カテゴリー「南方熊楠」の11件の記事

2008年4月29日 (火)

【楽】きょうだい心中

これも思いだしたので、書いておこう。
山崎ハコさんが歌う 「きょうだい心中」 という歌にまつわる話だ。

「はっぽん」のライブでも、この歌の生い立ちを、ハコさんが話していた。

ハコさんが歌った 「きょうだい心中」 は、神代辰巳監督の映画 「地獄」 (1979年、東映)の挿入歌。
神代監督が、カセットでハコさんの歌を聞き、「こんどの映画の主題歌はこの子に作らせる」と、指名してできたのが 「心だけ愛して」 という、もう一曲の挿入歌だったということだ。
(アルバム 『人間まがい』 1979年発売 に収録)


ところで、とつぜんだが、こんな本がある。

Kumagusu_jiten『南方熊楠を知る事典』
 講談社現代新書 1993.4.20 (絶版)

南方 熊楠(みなかた くまぐす)
1867年5月18日(慶応3年4月15日) - 1941年(昭和16年)12月29日)
日本の博物学者、生物学者(とくに菌類学)、民俗学者。
菌類学者としては動物の特徴と植物の特徴を併せ持つ粘菌の研究で知られている。
主著『十二支考』『南方随筆』など。
投稿論文や書簡が主な執筆対象であったため、平凡社編集による全集が刊行された。「歩くエンサイクロペディア(百科事典)」と呼ばれ、彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。
(出典:Wikipedia)

この「知る事典」は、なかなか面白い本だが、 「きょうだい心中」 という昔から歌われている歌のことが書かれている。

「南方熊楠主要著作解題――月下氷人」 (本書P.532~、西川照子)

<今も熊野等の碇泊地で船頭や船饅頭が唄う、「所は京都の堺の町で、哀れ悲しや兄妹(おととい)心中、兄は二十一、その名は軍平、妹は十八、その名はお清、兄の軍平が妹に×て、それが病の基(もとい)となりて、ある日お清が軍平眼元にもしもし兄上御病気は如何、医者を迎うか薬を取ろうか、医者も薬も介抱も入らぬ、一夜頼みよ、これお清さん、これこれ兄様何言わさんす、人が聞いたら畜生と謂わん、親が聞いたら殺すと言わん、私に一人の夫がごんす、歳は二十一、虚無僧でござる、虚無僧殺して下されますりゃ、一夜二夜でも三八夜でも、妻となります、これ兄上よ。(後略)>

これは、南方熊楠が、1913年に宮武外骨の主宰する 『月刊不二』 三号に載せた文章の一部を、西川照子が引用している部分である。
南方熊楠は、一般に卑猥、淫猥と言われていることにもこだわりを持たない、自由闊達な人だった。
("お硬い"柳田国男とは、そこがちがう)

<「月下氷人」を熊楠は「むすぶのかみ」と読む。 サブタイトルは「系図紛乱の話」。 近親相姦の古話によって論は進むが、熊楠はここでまず神々の物語を語る。 (以下、略)>

面白いのは、筆者の西川照子さんとがこの文章のなかで、山崎ハコの名前をあげているのことだ。
以下、長くなるが、その部分を転載する。

<この「兄妹心中」、京の伝承では、「堺の町」(堺町?)は「西陣町」、兄の名は「モンテン」、妹「オキヨ」の年が十九、妹の男の年も十九、とある。 多少の異同はあるものの京の流行歌(はやりうた)がどうして、熊野の船頭や遊女に歌われたのか。 おそらく、「兄妹心中伝承」 は全国にあったが、都である京のものが、改めて全国へ流布したのであろう。 それにしてもこの話、あまりにも哀れである。 これが「淫行」であろうか。 遊女が海に向かって歌ったというところが、熊楠も語るように哀しい。
 姉と弟、兄と妹――神々の世界なら許されるこの恋愛が、人間世界ではなぜいけないのか。 この 「きょうだい恋愛」 は現在でも生きている。 内藤やす子の流行歌 『弟よ』(橋本淳作詞) は 「弟よ、弟よ」 と呼びかけ、「悪くなるのは もうやめて あなたを捨てたわけじゃない」 とキワドイ科白をいう (ちなみに 『きょうだい心中』 も山崎ハコによって歌われた)。> (本書 P.535~)

この西川さんという人も、面白い人である。
(西川照子 神奈川県生まれ。出版・編集企画制作集団「エディシオン・アルシーヴ」主宰。 岡見正雄に中世学を、梅原猛に哲学を師事。 専攻は民俗学。 著書に『神々の赤い花――人 植物 民俗』―平凡社、論文に「南方熊楠を見立てる」など)


Hako_dear_my_songs_2山崎ハコ
 『ベストコレクション Dear My Songs』
  2001年9月 PONY CANYON 2枚組
  DMCA 40124

このベストアルバムは、山崎ハコ初監修(選曲、曲順、解説)によるもので、過去のアルバムからまんべんなく選曲されている。
上の二曲もはいっている。

このアルバムが出来るという事が、嬉しくてたまりません。 歌は私が作った大切な宝物です。 これは最強のベストアルバムです。 ―― 山崎ハコ
 

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2007年8月27日 (月)

【読】東北ルネサンス

この本が予想以上におもしろい。
Akasaka_touhoku_renaissance『東北ルネサンス』 赤坂憲雄 編
 小学館文庫 あ8-1 2007.8.12 600円(税別)
巻頭の五木寛之との対談もおもしろかったが、続く、中沢新一との対談も興味ぶかい内容。
東北の縄文文化(蝦夷=えみしの文化)が、アイヌ民族や、さらにはアラスカの(エスキモー、イヌイットと呼ばれる)先住民、(インディアンと呼ばれる)ネイティヴ・アメリカンともつながっている、という指摘が刺激的だ。
宮澤賢治の童話の世界に垣間見える縄文人の世界にも言及している。
これを読んでいて、ふと思いを馳せたのは、写真家の星野道夫さんが探ろうとしていたアメリカ大陸先住民のルーツである。

中沢 <アメリカ先住民たちが氷結したベーリング海を越えてアメリカ大陸に入っていったのは一万二千年から三千年前です。>
赤坂 <どのあたりが源流になるんですか。>
中沢 <バイカル湖の東方周辺あたりから少し北へ行った人々ですね。 二つに分かれていると思うんです。 一方は黒龍江省の方へ下ってきている人たちがいますね。 もう一方の人たちは、これは物凄く寒いところに適応することに成功した人たちで、(略) これがいまのシベリアのベーリング海峡の近くまで接近していきました。>

赤坂 <千年前に古代の東北の蝦夷たちはヤマトにそういう形で抵抗して敗れた。 それから、百年、二百年前に北海道のアイヌの人たちがやはり国家というものをつくらない部族社会の段階で、強大なヤマトの国家と遭遇して敗北する。 その敗北というのは、ある種の必然かもしれないけれども、思想的にはどちらが優れていたのかはわからないと僕も思いますね。>
中沢 <思想といってしまうと、思想なんか何になるという言い方がありますけれども、ただ人間のディグニティー(尊厳)ということを考えると、東北の縄文の人たち、あるいは平安時代の蝦夷の人たちが選びとった道というのは、人間の尊厳を守ろうとする立派な考え方だったと思います。>

中沢新一には、『森のバロック』 という南方熊楠をテーマにした著作がある。
気になっていた本だ。 こんど、読んでみようと思う。
Nzkazawa_mori_no_baroque_4『森のバロック』 中沢新一
 講談社学術文庫 -1791-  2006.11発行
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061597914

『チベットのモーツァルト』 (せりか書房)を、だいぶん前に古本屋で手に入れていたが、まだ読んでいない。 おもしろいのかもしれない、と思う。 (講談社学術文庫でもでている)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061595911

『東北ルネサンス』の中で、中沢氏がこんなことを言っている。
<たとえばチベットなんかですごい荘厳な儀式をやったりしているでしょう。 あれが昔から何かたいへんな根拠をもって行なわれているかのように思うかもしれませんけれども、違うんですよ。 ある時代にやっぱりアイデアマンが出て、この儀式をこういうふうにしたらもっとおもしろいとか・・・>

携帯ストラップのマスコットや、武士の刀の「根付」が、縄文時代の土偶に通じる、という思いがけない指摘にも驚いたのだった。

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2007年3月31日 (土)

【読】週刊日本の100人

きのう、本屋でおもしろい雑誌をみつけた。
「週刊 日本の100人」 (株)デゴスティーニ・ジャパン
http://www.de-club.net/nhy/

「NO.058 南方熊楠 (2007/3/20)」 を購入。
http://www.de-club.net/nhy/issue.php?pos=5&Issue=058

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2006年8月 1日 (火)

【読】鶴見和子さん

鶴見和子さんが亡くなったそうだ。
http://www.sanspo.com/sokuho/0801sokuho054.html
http://www.daily.co.jp/newsflash/2006/08/01/219628.shtml
何故かスポーツ新聞の記事がはやい。

ぼくがひそかに尊敬していた学者さんだった。
南方熊楠への目をひらかせてくれた方だ。

「晴れときどき曇りのち温泉」 この一冊
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/books.html

Tsurumi_minagataTsurumi_kazuko(左) 『南方熊楠 地球志向の比較学』
 日本民族文化体系 4 講談社 1978年
(右) 『鶴見和子の世界』
 藤原書店 1999年


『南方熊楠』 は、文庫化(講談社学術文庫)される前のオリジナル版。
日曜日に古本市で手に入れたばかりだ。
二日後に訃報に接したということに、なにやら因縁を感じる。

このブログでも、鶴見和子さんについてとりあげたことがある。
【読】鶴見和子の柳田論(2006/2/22)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_7ea2.html
【読】鶴見和子と柳田国男(2006/2/23)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_af32.html
【読】勇気をくれた言葉(2006/2/24)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_9e09.html

淋しい・・・。

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2006年6月11日 (日)

【読】新聞書評欄

新聞を読まなくなって久しい。
ひとつには、時間がないということもあるが、新聞に目をとおすのも「習慣」だと思う。
この習慣が、いつ頃からかなくなったのである。
生きていくうえで、とくに不便も感じないので、新聞を読まなくてもいいのだ、と、開き直っている。

ところで、今日、久しぶりに朝日新聞の書評欄を見ていたら、「老いの底力」と題して、吉本さんの『老いの超え方』が紹介されていた。
その記事に、鶴見和子さんの対談の本も紹介されていて、興味をひかれた。

Beijukaidan_1金子兜太・鶴見和子 著
『米寿快談』 藤原書店 2006/5/30出版
藤原書店
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/index_2.html

鶴見さんは、1918年(大正7)6月10日のお生まれだから、今年、米寿をむかえられた。
藤原書店のこの本の紹介記事には、つぎのように書かれている。
<反骨をつらぬいてきた俳句の巨星、金子兜太と、脳出血で斃れてのち短歌で思想を切り拓いてきた国際的社会学者、鶴見和子。米寿を目前に初めて出会った二人が旧知のごとく語らい、定型詩の世界に自由闊達に遊ぶなかで、いつしか生きることの色艶がにじみだす円熟の対話。>

ぼくは、鶴見さんの書かれた 『南方熊楠』(講談社学術文庫) で、いっきにファンになった。
→「晴れときどき曇りのち温泉」 この一冊
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/books.html

鶴見和子さんは、鶴見祐輔を父に、鶴見俊輔を弟にもち、さらに、母親は後藤新平の娘という、いわばサラブレッドの家系。 そんなことはご本人のお仕事に関係ないのだが、立派な仕事をされた方である。
柳田國男の研究から南方熊楠へ関心を向け、熊楠の仕事を丹念に分析、再評価された。
そんなところが、ぼくが鶴見和子さんにひかれる一因なのかもしれない。

この、鶴見さんと金子兜太さんという俳人(ぼくの知らなかった方だが)の対談、いつか読んでみたいと思う。

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2006年3月 5日 (日)

【読】岩波ジュニア新書

岩波ジュニア新書(岩波書店)には、いい本がある。
書店や図書館にいけば、たくさん並んでいるので、ときどき眺めてみる。

少年少女向けといっても内容がしっかりしていて、じゅうぶん読み応えのある本ばかりだ。
500冊以上ある中で、ぼくが手元に置いておきたいと思って入手した本の一部を紹介しよう。

出版界の常で、新本では入手不可能なものもあり、南方熊楠のものなどはネットの古本販売で手に入れた。
517は、最近、図書館で見つけて新本を買った。
どれも、ぼくには愛着の強い本だ。

岩波ジュニア新書
139 『図解 新東京探訪コース』 五百沢智也 著
 地図作りを学び、ヒマラヤを踏査した著者が、探検家の眼と技術で
 「東京」にアタックする。
268 『南方熊楠 森羅万象を見つめた少年』 飯倉照平 著
 東洋と西洋のあらゆる知を独学で総合しようとした型破りな明治の
 博物学者、南方熊楠。
429 『はじめての和楽器』 石川憲弘 著
 筝・尺八・三味線・打楽器の演奏家たちが、その魅力と奏法を
 わかりやすく解説。8cmCD付。
517 『近代社会と格闘した思想家たち』 鹿野政直 著
 生命の尊厳をかかげて闘った田中正造や柳田国男、与謝野晶子ら
 25人の思想家を描く。

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2006年2月24日 (金)

【読】勇気をくれた言葉

鶴見和子さんについて、もうすこし書く。
『コレクション 鶴見和子曼荼羅』シリーズ(藤原書店・1998年)のカバー見返しに、こんな言葉があった。

― 若き命に 鶴見和子 ―

 ひとりの人間の生命はちりひじのように、かすかでみじかい。ひとりの人間の生涯に、その志は実現し難い。自分より若い生命に、そしてこれから生まれてくる生命に、志を託すよりほかない。
 コレクション<鶴見和子曼荼羅>に、私の生きこし相(すがた)と志とを描いたつもりである。その萃点は、内発的発展論である。それは、人間がその生まれた地域に根ざして、国の中でそして国を越えて、他の人々と、そして人間がその一部である自然と、共にささえあって生きられるような社会を創っていくことを志す。その志を、これまで思い及ばなかったような独創的な形相(かたち)と方法(てだて)で展開してほしいと希求する。

 身のうちに死者と生者が共に棲みささやき交す魂ひそめきく

 生命細くほそくなりゆく境涯にいよよ燃え立つ炎ひとすじ


これを読んで、身がひきしまる思いがした。ちょっと大げさだけど。
これまでなんとなく悲観的な思いを抱いて生きてきたが、そうじゃないよ、と言われたような気がする。
「こころざし」・・・ながいこと忘れていたこのことばに、勇気づけられた。

《参考》
 「萃点」「内発的発展論」・・・鶴見さんの思想の核となるキーワード。
 「萃点」は、南方曼荼羅に出てくる考え方で、ひとことでは説明できない。
 (鶴見和子著『南方熊楠』講談社学術文庫などを参照願いたい)
 「内発的発展論」は、「土着的発展」つまり、西洋的な近代化をモデルとすることなく、自己の社会の中から自立的に近代化のモデルを作りだすことを指す。やはり、ひとことでは説明が難しいが、鶴見さんの考え方の核をなす。
 「ちりひじ」・・・広辞苑にしか載っていないような言葉だが、「塵泥」と書く。

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2006年2月22日 (水)

【読】鶴見和子の柳田論

鶴見和子という人がいる。

社会学者。元・上智大学教授。1918年生まれ。
父は政治家・小説家の鶴見祐輔(第一次鳩山内閣の厚生大臣をつとめた)、弟は社会学者の鶴見俊輔。
戦前、津田英学塾(現・津田塾大)を卒業後、アメリカへ留学。日米開戦後の昭和17年に帰国。
戦後、雑誌「思想の科学」創刊にかかわり、論客として活躍。
プリンストン大学院で博士号を得たあと、コロンビア大学の助教授となる。
・・・といった略歴を読むと、なんだかとっつきにくい学者さんのようだが、ぼくはこの人に厚い信頼をおいている。

柳田国男を研究しつくし、南方熊楠についても深い論考を重ねている。
ぼくの本編サイト「晴れときどき曇りのち温泉」にも紹介した。
→資料蔵 人名編 「南方熊楠」の項
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/kura.html#minakata
→この一冊 『南方熊楠』 (講談社学術文庫)
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/books.html

この鶴見和子さんの柳田国男論が気になっていたが、ようやく図書館から借りてきた。
書き下ろしではなく、あちこちに発表した論文をあつめたものだ。

tsurumi『漂泊と定住と 柳田国男の社会変動論』
 筑摩書房 1977年
(目次から)
われらのうちなる原始人
 ― 柳田国男を軸にして近代化論を考え直す ―
国際比較における個別性と普遍性
 ― 柳田国男とマリオン・リーヴィ ―
常民と世相史
 ― 社会変動論としての『明治大正史世相篇』 ―
社会変動のパラダイム
 ― 柳田国男の仕事を軸として ―
おくれてきたものの科学技術革命への寄与
 ― 日本と中国の場合 ―
柳田国男研究の国際化
差別と非暴力抵抗の原型
 ― 『遠野物語』、『毛坊主考』、『先祖の話』など ―
漂泊と定住と
 ― 柳田国男のみた自然と社会とのむすび目 ―

ちなみに、マリオン・リーヴィという人は、鶴見さんが学んだプリンストン大学大学院の教授で社会学者。柳田国男を博士論文のテーマにするようにすすめてくれた人だという。
<わたしの学問上の師は、ふたりである。柳田国男先生とマリオン・リーヴィ教授である。ただし、柳田先生については、わたしは自称の(そして不肖の)弟子である。>
(『漂泊と定住と』あとがき)

この本、読みはじめると止まらなくなった。
いい本にめぐり会ったと思う。
なお、鶴見和子さんの選集的なものとして、『コレクション 鶴見和子曼荼羅』(藤原書店、全9巻・別巻1)という好著がある。
ぼくは、土の巻(柳田国男論)と水の巻(南方熊楠のコスモロジー)の二冊を手に入れた。
ちょっと値がはるが、それだけの価値のある本だと思う。

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2006年2月10日 (金)

【読】日本幻論

五木寛之 『日本幻論』 という本もあった。

ituski_genron1993年 新潮社 (1996年 新潮文庫)

(新潮文庫カバー裏のコピー)
この国には、見えていないもう一つの国がある―。
幻の隠岐共和国、かくれ念仏の神仏習合的なありかた、柳田国男と南方熊楠の違い、蓮如の教えの俗信的な力強さなど、いずれも正統に対する異端、民俗に対する土俗などの位置づけを踏まえてテーマを展開している。 非・常民文化の水脈を探り、隠された日本人の原像と日本文化の基層を探る九編。 五木文学の原点を語った衝撃の幻論集。

この本、しばらく忘れていたが、あらためて広げてみると五木さんの着眼点の鋭さに気づく。
「柳田国男と南方熊楠」の章など、ぼくが感じていたことと一致して、我が意をえたような気がした。

五木さんは、柳田国男よりも南方熊楠が「ひいき」らしい。
ひいき、なんて、へんな言い方かもしれないが、柳田国男の業績は認めながらも、彼がたどった「常民」への退却というか、視点の後退に五木さんは異をとなえる。
五木さんの立場は、終始、「非・常民」である。

「彼のいう常民というのは、決して都会のルンペンではない。 これはもうはっきりしている。 農村に定住する人々である。 焼畑農業をやって移動しながら生きている人たちではない。 炭焼きをしながら放浪している人たちでもない。 マタギとか、木地師とかいろんな連中がいるけれども、そういうものも、一応、常民の枠の中には入らない」

柳田国男について、ぼくは詳しく知らないのであまり言えないが、彼もはじめは「非・常民」に関心をよせていたのである。 このあたり、とても興味深い。
五木さんも、南方熊楠との往復書簡について引用しながら、柳田国男の変化を指摘している。

『柳田国男 南方熊楠 往復書簡集』 (平凡社ライブラリー、他)が面白かった。
「晴れときどき曇りのち温泉」の資料蔵―南方熊楠の項で、すこしだけふれた。
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/kura.html#minakata

南方熊楠とともに柳田国男についても、この先いちどはきちんと読んでみたいと思っているのである。

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2006年1月29日 (日)

【読】魅力的な本

南方熊楠(みなかた・くまぐす)については、このブログを始めた頃に、ちょっとだけふれたことがある。
→ 2005年9月20日 【読】正造、熊楠、外骨
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_bbbd.html

また、本家のサイト「晴れときどき曇りのち温泉」でもとりあげた。
→ 「資料蔵」 人名編
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/kura.html#minakata

2年ほど前から、ぼくが関心を寄せて調べている、明治生まれの「巨人」である。
南方熊楠全集(平凡社)という、膨大な全集も出ている。
同時期に活躍し、その後の日本の民俗学に大きな影響を与えた柳田国男とは好対照で、生前も死後も脚光を浴びなかった人だが、近年、再評価する動きが高まっている。

本屋にいくと、熊楠関係の書籍が多くなった。
先日も、新宿の大きな書店の民俗学のコーナーを見ていたら、南方熊楠に関する新刊が出ていた。

minakata『南方熊楠英文論考 ネイチャー誌篇』 集英社 2005年12月
 飯倉照平(監修)・松居竜五・田村義也・中西須美(訳)

南方熊楠がイギリスの「ネイチャー誌」に投稿、掲載された英語論文の全訳。
ほとんどが本邦初訳という、画期的な本だ。
(平凡社の熊楠全集に一部が英文で掲載されていたり、日本語に翻訳されたものもあるが、彼の重要な論文である)

この本を見たとき、手にとって数分間迷ってしまった。
箱入りの立派な本である。欲しい・・・だが、高価だ。
結局あきらめて、書棚に返した。
うしろ髪をひかれるとは、このことだ。

今日、近くの図書館に行ったのでリクエストしてみた。
この市の図書館のどこにも入っていないから、都内の他の図書館を照会してくれるという。
そういう手があったのだ。
できれば、市立図書館で購入してくれるといいのだが。
(いずれ、懐具合のいいときに買ってしまいそうな気もする・・・)

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2005年9月20日 (火)

【読】正造、熊楠、外骨

これも五木さんの本(僕のみつけたもの)に出ていた話。
このエッセイ集が出た当時(1987、8年頃)の新札に使われた文化人(諭吉、稲造、漱石)にふれて、「どうしても文化人の顔を紙幣につかうなら」ということで、五木さんが選んだ明治期の3人。
田中正造については、あまりよく知らないが、宮武外骨(みやたけがいこつ)、南方熊楠(みなかたくまぐす)の二人は最近ぼくの関心の的なので、思わずニヤリとしてしまった。
(田中正造は、たしか北海道にも縁がある人らしいので、少し調べてみようと思う。)

五木さんのこのエッセイ集では、五木さんが「みつけた」さまざまな「モノ」のカラー写真がとても綺麗なのだが、この文章(面白反骨居士宮武外骨)には、木本至著「評伝・宮武外骨」という箱入りの本の写真が載っている。思わず欲しくなるような体裁の本だ。

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