【読】「山の精神史」あとがき
夜も遅いが、書けるときには書いておこう。
赤坂憲雄 『山の精神史』 (小学館ライブラリー/初版は1991年小学館)の著者あとがきに、とてもいいエピソードが書かれている。
赤坂さんが、琉球大学で「天皇制についての話」(講義だろうか)をしたとき、課題レポートのなかに、「家が代々生業として山師(樵・炭焼き・猟など山のあらゆる仕事にしたがう人たち)をしている」女子学生(本土出身)のレポートがあったという。
彼女が小学校三年のとき、「学校の宿題にかこつけて、渋る祖父から戦争体験の聞き書きをしたのだという」、その内容だ。
すこし長くなるが、赤坂さんの原文を引用する。
<山師の老人は孫娘に問いかける、山師はどうして獣を殺すのか、と。 食べてゆくために必要だからと、少女は祖父の口癖通りに答える。 祖父は獲物のからだをたとえ爪一本たりとも粗末にせず、いやがる子供に解体作業を手伝わせ、生命の重みや尊さを身体で教えこむ人だった。 戦争には、その生産的な必要性がないんだよ、ただやみくもに人を殺す、殺したって食べることすらできないものを、殺すことが目的で殺すんだ、そう、老山師は少女に話す。 彼は戦地では、かならず狙いをはずして銃を撃った。>
これに続いて、赤坂さんの「性根」がよくあらわれている部分。
<戦友(平地人の末裔だろう)たちが、「天皇のために」と憑かれたように敵を殺しているかたわらで、ひとりの男は生活のなかで培われた「山師としての誇り」をえらんだのだ。少女は結局、宿題の作文を出さずじまいだった。 そんな少女の頭を撫でながら、老山師は苦笑いとともに言った、おまえもやはり木霊(山の娘)だな・・・・・・と。>
<わたしはかの女のレポートを読みながら、ついに柳田国男が到り着くことのできなかった山の精神史の深みに、いつの日か降り立ってみたいものだと、あらためておもった。>
― 赤坂憲雄 『山の精神史 柳田国男の発生』
(小学館ライブラリー/1996年) P.350~351 ―
涙がでそうになるほど、いい話だ。
山人(やまびと)、山民、平地人、常民、など、柳田国男の残した言葉の意味するところを、執拗と思われるほど追い続けている赤坂さんだが、「なぜそこまでこだわるのか」という読者(つまり、ぼく)の思いは、この「あとがき」をよんで、ストンと落ち着いた。
上に引用した部分に続いて。
<わたし自身のなかにも、どうやら東北の山の民の裔(すえ)の血が流れているらしいと気付いたのは、じつは柳田の取材のための旅をつづけるさなかに、亡くなった父の故郷を訪ねたときのことであった。 新鮮な驚きであり、大きな発見でもあった。 柳田の思想を掘ることが、やがてみずからの存在の根っこを掘ることでもあるとしたら、それはなんとも愉悦に充ちた知のいとなみではないか。>
いい本に出会ったな。









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