無数の死体が横たわってる。死者たちの霊によって支えられた幻想はそれなりの実体を持って機能する。軍隊やら公安局やらが現実の物理的な力を振るって動きだしているんだ。個人が国家に逆らえるわけがない」  (337ページ 同上)


船戸さんの長編小説には、いつもたくさんの参考文献が載っている。
幅広く綿密な文献調査と、徹底した現地取材に裏打ちされた小説世界なのだ。
ノンフィクションという形式をとらないのは、フィクションでしか語れないものがある――というのが船戸さんの考え方だ。

 →2009年2月20日 (金) 【読】もうすぐ読了(船戸与一『満州国演義5』)
   http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/5-2b45.html


私には、教科書的な歴史書や案内書より、船戸小説のほうがよほど信頼できるし、そこからたくさんのことを学んできた。
ここしばらくは、船戸ワールドに浸りたい気分である。
あらたにまた、数冊仕入れてしまった……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 8日 (日)

【読】船戸与一ワールドに戻る

船戸与一さんの本で、手元に何冊か、読んでいないものがある。
きのうから、これを読みはじめた。

じつは、三年前に買って、すこし読んだだけで投げだしていた。
 2006年10月19日 (木) 【読】600gの長編小説
 http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/600g_4460.html
たしかに、電車のつり革につかまったまま片手で読むには、ぶ厚く重すぎる。


Funado_vietnam_2船戸与一 『蝶舞う館』
 講談社 2005/10/26刊
 493ページ 1900円(税別)

60ページほど読んだだけだが、船戸ワールドにどっぷりと浸かってしまった。
現代ベトナムが舞台の、冒険小説。
ボリュームがある。

Amazon
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062131242

出版社 / 著者からの内容紹介
<大地の精霊たちの声が聴こえる。戦え、と。
船戸与一が初めてベトナムを描いた、圧倒的長編小説!
日本人有名歌手の誘拐。犯行声明で名指しされた元ジャーナリスト。民族解放戦線に「呼び出された男」が、ベトナム戦争のかつての激戦地で見せつけられる、途轍もない現実!??おまえは、「行動者」たることを選べるのか?戦いの傷が癒えないアジアの人々と、戦いを知らない日本人に捧ぐ。魂を揺るがす大傑作! >


ところで、さきごろ、船戸さんの健康に関して悪い噂を目にした。
ネット上の噂なので、ほんとうのところはわからないが、気になってしかたがない。

『満州国演義』 の続巻(第6巻)が、この冬に出版されるという予告が、第5巻の帯に書かれていたのだが……。
どうなるんだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年11月 6日 (金)

【読】読了 『貧民の帝都』(塩見鮮一郎)

これも日数がかかったが、今日、帰りの電車のなかでようやく読みおえた。

Shiomi_hinmin_teito_2『貧民の帝都』 塩見鮮一郎
 文春新書 2008/9/20刊
 251ページ 770円(税別)

東京養育院という、明治5年(1872)に創設され、平成9年(1997)まであった施設の歴史を詳細に綴った本だ。
この施設は、「首都の窮民や、病者、障害者や老人の救済」を目的としたものだった。

著者は、まえがきでこう言う。

<養育院の創設を福祉関係の人がかたるとき、しばしば非人の組織との関連が無視される。ふれてもお座なりで、お茶をにごしている。その悪弊を廃し、江戸とのつながりをここでは明確にしたい。養育院は文明開化のもとでの「鬼っこ」、富国強兵の「足手まとい」として存在したが、やがて市民社会になくてはならない一時期がくる。その変遷と変質の意味を問い、大都市がいやおうなく抱えこむ無収入・無住居の人びと、こじきとかルンペンとか浮浪者、いまではホームレスなどと呼ばれる難民について考えた。>  (本書 P.3)

とても真面目な内容なので、読み通すのはちょっとしんどかった。


終章 「小雨にふるえる路上生活者」 という文章が、私の胸を打った。
すこし長くなるが、転載して紹介したい。

<春なのに強烈な低気圧が接近して荒れ模様だ。マフラーをしてくればよかったと、老人のわたしは思った。駅を出てすぐに高速道路の下の横断歩道をわたった。霧雨がふりはじめて空気がつめたい。むこうからくる人が傘をさしている。わたしは折りたたみの傘をバッグから出すかどうかまよったが、待ち合わせの場所はすぐそこなので足をはやめた。中央分離帯のスペースに黒っぽい姿があった。歳は五十か六十か、男はかじかんだ手で足にビニールの透明なふくろをまきつけ、高架のわきからふきこんでくる雨つぶてをよけようとしている。>

<「さむいね」 目があったので小声でいった。 男に反応はない。言葉が通じるだろうかという躊躇がこちらにあるのとおなじで、むこうもなにも期待していないし、つよい警戒心をいだいている。路上生活者にとって、わたしは別世界にいる別種の人間で、いつ高圧的になるかしれない。おたがバリアで体と精神を守りながら相手をみているのだから、コミュニケーションの成立はむつかしい。男の髪はもじゃもじゃに乱れてべとつき、顔も黒くよごれていたが、目にはまっとうな光があった。なぜもっとあたたかいところをさがさないのか。こんなふきっさらしのコンクリートの地面では段ボールすらなくては、真冬でなくても凍死する。そんな腹立ちが生まれたが、わたしは赤信号になるまえに横断歩道をわたろうといそいだ。>

<目的の店に入り、あたたかい空気につつまれてから、不意に悔恨の情にとらわれた。ああ、なんで千円札の一枚をわたして、「酒でも買って体をあたためてくれ」といわなかったのだろう。あのときなにかしてあげたいと心のどこかが叫んでいたのに、それをしなかったのは、そうする習慣がいまの社会にないという、ただそれだけのことだ。母が花売りからだまって野の草を買ったように、仏教のほどこしの文化がまだのこっていたならカネをすなおにわたせた。>

<「同情」とか「あわれみ」の気持を封じるものが近代の思想にはかくされていた。個人主義の社会を確立するためには、べたっとした温情主義をつよく批判する必要があったのかもしれない。……>

<……小雨がぱらつくなかでふるえている男になにがしかの援助をするのはけっしてまちがいではない。ワンカップの酒が一夜の延命にしか役にたたない対症療法にすぎなくても、そうしないよりはしたほうがいい。拒絶するかどうかはむこうの考えにまかされるから、人格の尊厳はまもられる。わたしが路上にうずくまる側ならば、涙がでるおどうれしいだろう。「ありがとうございます」と、頭をふかくさげていただく。>  (本書 P.239~242より)


私が、塩見さんと同じ場面に遭遇したら、どのように感じ、行動しただろうか。
千円札一枚を、ごく自然に、この路上生活者に「恵む」ことができるだろうか。

私もまた、そういう行為を「偽善的」だと考えて、自分のこころに自然に生じた「同情」「あわれみ」の感情に蓋をし、見なかったことにして通り過ぎてしまうだろうか。
暖かい店にはいって、こころの片隅にひっかかった、垢だらけの男のことを気にかけるだろうか。
それとも、何も感じないのだろうか。

この本を読みおえて、しばらく考えさせられたのである。

いつから、この国では、困っている人を見捨てるようになってしまったのだろう。
「助けあい」 という言葉は、死語になってしまったのか――なんて、おおげさなことも考えてしまった。


さて、次は、軽めの本にしよう。疲れた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月30日 (金)

【読】期待を超えるおもしろさ

今日から読みはじめたばかりで、まだ40ページほどしか読んでいないけれど、期待していた以上におもしろい。

Shiomi_hinmin_teito_2『貧民の帝都』 塩見鮮一郎
 文春新書655 2008/9/20
 770円(税別)

まえがき(序章 山手線の男)から、興味ぶかいエピソードが語られる。
私にも経験があるが、混雑する電車のなかにひと所だけ人が寄らない空間ができていることがある。
そこには、煮しめたような服をまとい、シートをひとりじめして眠っている人がいる。
まわりには、ぷーんと、異臭がただよっていたりする。

いまは 「ホームレス」 などという、なんだかインチキくさい呼び方になっているが、こどもの頃、ルンペンとかホイト(私の田舎ではそう言っていた)と呼ばれる、住む家をもたない人がけっこういたものだ。
いまでも、街でみかけることがある。

著者の塩見さんは、こどもの頃からそういう人たちに、人一倍魅かれていたという。

<わたしは十代のころから困窮者が気になって仕方がない。自分でも理解できないのだが、戦後すぐのころに幼少期をすごしたからだろうか。まわりにはいつも戦災孤児がぶらついていたし、白衣か軍服の傷痍軍人がいた。おさない子の手を引きながらゴミ箱を漁っている母親も見た。みだれた白髪の老婆が闇市で食べ物のかけらをさがいていた。少年のわたしも着の身着のままでハダシだったが、かれらから目が離せなくなる。じっと観察している。> (本書 「序章 山手線の男」)

<日比谷公園で、隅田川河畔で、山谷掘のあたりで、すこしむかしのことだが、わたしはなんどか路上生活者と会話をかわしている。世間話ですむこともあれば、酒かタバコをねだられるケースもあった。たまに険悪な雰囲気になったが、それはかれらが泥酔しているときだけだ。ふしぎなのは、ふつうに話すことができても理解がいっこうにふかまらない。ディスコミュニケーションを確認する結果になった。……> (同上)

― 目次より ―

序章 山手線の男
一章 混乱と衰微の首都
 こじきの新都/三田救育所と浪人保育所/明治二年の大窮状/麹町と高輪の救育所/町会所と寄場と溜
二章 困窮民を救え
 維新後の町会所/営繕会議所/露国皇太子来朝/浅草溜時代/工作所と日雇会社
三章 さまよう養育院
 上野護国院時代/育児院や訓蒙院の誕生/神田和泉町へ/渋沢栄一のたたかい/本所長岡町時代
四章 帝都の最底辺
 四大スラム――鮫ヶ橋、万年町、新網町、新宿南町/感化院と全生園/孤児救済と救世軍/大塚本院と別院/スラムの賀川豊彦
五章 近現代の暗黒行政
 関東大震災と移転/『何が彼女をそうさせたか』/戦時下の養育院/一億の浮浪者/いじめと無策の果て
終章 小雨にふるえる路上生活者


この目次をながめて興味のわく人は少ないと思うが、ほー、と思われた方は、ぜひ書店や図書館で手にとっていただきたいと思う。
べつに、誰かれかまわず推奨する気はないが。

この本には浅草弾左衛門(十三代、弾直樹)の名もでてくる。
(江戸時代に関東地方の賤民を統括)


街を歩けば、きらびやかな服装をまとい、お金に困っていない顔をした人びとばかりだが、いまの東京も、この本に書かれた時代とさほど変わっていないと思う。
ひと皮むけば――のはなしだが。

ちょうど、きれいに舗装された街のアスファルトやコンクリートをはがせば、そのすぐ下には、昔から堆積された地層があるように。


ふと、いま、こんな詩をおもいだした。
高田渡さんが、すこし歌詞を変えて歌にしている。

 歩き疲れては、
 夜空と陸との隙間に潜り込んで寝たのである
 草に埋もれて寝たのである
 ところ構はず寝たのである
 寝たのであるが
 ねむれたのでもあつたのか!
 このごろはねむれない
 陸を敷いてはねむれない
 夜空の下ではねむれない
 揺り起されてはねむれない
 この生活の柄が夏むきなのか!
 寝たかとおもふと冷気にからかはれて
 秋は、浮浪人のままではねむれない。

   山之口貘 「生活の柄」
    (思潮社 現代詩文庫 1029 「山之口貘詩集」)

山之口貘(1903-1964)という沖縄出身の詩人も、若いころ、土管のなかで寝るような生活をしていたという。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月29日 (木)

【読】読了 『禁じられた江戸風俗』

なかなか本が読めない生活が続いているが、一週間以上かけて読みおえたのがこれ。

Shiomi_edo_huuzoku『禁じられた江戸風俗』 塩見鮮一郎
 現代書館 2009/8/20刊
 213ページ 1800円(税別)

塩見鮮一郎という人は、『浅草弾左衛門』 という本で知った。
浅草弾左衛門については、このブログでカテゴリーをたてているので、興味のある方はご覧いただきたい。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/cat8007726/index.html

この本は、帯に書かれているように、江戸(天保)の事細かな禁令風俗を検証したもの。
エキサイティングな内容だった。
カバーの絵は、歌川国芳の「ひとをばかにしたひとだ」というだまし絵。
「天保の改革」で役者絵が禁じられていた頃、これに反発した浮世絵師が描いた。

本書の内容から離れてしまうが、あとがきに、うれしいことが書かれていた。
何がうれしいかって、私の住む町の図書館がでてくるのだ。

<あとがき  小平中央図書館は市役所と西武多摩湖線をまたいだ位置にある。二十数年まえのわたしは自転車でよく通った。完成してまだ間もないのか、きれいで気持ちがよかった。開架の書棚がひろくて、『賀川豊彦全集』までもがならんでいた。それよりも、二階の辞書や事典、古地図や復刻本、和漢書の、ふつうは目にふれないような本がひょいと手にとれるのがいい。……>

その通りなのだ。
この図書館の二階には、貴重な資料がたくさんあり、しかも貸出しているものが多い。

塩見さんは、続けてこう書いている。

<わたしのように大学の図書館の恩恵に浴せなかった者は、これでじゅうぶん、宝の山である。それを思い出して、ネタ探しにでかけた。/なん年ぶりだろう。/七十パーセントぐらいの本がむかしの場所にあった。歴史や民俗など、頭によみがえった本を確かめに書棚にむかうと、なんとハチ公のようだ。ちゃんとまっていてくれた。>

この二階でみつけた、東京大学出版会の『大日本近世史料』のうちの「市中取締類集」が、この本を書くきっかけになったという。

図書館好きにはうれしい話だ。
引用が長くて、ご退屈さま。
(ここまで読んでくださった方に、感謝)


そういえば、同じ著者のこんな本も買ってあった。
読んでみようかな。

Shiomi_hinmin_teito『貧民の帝都』 塩見鮮一郎
 文春新書(文藝春秋) 2008/9/20刊
 251ページ 770円(税別)

<明治期、東京に四大スラムが誕生。維新=革命の負の産物として出現した乞食、孤児、売春婦。かれらをどう救うか。渋沢栄一、賀川豊彦らの苦闘をたどる。近代裏面史の秀作。> (本書カバーより)

<東京はスラムの都だった 日本を近代国家に! 首都にあふれる生活困窮者を救え! 時代の大波に振り落とされる人々の群れ。 奇案、姦計が入り乱れる救済策。 東京のかくしておきたかった<過去>……> (本書帯より)

塩見さんの、地べたから見あげるような視線が、私は好きなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月23日 (金)

【読】高野秀行さんの新刊

まったく偶然に、こんな本を書店でみつけた。
時間つぶしに立ち寄った、上野のTSUTAYAでのこと。
高野さんの新刊がでていたことも知らず、旅行コーナーの棚をなにげなく見ていたら目にはいったのだ。
こういうことって、あるんだな。

Takano_asia_uma_2『アジア未知動物紀行』
 ― ベトナム・奄美・アフガニスタン ―
 高野秀行 講談社
 2009/9/1発行 260ページ 1400円(税別)

書棚から抜きだし、手にとって、しゃれた装幀に感心。
案の定、内澤旬子さんのイラストだった。

高野さんお得意の、UMA(ユーマ=未確認不思議動物)ものである。
電車のなかで「あとがき」を斜め読みしていると、興味ぶかい話が書かれていた。
柳田國男の『遠野物語』――高野さんが書くものの雰囲気からすると、意外な人物だ。
読書家の高野さんのことだから、この名著を読んでいてとうぜんなのだが。

<この三つの旅で、途中から私の頭にこびりついて離れなかったのは、柳田國男『遠野物語』だった。>

なんだ、なんだ、と驚きながら続きを読む。

<『遠野物語』は民俗学的な記録ではない。遠野出身の一青年が自分の知っている話を柳田に語って聞かせたものだ。天狗や川童(かっぱ)、幽霊などの物の怪や怪異現象がふんだんに登場するが、これはみな昔から伝わる話でなく、柳田國男が生きていたのと同時代の話である。>

ふん、ふん、そのとおりだが……。

<私は最初に読んだとき、「現地に行けばいいのにな」と思った。現場第一主義で、一次情報しか信用しない私なら絶対にそうする。ところが柳田は動かなかった。ただ青年の語る山の人の話を簡潔にまとめた。そして序文に『願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ』と書いた。/不思議な話を、不思議なままに読者の前に放り出したのである。>

このあたりが高野さんの真骨頂だと思うので、もう少し引用する。

<だが、柳田はその後、怪物や怪現象を民俗学的に研究するようになる。山の人の怖さを解体し、自分たち平地人の知識で理解しようとした。…(略)…どうやら、柳田國男は日本中の村々を武装解除して回り、二度と『遠野物語』の世界に帰ることはなかったようである。>

うーん。
鋭い「柳田批判」で、的を射ているし、私も同感だ。
続けて、高野さんは 「私は柳田國男と逆の道をたどっているような気がする」 と書いている。

高野さんが書くものの面白さは、徹底した 「現場主義」 というか、とにかく現地で体験してから考えるところにある。
読んでいて、わくわくするのだ。

楽しみな本ではある。
今日の収穫。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月20日 (火)

【読】読了 『日本残酷物語 1』

ひと月近くかけて、ようやく読み終えることができた。
読むのはしんどかったけど、おもしろい本だったな。

Nihon_zankoku_monogatari_1_2『日本残酷物語 1 貧しき人々のむれ』
 平凡社ライブラリー
 平凡社 1995年初版第1刷/2002年初版第9刷
 宮本常一・山本周五郎・揖西光速・山代巴=監修
 B6変形判(16.0cm) 総ページ544
 1359円(税別)

[要旨]
日常的な飢え、虐げられる女や老人、掠奪やもの乞いの生涯、山や海辺の窮民…ここに集められた「残酷」な物語は、かつての日本のありふれた光景の記録、ついこの間まで、長く貧しさの底を生き継いできた人々の様々な肖像である。 
[目次]
第1章 追いつめられた人々;第2章 病める大地;第3章 弱き者の世界

内容が幅広く、重いので、かんたんに紹介することはむずかしい。
<これは流砂のごとく日本の最底辺にうずもれた人々の物語である> という、「刊行のことば」 を引くしかない。

うーん、続編があと4巻もあるのだが、とうぶん読めそうもないな。
(以下、e-honサイトより、[要旨]は「BOOK」データベース)

『日本残酷物語 2 忘れられた土地』
[要旨]
離島、マタギ・木地屋などの住みなす山間の地、「新天地」北海道など、かつて粗かった交通・通信の網の目をこぼれ落ちた地域が、列島中に散在していた。そこには、過酷な自然を相手に黙々と闘う人々の暮らしがあった。
[目次]
第1章 島に生きる人々;第2章 山にうずもれた世界;第3章 北辺の土地

『日本残酷物語 3 鎖国の悲劇』
[要旨]
外に向かう自由なエネルギーを封じられ、抑圧と束縛の中を生きた人々、禁教下のキリシタン、漂流民、流刑者、また身分制の重石を一身に受けた者ら、そしてその苦闘は、近代の幕開きとともに終わったのではなかった。
[目次]
第1章 禁制をおかす者;第2章 国を恋う人々;第3章 領国の民;第4章 身分制のくさり

『日本残酷物語 4 保障なき社会』
[出版社/著者からの内容紹介](Amazon)
明治維新とそれに続く近代化の激変に翻弄される人々。「血税」に恐怖し、入会地を失い、ラシャメンに身売りし共同体の崩壊により流離の境涯に落ちる巨大な群。
[目次]
第1章 過渡期の混乱;第2章 ほろびゆくもの;第3章 流離の世界

『日本残酷物語 5 近代の暗黒』
[要旨]
急激な「近代化」は、その真っ只中に巨大な暗黒を抱えて進んだ。都市のスラム、使い捨ての女工たち、タコ部屋や坑内の過重労働、・私刑・死…その暗黒を生きた人々、忘れられた私たちの隣人の多様な生。
[目次]
第1章 根こそぎにされた人々;第2章 地のはての記憶;第3章 大地のうめき;第4章 狩りたてられた者

| | コメント (2) | トラックバック (0)

【楽】【読】「ぐるり」 終刊号

用があって立川にでたついでに、オリオン書房ノルテ店(立川市曙町2-42-1 パークアベニュー3F)に寄った。
立川ではいちばん大きな書店だと思う。
私がほしいと思った本は、たいてい置いてある。

きたやまおさむ の新刊 『ビートルズを知らない子どもたちへ』を探したのだけれど、在庫がなく、音楽コーナーの書棚でなんとなく目についたのがこれ。

Gururi_200910『ぐるり 2009/10月号(通巻34号)』
 ビレッジプレス 300円(税込)

終刊号ということだ。
田川律さんのインタビュー記事がおもしろい。
田川さんのことはよく知らないけれど、こんなセリフがあってニヤリとしてしまった。

田川 ……「肩書何にしましょうか?」って聞かれてほんまに困ったね。そのうち、座りがええというか便利やから「音楽評論家」にしてもらったけどね。してもうたけど本人はちっとも音楽評論家なんて気はなかった。/ずっとあとになって、ピーター・バラカンが「ブロード・キャスター」ということばを使ったのね。なるほどなあ、と思った。あの人も絶対に評論家なんて使わないよね。クリティックもね。ブロード・キャスターなんて、そういう英語を知っていたらぼくも使いたかった。まさにぼくもそうやと思うわ。多くの人に知らせる係。こういうものがありますよ、これおもろいんですよ、ということを知らせているつもりというかね。……>

「多くの人に知らせる係」 かあ。うまいなあ。

このミニ雑誌、というかミニコミ誌というか、タウン誌というか(ちがっていたらゴメンナサイ)、編集している五十嵐さんという方を、間接的に知っている。
須藤もんさんつながり、というやつで。
いちど、高円寺の古本酒場 「コクテイル」 で紹介されて名刺をいただいたけれど、おぼえていないだろうな。


Gururi_200702Gururi_200702_mokuji『ぐるり 2007/2月号』  2003/10月
 須藤もん 執筆 「牡丹悼歌」 掲載

<一昨年の暮れに完成した『牡丹悼歌』は、昭和二十七年に旧満州地方で消息を絶った私の母方の祖父を唄った歌である。……何故今この時に在って私がこの祖父のことを唄っているのか、少し紹介してみたいと思う。……>
という内容。
興味をもたれた方は、ぜひバックナンバーを探してほしい。

ビレッジプレス http://www.village-press.net/

Unyuutenga_vol34Unyuutenga_vol34_mokuji『雲遊天下 34』  2003/10月
 須藤もん 執筆 「編笠山の歌姫」 掲載
 
<山梨と長野の県境に編笠のように綺麗な形をした山があって、その次の峰との鞍部に古い山小屋が一軒建っている。普通の山小屋なら晩飯が済んでバタバタと寝支度が始まる頃、ここではもう寝ようとする客人を小屋主が引き止め、唄い、語るという酒宴が始まる。……>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月16日 (金)

【読】【楽】ピーター・バラカン(続)

Peter_barakan_black_musicピーター・バラカン 選
 『ブラック・ミュージック』

  ― アフリカから世界へ ―
 Gakken 2009/9/28 第1刷発行

アフリカ的な要素をもった音楽、それが「ブラック・ミュージック」ということだろう。
この本で紹介されている音楽のほとんどは、私には未知の世界で、それだけに刺激的だ。

ジャズと呼ばれる音楽にも、とうぜんのことだが、アフリカ的要素が色濃くみられる。
ピーター・バラカンさんが紹介している(彼のお気に入りの)ジャズのアルバムのなかには、私が好んで聴いてきたものもいくつかある。
そんなページにぶつかると、嬉しくなる。

(アルバムジャケット画像はAmazonから拝借した)

51by3spj8el__sl500_aa240_Albert Ayler Trio  Spiritual Unity
 アルバート・アイラ・トリオ
 スピリチュアル・ユニティ

<アルバート・アイラは音楽でフィ-リングが肝心だと言ったそうです。ある意味で当たり前な発言かもしれませんが、ジャズの世界では技術だけを重視する向きもありますから、ゴスペルのようなフィーリングを持って完全にフリーに吹きまくる彼のテナー・サックスを受け入れない人も少なくないでしょう。無理に説得するつもりもありませんが、この人のサウンドそのものはとても魅力的です。太くて、ヴィブラートがかかっていて、優れたソウル・シンガーにたとえてもいいと思います。>

Albert_ayler_ghostsこのアルバムには、「ゴースツ Ghosts」という、アイラの代表曲が二つのヴァージョンで収録されている。
ピーターさんは 「非常にかわいらしいメロディ」 と評しているが、うまい表現だと思う。
私もこのアルバムが好きだが、「かわいらしいメロディ」 という言葉を、これまで思いつかなかった。
それはそれは単純だが、忘れられないメロディ(テーマ)なのだ。

You Tube
 Albert Ayler - Spiritual Unity - 04 - Ghosts_second variation Visit my website:
http://www.youtube.com/watch?v=_gYdekQUcUU


51wr26rp8kl__sl500_aa240_John Coltrane  Live At The Village Vanguard
 ジョン・コルトレイン
 ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード

あまりにも有名なこのアルバムを、堂々と推薦しているところがかえって小気味よい。
エリック・ドルフィが好きな私には、彼が参加しているこのアルバムは愛蔵盤の一枚。

<中学生の時に友だちに聴かされたこれをすんなり好きになって、いまだにコルトレインの中で最も馴染みのあるアルバムです。録音された当時これは最先端の音楽で、彼の自由な即興を拒絶したジャズ・ファンもいたわけですが、今は聴きやすい感じがするほどジャズの概念が大きく変わりました。>


もうひとつ、「第1章 アフリカ」 「南アフリカ」 の冒頭でのインタビューに、ピーターさんらしさがよくでていると思うので紹介したい。

<やっぱりポリリズムというのはアフリカの音楽には不可欠な要素なので、いったんその面白さをつかめたら、アフリカの音楽にどんどんハマっちゃうと思いますよ。/ただ、ロックの1、2、3、4というリズムしか知らない人だと、身体にすぐにはなじまないかもしれません。……73年だったかと思いますが、僕の弟がやっていたグループのドラマーと一緒に、ドクタ・ジョンとアラン・トゥーサンとミータズの出るライヴにいに行ったことがあるんです。>

<僕はもう彼らのレコードも聴いているし、大好きだったんですが、でも隣にいる彼は、ミータズのドラムがヘタだというんです。リズムが合っていないというんですね。ほとんどロックしか聴いていない人間は、ニューオーリンズのあのシンコペーションを聴いてもヘタくそに聞こえちゃうわけです。>

<普通のジャズを聴いているかなり専門的な知識を持った人でも、セロウニアス・マンクを始めて聴いたときに、あのピアノがヘタくそに、音が外れて聞こえてしまうということはあるものです。マンクが自分なりにアフリカ的な音感をピアノで出そうと思って隣りあった音を弾いているということがわかる人とわからない人がいて、わからない人の方がはるかに多かった。……>  (インタヴュー●アフリカ2 アフリカ音楽の魅力を探る)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月15日 (木)

【読】【楽】ピーター・バラカン

今日、本屋に立ち寄ったところ、こんな面白そうな本がみつかった。

Peter_barakan_black_musicPETER BARAKAN
 200CD+2 BLACK MUSIC
ピーター・バラカン 選
 『ブラック・ミュージック アフリカから世界へ』

 Gakken 2009/9/28 250ページ 2100円(税別)

ピーター・バラカンさんが選んだ、ブラック・ミュージックのCD紹介。
いいガイドブックだと思う。

アフリカ(西アフリカ、南部アフリカ、中央アフリカ、東アフリカ)、カリブ海/ラテンアメリカ(カリブ海、ラテンアメリカ)、アメリカ(ニュー・オーリンズ/ルイジアナ、ブルーズ/R&B、ジャズ、ゴスペル/ソウル/ファンク)。
このように分類され、さまざまなCDが紹介されていて興味ぶかい。
ほとんど私のよく知らないミュージシャンばかりだが、聴いてみたいものがたくさんある。
バラカンさんを信用して、おすすめCDをすこしずつ買って聴いてみようと思う。

ところで、バラカンさんは、英語の日本語(カタカナ)表記に強いこだわりがあり、bluesはブルー、Miles Davisはマイル・デイヴィス、Thelonious Monkはセロニアス・ンク、Jimmy Smithはジ・スミス、といったぐあい。
何もそこまで、と思うものの、納得できる。

Peter_barakan_mokey_money『猿はマンキ、お金はマニ』
 ― 日本人のための英語発音ルール ―
 ピーター・バラカン  NHK出版
 2009/1/25 127ページ 800円(税別)

この本もおもしろかった。
私たちの英語の発音がいかに奇妙なものか、痛感したものだ。

はなしは横道にそれるが、バラカンさんは私と同い年だ。
音楽に関して、信頼できる人だ。
土曜日の朝、NHK-FMで放送しているバラカンさんの音楽番組は、週末の楽しみで、毎週愛聴している。

NHK-FM : WEEKEND SUNSHINE DJ: PETER BARAKAN
http://www.nhk.or.jp/sunshine/pc/

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月 3日 (土)

【読】ひさしぶりに勢古浩爾さんの一冊

『日本残酷物語 1』(平凡社ライブラリー)を読みつづけているが、そのあいまに、こんな本も。

Seko_iyana_yononaka勢古浩爾
  『いやな世の中 <自分様の時代>』
 ベスト新書 KKベストセラーズ
 2008/4/14 742円(税別)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4584121842

あいかわらずの勢古節が痛快だ。

<だいたい、だれもかれもが「様」になりたがりすぎである。というより、いつのころからか、客商売の人間たちから「様」扱いをされるようになって、そうか、おれは「様」なのかとわたしたちはのぼせあがったのである。そりゃそうだよな、お客様は「神様」だもんな(ほんとは「金様」ね)、と調子に乗ったのである。>

<近年における気の利いたふうな言葉の第一位は、なんといっても「自分らしさ」であろう。大ヒットである。二位が「楽しみたい」か。「地球(環境)にやさしい」「人にやさしい」の「やさしい」もあるな。そして三位は「がんばらない」と同率の「元気をもらった」「勇気をもらった」であろうか。>

<すこし前だったら「感動をありがとう」がヒット作であった(いまも生き延びている)。なにがありがたいんだか。いちいち「感動した」と口に出していうものではないと思うが、それもいうなら「感動した」だけで充分である。なんだ「ありがとう」って。もらってばかりじゃないか。>

次から次と、まことに気もちがいいが、勢古さんは根がまじめな人なので、ほんとうに言いたいことは次のようなセンテンスにこめられていると思う。
なにやら最近の五木寛之に似てきたような気もするが。

<努力しても報われない。人生は自分の思い通りにならない。裕福にはなれない。宝くじにはあたらない。健康は損なわれる。失恋する。傷つく。コケにされる。挫折する。なりたいものになれない。年老いて醜くなる。だれも認めてくれない。すべて、あたりまえのことである。
 それでも生きる。自棄になることは簡単だ。それでもまっすぐに生きる。生きられなければ、それでもいい。よくはないだろうが、是非もない。>

目次より
 第1章 蔓延する「自分病」
 第2章 空々しい言葉は聞き飽きた
  「美しい国」にげんなり/「セカンドライフ」が白々しい/いい気な「おひとりさまの老後」
  「夢を持て」という強迫/「元気をもらった」が暑苦しい 等々
 第3章 あえて時代に遅れる
 第4章 「低く暮らし高く思う」人生

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月24日 (木)

【読】読めるかな?

「生き急ぎ、感じせく」(*) ことは、ないのだけれど。

 【2009/9/27】 訂正・追記
  * 内村剛介氏の著書に書かれていた、ロシアのヴャゼムスキーの詩の一節。
  内村剛介 『生き急ぐ スターリン獄の日本人』 あとがき より
  <ヴャゼムスキー公が、その詩『初雪』に「生き急ぎ また 感じせく」と書いた時、
  ロシヤ語の日常では「生きる」と「急ぐ」、「感じる」と「せく」は結び合うことを
  あからさまにこばんでいた。……>

こんな魅力的な本を持っていた。
今なら読めるかもしれない。

Nihon_zankoku_monogatari_1『日本残酷物語 1~5』
 宮本常一・山本周五郎・揖西光速・山代巴 監修
 平凡社ライブラリー  1995/4/15~8/15
 1359円~1456円(税別)
 親本 平凡社刊 初版(1959/11~1961/1) 全7巻(5部、別巻2)
     第二版(1972/9~11) 全5巻

<これは流砂のごとく日本の最底辺にうずもれた人びとの物語である。自然の奇蹟に見離され、体制の幸福にあずかることを知らぬ民衆の生活の記録であり、異常な速度と巨大な社会機構のかもしだす現代の狂熱のさ中では、生きながら化石として抹殺されるほかない小さき者の歴史である。民衆の生活体験がいかに忘れられやすいか――試みに戦時中の召集令状や衣料切符、戦後の新円貼付証紙を保存しているものが、わずか二十年後の今日ほとんどないことからみても、現代がむざんな忘却の上に組み立てられた社会であることがわかる。小さき者たちの歴史が地上に墓標すら残さなくなる日は眼前に迫っている。……>
<民衆の生活にとって、納得しがたいことがいかに多いか、しかもそれらがいかに忘れ去られてゆくか――これが『日本残酷物語』をつらぬく主題旋律である。……>  (『日本残酷物語』刊行のことば より)

平凡社ライブラリー版
 第1巻 貧しき人々のむれ  541ページ
 第2巻 忘れられた土地  573ページ
 第3巻 鎖国の悲劇  587ページ
 第4巻 保障なき社会  525ページ
 第5巻 近代の暗黒  552ページ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【読】ようやく読了 「赤い人」(吉村昭)

本がなかなか読めない生活が続いている。

この本も、読みはじめてから十日もかかっただろうか。
最後は北海道にまで持っていって、飛行機の中で読んだりしていた。

今日、ようやく読了。
じつに面白い小説だった。

Yoshimura_akaihito_2『赤い人』 吉村昭
 講談社文庫 1984/3/15
 265ページ 495円(税別)
 親本 1977年11月 筑摩書房刊

「赤い人」とは、朱色の囚人服を着た明治の囚人をさす。
北海道にあった「樺戸(かばと)集治監」が舞台だ。
道路もできていない明治初期、ここに収容された囚人たちの犠牲によって、北海道の道路は開拓された。
吉村昭の筆運びは淡々としていて、私は好きだ。

<樺戸監獄の関係書類は旭川監獄に映されたが、それらの書類に記録されている共同墓地に埋葬された囚人の遺体は千四十六体で、そのうち遺族に引き取られたのは二十四体に過ぎない。死因は、心臓麻痺が八十三パーセント強にあたる八百六十九体、逃走にともなう銃・斬殺、溺死、餓死及び事故死、自殺が百十三体、その他四十体と記されている。> (『赤い人』 講談社文庫 P.245) 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月22日 (火)

【読】追悼 平岡正明 (「週刊金曜日」記事)

こういう特集でもなければ、まず買うことのない週刊誌を購入。
これも週刊誌の一種なんだろうな。
ずいぶん高いけど(わずか66ページで500円もする)。

Shuukann_kinyoubi_767『週刊金曜日』
 2009/9/18 767号
 株式会社金曜日

「追悼 平岡正明とは何者だったのか」
 菊池成孔
 田中優子
 平井玄
 山下洋輔
 粱石日

平岡正明という人の魅力が伝わってくる。
山下洋輔、粱石日(ヤンソギル)、田中優子の弔辞が胸をうつ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【読】地方紙のおもしろさ

北海道新聞、2009年9月22日(火)の記事。
これだから、地方紙はおもしろい。
できることなら、東京新聞とあわせて北海道新聞も購読したいと思うほど。

(上)5面 特集記事
 北方領土 変わる風景 「ビザなし」同行記者報告

(下)23面 第3社会面記事
 北方領土 映像で記録
 道内出身大学生 金山さん、野田さん
 国後、色丹に続き択捉編

Doushin_20090922_1Doushin_20090922_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【読】池澤夏樹の連載小説(続)

四日間ほど北海道にいたので、北海道新聞で読んでいた。

『氷山の南』 池澤夏樹 / 影山 徹 画

Ikezawa_rensai_020_2








2009/9/20(日) 連載第20回 「密航者 20」

主人公の青年の出自があかされる。
やはり、思っていたとおりの展開。
いよいよ、この先がたのしみだ。

<「楽器なのね?」アイリーンが嬉しそうに言った。
 「ジューズ・ハープでしょ」とドクターはつまらなそうに言う。
 「英語ではそうですね。でもこれはムックリです。ぼくの民族の楽器です」
 「民族って、きみは日本人ではないのか?」と族長が身を乗り出して聞いた。……>


ところで、池澤さんの前に、9月まで五木寛之が連載していた『親鸞』を、北海道に住む母が読んでいたらしい。
目がわるくなってあまり活字を読まなくなった母のことばに、ちょっと驚いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月19日 (土)

【読】池澤夏樹の連載小説

今月からはじまった東京新聞朝刊の連載小説を、毎朝たのしみにしている。
じつに、おもしろい。

『氷山の南』 池澤夏樹 / 影山 徹 画

Ikezawa_rensai_019_2








今朝(2009/9/19)の第19回では、唐突に、アイヌの伝統楽器「ムックリ」が登場した。
二日前、第17回で、主人公の青年の次のような独白があった。
「ムックリ」とどういうつながりがあるのだろう。
興味をそそる。

<日本では周囲との調和が大事だった。全体の中の一人として、目立たないよう滑らかに動くことが大事だった。目立つと圧力がかかる。自分の場合は出身のこともあって、いよいよ目立たないようにしてきた。> (『氷山の南』 池澤夏樹 東京新聞 2009/9/17 より)

魅力的な主人公の「出自」とは?

この物語の概要は次のとおり。

【連載開始前の作者のことば】 (東京新聞 2009/8/18朝刊 より)
<作家の言葉  若い主人公が冒険にいどむ。彼は南極海の氷山を運ぶという大がかりなプロジェクトにこっそり潜り込み、氷海を行く船の上でとんでもない試練に出会う。船の人々は国籍も宗教もさまざまで、反目も多く、ずいぶん怪しい奴もいる。そこに不思議な信仰を持つグループが登場して……純白の巨大な氷山を仰ぎ見る体験を共有していただきたい。>

池澤夏樹(いけざわ・なつき)
1945年、北海道生まれ。埼玉大理工学部中退。88年「スティル・ライフ」で芥川賞。「マシアス・ギリの失脚」(谷崎潤一郎賞)、「すばらしい新世界」(芸術選奨)など作品多数。 (東京新聞 同上より)


【参考】
中日新聞:次の朝刊連載小説「氷山の南」 池澤夏樹・作 影山徹・画:中日新聞からのお知らせ(CHUNICHI Web)
http://www.chunichi.co.jp/article/release/CK2009081802000121.html

Cafe Impala NEWS!
http://www.impala.jp/news_wp/?m=200909

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 8日 (火)

【読】本が読めない日々

このところ、途中で投げ出す本が多い。
活字の世界に入り込めない生活も、つらいものだ。

萱野茂 『炎の馬』 (すずさわ書店)
『江戸時代にみる 日本型環境保全の源流』 (農文協)

この二冊がどうにも続かなくて、それならいっそ読みやすい小説でも、と思って今日から読みはじめたのが、下に掲げた文庫本。
さすがに、吉村昭さんの小説は面白い。
面白いが、集中できない。

無理して本など読まなくてもいいと思うのだが、そこは活字中毒者の悲しさ。
乗り物のなかで、ぼーっとしていられないのだ。

とつぜんだが、楽になりたいな、と思う。
「こんな渡世から出ていくんだ」 ――これは、たしか高倉健の 「昭和残侠伝」 かなにかの映画のセリフだ。
今の私の心境も、そんなものだ。
「こんな渡世から出ていくんだ」 と、健さんみたいに見得をきってみたいものだが、なかなかそうもいかないのだ。
あ、これはひとりごとです。


Yoshimura_hoshienotabi_2『星への旅』 吉村昭
 新潮文庫 1974/2/22初版発行
 326ページ 514円(税別)

短編集。
「鉄橋」「少女架刑」「透明標本」「石の微笑」「星への旅」「白い道」 の六作収録。
一日かけて、やっと最初の 「鉄橋」 を読む。
昭和33年(1958年)の作品だというから、私がまだこどもの頃だ。
蒸気機関車がでてくる、なにやら懐かしい時代のはなし。
サスペンスというか、ミステリーというか、謎解きの面白さと、吉村氏らしい人間洞察がある。



この本とはまったく関係ないが、池澤夏樹さんの連載小説(東京新聞連載の『氷山の南』)も、おもしろい。
毎朝たのしみにしている。
池澤さんのストーリーテリングの技も、すごいものだと感心している。
小説は、こうでなくちゃ。


『氷山の南』 池澤夏樹 (東京新聞連載) 第6回 2009/9/6(日)
 影山 徹画伯の挿絵もいい。

Ikezawa_rensai_006

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月 3日 (木)

【読】江戸レファレンスブック

昼休み、勤務先のちかくにあるBOOK OFFで、またこんな本をみつけてしまった。
タイトルにひかれて手にとってみると、これがなかなかおもしろそうなのだ。

Kurihara_ooedo_chousa『大江戸調査網』 栗原智久 著
 講談社選書メチエ 380  2007/1/10発行
 215ページ 1500円(税別)

<単位に貨幣に衣・食・住……。/江戸の世界のあれこれを調べるための現代の諸書と江戸時代に書かれた江戸随筆を “江戸レファレンスブック” として紹介。/読んで楽しく、自分で調査してなお楽しい、画期的「ツール本」の誕生!>

レファレンスブックとは、図書館の世界でつかわれている言葉、だそうだ。
英語の意味は、「レファレンス=reference=参考・参照」だが、「図書館で、資料・情報を求める利用者に対して提供される、文献の紹介・提供などの援助。参考調査業務」(広辞苑)ということらしい。

この本では、「江戸レファレンスブック」をおもしろく紹介している。
「単位」「貨幣」「暦・時」「衣」「食」「住」「生業(なりわい)」「言葉」「地図・絵図」「辞(事)典・年表」といった章にわかれている。

一例をあげると、第七章「生業」では、「近世風俗志『守貞縵稿』」(喜田川守貞)にでてくる、江戸の物売りとして――鮮魚売り、枯魚売り、菜蔬売り、糊売り、花売り、針売り、箒売り、銅器売り、炭売り、醤油売り、塩売り、漬物売り、飴売り、菓子売り、蕃椒粉売り、小間物売り、烟草売り、筆墨売り、還魂紙(浅草紙)売り、植木売り、瓦器売り、竿竹売り、さぼん(しゃぼん)売り、銭さし売り、甘酒売り、……(あまりにも多いので、以下略)――と、多種多様な職業(生業)があげられていたりする。
江戸時代の都市生活の「豊かさ」を物語っていて、まことに興味ぶかい。

この本、索引もしっかりしているので、江戸辞典のようにも使え、かつ、いろんな書物を知ることができて、本好きで江戸好き(それはこの私だが)にはたまらない。


「講談社選書メチエ」には、いい本がたくさんある。
もう一冊、ずいぶん前に、古本屋(こちらは、ブックセンターいとう)でみつけたもの。
これもタイトルにひかれて買った。

Matsumoto_naze_tatakau『人はなぜ戦うのか 考古学から見た戦争』 松本武彦 著
 講談社選書メチエ 213  2001/5/10発行
 260ページ 1700円(税別)

<縄文時代にはなかった戦争が、弥生時代、「先進文化」として到来した。/食糧をめぐるムラ同士の争いは、いかに組織化され、強大な「軍事力」となるのか。/傷ついた人骨・副葬武器・巨大古墳など、膨大な発掘資料をもとに列島の戦いのあとを読み解き、戦争発展のメカニズムに迫る。>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 2日 (水)

【読】江戸時代のエコロジー

執筆陣に萱野茂さんの名前があったので、図書館から借りて読みはじめた本。
いい本なので、ネット販売で新本を入手してしまった。

Edojidai_kankyo_hozen『江戸時代にみる 日本型環境保全の源流』
 農文協【編】  農山漁村文化協会
 2002/9/30発行  282ページ 1619円(税別)

序章に、石川英輔さんの「環境問題で悩まない100万都市江戸の社会システム」という一文がある。
内容は、石川さんの別の著書に書いてあったのと同じなので、このブログで紹介したことがあるかもしれない。
「ミクロコスモス」のことや、同時期のヨーロッパの都市との比較、それに、石川さんの悲観的な(しかし納得できる)未来観など、興味ぶかい。

<人間の肉体は、旧石器時代あたりの自然環境に適応しているので、厳しい環境に対しては極めて抵抗力が強く、飢餓状態の時にはいろいろなホルモンが分泌されて栄養不良に耐えられるようになている。ところが、栄養の取りすぎに対しては、ほとんで抵抗力がなく、……(中略)……/おかげで、三十年前には老人病といわれた症状が四十代から現れるようになって成人病と呼ばれ、ついには十歳前後の小児成人病患者まで増えて来た。(後略)>

<それでは、いったいどうすればいいのだろうか。/このまま進むほかないというのが私個人の結論である。出発点から間違っていた現代文明がにっちもさっちも行かなくなる時は、それほど遠くない将来に迫っているはずだ。/よほどひどい目にあってこりない限り人類が愚行を止めないことは、これまでの歴史が証明している。にっちもさっちも行かなくなるその日まで、正しいと信じている現在の方向へ日本人やアメリカ人が先頭に立ってまっしぐらに進み、いよいよこのままではどうにもならないことが本当にわかるまでけっして止まらないし、方向転換を真剣に考えるはずもない、と予想するのがもっとも自然ではなかろうか。>

いまさら江戸時代の生活に戻ることは不可能だが、これだけゴミを出し続ける(消費するだけで再利用・再生産を考えない)生活のスタイルが続くかぎり、人類の未来は暗い、と私も思う。
ペットボトルの「リサイクル」なんかじゃどうにもならないのだ。
それどころか、今いわれている「リサイクル」は、化石燃料(石油)をたくさん消費するらしい。

それでも、「江戸に学ぶ」ことは、今からでもできると思う。
江戸時代は、ほとんど「ゴミ」を出すことなく、徹底的に資源を再利用していたのだ。
それこそ、屎尿から紙くずから木を燃やした灰にいたるまで、利用しつくして、最後には自然に帰す仕組みがうまく働いていた。
ほんとうの意味での「リサイクル」(自然循環)。
現代とくらべてどちらが「環境に優しい」のか(イヤな言葉だ)、誰にでもわかるのだけれど、私も含めて、みーんな目をふさいで便利さを追い求めている。

現代の先進国と言われている世界の生活は、そもそも出発点から間違っている。
そう考えると、石川さんじゃなくても悲観的になってしまうだろう。

なんとかしたいなあ……。
こんなところで、ああだこうだとつぶやいてもどうにもならない、「人類」の大きなテーマなんだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 1日 (火)

【読】おわり と はじまり

「読書日誌」のカテゴリーでいいのかどうか、わからないけれど。

いよいよ、九月。
終わるものがあれば、これから始まるものもある。

おわり
五木寛之 『親鸞』 354 東京新聞 2009年8月31日(月) 朝刊
 「愚禿親鸞の海(四)」
 親鸞の頭の奥で、若い日に見た二上山の夕日が重なって見えた。
 そのとき、親鸞は心のなかに、怒涛のようにわきあがってくる念仏の響きを感じた。その響きは、沈みゆく夕日を追うように、海をこえ、燃えあがる空にはてしなくひろがっていった。 (完)

はじまり
池澤夏樹 『氷山の南』 001 東京新聞 2009年9月1日(火) 朝刊
 「密航者 01」
 その年の一月も終わりに近いある日の午後、港に近い公園の大きな木の陰から、一人の少年が道路を隔てた建物を見ていた。
 正確にいえば少年の終わり、青年の始まり。その時々で自分がどちらに属するかわからなくなる。どっちでもいいやという年頃。……


五木さんの連載小説は、私が東京新聞に変えたときにはすでに始まっていたが(だから、最初から読んでいない)、毎回欠かさず読み続けた。
最終回は、ちょうど衆議院選挙の開票報道の日だったため、いつもの最終面ではなく、目立たない場所にひっそりと掲載されていた。
いかにも、最終回という感じで。
連載はおもしろかったけれど、ものたりなさも感じた。

さて、池澤さんの小説はどうだろうか。
この書き出しから、もう、池澤夏樹さんらしい世界。
これから先を期待してしまう。
連載開始から読めるので、読み続けながら、毎日切り抜きしようかとも思う。


Itsuki_shinran_354Ikezawa_rensai_001

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年8月27日 (木)

【読】読了 「おれの二風谷」

読みやすい本だったので、私にはめずらしく三日で読み終えた。

Kayano_nibutani『おれの二風谷』 萱野茂 著
 すずさわ書店 1975年刊

アイヌ語を母語として育った萱野さんだけあって、アイヌ語の言いまわしや会話がふんだんにでてきて、生きたアイヌ語の勉強になる。
一話一話が、1ページからせいぜい4ページほど。
たくさんの逸話が掲載されていて、読みやすく、いい本だ。
単行本は入手困難なので、文庫ででるといいのだが。

<六月のシーズンになると、北海道のすずらんが環境客に喜ばれ、東京あたりでも北海道空輸のすずらんがもてはやされているようです。しかし、これも桜の花やまりもと同じく、アイヌはひとつも珍重せずに、「セタ プクサ」つまり「犬のプクサ」とかたづけてしまっていたのです。「プクサ」とは「行者にんにく」のことで、行者にんにくの葉がすずらんそっくりだったからでした。すずらんは人間が食えないものだから、「犬の行者にんにく」と名づけたのです。/また、行者にんにくのことを北海道に住んでいるシャモはアイヌねぎと呼んでいます。アイヌばかりが食ったわけではなく、昔は多くの開拓者がこれを食べて命をつないでいたにもかかわらず、かれら和人の開拓者やその末裔たちが侮蔑的にしか聞こえない呼び方をするわけです。(以下略)> (「観光用伝説 セタ プクサ」 P.264より)

こんな調子で、おだやかな口調ながら、言うべきことははっきり言う、萱野さんらしい語り口だ。


続いて、萱野さんのこの本を読んでみようと思う。

Kayano_ainu_minwa『炎の馬 アイヌ民話集』 萱野茂 著
 すずさわ書店 1977/5/20初版
 1998/2/25新装版第一刷
 299ページ 2000円(税別)

<アイヌの民話ウウェペケレは、一話一話のおしまいに教訓めいた言葉が入っているのが特徴です。それによって大人も子供も自然に善悪を知ることができるのです。/ウ=お互い、ウェ=それ、ペケレ=清らか――つまり、話を聞くことでお互いが清らかになるとアイヌは考えていたのです。> (あとがき より)

萱野さん自身が身近な古老(フチ)たちから収録し、日本語に翻訳した昔話=民話(ウウェペケレ)やカムイユカラと、フチたちが書き残したはなしをまとめた本。
登別、静内、沙流川地方の古老(お婆さん=フチ)たちの貴重な遺産だ。
萱野さんは、昭和35年から古老たちの話の録音を始めて、この本が出版された時点では、四百数十時間もの音源になったという。

巻末に、語り手のお婆さんたちが一人ずつ紹介されている。
黒川てしめさん、平賀さだもさん、金成まつさん(金田一京助の協力者であり、知里幸恵さんの叔母さん)、川上うっぷさん、西島てるさん、貝沢とぅるしのさん、福島そまてっさん、木村きみさん、貝沢こきんさん、木村まっとぅたんさん、木幡うもんてさん、鍋沢ねぶきさん、鹿戸よしさん、葛野きくさん。
アイヌの文化を大切にした、萱野さんらしい気配りだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月25日 (火)

【読】おれの二風谷(萱野茂)

ずいぶん前にはじめて読んだ本。
そのときは図書館から借りて読んだのだが、最近、ネット販売で古本を手に入れた。
今日から再読している。

Kayano_nibutani『おれの二風谷』 萱野茂 著
 すずさわ書店 1975/4/30発行
 278ページ 980円(税別)

故 萱野茂さんは1926年生まれだから、この本は四十台おわりの頃の著作。
読んでいて、なんとなく若々しい感じがする。
二風谷ダムが完成して間もない頃だ。

<昭和20年前後までは、沙流川にも川面に白く光って産卵を終えた鮭の体がたくさん浮いていたものです。現在はダムができて鮭も遡れなくなりました。ダムをつくるときは必ず魚道をつくるなどの配慮があってもいいと思うのです。> (「熊と鮭」 P.88)

「アイヌの内側からの目で見た昔の風習の一端を知ってもらえれば望外の幸せです」と、あとがきにあるように、萱野さんらしいおだやかな語り口で、往時のアイヌの人々の暮らしぶりが描かれている良書。
各章の扉に添えられている貝沢美和子さんのイラストが、いい。

― 目次より ―
水の神/木彫りと私/イナウ/よもぎの力/疱瘡/葬式/熊と鮭/自然とアイヌ/火事/宝物/神の囁き/まじない/不思議な話/姦通の罰/アイヌ/アイヌ的表現/悪口/子供の遊び/想い出話/蛇の話/観光用伝説/地名と伝説/アイヌの苗字

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月21日 (金)

【読】暑い夏の読書

毎日暑くて、本もなかなか読めない。
お盆休みのあいだ電車もすいていて、国分寺駅からいきなり座れたりして良かったのだけれど、本を読みはじめてもすぐに眠くなってしまう。
困ったものだ。
こうなると、早く涼しくなってほしいと思う。
勝手なものだ。


ボリュームがあって読むのに一週間かかったが、いい本だった。

Chikappu_moritodaichi『森と大地の言い伝え』
 チカップ美恵子 編著  北海道新聞社
 2005/3/3 初版発行  333ページ
 1800円(税別)

第一部 森に宿る言霊(ことだま)
チカップさんの伯父(母の長兄)にあたる、山本多助さんの『釧路アイヌの昔話と伝説』(第一巻、第二巻)から。
第二部 故郷の記憶
チカップさんの母親、伊賀ふでさんが晩年に執筆した子どもの頃の体験記。

気負わず、淡々と語られる昭和の頃のアイヌの人たちの暮らしぶり。
文章も嫌味がなく、読みやすかった。
以下、目次から章題。

はじめに(チカップ美恵子) 伯父・山本多助の思い出
第一部 釧路アイヌの系図と伝説/釧路川とカムイ・ト(神の湖)/釧路地方のアイヌ遺跡/アイヌ民族の流儀/樺太を旅して
第二部 祖母の思い出/母と歩いた道のり/兄たちとともに/兄・多三郎の葬儀
あとがきにかえて(チカップ美恵子) 心に残る旅探し

巻末に、「山本家先祖の名称と20代目からの系図」が掲載されている。
文字をもたなかったアイヌの人々は、口承で先祖の系図を伝えてきたという。
山本多助・ふで兄妹の代から四代までさかのぼって詳しく書かれた系図に驚く。


アイヌ民族の口承文芸のすばらしさを、もう一冊の本で味わっている。
これは、今日から読みはじめた。
長いあいだ、私の本棚にあったもの。

Yamamoto_tasuke_yukar_3『カムイ・ユーカラ アイヌ・ラックル伝』
 山本多助 著  平凡社ライブラリー
 1993/11/15 初版第1刷 2004/4/26 初版第7刷

山本多助さんが子どもの頃から慣れ親しんだユーカラ 十六篇(日本語訳)がまとめられている。
多助さんも、アイヌの文化遺産を後世に伝えようと努めた人である。

<アイヌ民族は自然の子です。/むかしのアイヌ民族は、狩猟民族として、自然の恵みに感謝しながら、そのおきてに従って、自由に生きていました。>

あとがき(おわりに)の冒頭に記されたこの言葉は、知里幸恵さんの『アイヌ神謡集』序文を思いおこさせる。

巻末、藤村久和さんの「解説――アイヌの語り」がためになる。

<アイヌの人々が伝承してきたものは、その内容も然ることながら、節つきの語り口調か、節なしの口調で演ずるかで物語全体の形式の位置づけが明確になることとなる。節をつけて英雄の一代記を語ったとすれば、それはユーカ、地域によってはハウキ・サコペなどと位置づけるのに、節をつけずに話し口調となれば、ウウェペケレ、イルパイェ、トゥイタ、イソイタッキなどということになるだけでなく、……>

ほんらい、アイヌの口承文芸は耳で聴くものなのだな。
文字にすると抜け落ちてしまうものが、たしかにある。
それは、人の息吹と呼べばいいのか。
魂、言霊(ことだま)と言ってもいい。

(左) 『アイヌ神謡集』 知里幸恵 岩波文庫
(右) CD 『「アイヌ神謡集」をうたう』 片山龍峯(復元)/中本ムツ子(謡) 草風館
 このCDはすばらしい。
 知里幸恵さんが文字で残したユカラを、ほんらいの謡(うたい)に復元しようとした試み。

Ainu_shinyou_2Ainu_shinyou_utau_3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月14日 (金)

【読】サハリン、アイヌ民族

この本がとてもよかった。

Tanaka_sakhalin『奇妙な時間(とき)が流れる島 サハリン』
 田中水絵 著  凱風社 1999/11/25発行
 262ページ  1800円(税別)

著者は「終戦のわずか三年後に生まれ」たというから、私よりも少し年上の「団塊の世代」のひとり。
一週間の予定でぶらっと訪れたサハリンに、その後六年にわたって何度も行っている。
現代のサハリンに住む人々との交流が、なんとも温かみがあって、いい。
コウイウヒトニワタシワナリタイ、と思うほどだ。

<ルーブル切り下げの一か月ほど前、私はユジノサハリンスク市のレーニン通りにある美術館、かつての「北海道拓殖銀行豊原支店」の石造りの建物の前に立っていた、かつて、樺太の経済を支えたこの銀行は、前年、つまり1977年11月、経営破綻から解体していた。日本中でバブルがはじけていた。/旧銀行の前で私は思った。この私もバブルだったと。私は終戦のわずか三年後に生まれ、日本の急速な経済的発展に乗っかり、共に年を重ねてきた。ぬくぬくと、ふわふわ生きてきた。戦争も、父が戦争に行ったことも、私には遠い遠い昔話だった。>

<サハリンに渡るたび、私は無意識に感じていた自分というバブルの空洞が少しずつ埋まっていくのを感じた。>

<サハリンから帰るたび、私は奇妙な時間(とき)が流れているのは、海峡のこちら側、日本の国だと感じる。この国に流れている時間は、決して消えない過去を忘れ、おかしな方向に流されているのではないか。>  (以上、あとがきより)

田中水絵さんには、興味ぶかい訳書がある。
読んでみたいが、値がはるので考え中。
この町の図書館にも置いていない。残念。

『沿海州・サハリン近い昔の話―翻弄された朝鮮人の歴史』
 アナトーリー・T・クージン (著)/ 岡 奈津子・ 田中 水絵 (訳)
 凱風社 1998/7月発行  317ページ 3500円(税別) 
Amazon
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/477362213X

出版社/著者からの内容紹介
ロシア極東の朝鮮人が、どのように中央アジアやカザフスタンへ強制移住させられたのか、日本によってサハリンに連れてこられた朝鮮人はなぜ、祖国に帰れなかったのか。サハリン在住の研究者がソ連時代の公文書をもとに著した過去の「真実」。 
I:ロシア極東の朝鮮人●1862~1937年(移住の始まり/法的問題/文化の発展 ほか)
II:サハリンの朝鮮人●1870~1992年(サハリン人として生きて/強制移住と弾圧 ほか)

e-honサイト
 http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000030426254&Action_id=121&Sza_id=E1

凱風社
 http://www.gaifu.co.jp/
 http://www.gaifu.co.jp/books/ISBN4-7736-2213-X.html


田中水絵さんの本に続いて、いま読んでいるのがこれ。

Chikappu_moritodaichi『森と大地の言い伝え』  チカップ美恵子 編著
 北海道新聞社 2005/3/3発行
 333ページ  1800円(税別)

チカップ美恵子さんは、アイヌ文様刺繍家。
山本多助さんの姪であり、母は伊賀ふでさん(山本多助さんの妹)。
この本は、「第一部 森に宿る言霊」 が山本多助さんの著作 『釧路アイヌの昔話と伝説』(第一巻、第二巻)から。
「第二部 故郷の記憶」 は伊賀ふでさんが晩年に執筆した子どもの頃の体験記をまとめたものだという。

ずいぶんまえに手に入れ、ずっと本棚でねむっていた本だが、山本多助さんが昭和11年に樺太を訪れたときのはなしが載っていたのこともあって、このところの私の中の 「樺太熱」 の延長で読みはじめた。
山本多助さんの文章がいい。
アイヌ民族の歴史がよくわかる好著。


このほか、最近になって古本屋でみつけた本がある。

Ooe_shokuminchi『日本植民地探訪』  大江志乃夫 著
 新潮選書  1998/7/30発行
 492ページ  1600円(税別)

サハリン、南洋諸島、関東州、台湾、韓国、北朝鮮と、かつて日本の植民地だった土地を探訪した記録である。
中身が濃くボリュームもあるため、読むのはたいへんそうだが、いつか読んでみよう。
大江志乃夫さんの本は、ずいぶん前に一冊だけ読んだことがある(日露戦争に出征した兵士たちの手紙のはなし)。
信頼できる人だと私は思う。

田中水絵さんの本に何度もでてきた逸話だが、この大江さんの本も、岡田嘉子と杉本良吉の北緯五十度線越境(ソ連への亡命)の話からはじまっているのが興味ぶかい。


Yamashita_ezo_daimyou『北海道の商人大名』  山下昌也 著
 グラフ社  2009/4/5発行
 278ページ  1400円(税別)

今日の昼休み、職場の近くにある BOOK OFF で目にとまった。
題名にひかれて手にとってみると、なかなかおもしろそうなのだ。
江戸時代の松前藩の話だ。
とうぜんのことだが、アイヌ民族との確執についても詳しく書かれている。

松前藩は、他の藩とちがって米を基盤にしない大名だった。
当時の蝦夷地は米がとれなかったため、「○○万石」という石高がなく、米の代わりに商売で得た利益で藩を経営していたのである。
グラフ社という出版社ははじめて目にしたが、なかなかしっかりした内容だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月 7日 (金)

【読】樺太、敗戦直後

ちょうど去年の今頃、買ってあった本を、ようやく読みはじめた。

【読】さらに二冊  2008年8月21日 (木)
 http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_8880.html

Eiketsu_no_asa『永訣の朝 樺太に散った九人の逓信乙女』
 川嶋康男 著  河出文庫
 2008/8/10初版発行 244ページ 720円(税別)

親本
 『「九人の乙女」はなぜ死んだか』 (恒友出版、1998年)
 『九人の乙女一瞬の夏』 (響文社、2003年)

そういえば、昨年の今頃だったろうか、日本テレビでドラマ化、放映されたのだった。
私は見ていないけれど。

【参考サイト】 2009/8/9追記
 日本テレビ
  http://www.ntv.co.jp/
 霧の火~樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち
  http://www.ntv.co.jp/kyu-otome/

<終戦まもない昭和20年8月20日の朝、南樺太・真岡郵便局に勤務する、九人の若い女性電話交換手が自決した。/ソ連軍の進駐がどんなものなのか予測不可能な状況下、通信業務の使命を全うする中で、何が彼女らを死に追いやったのか……。/関係者への徹底取材で、当時の乙女らの日常と、悲劇の真相を追跡するドキュメント。> (本書帯より)

徹底した取材で、美談仕立てではなく歴史の真実を追求している――こう言えばいいのか。
十代、二十代の若い電話交換手の写真が本文中の随所に掲載されている。
彼女たちの生きた姿が目にうかぶような、クールな筆致で書かれた好著である。

70ページほど読んだところ。


もう一冊、現代の樺太・サハリンが舞台の本を手に入れた。

Tanaka_sakhalin『奇妙な時間(とき)が流れる島 サハリン』
 田中水絵 著  凱風社
 1999/11/25初版発行 262ページ 1800円(税別)

上の本を読み終えたら、読んでみよう。
現在のサハリンの姿が見えてきそうな本だ。








Amazon
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4773624027

<長い間のロシア暮らしの経験をきっかけに、著者は1992年から98年にかけて何度もサハリン(旧樺太)を訪問、その機会にサハリンに住む多くの人々(民族)と交流を重ねる。本書は、東アジアの近現代史を機軸にして、著者自身が歴史認識を深めていく過程を、悲喜こもごものエピソードをまじえて綴った紀行書。サハリンの過去と現在を知るには、好個のテキストでもある。>

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年8月 5日 (水)

【読】身軽なサハリン紀行

吉村昭の小説 『間宮林蔵』 は面白かった。
ずいぶん時間がかかったけれど、今朝の通勤電車の中でようやく読了。

きっと帰りの電車の中で読む本に困るとだろうなと予測して、持って行った本がある。
先週日曜日に図書館へ本を返しに行ったとき、備えつけの端末で検索して見つけたものだ。
検索キーワードは「サハリン」。

Igura_yuuki_sahhalin_kikou『ロシア・ビギナーのサハリン紀行』
   ― 船で5時間のヨーロッパひとり旅 ―
 井椋有紀(いぐら・ゆうき) 著
 文芸社 2003/6/15発行 1000円(税別)

文芸社なので自費出版と思われる。
著者については、よくわからない。
巻末の著者プロフィールがこんなふうにとぼけた調子だから。

― 著者プロフィール ―
<江戸時代より多くの旅人を迎えた三重県生まれ。/旅に目覚めたのは社会人になってから。/旅人としては、かなり遅咲きのデビューを飾ることになる。/そのせいか、本書のサハリンがやっと10回目の渡航である。/これまでに訪れた国はペルー、ブータン、パキスタン、北朝鮮、グリーンランドなど。決して奇をてらって行き先を決めているわけではないと、ここで明言しておく。>

うら若き、旅好きの女性という感じを受ける。
サハリンへ、行きは稚内からフェリー、帰りは函館まで飛行機という手段を選んだこの人。
格別、サハリンに思い入れがあるわけでもなく、船で外国へ行ってみたかったのと、帰りは国際線のプロペラ機に乗りたかったというのが理由らしい。

なんとも、身軽というか能天気というか。
そんな軽い旅行記だが、読みはじめてみるとなかなか面白いのだ。

この人は、名古屋空港から千歳空港へ、札幌から稚内までは夜行特急 「利尻」 のお座敷車両を使い、稚内からコルサコフまでのフェリーは二等桟敷席を利用。
稚内港の国際ターミナルまでなかなかたどり着けなかったったり、コルサコフに着岸して船内でのロシア係官による手続きの現場を写真に撮ろうとして止められたりと、ドタバタ続きで面白い。
物怖じしない、好奇心に富む人らしい。

ページの下、三分の一ぐらいのスペースを割いた「脚注」がぎっしり書かれているが、これがなかなか参考になる。

例えば――

<お座敷列車 「利尻」では7月4日~8月17日の間(2002年のスケジュール)、毎日「ゴロ寝カー」という名のお座敷車両が連結されます。これは文中にも出てきますが、フルフラットのお座敷で横になることができます。毛布と枕が無料でついていて、料金は指定席と同じなのでかなりお得。ただし、一人当たりのスペースはかなり狭いので寝相が心配な方は座席か寝台の方がいいかも……(笑)。/このお座敷車両については札幌発稚内着、または稚内発札幌着と通しでしか買えませんのでご注意ください。>

<サハリンの絵はがき 船内の売店でサハリンの絵はがきが売っていました。ロシアのキリル文字だけではなく、日本語も書かれています。日本で印刷されているもののような印象を受けました。この絵はがきはガイドブックにもサハリンの土産物として載っていましたが、私は現地で見つけることができませんでした。サハリンで購入したものは別なものだったので、たくさん絵はがきを買われる方で、船で行くのであれば、ここで一セット購入しておくのも一つの手かもしれません。……>

といったぐあいで、へたなガイドブックよりよほど役に立つかもしれない。
何よりも臨場感があって、いいのだ。

読みはじめたばかりだが、先が楽しみな本だ。


e-honサイト
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031136951&Action_id=121&Sza_id=HH

Amazon
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4835558065

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年7月31日 (金)

【読】間宮林蔵(続)

吉村昭 『間宮林蔵』 という小説を、夢中になって読んでいる。

Yoshimura_mamiya『間宮林蔵』  吉村 昭
 講談社文庫 1987年  461ページ 695円(税別)

吉村昭の小説を読むのは、『戦艦武蔵』『零式戦闘機』に続いて三冊目だが、淡々とした物語の運びが好ましい。

それにしても、間宮林蔵という人、これほど魅力的な人物だったとは思わなかった。
長大な小説の半分ほど、ちょうど、樺太探検を終えて伊能忠敬に出会うあたりまで読みすすんだ。
現在のサハリンはロシアの領土で、すっかりロシア風になっているらしいが、今から200年ほど前は住む人のほとんどない土地だった。
間宮林蔵、よくもまあ、ちいさな船と徒歩だけで樺太の西岸から海を渡り、清国が支配していた大陸(黒竜江=アムール河沿岸)までたどりついたものだ。
アイヌやギリヤーク(ニブヒ)の人々との交流も、なにやら胸あたたまるものがある。


Taiyo_nihon_tamkenka別冊太陽 「日本の探検家たち」
 平凡社 2003年  2600円(税別)

間宮林蔵、松田伝十郎、近藤重蔵、最上徳内、伊能忠敬など、18世紀末から19世紀初頭にかけて同じように苦労しながら探検した人たちが紹介されている。

― 間宮林蔵の項 より ―
筑波の農民の子に生まれる。後に江戸幕府に奉職し、1808年、松田伝十郎の従者として樺太を探検。翌年、一人で再び樺太へ渡り、松田が到達したラッカ岬からさらに北上、北端の未踏査海峡水域を突破。大陸に渡って黒竜江を遡った。南極、北極とならんで当時、世界地図の空白部だった樺太北部に踏み入った間宮が著した『北蝦夷図説』を見たロシアの探検家クルーゼンシュテルン提督は、「われ日本人に破れたり」と叫んだという。


【参考サイト】

間宮林蔵の世界へようこそ
 http://www.asahi-net.or.jp/~xc8m-mmy/index.htm
  林蔵の末裔である間宮正孝さんの、樺太紀行が掲載されている。
  写真満載の興味深い記事。

間宮林蔵記念館
 http://cobalt.nakasha.co.jp/hakubutu/mamiya/mamiya.html
(ナカシャクリエイテブ株式会社 http://www.nakasha.co.jp/

[記念館] 間宮林蔵記念館 - 茨城 - goo 地域
 http://local.goo.ne.jp/leisure/spotID_TO-8000292/

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月28日 (火)

【読】間宮林蔵

北海道に住む友人が、つい先日、サハリン(旧 樺太)を訪れたという。
友人のブログでサハリン探訪記が連載されており、毎日楽しみにしている。

 北海道通信
  http://northlancafe.kitaguni.tv/

ところで、樺太といえば間宮海峡(タタール海峡)。
この間宮海峡を「確認」し、海峡名に名を残したのが間宮林蔵だ。

― Wikipedia 間宮林蔵 より ―
<安永9年(1780年) - 天保15年(1844年)
文化5年(1808年)、幕府の命により松田伝十郎に従って樺太を探索。間宮はアイヌ語もかなり解したが、樺太北部にはアイヌ語が通じないオロッコと呼ばれる民族がいることを発見、その生活の様子を記録に残した。文化6年(1809年)、樺太が島であることを確認した松田が帰ったあと、鎖国を破ることは死罪に相当することを知りながらも、樺太人から聞いた、何らかの役所が存在するという町「デレン」の存在、およびロシア帝国の動向を確認すべく、樺太人らと共に海峡を渡って黒竜江下流を調査した。その記録は『東韃地方紀行』として残されており、ロシア帝国が極東地域を必ずしも十分に支配しておらず、清国人が多くいる状況が報告されている。間宮は樺太が島であることを確認した人物として認められ、シーボルトは後に作成した日本地図で樺太・大陸間の海峡最狭部を「マニワノセト」と命名した。海峡自体は「タタール海峡」と記載している。>
 
樺太(サハリン)とユーラシア大陸(現在はロシア、間宮林蔵の当時は東韃靼)とのあいだに海峡のあることは、ここを往来していた人たちには古くから知られていた。とうぜんのことだ。
アメリカ大陸をヨーロッパ人が「発見」したと称するのに似た、一方的な史観ではある。

― Wikipedia 間宮海峡 より ―
<樺太や対岸の沿海州には古来からアイヌ、ニヴフ、ウィルタ、女真(満洲民族)などの民族が居住・往来していた。このため、古くからここに居住していた人達にとって、樺太が島であることは、良く知られたことだった。1644年に作成された正保御国絵図においても、樺太は島として描かれている。>


今日から読みはじめた、この小説がおもしろい。
さすがに吉村昭だ。
うまい、と思う。

Yoshimura_mamiya『間宮林蔵』 吉村 昭
 講談社文庫 1987年刊  461ページ 695円(税別)
 親本 講談社刊 1982年

まだ70ページほどしか読んでいないが、冒頭、エトロフ島でのいわゆる「シャナ事件」(文化4年/1807年)の様子が描かれていて興味深い。
 ※シャナ(紗那)はエトロフ島北岸の地名
「クナシリ・メナシの叛乱」と呼ばれるアイヌ民族の蜂起(寛政元年/1789年)からそれほど年月を経ていない頃のことだ。

― Wikipedia 択捉島 より ―
<1807年4月、紗那と内保(留別村)の集落が、ロシア海軍大尉のフヴォストフ率いる武装集団らよって襲撃されるという「シャナ事件」が発生。/この時、日本側に動員されたアイヌもいる中で、日本側を攻撃してきたアイヌもいた(この時、間宮林蔵も同島にいて応戦行動に参加していた)。その後、南部藩など東北諸藩が警備にあたり、あるときはロシアと交戦し、あるときは友好的に交流した。>

ひさしぶりに、日本語で書かれた小説の醍醐味を感じながら読みすすめている。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年7月25日 (土)

【読】獏さんの本

最近読んだ、夢枕獏さんの本。
なかなかおもしろかった。

Yumemakura_baku_kisouka『夢枕獏の奇想家列伝』 夢枕 獏
 文春新書 689  2009/3/20発行
 213ページ  780円(税別)

七人の「奇想家」――知的好奇心から、危険を顧みず時代に抗して行動した歴史上の人物――がとりあげられている。
NHKが2005年8月・9月に放映した、「知るを楽しむ この人この世界 夢枕獏の奇想家列伝」をベースに書かれたものだ。

とりあげられている七人。
玄奘三蔵、空海、安部晴明、阿部仲麻呂、河口慧海、シナン、平賀源内。
シナンは、15世紀トルコの建築家で、イスラム教のモスクをたくさん残した人だ。
安部晴明は10世紀末に生きた有名な陰陽師(おんみょうじ)で、獏さんも連作小説に書いているし、近ごろはコミックなどでもブームになっているらしい。

小説といえば、私は読んでいないのだが、空海や阿部仲麻呂、川口慧海、平賀源内についても獏さんは書いているようだ。

 『陰陽師』シリーズ(文藝春秋)
 『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』(徳間書店)
 『平成講釈・安部清明伝』(中央公論社)
 『シナン』(中央公論社)
などだ。

川口慧海については『ダライ・ラマの密使』(別冊文芸春秋)、平賀源内については『大江戸恐竜伝』(小学館『本の海』)を執筆中という。
驚くほどの多作ぶりで、私などはとてもついていけないが、『神々の山嶺(かみがみのいただき)』 だけは私の愛読書である。

Baku_kamigami1Baku_kamigami2『神々の山嶺』 (かみがみのいただき)
 夢枕 獏  集英社文庫(上・下)
 2000/8/25発行
 上巻 504ページ 724円(税別)
 下巻 564ページ 800円(税別)

ヒマラヤが舞台のダイナミックな山岳小説である。
獏さんにしては珍しく「直球勝負」で、ひとりの魅力的なクライマーを描いている。
私の別サイトで紹介しているので、ご覧いただけるとさいわいです。

晴れときどき曇りのち温泉 > この一冊 > 神々の山嶺
 http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/b_baku_kamigami.html 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月24日 (金)

【読】星と嵐(レビュファ)

この本もまた、星野道夫さんの愛読書だったという。
ずっと前に文庫版を買い、途中まで読んで放ってあった本だ。

Rebuffat_hoshi_to_arashi『星と嵐 6つの北壁登行』
 ガストン・レビュファ 著/近藤 等 訳
 集英社文庫 1992/4/25
 249ページ 440円(税込)

山岳書の古典的な名著。
ガストン・レビュファは、フランス生まれのガイド・登山家である。
私がこの人を知ったのは、いまから十数年前、八ヶ岳の山小屋に通っていた頃、そこの小屋主さんであり山岳ガイドをされている方から教わったものだ。

レビュファの文章はロマンチックで、当時の私には読み続けることができなかったのだろう。今なら、読める。

<岩と氷の王国アルプス。その壮麗な美しさは、人々を挑戦へと駆りたてる。/山に生命を賭け、垂直の岩壁に身をさらしながら青春を生きぬいた名クライマーが、グランド・ジョラス、マッターホルン、アイガーなど、アルプスの6つの北壁登行の苦闘と歓喜を詩情溢れる筆致で描く山岳文学の名著。> (本書カバー)

Hoshino_coyote_no2何度もこのブログに登場してもらった 「Coyote」 第2号の画像。
「特集 星野道夫の冒険」 には、星野さんが愛読した魅力的な本が紹介されている。
『星と嵐』(白水社 1955年刊)もそのなかの一冊だ。

<山は人を孤高な場所へといざなう。/登攀とは、けっして高度な思想や哲学ではなく、ただ考え、そして実際に登ることである。/ガストン・レビュファは、しばしば「山の詩人」と称される。「星と嵐」では、その「まえがき」ですらすでに一篇の詩である。> (「Coyote」 赤坂友啓:文)

<レビュファは登攀用具を多く用いることをせず、必要最低限のものだけを使って垂直の壁を登ったという。それは自分と自然との距離をなるべく近づけておきたいという思いからだろうか。そういえば星野も銃を持つことなくアラスカの原野を旅した。> (同上)

『星と嵐』で読むレビュファの文章(日本語訳)は、もちろん詩的で美しいが、彼のクライミングもまた美しい。
「1940年代から70年代にかけて、ガストン・レビュファは最も美しいフォームで登るクライマーとして憧れの的であった」 というキャプションのついた写真が、この文庫版に掲載されている。

私は岩登りの初歩を教わっただけで、まったくの素人ではあるが、そんな私にも岩登りの魅力(魔力と言ってもいい)が伝わってくる本だ。
半分ほど読んだところ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月17日 (金)

【読】サバイバル登山家(続)

Hattori_survival_climber_2『サバイバル登山家』 服部文祥 著 みすず書房

e-hon
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031728757&Action_id=121&Sza_id=B0

Amazon
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622072203

前回、序章からの引用でおわってしまった。
まだまだ書いておきたいことがある。
といっても、引用ばかりで恐縮だが、服部さんの感じ方、考え方がよくあらわれている箇所を抜きだしてみたい。

I サバイバル登山まで
 満ち足りた世代
 肉屋

II サバイバル登山
 サバイバル始動
  南アルプス大井川源流~三峰川源流 1999.9.5-11

<登山道などがなかったころ、藪を避けられ、アップダウンのない水流の近くが山越の登降路だった。山の民が歩きやすい沢を経験で探し出して伝えてきた。猟師や木こり、もしくはなんらかの理由で関所を越えられない人などがそんな道を使っていた。山小屋も登山道もまともな地図も装備も交通機関もなかった時代に、今よりずっと山深い南アルプスを平気で歩きまわっている人たちがいた。>  (P.56)


 サバイバル生活術

<周辺を確認する。チェックリストがあるわけではない。眺めまわしてなにか心に引っかかってくるものがなければOK。なんとなくやばい気がするからやめておこうとか、なんとなくこっちのほうがよい気がするなんてときの 「なんとなく」 という感覚は大事にしたほうがいい。……僕は言葉に還元できない総合判断だと思っている。もしくは体全体で考えているといってもい。人間は言葉を使って頭でものを考えていると思いがちだが、言葉をもたない野生動物たちもかなりの物事を判断している。>  (P.70-71)

<「サバイバル」といっても、僕らの命を奪おうとする意志をもった何者かが、山のなかにいるわけではない。一方、岩魚は僕らに命をつけねらわれるうえに、反撃の手段はなく、逃げるか食われるかの二通りしかない。人間は生粋のプレデター(捕食者)である。森に住む岩魚を食料とするなら、せめて山のなかで自分に課す負担を多くして、心のかなで岩魚を殺生することを正当化するしかない。負担とは、食料や装備を持っていかないサバイバルであり、ソロであり、長期であり、毛バリであると僕は考えている。>  (P.80-81)

<単独行中に足の骨を折ったらどうするのか、と聞かれることもある。まるで単独行が社会の迷惑であるかのような言いぐさだ。野生動物に 「もし足の骨を折ったら……」 と聞いたら 「死ぬしかないから、そうならないように気をつけています」 と答えるだろう。>


 日高全山ソロサバイバル
  日勝峠~襟裳岬 2003.8.2-26

<何事もフェアにやりたいだけだった。自分の力でやりたかった。自分でできないときにはじめて、その行為や結果に値する代価を払って解決する。……僕は自分がきらいなシステムのなかで生きている人間なのだ。それをごまかすために山に向かう。大自然のなかに入りこみ、そこで自分の力を試して帰ってくる。>


III 冬黒部

 黒部とは
 二一世紀豪雪
  北アルプス上ノ廊下横断~北薬師岳東稜 2000.12.28-2001.1.7
 三つの初登攀
  北アルプス黒部川横断 黒部別山中尾根主稜~八ツ峰北面滝ノ谷下部氷瀑~八ツ峰北面袖ノ稜
  2002.3.16-26

<黒部に入るといつも場違いな気分に包まれる。それは自分の生命があまりに無防備であるということをリアルに思い知らされるためだ。自分が、血と肉となまぐさい内臓を皮膚という柔らかい袋に詰め込んだ装置にすぎないということが、黒部ではばれてしまうのである。ちょっとしたミスや大自然の些細な衝撃で袋はバシャンと割れ、僕は簡単に死ぬ。>  (P.214)

<富山のビジネスホテルで浅い眠りから目覚めた。……/外は予報どおり大粒の雨だった。剱岳は吹雪だろう。部屋には、二週間命を預けてきた装備と、昨夜くだらないテレビを見ながら食べたお菓子の袋が散乱していた。……/「自我」という現代社会では何よりも強いものが、死の恐怖をまえに縮みあがり、ときには消えてしまう。下山後は些細な欲をあえて満たすことで、僕らは自我と街の生活をとりもどしていく。>

<自然には意志も過ちもなく、純粋な危険があるだけだ。その危険に身を晒す行為に、情緒と感傷をくすぐる甘い香りが漂っている。>  (P.242)


 日高のあとの話、もしくはちょっと長いあとがき

<やや穿った見方だが、都会に生きる人々の大多数は一方的に消費するだけの人間という意味でお客さんである。買物客、乗客、もしかしたら患者まで、自分で解決する機会を奪われたか、あきらめるようにしむけられてきた人々だ。食料の調達をあきらめてスーパーに買いにいき、自分で移動することをあきらめて電車に乗り、自分で治すことをあきらめて病院にいく。/僕は街にいると、自分がお金を払って生かされているお客さんのような気がして、ときどきむしょうに恥ずかしくなる。>  (P.250)



読んでいて、私はふと、星野道夫さんを思いだした。
体の奥まで響いてくるような書物だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【読】サバイバル登山家

北海道でおおきな遭難死亡事故があった。

どうしんウェブ 北海道新聞
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/177700.html
 大雪山系で10人死亡 トムラウシ9人 夏山で過去最悪
 (07/17 08:15、07/17 14:28 更新)


トムラウシ山も美瑛岳も私にはなじみのある山だけに、やりきれない。
(トムラウシまでは行ったことがないが、その周辺は高校山岳部にいた頃歩いていたので、どんな山かという知識は持っている。決して楽な山ではない)

疲労凍死ということだろう。
亡くなった方々やご家族はほんとうにお気の毒だが、私は、ツアー登山という山登りの方法が問題だと思う。
(今回はガイドの責任も大きいが、それ以前に、ツアーの在り方に問題があったと思うのだ)


ところで、そのツアー登山と正反対の山登りを追求し続けている登山家がいる。
服部文祥さんという1969年生まれの人で、自ら 「サバイバル登山」 と呼んでいる。

Hattori_survival_climber『サバイバル登山家』 服部文祥(はっとり・ぶんしょう)
 みすず書房
 2006/3/19 第1刷発行/2009/3/25 第9刷発行
 257ページ 2400円(税別)

カバー写真が衝撃的。
著者の服部さんが岩魚の皮を剥いているところで、このように歯をつかうときれいに剥けるという。

今年読んだ本のなかでも筆頭クラスの、印象ぶかいものだった。

序章 知床の穴
 春期知床半島全山縦走 1993.3.25-4.12

<朝起きるとテントの中が妙に広く、低気圧はまだ来ていないようだった。/入り口を開けて外を見ると、空はどんよりと曇っていて、半雪洞の周りには覚えのないゴミが不自然に散らばっていた。/それは乾燥米の袋だった。その横にはチョコの包装ビニールが落ちていた。寝ぼけたままで、手を伸ばすと、飴、カロリーメイト、もう一度チョコ。すべてなんだか見覚えのある食べ物のカスばかり。……>

<もう一度外を見て、またテントの中を見た。慌てて、靴も履かずにテントを飛び出すと雪面にはキツネの足跡が乱れていた。膝をつき、雪の上に散らばった乾燥米を手で集めてみた。雪と混ざっていてもう話にならなかった。……>

<入山して七日目、羅臼岳を越えて、ようやくゴールが見えはじめ、やる気が湧いてきた矢先のアクシデントだった。……出発前、僕の登山人生最後になるかもしれないと思っていた長期山行はキツネに食料を盗まれたために終わるのだ。しかも、自分が寝ていたテントの中から抜き取られたのである。>  (P.11-12)

服部さんが大学生の時に試みた、知床半島海別岳から知床岬までの単独縦走の七日目のできごとだった。
半雪洞のなかにテントを張って、接近していた低気圧をやり過ごそうとしていたとき、キタキツネがテントを牙で裂き、眠っているあいだに十四日ぶんの行動食を袋ごと持ち去ってしまったのである。

いったんは「これで終わりなんだ」と思い、下山も考えたが、彼はそのまま知床岬まで歩き通した。


のちに、この知床全山縦走をふりかえって、こう書いている。

<食料を奪われた直後、僕はキタキツネが憎くてしょうがなかった。見つけたら捕まえて皮を剥いで食べてやろうとまで思っていた。……/あの日僕は、接近する低気圧をやり過ごすために停滞しようとしていた。食料を奪われたために、日程に余裕がなくなったので出発したのだ。その結果、あのあとのみぞれ三日間と三八豪雪以来と言われた嵐の三日間を、知床連山でももっとも標高の低いルサ乗越付近で迎えることになった。もし食料を盗まれずに停滞していたら、羅臼岳の半雪洞で荒天の六日間を耐えなくてはならなかったかもしれない。……>

<もう十年近く前のことだ。キタキツネの彼(もしくは彼女)ももこの世にはいないだろう。いや、うまくやっていれば、子孫のなかに薄まって生きている。人が眠っているテントから食料を盗み出せるのだから、うまくやってないはずがない。>  (「サバイバル始動」 P.63-64)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月13日 (月)

【読】Today is a very good day to die.

Nancy_wood_many_winters_2『今日は死ぬのにもってこいの日』
 原題 MANY WINTERS
 ナンシーウッド Nancy Wood 著
 フランク・ハウエル Frank Howell 画
 金関寿夫(かなせき・ひさお) 訳

 めるくまーる 1995/9/20発行

ナンシー・ウッド
 ニューメキシコ州のタオス・プエブロ・インディアンと30年以上の交流を持つ。大地との深い結びつきに根ざした、彼らの高雅な精神性を学びとり、詩・小説・ノンフィクション・写真と、多岐にわたる仕事に反映させてきた。国営芸術基金からの文学奨励金のほか、多数の賞を授与されている。1977年には、彼女の詩集のひとつが、ピューリツァー賞の音楽部門にノミネートされた。ニューメキシコ州サンタフェ近郊に在住。

内容を知らないまま、図書館にリクエストして借りてきたもの。
金関さんの日本語訳はそれほどいいと思わないが、巻末に英語の原詩が載っているのがうれしい。

邦題になっている詩(今日は死ぬのにもってこいの日)も、日本語訳より英語の原詩が美しい。
英語が得意じゃない私にもわかる、やさしい言葉で書かれている。


  Today is a very good day to die.
  Every living thing is in harmony with me.
  Every voice sings a chorus within me.
  All beauty has come to rest in my eyes.
  All bad thoughts have departed from me.
  Today is a very good day to die.
  My land is peaceful around me.
  My fields have been turned for the last time.
  My house is filled with laughter.
  My children have come home.
  Yes, today is a very good day to die.


日本で異常なほどもてはやされた「千の風になって」も、もとはきっと、こういう素敵な英語の詩だったのだろう。
日本語に翻訳するのって、むずかしいもんだな。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月12日 (日)

【読】『インディアスの破壊についての簡潔な報告』

ずっと気になっていた本を読みはじめた。
200ページほどしかない薄い文庫本なのに、なかなか進まない。

この本は池澤夏樹さんの著作で知ったのだが、池澤さんのどの本に書かれていたのか忘れてしまった。
購入してからずいぶん日がたつ。
『魔法としての言葉 アメリカ・インディアンの口承詩』(金関寿夫)を読んだあと、そうだ、こんな本があったっけ、と思いだしたのだ。

Las_casas_indias『インディアスの破壊についての簡潔な報告』
 ラス・カサス 著  染田秀藤 訳
 岩波文庫(青427-1)
 1976/6/25 第1刷発行/2005/5/24 第36刷発行
 205ページ 560円(税別)

インディアス(las Indias)――スペイン人が発見、征服した地域をの総称して、当時インディアスと呼んでいた。おおむね現在の西インド諸島、南アメリカおよび北アメリカの一部を指す。ラス・カサスはインディアスがインドの一部であると信じ、「新大陸」であることに気付いていなかった。 (本書巻末訳注による)


この「報告」が書かれた時代背景は、本書巻末解説によれば、こうだ。

<1492年10月12日、スペイン王室の援助をうけたイタリア人 クリストバル・コロン(コロンブス)がカリブ海に浮ぶ小島グワナハニ島に到着した。 その後、コロンは三回にわたって航海を行ない、アンティール諸島、中米、南米北部を探検し、また、その後多くのスペイン人征服者(コンキスタドール)が、自らの生命と財産を賭してインディアスへ渡り、数々の探検、征服を行なった。 その動機は未知なる土地への憧れ、金銀財宝に対する欲望、あるいは熱烈な宗教心など種々様々ではあったが、彼らは、コロンの第一次航海より僅か半世紀余りの間に不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を発揮して南北両アメリカ大陸をほとんど踏査した。 彼らは金銀財宝のみならず、トマト、玉蜀黍(トウモロコシ)、タバコ、カカオ、ジャガイモ等当時ヨーロッパでは知られていなかった数々の産物をヨーロッパにもたらした。>

ラス・カサスについては、Wikipediaから引用する。

<バルトロメ・デ・ラス・カサス(Bartolome de Las Casas, 1484年8月24日 - 1566年7月17日)は16世紀スペイン出身のカトリック司祭、後にドミニコ会員、メキシコ・チャパス教区の司教。当時スペインが国家をあげて植民・征服事業をすすめていた「新大陸」(中南米)における数々の不正行為と先住民(インディオ)に対する残虐行為を告発、同地におけるスペイン支配の不当性を訴えつづけた。主著に『インディアス史』、『インディアス文明誌』などがあり、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』でも有名。生前から激しい批判を受け、死後も相反する評価を受けることが多かった。「インディオの使徒」とも呼ばれる。>


ところで、ネット検索してみたら、池澤夏樹さんのサイト 「Cafe Impara」 の中の 「異国の客」 という連続エッセイに興味深い記事をみつけた。
自著の 『静かな大地』 と、この 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』 に触れ、「敗者の歴史を誰が書くか」 をテーマに池澤さんらしい考えを述べている。

Cafe Impara
 http://www.impala.jp/

 「異国の客」 063 冬の到来、エッフェル塔、敗者の歴史 その2
 (池澤夏樹 執筆:2006‐11‐25)
  http://www.impala.jp/ikoku_wp/?p=66


池澤さんが言うように、ラス・カサスの報告書は 「告発調で、ある意味では紋切り型」。
読みにくいものだが、書かれている内容は驚くべきものだ。
ヒトという生物は、よくもまあ、ここまで残忍なことができるものだ、という思いを重ねながら読んでいる。

その、ごく一部。
読んでいて胸が悪くなる、当時のスペイン人たちの悪逆非道ぶりである。
引用中の「彼ら」はインディオ。

<そこで、彼らは馬を落し入れるための罠を考えた。彼らは道に穴を掘り、そこに落ちこんだ馬の腹部に突き刺さるよう、先を尖らせ、焦がした棒をその中へいっぱいうめ込み、穴の上には小枝や草をかぶせて何もないように見せかけた。しかし、スペイン人たちはそれから身を守る術を心得ていたので、馬が罠にはまったのは僅か一、二度であった。その仕返しに、スペイン人たちは、老若男女を問わず全員インディオたちを生け捕りし、その穴の中へ放り込むことにした。こうして、彼らは身重の女や産後まもない女、それに、子供や老人、そのほか生け捕りにしたインディオたちを穴の中に放り込み、その穴の中は、しまいには串し刺しになったインディオたちで一杯になった。ことに、母親とその子供の姿は胸の痛む光景であった。スペイン人たちは残りの人びとを全員槍や短刀で突き殺し、獰猛な犬に分け与えた。犬は彼らをずたずたにして食べてしまった。>
 (「グワテマラ地方と王国について」 P.77-78)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月10日 (金)

【雑】平岡正明さん死去

今朝、ラジオを聴いていて知った。

評論家の平岡正明さん死去 asahi.com
http://www.asahi.com/obituaries/update/0709/TKY200907090217.html

 評論家の平岡正明(ひらおか・まさあき)さんが、9日午前2時50分、脳梗塞(こうそく)のため、横浜市内の病院で死去した。68歳だった。

時事ドットコム
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009070900461


【2009/7/10夜 追記】
死亡記事の紹介だけじゃあんまりなので、追記。

私はそれほど平岡さんの著作を読んでいないが、いろんな刺激を受けた人だった。
今年になって、『石原莞爾試論』 という幻の著作を手に入れて読んだところだし、中国大陸シリーズも読み返してみようとしていたところだった。

私より少し歳上だとおもっていたが、いわば叔父さんの世代であることが死亡記事の年齢をみてわかった。
1941年(昭和16年)1月生まれだった。
年長の人たちが少しずついなくなることは、さびしいものだ。

死亡記事(朝日)のタイトルに、『山口百恵は菩薩である』 があげられていたが、とても刺激的な内容の本だった。
思うに、平岡さんは法華経とかかわりが深かったのではないか。
だからどうなんだ、ということもないのだが。

Hiraoka_momoe1Hiraoka_momoe2 『山口百恵は菩薩である』
 平岡正明 著  講談社文庫
 1983/6/15発行 351ページ
 (親本 1979年講談社刊)

平岡節がうなる、快著(怪著?)である。

<……自分の煩悩を歌に昇華させた山口百恵は、他人の煩悩にも鋭敏に反応するだろう。他人の煩悩を自分の悲劇にくり込んで山口百恵はさらに大きくなるだろう。すなわち菩薩である。>


もう一冊、平岡さんの桂枝雀論も面白い。
(全部読んでいないが)

Hiraoka_shijaku『哲学的落語家!』
 平岡正明 著  筑摩書房
 2005/9/20発行 326ページ

<俺が落語に目覚めたのは数年前だ。/志ん生・文楽から現在の若手までをヨーイ・ドンで聞いた。/最も衝撃を受けたのは「彼」。/どえらい上方落語の爆笑王だ。/「彼」の思想の偉大さよ。/俺はナマの高座を聞いていない。/残された音と映像だけから「彼」の思想の深さを言いたい。/松本留五郎の鼓腹撃壌を、夢野久作との相似を、天地の逆転を。/この一冊を泉下の「彼」に捧げる。>

その平岡さんも、桂枝雀さんを追うように、逝ってしまったのか。



【2009/7/11追加】
 東京新聞 2009/7/9(木) 夕刊 (左)
 朝日新聞 2009/7/9(木) 夕刊 (右)

20090709_tokyo_hiraoka20090709_asahi_hiraoka

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 7日 (火)

【読】アメリカ・インディアンの詩

日曜日に図書館から借りてきた本。
昨日と今日でいっきに読んでしまった。

Kanaseki_america_indian『アメリカ・インディアンの詩』 金関寿夫
 中公新書(中央公論社) 1977/6/25発行

よく知られているように、インドに行こうとしたコロンブスが、1492年にたまたま「発見」した大陸に、その二万年も前から住んでいた原住民(この言葉も近ごろは嫌われているようだが)――彼らを呼ぶ便宜的な名称が 「インディアン」 である。

この本では、アメリカ・インディアンの素晴らしい口承文学が紹介されている。
( 「文学」 と呼ぶのも、便宜的なカテゴリーだろう。なぜなら、彼らはこれを 「文学」 とは考えていないから)

たとえば、次のような短い詩。

<トウモロコシの種子を植えたあと、アリゾナのパパゴ・インディアンは、その順調な生育なを祈って(古来のリズムに合わせて足拍子を踏みながら)つぎの詩をとなえる。

  青い夜が下りてくる
  青い夜が下りてくる
  ほら ここに ほら あそこに
  トウモロコシのふさが震えている >


文字を持たない民族の口承が英語に翻訳され、それをさらに日本語に翻訳することには、どだいムリがある。
著者も、それを承知のうえで、魅力的なたくさんの詩を紹介し、アメリカ・インディアンの精神・文化を論じている。
1977年に、このようないい本が出ていたことに驚く。

それにしても、なんと豊饒な世界だろう。
アイヌ民族の口承文学(ユカラなど)に通じるものを感じる。


Kanaseki_oral_poetry_2引き続き読んでみようと思う本。

『魔法としての言葉 アメリカ・インディアンの口承詩』
 金関寿夫 思潮社 1988/5/1発行

星野道夫さんの書棚に残されていたのがこの本だ。
中公新書版が絶版になった後、同じ著者が書き改めたもの。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 4日 (土)

【読】キムン・カムイとウェン・カムイ

花園神社のライブまで時間があったので、新宿西口のジュンク堂書店に立ち寄った。
さすがに本の数が多い。
理学書コーナーでこんな本をみつけて、購入。

Kayano_kamui『よいクマ わるいクマ』
 ― キムン・カムイ ウェン・カムイ
    見分け方から付き合い方まで ―
 萱野茂 前田菜穂子
 写真 稗田一俊
 北海道新聞社 2006/1/15発行
 259ページ 2400円(税別)

最近読んだ 『ベア・アタックス』 巻末の解説にも、アイヌ語のこの言葉が引用されていた。

キムン・カムイ kimu-un-kamuy (山に住む神) → 熊・ヒグマ
ウェン・カムイ wen-kamuy → 悪い神
 → 畑を荒らしたり、家畜を襲ったり、人を襲う悪いクマ
(アイヌ語表記は、萱野茂 『アイヌ語辞典』 三省堂を参考にした)

アイヌの人たちがヒグマとの長いつきあいの中で育んだ、クマと人間が共存するための知恵である。


― この本の内容(目次より) ―

第一章 実践編
 出発前の準備/出会わない方法/もしも出会ってしまったら
第二章 応用編
 安全なキャンプ/安全な登山、山菜採り/安全な釣りと狩猟
第三章 アイヌ民族の知恵編
 対談 萱野茂(二風谷アイヌ資料館館長)・前田菜穂子(ヒグマ博物館学芸員)
第四章 基礎知識編
 ヒグマってどんな動物?/ヒグマを知って共に生きよう
第五章 海外編
 対策と成功例/スウェーデンの実践
第六章 資料編
 生物学データ/ヒグマ対策/もっと学びたい人へ


第三章が、ことに興味ぶかい。

北海道に住む人たちにとって、ヒグマとのつきあい方には悩ましいものがある。
これまでは見つけしだい「駆除」するというやり方を続けてきたが、ここにきてようやくクマとの共存・共生を模索しだしたようだ。


― まえがき(はじめに) より ―

<ついに、というか起こるべくしてと言うべきか、ヒグマによる死亡事故がとうとう起きてしまいました。 1999年5月、渡島管内木古内町で、…(中略)…オスのヒグマが、釣り人の男性一人を襲い死亡させ、山菜採りの女性2人に重傷を負わせました。…(略)…>

<このままでは、またこのような悲惨な事態が起きかねません。 クマにとっても人間にとっても悲劇です。>

<悲しいことに、クマを有害獣として駆逐する 「日本の常識的方法」 は 「世界では非常識」 なのですが、現状はそのままです。 でもちょっと待ってください。 人間とヒグマは共存できないのでしょうか。 いいえ、それは可能です。 北海道にはクマと上手に付き合っていた先駆的な人たちがいます。 アイヌ民族の人々です。>

<狩猟民族のアイヌは、ヒグマを 「キムンカムイ(山の神様)として尊敬し、問題を起こすクマを 「ウェンカムイ」(悪い神)と呼んで全く別に扱い、共生してきました。>

萱野茂さんがまだご存命の頃に出版された本。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【読】魔法の言葉

絶版(あるいは版元品切れ)で手に入りにくいと思っていた本が、Amazonで新本が残っていて、手にはいった。

Kanaseki_oral_poetry_american_india『アメリカ・インディアンの口承詩 ― 魔法としての言葉 ―』
 金関寿夫 著  平凡社ライブラリー
 2000/6/15発行 306ページ 1200円(税別)

Amazon
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582763472

思潮社刊の単行本の文庫化。
単行本のタイトル 『魔法としての言葉 ―アメリカ・インディアンの口承詩―』 を改題。 といっても順序を変えただけだが。

文庫なので解説が付いている。 詩人の吉増剛造が担当。
単行本の装幀(下の写真)も魅力的だが、この文庫版の表紙もいい。

<彼らは、ヴィジョンを求め、孤独な旅に出る。/苦行の果て、魔法の歌や祈りを持ち帰る。/動植物や人間の尊厳を知るものだけがもつ/深いやさしさにみちた歌――。/これが彼らの歌=詩である。/アメリカ現代詩が見出した<古典>、/先住民族が伝えた口承文学の世界。> (本書カバー)


Kanaseki_oral_poetry単行本
『魔法としての言葉 ―アメリカ・インディアンの口承詩―』
 金関寿夫 著  思潮社
 1988/5/1発行

1993年9月発行の思潮社刊新版はいまも入手可能
(ISBNコード 978-4-7837-1558-0)
e-honサイト
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000018877056&Action_id=121&Sza_id=GG


元の本はこれ。
『アメリカ・インディアンの詩』 金関寿夫 中央公論社(中公新書)
 1977年刊 絶版
Amazon
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J8TYE6

Kanaseki_america_indian

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 3日 (金)

【読】遭遇と襲撃

クマは人を襲う危険な動物なのか?
クマとの遭遇(encounter)が、クマからの攻撃(attack)にすぐに結びつくのか?
クマと人間の共存は、どうすれば可能なのか?

Bear_attacks_2『ベア・アタックス II』
  ― クマはなぜ人を襲うか ―
 S.ヘレロ著 嶋田みどり・大山卓悠 訳
 北海道大学図書刊行会 2000/9/10発行
 全二巻 各2400円(税別)
 521ページ(二巻計)

ページ番号が、二巻通しで振られているのがおもしろい。
下巻(II)は、250ページからはじまる。

膨大な事例をひとつひとつ検証して、クマが人を襲う原因を詳細に分析している。
なによりも、クマを愛する著者の姿勢が好ましい。


<もしクマのために、「ピープル・アタックス」というタイトルの本が書かれていたら、そこにはわれわれヒトという種は典型的な血に飢えた殺人(熊)鬼――攻撃的で、危険で、しばしばクマに致命傷をあたえるもの――として描写されることだろう。>
 (17章 クマの管理 「クマも安全に」 P.428)

<グリズリーもブラックベアも、生態系が機能していくうえで重要な役割をはたしているわけではない。 グリズリーもブラックベアも、私たち人間と同じように、生態的には何でも屋である。 彼らは草を食み、木の若芽を食べ、死肉をむさぼり、また捕食者として機能するものたちである。 …(中略)… すべてのクマを殺したとしても、生態系が崩壊するわけではない。
 しかし、多くの人たちにとって、クマがいなくなったら、世界はもっと貧相なものとなるだろう。 私たちがクマの生存を護っているのは、彼らが自然のなかの不可欠な部分だからではなく、人間の心や身体や魂にはたらきかけてくれるものがあるからだ。>
 (17章 「クマは何の役に立つ?」 P.435-436)

本書のおわりの方に書かれている著者のこの言葉は、星野道夫さんの次の文章を彷彿させる。

<もしもアラスカ中にクマが一頭もいなかったら、ぼくは安心して山を歩き回ることができる。 何の心配もなく野営できる。 でもそうなったら、アラスカは何てつまらないところになるだろう。>
<人間はつねに自然を飼い馴らし、支配しようとしてきた。 けれども、クマが自由に歩きまわるわずかに残った野生の地を訪れると、ぼくたちは本能的な恐怖をいまだに感じることができる。 それは何と貴重な感覚だろう。 これらのクマは何と貴重なものたちだろう。>
 (星野道夫)


すこし値がはるけれど、とてもいい本だ。
日本語訳も、いい。

巻末に、「解説」として、JBN(Japan Bear Network:日本クマネットワーク)会員三氏による文章を併録。

「日本と北米のクマ対策」 (山中正実:JBN会員・斜里町自然保護係)
「北海道のヒグマ」 (間野 勉:JBN会員・北海道環境科学研究センター野生動物科)
「日本のツキノワグマ」 (羽澄俊裕:JBN会員・(株)野生動物保護管理事務所)


日本語版刊行にあたって著者みずから書き下ろした補章 「星野道夫の死」 も、興味ぶかい内容。
著者によると、星野さんの事故の真相はこうだった。

<……世界的な写真家星野道夫は、1998年8月8日、ヒグマに襲われて死んだ。 星野を殺した雄グマは、彼が愛してやまなかった野生の動物ではなかった。 星野を襲って死にいたらせ、その一部を食べたクマは、それまでにも人間とかかわる経験を重ねていた。 クマは、食物が不適切に保管されているキャビンやその他の場所に押し入ることを学習していた。 ロシアのローカルテレビ局経営者によって意図的に餌づけされていたようでもある。 ……>

また、著者の星野さんに対する敬愛の思いも随所に満ちあふれている。

<星野道夫が撮影したグリズリーやムース(ヘラジカ)、そして野生の地の写真は、私のなかに自然の美や生命の完璧さへの畏敬と霊感を呼び起こしてくれた。 そこには、自然のなかに堆積された悠久の時があった。>

<星野ほど自然を丸ごとらえることのできた写真家は、そうはいないだろう。 広大なツンドラと山々の風景のなかで小さな点景でしかないグリズリーの写真は、クローズアップで体の細部までとらえた写真よりも、グリズリーについてはるかに多くを語っている。>

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月 1日 (水)

【読】勢古さんの中島みゆき論

勢古浩爾さんの本はずいぶん読んだけれど、この本はなかなか手に入らず、ずっと気になっていた。
Amazonで入手。
楽しみな本が、また一冊増えた。

Seko_miyuki_2『中島みゆき・あらかじめ喪われた愛』
 勢古浩爾  宝島社 1994/2/15発行
 219ページ 1700円(税込) 絶版

― 帯より ―
<中島みゆきの「歌」の強さは、喪愛における哀しみが、あたかも暗闇のなかに閃光を放って世界を一瞬の白光のもとに照らしだすかのように、有頂天で無邪気な愛以上に「愛」の意味と強さを逆説的に明示していることにある。 そのとき同時に鮮やかな陰影のもとに浮き彫りにされるのは、その世界のなかに投企した「ひとりの女」の立ち姿である。>

うーん。
このような持って回った文章は好きではないが、それでも興味津津なのは、勢古さんが中島みゆきをどのように論じているかという一点。
上に引用した部分は勢古さんらしからぬ文章ではあるが、中島みゆきに対する思い入れの強さは伝わってくる。

いろんな人たちが、この偉大な歌い手を論じている。
たとえば、呉智英(くれ・ともふさ)さんは、『バカにつける薬』(双葉文庫)という強烈なタイトルの本のなかで、「中島みゆきは中山みきである」と言いきって、中島みゆきを熱く語っている。
呉さんもまた、中島みゆきの熱烈なファンのひとりである。
「中山みき」とは、あの天理教の教祖。

その冒頭部分。
<中島みゆきは中山みきである! これが私の中島みゆき論だ。 中島みゆきには、時代思潮の転換期にあって新興宗教天理教を成立させた中山みきを想起させる。 時代に屹立した精神がある。 しかし、一般には、中島みゆきという類いまれな才能は、完全な無理解や誤解の中にある。……>

たしかに、中島みゆきは熱烈なファンにとって教祖的な存在と言えるし、実際に「教祖」と(なかば冗談で)呼ぶファンもいるらしい。

私もまた、中島みゆきを敬愛し、同時代の歌い手として注目を続けてきた。
私にとっての中島みゆきの魅力をひとことで言うと、「強さ」だ。

音楽は論じるものではない、という意見もあるだろうが、私はそうは思わない。
どんな事象でも、論理的にとらえることは大切だと思うのだ。
ただし、すぐれた音楽は、ちゃちな音楽論をはるかに超えた次元にあることもたしかだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年6月28日 (日)

【読】星野道夫さんをめぐって

『デルスウ・ウザーラ』、『ベア・アタックス』 と、星野道夫さんをめぐる読書がしばらく続きそうな気がする。

Hoshino_coyote_no2_2「Coyote No.2 特集 星野道夫の冒険」 2004年10月

この中に、ブックガイド 「冒険に向かう二〇冊の本」 というすてきな特集がある。
星野さんが愛読した本、あるいは、星野さんに縁の深い本が二十冊、きれいなイラスト付きで紹介されている。
アルセーニエフの 『デルスウ・ウザーラ』 もその一つだ。

その二十冊の中の一冊が図書館にあったので、借りてきた。




Kanaseki_oral_poetry『魔法としての言葉 アメリカ・インディアンの口承詩』
  ― Oral Poetry of the American Indians ―
 金関寿夫(かなせき・ひさお)
 思潮社 1988/5/1発行 250ページ 1800円(税別)

別の本を読んでいるのですぐには手がつけられないが、はじめの方をパラパラと読んでみた。
いい本である。
星野さんは、写真集のなかでこの本に収録されているエスキモー族の口承詩を引用しているという。
(私も読んだ憶えがあるが、Coyoteの記事によれば 『アークティック・オデッセイ――遥かなる極北の記憶』 )


魔法のことば  (エスキモー族)

 ずっと、ずっと大昔
 人と動物がともにこの世に住んでいたとき
 なりたいと思えば人が動物になれたし
 動物が人にもなれた。
 だから時には人だったり、時には動物だったり、互に区別はなかったのだ。
 そしてみんながおなじことばをしゃべっていた。
 その時ことばは、みな魔法のことばで、
 人の頭は、不思議な力をもっていた。
 ぐうぜん口をついて出たことばが、
 不思議な結果をおこすことがあった。
 ことばは急に生命(いのち)をもちだし
 人が望んだことがほんとにおこった――
 したいことを、ただ口にして言えばよかった。
 なぜそんなことができたのか
 だれにも説明できなかった。
 世界はただ、そういうふうになっていたのだ。

  (本書 P.56-57)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【読】読書日誌 2009年上半期

6月も残すところあと二日。
今年は、一年間に100冊読もうと目標をたてた。
たんなる目安ではあるが、それぐらいのペースで読もうと思ったのだ。

今年も半分になるので、リストアップしておこうと思う。
自分のための記録である。

最後の49冊目は、現在進行中。

今年出会ったのは、高野秀行さんと、内澤旬子さん。
服部文祥さんという魅力的な人に出会うこともできた。
読みたい本はたくさんあるけれど、今の生活スタイルの中で読めるのはこれぐらいなんだろうな。

Hattori_survival_climberUchizawa_sekai_tochiku_kikou_2Takano_kaijuuki_3_2『サバイバル登山家』
 服部文祥 みすず書房
 ※未読
『世界屠畜紀行』
 内澤旬子 解放出版社
『怪獣記』
 高野秀行 講談社





1月
宮部みゆき 『あやし』 角川文庫
山田順子 『なぜ、江戸の庶民は時間に正確だったのか?』 実業之日本社
水木しげる 『猫楠』 角川文庫
水木しげる 『水木しげるのラバウル戦記』 ちくま文庫
石川直樹 『いま生きているという冒険』 理論社
水木しげる 『コミック昭和史①』 講談社文庫
船戸与一 『満州国演義1』 新潮社
船戸与一 『満州国演義2』 新潮社

2月
船戸与一 『満州国演義3』 新潮社
船戸与一 『満州国演義4』 新潮社
上笙一郎(かみ・しょういちろう) 『満蒙開拓青少年義勇軍』 中公新書
船戸与一 『満州国演義5』 新潮社
平岡正明 『日本人は中国で何をしたか』 潮文庫
平岡正明 『石原莞爾試論』 白川書院

3月
朝日新聞山形支局 『聞き書き ある憲兵の記録』 朝日文庫
澤地久枝 『わたしが生きた昭和』 岩波現代文庫
澤地久枝 『もういとつの満州』 文藝春秋社
赤塚不二夫 『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝』 文春文庫
野島博之 『謎とき 日本近現代史』 講談社現代新書
森史朗 『松本清張への召集令状』 文春新書
高野秀行 『ミャンマーの柳生一族』 集英社文庫
船戸与一 『河畔に標なく』 集英社(2006年)
高野秀行 『アヘン王国潜入記』 集英社文庫

4月
高野秀行 『世界のシワに夢を見ろ!』 小学館文庫
高野秀行 『ワセダ三畳青春期』 集英社文庫
高野秀行 『幻獣ムベンベを追え』 集英社文庫
美しい日本の常識を再発見する会編 『日本人は桜のことを何も知らない』 学研
盛口満 『わっ、ゴキブリだ!』 どうぶつ社(2005年)
植松黎 『毒草を食べてみた』 文春新書
エマニュエル・ドンガラ/高野秀行訳 『世界が生まれた朝に』 小学館
高野秀行 『メモリークエスト』 幻冬舎
蔵前仁一 『ホテルアジアの眠れない夜』 凱風社
高野秀行 『異国トーキョー漂流記』 集英社文庫
高野秀行 『怪しいシンドバッド』 集英社文庫

5月
高野秀行 『巨流アマゾンを遡れ!』 集英社文庫
高野秀行 『西南シルクロードは密林に消える』 講談社
高野秀行 『神に頼って走れ!』 集英社文庫
高野秀行 『怪魚ウモッカ格闘記』 集英社文庫
高野秀行 『辺境の旅はゾウにかぎる』 本の雑誌社
高橋秀実(たかはし・ひでみね) 『素晴らしきラジオ体操』 小学館文庫
斉藤政喜/内澤旬子(イラスト) 『東方見便録』 小学館(1998年)

6月
内澤旬子 『世界屠畜紀行』 解放出版社(2007年)
斉藤政喜/内澤旬子(イラスト) 『東京見便録』 小学館(2009年)
高野秀行 『怪獣記』 講談社(2007年)
服部文祥 『サバイバル!』 ちくま新書(2008年)
アルセーニエフ/長谷川四郎訳 『デルスウ・ウザーラ』 東洋文庫(1965年)
内澤旬子 『おやじがき』 にんげん出版(2008年)
平岡泰博 『虎山(こざん)へ』 集英社(2003年)
スティーヴン・ヘレロ 『ベア・アタックス I』 北海道大学図書刊行会(2000年)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月25日 (木)

【読】朝、一時間の読書タイム

朝、体調の良いとき、最寄りの国分寺駅ではなく、ひとつ新宿よりの武蔵小金井駅から始発電車に乗る。
電車が到着するまでホームに行列して待たなければいけないが、早めに行けば必ず座れる。
総武線各駅停車で、錦糸町駅までたっぷり一時間。
途中で居眠りしてしまうこともあるが、ゆっくり本が読める「読書室」のようなものだ。

今朝は、この電車の中で平岡泰博著 『虎山へ』 (集英社)を読了。

Hiraoka_kozan『虎山(こざん)へ』 平岡泰博 著 集英社
 2003/11/22発行 262ページ 1600円(税別)

ひさしぶりに、さわやかな本に出会ったと思う。
著者の平岡さんは、関西テレビの映像カメラマンだった。
沿海州に住むシベリヤタイガーを追う番組の取材で、この広大な地域を苦労して歩きまわる。

<1996年7月24日午後、ロシア沿海地方(プリモルスキー)の州都ウラジオストクを出発した僕らは、沿海地方中部にあるシホテ・アリニ自然保護区を目指した。 七百キロの旅。 車は二台。 一行は自然保護区の山中に住むシベリアトラを追跡し、撮影しようというテレビチームである。>

平岡さんとコンビを組む、地元のレンジャーである、ヴィーチャという男が魅力的だ。

<その夜、僕らは一人の男に会った。
一メートル九十、百キロはあろうかという大男だ。 がっしり引き締まり、均整のとれた四十半ばの男である。 鳶色の瞳と黒髪。 頬のひげは青々と剃られている。>

ヴィクトル・ヴォローニン(愛称ヴィーチャ)は、1951年、ウクライナ生まれ。
なんと、私と同い年だ。
「黒海沿岸のステップ(草原地帯)で少年時代を過ごし」、「大自然のなかで、ノロ(シカの一種)やノウサギを友とする孤独な子供」だった。
レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)の美術学校に入って画家への道を目指したが、挫折。
シベリア鉄道に乗って極東に向かい、故郷を遠く離れたこの地で二十年間、レンジャーとして過ごしている。

彼の自然に対する感覚は、あたかも、百年前のデルスウ・ウザーラのようだ。
地元のレンジャーたちでもめったに遭遇できない、シベリアタイガーに出会い、映像に収めることができたのも、このヴィーチャの力によるものだった。


映像カメラマンらしい細やかな観察と、広大な自然の描写がすばらしい。
「凍寒(マローズ、とルビをふっている)」という言葉が、頻繁にでてくる。
著者とヴィーチャが虎に出会うことができたのは、11月29日だった。


さて、往路の電車の中で、持っていった本を読んでしまったので、もう一冊、念のために鞄に入れていた本にとりかかった。
ずいぶん前に買って、なかなか手をつけられなかった二巻ものだ。


Bear_attacks_1『ベア・アタックス』 スティーヴン・ヘレロ 著
 嶋田みどり・大山卓悠(たかはる) 訳
 北海道大学図書刊行会 2000/9/20発行
 全二巻 各2400円(税別)

 BEAR ATTACKS
  Their Causes and Avoidance
 Stephen Herrero  1985

星野道夫さんが亡くなる前にアメリカで出版されていた本。
星野さんの書斎にも残されていたという(彼が読んだかどうかは不明)。

日本語版刊行にあたって、著者みずから補章を書き下ろし、「日本語版によせて」という巻頭の文章で、次のように星野さんを偲んでいる。

<1996年、極東ロシアのさらに遠隔の地カムチャツカ半島の南端で、私にとっては世界最高の写真家だった男、〝星野道夫〟がヒグマに殺された。 星野道夫氏はそのユニークな才能で、アラスカの広大なツンドラや沿岸地方の自然構成物のひとつとして、野生のクマをとらえた。 彼の写真からは、クマや、クマが生きる野生のままの自然環境への深い理解が伝わってくる。 およそ20年間にわたって、彼は毎年何ヵ月も自然のなかで暮らし、グリズリー(ヒグマ)やムース(ヘラジカ)のような危険を秘めた動物にそっと近づき、事故に遭うこともなく、優れた写真を撮りつづけた。 彼がこれらの動物たちをよく知り、理解していたからできたことだ。
 その彼が、なぜクマに殺されたか? その答は、悲しいことに、星野氏を殺したクマは、彼が愛した、まだ人間によってそこなわれていない野生のクマではなかったということだ。 (以下略)>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月23日 (火)

【読】魅力的な本を手に入れた

ずっと前にこのブログに書いた記事に、トラックバックがついた。
(「最近のトラックバック」をご参照ください)

どういう方か存じあげないけれど、私の記事を読んでくださったのはうれしいことだ。
トラックバックをつけていただいた私のブログの記事は、これ。

2008年4月29日 【楽】きょうだい心中
 http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_677a.html

山崎ハコさんの歌 「きょうだい心中」 から南方熊楠の話に飛ぶ、とりとめのない内容。

このなかで、西川照子さんという人のことを書いたが、私はこの人の著作を読んだことがなかった。
トラックバックをつけてくださった方のブログ記事に、西川さんの本のことが書かれていた。
私が、西川照子さんの略歴で引用した中にあった 『神々の赤い花』 という、魅惑的なタイトルの本だ。

あらためて興味ぶかく思い、運よく図書館にあったので予約して借りてきた。
と同時に、手もとに置きたくなり、amazonで古本をみつけて発注、手に入れた。
(こういうことが私にはよくある)

Nishikawa_kamigami_no_akaihana『神々の赤い花 ―人 植物 民俗―』
 西川照子  平凡社 1990/5/25発行
 330ページ 2680円(税込)

表紙はヤケがめだつが、中はきれいな本。
900円だった(送料別)。

第一章 「薔薇――赤い花の記憶」 の一部を読んでみたが、とても刺激的な内容だ。
この章のタイトルを拾ってみると――「赤い花の記憶」「幻想の赤いバラ」「リルケの薔薇」「三島由紀夫の薔薇」「紀貫之のそうび」――といったぐあい。

高踏的な内容かと思いきや、もともとが『さつき盆栽』『近代盆栽』という園芸雑誌に掲載された文章ということもあり、読みやすく親しみがもてる。
ただし、この人の博識ぶりはすごい。

いつも書くことだが、本との出会いは不思議なものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月21日 (日)

【読】読了 『デルスウ・ウザーラ』

とうとう読みおえた。
しんどかったな。
こういう本を通勤電車の中でこま切れに読みつづけるのはつらい。
ある程度の集中が必要な本だから。

最後の100ページは、週末にまとめて読むことができた。
おかげで、いい印象が残った。

Derusuu_uzara『デルスウ・ウザーラ 沿海州探検行』
 ウラディーミル・クラウディエヴィチ・アルセーニエフ 著
 長谷川四郎 訳
 平凡社 東洋文庫 55
 1965/11/10初版第1刷 / 2004/1/27初版第18刷

アルセーニエフは、1872年に生まれ1930年に亡くなったロシア極東地域の探検家。
1906年以後、ウスリー地方を調査旅行して記録を残している。
本書は、1907年春から翌年1月にかけて、ほとんど徒歩で沿海州南部を探検した記録。
冬には氷点下三十数度にもなる、過酷な土地である。
まさに、探検と呼ぶにふさわしい。

アルセーニエフは、デルスウ・ウザーラという名のゴリド族(ナナイ族)の男を同行した。
この探検隊のいわばガイド役である。
デルスウは「天然痘で身内のものをみんな失い、一人で狩猟をして生計をたてている、ずんぐりした六十歳ちかい男」 (巻末、長谷川四郎による解説)。

<彼は出会いの当初からアルセーニエフをひきつけた。 以来、彼はアルセーニエフの道案内となり、また、密林(タイガ)における生活方法の教師となった。> (同解説)

エスキモーやアイヌの古老をおもわせる、魅力的な人物である。
デルスウは古老と呼ぶほど老いてはいないが(58歳だと自称している箇所がある)、独自の世界観をもっている。

星野道夫さんがこの本を愛読したというのも、そんなデルスウに代表される 「土地の人々」 の魅力によるところが大きかったのだろう、と思う。
それに、舞台となっている自然生態がアラスカに通じるところもある。

アラスカではムースと呼ばれているヘラジカが、沿海州のあちこちにいる。
ネットで調べてみると、ヘラジカの世界的な分布は、ヨーロッパ北部からシベリア、中国大陸東北部、北アメリカ大陸の北部と、ちょうど帯状に広がっていることがわかる。

私にとって馴染みのある動植物もたくさん登場して、嬉しかった。
ワタリガラス、ライチョウ、シマフクロウ、といった鳥たち。
コケモモ、クロマメノキなどは、八ヶ岳の山の上でよくみかけたものだ。
オンコ(イチイ)やナナカマドも懐かしい。


長谷川四郎の訳文もいいのだろう。
美しい描写が随所にある。

<晩の十時にユルタを出て、私は思わず空に心をひかれた。 空気の特別の清澄さのためか、それとも、何かべつの原因によってか、星の光がいつもより大きく明るくみえ、そのため空は地上より明るかった。 近くの山々の輪郭やエゾマツの木のとがった頂きはくっきりとみえたが、下のほうはすべて暗黒の中に沈んでいた。 定かでない、ほとんど耳にとらえられない音が眠れる大気をみたしていた。 夜の鳥のとぶ音、枝から枝へおちる雪、枯草にゆらぐ軽い微風のさらさらいう音――これらすべてが一つになっても、自然をみたしている大きな静寂を破ることはできなかった。> (二十一 冬の祭日 P.266)

この物語の結末は悲しい。
黒澤明監督による日ソ合作の映画(1975年)を観ていない私は、悲劇的な結末を知らなかったから、なおさら印象的だったのかもしれない。

<デルスウの墓、とける雪、とんで日没には死ぬだろうチョウ、さらさら音たてる小川、いかめしい静かな森……すべては語っていた――、絶対的な死は存在しない。 相対的な死があるだけだ。 そして地上における生の法則が同時にまた死の法則である、と。> (二十四 デルスウの死 P.303)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

【読】沿海州、シベリアタイガー

『デルスウ・ウザーラ』 (アルセーニエフ著、長谷川四郎訳、東洋文庫) を読んでいて、沿海州と呼ばれる地域(サハリン、北海道のすぐ隣りなのだ)に興味がわいた。
市販の世界地図などでは、詳しい地名がさっぱりわからない。
『デルスウ・ウザーラ』(東洋文庫)の巻末に簡単な地図が付いているのだが、アルセーニエフ一行の足跡がピンとこないために、イメージがわかないのだ。

図書館に予約していた本を受けとりに行ったついでに、館内端末を使って 「沿海州」 のキーワードで検索してみたら、こういう本がみつかった。
さいわい、この喜平図書館に所蔵しているものだったので、借りてきた。

Hiraoka_kozan『虎山(こざん)へ』 平岡泰博 著
 集英社 2003/11/22発行
 262ページ 1600円(税別)

e-honサイト
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031210830&Action_id=121&Sza_id=C0

読まれた形跡のない、きれいな本だ。
(しおりの紐が折りたたんだままだ)

アルセーニエフの 『デルスウ・ウザーラ』 は、今から百年前の探検記だが、この本はまさに現代の「沿海州」(シホテ・アリニ山脈の東側)が舞台。
『デルスウ・ウザーラ』に描かれている世界に重なる。
「虎山」(こざん)も、アルセーニエフの本に出てくる、デルスウが虎に語りかけた場所の地名だ。

百年前のアルセーニエフ一行が徒歩で苦労したのに対し、こちらは車での移動ではあるが、「沿海地方(プリモルスキー)」と呼ばれるこの地方の厳しさは変わらないようだ。

楽しみな本である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月19日 (金)

【読】おやじがき(内澤旬子)

一週間前から読んでいる 『デルスウ・ウザーラ』 が、なかなか手ごわい。
面白いのだが、動植物や鉱物の名前、地名(どれもカタカナ語)がたくさんでてきて、つまりは、情報量が多いわりにはイメージがわかない部分が多く、疲れる。
せめて、詳細な現地地図がついているといいのに、と思う。

それでも、後半にさしかかり、沿海州の探検行も佳境にはいってきたので、だんだん入り込めるようになってきた。
無事に読み終わったら、感想文を書こう。

さて、そんな厳しい読書生活の気分転換に、こんな軽~い本を読んだ。
20分もあれば読みおえてしまうような軽さがいい。

Uchizawa_oyajigaki『おやじがき』  内澤旬子 (絵と文)
  にんげん出版  2008/12/1発行
  82ページ  1300円(税別)

ちょっと割高感のある本だが、内澤さんの絵と文章がいい。
「絶滅危惧種」「中年男性圖鑑」とサブタイトルにあるように、巷に生息する(内澤さんが電車の中や街でみかけた)おやじたちの肖像である。

身につまされるところも多いけれど、腹をかかえて笑ってしまう。
そうそう、こういうおやじって、いるよな。
ほら、そこにも、ここにも。


<現代の人物絵師・内澤旬子が電車で、喫茶店で、路上で遭遇した哀しくも愛らしい「おやじ」の観察記録>
<すだれ、耳毛、肉だまり、大あくび……カレセン幻想を抱いている女子は、この本でリアルなおやじの姿を正視された方が良いでしょう/男は枯れるのではなく、煮詰まってゆく……濃厚なおやじ汁が余白から滴っています  辛酸なめ子(漫画家、コラムニスト)> (本書帯)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月14日 (日)

【読】デルスウ・ウザーラ

ずっと気になっていた本を読もうと思いたち、きのうから少しずつ読みはじめた。
活字が小さいのがつらいけれど、描かれている世界は広くて深い。

Derusu_uzara『デルスウ・ウザーラ 沿海州探検行』
 アルセーニエフ 著/長谷川四郎 訳
 平凡社 東洋文庫 55
 1965/11/10 初版第1刷
 2004/1/27 初版第18刷
 314ページ 2400円(税別)

黒沢明監督の映画で有名になったが、長谷川四郎が戦前(1943年)、南満州鉄道会社調査部に勤めていた時に翻訳した、古典的な名著である。

私がこの本を読んでみようと思いたったのは、星野道夫さんの愛読書だったことを知ってからだった。
手に入れたものの、これまでなかなか読めないでいた。

【過去記事】
 【読】星野道夫さんの本棚(続) 2008/7/2
  http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_1476.html


Hoshino_coyote_no2「Coyote 第2号」 スイッチ・パブリッシング 2004/10/8発行
 特集 星野道夫の冒険
  ― ぼくはこのような本を読んで旅にでかけた。 ―

星野さんは、この本を擦りきれるまで愛読したという。
この雑誌には、星野さんの文章が引用されている(出典は書かれておらず、私も星野さんのどの本からなのかすぐにはわからないが)。

<夜になると(太陽は沈まないが)、川岸から集めてきた流木で焚火をした。……焚火は一人でいるときの最良の友だちだ。 火を見つめていると、時間が経つのを忘れてしまう。 火のそばに寝ころびながら、灰だらけのコーヒーをすする。 そして、もう何度読み返したかわからないアルセーニエフの『デルスウ・ウザーラ』のページを繰っていると、これほどぜいたくな時間はほかにないだろうと思われる。>

星野さんのアラスカの家の書斎には、ボロボロになったこの本を改めて装幀しなおしたものが残されていたそうだ。
「Coyote」の特集には、星野さんの愛した本が挿画(赤井稚佳)で載っていて、こういう本なら読んでみたいなと思ったものだ。
(Coyote 第2号 P.52)

一年ちかく本棚で眠っていたこの本を引っぱりだしてきたのは、服部文祥さんの本 『サバイバル!』(ちくま新書)に刺激され、私のなかに埋もれていた「自然への欲求」のようなものが目をさましたせいだろうか。

Hattori_survival_2_2『サバイバル!』
 服部文祥 ちくま新書

第二章「サバイバル実践」 冒頭(P.67)に、『デルスウ・ウザーラ』の一節が引用されている。

 「わし、こう、見て、思う――空気、軽くて、重くない」 ゴリド人は息をして、自分の胸をゆびさした。
 彼はすっかり自然といっしょに生活していて、自分の体そのもので生れながらに天気の変化を予感できたのである。
 (ウラジミール・アルセーニエフ 『デルスウ・ウザーラ』)

服部文祥さんも、この本を愛読したのだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年6月13日 (土)

【読】サバイバル登山 (続)

通勤電車・バスの中で、二日間で読みきった。
後味のいい本だった。

第一章 登山からサバイバルへ
第二章 サバイバル実践 ――日本海から上高地へ
第三章 サバイバルの方法論
第四章 サバイバル思想

私には、第二章、北陸本線「青海」(おうみ)駅から上高地まで、徒歩で北アルプスを縦断した12日間の記録がたまらなく面白かった。
登山道をたどるのではなく、道がないと仮定して、渓谷づたいに歩き続ける、まさに「サバイバル登山」である。
食料は現地調達(岩魚を釣り、山菜を採る)、焚き火、野宿。
沢登りのバリエーションと言えなくもないが、現地調達が基本だから、渓流釣りで動物性蛋白質を現地で手に入れるスタイルになる。
笑ってしまうようなユーモラスなエピソードがあちこちにあって、ほんと、面白かったな。

読むまえに私は勝手に、もっと原始的な山歩きかと思っていたが、必要最小限の装備は持っている。
雨露をしのぐためのタープと寝袋といった「近代装備」を使っていることも意外だったが、その理由も第三章に詳しく書かれていて納得できた。
道具の大切さがよくわかる。

私にはとうてい真似のできない山行スタイルだが、山恋しさが募ってくる内容だった。

星野道夫さんのことに、さりげなく触れているあたり、ああ、この人も星野さんが好きだったんだなあと、嬉しくなった。

Hattori_survival_2_3『サバイバル! ――人はズルなしで生きられるのか』
 服部文祥  ちくま新書 751
 2008/11/10発行  254ページ 760円(税別)

<このサバイバル山行記に何度も出てくるゲストという言葉。「お客さん」。ズルしないで登る、ズルしないで生きる。それは自分が人生の主になれるか、ということだと思う。 現代の日本で普通に生きていたら、お客さんにならないで過ごすのは難しい。 おおよそのことはお金を払えば解決し、いくつかのことはお金を払わなければ解決しない。 毎日のように乗客、買い物客、食事客、患者などなど、気がつくとわれわれはさまざまなお客さんをやらされている。 人生はお金を払えばそのまま進んでいく。 人生はお金を払えばそのまま進んでいく。 今は、お金を稼いで、お客さんをするのがわれわれの世界のサバイバルなのだ。>

<本来自分ですべきサバイバルの主要事項「衣・移・食・住・治」を金銭で解決するわれわれ都市生活者は、気づかないうちに悲しい卑怯者をやらされているのではないだろうか。> (本書 P.138-139)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月11日 (木)

【読】サバイバル登山

Takano_kaijuuki高野秀行さんの 『怪獣記』 は昨日読了。
クルド民族のことが詳しく書かれていて、興味ぶかかった。
ジャノワールと呼ばれるUMAを探索しに行った場所、トルコのワン湖一帯は、クルド民族の居住地ということだ。

さあ、次に何を読もうか、と迷って、今朝出がけに決めたのが服部文祥(はっとり・ぶんしょう)さんという人が書いた 『サバイバル!』 という新書だ。
これまた高野さんが  『辺境の旅はゾウに限る』 (本の雑誌社 2008年)掲載の書評でとりあげていた著者の本である。
高野さんが書評でとりあげていたのは 『サバイバル登山家』(みすず書房)だが、これはいずれ入手予定。
図書館から借りようかとも思ったのだが、ずっと貸出中だし、いっそ手元に置きたいと思うほど魅力的な本だから。


今日から読んでいるのがこれ。

Hattori_survival_2_4『サバイバル! ――人はズルなしで生きられるのか』
 服部文祥(はっとり・ぶんしょう)  ちくま新書
 2008/11/10発行  254ページ 760円(税別)

著者はこういう人だ(同書カバーの著者略歴)。
服部文祥(はっとり・ぶんしょう)
サバイバル登山家。1969年横浜市生まれ。
94年に東京都立大学文学部フランス文学科とワンダーフォーゲル部を卒業。
96年にカラコルム・K2(8611m)登頂。
デビュー作 『サバイバル登山家』(みすず書房)でスポーツ・ノンフィクションの新たな地平を拓き、脚光を浴びる。
現在は、東京新聞出版局の「岳人」編集員。
三児の父。

「フランス文学科とワンダーフォーゲル部を卒業」というのが何やら可笑しく、「三児の父」というのも、ほのぼのしていて良いが、この人のやっていることはすごい。

<日本海から上高地へ。200kmの山塊を、たった独りで縦断する。持参する食料は米と調味料だけ。岩魚を釣り、山菜を採り、蛇やカエルを喰らう。焚火で調理し、月の下で眠り、死を隣りに感じながら、山や渓谷を越えてゆく――。生きることを命がけで考えるクライマーは、極限で何を思うのか?……> (本書カバー裏)

出版人だけあって、文章がとてもいい。
自分を客観視でき、ユーモアのセンスもあって、読んでいてほんとうに気持のいい本だ。

なによりも、私が長らく忘れていた山の空気が感じられて、うれしくなる。
もちろん、この人のように極限的な山歩きは私にはできないけれど、わたしもかつて 「登山者」 のはしくれだった。
(事実上、現役をなかば引退してしまっているのが悲しいが……)
著者の心意気はとてもよくわかる。

<現在、山には三種類の人間がいるといわれている。登山客、登山者、登山家である。 登山客とは山岳ガイドの客、山小屋の客、場所は山だけどやっていることは観光客、を指す。 連れてきてもらっている人々、登山の要素の多くを他人任せにしている人々のことだ。>

――と、なかなか手厳しいが、私も同じことを感じる。

<登山者とは山にまつわるできる限りの要素を自分たちで行ない、その内容にも自分で責任を持つ人々のことである。 自分で何もかも行なうというのは面倒くさい。 だが、真の自由とは自立のなかにしか存在しない。 登山者とは自立した自由なる精神を、そのリスクを含めて知っている人のことである。 登山家は登山者のなかでも登山関係で生活の糧を得ていたり、登山の頻度と内容からして、人生のほとんどを登山に賭けてしまっているような人のことをいう。>

<登山者も登山家も夏の北アルプスでは絶滅危惧種だ。……> (本書 P.89)


私も、できることなら 「登山客」 ではなく、「登山者」 としての心意気を持ち続けたいと思う。

今日一日で100ページほど読めた。
快調。
こういう本を、満員の通勤電車という自然からもっとも遠い最悪の場所で読んでいると、救われる気がする。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年6月 9日 (火)

【読】高野ワールドに戻る

内澤旬子さんがらみの本を読みおえて、高野秀行さんの本を今日から読んでいる。

Takano_kaijuuki_2『怪獣記』 高野秀行/(写真)森 清
 講談社 2007/7/17発行
 281ページ 1500円(税別)

今日一日で半分ほど読んでしまった。
高野さんの 「UMA(Unidentified Mysterious Animal 未確認不思議動物)」 探索ものの中で、これは最高に面白い部類にはいると思う。

どうでもいいけど、この本、使われている紙が立派すぎて(分厚い上質紙)、重い。
この旅に同行した写真家、森 清さんの写真が美しい。
(森さんは、高野さんの 『西南シルクロードは密林に消える』 のときにも同行している)

トルコへ行ってみたくなくなる、そんな気にさせる写真がたくさん載っている。
森さんの写真を見ていると、写真という表現手段でたいせつなのは、「いかに切り捨てるか(写さないか)」 ということなんだと思い知らされる。

(本書の帯をはずしたカバー)
Takano_kaijuuki_2_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 7日 (日)

【読】雲取山の公衆便所

内澤旬子さんの 『世界屠畜紀行』 (解放出版社 2007年)を読みおえて、斉藤政喜・内澤旬子コンビによる 『東方見便録』 の続編、『東京見便録』 (文藝春秋 2009年) を読んでいる。

Saitoh_tokyo_kenbenroku『東京見便録』
 斉藤政喜(文)・内澤旬子(イラスト)
 文藝春秋 2009/3/15発行
 174ページ 1429円(税別)

前作 『東方見便録』 ほどのワイルドさはないが、身近な東京都内のトイレ事情が興味ぶかい。
たとえば、二子玉川駅から徒歩20分の場所にある「岡本公園民家園」の古民家の厠(かわや)など、行ってみたくなるほど魅力的だ。

まだ読みはじめたばかりなのだが、第二章「現役ですッ」に、雲取山山頂の公衆便所が紹介されていて、懐かしい。

東京都の最高峰 雲取山(くもとりやま・2017m)の山頂には、立派な避難小屋が建っていて、その横に公衆便所がある。
私の記憶にあるのは古いときのものらしく、避難小屋の改築後に公衆便所も改築されたのかもしれない。
展望のいい場所である。
水場こそないが(北側の雲取山荘の水場まで下って汲んでくる)、山頂の立派な避難小屋には私も泊まったことがある。

 ※当時の避難小屋の写真がどこかにあるはずだが、
  探しだすことはむずかしく(整理が悪いので)あきらめた。
  私のWebサイト(休眠状態だが)に、雲取山について書いたことがある。

  晴れときどき曇りのち温泉 > 山岳展望写真館
   http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/panorama.html


この本、例によって、内澤さんのイラストが楽しい。

雲取山、また登ってみたいなぁ……。

Saitoh_tokyo_kenbenroku_p45

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月31日 (日)

【読】「屠畜」ということ

内澤旬子さんがイラストを描いている 『東方見便録』 (斉藤政喜著/小学館)は、とても面白かった。
さきほど読了。

続いて、内澤さんじしんの文章とイラストによる、『世界屠畜紀行』 (解放出版社 2007年)にとりかかる。

Uchizawa_sekai_tochiku_kikou『世界屠畜紀行』 内澤旬子
 解放出版社 2007/2/10発行
 367ページ 2200円(税別)

「屠畜」 とは耳慣れない言葉だが、「屠殺」 を使わなかった理由を内澤さんはこう書いている(まえがき)。

<生きた動物を肉にするには、当然殺すという工程が含まれるのだけど、殺すということばにつきまとうネガティブなイメージが好きでなかったことと、…(略)…なによりも殺すところは工程のほんのはじめの一部分でしかない。そこからさまざまな過程があって、やっと肉となる。そう、ただ殺しただけでは肉にならないのだということを、わかってもらいたくて……>

この 「屠畜」 という言葉の由来は、「案外古く、明治期の専門書にはすでに登場している」 のだそうで、これを機会に 「屠畜」 という言葉が広まればいいな、と内澤さんは思っているという。

彼女がなぜこういう紀行を思いたったのか。
それは、モンゴル、中部ゴビの大草原に点在するゲル(遊牧民のテント)に滞在していたとき、ゲルの脇で夕食のもてなしのために、女性が数人がかりで羊の内臓を洗っていたのを見て、衝撃を受けたことからだという。

<血で赤く染まった鍋に浮かぶ長い腸を見てぐわんと衝撃を受けた。すごい! これをこれから食べるんだ。そうだよな。肉って血が滴るものなんだよな。グロテスクだとか、羊がかわいそうだとか、そんなところまでまったく気が回らなかった。>

この内澤さんという若い女性が(1967年生まれ)、斉藤政喜さん言うところの 「タフな女性」 だと私も思うのは、次のような部分だ。

<なによりもその辺を走っている羊が、鍋にちゃぷちゃぷ浮かぶ内臓や肉になるまでの過程を見損なってしまったことが悔しくてたまらない。どうやるのかな、羊の中身ってどうなってんのかな。肉ってどうついてんのかな。頭の中はもうそれだけでいっぱい。>

そして、いつも肉を食べているのに、これまでは 「肉になるまで」 のことをまるで考えたことがなかったのは、なぜなんだろう、と考える。

<日本の屠畜についての本はほとんどなかった。肉になるまでの過程について、まるでなにも想像してほしくないかのようだった。>


ここでひとつ、屠畜に携わる人々への 「差別」 という問題がある。
これについては、次のように書いている。すごい。

<このような状況は、日本でこの仕事にかかわる人々がずっと昔から差別を受けてきたことと、深く関係してるんだということはわかっていた。差別発言や嫌がらせを恐れる人が多いため、作業中の顔が映ったり写真や映像を公に出すことが非常にむずかしいのだということも。>

<けれども、日本人が肉をおおっぴらに食べられるようになって、もう150年も経ってるんだもの。いい加減、忌まわしいだの穢らわしいだの思う人も減って、私のようにどうやって肉を捌いているのか、単純に知りたいと思う人も、それなりに増えてるんじゃないだろうか。>

<第一この忌まわしいだの穢らわしいだのという、食べものに似つかわしくないくらい感情って、日本以外の国や地域の人たちも持ってるものなんだろうか。もっとあっけらかんとやっている国もたくさんあるはず。彼らと私たちではなにがどう違うんだろう。>


ということで、内澤さんの 「世界屠畜紀行」 につきあってみようと思う。
私も、日頃じぶんが口にしている畜肉が、どうやって私のもとまで来るのか知りたいという欲求を強く持っていた。
屠畜をタブー視したり、考えようとしない(見ないふりをする、見せない)この国の人々(私もその一員だが)のありようにも、強い不満があった。

この人は、あっけらかんとしていて、でも、芯の強い、精神的にタフな人だと思うので、なかなか楽しみなのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月30日 (土)

【読】楽しみにしていた本が届いた

楽しみにしていた本が、今日、書店に届いたので受けとってきた。
よく利用する 「e-hon」 サイトで注文したもの。
注文してから一週間もかかったのは、マイナーな出版社だからだろうか。

Uchizawa_sekai_tochiku_kikou_2『世界屠畜紀行』 内澤旬子
 解放出版社 2007/2/10発行
 367ページ 2200円(税別)

 解放出版社ホームページ JINKEN BOOK
  http://www.kaihou-s.com/

先に紹介した高野秀行さんの 『辺境の旅はゾウにかぎる』 (本の雑誌社 2008年)で知った本だ。
高野さんと内澤さんの対談も掲載されていて、本書のことも話題になっていた。
内澤旬子さんの行動力には頭がさがる。

― 『辺境の旅はゾウにかぎる』 高野秀行・内澤旬子 対談 より ―

高野 そもそも屠畜の現場を取材したい気持ちがスパークしたのは、何がきっかけだったんですか。
内澤 最初は手製本から入ったんです。素材の一つである皮革に興味を持って、皮なめしの現場を取材しようとしたんですけどダメで。出口がダメなら入り口から攻めたらどうかと、原皮を供給する屠畜場を取材しようと考えたのが始まりです。


目次をざっとみると、韓国、バリ島、エジプト、イスラム世界、チェコ、モンゴル、それに沖縄、東京・芝浦屠場と、世界を股にかけた取材。

いま読んでいる 『東方見便録』 (斉藤政喜さんとの共著・小学館) でわかったことだが、内澤さんはじつに好奇心旺盛で、ものごとに偏見をもたない人である。
リクツ抜きに、まずじぶんの目で見て、体験して、それから考える、そういうタイプの好ましい人だと感じた。

ペーパーバックの軽い(内容ではなく重量が)本ながら、愛着のわく本の造りだ。
内澤さんのイラストがじつにいい(左の画像、表紙イラストもそうだ)。

楽しみな本である。



まったく関係ないけど、解放社のサイトにこんなタイトルの本があった。
いっちゃん
二宮由起子・文  村上康成・絵
 http://www.kaihou-s.com/book_data07/978-4-7592-2240-1.htm

『世界屠畜紀行』 はこちら
 http://www.kaihou-s.com/book_data07/978-4-7592-5133-3.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月29日 (金)

【読】「もの出す人々」から見たアジア考現学

昨日から読んでいる本のサブ・タイトルである。
「考現学」の字が、MS-IMEのかな漢字変換ではでてこない。
やはり造語なのだろうか。
南伸坊とか、あのあたりの人たちが言いだした言葉かもしれない。
(『ハリガミ考現学』 なんて本があって、私は好きだったが)

「もの出す人々」 とは、言いえて妙である。
椎名誠氏は、「くう、ねる、のむ、だす」 と言ったが、人間にとって基本的でたいせつなことなのだ。

Saitoh_toho_kenbenroku『東方見便録』
  ― 「もの出す人々」から見たアジア考現学 ―
 斉藤政喜(文)/内澤旬子(装幀、イラスト、本文レイアウト)
 小学館 1998年 302ページ 1500円(税別)

著者の斉藤政喜氏は、シェルパ斉藤というペンネームだった。
そこで思いだした。
ずっと前に、『シェルパ斉藤の行きあたりばっ旅』 というこの人の本を読んだことがあったのだ。
自称、バックパッパー。
八ヶ岳に自らの手で家を建てて住んでいるという。
(この本の中でも、八ヶ岳の家での排泄物処理について触れていて興味ぶかい)

斉藤氏の本文もさることながら、文をそえたイラストを描いている内澤さんが、とてもいい。
彼女の細密なイラストと文をコピーして、ここに載せたいぐらいだ。
この本のカバーに印刷されている澄まし顔の写真(美形である)からは考えられないほど、ユーモアがあり、大胆さを持ち合わせた旅慣れた人のようで、ファンになってしまいそうだ。
内澤さんについては、いずれあらためて書くこともあるだろう。


全部で八章からなる。
それぞれ、中国、サハリン、インドネシア、ネパール、インド、タイ、イラン、韓国と、アジア圏を二人で歩きまわって、ひたすらトイレ事情を見てまわるという、考えようによっては贅沢な旅。

アジアのトイレ事情は、ひと昔まえの日本の厠(かわや)を思いださせて、なにやらほっとする。
いまやシャワー付き水洗便所の便利さに慣れきって、すっかり堕落してしまったわが身が悲しくなる。
こどもの頃、田舎の便所は外にあって、木でつくられた簡単なものだった。
今でも古い山小屋などでは排泄物の行方とその後の処理方法が目に見えて、人間的とも言えるが、水洗便所でジャーっと流してしまっているようでは、じぶんの出したブツがどこへ行ってどう処理されるのか、その行方を思いやることもなくなってしまった……。


本書の各章の節タイトルには、「第1便」「第2便」……と振られていて、なにやらおかしい。
この「便」はあくまでも「ベン」と読むべし。

沢木耕太郎の名著 『深夜特急』(新潮社 1986年) は、「第一便 黄金宮殿」「第二便 ペルシャの風」「第三便 飛光よ、飛光よ」 (ビンである)というぐあいで、言ってみれば芥川賞的世界だが、こちらは、なんたって 「エンタメ・ノンフ」 、直木賞の世界である。

節のタイトルのいくつかを紹介しておこう。
これだけでも、この本の楽しさが伝わるのではないかと思うので。

(中国) 流しそうめんスライダー/上海特製簡易式トイレ/天安門広場に273の穴/薄暗がりに男の尻3つ/不思議便座と高齢化社会/焚き火式集団放尿の図……
(サハリン) 木製便座にアジアを見た/個室と美女とバケツと/北の和式便器は治外法権
(インドネシア) 水と左手で尻を洗う法/全方位開放トイレの恐怖/神の御許で排泄すれば/足元グラグラ止まり木式/ウンチリサイクルは魚で/黄色いウンチ魚を食う
(ネパール) ブタトイレを求める旅へ/思い出のあの白いウンチ/空港の女子トイレ潜入/枯れ葉トイレの安らぎ……


半分ほど読んだところ。
こういうノンフィクションはいいものだ。
電車通勤の友。


― e-honサイトより ―

斉藤 政喜 (サイトウ マサキ)        
1961年長野県生まれ。一人旅と野宿を愛するバックパッカー&作家。八ヶ岳山麓に自らの手で家を作り、田舎暮らしと旅暮らしの日々を過ごしている。著書に、「犬連れバックパッカー」(小学館)「野宿の達人、家をつくる」(地球丸)「シェルパ斉藤の行きあたりばっ旅」1~5(小学館文庫)など。
内沢 旬子 (ウチザワ ジュンコ)        
1967年神奈川県生まれ。東アフリカ、イスラム諸国を始め、各国の古本、装飾、様々な道具を収集して巡るイラストルポライター。共著に下川裕治編「アジア路地裏紀行」(徳間文庫)「遊牧民の建築術」(INAX出版)がある。

この本の文庫版はこちら
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000030808915&Action_id=121&Sza_id=Z2
東方見便録 「もの出す人々」から見たアジア考現学
文春文庫
斉藤政喜/著 内沢旬子/著
出版社名 文芸春秋
出版年月 2001年4月
ISBNコード 978-4-16-715717-3
(4-16-715717-9)
税込価格 630円
頁数・縦 429P 16cm
分類 文庫 /日本文学 /文春文庫
出荷の目安
入荷時にメールでご案内します


― Wikipediaより ―

考現学(こうげんがく、the study of modern social phenomena)とは、現代の社会現象を場所・時間を定めて組織的に調査・研究し、世相や風俗を分析・解説しようとする学問。考古学をもじってつくられた造語、モデルノロジー(modernology)。
考現学は、1927年(昭和2年)、今和次郎が提唱した学問である。今はそれまで柳田國男に師事し、民俗学研究の一環として民家研究などで業績を挙げていたが、本人の語るところによると考現学研究のため柳田に「破門」されたという。その研究のはじまりは、1923年(大正12年)の関東大震災後の東京の町を歩き、バラックをスケッチしたことからであった。
これを機に新しく都市風俗の観察の学問をはじめ、1925年(大正14年)には「銀座街風俗」の調査をおこなって雑誌『婦人公論』に発表した。「考現学」の提唱は、1927年の新宿紀伊国屋で「しらべもの(考現学)展覧会」を催した際のことであった。1930年(昭和5年)には『モデルノロジオ』が出版されている。今の提唱した「考現学」の発想から、生活学、風俗学、そして路上観察学などが生まれていった。

「考現学」関連図書
泉麻人『「お約束」考現学』ソフトバンククリエイティブ<SB文庫>、2006年
鷲田清一『てつがくを着て、まちを歩こう ファッション考現学』筑摩書房<ちくま学芸文庫>、2006年
辰巳渚『なぜ安アパートに住んでポルシェに乗るのか ミステリアス・マーケット考現学』光文社<Kobunsha paperbacks>、2004年
斉藤政喜・内沢旬子『東方見便録 「もの出す人々」から見たアジア考現学』文藝春秋<文春文庫>、2001年
江夏弘『お風呂考現学 日本人はいかにお湯となごんできたか』TOTO出版、1997年

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月28日 (木)

【読】エンタメ・ノンフの面白本

エンターテインメント・ノンフィクション、略して「エンタメ・ノンフ」。
ずいぶん思いきった略称だけれど、これは高野秀行さんの命名。
肩のこらない、ノンフィクション界のいわば直木賞対象となるような本を指す。


Takano_zou1高野秀行 『辺境の旅はゾウに限る』 (本の雑誌社 2008年)の中で、「エンタメ・ノンフ」の面白本がたくさん紹介されていたのを読んで、手にはいりやすいものを何冊か入手した。

どんな本が書評でとりあげられているか、すこし前に書いた。

 【読】この本が面白そうだ(書物を知る楽しさ)
  2009年5月23日
 http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-ee20.html

足(古本屋=BOOK OFF)とネット販売を駆使してあつめた本が、こんなにも。

 『素晴らしきラジオ体操』/高橋秀実 (小学館文庫)
 『魔境アジアお宝探索記』/島津法樹 (講談社+α文庫) ※続編も入手
 『秘境駅へ行こう!』/牛山隆信 (小学館文庫) ※続編も入手
 『KAMIKAZE神風』/石丸元信 (文春文庫)
 『世界屠畜紀行』/内澤旬子 (解放出版社) ※到着待ち

このほかに、内澤旬子さんのイラストにひかれて、こんな本も。

 『東方見便録』/斉藤政喜(イラスト 内澤旬子) (小学館)
 『東京見便録』/斉藤政喜(イラスト 内澤旬子) (小学館)

さらに、高野さん推薦の 『サバイバル登山家』/服部文祥 (みすず書房) の関連本。

 『サバイバル!』/服部文祥 (ちくま新書)


どれも読むのがたのしみで、ワクワクする本ばかり。
さっそく読んだのがこれ。

Takahashi_radio_taisou『素晴らしきラジオ体操』
 高橋秀実(たかはし・ひでみね)
 小学館文庫 2002/9/1発行
 264ページ 552円(税別)

私たちがこどもの頃からやっていたラジオ体操(今でも日本全国で熱心に行われている)が、こんなにも奥深いものとは思わなかった。
1925年(大正14年)、ニューヨーク。
生命保険会社がはじめた 「ラジオで体操する」 が起源だったとか、戦前・戦中の日本での 「国民体操」 とか、戦後の占領軍支配下での 「民主的な」 ラジオ体操の復活だとか、興味ぶかい話が独特の語り口で綴られていて、後半はいっきに読んでしまった。

ラジオ体操をやりたくなる気分にさせる本だ。


続いて読みはじめたのがこれ。

Saitoh_toho_kenbenroku『東方見便録』
 斉藤政喜(文)・内澤旬子(イラスト)
 小学館 1998/5/1発行
 302ページ 1500円(税別)

単行本、文庫版ともに絶版(または版元品切れ)。
手に入れるのに苦労した。
Amazonでは、古書に驚くほど高値がついていたため、「日本の古本屋」 というネット販売サイトで古書店に注文。
代金を先に振り込む方式なのでめんどうだったが、届いたときは嬉しかった。
古本だが、きれいな状態だった。

 日本の古本屋
  https://www.kosho.or.jp/servlet/top

タイトルがふるっている。
「東方見聞録」 ならぬ 「見便録」。
ウンチ(アジア各国のトイレ事情)の話である。
このての話が、じつは大好きなのだ。

食事、排泄、睡眠。
この三つがニンゲンの生きていくことの基本で、その他は皆、「余分」なことだと私は思う。


斉藤政喜さんは、以前、雑誌「BE-PAL」で連載を読んだことがある。
小学館文庫で何か読んだおぼえもあるが、内容は忘れてしまった。
リヤカーで日本全国を旅した話だったか。

この本、内澤旬子さんのイラストが、味があってじつに楽しい。
小学館 「週刊ヤングサンデー」 に連載していた旅行記とのこと。


【2009/5/31 紹介した本の画像を掲載】

Shimazu_makyou_asia_otakaraShimazu_hikyou_asia_kottouUshiyama_hikyouekiUshiyama_motto_hikyoueki











Ishimaru_kamikaze_2Hattori_survival_2    

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月24日 (日)

【読】船戸さんの魅力

Takano_zou1高野秀行 『辺境の旅はゾウにかぎる』 (本の雑誌社、2008年)を今日読みおえたのだが、船戸与一さんとの対談が面白かった。

船戸さんと高野さんは、早稲田大学探検部の先輩後輩の関係。
年齢が二十二歳ほど離れているらしいから、船戸さんの方がが大先輩である。

『河畔に標なく』 という、ミャンマーを舞台にした船戸さんの小説の取材旅行の案内役を、高野さんがつとめている。 大先輩に命じられた形だ。

この旅行のてんまつは、高野さんの 『ミャンマーの柳生一族』 (集英社文庫) に書かれている。
私がはじめて読んだ記念すべき 「高野本」 第一号であり、この一冊で高野さんのファンになってしまったのだ。

 【過去記事】
  2009/3/19 【読】船戸さんの素顔
    http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-4fbd.html
  2009/3/26 【読】快調、船戸与一
    http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-8dc6.html
  2009/3/26 【読】カハーニーシルベナーク
    http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-86f8.html


その対談だが、早稲田大学探検部の話からはじまり、船戸さんがノンフィクション畑から小説家に転向したいきさつが語られている。

船戸さんは、もともと小説など読まない人だったらしい。
それが、彼のノンフィクションを読んだある編集者から、「あんたの筆は小説に向いてるから小説を書いたらどうか。ミステリーならすぐデビューできるから、ミステリーを書け」 とすすめられたのがきっかけだったという。

船戸さんは聞き流していたが、半年ぐらいたって、「この間お願いしたのは進行してますか」 という葉書がきて、ようやく本気になった。
ミステリーなど読んだことがないので、ミステリー好きの人に相談して、ハードボイルドの名作を十冊選んでもらって読んだ。

「それを全部読んだんだけど、そういう作家たちの手法をいろいろ真似しても誰の作品だかわからなくなるだけだから」、「こういう書き方はしない」 という縛りを自分に課して、書くようにした。云々。

船戸小説誕生のヒミツがわかった気がして、興味ぶかい。


そういえば、高野さんのこの本に、船戸さんの 『金門島流離譚』 の書評があり、その中で <船戸作品特有の「負のカタルシス」> という表現をしている。
なるほどな、と思う。
船戸小説の魅力をうまくあらわした言葉である。


それにしても、対談での船戸さんの発言には、胸のすくような爽快さがある。
ちょうど、船戸小説の語り口のような。

高野さんに対して、(小説を) 「書いたほうがいい。年齢的にもちょうどいい時期だよ」 と、さかんにすすめているが、「自分の好きなことを書けばいいだけであって、誰かを見習うとか、そういうのは絶対やめたほうがいい。最初から自分のスタイルはこうだとやったほうがいい」 と、言いきる。

自信というか、ふてぶてしさというか、このあたりが船戸さんの人間的な魅力なのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月23日 (土)

【読】この本が面白そうだ(書物を知る楽しさ)

高野秀行さんの 『辺境の旅はゾウにかぎる』 (本の雑誌社)を読んでいて、気になる本がでてきた。

Sekai_tochiku_kikou『世界屠畜紀行』
 内澤旬子 解放出版社
 2007年2月 2315円(税込)
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031824476&Action_id=121&Sza_id=GG
<「食べるために動物を殺すことを可哀相と思ったり、屠畜に従事する人を残酷と感じる文化は、日本だけなの?」 屠畜という営みへの情熱を胸に、アメリカ、インド海外数カ国を回り、屠畜現場をスケッチ!! 国内では東京の芝浦屠場と沖縄をルポ。「動物が肉になるまで」の工程を緻密なイラストで描く。> (e-honサイトより)

私の知らなかった人だが、調べてみると、とても魅力的だ。
さっそく、e-honで注文。

高野さんは、この本(『辺境の旅はゾウにかぎる』) で内澤さんと対談していて、のっけに、『世界屠畜紀行』の話題になっている。
本の後半、書評集でもとりあげている。
(そこまでまだ読んでいないけど)

高野さんの読書範囲もすごい。

書評でとりあげている本に興味ぶかいものが多いので、書名を列挙しておこう。
知らない本がほとんどだが、私が好きな本、手元にある本も(*印)。

気になる本は、e-honサイトの「お気に入り」にメモしておくことにしている。


『ゴールデン・トライアングル秘史』
  鄧賢/増田政広訳 (日本放送出版協会)
『サバイバル登山家』
  服部文祥 (みすず書房)
『アマゾン源流生活』
  高野潤 (平凡社)
『シャクルトンに消された男たち』
  ケリー・テイラー=ルイス/奥田祐士訳 (文藝春秋)
『海の漂白民族バジャウ』
  ミルダ・ドリューケ/畔上司訳 (草思社)
『日本奥地紀行』 *
  イザベラ・バード/高梨健吉訳 (平凡社ライブラリー)
『均ちゃんの失踪』
  中島京子 (講談社)
『例えばイランという国 8人のイランの人々との出会い』
  奥圭三 (新風舎)
『忘れられた日本人』 *
  宮本常一 (岩波文庫)
『世界屠畜紀行』
  内澤旬子 (解放出版社)
『アフリカにょろり旅』 *
  青山潤 (講談社)
『ふしぎ盆栽ホンノンボ』
  宮田珠己 (ポプラ社)
『素晴らしきラジオ体操』
  高橋秀実 (小学館文庫)
『魔境アジアお宝探索記』
  島津法樹 (講談社+α文庫)
『秘境駅へ行こう!』
  牛山隆信 (小学館文庫)
『KAMIKAZE神風』
  石丸元信 (文春文庫)
『ビルマ商人の日本訪問記』
  ウ・フラ/土橋泰子訳 (連合出版)
『X51.ORG THE ODYSSEY』
  佐藤健寿 (夏目書房)
『信長公記』
  太田牛一/中川太古訳 (新人物往来社)
『金門島流離譚』 *
  船戸与一 (新潮文庫)
『流木』
  西木正明 (徳間文庫)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月22日 (金)

【読】高野熱、続く

高野秀行さんの本を、続けて読んでいる。

Takano_zou1『辺境の旅はゾウにかぎる』 高野秀行
 本の雑誌社  2008/6/25
 253ページ  1500円(税別)

軽いエッセイと対談、それに書評を集めたペーパーバック。
対談相手は、角田光代、井原美紀、内澤旬子、船戸与一、大槻ケンヂという面々。
井原さんと内澤さんは、わたしの知らない人だが。
「辺境読書 エンタメ・ノンフ+・ブックガイド」 と題された書評も興味ぶかい。

冒頭の50ページほど読んだところだが(「ケシの花ひらくアジアの丘」)、期待にたがわず面白い。

たとえば、ミャンマー(ビルマ)での体験記に、ちょっと驚いてしまった。
ヤンゴンで床屋をみつけて髪を切ってもらおうとしたところ、店の兄ちゃんから「ガソリンを買いに行くからちょっと待っていてくれないか」と言われた話。
そのワケはここに書かないけれど(ネタバレになるから)、高野さんはこう書いている。
考えさせられる。

文脈を無視して引用すると――

<…ミャンマーにいると、物事のつながりがよくわかることに気づいた…/…日本ではどうなのか。電灯をつけるにもバリカンをつかうにもスイッチ一つだ。 スイッチを押しさえすれば、すべて片付くと思い込んでいる。 そのスイッチの向こうにいったい何があるのか、考えてみることさえない。>

「アヘン王国脱出記」 のドタバタも、何やらおかしく、これまた考えさせられる話だ。
アジアはほんとうに面白い。


ところで、今日たまたま入ったBOOK OFFでみつけてしまった。
昨日書いた、吉田敏浩さんの本だ。
BOOK OFFの書棚分類は、整理されているようで、あんがいいい加減なのだが、歴史だか地理だかのコーナーで、まったく偶然に目にとまったのがこの本。

「本との出会い」の不思議。
なんといっても、昨日の今日のことだもの。

Yoshida_morinokairou『森の回廊 ―ビルマ辺境民族解放区の1300日―』
 吉田敏浩  NHK出版 1995/9/20発行
 494ページ  2500円(税別)

きのう画像を載せたNHKライブラリー版(大き目の文庫サイズ)は再販で、このハードカバーがオリジナル版だ。
(第27回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞)
すでに絶版となっているこの本が、定価のほぼ半額で入手できた。
しかも、古書店に入って数分後に目に飛び込んできたのだ。

図書館から借りると返却期限に追われるようで、かえって読めなかったりするのだが(途中であきらめたりする)、手もとにあればしめたもの。
と言いながら、「積んどく」本がたまっていくのも事実だが……。


― e-honサイトより ―
吉田 敏浩 (ヨシダ トシヒロ)   
1957年、大分県臼杵市に生まれる。1981年、明治大学文学部卒業後、フリーのジャーナリストに。現在、フリーのジャーナリスト集団「アジアプレス・インターナショナル」に所属。1977年にビルマ・シャン州の解放区を訪れて以来、ビルマ、タイ、アフガニスタン、インド、バングラデシュなど、アジアの諸民族の世界を訪ねる。1985年3月から88年10月まで、ビルマ北部のカチン州、シャン州へ長期取材。その記録をテレビ番組「回想のジャングル」(NHKスペシャル:1989年6月18日放映)で発表する。『森の回廊』で1996年に、第27回・大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。著書に『宇宙樹の森』(現代書館)、『北ビルマ、いのちの根をたずねて』(めこん)、『生命の森の人びと』(理論社)がある。共著に『アジア大道曼陀羅』(現代書館)、『世界の民・光と影』(明石書店)などがある。


高野さんの 『辺境の旅はゾウにかぎる』 のおしまいのほうに、こんなことが書いてある。
(書評 「探検部のカリスマは最上のペテン師だった ―― 『流木』 西木正明」 より抜粋)

<突然だが、世間に名の知れたマスコミ・出版関係者の名前をいくつか挙げてみる。
本多勝一/関野吉晴/吉田敏浩/高山文彦/長倉洋海/星野道夫/惠谷治/船戸与一/西木正明
年も仕事も志向性もまったく異なる九名だが、彼らには一つだけはっきりした共通点がある。 なんだか、おわかりだろうか。
「行動派」「硬派」「辺境をテーマにしている」「冒険的」……。
どれも近い。だが、もっと具体的な共通点というか共通体験がある。>

さて、正解は?

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年5月21日 (木)

【読】順序がちがったけれど

高野秀行熱は続いている。
今月11日から、三冊読んだ。
ちょいとばかり、読む順序をまちがえたけれど。

Takano_sylkroad『西南シルクロードは密林に消える』
 高野秀行  講談社 2003/2/25発行
 367ページ 1900円(税別)

ハードカバーで、読み応えがあった。
じつに面白かった。
これまでに私が読んだ「高野本」(12冊)のなかでも、一、二を争う傑作といえる。
高野さんは、この旅の後、インドに入国できなくなるのだが……詳しくは書かない。
続編というか、この旅の後遺症で苦労する話が、次の二冊。





Takano_jitenshaTakano_umokka『神に頼って走れ!』 高野秀行
 集英社文庫 2008/3/25発行
 242ページ 476円(税別)

『怪魚ウモッカ格闘記』 高野秀行
 集英社文庫 2007/9/25発行
 331ページ 571円(税別)

西南シルクロードの旅 → 怪魚ウモッカ探し(インド) → 国内自転車旅行、という時系列だったのだ。
先に 『神に頼って走れ!』 という、東京から波照間島までの自転車旅行記を読み、その後 『怪魚ウモッカ…』 を最後まで読んだところで、国内自転車旅行の意味がわかった。

この三冊の内容は、ここに詳しく書かないほうがいいと思う。
私のブログに影響力などまったくないと承知しているが、ひょっとして、この記事がきっかけで高野さんの本を読んでみようと思う人がいないともかぎらないから。
いわゆるネタバラシになりそうなので、遠慮しておく。


ところで、図書館から高野さんに関連する(そして、船戸与一氏も推薦している)本を借りてきた。
きっと読めないと思うが、どういう本か知りたかったのだ。

Yoshida_morinokairou_1Yoshida_morinokairou_2『森の回廊』 (上・下)
 吉田敏浩 NHKライブラリー
 2001/2/15発行(絶版)
 308ページ/306ページ
 各970円(税別)

非常に丹念に書かれた、誠実なビルマ(ミャンマー)紀行である。
船戸与一氏も高野さんも絶賛し推奨しているが、気まじめ過ぎる内容で、今はとても読めそうにない。
まだ高野熱がさがらないので、このように硬い内容はじっくり時間をかけないと無理だ。
今の私には、根気が足りないのだ。
でも、いつか読んでみたいと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月15日 (金)

【歩】【読】花のなまえを知る

きのう手に入れた携帯版植物図鑑が、とても役にたつ。

Mitibata_zukan『花の色別 道ばたの草花図鑑① 春~夏編』
 偕成社 2000年4月初版発行 1800円(税別)

きのうも書いたことだが、この界隈の道ばたに咲いている草花で、ふつうの図鑑ではなかなか見つからなかった名前が、いくつかわかった。
草花に詳しい人ならご存知なのだろうけれど、私には珍しいものが多いのだ。

この図鑑のおかげで、まだまだたくさん見つかりそうで、楽しみだ。
渡来種が多いのに驚いた。

下の写真はどれも私が撮ったもの。
花の解説は、この図鑑から。

0905100009ゼニアオイ (錢葵)
 アオイ科・2年草
 原産地 ヨーロッパ 江戸時代に渡来
 日本全国に野生化 畑、人里の草地、家のまわり
 花期 5~8月
 花の形を銭(古銭)の紋にたとえてつけた名前
 丸い果実を古銭にたとえたとも
(撮影 2009/5/10 小平市)
大きな株で遠目にも目だつ花


 

0904290067オランダカイウ (オランダ海芋)
 サトイモ科・多年草
 原産地 南アフリカ 江戸時代に渡来
 本州、四国、九州、沖縄に野生化
 山野の水湿地、丘陵の藪かげ
 花期 5~8月
 オランダ船で運ばれてきた海芋(クワズイモ)というが本種とは別種
(撮影 2009/4/29 国分寺市)
国分寺公園の真姿の池近くでみつけた
第一印象はミズバショウにソックリ 驚いた



0905100010ノハカタカラクサ (野はかた唐草)
 別名 トキワツユクサ
 ツユクサ科・常緑多年草
 原産地 南アメリカ 昭和初期に渡来
 本州(関東地方以西)に野生化
 山林の林の中やへりなど
 花期 5~9月
 近似種 シロフカタカラクサ
 シロフハカタカラクサが野生化し、葉の白い斑(ふ)が野生化したものといわれる
(撮影 2009/5/10 小平市)
三枚の花弁が目をひいた


0905100008メキシコマンネングサ (メキシコ万年草)
 ベンケイソウ科・多年草
 日本全土に帰化(原産地不明)
 道ばた、荒れ地、家のまわりなど
 花期 3~5月
 近似種 茎が赤味をおび、葉の幅が広いツルマンネングサ
 メキシコの名がついているが、原産地、渡来時期は不明
(撮影 2009/5/10 小平市)
ちいさな花がたくさんついていて面白い形

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月14日 (木)

【読】今日の収穫(昔の鉄道地図)

紀伊國屋書店(新宿本店)で、なんとなく買ってしまったムック(雑誌とは呼ばないだろうな)。

Rail_map_tokyo『日本鉄道旅行地図帳 5号 東京』
 新潮社  2008/9/18発行
 680円(税込)

まえから、書店の店頭でみかけて気にはなっていたシリーズ。
東京編だったので、すこし立ち読みしてみたら、なかなか充実しているので買った。

昭和37年都電全図だとか、大正8年頃の東京市電系統図、地下鉄立体透視地図、地下鉄断面図、など、おもしろく興味ぶかい。
監修は、あの今尾恵介さんだ。

今尾恵介さんについては、このブログに何度か書いたことがある。

【以前のブログ記事より】

2007/5/31
【読】地名はおもしろい
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_f92f.html

2007/6/17
【読】多摩川絵図・奥多摩絵図
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_764f.html

| | コメント (2) | トラックバック (0)

【読】今日の収穫(植物図鑑)

午前中、病院へ行く用があったので半休をとった。
用をすませ、立川から電車に乗り新宿で途中下車して、東口の紀伊國屋書店(新宿本店)にはいった。
(国ではなく國が正式名称らしい。レシートに書いてあったので気づいた)
紀伊國屋書店に入るのは、ひさしぶりだった。

ジュンク堂書店に行くつもりだったのだが、この店がはいっている三越デパートの開店が11時で、私が行ったときにはまだ開いていなかったのだ。

さすが、紀伊國屋書店。
置いてある本の数が、はんぱじゃない。
理学書フロアーで、いい図鑑をみつけた。


Mitibata_zukan『花の色別 道ばたの草花図鑑① 春~夏編』
 偕成社  2000年4月発行  1800円(税別)

写真付きの携帯図鑑は数あるけれど、道ばたの草花の名前を調べていると、掲載されていないものが多く、不満に思っていた。
この図鑑には、私の住まい(団地)の周辺に咲いている野草(帰化植物が多い)がいくつか掲載されていて、この先、重宝しそうだ。

先日、やっと名前を知った、アカバナユウゲショウ(南アメリカから明治初期に渡来とある)も載っている。



文一総合出版からでている「ハンドブック」シリーズも、紀伊國屋書店(新宿本店)にはずらりと並んでいた。
国分寺の紀伊國屋には数冊しかなかったものだ。

Mushikobu_handbookJuhi_handbook『虫こぶハンドブック』
 文一総合出版  2003/6/20発行
 薄葉 重 著
『樹皮ハンドブック』
 文一総合出版 2006/10/20発行
 林 将之 著
 どちらも、1200円(税別)

『虫こぶハンドブック』には、この団地で私も見つけた「アキニレハフクロフシ」という、アキニレにつく虫こぶも、しっかり載っていた。
それにしても、こんなにたくさんの種類の「虫こぶ」があるとは知らなかった。

植物図鑑は、ながめているだけで楽しくなる。


(左) アカバナユウゲショウ
(右) アキニレの虫こぶ(アキニレハフクロフシ)
 いずれも、2009年5月10日撮影(東京都小平市)

09051000030905100032   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月11日 (月)

【読】高野さんの語り口

高野秀行さんの本を、次々と読んでいる。
最近読んだ、『巨流アマゾンを遡れ』(集英社文庫)の巻末解説(浅尾敦則さん)に、高野さんの魅力が的確に書かれていた。

Takano_amazon高野秀行 『巨流アマゾンを遡れ』
 集英社文庫  2003/3/25発行
 261ページ  514円(税別)

私は、以前このブログで、高野さんの文体がいい、と書いたことがある。
浅尾敦則さんの巻末解説では、「文体、というよりも語り口」がいいのだ、と書かれていて、なるほどと頷かされた。

― 本書巻末解説 (浅尾敦則) より ―
<(前略)いったい彼の本の何が私をそこまで狂わせて……ではなく、魅了しているのだろうか。/まず第一に挙げられるのはその語り口だろう。 文体ではなく、「語り口」である。彼の本は、本であるからには当然文字で書かれているわけだが、その文章はほとんど語り芸に近いものといっていい。>

そうなのだ。
すっかり高野秀行中毒になってしまった私も、高野さんの魅力がどこからきているのか、うまく表現できなかったが、「語り芸」と言われて思わず膝を打った。

浅尾さんの解説をもう少し引用しよう。

<(前略)ひと口に語りといっても、そこにはいろんな要素が混在している。(中略)舞台となっている地域の歴史的背景や少数民族事情などが知らず知らずのうちに理解できて勉強になるという点では、ちょっと講談に似ている。また、語り手のリズムに読者を強引に引きずり込んでいつのまにか感覚をマヒさせてしまう、呪術的といってもいいくらいの被共振力はあたかも阿呆陀羅経的である。/そして彼が語る物語の中身はというと、これはもう落語以外のなにものでもない。>


「被共振力」というのは聞き慣れない言葉だが、「阿呆陀羅経的」と言われれば、そうかもしれない。
「落語以外のなにものでもない」 ―― よくぞ言ってくれた。


今日から、ハードカバーのとても魅力的な本を読みはじめた。
真打ち登場、といったところか。
高野ワールドにどっぷり浸かっている。


Takano_sylkroad高野秀行 『西南シルクロードは密林に消える』
 講談社  2003/2/25発行
 367ページ  1900円(税別)

<中国・成都からビルマ北部~インド・カルカッタまでの古代通商路。/それは謎にみちた最古のシルクロードと言われている。/戦後、世界で初めて、この地を陸路で踏破した/日本人ノンフィクションライターが見たものは?/ジャングルの自然、少数民族、ゲリラたちと織りなす、/スリルとユーモアにあふれる奇想天外な辺境旅行記。>

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年5月 3日 (日)

【読】読了 『怪しいシンドバッド』

高野秀行さんのこの本も、期待を裏切らずおもしろかった。

Takano_sindbad高野秀行 『怪しいシンドバッド』
 集英社文庫 2004/11/25
 293ページ 552円(税別)
 (親本 朝日新聞社 1997/7)

高野さんが「十九歳から二十九歳にかけての十年間に経験した、旅や海外生活のエピソードを集めたもの」(著者あとがき)である。

集英社文庫からでている高野さんの本では、『幻獣ムベンベを追え』(文庫2003年1月/親本1989年)、『巨流アマゾンを遡れ』(文庫2003年3月/親本1991年)に続く、三冊目にあたる。

インド、アフリカ、タイ・ビルマ、中国、コロンビア、などを旅した時のおもしろいエピソードが満載。

高野さんは、ご自身を 「自分のやっていることがシンドバッドに似てるなと気づいた」 という。
「シンドバッドの冒険」 の、あのシンドバッド。
高野さんに言わせると、航海先でいつも災難にぶつかり死ぬほどの目にあいながら、懲りずにまた航海に出る、「懲りないやつ」――それが船乗りのシンドバッドである。

この本のタイトルはそこから来ている。

<ちがうところと言えば、シンドバッドは仕事で航海に出るが、私の場合は「旅」であることだろう。 つまり、好きでやっていることだから、彼よりもずっと楽しいことが多い。
 シンドバッドが聞いたら、「冗談じゃねえ、一緒にするな!」と怒るかもしれない。 でも、彼だって、転職すればもう少しは楽な生活が送れるかもしれないのに、懲りもせず航海に出かけるわけだから、やっぱり好きなんだとしか思えない。 何が好きかって? そこが、世界で最も有名かつ最も哀れな船乗りに、おこがましくも私がいちばん共感するところだ。 「何か未知なるもの」――これに尽きる。>  (はじめに)


出版順序からすればすっかり後まわしになってしまった、アマゾンの旅の本(『巨流アマゾンを遡れ』)を次に読んでみようと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月28日 (火)

【読】高野秀行さんの魅力

Kuramae_hotel_asiaTakano_tokyo蔵前仁一 『ホテルアジアの眠れない夜』
 (凱風社)
高野秀行 『異国トーキョー漂流記』
 
(集英社文庫)

続けて読んだ。
蔵前さんの本は、長く本棚で眠っていたもの。
期待していたほど面白くなかった。

このところすっかりハマっている高野秀行さんの著作、文体に慣れてしまったからだろうか、蔵前さんの今から20年前に出版された本は、少々もの足りなかった。
お行儀がよすぎるというか、ハメをはずさないというか。
もちろん、つまらない内容ではなかったが。

いっぽう、高野さんの 『異国トーキョー漂流記』 は、内容に関する予備知識ゼロで読みはじめた。
それがよかったのだろう。
私には新鮮な内容だった。
ここに詳しくは書かないが(まだ読んでいない人の楽しみを奪わないために)、高野さんの優しさを感じた。
この人は人間が好きなんだな、と、あらためて思う。


高野さんの著作の魅力は、その文体だと私は思う。
じつによく考え抜かれた上手な文章だ。

蔵前仁一さんが解説(『異国トーキョー漂流記』 集英社文庫書き下ろし)で、高野さんの魅力をうまくまとめているので引用する。

<さて、高野さんの本を読むたびにいつも思うことがある。 それは、冒険家でありながら冒険家らしい文章を書かないということだ。 普通の冒険記は、たいていの場合、自分がいかにすごい冒険をやったかが書かれているものだ。 あるいは、冒険家はつねに勇気ある立派な人として描かれている。 冷静沈着な判断力と勇気で危機を乗り越えられるからこそ冒険は成功するのだろう。>

<高野さんの冒険記は、いつもそこらか逸脱している。 脱線しているというか。 だから、アフリカ奥地を探検する理由としては、ちょっといかがなものか、というような怪獣探しが目的だったり、幻のシルクロードを探しに行った割には、単にビザの問題で帰国できなくなりそうになったり、アヘン栽培のルポにいったはずが、自らアヘン中毒にかかったり、いちいち間が抜けている。 全然立派な探検家じゃない。 冷静な判断力があるとも思えない。 とっちかというと成り行きまかせである。>

<だからこそ高野さんの冒険記はおもしろいんだと僕は思う。> (蔵前仁一)


3月18日から高野さんの著作を読みはじめて、かれこれ7冊読みおえた。
この人が翻訳した本(『世界が生まれた朝に』 エマニュエル・ドンガラ)を含めると8冊。
そして、これから読もうとしている、手元の7冊。
その表紙を並べてみよう。

これまで読んだ7冊 (私が読んだ順) +1

Takano_myanmaTakano_ahen_oukokuTakano_sekai_no_shiwaTakano_wasedaTakano_mbembeTakano_memory_questTakano_tokyo_2Sekaiga_umaretahini_2











これから読みたい7冊 (順不同)

Takano_sindbadTakano_sylkroadTakano_jitenshaTakano_zou1Takano_umokkaTakano_amazon_5Takano_gokuraku_tai_2

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月25日 (土)

【読】なつかしい名前 (蔵前仁一さん)

高野秀行さんの本が、何冊かたまっている。

読みたい本があると、すぐに買ってしまう。

  ♪ それが私のクセなのか ♪

こんな歌の一節を、ふと思いだしてしまう。
中島みゆき 「わかれうた」 だったな。


Takano_tokyo高野秀行 『異国トーキョー漂流記』
 2005/2/25発行 集英社文庫
 259ページ 514円(税別)

カバーの絵にひかれて、これを読もうかと本棚からひっぱりだして、なにげなく巻末をみると、解説蔵前仁一さんだった。
懐かしい名前だ。







といっても、蔵前さんの本は、ずいぶん前に何冊か買ったまま読まずにとってある。
なんとなく、本の雰囲気だけで満足してしまったのだろう。
おかしな話だが。

Kuramae_hotel_asia蔵前仁一 『ホテルアジアの眠れない夜』
 1989/9/30発行 凱風社
 182ページ 1000円(税別)

税込1030円、つまり、消費税率がまだ3パーセントだった時代に買った本だ。
この本もたぶん読んでいないかったと思うが、ずっと手放さずに持っていたのは、愛着のある本だったから。
装幀がしゃれている。
新書サイズを一回りほど大きくしたハードカバー。
著者略歴をみると装幀家とあり、この本の装幀も著者自身によるものだ。
表紙見返しにも、本文にも、楽しい挿絵が満載。

うーん。
どっちを先に読もうかな。
ごちそうを並べられて、どれから箸をつけようかと迷っている気分だ。

カバーをはずすと、表紙もまたしゃれているのだった。

Kuramae_hotel_asia2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月24日 (金)

【読】この本もおもしろかった

高野秀行さんの新刊を、あっというまに読んでしまった。
通勤電車とバスの中、二日間でほとんど読み、最後の数ページは、今夜帰宅後いっきに読んだ。


Takano_memory_quest高野秀行 『メモリークエスト』
 幻冬舎  2009/4/10発行
 327ページ  1400円(税別)

どんな内容かまるで知らずに買った本である。
「メモリークエスト」という題名から、勝手に、藤原新也の『メメント・モリ-死を想え-』のような内容を想像していた。
(藤原新也のこの本は、あいにく読んでいないけれど、なんとなく雰囲気が……)

まったくちがった。
高野さんの独壇場とも言える、世界をまたにかけたドタバタ旅行記。
それも、他人の探し物(人探し)を異国で実践(代行)するという目的をもった、じつにユニークな企画だ。

タイから、セーシェル(インド洋、アフリカ大陸の東にある小国)、南アフリカ共和国、そして、旧ユーゴスラビアと、行き先にはなんの脈略もない。

ひたすら、他人から依頼された探しもの(幻冬舎のWebマガジンで読者から募集、26件の応募があった)、「これを探してほしい」というリクエストに応える、世界を股にかけた旅。

他人の古い「記憶」を「探しに行く」旅だから、メモリークエスト(Memory Quest)というわけだ。

どの逸話も面白いが、私がとくに気に入ったのは、セーシェルの「春画おやぢ」探しだ。
ここに詳しくは書かないけれど、愉快だった。


あえて購入まではオススメしないけれど、読んで損はない一冊。
もちろん買っていただいてもかまわない。
その方が著者は喜ぶだろうし、新刊なので図書館で借りられるようになるまで時間がかかるだろうから。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月22日 (水)

【読】読みました

タイミングよく、朝の通勤電車が錦糸町駅に着いたとき、本文を読みおえた。
帰りの電車の中で、解説(立松和平)と訳者(高野秀行)のあとがきを読んだ。
あとは、電車の中でぼーっとしていた。
もう一冊持って、出かけるべきだったな。


Sekaiga_umaretahini『世界が生まれた朝に』
エマニュエル・ドンガラ 著/高野秀行 訳
 "Le feu des origines" by Emmanuel B. Dongara, 1987
小学館 1996/12/10発行 1942円(税別)

小説のタイトルは、最後まで読んだところで種明かしがあった。
ここには書かないけれど。

立松和平の解説も、それなりに面白かったが、なによりも訳者あとがきに、この小説の魅力が要領よくまとめられている。
魅力あふれるこの小説を、たくさんの人に読んでもらいたい願いをこめて、紹介しておこう。
ほぼ、高野さんが書いている通りの文脈、表現で。

1.アフリカ的世界
 この一冊の本にアフリカの全てがたたきこまれている。
祖先の霊、呪術、儀礼、タムタム、森や大河が支配する伝統社会に始まり、征服者である白人の到来、植民地時代、独立闘争、そして独立後の混迷と急激な近代化。
 この、ほとんど全アフリカに共通の歴史を、一人のコンゴ人の一生と重ね合わせながら描ききっている。

2.普遍性
 アフリカをはるかに超えた普遍性を有している。
 アフリカの物語である以上に、「この世に生を受けた一人の人間の物語」であり、「アフリカ人であること」の奥に「人間であること」という光がはっきり見てとれる。
 ドンガラの淡々とした語り口に、いつも人肌のぬくもりのある普遍性が感じられる。

3.思想――≪知≫と≪力≫
 アフリカの思想に正面から取り組んでいる。
 アフリカでは、精神と物質を切り離して考えることはない、とよく言われる。
 なんらかの≪力≫が働けば、物質にも魂が宿るし、心に念じたことも物理的な存在になりうるという。
 その≪力≫を動かすものが≪知≫である。
  ※ 「知」という言葉は、「知性」よりも「知恵」のニュアンスか。

4.物語性
 この作品を見るかぎり、ドンガラは特に際立った小説技法やレトリックを持ち合わせていないようだ。
 代わりに、めりはりのきいた話の展開と快いテンポでストーリーテラーとしての能力を存分に発揮している。
 冒険、恋愛、戦い、家族、長老、魔術、夢……といった物語のあらゆる要素が盛り込まれており、純粋にエンターテインメントとしても十分楽しめる。


以上であるが、私には、最後の「物語性」が、この小説の魅力の大きな部分だと思える。

ちなみに、この作品は、作者(ドンガラ)が日本滞在中に書きあげられた。
本文の最後にも、こう記されている。

 モンペリエ/ボコ/ブラザヴィル/東京
 1975―1978、1983―1986


繰り返しになるが、この素晴らしい小説を、たくさんの人に読んでもらいたいと願う。
高野秀行さんという人を教えてくださった、「こまっちゃん」に感謝。
高野秀行さんに出会わなければ、この小説にも出会うことがなかっただろうから。



ところで、今日、ネット注文(e-hon)してあった高野さんの新刊が書店に届き、さっそく受けとってきた。

Takano_memory_quest『メモリークエスト』 高野秀行
 幻冬舎  2009/4/10 発行
 327ページ  1400円(税別)

ユニークな発想・企画で書かれた、興味ぶかい内容(書き下ろし)。

e-honサイトより
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032232784&Action_id=121&Sza_id=C0

[要旨]
あの日、あの時、あの場所で消えたあなたの記憶、探しにいきます。「探索のプロ」を自任する著者は、縁もゆかりもない赤の他人のために、不安を抱きつつも世界へ飛び立った。時空を超えた空前のドラマが、いま始まる。
[目次]
第1章 スーパー小学生(タイ)(「白紙」の船出;ゴルゴ杉山一家、西へ ほか);第2章 根無し草の男(タイ)(早く来い来いメーサロン!;タイ・ミャンマー国境へ ほか);第3章 楽園の春画老人(セーシェル)(曙がいっぱい;驚異の観光アイランド ほか);第4章 大脱走の男(南アフリカ共和国)(なぜか南アフリカ;最悪の都市の最悪の宿 ほか);第5章 ユーゴ内戦に消えた友(旧ユーゴスラヴィア)(謎の国セルビア;「日本」といえば「ナゴヤ」 ほか)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月21日 (火)

【読】読んでいます

『百年の孤独』 (ガブリエル・ガルシア=マルケス) が引き合いにだされていたので、さぞかし難しい小説かと思っていたが、まったくそんなことはなかった。
読みやすく、おもしろい。
高野さんの訳文もいい。

280ページほどの本文の、200ページまで読みすすんだ。


Sekaiga_umaretahini『世界が生まれた朝に』
エマニュエル・ドンガラ 著/高野秀行 訳
 "Le feu des origines" by Emmanuel B. Dongara, 1987
小学館 1996/12/10発行 1942円(税別)

ストーリーがすっきりしていて、登場人物もわかりやすい。
ただし、描かれている世界が、アフリカ コンゴの住民たちの、私たちの日常からかけ離れている。
そこが面白い。

― 訳者あとがき より ―
<……ドンガラは、ローカル性と普遍性を実にうまく利用している。 最も顕著な例は、原始共産性から貨幣経済の導入、十九世紀型の帝国主義、そして現在の民主化問題を問う時代まで、言ってみれば人類が何千年もかけて昇ってきた文明の諸段階を、一人の人間が一生にうちに全部体験してしまうという設定である。 こんなことはアフリカのコンゴを舞台としないかぎり不可能な話だ。……>

主人公は マンダラ・マンクンクという、バナナ畑で産みおとされた男。
青緑色の目をもつ、いわば異能者である。
彼が生まれた部族社会は、まさに「原始共産性」的で、その社会にとつぜん西欧文明(近代帝国主義)の波が襲い、急激な変化にみまわれる。

このあたり、被征服民族の悲哀は、アイヌ民族を思いおこさせる。
武力による支配、略奪と虐殺、そして言葉巧みな交易を装った収奪……。
時期こそ、日本列島北端の島で繰り広げられた頃よりすこし下るが、アフリカ大陸を舞台に同じような歴史が繰り広げられていたのである。

第二次世界大戦ではフランス軍に徴用されて欧州戦線でドイツ軍と戦い、その後、ベトナムでのフランスの戦い(ディエン・ビエン・フーの戦い)にもたくさんの兵が駆りたてられる。
そんな苦難の歴史も、この小説に描かれている。



【参考】

コンゴ共和国  ― Wikipedia より ―

コンゴ共和国(コンゴきょうわこく)は、中部アフリカに位置する共和制国家。東にコンゴ民主共和国、北にカメルーンと中央アフリカ、西にガボン、南アンゴラの飛地カビンダと国境を接している。首都はブラザヴィル。
二つのコンゴとアンゴラは15世紀頃まではコンゴ王国として一つだったが、ポルトガルによる征服を経て19世紀にベルギー領(現在のコンゴ民主共和国)とフランス領(現在のコンゴ共和国)に分けられた。

1903年 中央コンゴと呼ばれるようになる
1910年 フランス領赤道アフリカの一部となる
1946年 フランス議会に議席を獲得
1958年 フランス共同体内の自治共和国になる
1960年 コンゴ共和国として正式独立
1968年 憲法を改正


エマニュエル・ドンガラ
  ― 本書 著者紹介 より (1996年日本語訳出版当時) ―

1941年、コンゴに生まれる。 中等教育を終えたのち、アメリカ合衆国に渡り、物理学を学ぶ。 物理学博士。
現在はブラザヴィル大学教授。
最初の小説 『手には銃を、ポケットには詩を』でラディラス・ドルマンディ賞を受賞。 また、コンゴで最も有名な劇団 “Theatre de l'Eclair” を主宰し、自作の戯曲のほか、サルトルから三島由紀夫にいたる幅広い作家の作品を上演している。
弟が日本に長期留学していた関係で、しばしば日本を訪れており、コンゴを代表する親日家でもある。
なお、本書 『世界が生まれた朝に』 は、1988年のブラックアフリカ文学大賞を受賞。 ヨーロッパ各国でも絶賛され、原版のフランス語のほか、ドイツ語、スペイン語、デンマーク語、ノルウェー語に翻訳されている。
また、近くアメリカで英語版が出版される予定。


高野秀行オフィシャルサイト
 http://aisa.ne.jp/takano/

 訳書紹介 『世界が生まれた朝に』
  http://aisa.ne.jp/takano/books_page/dongala.html

訳者から一言
<主観的にはアフリカ文学の最高峰、客観的に見ても五指には入る名作である。
原書のフランス語のほか、英語、ドイツ語、スペイン語、デンマーク語、ノルウェー語など世界中で翻訳されている。
最初の1ページだけ堅くて読みにくいが、2ページ目からはすごく平易な文章になる。 立読みですぐ断念なさらぬよう。
メリハリの利いたストーリーと詩情に満ち満ちた文体が感動的で、読み出すと止まらない。
もちろん、訳文も冴えている!?>


高野さんのブログも面白そうだ。

辺境・探検・冒険ブログ MBEMBE ムベンベ
日本を代表するエンタメ・ノンフ辺境探検作家、高野秀行のオフィシャル・ブログ
 http://www.aisa.ne.jp/mbembe/

| | コメント (2) | トラックバック (0)