カテゴリー「【山】山日誌」の56件の記事

2008年8月 3日 (日)

【山】登山靴

ちょっとわけがあって、しまいっぱなしにしてあった登山靴を引っぱりだしてみた。
案の定、白いカビが……。

カビは、靴ブラシですぐに落ちたが、紙箱やプラスチックケースに入れっぱなしだったので、風にあてて元に戻そうと思う。
この靴を履いて、山登りを再開できる日はいつだろう。

(左) ZAMBERLAN (イタリア製)
(右) LOWA (ドイツ製)

ザンバランは、買ってから25年ぐらいになろうか。
20代後半、山登りを再開した当初は、キャラバン・シューズを履いていたが、その後に買ったのがこれ。
この靴で、奥多摩、奥秩父などずいぶん歩いたものだ。
靴底のビブラムがそうとうすり減っている。

ローバーは、その後買った。
これも20年近く使ったか。
八ヶ岳、北アルプス、南アルプスなど高山を歩くようになった頃、奨められて買ったもの。
靴底がすり減ってすべりやすくなったため、張り替えをした。
ゴアテックスの内張りが擦れてきて、防水性が悪くなってきた。
雨さえ降らなければ、快適な靴。

ZamberlanLowa

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2008年4月23日 (水)

【山】【雑】こんな山小屋があったな

『大江戸テクノロジー事情』(石川英輔、講談社文庫)というを読んでいて、しみじみと思いだした「場所」がある。

Me2プロフィールの画像として使っている、この写真の後ろに見える山小屋のことだ。
これまで、あまり書かなかったのには、ちょっとしたわけがある。
ひと頃、縁あってずいぶん通ったところだが、その後、これまたわけあって、まったく行かなくなってしまった。

冬期は営業していない(左の写真は、冬期閉鎖中の小屋の前)。
だいたい4月から10月の間、約半年の営業。

山小屋にもいろいろあって、北アルプスの大きな山小屋のように、ちょっとした旅館、ホテル並の設備・サービスのところもある。
だが、だいたいどこも、事情は同じだ。

高山の上まで電線など通じていないから、電気は自家発電。
電話線も通じていない。
(無線電話や、最近では携帯電話を使っているようだ。山の上ではけっこう携帯電話が通じる)
暖房や炊事は、プロパンガスか石油。
もちろん水道が引かれているはずもないので、天水(雨水)か流水、湧き水を利用する。
トイレも溜め込み式(水を流しているところもあるが、汚水処理が問題)。


私が何年かお世話になっていた山小屋も、そんな環境だった。

電気は、必要最小限の自家発電。
その燃料は、春先の小屋開けのときにヘリでまとめて揚げる。
プロパンのボンベも、春先にヘリでまとめて荷揚げする。

電気を使うのは、主に、夜間の照明用。
それと、冷凍冷蔵庫用。
(登山客に出す食事に気を使う小屋だったので、冷凍食材の保存が必要だったためだ)
夜が更ければ、発電機は止めてしまう。
灯油ランプもたくさん置いていて、よく使っていた。

暖房は、基本的に薪ストーブ。
標高2400メートルほどの場所にあったので、真夏でも朝夕は燃やすことが多かった。
薪ストーブは、お湯を沸かす目的にも使われる。
貴重な熱源だ。
薪は、小屋の周囲の林から営林署が許可した範囲で伐採し、乾燥させ、小さく切ったり割ったりして保存していた。
そういえば、秋に「薪出し」といって、木を伐採し、背負子で小屋まで運んで薪切り、薪割りを手伝ったこともあった。

石油ストーブなどは、もったいないのでほとんど使わなかった。
薪ストーブで豆炭をおこして、アンカに入れ、炬燵に使っていた。
お客さんが多いときは、薪ストーブを赤々と燃やして、これがなかなかよかったのだ。
この小屋へ向かって山道を登っていくと、薪ストーブの煙の匂いがして、ああ、もうすぐだなと思ったものだ。

そして飲料水だが、これは天水利用が中心。
屋根から雨樋で水をあつめ、おおきなタンクにためて使っていた。
近くに湧き水(うまい清水)があったので、そこから運んで、やはりタンクにためていた。
近くといっても、歩いて数分のところなので、18リッターのポリタンクにつめ、背負子でかついで運んでいた。
これは重労働である。
だから、汲んできた清水は大切に使った。

日照りが続くと、天水が得られなくなり、いつも心配の種だった。
あれほど、水を貴重に感じたことはなかったな、と懐かしく思いだす。



話はそれるが、この山小屋で何年か働いていた友人と、いまでも親しくしている。
友人といっても、私よりずいぶん年少の女性である。

その人と、つい先日も話したことだが、あの山小屋での生活(彼女は、年の半分はその小屋に住み込んで働いていたから)を思えば、下界(平地)の暮らしは天国だよね、と。
なんたって、水道の蛇口をひねれば、水が使い放題というのだから・・・。
電気、ガスも同様だ。

ちょっとの間でも使えなくなったら、もうお手あげ、という生活に慣れきってしまったけれど、あの山の上の生活を思いおこせば、たいていのことは我慢できそうな気がする。


私は、その山小屋で生活していたわけではないが、毎週のように通っていた時期があった。
お客でもなく、従業員でもない、「お手伝い」のような立場だった。
「居候」という、これまた懐かしい呼ばれ方をしていた人たちが、その小屋にはたくさんいて、私もその一人だった。
ボランティアというのともちょっと違う、好きで通っている人たち。
小屋主さんとの相性もあって、誰でも希望すればなれるというものではなかった。
客として通っているうちに、いつしかなんとなく、居候にしてもらった、という感じか。

繁忙期には、荷揚げ(ボッカ)を手伝ったり、炊事や洗い物、掃除、蒲団のあげおろし、など、もろもろの山小屋の仕事を、楽しみながら手伝っていた。
よく晴れた日には、蒲団干しもしたっけ。
宿泊者用の蒲団だから、半端な数ではなかった。
小屋のまわりは岩場だったので、岩の上や二階の窓から屋根に登って干した。

食事は、お客さんの食事が終わり、後片付けをしてから、小屋のひとたちといっしょにいただいていた。
もちろん、報酬などもらわないし、もらうつもりもなく、まさに「お手伝い」させていただく、という感じだった。
「特権」は、宿泊費がかからないこと。
山好きにはうれしいことだった。


なんとも不思議な場所だったと思う。
夜、お客さんをまじえて、酒を飲み、歌をうたい、ときには外に出て満天の星を見あげる。
翌日も、暗いうちからお客さんの朝食の用意のために早起きはするけれど、登山者が出発してしまえば、あとはのんびりと過すこともできた。
なかば、山小屋とその周辺で遊ばせてもらっていたような、そんな立場でもあった。

「私の大学」 という言葉がぴったりの空間だったなと、よく思う。
そこでは、学校で得られない、いろんなことを学んだ気がする。
めったにできない体験をさせてもらっていたのだ。

いま、懐かしく思いだしたので、書いてみた次第。

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2007年6月10日 (日)

【山】武甲山

今尾恵介 『地図で今昔』 (けやき出版) に、秩父の武甲山がとりあげられている。
武甲山は石灰岩から成る山で、石灰岩採掘のためにどんどん削られ、山容が大きく変わりつつある山だ。
五木寛之の『青春の門』で有名な九州の香春岳(かわらだけ)と同じような運命をたどりつつある。
Bukousan_map左は、『地図で今昔』のP.170-171に着色したものだが、薄く着色した部分が武甲山だ。 右が昭和4年(1929)の5万分の1図、左は平成9年(1997)の地図。
山頂の北側が大きく削り取られて、左の図では白くなっているのがわかる。
(この禿げたようになった白い部分は、等高線が同じなので、テラス状になっているわけだ)

<武甲山といえば秩父を代表する山として知られている。 山頂の標高は1336.1メートルあったが、現在はもっと低い。 山頂にあった三角点も後退し、やはり山頂にあった御嶽神社も1975年には少し南側に移転させられた。 現在の三角点の標高は1295.4メートルと、以前より40メートルも低くなってしまったのである。> (『地図で今昔』 1999年 P.171)

この武甲山、1980年5月17に登った。
その時の写真があったので、掲載する。
頂上付近は立ち入り禁止だった(左から二枚目の写真)。
深田久弥の「日本百名山」にも選ばれている、歴史の古い信仰の山なのだが、見るも無残な姿だった。
800517bukousan01_3800517bukousan02_3最後の写真は、同じ年の3月に登った奥武蔵の武川岳からの下山時に撮ったもの。 武甲山北斜面の採掘状況がよくわかる。




800517bukousan03_6800315bukousan04_5 



<武甲山の石灰の埋蔵量は約30億トンとされる。 今後どこまで掘り続けるのか知らないが、この秩父のシンボルたる名山を切り崩すことが、やはり秩父の経済を支えてもいるので、市民にはさぞジレンマなのだろう。 これだけ激しく切り刻まれている一方で、(中略)そのテラスのすぐ下には、チチブイワザクラ、ミヤマスカシユリ、イチョウシダなどから成る「武甲山石灰岩地特殊植物群落」があり、これが国指定の天然記念物になっている。> (『地図で今昔』 1999年 P.173)

→ 石灰岩地に咲く赤紫 武甲山資料館 チチブイワザクラ展示
 (東京新聞 TOKYO Web 2007年4月13日)
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20070413/CK2007041302008324.html

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2007年4月10日 (火)

【山】ヘリ墜落事故に思うこと

北アルプス 水晶小屋でのヘリコプター墜落事故。
新聞記事などで、おおよその様子がわかった。

ネット記事では、東京新聞のサイト記事が詳しいように思う。
『岳人』 という山岳雑誌を出版しているだけあって、山岳関係のニュースに強いのか。

東京新聞のサイト記事 http://www.tokyo-np.co.jp/

■2人死亡8人重軽傷 北ア・ヘリ墜落 ローター、雪と接触■ (2007年4月10日 夕刊)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007041002007590.html

■【関連】『現場にも10回以上』 死亡の藤田機長 飛行5500時間■ (同上)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007041002007585.html

■【関連】現場救出ルポ 雪煙どっと巻き上がる■ (同上)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007041002007583.html

写真を見ると、水晶小屋のすぐ近くで墜落し、大破している。
後部のローターが雪面に接触して墜落したようだ。

この時期、冬期閉鎖している山小屋が小屋開けの準備でヘリを飛ばすことが多い。
もう10年も前になると思うが、ある山小屋の小屋開け準備を手伝ったときに、一度だけヘリコプターに乗せてもらったことがあった。
荷揚げで麓から山小屋まで何度かヘリが往復した際に、小屋主さんが便乗させてくれたのだ。
歩いて登ると二、三時間はかかる距離が、ヘリだとあっという間だった。
ふだん、えっちらおっちら歩いていた登山道のある尾根を、上空から見下ろすという貴重な体験をさせてもらったが、同時にヘリの怖さも知った。

メインローター(ヘリ上部の主回転翼)がまわると、その風圧で埃が舞いあがり、近づけないほどだ。
後部ローター(垂直方向にとりつけられた回転翼)は、巻きこまれる危険があるからけっして近寄ってはいけない、と、何度も注意された。
離着陸の際には、とても緊張する。
飛ぶか飛ばないかは天候に左右されるので、毎年この時期になると胃が痛くなる、と、小屋主さんがよく言っていたことをおもいだす。

一回飛ばすだけで莫大な費用がかかるヘリコプター。
それだけに、多少無理をしても飛行することがあるのかもしれない。
亡くなった方、怪我をされた方は、ほんとうに気の毒だし、小屋開け前にこのような大事故に遭遇した山小屋の関係者にも同情する。

【2007.4.15写真追加】
Koyaake
なつかしい写真がみつかった。
八ヶ岳南端のある山小屋の小屋開け。
ヘリによる荷揚げ風景。
山小屋付近で、ヘリから荷物をおろすところ。
ホバリングしながら、大きなネットをゆっくりとおろす。
ロープの先のフックを機内からの操作で開くと、ネットがヘリからはずれて地上に落ちる。

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2006年12月15日 (金)

【山】岩菅山のおもいで

岩菅山(いわすごやま)
長野県下高井郡山ノ内町。 長野電鉄湯田中駅の東13km。
標高2,295m。 志賀高原北東部にある火山。
裏岩菅山と岩菅山の2峰からなる。
(三省堂 「コンサイス日本山名辞典 修訂版」 昭和54年版)

さきほどの投稿(【雑】うれしかったこと)を書いたあとで、風呂に入りながらおもいだした。
穂高で出会った女性(以後Aさんと呼ぶ)と、そのパートナーになられた男性(以後Yさん)と、三人でこの山に登ったことがある。 1992年6月のことだ。
この地味な山のことを、ぼくは知らなかった。

Aさんはもちろん山好きな方だったが、結婚された相手のYさんは、山というよりももっと広い範囲の、自然を愛する方。 そのYさんの誘いで、お二人に連れていってもらう形の、一泊二泊の山行だった。
湯田中駅までは列車。 そこからバスで登山口にはいる。
道々、スミレの名前やらぼくの知らない草花のことを教わりながら(Yさんは歩く植物図鑑のような方)、ゆっくりと登りついたのが、無人の避難小屋。
もちろん自炊である。

ここから、やや尾篭な、個人的なおもいで。
その数日前に、ぼくは胃の検診(バリウムを飲んで撮るレントゲン写真)を受けていた。
あれは後がたいへんで、うまく始末しないと、バニラシェイクのような液体が体内で固まってしまって難儀する。
その時のぼくは、まさにそういう「体内で固まった」ものを抱えての登山だったのだ。

避難小屋の外に簡易便所があったので、そこで頑張ることしばし。 ようやく成果があった。
あまり利用者もいないだろう簡易便所に、大きな置き土産。
その間、なかなか雪隠からでてこないぼくを、お二人はどのように思っていたのかな、などと、今ごろになってつまらないことを思い出し、ひとりで苦笑している。

あれは、あじわい深い山だった。
ひたすらピークをめざす山登りではなく、のんびりと道草をくいながら歩く山旅のよさを教えてもらった山行だった。
これまでたくさん山に登ったけれど、不思議と細部まで覚えているものだ。
登りながらかわした会話の断片、岩清水の感触、道端に咲いていた小さな花々の記憶・・・。 ついきのうのことのように、よみがえってくる。

写真も撮ったはずだが、整理が悪く、夜遅くに探しだすのもたいへんなので、とりあえず書いてみた。

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2006年11月12日 (日)

【山】たまたま深田百名山

ぼくが使っているこのブログ「ココログ」に、マイ・フォトというアルバム機能がある。
フォト・アルバムを作ろうと思いながら、ずっと使わずにいたが、このたび
「たまたま深田百名山」 というタイトルでフォト・アルバム掲載開始。

Hukada_hyakumeizan深田久弥氏の 『日本百名山』 は、いい本だ。
登山家であり、文筆家だった深田久弥さんが、ご自分の基準で選んだ日本の百の名山の登攀記・エッセイである。
だが、この「百名山」という言葉が、山登り愛好家のあいだにおかしなブームを巻き起こしてしまった。
深田さんが選んだ百名山をすべて登ることに情熱をかたむける人たちが出てきたのだ。
深田さんも、今ごろ苦笑していることだろう。

まあ、中高年になって山登りの魅力に開眼した方々が、どの山に登ろうかと迷ったときのガイドにすることに異存はないが、ちょっと異常なブームがいまだに続いているのは、なんだかなぁ。

ぼくの山登りは、登りたいと思った山に登ることだったから、「深田百名山」は何の基準でもない。
ぼくの登った山が、たまたま「深田百名山」だったというだけ。
そんなひねくれた思いから、このタイトルをつけた。

深田氏が選んだ百の名山は、たしかに魅力的な山ばかりだ。
ぼくが「たまたま」登った「深田百名山」のうちのいくつかの山の山行写真を、少しずつアップしていくつもり。
たまたま深田百名山
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/photos/hyakumeizan/

ブログの 「【山】山日誌」 のカテゴリーに、文章とともに掲載している写真ばかりだが、こうしてフォト・アルバムにしてみるのも面白いなぁと思いながら、楽しんでいる。
【山】山日誌 http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/cat5433181/index.html

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2006年10月 9日 (月)

【山】初冠雪と遭難 (続)

白馬岳の遭難について、「信毎」のサイトに、このガイドと参加者について、詳しいことが載っていたので追加する。
ぼくの予想に反して、ベテランガイドであり、参加者もこのガイドについて何度も歩いているという。
(ガイドの実名をイニシャルに変え、記事内容は要約した)

http://www.shinmai.co.jp/news/20061009/mm061009sha2022.htm
登山経験豊富な参加者「予想外の積雪が原因か」

ガイドのTさんは、日本アルパイン・ガイド協会(東京)の認定ガイド。
ヒマラヤの世界第2の高峰K2(8,611m)に挑んだこともある経験豊かな登山家。
パーティーはTさんが募集したツアーで、参加したサブガイドの女性やほかの女性5人も5年以上の登山歴があり、北アルプス縦走も経験していたという。

Tさんは月に2、3回、福岡市内の登山用品専門店のスタッフとして常連客らに登山に関するアドバイスなどをしていた。同店によると、Tさんは、店内にツアー公告を掲示し、中級者を対象に参加者を募集。応募した6人は、これまでも何度かTさんのツアーに参加したことがあるという。

同店の代表(59)は「Tさんは、夏はほとんど北アルプスに行きっぱなし。経験も豊富で、無理はなかったと思う。予想外の積雪が原因としか考えられない」と話している。・・・

ベテランの登山家らしいことは確かだが、やはり、ガイドとしてはどうかと思う。
「予想外の積雪」というが、当日の判断に問題があったのではないか。
というのは、たとえ積雪がなかったとしても、当日の気象状況からかなり厳しい登山条件であり、コースじたいの設定も妥当かどうかと思われるのだ。

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【山】初冠雪と遭難

富士山が初冠雪 平年より6日遅く
甲府地方気象台は7日、富士山の初冠雪を観測した。
平年より6日遅く、昨年より4日早かった。
 http://www.asahi.com/

この時期、初冠雪のたよりが聞かれる。
そもそも、「初冠雪」とは何か。

初冠雪(はつかんせつ)とは、一年のうち、雪に覆われる時期とそうでない時期がある山岳において、夏を過ぎて(その年の最高気温をすぎた後から)初めて山頂に白く積雪ができること。冬の訪れを推し量る指標として用いられ、日本の気象庁では、気象現象として約80の山を対象に観測している。山に雪が降り、そのような時期になることを「初冠雪を迎える」と表現する。
日本の気象庁では、積雪は普通、「積雪計」を用いて実際に雪が堆積した厚みを計測する。しかし、初冠雪に関しては麓にある気象台や測候所から対象となる山の山頂を望め見て、白く堆積したかを確認する。したがって、例え山頂に降雪したとしても、雲によって山頂が隠れてしまった場合、麓から見ることができず、雲が晴れたあと観測されるというタイムラグが発生する。>  ―Wikipedia―

つまり、麓から目視で確認できた時点で「初冠雪」となるらしい。 面白いものだ。
ところで、一年前にこのブログを始めた頃、「【山】紅葉と雪」(2005年10月4日)と題して、1989年の立山での遭難のことを書いたことがある。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_7748.html

今年もまた、この時期、山の遭難のニュースを聞いた。
白馬、穂高、北海道の旭岳・・・。
なかでも、白馬岳の遭難は、ガイドがついていながら何故、と思うようなケースだ。

信濃毎日新聞のサイトから
http://www.shinmai.co.jp/
(記事では実名だったがイニシャルにして、内容を要約した)

10月9日(月)
県警は9日朝、北アルプス・白馬岳(2,932m)で遭難した福岡、熊本両県の男女7人のうち3人をヘリコプターで救助。女性4人の遺体を収容。
7人が遭難した7日午後の白馬岳は吹雪。8日も積雪や強風のため捜索が難航した。

大町署は8日、北安曇郡白馬村の登山口から県警山岳遭難救助隊員6人を山頂近くの現場に向かわせたが、吹雪や白馬大雪渓での雪崩発生などのため、大雪渓下部の山小屋で待機。ヘリコプターも悪天候で飛ばせず、同日午後5時にこの日の捜索を打ち切った。

パーティーは、福岡県大牟田市の登山ガイドTさん(48)が、福岡市内の登山用品専門店を通じて募集したツアー登山。
7日に死亡したとみられる2人は、熊本県大津町の女性(53)と熊本市の女性(61)と判明。
稜線では、福岡市在住の66歳と61歳の姉妹がビバークしたままとなっているが、連絡が取れない。
山小屋に収容された3人のうち、パーティーのサブガイドを務めた福岡県春日市の女性(42)と同県宗像市の女性(67)は凍傷などの軽傷。救助要請したガイドのTさんにけがはないという。

大町署がTさんから電話で聞いた話によると、7日は午後2時すぎから吹雪になり、着衣が凍り付いたような状態になった。福岡市の姉妹が、掛けていた眼鏡が曇って足元が見えなくなり遅れ気味に。Tさんがこの姉妹に付き、ほかの4人を先に行かせた。

その後、ビバークするために、姉妹を横たわらせツェルト(簡易テント)をかぶせようとしたが、強風でツェルトが飛ばされた。そこで、3人のザックで姉妹の体を覆い、自らは救助要請へ。稜線に出てから約50メートル登った場所で、先行の4人グループと出会ったが、既に1人が倒れていたという。・・・

この記事や、同じ「信毎」の別の記事からわかることは・・・
1.登山用品専門店を通じて募集したツアー登山(7人パーティー)だったこと。
2.参加者の年齢が60歳代後半を含む高齢者だったこと。
3.このパーティーが遭難した7日は、日本の東海上を発達した低気圧が進み
 中国大陸から寒気が入り込む冬型の気圧配置だったこと。
4.登山計画書によると、7日朝、富山県側の祖母谷温泉を出発し、尾根を登って
 稜線に至り、同日夜は白馬山荘に宿泊する予定だったこと。
 (かなり難しい10時間前後のコース)
5.ガイドとサブガイドがついていて、ツェルトは持っていたこと。
 (ただし、そのツェルトが強風で飛ばされた)
6.吹雪の中、遅れ気味になった(かけていた眼鏡が曇って足もとが見えなくなった)
 人たちにガイドがつきそって、他の人たちを先に行かせたこと。
 (サブガイドがつきそったかどうかは、この記事では不明)
 つまり、パーティーを分断して行動させた。

さらに、こんな記事も。

6日にパーティーが泊まった富山県側の山小屋の従業員は、出発前、ガイドのTさんに「雨ですけど大丈夫ですか」と声をかけている。その際、Tさんは2年前の同じ時期にも、雨の中、同じルートをツアーで登った経験を挙げ、「大丈夫」と答えて出掛けたという。・・・

どうにも、やりきれない事故だ。
このツアーの企画じたいに問題があるし、悪天が予想される中、登山を強行したガイドの責任は免れないと思う。
山岳ガイドには、信頼できる人と、そうでない人がいる。
そもそも日本の山岳ガイドの制度じたいに問題があるようで、こういうガイドに引率されて遭難した方々が気の毒でならない。

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2006年8月23日 (水)

【山】日本の名峰(続)

NHK BSハイビジョン 「シリーズ日本の名峰」
今夜は三夜目、北海道と東北の山だ。
ビデオをまわしている。

知床、利尻、大雪、どれもいい山だ。
東北の山(鳥海、八甲田、早池峰)もいいけれど、ぼくはやっぱり北海道の山が肌にあうようだ。
知床も利尻も、そして大雪のトムラウシも、まだ登ったことはないが、その姿は何度も見ている。
いつか歩いてみたいな。

NHKオンライン(BSオンライン)
http://www.nhk.or.jp/bs/hvsp/

日本の名峰
http://www.nhk.or.jp/meihou/

再放送予定
http://www.nhk.or.jp/meihou/bangumi.html

大雪の映像がなつかしかった。
トムラウシ山のお花畑は、日本一の広さだという。

四季の映像、上空からの空撮、みごとな映像だった。
明日は遅くなりそうだから、見られないな。

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2006年8月22日 (火)

【山】日本の名峰(TV番組)

NHKハイビジョンで、放映中。
ハイビジョン特集 日本の名峰 「中央・南アルプス、関東周辺の山々」
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2006-08-22&ch=10&eid=3090

昨日からシリーズで放映していたのだが、見逃してしまった。
今夜はビデオをまわしているので、後でゆっくり見よう。

北岳、八ヶ岳(硫黄岳から赤岳、北八ツ)、そして甲斐駒ヶ岳とすすんでいる。
北岳では、キタダケソウが紹介されていた。
この花、自生しているところをぼくはまだ見たことがない。
生えている場所と、花の咲く時期が限られているのだ。

八ヶ岳では、コマクサやウルップソウがきれいだった。
南八ツは赤岳どまりで、権現岳や編笠山が紹介されなかったのが残念。

ちょうど今ながれている甲斐駒は、黒戸尾根の登山道が紹介されている。
この尾根はきつそうだ。
映像でみると、いっそうよくわかる。
ぼくはいつも北沢峠からしか登らなかったが、この黒戸尾根はいつか登ってみたいコース。

この後、中央アルプスや御岳、尾瀬などが映るはずだ。
山はいいな。

http://www.nhk.or.jp/bs/hvsp/
8/23(水) シリーズ日本の名峰  北海道・東北の山々
8/24(木) シリーズ日本の名峰  富士山・西の山々
と続く。
ちなみに、昨日は北アルプスだった。

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2006年8月12日 (土)

【山】立山(3)

室堂から雄山山頂まで、約2時間半。
ぐんぐん高度をかせぐことができて気持ちのいい登山道だが、なかなかきつい登りだ。
山頂には雄山神社があり、お祓いもしてくれた。

つれあいにとっては、きびしい山歩きだったようだが、今となっては楽しいおもいでである。
室堂から扇沢に戻り、最終日は大町温泉の民宿に泊まって帰ってきた。

Tateyama91_panorama2立山山頂からの展望。
右端は劔岳。
この翌月、ひとりで登りにいった。


Tateyama91_07Tateyama91_08(左) 黒部湖と針ノ木岳(右端のピーク)
  蓮華岳(中央奥)
  スバリ岳(左端)
(右) 劔岳 

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【山】立山(2)

1991年8月23日、雷鳥沢キャンプ場に昼ごろ到着。
翌24日、室堂周辺を散策した。
遊歩道が巡らされていて歩きやすい。
地獄谷も歩いてみた。

25日。 雄山山頂を目指してキャンプ場を出発したが、出発時刻が遅かったことと、雨模様の天気、おまけに、つれあいが軽い高山病になったらしく調子が悪い。
そんなわけで、テントに戻って撤収。 雷鳥荘という山小屋に逃げ込んで泊めてもらった。
山小屋でゆっくり休んだせいか、つれあいの調子も回復。
26日。 天気も回復した。 雷鳥荘から軽装で雄山山頂をめざす。

Tateyama91_01Tateyama91_02Tateyama91_03Tateyama91_04   

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【山】立山(1)

立山 (3015m)
 立山はわが国で最も早く開かれた山の一つである。
縁起によれば、大宝元年(701年)佐伯有若が越中の国司として在任中、その子の有頼が白鷹を追うて立山の奥深く入り、弥陀三尊の姿に接して随喜渇仰し、慈興と号して立山大権現を建立したという。 (中略)
 越中の平野から臨むと、立山は特にピラミッドにそびえた峰でもなければ、左右に際立った稜線をおろした姿でもなく、つまり一個の独立した山というより、波濤のように連なった山といった感じである。  ― 深田久弥 『日本百名山』 ―

Tateyama91_panorama_2





立山には91年8月、はじめて訪れた。 その前の月には白馬岳、前々月には針ノ木岳・蓮華岳にひとりで登っている。
91年夏、つれあいと二人でテントを持ってでかけた。
夜行4泊5日、どちらかというと雷鳥沢キャンプ場(上の写真)でのんびり過ごそうという思わくだった。

8/22(木)の夜行列車で信濃大町へ。
そこからタクシーで扇沢に入り、トロリーバスで黒部ダムに出る。
黒部ダムからケーブルとトロリーバスを乗り継いで室堂に出る、というコースだ。
東京方面からだと、このルートだ便利である。
ただし、扇沢~室堂間の交通費は5000円以上かかる。

室堂は、富山側からもバスで入ることができ、ハイヒールでも散策できるところだ。
ツアーの観光客が多いが、雷鳥沢のキャンプ場まで足をのばす人は少ない。
広々としてきもちのいいテントサイトである。

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2006年8月11日 (金)

【山】なつかしのハイパロン

【山】(山日誌)のカテゴリーに、無理やり入れてしまおうっと。

ちょっと自信がないが、たしか「ハイパロン」と言ったと思う。
その昔、ゴアテックスの雨具が高価だったころ、ゴム引きの上下の雨具を山登りに使っていた。
防水効果バツグン、ムレ効果もバツグンという、困ったものだった。

ゴアテックス(外からの雨滴の侵入を防ぎ、内側の汗の水蒸気を逃がす、魔法のような素材)の雨具を身につけたときは、こんなに素晴らしいものが世の中にあるということに感動したものだ。

Gore_1そのゴアの雨具も、雪山のアウトウェアとして使ったりしているうちに、撥水加工がとれてきて、あまり役にたたなくなっている。
そろそろ、新しいのがほしいな・・・と思いつつ、なかなか買えない。
もっとも、新しい雨具を必要としていない(山登りに行っていない)自分が悲しいが。
ちなみに、明日も同行する配偶者のゴアの雨具は、まだまだ立派なのである。

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2006年8月 6日 (日)

【山】鹿島槍・爺ヶ岳(6)

鹿島槍ヶ岳からのパノラマ写真。

山頂から南側の展望。
 中央の奥:槍・穂高連峰
 中央手前:蓮華岳  その右:針ノ木岳
 右端:薬師岳
 左手前:布引岳から爺ヶ岳への稜線
 (爺ヶ岳から針ノ木岳へ続く稜線がよくわかる)
900723_panorama_1






立山・劔の展望。
 右のごつごつした山が劔岳。 左端が雄山(立山連峰の最高点)。
900723_panorama2

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【山】鹿島槍・爺ヶ岳(5)

鹿島槍(南峰)まで軽装で往復した後、冷池山荘に戻ってザックを背負い、稜線を爺ヶ岳へむかう。
中峰をまいていく道もあるが、北・中・南の三峰を通ってみる。
900723_15900723_14(左) 鹿島槍をふりかえる。
(右) 爺ヶ岳連峰。 左下に冷池山荘が見える。
冷池山荘 8:50/:55
(小屋のラーメン600円を食す)
冷乗越 10:05
900723_17900723_18爺ヶ岳(中峰=三角点峰) 10:50/11:05
針ノ木雪渓、扇沢が見えた。
種池山荘 12:20/13:00 (写真右)
ここにも種池という池があり、キャンプ指定地になっている。
柏原新道を下り、扇沢にむかう。
900723_19900723_20扇沢には15:05に到着。
ここは、針ノ木峠への登山口にもなっていて、信濃大町へのバスが出ている。
バスで信濃大町に出て、松本経由の中央線電車で帰宅した。
立川に着いたのは夜の9時頃だった。 

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【山】鹿島槍・爺ヶ岳(4)

冷池小屋は、鹿島槍ヶ岳と爺ヶ岳の間の稜線上にある、いい小屋だ。
記憶にはないが、冷池(つべたいけ)という池もあり、キャンプ指定地(テント場)もあった。

1990年7月22日(日)、朝からよく晴れていた。
早朝3時に目がさめる。 外は満点の星。
3:45に起床、かんたんな朝食をとって、4:10に小さなザックを背負って鹿島槍へむかう。

900722_02900722_03(左) 爺ヶ岳連峰
 北峰、中峰、南峰の三峰からなる。
 三角点は中峰にある(標高2669.8m)
(右) 朝日を浴びる劔岳

900722_04900723_04お花畑の広がる稜線を北にむかうと、布引岳(2683m)というピークがある。 雷鳥をみかけた。


900723_05900723_06南の方角、爺ヶ岳のむこう、はるか遠くに槍・穂高連峰が見える。
鹿島槍山頂(南峰2889.1m)の山頂は広く、展望がいい。 白馬、五竜、八ヶ岳、富士山、南アルプス、浅間山、北アルプス南部(槍・穂高)、立山、劔、蓮華岳、薬師岳などを確認。
5:55に到着し、7:00まですごす。
冷池から鹿島槍までの稜線で確認した花々・・・チシマギキョウ、イワツメクサ、イワオウギ、シナノキンバイ、チングルマ、コバイケイソウ、イワベンケイ、イワカガミ、など。
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2006年8月 5日 (土)

【山】鹿島槍・爺ヶ岳(3)

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冷池山荘には11:55に到着。
ラーメンを食べ、受付をすませて部屋に案内されたが、時間が早いせいで他には誰もいなかった。
一時間ほどぐっすり眠る。
友人にはがきを書いたり、持参のコーヒーを入れて飲んだりして、夕食の時刻までゆっくりくつろいだ。
いちばん左の写真は、ブロッケン現象。 高山で何度か経験しているが、神秘的だ。

小屋の周辺で撮ったのか、登りの途中で撮ったのか不明だが、花の写真がたくさん残っている。 高山植物の花の盛りの時期だった。

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【山】鹿島槍・爺ヶ岳(2)

900721_01(山日記から)
7/21(土) 晴→快晴
大町駅前はタクシーに乗る人でいっぱい(大谷原方面はいなくて、相乗りの人を待つ) 山よく見える(鹿島槍、爺ヶ岳も)
信濃大町発 5:20 (タクシー) 3,780円
大谷原(新大谷橋) 5:40/6:00
自家用車7台、すでにあり (おにぎり2ヶ)  後よりタクシーで2人来る
気温20度 涼しい 晴天! 陽が昇って暑くなる
 (略)
1700m付近 8:10/8:35
あまりの眠さに仮眠(20分)
 (略)
高千穂平(2050m) 9:30/9:55
見晴らしよし 遠く富士山が見える
風が気持ちよいが、陽ざし強烈 (おにぎり1ヶ、ドライフルーツ、ポカリスエット)
白樺平付近(2200m) 10:20/10:40
カメラの露出計不調 電池交換(なおった!) きつい登りで休みが多い

・・・たしかに、このコースは日本三大急登(だったかな?)の一つといわれるだけあって、きつかった。
登山道で仮眠したのは、後にも先にもこの時だけかもしれない。

900721_04冷乗越(つべたのっこし)に着いたのは、11時20分。
冷池山荘は、もう目と鼻の先だ。
写真後方の山は、立山連峰と劔岳。

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【山】鹿島槍・爺ヶ岳(1)

「ぼくが登った深田百名山シリーズ」 9座目。
1990年7月20日(金)夜~7月22日(日) 鹿島槍ヶ岳 爺ヶ岳
天候に恵まれ、会心の山旅だった。

9007kashimaこの二週間前には、唐松岳と五竜岳に登り、さらにその二週間前には、白馬岳に登っている。
三十代最後の年、夜行一泊の登山を続けていた元気な時期だ。
急行アルプス(夜行)で信濃大町駅へ。
一日目は、大町からタクシーで大谷原の登山口へ。 赤岩尾根の急登をたどって冷池(つべたいけ)山荘まで。
翌朝、鹿島槍の南峰までピストン。 小屋に戻ってから、爺ヶ岳を通って南下。 柏原新道を下り扇沢へ、というコースだった。

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2006年6月17日 (土)

【山】五竜岳(3)

もう16年も前の山行だが、山日記と写真が残っているのはありがたい。
当時の喜びが、ほんのすこしだけよみがえってくる。
また登ってみたいものだ。

900707_20八方池
想像していたよりもずっと小さな、かわいらしい池だった。
登りはじめてから3時間、時刻は9:30頃。
池のむこうに白馬連山が見える。
このあたりから、シラネアオイやサンカヨウなどの花々が多くなる。
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左から、ミヤマアズマギク、サンカヨウ、キヌガサソウ、シラネアオイ。

八方尾根を登りきって、唐松山荘には13;00頃到着。
夕方までまだ時間があったので、ここに荷物を置いて唐松岳山頂まで往復。

その後、五竜山荘まで足をのばしたのだが、唐松山荘から五竜山荘までの道が予想外にけわしく、五竜山荘に着いたのは17:00頃になってしまった。

山小屋に到着する時刻としては遅いのだが、小屋の人の応対はよかったと思う、
たいてい、到着が遅いだの、山小屋にはもっと早く着かないといけないだの、この時刻だと食事の準備が・・・などと厭味のひとつも言われるものだ。
ぼくは、この日、自炊だったので何も言われなかったのかもしれない。

翌朝、ガスが出て風も強かったが、朝日にかがやく五竜岳がすばらしかった。
朝食をとらずに、4:30に小屋を発ち、五竜岳の頂上まで1時間10分。
山頂ではガスにまかれて展望はあまり得られなかったが、鹿島槍が間近に見えた。

900707_42鹿島槍は、姿のいい山である。
それまでも、遠くから見たことはあったが、これほど間近で見たことがなかった。
この姿に惚れて(?)、なんと二週間後に鹿島槍、爺ヶ岳に登ることになろうとは・・・。
五竜岳の山頂で、ちょうどこの日が51歳の誕生日だという単独行の男性に出会い、記念写真のシャッターを押してあげた。
900707_38900707_45900707_52900707_53   



この方とは、いっしょに下山し松本駅で別れたが、いまだに年賀状のやりとりを続けている。

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【山】五竜岳(2)

9007goryuu1唐松岳・五竜岳
(八方尾根~五竜山荘~遠見尾根)
1990.7.6(金)夜~7.8(日)
立川発0:19の急行アルプスの指定席で白馬駅まで。
土曜日の早朝、天気は曇り。
駅前からタクシーで、黒菱平の登山口6:30。
冬場はスキー場になる八方尾根のリフトも、この時期は運転していないので、徒歩で登る。
岩まじりの急斜面で、なかなかきつい(と、山日記に書いてある)。

900707_04コバイケイソウ、ニッコウキスゲが咲いていた。
早朝、人気のないスキー場の斜面を、寝不足のからだで登るのはつらいものだ。
そんなとき、登山道わきの花々がなぐさめとなる。
すでにこのあたりから、白馬三山が見えてうれしかった。
二週間前に登った山だと思えば、なおさら喜びが増す。

900707_03_1900707_09白馬三山
右から、白馬岳、杓子岳、鑓ヶ岳(白馬鑓)。
どれも山容が大きい。

900707_13900707_18写真の撮影ポイントが不明だが、八方尾根の下部(八方池よりも下)から、五竜岳や鹿島槍、不帰(かえらず)ノ嶮が見えていた。
【写真(左)】鹿島槍の双耳峰と五竜岳。
【写真(右)】不帰ノ嶮と天狗ノ頭(白馬三山の南端にあるピーク)。   

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2006年6月16日 (金)

【山】五竜岳(1)

ひさしぶりに 「ぼくが登った深田百名山」 シリーズ。
3月6日掲載の大雪山
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_65d1.html
に始まって、これで8山目かな?
(カテゴリ 【山】山日誌 に入れている)

後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)
北アルプスのうち黒部川の東側に連なる山域の総称。
黒部川を隔てて立山連峰と対峙している。
富山県と、新潟県又は長野県の県境の稜線が主な山域と言える。
後立山連峰の範囲は諸説あるが、南の範囲は針ノ木岳と蓮華岳の間の針ノ木峠までとする定義が一般的である。
なお、狭義では、鹿島槍ヶ岳のみをさすこともある。 ― Wikipediaから ―

今回は、五竜岳(ごりゅうだけ)
標高2814m。 3000メートルに満たないけれど、姿かたちのいい山である。
深田久弥 『日本百名山』 の「五竜岳」の項、冒頭には次のように書かれている。

北安曇から後立山連峰を眺めると、高さは特別ではないが、山容雄偉、岩稜峻厲(しゅんれい)、根張りのどっしりとした山が眼につく。 それこそ大地から生えたようにガッチリしていて、ビクとも動かないと言った感じである。 これが五竜岳だ。
 ― 深田久弥 『日本百名山』 ―

900707_39(写真) 朝日にかがやく五竜岳 1990.7.8
1990年、6月下旬に白馬岳に登ったその二週間後の週末。
例によって金曜夜発夜行一泊二日。
白馬駅から八方尾根経由で唐松岳に登り、五竜山荘に宿泊。
翌日曜日、五竜岳山頂まで往復し、遠見尾根経由で神代駅に下った。

900707_35900707_36花と、白馬三山、鹿島槍の展望を思う存分たのしんだ山行だった。
次回、このとき撮った写真のいくつかを紹介したい。   

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2006年4月12日 (水)

【山】たくさん登った頃

山日記の手帳を見ると、1990年~92年の登山歴がすごい。
自分でもあきれるほどだ。
ことに、雲取山に年間5回(1990年)というのは、何故なんだろう?という疑問がわく。
たぶん「凝り性」の性格が出ているんだろうな。

1990年 (23回)
1/21(日) 大岳山 (御岳~大岳山~高岩山~御岳)
1/27(日) 鷹ノ巣山 (稲村岩尾根~六ツ石山~水根)
2/3(土)~4(日) 大菩薩峠 (裂石~ハンノ木坂~介山荘)
2/11(日)~12(月) 雲取山 (鴨沢から往復、奥多摩小屋泊)
2/25(日) 高川山 (禾生~松葉・田野倉)
3/4(日) 扇山 (鳥沢~犬目~四方津)
3/10(土)~11(日) 雲取山 (鴨沢から往復、奥多摩小屋キャンプ地テント泊)
3/17(土)~18(日) 雲取山 (鴨沢から往復、雲取避難小屋泊)
4/1(日) 滝子山 (笹子~寂惝尾根~初狩)
4/28(土) 生藤山 (石楯尾神社~三国峠~和田峠)
5/6(日) 川苔山 (川苔谷~川苔山~ウスバ乗越~鳩ノ巣)
5/12(土)~13(日) 雲取山 (鴨沢~雲取山荘~三條ノ湯)
5/20(日) 鷹ノ巣山(水根沢林道~榧ノ木尾根~熱海)
5/31(木)夜~6/3(日) 尾瀬 (沼山峠~尾瀬沼)
6/16(土)~17(日) 八ヶ岳 (赤岳鉱泉~硫黄岳~天狗岳~渋の湯)
6/22(金)夜~24(日) 白馬岳 (栂池~白馬大池~白馬岳~大雪渓)
7/6(金)夜~8(日) 唐松岳・五竜岳 (八方尾根~五竜山荘~遠見尾根)
7/20(金)夜~22(日) 鹿島槍ヶ岳・爺ヶ岳 (赤岩尾根~冷池~柏原新道)
8/3(金)夜~6(月) 表銀座(燕岳~槍ヶ岳) ツェルト幕営
8/16(木)夜~20(月) 雲ノ平、三俣蓮華岳、双六岳
9/22(土)~24(月) 八ヶ岳(赤岳~権現岳~編笠山)
11/24(土)~25(日) 大菩薩峠 (塩山~介山荘~唐松尾根~塩山)
12/23(日)~24(月) 雲取山 (鴨沢から往復、雲取山荘泊)

1991年 (21回)
1/3(木)~5(土) 雲取山 (三条ノ湯~雲取山荘~鴨沢)
1/20(日) 川苔山 (川苔谷~ウスバ尾根~大ダワ~鳩ノ巣)
1/27(日) 鷹ノ巣山 (稲村岩尾根から往復)
2/10(日)~11(月) 八ヶ岳 (硫黄岳)
3/21(木) 大岳山・御岳山 (御岳から往復)
4/14(日) 日の出山 (養沢~御岳山表参道)
4/21(日) 高尾山
4/28(日) 生藤山 (石楯尾神社~浅間峠~上川苔)
5/4(土)~6(月) 上高地・徳本峠
5/11(土)~12(日) 大菩薩峠・大菩薩嶺
6/1(土)~3(月) 尾瀬 (鳩待峠~尾瀬ヶ原~尾瀬沼~沼山)
6/15(土)~16(日) 八ヶ岳 (赤岳、行者小屋~真教寺尾根)
7/5(金)夜~7(日) 針ノ木岳、蓮華岳
7/19(金)夜~21(日) 白馬 (大雪渓~杓子・鑓~鑓温泉)
8/22(木)夜~27(火) 立山 (雷鳥沢キャンプ場、雄山往復)
9/14(土)夜~16(月) 立山・剣岳
9/20(金)夜~23(月) 穂高 (涸沢~北穂~奥穂~前穂~岳沢)
10/20(日) 大岳山
10/26(土)~27(日) 南八ヶ岳(編笠山、青年小屋泊)
11/9(土)~11(月) 雲取山 (三条の湯~雲取山荘~鴨沢)
12/22(日)~23(月) 天狗岳 (渋ノ湯から往復)

1992年 (20回)
1/3(金)~5(日) 甲斐駒ヶ岳
1/18(土)~19(日) 雲取山 (鴨沢から往復)
1/24(金)~26(日) 北八ヶ岳 (北横岳・縞枯山・茶臼山~丸山・高見石)
2/22(土)~23(日) 八ヶ岳 (赤岳)
3/20(金)~22(日) 北八ヶ岳 (XCスキー)
5/2(土)~6(水) 穂高 (涸沢~奥穂高岳往復)
5/30(土)~31(日) 南八ヶ岳 (編笠山、青年小屋)
6/13(土)~14(日) 岩菅山 (避難小屋泊)
6/19(金)夜~21(日) 北岳 (肩ノ小屋泊)
8/1(土)~2(日) 仙丈岳 (馬の背ヒュッテ泊)
8/11(火)夜~14(金) 三伏峠~塩見小屋 (塩見岳登頂断念)
8/15(土)~8/16(日) 南八ヶ岳 (編笠山、青年小屋)
9/4(金)夜~7(月) 白峰三山 (広河原~北岳・間ノ岳・農鳥岳~奈良田)
9/12(土)夜~14(月) 太郎兵衛平 (薬師岳登頂断念)
9/26(土)~28(月) 立山 (雄山)
10/10(土)~11(日) 南八ヶ岳 (青年小屋)
10/24(土)~25(日) 南八ヶ岳 (青年小屋)
10/31(土)~11/1(日) 南八ヶ岳 (青年小屋)
11/22(日)~23(月) 雲取山 (三峰~雲取山荘泊~鴨沢)
12/19(土)~20(日) 硫黄岳 (八ヶ岳)

1992年のふたつの「登頂断念」は、ともに悪天候のため。
塩見岳は、その後1998年の9月にピークを踏むことができた。
薬師岳(北アルプス)へは、とうとう登れなかった。
ぼくにとっては「幻のピーク」である。

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2006年4月 8日 (土)

【山】白馬岳(5)

1991/7/19(金)夜~7/21(日)の、白馬三山(白馬岳頂上には登らなかったが)の山旅。
写真がたくさん残っていて、なんとも懐かしい。

ぼくは、山小屋に置いてあるスタンプが好きで、よく山日記に押していたものだった。

Shirouma_note1991_1_1(左)猿倉荘のスタンプ
7/20(土)、JR大糸線白馬駅前から早朝7:15のバスに乗り、猿倉荘まで入る。
当日は雨。 小屋の中はたいへんな混雑だった。
ここで、持参のおにぎりとバナナの朝食をとった。
雨具上下、スパッツ、傘という完全武装で歩き、汗だくになった、とある。
(当時、まだゴアテックスの雨具をもっていなかったようだ)
この日は、雨の中、大雪渓を登り、村営の白馬岳頂上宿舎まで歩いた。

Shirouma_note1991_2_2(左)白馬岳頂上宿舎のスタンプ
この小屋には、お昼すぎに到着している。
大雪渓末端の「白馬尻荘」を発ったのが8:40だから、4時間弱の登りだった。
頂上宿舎で昼食(持参の蕎麦・・・インスタントか?)を食べ、夕食は小屋の食事をお願いした。 一泊夕食付で5800円。
ここで、姫路から来ていた男性とお話し、これが縁でその後も手紙や年賀状のやりとりが今もって続いている。 思えば、この方とも、長く淡いおつきあいだ。

Shirouma_note1991_3(左)白馬鑓温泉のスタンプ
白馬鑓ヶ岳の中腹、標高2100mのところにある温泉。
ちいさな小屋と露天風呂(混浴)の、なかなかワイルドな温泉である。
下山途中に寄ったが、男性に混じって堂々と(?)裸体をさらしていたご婦人には、驚いた。 この露天風呂は囲いもなく、まさしく衆人環視。
ぼくは勇気がなくて入れなかった。 今だったら、ためらいなく入るだろうが。

199107_17(左)白馬鑓温泉
温泉宿ではなく、山小屋である。季節営業。
「日本最高所の温泉」と言っていた時期もあったが、もっと標高の高いところもあったらしく、最近は言わなくなったようだ。

白馬鑓温泉からの下りも、花がたくさん咲いていた。
(写真下左から) ハクサンイチゲ キヌガサソウ エンレイソウ 他
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2006年4月 7日 (金)

【山】白馬岳(4)

いま思うと、白馬岳はいい山だった。
なによりも高山植物の宝庫というところがいい。
また、いつか行ってみたいものだ。

1991年の7月下旬、まさに高山植物の花ざかりの時期に、大雪渓を登り、村営頂上小屋に泊って、杓子岳から鑓ヶ岳(白馬鑓ヶ岳)を経て鑓温泉、猿倉へ