カテゴリー「吉本隆明」の16件の記事

2007年11月14日 (水)

【読】宮沢賢治本

この本は、おもしろかった。

Sugawara_kenji2『宮沢賢治の青春 "ただ一人の友"保阪嘉内をめぐって』
 菅原千恵子 著 角川文庫 1996/11/25

著者があとがきで書いているように、賢治についてさまざまな分野の人が、いろんなことを論じてきた。
「詩人や哲学者はもちろん、宗教家、精神分析医も教育者も、地質学者も植物学者も、そして天文学者さえ彼について語った。 けれど、賢治の全てを一人で論じられる人は未だかつていない。 それほど彼はキャパシティの大きな存在であったと言える。 しかも人間をとりまくあらゆる現象を、ごく自然な形で内包していた。」 (本書あとがき)

著者は、保阪嘉内という賢治の無二の友人に焦点をあて、賢治の人生や作品に色濃く影をおとしているこの人物との、のっぴきならない関係を探る。

「もちろん賢治の人生や作品が、保阪嘉内ただ一人の影響によって彩られていたと言うつもりはさらさらない。 私のこの作品を読まれた方の中には、 (中略) 嘉内が大きく見えるのに対して賢治がひどく小さく感じられて、大いに失望したという言葉も聞こえてきそうである。 / しかし私たちが思い描いている途方もなく大きな賢治とはいったいどの時期のどの作品を読んだ時からイメージされるようになったのだろうか。」 (同上)

詳しく書く余裕がないが、まったく新しい 「賢治論」 として推奨したい。
残念なことに、絶版であるが。

今、読んでいるのがこれ。
題名がちょっとナニなんだが、後半は面白い。
もう少しで読み終える。

Kenji_doutei_2『童貞としての宮沢賢治』 押野武志 著
 ちくま新書 409 2003/4/10

著者は、北海道大学大学院文学研究科助教授の肩書きをもつ、学者。
文章がいかにも学者っぽくて、あまり好きにはなれないが、なるほどこういう見方もできるのだな、と感心する部分もあった。

宮沢賢治について、わたしじしん、ずいぶん前から関心があったようで(ひとごとのようだが)、本箱をあさったら、こんな本もでてきた。
吉本さんの書いた本は、すこしだけ読んで、匙をなげた。
文庫もでているので、読んでみよう。
他の二冊は、それぞれ独自の視点から語った賢治論とエッセイで、興味ぶかいのだが、やや専門的。

左から
『縄文の末裔・宮沢賢治』 田口昭典 著 無明舎出版 1993年
『わたしの山旅 賢治と石と花と』 中谷俊雄 著 矢立出版 1985年
 (この本は、ずいぶん前に知人からいただいたもの。エッセイ風)
『宮沢賢治 近代日本詩人選13』 吉本隆明 著 筑摩書房 1989年

Kenji_jyoumonKenji_yamatabiKenji_yoshimoto

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2007年2月 3日 (土)

【読】勢古さん三冊

勢古浩爾さんのPHP新書三冊。
『「自分の力」を信じる思想』 (PHP新書 169) 2001/9
『おやじ論』 (PHP新書 242) 2003/3
『ああ、自己嫌悪』 (PHP新書 370) 2005/10
Seko_jibunSeko_oyajironSeko_jikokeno他にもまだ出版されている著作があるかもしれないが、ぼくがみつけたものはこれだけ。
新書ばかりである。
この人は、ハードカバーの大げさなつくりの本を好まないのかもしれない。ペーパーバックが似合っている。
この人は信頼できるな。
たとえば、次のような言葉が、(ぼくにとって)その裏づけだ。

<現在、最も真摯に人生の意味を問いつづけている作家は、五木寛之を措いてほかにはいない。 顔が美形だから、作家の余技と見られがちだがかれの人生論は信用ができる。 特徴は「暗さ」である。 そこがまたいい。>
<波乱万丈とか人生は楽しまなきゃ損だ、とか言っているやつらの考えに対置するには、この「みっともなくても生きる。苦しくても生きる」というのは有効である。 「人間の人生」を受け入れよ。 そのなかで翻弄される「自分の人生」もまた受け入れよ、と五木は言っている。 受け入れて、とにかく「生きる」ことだ、と。>
  ― 『ぶざまな人生』 洋泉社新書y 第六章 P.211~ ―

「人間の人生」「自分の人生」とは、こういうことだ。
(おなじ『ぶざまな人生』 第一章から)

<ひとは「人生」というものがどこかにある運命のように語る。 なんでも生じ、なんでも入る器のように。 「それが人生」だ、というように。 そのような「人生」はあるのか。 ある。 それが「人間の人生」だ。 自分のちっぽけな意思など翻弄してしまう「人生」である・・・(中略)。
そのような「人間の人生」に抗いながら、なおも自分の意思で生きようとするのが「自分の人生」である。 その必死さが、健気ともぶざまともなる。 これ以外にあるほかない人生は、この「ぶざま」以外に生きることのできなかった人生である。>

部分的な引用なので、わかりにくいかもしれないが、ぼくは大きくうなずくことができる。
吉本隆明さんについて、こんなことばも書いている。

<若くして胸に刻んだ言葉は、ひとつである。 日々の生活は平凡で退屈でくそおもしろくもない、という考えはよくありがちな根本的な錯誤で、そのような生活のなかにこそ波瀾も万丈も修羅もあるのだ、という吉本隆明の言葉である。 (中略) もし真に平凡な人生というものがありうるなら、それは理想の人生と言っていいのではないか。 わたしは「平凡」も「ふつう」も軽蔑しない。>

「喝!」

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2007年2月 2日 (金)

【読】勢古さん二冊

どうも、この「さん」という呼び方が、じぶんでも落ち着かないのだが、「氏」と呼ぶのもなんだし、呼び捨てにもしにくいので・・・。

この一週間で、勢古浩爾さんの新書を二冊読んだ。
Seko_zokubutsuSeko_mitomeyo勢古浩爾
『この俗物が!』
 (洋泉社新書y 100) 2003/12
『わたしを認めよ!』
  (洋泉社新書y 018) 2000/11
タイトルこそきついが、じっくり読ませる本。

『この俗物が!』
<俗ニ生キ俗ニ死ス人間が、それでも生きる覚悟において非俗でありたいと願う人々に贈る、おもしろくて切ない「当世俗物図鑑」>
これでも、まだ胡散臭い気がしたが、読み始めるとうなずくことばかり。
終章、「非俗の人」(第五章)で、沢木耕太郎の『無名』にえがかれた、沢木耕太郎の父親のことをとりあげている。
この『無名』をぼくは読んでいないが、勢古さんはここで次のように書いている。
<沢木耕太郎は父親を八十九歳で失ったが、その死(と生)を書いた『無名』(幻冬舎)は佳品である。 前もっていっておくと、その父親が非俗の人である。 この親にしてこの子あり、というほどにはわたしは沢木自身を知らないが(本だけは多少読んでいるが)、たぶん父親はその徹底した非俗性においてはるかに沢木以上である。 余計なお世話だが、『無名』というタイトルよりも、「非俗の人」のほうがよりふさわしいと思えてくる。 このような人がいるのである。 そして、このような人がいるということは、ほかにもいるということだ。>
これに続けて、『無名』から引用して、沢木耕太郎の父親がどういう人だったかを紹介している。
沢木さんの父親のような存在は、ショックだった。
『無名』を読んでみようと思う(BOOK OFFで購入)。

もう一冊、『わたしを認めよ!』は、承認論といえばいいのか。
章立てが、まるで『共同幻想論』(吉本隆明)のようだ。
「孤独論」「自己証明論」「家族承認論」「性的・社会承認論」「反承認論」「普通論」「最終承認論」。
もちろん、吉本さんほど難しくはないが、この著者の他の本と比べると語り口が静かで重い。

承認とはなにか。 著者によるとこういうことだ。
<「承認」とは、他人によって、最終的には自分じしんによって、自分という存在が認められ、受け入れられることである。 「認める」とは、より多く、行為や態度に関わるものであり、「承認」とは、それらを包摂してなお、存在そのもにに関わるものである。>
<ひとは承認なしでは生きられない。 この低能が、という一言によって、あるいは最低の男ね、という面罵によって、わたしたちはいとも簡単に傷つく。 自分という存在がその瞬間に転覆しそうになるのだ。 傷ついたあとで、猛然と反発する。・・・>

第三章「家族承認論」で、「無条件の承認は存在の引き受けである」という。
<おまえは「生きていても、いいんだよ」。/わたしたちは自分という存在への、この根源的な承認を必要としている。 そしてこの根源的という意味において、原則的にそれが可能なのは家族による承認をおいてほかにはない、とわたしは考える。 (中略) それは自分という存在が、たしかにこの世の中に受け入れられている心的安心であり、すべての承認のなかで最も基本的かつ重要な承認である。>

引用ばかりになったが、このように硬いことばかりが書かれているわけではなく、さまざまな本をとりあげて、それを題材に勢古さんの持論を展開している。

<本書は軽くて単純だが、すこしだけ深いのである。>
と書いているが、まったくその通りだと思う。
「軽い」かどうかはわからないが、書いていることはいたってシンプルなことかもしれない。
終章「最終承認論」で、どう生きればいいのか、ということが(もちろん著者の持論だが)理解しやくす書かれている。
五木寛之さんの『他力』が引用されているのが(いい意味で)意外だったが、ぼくは勢古さんの持論に同意できる。
この本には感動した。

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2007年1月13日 (土)

【読】勢古浩爾さんの三冊目

ひさびさの読書日誌。
長ったらしいので、興味のない方は読み流していただきたい。

年があけて最初に読みおえた本がこれ。
Seko_kouji2_1勢古浩爾 『自分をつくるための読書術』
 ちくま新書 134 1997.11 \680(税別)
― カバーから ―
<「自分」をつくるということは、割合しんどいことである。 そんな思いまでして、しかもどんな保証もないのに、なぜ「自分」をつくらなければならないのか。 いったいなんの得があるのか。 理由は簡単だ。 「自分」をつくらないで生きていくことは、もっとしんどいからである。>

このての読書案内が好きなので、おもしろそうだなと思って読みはじめた。
なかなか刺激的な内容である。
冒頭、<はじめに ――「自分」をつくるとはどういうことか>から、意表をつくようなことが書いてあり、うなってしまった。
<人間の気質や性格(人間性)は、そのほとんどが三歳までにできあがってしまうから、それ以降どんなに変えようとしても無駄である、という考えがある。 悪あがきはやめなさい、というわけでもあるまいが、この三歳決定論に関しては、わたしも基本的には信じるほかないという気がする。 しかし、だから自己形成へのあらゆる意思や試みは無効であるという諦観にわたしは同意しない。 もしも自分で「自分」をつくることができないのなら、そんな「自分」にひとは責任をとる必然性がまったくないからである。
(太字は原文のまま)

全6章のタイトルをあげておく。
この章題に勢古さんの考え方がよくあらわれていると思うのだ。
各章の末尾に、ブックリストがあり、勢古さんの推薦書があげられている。
そのなかで、ぼくが興味をもった本も書いておこう。
(読んだことのある本も、いくらかあるが、もういちど読んでみようかと思う)

第1章 「世間」を生きぬくための読書 ~あらゆる形式を疑え~
阿部謹也さんの「世間」論からはじまるところが、ぼくにはうれしかった。
■ブックリストから■
『無名人名語録』(永六輔/講談社文庫)
『アイルトン・セナ日本伝説』(松本洋二/新潮文庫)
『この国のかたち(四)』(司馬遼太郎/文春文庫)

第2章 「弱さ」を鍛えるための読書 ~一冊の本は決定的に発火する~
<学生時代、『共同幻想論』という本が薄暗い生協の本棚に平積みにされていたのを思い出す。ベストセラーだという噂は知っていたが、なにがキョードーゲンソーロンだとわたしは無視した。吉本隆明氏が何者かはまったく知らなかった。自慢じゃないが相当無知であった。・・・大学卒業後のある日、友人のNが「おまえなんか吉本があうんじゃないかなぁ」といった。かれの真意はわからなかったが、わたしはその日、はじめて吉本氏の本を買った。> という、勢古さんが出会った「衝撃的かつ決定的な一冊」は、吉本隆明さんの『情況』(河出書房新社)。
■ブックリストから■
『共同幻想論』(吉本隆明/河出書房新社、角川文庫)
『犠牲』(柳田邦男/文藝春秋)
『夜と霧』(V・E・フランクル/みすず書房)

第3章 「論理」の力をつけるための読書 ~読むなら考えよ考えぬなら読むな~
論理(論理的な考え方)はたいせつである。しかし、論理の限界点には<理不尽>がある。・・・と勢古さんは言う。
<「自分」をつくるうえで論理の重要性はいくら強調してもしすぎることはない。だが論理だけでひとを感動させることはできない、というのもまた事実である。論理がその力をもつためには、論理に根性がはいっていなければならない。>
この章で引用されている、吉本隆明さんの次のことば(『カール・マルクス』から)は、ぼくも好きだ。
<市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかあらわれない人物(註:カール・マルクスのこと)の価値とまったくおなじである。>
■ブックリストから■
『重力と恩寵』(シモーヌ・ヴェイユ/ちくま学芸文庫)
『敗北の構造』(吉本隆明/弓立社)
『ぼくならこう考える』(吉本隆明/青春出版社)

第4章 「理不尽」を生きるための読書 ~すべての本を軽蔑せよ~
■ブックリストから■
『悲しみの家族』(宮城賢/春秋社)
『岸辺のアルバム』(山田太一/角川文庫)
『冷い夏、熱い夏』(吉村昭/新潮文庫)
『人間の土地』『夜間飛行』(サン=テグジュペリ/新潮文庫)

第5章 「覚悟」を決めるための読書 ~わたしがルールブックである~
この本を通して、<自分さがし>などするな、ということが繰り返し言われている。
同様に<自分らしさ><人間らしさ>などという、口あたりのいい、それでいて何の意味もない言葉を痛烈に批判する。読んでいて爽快。
■ブックリストから■
『単純な生活』(阿部昭/講談社文芸文庫)
『神聖喜劇(全5冊)』(大西巨人/ちくま文庫)
『鹽壷(しおつぼ)の匙』(車谷長吉/新潮文庫)

第6章 「自分」をゆさぶるための読書 ~自分に関係のない本などない~
著者・勢古浩爾さんは、若い頃(およそ30年前)、ほぼ一年をかけてヨーロッパ、中近東、アジアを旅し、そのときに持っていた本は、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(ペーパーバックの原書)一冊だけだったという。
■ブックリストから■
『昭和精神史』(桶谷秀昭/文春文庫)
『ねむれ巴里』(金子光晴/中公文庫)
『東南アジアを知る』(鶴見良行/岩波新書)
『深夜特急(全6冊)』(沢木耕太郎/新潮文庫)
『望郷と海』(石原吉郎/ちくま学芸文庫)
『広島第二県女二年西組』(関千枝子/ちくま文庫)
『泥まみれの死 「沢田教一写真集」』(沢田サタ編/講談社文庫)
『大地の子(全4冊)』(山崎豊子/文春文庫)
『城下の人』『曠谷の花』『望郷の歌』『誰のために』(石光真清/中公文庫)
『生きることの意味』(高史明/ちくま文庫)

以上です。 ああ、しんど。
もちろん、ぼくには、こんなにたくさん読めやしないが、何冊かは手に入れて読んでみたい、あるいは再読したいと思ったのである。
この新書は、良質のブックガイドであり、骨のある自前の「思想」が語られている一冊。

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2006年12月21日 (木)

【雑】夏至と冬至

もう、とっくに寝る時間なのだが・・・。
明日は冬至。
半年前は夏至だった(あたりまえだ)。

夏至と冬至は、ぼくの記念日である。
今から半世紀ほど前の夏至の日の昼間、北海道のまんなかでうぶ声をあげた(らしい)。
もちろん憶えていないが、当時は産婆さんを家に呼んでのお産で、たいへんだったことだろう。
いっぽう冬至は、夏至から半年後というだけの理由で記念日。
満○○歳と半年、ということで自分の年齢をことさら意識する日だ。

Simone_weil_3話はかわって・・・。
きょう、ようやくシモーヌ・ヴェイユ 『工場日記』 を読了。
意地になって読み通した本だった。
前半の工場日記は、理解できない内容が多かったが、その後に収録されている 「断片」 と題する小文や、いくつかの手紙は読みやすいものだったし、よく理解できた。
 ♪ 無理して読んじゃいけないと・・・ ♪ (小林幸子)
この本は、最後まで無理して読んでよかったな。

Yoshimoto_kangaeじつは、こういう本も手にいれたのである。
吉本隆明 『ほんとうの考え・うその考え』
 ― 賢治・ヴェイユ・ヨブをめぐって ―

  春秋社 1997年
賢治は宮澤賢治、ヨブは旧約聖書「ヨブ記」のヨブらしい。
聖書をまともに読んだことのないぼくには、???なのだが、宮澤賢治、シモーヌ・ヴェイユ、吉本隆明、ということで興味がわいた。
200ページたらず、活字も大きくて読みやすそうな本だ。

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2006年12月12日 (火)

【読】吉本さんのヴェイユ論(続)

Yoshimoto_weil_1やはり、ちょっと難しかったけれど、読了。
吉本隆明 『甦るヴェイユ』 (洋泉社MC新書)

心に残るフレーズがあったので書いておこうかな。
長い引用になるけど。

<・・・ヴェイユの女生徒への手紙は、とてもいいものだ。 スポーツをして、機敏な身体のこなしや、筋肉の動きや、体力を獲得すべきだ。 若い男女たちよ。 それで健全で明るくなったり、他人を残酷に扱ったり、圧伏したりするためではなく、そんなことはほんとは身体の不器用さや、体力の弱さにくらべて、誇るべきものでも何でもないことを体得するためにだ。 またもし若い男女たちよ。 じぶんが学生だったら、また生涯の生活が学生の延長だとおもっているのなら、知識をあくことなく獲得すべきだ。 それで他人や知的不器用や知的でない大衆を圧伏したり、侮辱したりするためではなく、知識は<富>とおなじようにあっても決して恥ではないが、誇るべきほどのものでもないことを、ほんとに体得するためにだ。>
 (『甦るヴェイユ』 Ⅲ 工場体験論 P.88)

※ 「ヴェイユの女生徒への手紙」 は、『工場日記』(講談社文庫)に収録されている。
ひとりの女子工員として工場に働きに行き、くたくたに疲れる日々のなかで教え子の女生徒に宛てて書いた手紙だ。 その一節。
<・・・手紙をください。 でも返事はときどきしか期待しないでください。 手紙を書くにはひどくつらい努力を払わねばならないのです。 ・・・春をたのしんでください。 空気と陽ざしを(もしそれらに恵まれたら)吸いこんでください。 すてきなものを読んでください。>
 (ヴェイユ 「ある女生徒への手紙」)

また、吉本さんの文章から引用。
いかにも吉本さんらしい正直さがでていると思った箇所。

<ここまできて、ヴェイユの「神」の最後の姿、いわば究極の姿を、さっとひと刷けに素描してみたい。 それといっしょにヴェイユの思想の最後の姿もだ。 むろん神学者は神学的に、信仰者は信仰者的に、イデオロジストはイデオロギー的に、それぞれヴェイユの「神」を位置づけるだろうし、ヴェイユの「思想」の姿をさしだすにちがいない。
 わたしもわたしなりに、これがヴェイユの「神」と「思想」の本性だといってみたいだけだ。 べつにじぶんの妥当さを固執もしないしヴェイユをだしにして自己主張するつもりなどない。 ヴェイユを抱えこむのでもなく、研究するものでもない。 ヴェイユがもうすこし柔軟で怠惰だったら、資質的に好きな思想のひとつだから、ひとめぐりしてみたいだけだ。>
 (『甦るヴェイユ』 Ⅴ 労働・死・神 P.184)

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2006年12月 7日 (木)

【読】吉本さんのヴェイユ論

もう寝る時間だけど、書いておこうかな。
Yoshimoto_weilこんな本をみつけたので、読んでいる。
吉本隆明 『甦るヴェイユ』 洋泉社 MC新書
シモーヌ・ヴェイユについてよく知らないので、『工場日記』を読む前の下調べのつもり。
― 目次より ―
 初期ヴェイユ / 革命と戦争について
 工場体験論 / 病みの神学・心理・病理
 労働・死・神 / 最後のヴェイユ
吉本さんらしい関心のよせ方で、好感の持てる内容。
(読み始めたばかりだけど)

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2006年11月30日 (木)

【読】思想なんかいらない

月曜日だったかな、勤め先の近くの新古書店(BOOK OFF)で、タイトルにひかれて買った本。 350円だった。
Seko_kouji_1勢古浩爾 (せこ・こうじ) 『思想なんかいらない生活』
  ちくま新書 479 (2004.6.10)
著者については、よく知らない。
ちくま新書 『自分をつくるための読書術』 『こういう男になりたい』 の二冊、宝島社 『中島みゆき・あらかじめ喪われた愛』 という著作あり。
現在、洋書輸入会社に勤務(サラリーマンらしい)。

この本、じつに胸のすくような爽快な内容。
読み始めるまでは、なんだか怪しげな本かな、と思っていたが、とんでもない。
とてもしっかりした内容。 かつ、説得力あり。 しかも、わかりやすい。

 「思想」というものは、私たちの生活に必要なのだろうか?
 あるいは、思想や哲学が、今のこの生活に必要なのだろうか?
   ― カバー見返しから ―
著者のこたえは、「そんなもん、いらん」 「もっと大切なものがあるんだよ」 ということか?
目次をあげておこう。

第一章 知識人にご用心
第二章 「ふつうの人」、インテリに叱られる
第三章 いったいなんのための思想か
第四章 インテリさんがゆく
第五章 本は恥ずかしい
第六章 勝手に「大衆」と呼ばれて
第七章 思想なんかいらない生活

この第四章で槍玉にあげられている、インチキなインテリども(著者がいうところの)には、竹田青嗣、加藤典洋、橋爪大三郎、小浜逸郎、柄谷行人、蓮実重彦、大澤真幸、福田和也、中島義道、永井均、池田晶子、姜尚中、副島隆彦、・・・なんて名前がずらり並んでいるが、自慢じゃないがほとんど知らん人ばかり。
それが、おもしろいのだ。
エラそうなことを書いている、これらの人々の著作から例をひいて、いかにわけのわからないものを大層ぶって書いている輩かということを、しつこいくらいに、これでもかと書き綴る。
その一例をあげようと思ったが、めんどうなのと、夜も更けてきたので(とっくに寝る時間だ)やめにする。
読みながら、ほんとうに何度も声をあげて笑ってしまった。 爆笑。

こんな紹介だと、誤解されるかもしれないが、著者の意図(意思)はきわめてまじめ、好感がもてる。
すくなくとも、次の二人のことを教えてもらえたことで、ぼくはこの著者に感謝したい。

その一人は、エリック・ホッファー。
アメリカの 「沖仲士の哲学者」と呼ばれた人(らしい)。
『エリック・ホッファー自伝』 (作品社)、『波止場日記』 (みすず書房) というのを読みたくなった。

もう一人は、ぼくも名前だけは知っていた、シモーヌ・ヴェイユ。
フランスの高等中学の哲学教師(つまり、インテリ)だったが、工場労働者(女工)の世界に飛び込んで、『工場日記』 を残した。 これも読んでみたくなった。

そして、これは蛇足だが、あとがきの中でこう書いているのが、ぼくにはことに嬉しかった。
というか、この言葉で、ああ、この著者は信用できる人かもしれないな、と思ったのだ。

 <ところで 「思想家」 をとりあげるのなら、なぜ吉本隆明が入っていないのかと怪訝におもわれたかたがいるかもしれない。 理由はふたつある。
 ひとつは、吉本隆明だけは依然として別格だからである。 本書を書きながらあらためてそのことを実感した。 別格すぎる。 吉本隆明はわたしが唯一恩恵を蒙った 「思想家」 である。 かれの 「思想」 だけがこの世界のなかで、またわたしの半生のなかで、例外的に唯一役に立ったのだ。 役に立ったどころではない。>
  ― あとがき ―

ぼくは、「吉本教」(そんなもんはもちろんないのだが)の信徒でもなく、吉本崇拝者でもない。 吉本さんを敬愛(あぁ、恥ずかしいな)、尊敬(これも恥ずかしい)、・・・まあ、どうでもいい、これまでさんざん書いたから、ここには書かないけれど、これからも読み続けて教わることの多い人だと考えている。
これこそ蛇足だったかな。 ま、いいや。 寝よう。

2006/12/2 写真追加
エリック・ホッファー 『波止場日記 労働と思索』 (田中淳 訳/みすず書房)
シモーヌ・ヴェイユ 『工場日記』 (田辺保 訳/講談社文庫)
Eric_hofferSimone_weil_1   

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2006年9月10日 (日)

【雑】きょうの収穫

団地のトチノキが実をつけて、それがたくさん落ちている。
実(種子)はなく、外皮というのか殻ばかりだったが。

P9100021P9100022 クルミのように、まわりに厚い皮をつけていて、中に固い種子がある。
直径2cmほどの丸い種子は、小ぶりの栗の実を思わせる。

【科/属名】 トチノキ科トチノキ属
【名前の由来】 トは10で、果実の多い木をあらわす
ほんまかいな。
トチの実団子というのを食べたことがある。 これは、五木寛之さんの好物らしい(何かの本に書いていたっけ)。
素朴な味ではあるが、ぼくはあまり好きになれなかった。

今日は、郊外型大型新古書店(要するにBOOK OFF)を三軒まわって、まとめ買い。
こんなに読めるのかな、と自分でもあきれるほどだが、安いのでついつい買ってしまう。

P9100024『20世紀はどんな時代だったのか』 読売新聞社編
左側が今日みつけたもの。
右は、つい先日、別の店でみつけた。
このシリーズは面白い。 1998年から2000年にかけて出版された。
「革命編」「戦争編 ヨーロッパの戦争」「戦争編 日本の戦争」「戦争編 大戦後の日本と世界」「思想・科学編」「ライフスタイル・産業経済編」「政治・社会編」「アメリカの世紀・総集編」があり、一冊を除き手に入れることができた。(読まなくちゃ)

P9100023岩波ジュニア新書 シリーズ
一冊105円とか350円という値段で売られている。
すこし太平洋戦争のことを勉強しようと思って、まとめ買い。



Seisho_vs_sekaishi_1『聖書vs.世界史』 岡崎勝世 講談社現代新書
何度も紹介した『晴読雨読日記』(岸本完司)に書評が載っていたので、気になっていた本。 新刊では入手困難になっている新書を、こういう店でみかけることが多い。ありがたいことだ。



この他、吉本隆明さんの『日々を味わう贅沢』(青春出版社)、関川夏央の文庫本3冊、山田風太郎『くノ一忍法帖』(文庫)も購入。
収穫多数。

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2006年9月 8日 (金)

【読】山田風太郎 『同日同刻』 (2)

まだ読み終えていないけれど、きのうの続き。
山田風太郎 著 『同日同刻』 (ちくま文庫)
 1979年 立風書房 刊行の文庫化

Futaro_doujitsu_2昭和20年8月9日、長崎に二発目の原爆が投下され、ソ連軍が満州・朝鮮への侵攻を開始。
長崎に原爆を投下したB29(広島の時と同じくテニアンから出発)は、帰途、燃料がなくなって沖縄の読谷(よみたん)飛行場に着陸した。
<不時着に近い着陸だった。 長い滑走着陸をする余力もないので、緊急着陸をする旨地上に信号したが、管制塔は気づかなかった。>
ヨタヨタと飛んでいるB29から、「被害甚大」「機内に死傷者あり」など、ありとあらゆる発火信号が打ち上げられた。
<やっと無事着陸したB29に、基地の軍曹が駆け寄って聞いた。/「死傷者はどこですか」/スウィニー少佐は北東の長崎の方を指した。/「あっちだ」>

満州も大混乱だった。
<・・・その満州では、恐ろしい混乱の中に、関東軍関係につづいて満鉄関係の家族が新京から逃れようとしていた。>
職業軍人や軍属たちは、民間人を見捨ててわれ先にと逃げはじめたのである。ひどい話だ。

悲惨な話は山ほどあるが、次の逸話が胸を打った。
東満州の永安屯の群馬部落でのできごと。
<・・・移民以来営々と汗を流して拓いた田畑を捨てて逃げることになお踏み切れない人々も多かった。・・・やっと十一日に避難開始ときまったが、この朝物見台に立っていた開拓民の一人が、早くも地平線に巻きあがる砂塵が刻々と大きくなって来るのをみた。/「ソ連の戦車団だ!」>
村は極度の混乱に陥り、若い女たちは、ソ連軍の暴行を恐れて次々と自決していった。
<・・・部落には硝煙と血の臭いが渦巻いた。 この朝、女、子供をふくめてみずから死を求めた者四十九名。>
そして・・・地平線から近づいて来たのは、隣の村に住む日本開拓民の避難の馬車の行列だった。

これにくらべたら、阿南陸相の割腹自殺など、なにほどのものか、と思う。

緊迫する御前会議、天皇の決断、陸軍のクーデター未遂、「玉音放送」レコード盤の争奪、など、敗戦までの数日間が、山田風太郎の手によって活写されている。
ところどころに、当時の文人・文化人たち(川端康成、徳川夢声、志賀直哉、谷川徹三、谷崎潤一郎、永井荷風ら)のエピソードや証言がはさまれていて、興味ぶかい。
フィリピンで俘虜となった大岡昇平、奄美群島加計呂麻島の島尾敏雄、新京放送局に勤めていた森繁久弥らの体験記も引用されている。
いいかげんなテレビドラマよりも、よほど勉強になる。

その森繁久弥のことば。
「何が一番悲しかったかといえば、ソ連の攻撃が始まった直後でしたが、包丁を出せといわれたことでした。 包丁を竹の先にしばりつけて、それでソ連軍と渡り合うんだ、というんですよ。 精鋭だと信じ込んでいた関東軍がね」

それにしても、と思う。
なぜ、軍人たちは、あれほど「勝ち」にこだわったのだろう。
ほとんど望みのない負け戦だったのに、正気の沙汰とは思えない。

すこし前に読んだ、吉本隆明さんの本を思い出した。
吉本さんも戦争中は軍国少年だったが、その体験をごまかさず、戦後、とことんまで総括をした人だ。
吉本さんは、繰りかえし、こう言っていたように思う。
「戦争そのものがダメなんだ。 正義の戦争なんて、ないんだぜ。 戦争なんかやっても、いいことは何もないんだよ」

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2006年8月 8日 (火)

【読】吉本さんにハマる

このところ、吉本隆明さん関連の本を続けて読んでいる。

すこし前に紹介した、民俗学者の赤坂憲雄さんとの対談 『天皇制の基層』 (講談社学術文庫)を、今日、読了。
Yoshimoto_akasaka_2Hasizume_yoshimoto橋爪大三郎 『永遠の吉本隆明』 (洋泉社 新書y)も面白かった。
これまで、難しいと思って敬遠気味だった吉本さんの過去の著作も、読んでみようかなという気になった。
『天皇制の基層』 は、赤坂憲雄さんとの三回の対談で構成されている。
柳田国男、折口信夫、三角寛らが話題にのぼる第三部が、ことに面白かった。
天皇制なんてカンケイないよ、と言っても生きていけるが、ぼくにとってはやはり気になるものなので、勉強になった。

― 赤坂憲雄さんの「学術文庫版まえがき」から ―
対談のなかで、吉本さんが幾度となく使われた「田吾作」という言葉に、あたかも唆されたように、わたしはそれから間もなく、東北へとフィールドを移した。・・・田吾作となって、固守するなら十年以上固守しないとものにはならんぜ――、そんな吉本さんの言葉が、いまでも耳に残っている。・・・

さあて。 次に取り組むのは、この本。
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2006年6月17日 (土)

【読】老いの超え方

吉本隆明さんの 『老いの超え方』 (朝日新聞社)は、いい本だった。
近年の著作で吉本さんが繰り返し語っている思想のエッセンスが、ぎっしり詰まっている。
まだまだ、この「巨人」は健在。

ひとつだけ、とてもいいなと思うエピソードがあったので、そのまま引用したい。
これは、インタビュアーの下の質問に答える形で、吉本さんが語った内容である。

― 例えば若い看護師がターミナル期を迎えた患者さんのそばに行ったときに、たまたまその患者さんに 「おれはもう死ぬだろう。死んだらおれはどうなるんだ」 と質問されたとします。 そのとき、ケアのプロである看護師はどんな答え方が良かろうと、吉本さんはお思いになりますか。

吉本 僕は姪が子宮がんで亡くなったときに、「おじさん、どういうふうに考えたらいいの」と盛んに聞かれました。 今だったら何か言えそうな気もしますが、そのときはこの段階でおれが言うことはみんな切実さに欠けているという感じがして言えませんでした。 「車いすで病院の中でも散歩するか」 と言っただけで、何も言えませんでしたね。 今だったら多少何か言えそうな気もしますが。
 でも、どんなことを言っても、死については野次馬的にしかいえない。 ご本人がどういう状態か、精神状態は了解できるところもありますが、全体としてどうきついのかは全く分からない。 そんなことで何かを言ったら、余計なことを言うな。 死という切実な問題でないときだったらいくらでも意見を言います。 僕ならそうなります。
 ― 『老いの超え方』 「第四部 死」 「第一章 見方」 (P.244) から ―

五木寛之さんが何かの本の中で、他人の悲しみをわかってあげることなどできない、できることは、その人の手をとっていっしょに涙することぐらいだ、という意味のことを書いていた。
吉本さんも、この本の中で同じようなことを言ってる。
ぼくは深くうなずいたのだった。

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2006年6月15日 (木)

【読】プリクラ

ちかごろ、もの忘れがひどい。
人の名前やモノの名前が、とっさに出てこないことが多い。
年齢のせいだろうな。

吉本隆明さんの 『老いの超え方』 という本をあらためて手にとってみて、カバーの写真の具合が何かににていると思った。
まるで、ほら、あの・・・なんていったっけ?
こどもたちがよくやる写真。 シールになるやつ。 あれだよ、あれ。
という具合に、家人とふたり協力しあって思いだそうとしても、名前が出てこない。
考えること数分。
プ・・・ プラ・・・ プリ・・・ プリクラ!

Yoshimoto_oinokekata_1一枚一枚の写真が、ちょうどプリクラのシールを貼りつけたようなぐあいで、微妙に浮きあがっているのだ。 なにやらほほえましい。
なかなか凝った装丁の本である。
今日から読み始めた。
読みやすいので一日で半分ぐらい(120ページほど)読みすすんだ。
1924年(大正13年)生まれ、82歳かぁ・・・。
そうとうあちこち、お体の具合は悪いようだが、いたって元気な方だ。
ただ、近年の著作(注)にも見られる「同じことを繰り返し言う」ところがあって、ちょっと気になる。
壊れたレコードみたいに・・・というのは言いすぎだけど。
それでも、思想の芯がしっかりしている方だから、学ぶところは多い。
なによりも、ご自身の現在進行系の「老い」について、尽きることなく語っているところが、とても参考になる(身につまされる、と言ってもいいかな)。

ひさびさのヒットである。

(注) 『戦争と平和』 吉本隆明 (文芸社 2004年8月発行)
この中に、1995年の講演録があり、吉本さんの言いたいことはとても明解なのだが、言いまわしにくり返しが多く、苦笑した。
ただし、とても強烈な印象を受ける講演内容だ。
1995年3月10日、吉本さんの母校である都立化学工業高校での講演。
この年は戦後50年であり、阪神・淡路大震災の直後でもある。

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2006年6月 6日 (火)

【読】吉本さんの粘り強さ

気になる本なので、買ってしまった。
吉本隆明さんの新刊。

吉本さんって、大正13年うまれだったんだなぁ。
ぼくの父親と同年代だ。
もっと若いと思っていたが、この本の写真を見ると、ご高齢という感じがする。

それにしても、お元気な方だ。
いろんな持病をかかえながらも、「自前の思想」を深め続ける、このパワーはどこからくるのか。
吉本さんの難しい著作はそれほど読んでいないし、吉本ファンでも信奉者でもないが、同じ時代を生きる信頼できる大先輩という感じで、ずっと敬意を払ってきた。
この人の粘り強さ、じぶんの頭で考え続けることを継続する、その生き方に感服する。

Yoshimoto_oinokekata吉本隆明 『老いの超え方』
 朝日新聞社 2006年5月30日 1700円(税別)
― 帯から ―
 ご老人は超人間である
  今年83歳になる戦後思想の巨人は糖尿病を
  かかえ、白内障と腸がんの手術をし、
  歩くことも本を読むこともままならない。
  そんな不自由をどのように自由に生きるのか?
 吉本老体論の決定版、ついに刊行!

楽しみな一冊だ。
巻頭、ダンベルで体を鍛える?吉本さんの写真がほほえましい。
(表紙にもその写真がある)
インタビュー構成で、やさしく読めそうな本だ。

今日、赤坂憲雄さんの 『東西/南北論 ―いくつもの日本へ―』 (岩波新書・700) を、ようやく読了。
こちらも、刺激的な内容だった。 いずれ後ほど、紹介してみたい。

さて、明日からは、吉本さんの 『中学生のための社会科』 にとりかかろうかな。

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2006年6月 4日 (日)

【読】吉本隆明さん

友人が、吉本隆明さんの新刊を教えてくれた。
『老いの超え方』 朝日新聞社出版局
 2006年5月 1785円(税込)
http://opendoors.asahi.com/data/detail/7375.shtml
興味深い本なので、いずれ入手したいと思っている。

吉本隆明さんを、なんと呼べばいいのか。
詩人、思想家、評論家・・・。
大きな人ではあるが、ぼくにとっては「吉本さん」という感じで、身近なおじさんという印象が強い。
難しい著作も何冊か読んだことがあり、それなりに感銘をうけたりもしたが、インテリ臭のない庶民的な人だと、ぼくは感じている。

その吉本さんの著作を2冊、近くの図書館から借りてきた。

Yoshimoto_syakaika_1『中学生のための社会科』 市井文学株式会社 2005年3月1日
ここで「中学生」と呼んでいるのは、吉本さんの前書きによれば―
「生涯のうちでいちばん多感で、好奇心に富み、出会う出来事には敏感に反応する柔らかな精神をもち、そのうえ誰にもわずらわされずによく考え、理解し、そして永く忘れることのない頭脳を持っている時期の比喩」
だという。
だから、「そういう時期を自分でもっていながらそれに気づかず、相当な年齢になってから『しまった!』と後悔したり、反省したりした」 吉本さん自身の 「願望が集約された時期のこと」 でもあるそうだ。

詩、古典、日本語、老齢、意思と行為、自他の違い、社会と国家、民俗、高度管理社会、・・・などというタイトルが並ぶ。
中学生の読者を想定したわかりやすい文章で、吉本さんの思想が語られているようだ。
楽しみな一冊。

Yoshimoto_isho_1『遺書』 角川春樹事務所 1998年1月8日
あとがきによれば―
「おまえ、溺れかかったのだから死んだも同じだ。ひとつ遺書という本を造らないかと、角川春樹事務所から提案があった」ので、「本当の遺書は書くことはないとおもうから、これがほんとの遺書かもしれない」と、書いた本だという。

死について、国家について、教育について、家族について、文学について、わが回想、・・・といったタイトルが並ぶ。
ここでも、吉本さんの大きな思想が語られているようだ。

もう一冊、これは駅前の古本屋で、バスを待つ時間にみつけた本。
Yoshimoto_oyako吉本ばななさんとの対談。
『吉本隆明×吉本ばなな』 株式会社ロッキング・オン 1997年2月15日
内容は父娘の対談だが、ちょっと惹かれたので買ってみた。

いずれもまだ読んでいないが、今読みかけの本(赤坂憲雄『東西/南北考』)を読みおえたら、読んでみようと思う。
そういえば、赤坂憲雄さんと吉本さんの対談構成で
『天皇制の基層』 (講談社学術文庫・2003年10月10日) という本も手元にある。
読むのはまだ先になりそうだが、興味しんしんである。
Yoshimoto_akasaka 

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2006年2月23日 (木)

【読】鶴見和子と柳田国男

鶴見和子さんの 『漂泊と定住と』(筑摩書房・1977年)から、学ぶことが多い。
ぼくは、どうやら読まず嫌いで柳田国男のイメージをもっていたようだと、反省。

この鶴見さんの本は、すでに付箋だらけだ。
図書館に返すまえに、ノートにとらなくちゃ。
興味ぶかい記述、感心したこと、知らなかったこと、そういったことがいっぱい詰まった、宝の山のような一冊(ぼくにとっては)。

とりあえず、この本に触発されて読んでみようと思った本を二冊あげておこう。

kyoudougensou吉本隆明 『改訂新版 共同幻想論』 (角川文庫・1982年)

ずいぶん前に一度読んだが、再読してみようと思う。
難解といわれているが、ぼくには面白かった。
『遠野物語』と『古事記』の二冊だけを原典として、「個人幻想・対幻想・共同幻想」というユニークな思想を展開している。

鶴見和子によれば、「日本の知識人の柳田学への評価」には「四つの型」があるという。
(表現は、ぼく流にかえてある)
1)柳田には体系だった理論がないからダメだが、柳田の研究成果は利用価値がある、という評価・・・石田英一郎、家永三郎など。
2)柳田の理論にはふれず、その研究成果を利用して創造的な業績をあげた人々・・・神島二郎、吉本隆明など。
3)柳田の理論のある面は積極的に評価しながらも、決定的な面で欠陥があるとして批判する立場・・・安永寿延(柳田には天皇制批判がないという)、益田勝実(柳田の世相解説が政治的現実にあいわたらないという)など。
4)柳田民俗学に価値を認め、その理論の積極的意義を高く評価する態度・・・橋川文三、花田清輝など。

鶴見さんは、「きら星の如く並ぶ柳田学研究者ならびに批評家を網羅したわけではないが」とことわりながら、「第四の論者たちに最大の敬意を表する」という。

ところで、もう一冊、読んでみようとおもったのがこれ。

yanagita_sesou柳田國男 『明治大正史 世相篇 新装版』 (講談社学術文庫・1993年)

鶴見さんは、この本を高く評価し、柳田国男の思想を論じている。
(「常民と世相史 ―社会変動論としての『明治大正史世相篇』―)
その一節。

<柳田には理論がないといわれるが、決してそうではない。帰納的に引き出してきた、比較的、抽象段階の高い操作仮説を、柳田はいく組も持っていたと思う。>
<古いものが遅れたもので、新しいものが進歩したものでもない。新しいものと古いものとの上下の価値観をとっぱらったことが、柳田国男の一つの功績だと思う。>

鶴見さんの『漂泊と定住と』には、他にも書ききれないほどたくさんの興味深い記述がある。
何度も読みかえしては、気になるところに付箋を貼り続けている・・・。
図書館への返却期限は、一週間先。

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