カテゴリー「沖浦和光」の11件の記事

2015年7月 9日 (木)

【読】沖浦和光さん死去

秘かに敬愛していた沖浦和光さんが亡くなったそうだ。

訃報:沖浦和光さん88歳=桃山学院大名誉教授 - 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20150709k0000m060036000c.html

<毎日新聞 2015年07月08日 19時52分   
 沖浦和光さん88歳(おきうら・かずてる=桃山学院大名誉教授)8日、腎不全のため死去。葬儀は近親者で営む。しのぶ会を後日開く。喪主は妻恵子(やすこ)さん。      
 大阪府生まれ。中学教諭などを経て桃山学院大教授。1982〜86年、学長も務めた。英文学専攻だったが、70年代前半、被差別民や漂泊民に研究テーマを変えた。研究対象は、国内の被差別民、漂泊民だけでなく、インド、インドネシアにも及んだ。著書に「幻の漂泊民・サンカ」「天皇の国・賤民の国」、共著に作家、故野間宏との「アジアの聖と賤」、俳優の故三国連太郎との「『芸能と差別』の深層」など多数。2012年、人権活動への取り組みが評価され松本治一郎賞を受賞した。>

沖浦さんといえば、岩波新書の「民俗誌」シリーズを読んで、衝撃を受けた。
また、『幻の漂泊民・サンカ』や、五木寛之さんの「日本人のこころ」シリーズでの対談からも、多大な影響を受けた。

優しそうでいながら、芯の強そうな風貌にも、好感を持っていた。
偉大な先達が、すこしずつ退場していくのだな、と思うと淋しい。

              

沖浦さんの遺した著作から、私は、まだまだ学ぶことがある。
手もとにありながら、読んでいない著作がたくさんたまっているので。

【参考サイト】
10代の人権情報ネットワーク Be_FLAT
http://www.jinken.ne.jp/be/ より

「日本人」はどこから来たのか 沖浦和光さん
http://www.jinken.ne.jp/be/meet/okiura/
なぜ人は、歌い、踊り、演じるのか 沖浦和光さん
http://www.jinken.ne.jp/be/meet/okiura/okiura2.html

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2007年9月13日 (木)

【読】「悪所」の民俗誌

Okiura_akusyo沖浦和光 『「悪所」の民俗誌』 文春新書

https://amzn.to/3NsB6HH

290ページのやや分厚い新書。
半分ほど読んだ。
とても刺激的な内容で、付箋がたくさんついた。
文章力がないので上手に紹介できないのだが、面白いと思った箇所をランダムに書いてみたい。

第一章 わが人生の三つの磁場
沖浦さんの「生存の根っこに横たわる<人生の磁場>」。
(この表現が、ちょっと学者っぽくてカタイ気がするが・・・)
第一は、幼少年期を過した「まだ近世の面影が残っている旧摂津国(現・大阪府北部)の農村」。
その街道筋で昭和初期の民俗(トボトボと街道を旅する遊芸民、遊行者)を見聞した。
第二は、小学校低学年時代に生活した、大阪市南部の釜ヶ崎(日本最大のスラム)。
第三は、青春前期、敗戦直後に上京して住んだ、隅田川の東岸地域。
永井荷風の『濹東奇譚』に出てくる地帯だ。 下町の職人の小さな家に下宿していた。

「悪所」を構成する三条件
江戸時代から「悪所」と呼ばれていた地域には、三つの条件があった、と沖浦さんは言う。
色里・遊里、芝居町、被差別民の集落、の三つ。
大阪では、釜ヶ崎、飛田、天王寺、西浜周辺。
東京なら、浅草、吉原、山谷と深川あたりが渾然一体となったような感じの「社会的トポス(場)」。

<私は今でも高尚を自称する「貴族趣味」や、もったいぶった「ブルジョア気取り」には違和感を感じる。 それはほとんど本能的といってもよい。その逆に、「周縁や辺界」あるいは「底辺や悪所」と呼ばれていたものには、どういうわけか自然にそこへ吸引されていく。 体内で先天的な共鳴感が生じるのだ。> P.15

第二章 「悪所」は「盛り場」の源流
「盛り場」は、江戸期では「栄り場」とも表記されていた。
「盛り場」の原義は、人出で賑わう繁華街だった。
今日の大都市の「盛り場」の源流は、近世初期まで遡ることができる。
浅草、新宿、品川、深川など、大東京の盛り場の大半は、近世の「悪所」を核として形成された。
大阪、京都もほぼ同じ。
東京の銀座のように、維新後の都市計画に基づいて新しく造成された繁華街は、例外。

「阿国歌舞伎」
天正末から慶長初年にかけて、加賀国や出雲国の出身と名乗る「ややこ踊」の座が出てきた。
その中のひとつ、「阿国歌舞伎」が評判になり、「かぶき踊」と呼ばれるようになった。
「かぶき者」に扮した女性が、きらびやかな衣装で登場する「茶屋遊びのまね」が、大人気となった演目。
(まさに、ミュージカル「阿国」の世界だ)

興味ぶかい「註」がある。
<覆面にヘルメット、右手にゲバ棒を持った70年代の全共闘も、この「ばさら」→「かぶき者」の系譜の末裔になる。 いずれ乱世が極まるであろうが、また新しい「ばさら」が現れるか。 ただし、今の「かぶき者」風の若者から、何か新しいものが産まれる気配はまだない。> P.50

もうひとつ面白い「註」が。
<そもそも「役者」は、寺社の祭祀儀礼の際に特定の「役」を持つ者の呼称だった。 それがしだいに例えば能役者のように、芸能をもって祭事に奉仕する者を指すようになった。> P.63

第三章 遊女に潜む霊妙なパワー
いくつかキーワードを。
後白河法皇、『梁塵秘抄』、大江匡房(まさふさ)、『遊女記』、『傀儡子記(かいらいしのき)』。
この後白河院というのが、なかなか魅力的な人物に思える。
もうひとり、後鳥羽院も。

<後白河院は、いろんな意味で、院政史上だけではなく、天皇制の歴の中でも特筆すべき異能の王であった。> P.82
その第一は、政治家としての力量。 平安末期から鎌倉幕府創設期に至る「武者(むさ)の世」の始まりを告げる大激動期に、権謀術数と果敢な行動力で、なんとか未曾有の難局を切り抜けた。
第二は、行真という法名を名乗って、旺盛な政治活動のかたわら、仏道に精進した。
33回とみられる熊野御幸を始め、生涯を通じて深く仏教を信仰した。
第三は、芸能の分野における功績。
院が愛好したのは、貴人にもてはやされていた芸能ではなく、下層の民衆の間で流行した俗謡、「はやりうた」だった。
<院は卑賤の女たちの「声わざ」を心から愛して、ついに『梁塵秘抄』の編纂を決意したのである。> P.84

第四章 「制外者」と呼ばれた遊女と役者
<「制外者」は「にんがい者」とも読まれていた。 その意は「人外」であって、人倫の理に背いていること、儒教的に言えば、人と人とのあるべき社会秩序から外れていることを意味した。> P.124
ここで、浅草弾左衛門が登場する。
この章の節題をあげておく。
 戦国期からの「河原者」の進出
 江戸幕府と近世賤民制
 三都を中心とした近世都市の成立
 都市設計の思想と「遊廓」の位置


第五章 特異な都市空間としての「悪所」
いま読んでいるところ。

この後、
第六章 <悪>の美学と「色道」ルネサンス
第七章 文明開化と芸能興業
 (巻末あたりでは、夏目漱石、永井荷風、徳富蘆花らも登場するようだ)
と続く。

いったんは、途中で投げ出そうかとも思ったが、だんだん面白くなり、はまってしまった。
なかなか人間味あふれる内容なのだ。
ちょっと難しいところもあるけれど。

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2007年9月 7日 (金)

【楽】【読】夢見昼顔

沖浦和光さんの 『旅芸人のいた風景』 は面白かった。
Okiura_tabigeinin1_2論文臭さがなくて、好感のもてる文章。
沖浦さんの体験がたくさん書かれていて興味ぶかかったし、わたし自身のこどもの頃のことも思いだした。
遊芸者、旅芸人を、こどもの頃に見かけたおぼえがある。
お祭りにはサーカスの一座が来ていたし、啖呵売(たんかばい)をする「テキヤ」も、まだいたのだ。

<少年の頃、私は摂津の箕面村(現・箕面市)に住んでいた。 (中略) 西国三十三所めぐりの「巡礼」をはじめ、「虚無僧」「六部」「山伏」などの旅姿をよく見かけた。 (中略) 初春には「万歳」「大黒舞」などの祝福芸人がやってきた。>
(沖浦和光 『旅芸人のいた風景』 文春新書 P.20-21)

この本を読んで、こどもの頃の記憶をよみがえらせたりしているうちに、ふと、ある歌の一節をおもいうかべていた。

Kaerou「夢見昼顔」 作詞/作曲/歌 須藤もん
  ファースト・アルバム 『かえろう』 (2002年) に収録
http://homepage2.nifty.com/sudomon/album.htm
このアルバムの中で、いちばん好きな歌がこれだ。

 

 
♪ きのうの 寝苦しい 夜がおいていった
  朝もやにたちくらむような気はしても
  どこからともなく はじまるあの賑わい
  子どもみたいに 胸はざわざわしてる
  そしてあなたは 旅芸人のように
  待ちわびたこころを ひととき照らした ・・・ ♪

「旅芸人」 ―― こういうことばを紡いで歌をつくりあげる もんさんのセンスは、並大抵ではないと思う。

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2007年9月 6日 (木)

【読】インドネシアの寅さん

沖浦和光さんの著作に 『インドネシアの寅さん』 がある。
私はまだ読んでいないが。

フーテンの寅さんは 「テキヤ」 だが、古くは 「香具師(ヤシ)」 と呼ばれた大道行商人である。
日本にはもう、現役の本格的な 「香具師」 はいなくなったという。
(縁日などの露天商はいるけれど)
インドネシアにも、フーテンの寅さんのような人たちがいるらしい。
(ここ数年のあいだに、ほとんどいなくなったというが)

<映画で寅さんが演じるテキヤは、もちろんフィクションであるから実状そのままではない。 柴又がオモテに出て、浅草はカゲに隠されている。 / 寅さんの姓の車は、浅草の非人頭だった車善七の家名からとったのであろうか。 香具師の歴史性に、脚本をてがけた山田洋次監督も配慮されたのであろう。 / テキヤの古老に寅さん映画の感想をきいたことがあった。 (中略) 「あれはロマンやね」 と付言された。>
(沖浦和光 『旅芸人のいた風景』 文春新書 P.203)

沖浦和光さんの著作
『インドネシアの寅さん』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000027883
『日本民衆文化の原郷』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167679752
『「芸能と差別」の深層』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480420894
『天皇の国・賤民の国』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309408613
『陰陽師の原像』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000223798

塩見鮮一郎 『車善七』 (全3巻)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480803750
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480803769
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480803777

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2007年9月 4日 (火)

【読】沖浦さんの新刊(続)

沖浦和光さんの、こんな本も出版されていたのだった。


Okiura_akusyo_2沖浦和光
 『「悪所」の民俗誌 色町・芝居町のトポロジー』
 文春新書 497 2006.3.20
トポロジー(topology)とは、位相数学(幾何学)、地勢学、という意味の言葉らしい。

いま読んでいる 『旅芸人のいた風景』 には、浅草弾左衛門とその配下の「非人」、「乞胸(ごうむね)」らの芸能民も登場し、私にとって、このうえなくおもしろい。
私の幼児の頃のかすかな記憶をたどってみると、流しの遊芸民がまだ身近にいたような気がする。

川端康成の 『伊豆の踊り子』 も、旅芸人一座とのふれあいの話だ。
そういえば、この有名な小説をきちんと読んでいない。
「物乞い、旅芸人、村に入るべからず」 と書かれた立札が、伊豆の村の入口にあったと、『伊豆の踊り子』 に書かれているという。

『「悪所」の民俗誌』 の帯の惹句もおもしろい。
 そうだったのか、ひとの世は!
 天に「星」あり、地に「悪所」あり
 賤視された「制外者(にんがいもの)」の聖なる世界

帯の裏には――
 中世の遊女は<聖性>を帯びていた
 出雲阿国はアルキ巫女だった
 悪所は、遊女町・芝居町とワンセット
 河原は、あの世とこの世をつなぐ
 などなど、<色><惡><遊>から読み解く日本文化

『旅芸人のいた風景』  目次から
遊行する渡世人 / 乞食巡礼と御詠歌 / 「辻芸能」としての大道芸 / 川端康成の『伊豆の踊り子』 / 宝塚歌劇、温泉、箕面の滝 / 修験道の行場と西国三十三所巡礼 / 芝居小屋と活動写真 / 最後の役者村・播州高室 / 村に旅の一座がやってきた / 一晩で出現する祝祭空間 / 舌先三寸の啖呵売 / 大道芸の王者「ガマの膏売り」 / ひとり旅の「フーテンの寅さん」 / 香具師の本義は愛敬芸術 / 市川団十郎のお家芸「外郎売り」 / 大江戸の辻芸――非人・乞胸・願人坊主・香具師 / 近世の身分制と芸人 / 香具師からテキヤへの「渡世替え」 / ヤブ医者・渡医者・辻医者

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2007年9月 3日 (月)

【読】沖浦さんの新刊

沖浦和光(おきうら・かずてる)さんの新刊が出たことを新聞広告で知って、さっそく購入。
Okiura_tabigeinin1_2Okiura_tabigeinin2沖浦和光
 『旅芸人のいた風景 遍歴・流浪・渡世』
 文春新書 587 2007.8.20発行

9月2日(日)朝日新聞の書評欄にも簡単に紹介されていた。
<新春に訪れる門づけ芸人、疳の虫を封じる祈祷師、村ぐるみで旅興業を行う「役者村」・・・。<アルキ筋>といわれるこうした人々は、明治政府により圧迫され、戦争を境に姿を消した。街道筋に育ち、彼らの姿を実際に見た最後の世代である著者が、記憶を裏づけながら由来と現況をたどる。> (朝日新聞 2007.9.2)

「彼らの姿を実際に見た」 というところが、沖浦さんの強み。
「定めなき浮世、道に生き、道に死す」 ――本の帯の惹句がいい。

沖浦和光 (おきうら かずてる)
1927年、大阪府生まれ。東京大学文学部卒。桃山学院大学名誉教授。比較文化論・社会思想史専攻。国内外の辺境、都市、島嶼を歩き、日本文化の深層をさぐる研究・調査を続けている。 (文春新書 著者略歴)

沖浦さんといえば、五木寛之さんとの対談がいい。
『日本人のこころ 6』 の帯写真で、五木さんと話している人物が沖浦さん。

Kokoro6_2Okiura_henkaiOkura_sanka_2Okiura_takeOkiura_setouchi_5       

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2006年10月13日 (金)

【読】きょうの収穫

たまに新刊書店をのぞいてみると、思いがけない本が出ていたりするので油断できない。
Kokoro10五木寛之/沖浦光和(おきうら・かずてる)
 『辺界の輝き』
 五木寛之 こころの新書 10
 講談社 2006.9.15 \800(税別)
岩波書店から2002年3月に出ていて、ぼくはすでに読んでいたが、新書版に化粧なおししたものも魅力がある。
とうとう出たか。 ・・・同じ内容なのに、ついつい買ってしまうのだ。
「化外(けがい)の民」「夷人雑類(いじんぞうるい)」「屠沽の下類(とこのげるい)」といった、聞きなれない言葉がみえるが、言ってみれば漂泊民・被差別民をテーマにした対談。

Okiura_henkaiこちらが岩波書店版の単行本。
はじめて読んだとき、目から鱗が何枚も落ちる思いをしたものだ。
これはいい本ですよ。





Nhk_orikuchiもう一冊。
こちらは、NHKのTV番組のテキスト。
『知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』
 三波春夫 わが愛しの日本人 (森村誠一)
 折口信夫 古代から来た未来人 (中沢新一)
この二人が一冊に同居しているのも面白い。
どちらも、ぼくにとっては興味のつきない人物なので、買ってしまった。
このシリーズ、面白そうなものが他にもある。
TV番組は見ないけれど、パラパラとめくっているだけで楽しめそう。 

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2006年4月29日 (土)

【読】五木寛之 こころの新書 (5)

五木さんの 『サンカの民と被差別の世界』 について、続けて書く。

まず、「サンカ」と呼ばれる人たち。
この呼称は、一般的にこう呼んでいるというだけで、地方によってさまざまな呼ばれ方をしているという。
関東ではミツクリ(箕作り)、ミナオシ(箕直し)、東海ではポン、オゲ、四国の一部ではサンガイ、九州ではミナオシカンジン(箕直し勧進)、等々。 (沖浦和光による)

「箕」というのは、竹でつくられた農具である。
【箕(み)】 穀物を中に入れ、上下に振り動かした勢いで、ちり、殻などを吹き飛ばすようにして取り除く農具。 (新明解国語辞典)

この呼称からわかるように、彼らは棕櫚箒(しゅろぼうき)づくりや竹細工をなりわいのひとつとしていたが、泥鰌、鰻、スッポンなどの川魚を捕って暮らしていた。 セブリと称する仮小屋や天幕によって川筋を移動していたのである。
柳田國男 『「イタカ」及び「サンカ」』 という論考でとりあげ、三角寛という人が「山窩」という蔑称(もとは警察用語)を広めてしまったのも、有名なはなしだ。

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_fcef.html
(柳田国男を読んでみる 2006/3/3)


五木さんがサンカに惹かれていったのは、『風の王国』という小説の構想を練っていた時期。 それ以前も、『深夜美術館』『戒厳令の夜』で、<移動、漂泊、放浪の民の系譜>に強い関心を示していた。

その後、民俗学者の沖浦和光(おきうら・かずてる)さんに出会い、『辺界の輝き』という対談形式の共著を出していることは、このブログでも紹介した。

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_3dd7.html
(五木寛之と沖浦和光 2006/2/19)

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_4bdb_1.html
(文庫本、要チェック 2006/3/2 沖浦さんの本の紹介)

また、五木さんがこの本で大きくとりあげている、沖浦さんの著作、『幻の漂泊民・サンカ』『竹の民俗誌』『瀬戸内の民俗誌』についても、上のブログ投稿でとりあげているので、ご参照いただきたい。


この本で、サンカに関するさまざまな著作のあることを知った。
椋鳩十(むく・はとじゅう)の『鷲の歌』(昭和8年)、福田蘭童『ダイナマイトを食う山窩』などだ。
この福田蘭童という人、ぼくは知らなかったが、洋画家の青木繁の息子であり、戦前から尺八の天才とうたわれていたが、結婚詐欺事件で逮捕された。 懲役刑に服した後、当時の人気女優だった川崎弘子と結婚。 彼の笛のメロディーをテーマ曲にしたのが、ラジオ番組「笛吹童子」。 彼の息子が石橋エータローだそうだ。 なんとなく魅力的な人物である。
ちなみに、『ダイナマイトを食う山窩』は、その内容が問題になり、三角寛との確執もあったようだ。

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【読】五木寛之 こころの新書 (4)

もう一冊の本。
五木寛之 こころの新書 6 『サンカの民と被差別の世界』 は、スリリングな内容の本だった。

Kokoro062おおきく二部にわかれている。
「第一部 海の漂泊民、山の漂泊民」
瀬戸内海の海上生活者、いわゆる「家船(えぶね)」と呼ばれた海の漂泊民と、「サンカ」と呼ばれた山の漂泊民をとりあげている。
沖浦和光さんに触発されて、五木さん自身の足で見聞きした「定住しない人々」のことが、熱く語られる。
「第二部 東都の闇に生きた被差別の民」
こちらは、ぼくもあまり知らなかった世界だが、東京の浅草あたりを中心にかつて居住していた被差別民、「エタ」「非人」と呼ばれた人々がとりあげられている。
さらに、フーテンの寅さんにまで話は及ぶ。
とても興味深く、まさに、わくわくしながら読みすすめた。

書きたいことが山ほどあるので、おいおい書いていくが、フーテンの寅さん(男はつらいよ)について触れた部分を紹介しておこう。

日本人なら誰でも知っている映画、「男はつらいよ」の寅さんの口上。

 私、生まれも育ちも葛飾柴又です。
 帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。

この中の、「車」「寅」「フーテン」という三つの言葉に、五木さんは惹かれるという。
日本人のこころの深い部分に隠れているものを、この三つのキーワードが表しているような気がする、というのだ。

「車」 ・・・かつて、江戸の非人頭の名前が「車善七」だった。
「非人」とは何か。 江戸時代、士農工商の身分制度の埒外に「エタ」「非人」と呼ばれる人たちがいた。
差別用語だが、歴史的事実だし、ほかに呼称がないので、五木さんもこのことばを使っている。
(「エタ」は「穢多」という漢字があてられることもあるが、五木さんはこの字はよくないという説である)
被差別民 → 香具師(やし、てきや) → 寅さん という流れ。
山田洋次が「車寅次郎」と命名したのは、香具師というものの歴史性を配慮したからにちがいない、という五木さんの指摘は鋭い。

この本で五木さんは、差別がなぜできたのか、今もって人々の心の中に差別感が残っているのはなぜか、しつこく考え続けている。 そのあたりは、また改めて書いてみよう。

「フーテン」 ・・・もともと瘋癲という漢字。 谷崎潤一郎の 『瘋癲老人日記』 あたりから使われるようになった言葉らしい。 その後、フーテンというカタカナがあてられるようになった。
ぼくにとっても懐かしいことばだ。 「フーテン族」 の時代。
五木さんによれば、「フーテンの寅さん」 に、<家も家族も持たず、定職にもつかない人生。 好きなときに好きな場所へいく人生>、つまり<自由人>のすがたを見る心情が、日本人にあるのだろうという。

息つくひまもなく読んだ、とても刺激的な本だった。

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2006年3月 2日 (木)

【読】文庫本、要チェック

しばらく本屋の文庫本コーナーをチェックしていなかったが、入手困難だった本が文庫で出ていたりして、うれしくなった。

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_3dd7.html
で紹介した、沖浦和光(おきうら・かずてる)さんの本。

okiura_mikuni『対談「芸能と差別」の深層』 三國連太郎・沖浦和光
  ちくま文庫 2005年5月
(1999年、解放出版社から刊行された上下二冊本の文庫化)
― カバーから ―
切っても切れない「芸能」と「差別」の関係とは? 芸歴50年をこえるベテラン役者三國連太郎と、アジア的スケールで民衆文化を研究する沖浦和光が徹底的に語り合う。
「竹取物語」「東海道四谷怪談」などの古典から、「フーテンの寅さん」「釣りバカ日誌」までを縦横に論じる。 さらに南西諸島、アジア諸国へと視点は広がる。 実体験に裏付けられた言葉の重みと、深い知性に満ちたスリリングな一冊。

okiura_minshubunka『日本民衆文化の原郷 被差別部落の民俗と芸能』
 沖浦和光 文春文庫 2006年2月
(1984年11月、解放出版社から刊行された単行本の文庫化)
― カバーから ―
日本文化の深層を探ると ―。 能・歌舞伎・人形浄瑠璃から各種の工芸にいたるまで賎視された人々が、その基底を支えてきた。
紀州湯浅の門付け芸・春駒。 巡業三百年、鳥取・円通寺のデコ舞わし。 日本有数の歴史を誇る三次の鵜飼。 民俗技芸の起源をたどり、苛烈な差別をはねのけ力強く生き抜く民の実像を伝える。

もう一冊、これは単行本で持っているのだが、文庫を買ってしまった。

okiura_sanka『幻の漂泊民・サンカ』 沖浦和光
 文春文庫 2004年11月
一所不住、一畝不耕。 山野河川で天幕暮し。
竹細工や川魚漁を生業とし、’60年代に列島から姿を消した自由の民・サンカ。
「定住・所有」の枠を軽々と超えた彼らは、原日本人の末裔なのか。
中世から続く漂泊民なのか。
従来の虚構を解体し、聖と賎、浄と穢から「日本文化」の基層を見据える沖浦民俗学の新たな成果。
 序章 サンカとは何者だったのか
 第1章 近世末・明治初期のサンカ資料を探る
 第2章 柳田国男のサンカ民俗誌
 第3章 サンカの起源論をめぐって
 第4章 サンカの原義は「山家」だった
 第5章 発生期は近世末の危機の時代か
 第6章 三角寛『サンカ社会の研究』を読み解く
 第7章 今日まで残ったサンカ民俗をたずねる

柳田国男「毛坊主考」(ちくま文庫『柳田國男全集11』)を、がんばって読みおえた。
(文庫でたかだか140ページの分量だったが、時間がかかった)

凝り性なので、いちど興味をもった分野にくらいついたら離れないのである。
われながら「しつこい性格だなぁ」と思うけれど、芸能と差別、という歴史的なテーマにひかれる。

まあ、書店の文庫コーナーでは、こんな本もみつけた。

okiura_hisabetsu『被差別部落一千年史』 高橋貞樹 著・沖浦和光 校注
 岩波文庫 1992年12月
日本民族の諸源流から説きおこし、古代天皇制国家の下での身分制度の創出を論じた第1章から、水平社創立と水平運動の興隆まで、身分制の底辺におこれて差別されてきた被差別民衆の歴史を述べた先駆的労作(1924)。
戦前の社会主義運動で活躍した高橋貞樹(1905-35)が弱冠19歳で書き上げた人間解放への情熱あふれる1冊。

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