カテゴリー「宮本常一」の12件の記事

2008年7月 1日 (火)

【読】気になっていた本(宮本常一)

いちど読みはじめたことがあったが、すぐに挫折した本。
挫折の原因は活字の小ささ、といういささか情けない事情だが、いま再挑戦している。
これが、じつに面白い。

宮本常一さんの、いまや古典といってもよさそうな代表作。

Miyamoto_wasurerareta宮本常一 『忘れられた日本人』
 岩波文庫 青164-1
 1984.5.16 第1刷発行
 1995.7.5 第28刷発行

28刷とは、さすがによく読まれている本だ。
それにしても、活字がなぁ……。
そろそろ、大活字本じゃないといけないか。

少し前に読んだ 『クマにあったらどうするか』(姉崎等、木楽舎)のあとがきに、宮本常一さんのこの本の方法(聞き書き)を参考にしたと書かれていたので、読んでみようという気になったのだ。

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2008年3月 9日 (日)

【読】日本庶民生活史料集成

図書館から、二冊借りてみた。
さすがに分厚い。
とても読めないが、興味のある内容なので、パラパラ見てみようと思う。

Shomin_shiryou_shusei三一書房
『日本庶民生活史料集成 第二巻』
 探検・紀行・地誌 西国編
 編集委員 宮本常一、原口虎雄、谷川健一
 序文 宮本常一
「日本九峰修行日記」 野田成亮/「江漢西遊日記」 司馬江漢/「西遊雜記」 古川古松軒/他

『日本庶民生活史料集成 第四巻』
 探検・紀行・地誌 北辺編
 編集・序文 高倉新一郎
「エトロフ島漂着記」/「蝦夷日記」 武藤勘蔵/「東韃地方紀行」 間宮林蔵/「蝦夷国風俗人情之沙汰」 最上徳内/「北海随筆」 坂倉源次郎/「寛政蝦夷乱取調日記」 新井田孫三郎/「近世蝦夷人物誌」 松浦武四郎/他


Funado_ezochi_bekken1_3Funado_ezochi_bekken2_2新井田孫三郎の取調日記は、いわゆる 「クナシリ・メナシの反乱」 を鎮圧した松前藩側の記録。
船戸与一 『蝦夷地別件』 に描かれた事件である。
ちなみに、船戸与一のこの小説の巻末にも、花崎皋平 『静かな大地』 が参考資料としてあげられている。


図書館の書棚にずらりと並んでいたこの史料集成 全20巻は圧巻だった。
私の関心分野のオリジナル・テキストがたくさん収録されている資料集だ。
こういう本を、時間を気にせずゆっくり読めるようになるといいな。


【参考】
三一書房

http://www.san-ichi.co.jp/index.shtml


『アイヌ人物誌』 松浦武四郎 (更科源蔵・吉田豊 訳) 平凡社
『静かな大地』 花崎皋平 岩波書店
『菅江真澄遊覧記』 菅江真澄 (内田武志・宮本常一 編訳) 平凡社
『大江戸 泉光院旅日記』 石川英輔 講談社

Matsuura_aynuShizukana_daichi_bunkoSugae_masumi_yuuran1_2Ishikawa_senkouin_2











『日本庶民生活史料集成 第二巻』 の宮本常一の序文で、泉光院野田成亮の旅の記録 『日本九峰修行日記』 が、次のように紹介されている。
少し長いが、引用しておこう。

<(前略) この書によってわれわれは幕末期の修験道の実情を知ることができるばかりでなく、泉光院のあるいた道をたどって、ある異様の感にうたれる。 泉光院はほとんど街道筋をあるいていない。 いまは草に埋もれて失われてしまったようなところをさえあるいている。 街道筋以外の風物を数多く伝えようとしているものとして東北をあるいた菅江真澄に匹敵するものであろう。>

<中国筋では紀行文のあまりのこっていない山陰の村々をあるき、飛騨から信濃へは野麦峠をこえている。 この人には山野をあるくことは少しも苦ではなかったようであり、人煙まれな山野をあるいても道にまよったらしい記事すらほとんどないのはどうしたことであろうか。 細道ばかりをあるきつづけて簡潔な文章の中に地方風土のさまをよく伝えている。 その中で私をおどろかせたのは美作山中の百姓たちが、しきりに孝経・大学・孟子などの講釈をもとめていることである。 足を出したりタバコをすったり、浄瑠璃聞きの如くであったという。 そしてそれは前後もわかたぬ野人なのである。 この一事からも察せられるように問題意識をもって読めば実に興味ふかいものがあり、同一時代の僻地と都会地の生活文化対比すら可能になって来る。>

  ― 『日本庶民生活史料集成 第二巻』 序 (宮本常一) ―

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2007年8月25日 (土)

【読】笹森儀助と石光真清

Miyamoto_tsuneichi_henkyou宮本常一 『辺境を歩いた人々』 (河出書房新社) のおしまいのほうを読んでいたら、笹森儀助と石光真清が、満州で出会っていたことが書かれていた。
石光真清の手記 『曠野の花』 に、このときのことが書かれているという。
『曠野の花』 は、すこし前に読んでいた。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_bd47.html
どうりで、笹森儀助という名前になんとなくおぼえがあるような気がして、ひっかかっていたのだ。 なるほど、合点。

『辺境を歩いた人々』 の目次には、四人の名前しか出ていない。
近藤富蔵、松浦武四郎、菅江真澄、笹森儀助。
しかし、宮本さんの文章には、その時代に彼らをとりまいていた魅力あふれる人々がたくさん紹介されている。
笹森儀助の章では、田代安定(あんてい)と伊能嘉矩(よしのり)の二人にかなりのページが割かれていて興味ぶかかった。
彼らは、明治18年頃(日清戦争の年)から、沖縄や台湾を歩いて調査した人たちだ。
笹森儀助にとって、沖縄探検の先輩にあたる。
笹森儀助の琉球列島探検は徹底していて、明治26年、沖縄本島の那覇に着いたあと、宮古、石垣、西表、鳩間、さらには与那国島まで足をのばし、沖縄本島に戻り、奄美大島をみて鹿児島に戻る、四か月以上の旅をしている。
現在のように、交通が発達していない時代のこと、船とじぶんの足だけが頼りの旅。
マラリアにも苦しめられ、野宿もいとわない旅だったらしい。
すごいな。

ところで、この本の巻末年表も興味ぶかい。
その一部を抜粋してみよう。

1754(宝暦四) 菅江真澄、三河国に生まれる
  最上徳内、羽前に生まれる
1771(明和八) 近藤重蔵、江戸に生まれる
1778(安永七) ロシア人、クナシリ島に来る
1780(安永七) 間宮林蔵、生まれる
1782(天明二) 伊勢国の光太夫ら、ロシアに漂着
1783(天明三) 東北地方大飢饉(翌天明四年まで、天明の大飢饉)
1784(天明四) 菅江真澄、信濃から越後、奥羽、津軽、南部への旅
1785(天明五) 徳内、幕府の調査隊に加わり、千島列島の旅へ
1788(天明八) 真澄、津軽から松前へ、寛政四年(1792)まで松前地方の旅
  古川古松軒、幕府の巡見使に加わり東北地方へ
1792(寛政四) ロシア使節ラクスマン、伊勢の光太夫らを送って松前に来る
1798(寛政十) 徳内、第六次蝦夷探検でエトロフへ
  重蔵も同行、モヨロ湾に「大日本恵土呂府」の標柱を立てる
1799(寛政十一) 重蔵、第二回の蝦夷地探検
  間宮林蔵と松田伝十郎、蝦夷地探検、冬をすごす
  東蝦夷地が幕府の直轄支配地になる
1800(寛政十二) 重蔵、高田屋嘉平とともにエトロフへ
  伊能忠敬、初めて北陸と蝦夷地の測量
1805(文化二) 近藤富蔵、生まれる
1807(文化四) 近藤重蔵、利尻島を探検
  西蝦夷地が幕府の直轄支配地となる
1808(文化五) 間宮林蔵、カラフトから黒竜江方面の探検
  間宮海峡を発見
1811(文化八) ロシア艦長ゴロウニン、捕われる
  外国船打ち払い令
1814(文化十一) 伊能忠敬、『沿海実測全図』完成、ロシアとの国境を決める
1818(文政元) 松浦武四郎、伊勢国に生まれる
1821(文政四) 幕府、蝦夷地を松前氏に返す
1823(文政六) シーボルト、長崎に来る
1826(文政九) 近藤富蔵、人を殺める(翌年、八丈島へ流刑)
1829(文政十二) 真澄、秋田の角舘で死去 重蔵、江州で死去
1836(天保七) 最上徳内、死去
1840(天保十一) 清国でアヘン戦争
1841(天保十二) 天保の改革始まる
1844(弘化元) 松浦武四郎、蝦夷、カラフトの探検を志して旅に出る
1845(弘化二) 武四郎、蝦夷地探検
  笹森儀助、陸奥国弘前に生まれる
1846(弘化三) 武四郎、第二回の蝦夷地探検
1847(弘化四) 近藤富蔵、流刑先の八丈島で『八丈実記』を書き始める
1849(嘉永二) 武四郎、第三回の蝦夷地探検(おもに千島列島)
  最初の北海道地図『蝦夷大概図』を描く
1851(嘉永四) 武四郎、『三航蝦夷日誌』35冊を書き上げる
1853(嘉永六) ペリーが浦賀に、ロシアのプチャーチンが長崎に来る
1856(安政三) 田代安定、鹿児島に生まれる
1860(万延元) 井伊大老、桜田門外で暗殺
1867(慶応三) 明治天皇、皇位につく
1868(明治元) 伊能嘉矩、岩手県遠野に生まれる
1869(明治二) 松浦武四郎、北海道の道名、国名、郡名を選定
1880(明治十三) 近藤富蔵、罪を許される
1887(明治二十) 富蔵、八丈島で死去
1888(明治二十一) 松浦武四郎、死去
1889(明治二十二) 帝国憲法発布
1890(明治二十三) 教育勅語発布、帝国議会召集
1893(明治二十六) 笹森儀助、南島探検をし、『南島探検』をあらわす
1894(明治二十七) 日清戦争勃発
1895(明治二十八) 日清戦争勝利、台湾を譲り受け、台湾征伐を行なう
1902(明治三十五) 笹森儀助、第二代青森市長に 日英同盟
1904(明治三十六) 日露戦争勃発
1905(明治三十七) 日露戦争勝利、カラフトの北緯50度より南側が日本領土に
1914(大正三) 第一次世界大戦に参戦
1915(大正四) 笹森儀助、死去
1925(大正十四) 伊能嘉矩、死去
1928(昭和三) 田代安定、死去

もう一冊、宮本常一さんの同じシリーズで、こんな本も出ていたので入手。
Miyamoto_tsuneichi_minaminoshima宮本常一 『南の島を開拓した人々』
  河出書房新社 2006.1.20発行
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309224458
この本の目次に登場するのは、次の七人。
中川虎之助を除いて、私の知らない人ばかりだが。
藤井富伝(諏訪之瀬島を開拓)
中川虎之助(石垣島・台湾で精糖事業を興した)
村岡伊平治(南洋で出稼ぎ女性に尽くした)
菅沼貞風(南方交易史を研究)
太田恭三郎(タバオで麻園を経営)
原耕・捨思 兄弟(南方漁場を開拓した兄弟)


石光真清 『曠野の花』 中央公論社(中公文庫)
Ishimitsu2― 「異郷の同胞たち」 (P.57) より ―
三等客車の中には露支韓人の下層階級のものばかりがそれぞれ自国語で語り合っていたが、私はただ一人窓際に坐って前途をぼんやり考えていた。 そのうちにうとうと眠ってしまった。 汽車が停ってふと眼を覚すと、六十歳を少し越えたと思われる日本人が乗込んで来た。 私はその風体を見て思わず微笑した。 ところどころ破れて色のさめたフロックコートに、凸凹の崩れかかった山高帽をかぶり、腰にはズダ袋をぶらさげ、今一つ大きな袋を肩から斜めに下げていた。 しかも縞のズボンにはカーキ色のゲートルを巻き、袋の重みを杖にささえて入って来たのである。 (略) 「わしは青森の者でナ、笹森儀助と申しますじゃ。 老人の冷水と笑われながら、笑う奴等には笑わせておいてナ、飛び出して来ましたじゃ。 これもお国へのご奉公ですよ」 (後略)

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2007年8月21日 (火)

【読】この本がおもしろい

きのうから読み始めたこの本がおもしろい。
Miyamoto_tsuneichi_henkyou『辺境を歩いた人々』 宮本常一
 河出書房新社 2005.12.20
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309224458

読み始めてわかったのだが、この本は少年少女向けに書かれている。
(さ・え・ら伝記ライブラリー14 『辺境を歩いた人々』 1966年を底本としている)
かつて日本の辺境を歩いた四人が、伝記ふうに紹介されている。
近藤富蔵・・・近藤重蔵の息子。人を殺めて八丈島に流され、『八丈実記』を遺した人。
松浦武四郎・・・「北海道」の名付け親。蝦夷地の奥地をくまなく歩いた人。
菅江真澄・・・故郷を離れて、みちのく(東北地方)を歩きまわった人。
笹森儀助・・・千島列島、沖縄、奄美大島、台湾、朝鮮と、一生旅をした人。

いずれも、江戸時代末期から明治にかけて生きた魅力的な人物である。

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2007年8月14日 (火)

【読】なつやすみのにっき (4)

きょうは、かぞくのかいものにつきあって、たちかわのはんかがいへ。
ひさしぶりに、おおきなしんかんしょてんをのぞいて、なんさつかしゅうかくがありました。

さいきんこっている、すがえますみかんけいと、あいぬかんけいの、きょうみぶかいほんをみつけました。
たまには、しんかんしょてんをのぞいてみるものだ、とおもいました。
よていがいのしゅっぴでしたが、ほんにはおかねをかけてもいいとつねづねおもっているので、これでいいのです。

Ainu_minzoku_no_rekishi_2Chiri_yukie_sonomawari『アイヌ民族の歴史』 榎森進
 草風館 2007.7.1
 600ページを超える分厚い本
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309224385
『異郷の死 知里幸恵、そのまわり』
 西 成彦/崎山政毅 編
 人文書院 2007.7.20
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409160907
津島佑子のエッセイ 「越境の女性作家として」が載っている




Miyamoto_tsuneichi_henkyouEdo_no_tabinikkiShibaryou_kaidou29『辺境を歩いた人々』
 宮本常
 河出書房新社 2005.12.20
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409160907



『江戸の旅日記』

 ヘルベルト・プルチョワ
 集英社新書 2005.8.22
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409160907
『街道をゆく 29』
 司馬遼太郎 朝日文庫
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409160907
「菅江真澄のこと」という10ページほどの短い文章で、菅江真澄にふれている

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2007年7月29日 (日)

【楽】【読】【雑】雷雨のち蝉しぐれ

朝からむし暑かった。
午後、にわかに空が暗くなったと思ったら、どしゃぶりの雷雨。
一時間ほど降った後、晴れて、蝉しぐれ。 油蝉だな。
セミの鳴き声
http://www.nat-museum.sanda.hyogo.jp/wave/s_semi.html

Oliver_nelson今日の一枚はこれ。
OLIVER NELSON
 THE BLUES AND THE ABSTRUCTION TRUTH

STARRING: PAUL CHAMBERS, ERIC DOLPHY, BILL EVANS, ROY HAYNES, FREDDIE HUBBARD
(impuls IMP-88098) 1961.2.23録音
邦題 『ブルースの真実』 というのが、いまいちだが、ブルージーでごきげんなアルバム。

今、おもしろいと思って読んでいるのが、このシリーズ。
Nihon_ni_ikiru19Nihon_ni_ikiru17Nihon_ni_ikiru18『日本に生きる』 シリーズ
国土社 宮本常一 監修
北海道編を読み終えて、東北編2巻を読んでみようと思う。




参議院選挙の投票には、朝のうちにいってきた。
棄権はしたくないから。
白票でもいいから、投票所には足を運んで意思表示すべきだ。
若い頃は、選挙なんてばかにしていたけれど、それはまちがっていたと今は思う。 一票にどれほどの意味があるのか、悲観的ではあるが。

ひさしぶりにスープカレーを作った。
近所に住む友人からいただいたじゃがいもで、サラダも作った。
北海道の「くりじゃが」に似て、中が黄色く栗のように甘みがある。
くりじゃがと違って皮がさつまいものように赤い。 名前は知らないが「アンデス」系か。
ジャガイモ博物館
http://www.geocities.jp/a5ama/

0707290001

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2007年7月24日 (火)

【読】【雑】梅雨も明けたでしょう

気象庁の発表に関係なく、梅雨は明けたと思う。
なぜなら、日曜日あたりから、急に蝉が鳴き始めたから。
梅雨入り、梅雨明けを「今日から」なんて「宣言」する根性がみみっちいな。
昔の人は、もっとアバウトに(時にはもっとデリケートに)、季節を感じていたはず。
肌で季節を感じたいものだ。

それはともかく、近くの図書館でまた面白い本をみつけた。
「宮本常一」 で検索したら、こんなシリーズが。
児童向けの図書コーナーに並んでいた。

Nihon_ni_ikiru18Nihon_ni_ikiru19『日本に生きる』 全20巻
 宮本常一 監修 国土社 昭和50年~
国土社 http://www.kokudosha.co.jp/
「18 東北編 Ⅱ(山形・秋田・青森西部)」
菅江真澄が紹介されている(須藤功)。
「19 北海道編」
松浦武四郎が紹介されている(姫田忠義)。

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2007年7月23日 (月)

【読】下北半島

Miyamoto_nihonchizu3_1宮本常一 『私の日本地図 3 下北半島』 を、ようやく読みおえた。
なかなか本が読めなくて、これ一冊読むのに一週間かかってしまった。
やれやれ。
昭和42年発行の本だから、私が高校生の頃の風景写真がたくさん載っていた。 懐かしい。
今はもうすっかり変わってしまったのだろうけれど、下北半島についてたくさんのことを教えてくれた一冊。 いい本だった。

Miyamoto_shimokita_mapMiyamoto_shimokita_206207_1







もう一冊、きのう図書館でみつけて借りてきた本。
Ooba_hiroshi_tsugaruおおば比呂司 『津軽海峡・ゆきつもどりつ』
 山と渓谷社 昭和55年5月1日 発行
函館と下北半島を船でいったりきたりして、これまた懐かしい紀行文だ。
青函トンネル工事が始まった頃で、まだ連絡線が健在だった頃だ。
あの連絡線には何度も乗ったなぁ。   

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2007年7月14日 (土)

【読】宮本常一「私の日本地図」

返却期限が明日になってしまった。 延長しなくちゃ。
Miyamoto_nihonchizu3宮本常一 『私の日本地図 3 下北半島』
 同友館 昭和42年11月10日 初版
今日から読みはじめた。
先日読んだ 『10 武蔵野・青梅』 もよかったけれど、この『下北半島』編は旅先での話がいい。
宮本常一の人がらがよく伝わってくる。

「下北へのはじめての旅 (昭和15年12月)」
宮本常一がはじめて下北半島を訪れたときのエピソードでこの本ははじまる。
恐山にのぼり、暗くなったので泊まるところを探していた。
恐山の湖のほとりに家があり、火が見える。近付いていくと犬が何匹もいて吠えはじめたのでおそれをなして菩提寺の方へあるきはじめた。 そこにも板葺の家があって火の光がもれていたので、行ってみると店屋で、婆さんがひとりいる。
泊めてもらえまえかと頼むと、布団がないので向こうにある硫黄採掘所で泊めてもらえと言われる。
硫黄採掘所は、はじめに訪ねた犬の吠えていた家だったが、荒くれ男が六、七人いて、食うものがないからだめだと言う。
結局、婆さんの店屋で食べさせてもらってから、この硫黄採掘所に泊めてもらう。

そうか、宮本常一という人は、こういう旅をしていたんだ。
続きは、この本から引用する (長いので、適当に改行)。

荒くれた男が六、七人いろりのそばにいる。 そして一人の女を中にして首を抱いている者、腕をもっているもの足をひざにのせている者などいろいろである。 女のからだにさわっているだけで心が安らかになるのであろうか。
私はリュックサックをおろして店へいって夕飯をたべさせてもらい、また採掘所へいっていろりのそばへ寄った。
生国姓名を名乗り、旅の目的をはなすと、この鉱夫たちは岩手の者が多かったが、私の郷里の山口県の者もおり、女もたしか山口県の者であった。 炊事婦として来ているのである。 そこで話は鉱山のことになった。 こういうところではノートを出すのはいけない。 自由に話しあうのがよい。 話は実に面白い。>
そのうちみんなで温泉へゆこうということになった。 提灯に火をともして菩提寺のまえの浴室へいく。 湯はあふれ流れている。 みんなでいっしょにはいって、今度は彼らが私にいろいろ聞く。 金もうけでなしに古いことをしらべてあるく私にひどく感心してくれる。>  ― 宮本常一 『私の日本地図 3 下北半島』 P.12~13 ―

・・・まさに、「旅する民俗学者」 と呼ばれた宮本常一の面目躍如といったところか。
写真で見る宮本さんの顔は、どれも人なつっこい笑顔である。
好きだなあ、こういう人。

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2007年7月12日 (木)

【読】別冊太陽

ネット検索していたら、こんなものをみつけた。
Taiyou_miyamotoトーハン(大手取次店)のサイトで、なにげなく「宮本常一」と打って検索してみたら出てきたのだ。
オンライン書店 e-hon 本 CD DVD
 http://www.e-hon.ne.jp/bec/EB/Top

別冊太陽 日本のこころ 148
宮本常一 「忘れられた日本人」を訪ねて

平凡社 2007年7月出版

出たばかりだから、勤務先の近くの駅ビルに入っている、あまり大きくない本屋にもあるだろう、そう思って、帰りがけによってみたら、あった。
本は見つけた時に買わないと、注文だなんだと面倒なので、ほしいと思ったらすぐ買うことにしている。
もちろん、懐ぐあいと相談のうえで。
『別冊太陽』 には、時として私の趣味嗜好にぴったりのものが出るので、油断できない。
そうか。 宮本常一生誕100年ということで、ちょっとしたブームなんだな、きっと。

Taiyou_ainu_1左は、私のサイトでも取りあげたもの。
別冊太陽 先住民 アイヌ民族
2004年11月
→ 晴れときどき曇りのち温泉 資料蔵(アイヌ資料編)
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_ainu.html

Taiyou_tankenほかにも、手元にこんなのがあった。
別冊太陽 日本の探検家たち
 未来を目指した人々の探検史
2003年10月
写真や図表をながめるだけでも楽しい。

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2007年7月 1日 (日)

【読】宮本常一データベース

きのう、宮本常一の遺した膨大な写真の一部を、府中郷土の森博物館で見てきた。
時間をかけてゆっくり見ることができなかったのだが、こんなサイトを発見。
ネット公開されていることを知った。 このサイトは、ちょっとすごい。

宮本常一データベース
http://www.towatown.jp/database/

Miyamoto_kawade『宮本常一 旅する民俗学者』
 河出書房新社 KAWADE道の手帖
 佐野眞一 責任編集
 2005年4月 発行

宮本さんの著作も読んでみたいが、この人の撮った写真がいいな。
同友館という出版社から 『私の日本地図』 (全15巻)というのが出ているらしい。
昭和42年から51年に出版されたもので、もう販売されていない。
図書館で借りてみよう。

ということで、さっそく借りてきた。
たくさんの人たちが借りて読んだとみえて、かなり痛んでいる。
きのう、府中の博物館に展示されているのを見た、宮本さん撮影の写真がたくさん載っている。 このあたりの古い写真もある。
Miyamoto_nihonchizu10宮本常一 『私の日本地図』
 10 武蔵野・青梅  同友館 昭和46年10月発行
ネットの古書販売では、何千円もの値がついていた。
今となっては稀覯本なんだろうな。



【追記 7/1】
宮本さんが勤めていらした武蔵野美術大学のサイト
http://www.musabi.ac.jp/
に、武蔵野美術大学美術資料図書館 民俗資料室
http://www.musabi.ac.jp/folkart/index.html
という興味ぶかいページがある。
ここから遠くないので、今度たずねてみよう。

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2007年6月30日 (土)

【遊】府中 郷土の森

Fuchuu_panfひさしぶりに、府中の「郷土の森」へ。
わたしの住まいからさほど遠くない。
「あじさいまつり」と「宮本常一展」が明日までだったので、行ってみたかったのだ。

宮本常一の足跡 ~旅する民俗学者の遺産~
日本のすみずみまで歩いた「旅する民俗学者」・宮本常一(1907~1981)は、日本を代表する民俗学者として民俗調査・民具調査、離島振興、芸能復興など、多方面で活躍した人です。 宮本は、昭和36年(1961)から亡くなるまでの約20年間、府中市に住み、府中市史の編さん等の文化事業に貢献しました。 そんな宮本の足跡を、ゆかりの品々からたどります。 (パンフレットから)

アジサイは盛りをすぎていたが、その種類が豊富で見ごたえがあった。
宮本常一展もおもしろかった。 宮本さんが撮った写真がよかったなぁ。
府中市郷土の森博物館 http://www.fuchu-cpf.or.jp/museum/
府中市郷土の森博物館(府中市)-多摩のミュージアムガイド
 http://www.tachikawaonline.jp/museum/fuchu_ky/

07063000310706300001








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府中市郷土の森博物館で販売していたブックレット
『宮本常一の見た府中』 A5版 127ページ
モノクロだが、宮本さんの撮った写真が満載。 これで400円というのがうれしい。
Miyamoto_booklet_1― 本文から ―
◆宮本写真の視点
民俗学者の写真、というと、冠婚葬祭、信仰に関するものが多数ある、と誤解するかもしれない。 しかし、宮本の写真には民俗調査の際に話を聞いた人、調査風景などの写真はほとんどないし、決して芸術的でもない。 宮本自身も写真の技巧をこらすことはしていない。
(略) 写真には彼の視点でみた土地土地の日常風景、そしてその変化をとらえたものが非常に多くあり、昭和期の歴史資料として見ることができる。 (略) 全国を巡った宮本の写真に目を通すと、旅に出た際の車窓、飛行機内からの空撮なども多くある。

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