カテゴリー「吉本隆明」の28件の記事

2016年1月 9日 (土)

【読】独学のススメ、ブログの効用

どういうきっかけで知った本か忘れてしまったが、図書館から借りてきたこの本が面白い。

礫川全次(こいしかわ・ぜんじ)
 『独学の冒険 ――消費する情報から知の発見へ』
 批評社 2015/10/31発行 219ページ 1,700円(税別)

Amazonには書影が載っていないので、私がよく利用しているe-honサイトから画像を拝借。

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著者は1949年生まれの「在野史家」と、巻末著者略歴にある。

自分のブログの過去記事と読書記録を見直して、わかった。
2014年10月から11月にかけて、この人の本を続けて読んでいた。

礫川全次 『異端の民俗学 ―差別と境界をめぐって』
  河出書房新社 2006/4/20発行 210ページ (図書館から借りて)
礫川全次 『戦後ニッポン犯罪史』
 批評社 2000/6/10発行 332ページ (図書館から借りて)
礫川全次 『日本人はいつから働きすぎになったのか ―<勤勉>の誕生』
 平凡社新書744 2014/8/12発行 254ページ (購入)

   

他にもたくさん、興味ぶかい本を出版している人だ。

2014年10月19日の東京新聞書評ページに掲載されていた記事と写真を見て、ますます好きになった。

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さて、今読んでいる 『独学の冒険』 だが、独学入門、独学のすすめ、といった内容。

独学とはなにか。
まえがきによると、「自分ひとりの意思に基づき、基本的に自分ひとりの力に頼っておこなう学問」 という。

「学問」といわれると、私などは腰が引けてしまうが、自分ひとりを頼みに、何かしらの探求を続けること、と解釈すれば、私なども独学の徒のはしくれと言えそうだ。

この本でとりあげられている独学の先達の顔ぶれも興味ぶかい。

柳田國男、家永三郎、千葉徳爾、佐藤忠男、清水文弥、南方熊楠、中山太郎、佐々木喜善、橋本義夫、谷川健一、吉本隆明、杉本つとむ。

はじめて見る名前も多いが、読みすすむうちに、いずれ、どういう人たちかはわかるはず。

あとがきにも書かれているが、「独学」と「在野学」の関係が微妙だ。
独学とは対照的なアカデミズムの世界に身を置きながら、独学的な発想で研究を続けた例として、家永三郎があげられている。


本書巻頭のQ&Aが面白い。
そのなかで、ブログの効用が述べられている。

 ・ 毎日更新することで、文章の練習になる (同感)
 ・ 研究日誌になる (私のブログは「研究」には程遠いが)
 ・ 未知の人々と交流する媒体になる (コメントを通して・・・私にも経験あり)
 ・ ひとつの「ファイル」になる (アーカイブ=書庫としてのブログ)
 ・ 出版の代わりになりうる

最後の効用だが、これまた興味ぶかいブログが紹介されていて、参考になった。
さっそく、ブックマークに追加。
著者自身も、ブログを書いている。

部落学序説 (吉田向学)
 http://blog.goo.ne.jp/eigaku

巫研 Docs Wiki
 http://docs.miko.org/index.php/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
 日本巫女史
  http://docs.miko.org/index.php/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2

礫川全次のコラムと名言
 http://blog.goo.ne.jp/514303

なるほど、ブログに連載することで、ネット上での出版ができるとも言える。

ときどき面倒になることもあるブログ投稿。
できるだけ続けていこうと思う。

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2014年9月 1日 (月)

【雑】九月の雨

肌寒い一日。
最高気温21度。
そぼ降る雨といえば風情があるが、午後になって雨脚が激しくなっている。

明日は晴れ間が戻り、25、6度まで気温があがりそう。


午前中、二つほど手続きのために外出。
午後、中央図書館の一室で会合に出席。

会合の開始まで時間があったので、ひさしぶりに、図書館の書架を眺めて過ごした。
いろんな本があるんだなあ、と、あらためて感心。
図書館は、まさに情報の宝庫だ。

今週は、木曜日まで毎日外出の予定がはいっている。
家にこもっているより、外に出て人と接するのはいいことだ。


きのう、日曜日の新聞の書評欄に、興味ぶかい本が掲載されていた。
図書館にあることがわかったので、借りて読んでみようと思う。
貸出中のため、予約しておいた。

竹内 洋 『大衆の幻像』
 中央公論新社 2014/7/9発行 321ページ 2,300円(税別)

― e-honサイトより ―
指導者の劣化か、醜い大衆の反映か。民意と世論に踊る政治家、テレビのなかで消費される知識人、「上から目線」を悪とする社会…超ポピュリズム時代の希望とは。震災後の「空気」を読み解く評論集。
[目次]
第1章 大衆高圧釜社会の風景
 「国民のみなさま」とは誰か―大衆御神輿ゲームの時代
 日本型ノブレス・オブリージュの真髄 ほか
第2章 政治家と知性
 日本政治を覆う「反知性主義」
 知性主義・脱知性主義・スーパー知能主義 ほか
第3章 メディア知識人論
 大衆高圧釜社会と知識人
 メディア知識人の系譜
第4章 歴史にみる知識人
 昔日の知識人
 岩波文化
第5章 自分史から見る
 大学今昔
 教養としての歴史 ほか

書名からすぐに連想するのは、吉本隆明さんの言う「大衆の原像」。
「原像」ならぬ「幻像」という言葉に、興味を持った。
これは面白そうだ。

2014/8/31(日) 東京新聞朝刊

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2014年2月20日 (木)

【読】肌寒い一日だった

朝からどんより曇り空。
今日の最高気温は7度。
雪にならなくてよかった。

午前中、車で市街地の本屋に行ったきりで、あとは家の中で過ごす。

昨夜遅く、というか、今日の早朝、テレビでソチ・オリンピックの女子フィギュア(ショートプログラム)を見ていた。
おかげで寝不足。
日本の選手を応援していたけど、残念な結果だった。

結果は残念だったが、彼女たちの健闘をほめてあげたい。
あの大舞台での緊張感は、想像できる。
まわりの期待が大きすぎたのでは? と思う。

今夜のフリーは見ないで寝るつもり。

ところで、フィギュア? フィギア?
呉智英さんじゃないが、外来語の片仮名表記は、むずかしいな。

先日、図書館から借りて読みおえた本。
手もとに置いておきたくなったので、ネット注文で買ってしまった。
こうしてまた、本が増えていくのだな。

わかりやすく、読みやすくて、ためになる本だった。
吉本隆明という不思議な人の呪縛から解放された気がする。

もう一冊、こんな本も手元にあるが、まだ読んでいない。

勢古浩爾さんは、私のなかでは呉さんと似た印象があるのだが、こちらは吉本隆明氏へのオマージュ(賛辞)一色のような本。

勢古さんも好きなので、そのうち読んでみようと思いながら、ずっと本棚に入れたままだ。

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2014年1月30日 (木)

【読】ジグザグ天気と読書

今日は、強い南風が吹いたかと思うと、晴れ間がでたり雨が降ったり、という一日。
テレビの気象情報では 「ジグザグ天気」 と呼んでいる。
なるほど。

午前中、地元の所属団体の仕事。
午後は、小平の歯科医院。
歯の掃除も明日一日で終わる。
やれやれ。


きのうから、呉智英さんの 『吉本隆明という「共同幻想」』(筑摩書房・2012年)を読んでいる。
呉さんは、この本で吉本隆明氏の難解な著作を、丹念に、批判的に読み解いている。

呉さんが言うように、たしかに吉本氏の文章には意味不明なものが多い。
日本語として意味をなさず、読む者は理解に苦しむ――私もその一人だ。
なのに、なぜこれほど吉本氏の「人気」が高かったのか。
「よくわからないけど(よくわからないから)、すごい」 と思われていたのではないか。

―― というようなことが、丁寧に、理路整然と説かれている。
面白い。

呉 智英 『吉本隆明という「共同幻想」』
 筑摩書房 2012/12/10発行 222ページ 1,400円(税別)

<一体、吉本隆明って、どこが偉いんだろう。吉本が戦後最大の思想家だって、本当だろうか。本当かもしれない。本当だとすれば、吉本がその住人の一人である戦後思想界がどの程度のものであるか、逆にはっきりと見えてくるだろう。
 
大思想家の条件は、第一に、常人にはよく分からないことを書くことであるらしい。花田清輝もそうだし、小林秀雄もそうだ。よく分からないことを書けば、読者は必死になって読んでくれる。読んでいる途中で挫折することもあるだろうが、結果は同じである。さすがに大思想家だ、俺には読み通せないと思ってくれる。……>

<私は学生時代から二十冊近い吉本隆明の著作を読んでいる。同時代の教養、すなわち共通知識として読んできた。……しかし、吉本の著作で感銘を受けたものは一冊もない。むしろ、根本的なところで違和感を覚えていた。このことは、三十年前から自分の著作で述べていたのだけれど、なぜか共鳴者は現れなかった。
 
2012年3月の吉本隆明死去に際し、新聞や雑誌で寄稿やコメントを求められた。私は、死者への礼を失しない限りで、吉本に批判的な文章を書いたり、語ったりした。追慕、讃美の声が並ぶ中で、孤立する少数派であった。その現実に私は以外の感があった。
 
吉本隆明って、どこが偉いんだろう。本当にみんな吉本は偉いと思っているのだろうか。>

(終章 「吉本隆明って、どこが偉いんですか?」 P.217- より)

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2014年1月29日 (水)

【読】吉本隆明という「共同幻想」

このところ、読書日誌といいながら、どうということのない日常記録が続く。
今日の最高気温は12度。

今日も晴れて、弱い北風が吹いた一日。
午前中、車で小平と東大和市街地へ用足しに。
夕方近く、小平の歯科医院へ歯の掃除に。
まだ二回、通わなければいけない。


用足しついでに、近くの図書館へ行って本を返却。
「アメリカを知る本」 のたぐいを数冊返却し、予約していた本を受けとってきた。

呉智英さんの近作。
タイトルにも魅かれた。
歯科医院の待ち時間に冒頭部分を読んでみたが、面白そうだ。

呉 智英 『吉本隆明という「共同幻想」』
 筑摩書房 2012/12/10発行 222ページ 1,400円(税別)

― e-honサイトより ―
[要旨]
 吉本隆明。戦後最大の思想家?本当だろうか?「学生反乱の時代」には、多くの熱狂的な読者を獲得し、少なからぬ言論人や小説家が多大な影響を受けた。だが、その文章は「正しく」読み取れていたのだろうか。その思想は「正しく」理解されていたのだろうか。難解な吉本思想とその特異な読まれ方について、明快な筆致でずばりと論じ切った書き下ろし評論。
[目次]
 序章 「吉本隆明って、そんなに偉いんですか?」/第1章 評論という行為/第2章 転向論/第3章 「大衆の原像」論/第4章 『言語にとって美とはなにか』/第5章 『共同幻想論』/第6章 迷走する吉本、老醜の吉本/終章 「吉本隆明って、どこが偉いんですか?」

ズバリ、「吉本隆明って、そんなに偉いんですか?」 (序章タイトル) という著者の「明解な筆致」が爽快。
私も、吉本隆明の難解な著作を理解しようとしてギブアップした組だ。
(何冊か読んだが)

また、本書の序章にも書かれているが、亡くなる二か月ほど前、週刊新潮に寄せた原発に関するコメントには、首をかしげたものだ。
「反原発で文明は猿のレベルまで退化する」 という趣旨の発言だった。

 → 2012年3月17日 【雑】吉本隆明さん、逝く: やまおじさんの流されゆく日々
  http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-41d8.html


もう一冊、勢古浩爾さんにこんな著書がある。
発売後すぐに購入したものの、まだ読んでいない。

勢古さんは、上の呉さんとは対照的に、吉本隆明に深く傾倒している。
この二冊、ともに筑摩書房から出版されているところが、面白い。

勢古浩爾 『最後の吉本隆明』
 筑摩選書 2011/4/15発行 366ページ 1,800円(税別)

 

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2012年10月26日 (金)

【読】1,000ページ近い大著に挑戦

本文829ページ、巻末の注121ページ、あとがきと人名索引16ページ、合計966ページの大著。
ムズカシイ本だ。
私の理解に余る記述が多いのだが、がんばって読んでいる。
途中でやめようかと何度思ったことか。
こうなると、「意地」である。

本文の半分位(第11章の途中)まで読んだところだ。
内容は、戦後思想史、社会運動史、といえばいいのか。
面白い。

小熊英二 『<民主>と<愛国> 戦後日本のナショナリズムと公共性』
 
 新曜社 2002年10月発行 6300円(税別)

とても自腹で買うような本ではないので、近くの図書館から借りてきた。

タイトルは、著者の問題意識をあらわしているのだろうが、私は、戦後思想・社会運動の学習のつもりで読んでいる。

第10章で竹内好を、第14章で吉本隆明を、それぞれ一章をついやして論じているのが、興味ぶかい。
竹内好という人のことを、私はほとんど知らなかったが(イメージは持っていた)、なかなかスケールの大きな魅力的な人だったようだ。

戦時中の文学者の戦争協力(積極的な戦争賛美から消極的な協力まで)についても、私は思いちがいをしていたようだ。
永井荷風が、1910年の大逆事件の後、政治と縁を絶ち、戦争協力に手を染めないで済んだ背景に、彼が豊富な資産を有していたことがあったと、いうことなどは、「目から鱗」だった。

なるほど、と感心することが多いが、巻末注の次の記述などもその一つ。

<……ただ強いていえば政治史研究においては、マッカーサーや吉田(茂:引用者注)といったアクターを、合理的存在として把握しすぎている傾向が感じられた。たとえばマッカーサーが、どのような国際情勢認識にもとづいて、何年ごろから再軍備論に転換したのかが、一つの焦点になっている。しかし人間は、状況認識にもとづいて政治行動を選択するという合理的存在では必ずしもなく、自分の主張や面子を正当化するために状況認識のほうを構築してしまう存在でもある。筆者はこうした社会学的な人間観にもとづき、護憲論と再軍備論は当初からマッカーサーなどの内部でアンビバレントな状態で共存していたものであり、本国との相克関係や面子などから、その時点ごとに自分に好都合な状況認識を構築していたという観点をとった。> (本書 p.894)


なお、気になる本書のカヴァー写真は、「1947年12月7日の行幸」(カール・マイダンス撮影)。

以下、Amazonサイトからコピー、加筆。
どういう本なのか、イメージがわくと思う。

今回は、太平洋戦争に敗れた日本人が、戦後いかに振舞い思想したかを、占領期から70年代の「ベ平連」までたどったものです。
戦争体験・戦死者の記憶の生ま生ましい時代から、日本人が「民主主義」「平和」「民族」「国家」などの概念をめぐってどのように思想し行動してきたか、そのねじれと変動の過程があざやかに描かれます。  登場するのは、丸山真男、大塚久雄から吉本隆明、竹内好、三島由紀夫、大江健三郎、江藤淳、さらに鶴見俊輔、小田実まで膨大な数にのぼります。現在、憲法改正、自衛隊の海外派兵、歴史教科書などの議論がさかんですが、まず本書を読んでからにしていただきたいものです。読後、ダワー『敗北を抱きしめて』をしのぐ感銘を覚えられこと間違いありません。


◆目次◆
序章
第一部

第1章 モラルの焦土――戦争と社会状況
セクショナリズムと無責任/軍需工場の実態/組織生活と統制経済/知識人たち/学徒兵の経験/「戦後」の始まり
第2章 総力戦と民主主義――丸山眞男・大塚久雄
「愛国」としての「民主主義/総動員の思想/「国民主義」の思想/「超国家主義」と「国民主義」/「近代的人間類型」の創出/「大衆」への嫌悪/屈辱の記憶
第3章 忠誠と反逆――敗戦直後の天皇論
「戦争責任」の追及/ある少年兵の天皇観/天皇退位論の台頭/共産党の「愛国」/「主体性」と天皇制/「武士道」と「天皇の解放」/天皇退位と憲法/退位論の終息
第4章 憲法愛国主義――第九条とナショナリズム
ナショナリズムとしての「平和」/歓迎された第9条/順応としての平和主義/共産党の反対論/「国際貢献」の問題
第5章 左翼の「民族」、保守の「個人」――共産党・保守系知識人
「悔恨」と共産党/共産党の愛国論/戦争と「リベラリスト」/オールド・リベラリストたち/「個人」を掲げる保守/「世代」の相違
第6章 「民族」と「市民」――「政治と文学」論争
「個人主義」の主張/戦争体験と「エゴイズム」/「近代」の再評価/共産党の「近代主義」批判/小林秀雄と福田恒存「市民」と「難民」
第二部
第7章 貧しさと「単一民族」―一九五〇年代のナショナリズム
経済格差とナショナリズム/「アジア」の再評価/反米ナショナリズム/共産党の民族主義/一九五五年の転換/「私」の変容/「愛する祖国」の意味
第8章 国民的歴史運動――石母田正・井上靖・網野善彦ほか
孤立からの脱出/戦後歴史学の出発/啓蒙から「民族」へ/民族主義の高潮/国民的歴史学運動/運動の終焉
第9章 戦後教育と「民族」――教育学者・日教組
戦後教育の出発/戦後左派の「新教育」批判/アジアへの視点/共通語普及と民族主義/「愛国心」の連続/停滞の訪れ
第10章 「血ぬられた民族主義」の記憶――竹内 好
「政治と文学」の関係/抵抗としての「十二月八日」/戦場の悪夢/二つの「近代」/「国民文学」の運命
第11章 「自主独立」と「非武装中立」――講和問題から55年体制まで
一九五〇年の転換/アメリカの圧力/ナショナリズムとしての非武装中立/アジアへの注目/国連加盟と賠償問題/「五五年体制」の確立
第12章 六〇年安保闘争――「戦後」の分岐点
桎梏としての「サンフランシスコ体制」/五月十九日の強行採決/戦争の記憶と「愛国」/新しい社会運動/「市民」の登場/「無私」の運動/闘争の終焉

第三部
第13章 大衆社会とナショナリズム――一九六〇年代と全共闘

高度経済成長と「大衆ナショナリズム」/戦争体験の風化/「平和と民主主義」への批判/新左翼の「民族主義」批判/全共闘運動の台頭/ベトナム反戦と加害
第14章 「公」の解体――吉本隆明
「戦中派」の心情/超越者と「家族」/「神」への憎悪/戦争責任の追及/「捩じれの構造」と「大衆」/安保闘争と戦死者/国家に抗する「家族」/「戦死」からの離脱
第15章 「屍臭」への憧憬――江藤 淳
「死」の世代/没落中産階級の少年/「死」と「生活者」/「屍臭」を放つ六〇年安保/アメリカでの「明治」発見/幻想の死者たち
第16章 死者の越境――鶴見俊輔・小田 実
慰安所員としての戦争体験/「根底」への志向/「あたらしい組織論」の発見/「難死」の思想/不定形の運動/他
結論



参考サイト
松岡正剛の千夜千冊『単一民族神話の起源』小熊英二
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0774.html


『増補版 敗北を抱きしめて』 (上・下) ジョン・ダワー
 岩波書店 2004年刊
一九四五年八月、焦土と化した日本に上陸した占領軍兵士がそこに見出したのは、驚くべきことに、敗者の卑屈や憎悪ではなく、平和な世界と改革への希望に満ちた民衆の姿であった…新たに増補された多数の図版と本文があいまって、占領下の複雑な可能性に満ちた空間をヴィジュアルに蘇らせる新版。 (Amazon)

 

【2012/10/29追記】
ようやく読了。タメになる本だった。

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2012年9月 7日 (金)

【読】沖縄

ひょんなことから、この秋、石垣島へ行くことになりそう。
石垣島はおろか、沖縄本島にもまだ行ったことのない私。

羽田から石垣空港まで直行便もあるのだけれど、もったいないので、行きは那覇空港で降りて一泊する予定。
沖縄本島だけでも数日かけてゆっくり回りたいところだが、そうもいかない。

今日、本屋で沖縄の地図を購入。
ガイドブックは、グルメ記事や土産物情報ばかりで読む気がしないため、買わなかった。
そのかわり、こんな本を発見。
あいうえお順に、沖縄のいろいろな情報が事典ふうに満載されていて、じつに面白い。

あ行
アイスワーラー、アカバナー(赤花)、アガリ・イリ・フェー・ニシ、アキサミヨー、字誌(あざし)、アバサー、あまがし、アマミキョ、アワビタケ、泡盛、アンガマ、アンダ、イザイホー、石敢當(いしがんとう)、1号線、糸満、……

こんな感じで、沖縄情報が興味ぶかい角度からとりあげられている。
ひとつひとつが上質のエッセイのようで、ざっと目を通してみたが、へたなガイドブックよりもよほどいい。

項目ごとに執筆者が記載されているのだが、その執筆陣がまたすごい。
すぐ目についたのは、池澤夏樹さんがたくさん書いていること。
彼は北海道生まれだが、沖縄に入れこんで一時期住んでいたはずだ。

椎名誠さんや沢野ひとしさんの名前もある。
吉本隆明さんの名前があったので何かと思ったら、「おもろさうし」の記事だった。

巻末の執筆者一覧から、私が知っている名前だけでも拾ってみると――
足立倫行、池澤夏樹、佐木隆三、沢野ひとし、椎名誠、高樹のぶ子、立松和平、筑紫哲也、陳舜臣、津村節子、鶴見良行、中村征夫、橋口譲二、藤本義一、水木しげる、吉村昭、吉本隆明、……。

どうです?
すごいでしょ?

『沖縄いろいろ事典』 ナイチャーズ編/垂見健吾
 新潮社 とんぼの本
 1992年2月20日発行 (2008年4月30日 20刷)
 143ページ 1600円(税別)

Amazonリンクに表紙画像のないのが残念。

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それにしても、琉球圏は異文化の臭いが強烈だ。
北海道も異国情緒が漂う土地だと思っていたが、どちらかというと大陸風の乾いた空気を感じる。
大陸には行ったことがないが。

それにくらべると、南方の琉球・沖縄圏は私が生まれ育った北海道とまったくちがうようだ。
ひとことで言うと「熱い」のだ。
共通しているのは、じぶんたちの土地の外(本土)を、「内地」と呼ぶところぐらいか。

いまから楽しみにしている。

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2012年3月17日 (土)

【雑】吉本隆明さん、逝く

きのうのラジオで、吉本隆明さんの死去を知った。
87歳。
お体の具合が悪そうだったので心配していたが、やはり、という感じ。

東京新聞 2012/3/16(金) 夕刊(D版) 一面記事より
 吉本隆明さん死去 87歳
  詩、評論「戦後思想の巨人」

 戦後文学、思想に大きな影響を与え、「共同幻想論」などの著書で知られる評論家で詩人の吉本隆明(よしもと・たかあき)さんが16日午前2時13分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。87歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は未定。 =評伝9面
 今年一月に肺炎で入院し、闘病を続けていた。長女は漫画家ハルノ宵子(よいこ)さん、次女は作家のよしもとばななさん。東日本大震災後も、科学技術と原発をめぐり発言していた。 (以下、略)

東京新聞:吉本隆明さん死去 詩、評論「戦後思想の巨人」 87歳:社会(TOKYO Web)
 2012年3月16日 夕刊
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012031602000185.html

東京新聞:吉本隆明氏が死去 戦後思想に大きな影響:話題のニュース(TOKYO Web)
 2012年3月16日 14時55分

 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012031601000920.html



私は、吉本さんからさほど影響を受けなかったが、70年代から80年代にかけて多くの若者に影響を与えた「巨人」だと言える。
吉本さんの、徹底した「自立の思想」は、今でも輝きを失っていないと思う。
敬愛していた叔父さんを亡くしたような気分で、さびしい。

ただ、今年の正月、週刊新潮に掲載されていた原発に関する吉本さんの発言記事には、首をかしげた。
科学技術へのあまりにも楽天的な信頼にもとづく原発維持論に、「吉本さんも耄碌したな」と感じたものだ。

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2011年3月 1日 (火)

【読】偽満州国

読みにくい本だったが、なんとか最後まで読むことができたので、書いておこう。
途中、何度投げ出そうと思ったことか。
けれど、ムキになって読み終えた今では、あんがい面白い本だったと思う。

Takeda_gi_manshu武田 徹(たけだ・とおる) 『偽満州国論』
 中公文庫 2005年発行
 (親本 1995年11月 河出書房新社刊)
 293ページ 857円(税別)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122045428

「満洲国」というのは、現代中国では「なかった」ことになっている。
だから「偽満州国」と呼び、その遺物にはすべて「偽」の文字が冠せられている。
中国の人は懐が大きいというのか、旧日本軍が遺した建造物を破壊せずに再利用している(神社仏閣の類いは別)。
中国の観光地図には、偽国務院、偽皇居、偽法務院、といった「旧満州国」(偽満州国)の建物が「偽」の文字を冠して記載されているという。
すべて「なかった」ことにする徹底ぶりは、著者が書いているように「執念の強さ」と言っていいだろう。

そういうわけで「偽満州国論」なのだが、この本のカバーに印刷されているキャッチコピーによると
<共同幻想の産物としての満州国をテキストに、多角的な視野と柔軟な方法論、冒険的な手法で「国家」を読み解く>
一種の「国家論」というものらしい。

興味ぶかかったのは、「共同幻想再論」と名づけられた一章。
一世を風靡した、吉本隆明の『共同幻想論』を批判的に論じている。

『共同幻想論』は最後まで読みとおせたかどうか、まるで憶えていないが、たしかに私の胸を震わせるものがあった。
でも、吉本氏が言いたいことが、私にはよくわからなかった。
著者は、田川建三という人の『思想の危険について』に拠りながら、次のように書いている。

<国家など幻想のものに過ぎない、そうしたメッセージを言外にまといつつ『共同幻想論』は読まれた。そこでもっとも問題なのは、そうした語感の機能が理論云々とは別次元で働き得るということだ。> (本書 P.146)

<たしかに『共同幻想論』は反体制的な、あるいはそこまでいかなくともリベラルを自称する人が担っている価値観に沿う概念の構図を、散文的で分析的な表現ではなく、イメージを豊かに膨らます詩のような表現で綴ることが多い。> (P.147)

この一章だけでも、興味深かった。
ただ……読みにくかったな。


【参考】
田川建三 『思想の危険について―吉本隆明のたどった軌跡』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4755401453

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2010年1月31日 (日)

【読】差別するココロ (1)

少し前から、ずっと気にかかっていることがある。
どのように考えればいいのか、私の中でまだ整理がついていないので、ためらいもあるが……。

きっかけは、吉本隆明さんの 『老いの超え方』 (朝日新聞社・2006年) の中の、ある記述だった。
吉本さんへのインタビュー形式の本だから、ほぼ吉本さんじしんが語ったとおりなのだろう。

Yoshimoto_oinokekata吉本隆明 『老いの超え方』
 朝日新聞社 2006/5/30初版第1刷
 275ページ 1700円(税別)

この本の、「第三部 思想」 「一問一答 その三――思想篇」 174ページ後半からの13行が、出版社によって削除されるという。

朝日新聞出版社
http://publications.asahi.com/news/91.shtml
<弊社で刊行しました吉本隆明著「老いの超え方」の文中に差別につながる不適切な表現がありました。単行本(2006年5月刊)174ページから175ページ、文庫本(2009年8月刊)199ページから200ページの「――楽しい知識ですか…」から「関心を持ちますね。」までを削除します。文庫本は、該当部分を削除した新装版を出版します。>

たしかに、「被差別部落」に関して、吉本さんの不用意でどぎつい発言が掲載されている部分だ。
私はこの本を発売直後に読んでいるが、その時に、ちょっとひっかかったことを憶えている。
いま読みかえしてみると、吉本さんの真意がますますわからなくなった。

告発を受けたから削除するだけ、という、出版社のお座なりな処置にも首をかしげる。
語った本人である吉本さんの弁明が聞きたいところだ。


そんなこともあって、このところ 「差別」 に関する本を読み続けている。

Nonaka_shin_sabetsu野中広務・辛 淑玉 『差別と日本人』
 角川書店(角川oneテーマ21)
 2009/6/10発行 210ページ

昨年出版され、ずいぶん話題になった本だ。
気になって購入してあったものを、この機会に読んでみた。
身をもって差別を体験している二人の対談は、私には驚くことばかりだった。
差別、ということに関心を持ち続けてはいたが、私じしん、差別の現実をほとんど知らなかったことを痛切に感じた。
「差別は、いわば暗黙の快楽なのだ。例えば、短絡した若者たちが野宿者を生きる価値のない社会の厄介者とみなし、力を合わせて残忍なやり方で襲撃する時、そこにはある種の享楽が働いているのだ。」(まえがき)という、辛さんの言葉に、ハッとした。
「差別問題」は、差別する側の問題なのだ。


つい先ごろ、朝日新聞夕刊に、こんな連載があった。
朝日を購読していないのだが、先週土曜日にたまたま訪問先の家で読み、全10回連載された記事を切り抜いておいてもらった。

朝日新聞 夕刊 2010年1月19日(火)~29日(金)
 「ニッポン 人・脈・記 差別を越えて (1)~(10)」
  http://www.asahi.com/jinmyakuki/

Asahi_shinbun_20100123_2 
(続く)

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