カテゴリー「柳田国男」の14件の記事

2007年1月20日 (土)

【読】「山の精神史」あとがき

夜も遅いが、書けるときには書いておこう。
赤坂憲雄 『山の精神史』 (小学館ライブラリー/初版は1991年小学館)の著者あとがきに、とてもいいエピソードが書かれている。

赤坂さんが、琉球大学で「天皇制についての話」(講義だろうか)をしたとき、課題レポートのなかに、「家が代々生業として山師(樵・炭焼き・猟など山のあらゆる仕事にしたがう人たち)をしている」女子学生(本土出身)のレポートがあったという。
彼女が小学校三年のとき、「学校の宿題にかこつけて、渋る祖父から戦争体験の聞き書きをしたのだという」、その内容だ。

すこし長くなるが、赤坂さんの原文を引用する。

<山師の老人は孫娘に問いかける、山師はどうして獣を殺すのか、と。 食べてゆくために必要だからと、少女は祖父の口癖通りに答える。 祖父は獲物のからだをたとえ爪一本たりとも粗末にせず、いやがる子供に解体作業を手伝わせ、生命の重みや尊さを身体で教えこむ人だった。 戦争には、その生産的な必要性がないんだよ、ただやみくもに人を殺す、殺したって食べることすらできないものを、殺すことが目的で殺すんだ、そう、老山師は少女に話す。 彼は戦地では、かならず狙いをはずして銃を撃った。>

これに続いて、赤坂さんの「性根」がよくあらわれている部分。
<戦友(平地人の末裔だろう)たちが、「天皇のために」と憑かれたように敵を殺しているかたわらで、ひとりの男は生活のなかで培われた「山師としての誇り」をえらんだのだ。少女は結局、宿題の作文を出さずじまいだった。 そんな少女の頭を撫でながら、老山師は苦笑いとともに言った、おまえもやはり木霊(山の娘)だな・・・・・・と。>

<わたしはかの女のレポートを読みながら、ついに柳田国男が到り着くことのできなかった山の精神史の深みに、いつの日か降り立ってみたいものだと、あらためておもった。>

 ― 赤坂憲雄 『山の精神史 柳田国男の発生』
    (小学館ライブラリー/1996年) P.350~351 ―

涙がでそうになるほど、いい話だ。
山人(やまびと)、山民、平地人、常民、など、柳田国男の残した言葉の意味するところを、執拗と思われるほど追い続けている赤坂さんだが、「なぜそこまでこだわるのか」という読者(つまり、ぼく)の思いは、この「あとがき」をよんで、ストンと落ち着いた。

上に引用した部分に続いて。
<わたし自身のなかにも、どうやら東北の山の民の裔(すえ)の血が流れているらしいと気付いたのは、じつは柳田の取材のための旅をつづけるさなかに、亡くなった父の故郷を訪ねたときのことであった。 新鮮な驚きであり、大きな発見でもあった。 柳田の思想を掘ることが、やがてみずからの存在の根っこを掘ることでもあるとしたら、それはなんとも愉悦に充ちた知のいとなみではないか。>

いい本に出会ったな。

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2007年1月19日 (金)

【読】性根

勢古浩爾さんという人が「根性」ということばを使っていたが、ぼくは「性根(しょうね)」ということばを使いたい。
「性根のすわった」人である。
なんのことか。
Akasaka_yanagita_yama_1『山の精神史』 (小学館ライブラリー) を書いた、赤坂憲雄さんという人のことだ。
これまで、このブログで何冊かとりあげたが、この学者さんは信頼できる。
― 『山の精神史』 1996年刊 著者紹介 ―
赤坂憲雄(あかさか のりお)
1953年東京生まれ。東京大学文学部卒業。現在、東北芸術工科大学・教授。日本思想史専攻。 ここ10年近くは、柳田国男が構想した日本の民俗学の固有の領土を検証する旅を続ける一方、最近は山形に拠点を求め、"東北学"をめざして、民俗の発見の野辺歩きを始めている。
主な著作に『異人論序説』(ちくま学芸文庫) 『境界の発生』(砂子屋書房) 『漂泊の精神史』(小学館) 『結社と王権』(作品社) 『遠野物語』(宝島社)など多数。

あと20ページほどで読了する。
ぼくの柳田国男への関心は、もとはといえば南方熊楠への関心からシフトしてきたもの。
柳田国男の著作(原テキスト)は、ほとんど読んでいないにひとしい。
それなのに、赤坂さんの柳田国男論がこれほどおもしろいのは、赤坂さんの「性根のすわった」取り組み方というか、執念といっていいほどのこだわり方、熱い思いが、ぼくに訴えてくるからだろう。

たとえば、今日読んだこんな部分だ。
<柳田国男の、ことに昭和にはいってからの思想の核に置かれたものが、常民をめぐる理念であったことについては、たぶん異論のさしはさまれる余地があるまい。 だからこそ、常民とは何かという問いは、柳田の思想を根柢から了解するためのキー・コンセプトとして、飽かずくりかえし問われてきたのだ。 さまざまな角度からの、さまざまな答えが提示された。 その多くは、柳田のテクストのそこかしこに散らばっている常民をめぐる記述の断片と、解釈者の側の過剰な/過小な思い入れや期待とがない交ぜにされたもので、柳田の思想を発生的に了解したいという、わたし自身の欲望を満足させてはくれない。>
(『山の精神史』 小学館ライブラリー 第七章/平地人と常民 P.325)

この引用だけだと、かた苦しい本と思われそうだが、そうではない。
写真、図版が豊富。 著者がじぶんの足でたどった柳田国男の足跡、赤坂さん自身の旅先でのエピソードなどは人間味あふれるものだ。

それにしても、と思う。
柳田国男という、とらえどころのない巨人。
書店にいけば、数十巻もある分厚い「柳田國男全集」(一冊6,000~8,000円もする!)がぼくを威圧する。
もちろん文庫も出ていて、読み物としておもしろいものもあるが、とにかくその全貌がとらえにくい。
また、柳田門下生や後続の学者連中が、妙にもちあげたり、けなしたりして、おかしな虚像ができあがっている。

赤坂さんが若い頃から続けている作業は、そういった虚像からできるだけ遠ざかった地点で、柳田国男の思想を原点から検証するもの、といったらいいのか。
ぼくは、学者でもなく学究の徒でもないから、いたって気軽なきもちで読んでいるが、おもしろい。 おもしろいとともに、得るところも多いのだ。

ところで、どうでもいいことだが、ぼくはやはり柳田国男よりも南方熊楠の人間味にひかれる。
うーん、今夜も理屈っぽくなってしまったな。 いやはや。

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2007年1月14日 (日)

【読】赤坂憲雄さんの柳田国男論

先日、地域図書館から借りてきて読みはじめた本。
読みはじめるまでは、ちょっと腰が引けたのだけれど、これがおもしろい。
勢古浩爾さんの言葉を借りれば、「根性」が入っているのである。
Akasaka_yanagita_yamaAkasaka_yanagita_hyohaku赤坂憲雄
『山の精神史 柳田国男の発生』 1996年
『漂泊の精神史 柳田国男の発生』 1997年
(共に小学館ライブラリー)

もう一冊
『海の精神史 柳田国男の発生』 2000年
http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_detail?isbn=4093873283
をあわせて、三部作ということらしい。
(この本も図書館にあったが、さすがに読みきれない)
以前から気になっていた本なので、とりあえず2冊借りてきた。
二週間じゃ読めないので、たぶん貸出延長だなぁ。

重要なことではないが、赤坂さんは小平市在住らしく、図書館の「市内在住者コーナー」という書棚にその著作があった。そういえば、椎名誠氏も小平在住だったっけ。

【ちょいと註釈】
「根性」という言葉が誤解されるといけないので、勢古さんがこの言葉をどういう文脈で使っているか書いておこう。
<・・・論理がその力をもつためには、論理に根性が入っていなければならない(わたしは以前はこの「根性」という言葉がきらいであったが、いまでは相当偏愛している)。それが思想である。その論理の根性を知るための好個の例として、ここで二冊の本を紹介しておきたい。>
その二冊目の紹介。
<もう一冊は、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』(ちくま学芸文庫)である。この本は本書で引用した本や推薦書のなかではもっとも難解(後出の『「正法眼蔵を読む』と双璧か)であるかもしれない。カントやヘーゲルのようにチンプンカンプンというのではなく、ヴェイユがなぜそのように考えるにいたったかという思考の基盤とその道筋がひどく辿りにくいのである(論理が徹底的に隠され、根性だけが残っている)。・・・>
 ― 勢古浩爾 『自分をつくるための読書術』 ちくま新書 P.97~99 ―
ぼくはこの部分を読んで、いつかヴェイユの『重力と恩寵』にもトライしてみよう、などと無謀にも考えてしまった。

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2006年8月 1日 (火)

【読】鶴見和子さん

鶴見和子さんが亡くなったそうだ。
http://www.sanspo.com/sokuho/0801sokuho054.html
http://www.daily.co.jp/newsflash/2006/08/01/219628.shtml
何故かスポーツ新聞の記事がはやい。

ぼくがひそかに尊敬していた学者さんだった。
南方熊楠への目をひらかせてくれた方だ。

「晴れときどき曇りのち温泉」 この一冊
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/books.html

Tsurumi_minagataTsurumi_kazuko(左) 『南方熊楠 地球志向の比較学』
 日本民族文化体系 4 講談社 1978年
(右) 『鶴見和子の世界』
 藤原書店 1999年


『南方熊楠』 は、文庫化(講談社学術文庫)される前のオリジナル版。
日曜日に古本市で手に入れたばかりだ。
二日後に訃報に接したということに、なにやら因縁を感じる。

このブログでも、鶴見和子さんについてとりあげたことがある。
【読】鶴見和子の柳田論(2006/2/22)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_7ea2.html
【読】鶴見和子と柳田国男(2006/2/23)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_af32.html
【読】勇気をくれた言葉(2006/2/24)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_9e09.html

淋しい・・・。

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2006年6月11日 (日)

【読】新聞書評欄

新聞を読まなくなって久しい。
ひとつには、時間がないということもあるが、新聞に目をとおすのも「習慣」だと思う。
この習慣が、いつ頃からかなくなったのである。
生きていくうえで、とくに不便も感じないので、新聞を読まなくてもいいのだ、と、開き直っている。

ところで、今日、久しぶりに朝日新聞の書評欄を見ていたら、「老いの底力」と題して、吉本さんの『老いの超え方』が紹介されていた。
その記事に、鶴見和子さんの対談の本も紹介されていて、興味をひかれた。

Beijukaidan_1金子兜太・鶴見和子 著
『米寿快談』 藤原書店 2006/5/30出版
藤原書店
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/index_2.html

鶴見さんは、1918年(大正7)6月10日のお生まれだから、今年、米寿をむかえられた。
藤原書店のこの本の紹介記事には、つぎのように書かれている。
<反骨をつらぬいてきた俳句の巨星、金子兜太と、脳出血で斃れてのち短歌で思想を切り拓いてきた国際的社会学者、鶴見和子。米寿を目前に初めて出会った二人が旧知のごとく語らい、定型詩の世界に自由闊達に遊ぶなかで、いつしか生きることの色艶がにじみだす円熟の対話。>

ぼくは、鶴見さんの書かれた 『南方熊楠』(講談社学術文庫) で、いっきにファンになった。
→「晴れときどき曇りのち温泉」 この一冊
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/books.html

鶴見和子さんは、鶴見祐輔を父に、鶴見俊輔を弟にもち、さらに、母親は後藤新平の娘という、いわばサラブレッドの家系。 そんなことはご本人のお仕事に関係ないのだが、立派な仕事をされた方である。
柳田國男の研究から南方熊楠へ関心を向け、熊楠の仕事を丹念に分析、再評価された。
そんなところが、ぼくが鶴見和子さんにひかれる一因なのかもしれない。

この、鶴見さんと金子兜太さんという俳人(ぼくの知らなかった方だが)の対談、いつか読んでみたいと思う。

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2006年6月10日 (土)

【読】いくつもの日本

赤坂憲雄  『東西/南北考 ―いくつもの日本へ―』 という新書がおもしろかった。

Akasaka_touzainanboku_1岩波新書 700 (2000/11/20初版) 本文189ページ
赤坂さんの本では
『柳田国男の読み方 ―もうひとつの民俗学は可能か―』
(ちくま新書 007 1994/9/20初版)
を読んだことがあり、感銘をうけた。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_d63b.html
赤坂憲雄さんは、1953年生まれの気鋭の民俗学者。
東北芸術工科大学の助教授、同東北文化研究センター所長、福島県立博物館館長、という肩書きを持っている。 ぼくと同じ小平市に住んでいらっしゃるらしい。

この 『東西/南北考』 は、五木寛之さんの著作で知った。
図書館から借りて読み始めたが、あまりにおもしろいので、書店で購入。
夢中になって読んでしまった。

― カバー裏の紹介文 ―
東西から南北へ視点を転換することで多様な日本の姿が浮かび上がる。
「ひとつの日本」 という歴史認識のほころびを起点に、縄文以来、北海道・東北から奄美・沖縄へと繋がる南北を軸とした 「いくつもの日本」 の歴史・文化的な重層性をたどる。
新たな列島の民族史を切り拓く、気鋭の民俗学者による意欲的な日本文化論。

この紹介文、いかにも岩波新書らしく「カタイ」が、本文はとても刺激的だ。
ぼくは、しょっちゅう「目から鱗」が落ちる人間だが、このたびも、何枚もの鱗が落ちた思いがする。

「ひとつの日本」という幻想を打ち砕こうと、奮闘といっていいほどの熱の入れようで、「この弧状なす列島」の歴史を掘り起こしている。

「弧状なす列島」ということばが、くりかえし使われている。
赤坂さんは、この列島をけっして 「日本列島」 と呼ばない。
世界地図を見れば、この列島がアジア大陸の東端に大きな弧をえがいて連なっていることが一目瞭然だ。
北はサハリン(樺太)、カムチャッカ半島、クリル列島(千島列島)から、南は南西諸島(奄美、沖縄、先島諸島)までを視野に入れれば、この列島のちがう姿、歴史が見えてくる、とぼくも考えていた。

まえがき(はじめに)で、大相撲と異種格闘技をひきあいにだして、東西/南北の「座標軸」を論じているところがおもしろかった。
相撲(という格闘技)の源郷はモンゴルの草原であり、朝鮮半島を経て七世紀に渡来したものだという。
「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国」(雄略記)とあるように、ヤマト王権に服属させた異属を「東西」に分けて闘わせたのが、大相撲の起源だった。

だから、いまでも番付を東西に分け、それぞれの力士は「シコナ(四股名、醜名)」として「御国」(出身地)を背負っているのだという。
まるい土俵(東西にわかれ、花道から控えの間へと延びる)の上で闘うのが相撲。
これに対して、四角いリングの上で、東西の区別もなく、そのつどルールを決めて闘うのが異種格闘技。

<いささか乱暴に過ぎる比較ではあるが、これはじつは、わたしが列島の東西/南北をめぐる志向の軸について思いを巡らしはじめたとき、自然と浮かんだ連想であった。 あらためて断るまでもなく、東西の軸が相撲に、南北の軸が異種格闘技に対応している。>

<東西の軸に沿った戦いは、関ヶ原の合戦を思い浮かべるだけでも、ひとつの土俵・ひとつのルールを互いに認め合った戦いであることがあきらかだ。 (略)
それは突き詰めてゆけば、ひとつの種族=文化の内なる領土争いに帰着する。 ところが南北の軸に眼を転じると、様相はたちまちにして一変する。 (略) それは、蝦夷・アイヌ・琉球といった、少なからず種族=文化的な断層を孕んで対峙する相手との、いわば植民地支配のための戦争である。 ・・・>

長くなるのでこれぐらいにしておく。
興味をもたれた方には、図書館か書店で、ぜひ手にとって内容をごらんになることをおすすめしたい。

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2006年5月25日 (木)

【読】こころの新書 (9)

五木寛之 「こころの新書」 シリーズ 5 (講談社)
 『日本人のこころ 九州・東北 隠れ念仏と隠し念仏』

きょう、読みおえた。
このシリーズ(日本人のこころ)の4冊のなかでも、ぼくにとっていちばん興味深い内容だった。

Kokoro05_3第一部 「隠れ念仏」と知られざる宗教弾圧
かつて日本がキリスト教を禁止していた時代に、信仰を棄てなかった「隠れキリシタン」のことはよく知られているが、九州南部の鹿児島および熊本、宮崎の一部(薩摩藩、人吉藩) で、三百年にもおよぶ念仏禁制の時代があったことや、「隠れ念仏」と呼ばれる真宗門徒がいたことは、ほとんど知られていない。
五木さんは、その「隠れ念仏」の跡をたんねんに歩いてたどっている。
また、中学生の頃に聞いたという「カヤカベ」という言葉を思いだしながら、「カヤカベ」と呼ばれる「隠れ念仏」衆(表面上は神道の信者を装いながら、一種独特の信仰を守りつづけた人たち)についても、詳しく書いている。

第二部 「隠し念仏」が語る魂の鉱脈
こちらは、東北の岩手地方(盛岡藩、八戸藩、仙台藩)で秘かに伝えられた信仰だ。
江戸時代、飢饉や凶作に苦しみ、つよく救いを求めた民衆が、過酷な宗教統制を行なう幕藩体制と、その末端組織に組みこまれてしまった真宗寺院の両方から、じぶんたちの信仰を守ろうとして「隠し」続けたという。
ぼくのまったく知らなかった世界である。
不思議なことに、この「隠し念仏」は、いまでも秘密結社的色彩を色濃く持ちつづけているために、世間からあらぬ誤解を受けたり、本願寺からも異端、邪宗扱いされているという。

第二部は、ぼくにとって、ことに興味深かった。
五木さんは、実際にこの「隠し念仏」の信者を訪ね、じつにたんねんに調べ、かつ、深く考察している。 
柳田國男の『遠野物語』に「隠し念仏」のことが書かれていること。
熱心な法華経信者だった宮沢賢治の家が熱心な浄土真宗であり、賢治のまわりにたくさんの「隠し念仏」信者がいたこと。
賢治が彼らのことを、「秘事念仏の大元締が」という口語詩(『春と修羅 第三集』)に書いていること。
賢治の実家に疎開していた高村高太郎も、「隠し念仏」のことを詩に書いていること。
・・・等々、興味はつきない。

また、五木さんが、民俗学者の赤坂憲雄さんの著作からいろいろ教わった、と書いていることも、うれしかった。
(赤坂さんとは『東北学』という冊子の誌面で対談しているという)
というのも、すこしまえに、ぼくは赤坂さんの 『柳田国男の読み方』(ちくま新書)を読んで、深く感銘したからだ。

→2006年2月11日 【読】読書日誌 柳田国男
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_d63b.html

紹介したいことは尽きないが、この五木さんの本からは、次から次へと想像をかきたてられる。
とても内容の濃い一冊だ。

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2006年4月29日 (土)

【読】五木寛之 こころの新書 (5)

五木さんの 『サンカの民と被差別の世界』 について、続けて書く。

まず、「サンカ」と呼ばれる人たち。
この呼称は、一般的にこう呼んでいるというだけで、地方によってさまざまな呼ばれ方をしているという。
関東ではミツクリ(箕作り)、ミナオシ(箕直し)、東海ではポン、オゲ、四国の一部ではサンガイ、九州ではミナオシカンジン(箕直し勧進)、等々。 (沖浦和光による)

「箕」というのは、竹でつくられた農具である。
【箕(み)】 穀物を中に入れ、上下に振り動かした勢いで、ちり、殻などを吹き飛ばすようにして取り除く農具。 (新明解国語辞典)

この呼称からわかるように、彼らは棕櫚箒(しゅろぼうき)づくりや竹細工をなりわいのひとつとしていたが、泥鰌、鰻、スッポンなどの川魚を捕って暮らしていた。 セブリと称する仮小屋や天幕によって川筋を移動していたのである。
柳田國男 『「イタカ」及び「サンカ」』 という論考でとりあげ、三角寛という人が「山窩」という蔑称(もとは警察用語)を広めてしまったのも、有名なはなしだ。

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_fcef.html
(柳田国男を読んでみる 2006/3/3)


五木さんがサンカに惹かれていったのは、『風の王国』という小説の構想を練っていた時期。 それ以前も、『深夜美術館』『戒厳令の夜』で、<移動、漂泊、放浪の民の系譜>に強い関心を示していた。

その後、民俗学者の沖浦和光(おきうら・かずてる)さんに出会い、『辺界の輝き』という対談形式の共著を出していることは、このブログでも紹介した。

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_3dd7.html
(五木寛之と沖浦和光 2006/2/19)

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_4bdb_1.html
(文庫本、要チェック 2006/3/2 沖浦さんの本の紹介)

また、五木さんがこの本で大きくとりあげている、沖浦さんの著作、『幻の漂泊民・サンカ』『竹の民俗誌』『瀬戸内の民俗誌』についても、上のブログ投稿でとりあげているので、ご参照いただきたい。


この本で、サンカに関するさまざまな著作のあることを知った。
椋鳩十(むく・はとじゅう)の『鷲の歌』(昭和8年)、福田蘭童『ダイナマイトを食う山窩』などだ。
この福田蘭童という人、ぼくは知らなかったが、洋画家の青木繁の息子であり、戦前から尺八の天才とうたわれていたが、結婚詐欺事件で逮捕された。 懲役刑に服した後、当時の人気女優だった川崎弘子と結婚。 彼の笛のメロディーをテーマ曲にしたのが、ラジオ番組「笛吹童子」。 彼の息子が石橋エータローだそうだ。 なんとなく魅力的な人物である。
ちなみに、『ダイナマイトを食う山窩』は、その内容が問題になり、三角寛との確執もあったようだ。

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2006年3月 3日 (金)

【読】柳田国男を読んでみる

前回につづき、カタイ話。

「柳田国男を読む」といえばカッコイイところだが、どうしても「読んでみる」となってしまう。
腰がひけてしまうのだ。
何度も書いているが、なかなか手ごわい。
https://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=9912003&blog_id=157056

これまで、ぼくの手元にあったのは二冊。
手にはいりやすい岩波文庫。

yanagita_iwanami1yanagita_iwanami2『遠野物語・山の人生』 岩波文庫
これは、まったく同じ本が二冊、手元にあった。
何度も読もうとして読めなかったらしい。
「遠野物語」は通読した記憶があり、それなりに印象がある。
「山の人生」も、一部を読んだ記憶がある。
『海上の道』 岩波文庫。
これは、数ページで投げた。

近くの図書館にちくま文庫版の全集が揃っていることは、前にも書いた。
貸し出されている形跡もある。
気になる存在だった。

赤坂憲雄の『柳田国男の読み方』(ちくま新書)に触発されて、柳田国男のオリジナル・テキスト(原文)を読んでみようという気になった(これも、前に書いた)。
まあ、チャレンジ、といったところだ。

さて、その柳田国男の文章については、いくつかおもしろい批評がある。
谷川雁 「柳田さんの本を読んでいますと、だんだんもうろうとしてきましてね」
赤坂憲雄 「蛇行と結ぼれにみちた記述
まれなる珍文」 (「新文芸読本 柳田國男」 巻末ブック・ガイド)
ぼくもこれらの意見に同意する。

「毛坊主考」という、大正3年から4年にかけて『郷土研究』に発表された論文を読み通していると、ぼくもまた「もうろう」としてきた。
博覧強記、というか、膨大な文献や言い伝え、柳田自身、あるいは協力者による調査事例が羅列されているのだ。
が、読みにくさをがまんして辛抱づよく読みすすめているうちに、柳田国男が言いたかったことがなんとかうっすらと見えてきた。
もちろん、赤坂さんのガイドのおかげで、こちらの頭の中が整理できていたからでもあるが。

柳田国男の初期論考である「巫女考」、「毛坊主考」などには、何かひかれるものがあるのは確かだ。

yanagita_zensyuu『柳田國男全集 11』 (妹の力、巫女考、毛坊主考 ほか)
 ちくま文庫 1990年3月 (新本は入手困難)

― 赤坂憲雄 『柳田国男の読み方』 (ちくま新書) から ―
・・・柳田のこうしたひと連なりの試みは(注:「『イタカ』及び『サンカ』」明治44~45、「所謂特殊部落ノ種類」大正2、「巫女考」大正2~3、「毛坊主考」大正3~4、などを指す)その半ばにして挫折し、漂泊する人々への関心そのものがいつしか、あいまいに表層から沈められていった。 天皇制と被差別部落にかかわる厳しいタブーが、陰に陽に影を落としていることは、たやすく想像されるところだ。 柳田の試行錯誤にみちた漂泊民論には、いくつもの誤謬や限界が含まれる。 時代的な制約もあった。 しかし、わたしはその試みの先駆性と、そこから拓かれてゆくかもしれぬ新しい差別論の地平にこそ、ある可能性を託したいと思う。
(第三章 漂泊から定住へ P.166~167)

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2006年2月22日 (水)

【読】鶴見和子の柳田論

鶴見和子という人がいる。

社会学者。元・上智大学教授。1918年生まれ。
父は政治家・小説家の鶴見祐輔(第一次鳩山内閣の厚生大臣をつとめた)、弟は社会学者の鶴見俊輔。
戦前、津田英学塾(現・津田塾大)を卒業後、アメリカへ留学。日米開戦後の昭和17年に帰国。
戦後、雑誌「思想の科学」創刊にかかわり、論客として活躍。
プリンストン大学院で博士号を得たあと、コロンビア大学の助教授となる。
・・・といった略歴を読むと、なんだかとっつきにくい学者さんのようだが、ぼくはこの人に厚い信頼をおいている。

柳田国男を研究しつくし、南方熊楠についても深い論考を重ねている。
ぼくの本編サイト「晴れときどき曇りのち温泉」にも紹介した。
→資料蔵 人名編 「南方熊楠」の項
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/kura.html#minakata
→この一冊 『南方熊楠』 (講談社学術文庫)
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/books.html

この鶴見和子さんの柳田国男論が気になっていたが、ようやく図書館から借りてきた。
書き下ろしではなく、あちこちに発表した論文をあつめたものだ。

tsurumi『漂泊と定住と 柳田国男の社会変動論』
 筑摩書房 1977年
(目次から)
われらのうちなる原始人
 ― 柳田国男を軸にして近代化論を考え直す ―
国際比較における個別性と普遍性
 ― 柳田国男とマリオン・リーヴィ ―
常民と世相史
 ― 社会変動論としての『明治大正史世相篇』 ―
社会変動のパラダイム
 ― 柳田国男の仕事を軸として ―
おくれてきたものの科学技術革命への寄与
 ― 日本と中国の場合 ―
柳田国男研究の国際化
差別と非暴力抵抗の原型
 ― 『遠野物語』、『毛坊主考』、『先祖の話』など ―
漂泊と定住と
 ― 柳田国男のみた自然と社会とのむすび目 ―

ちなみに、マリオン・リーヴィという人は、鶴見さんが学んだプリンストン大学大学院の教授で社会学者。柳田国男を博士論文のテーマにするようにすすめてくれた人だという。
<わたしの学問上の師は、ふたりである。柳田国男先生とマリオン・リーヴィ教授である。ただし、柳田先生については、わたしは自称の(そして不肖の)弟子である。>
(『漂泊と定住と』あとがき)

この本、読みはじめると止まらなくなった。
いい本にめぐり会ったと思う。
なお、鶴見和子さんの選集的なものとして、『コレクション 鶴見和子曼荼羅』(藤原書店、全9巻・別巻1)という好著がある。
ぼくは、土の巻(柳田国男論)と水の巻(南方熊楠のコスモロジー)の二冊を手に入れた。
ちょっと値がはるが、それだけの価値のある本だと思う。

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2006年2月20日 (月)

【読】柳田国男と宮澤賢治

柳田国男全集を借りてきて読み始めている。
なかなか手ごわい。

yanagita_zensyuu『柳田國男全集 11』 ちくま文庫 1990年
(妹の力、巫女考、毛坊主考、ほか)

「巫女考」(大正2~3年「郷土研究」所収)という、文庫で100ページほどの論文から読み始めたのだが、これがまた、小さな文字が(文庫なので)ぎっしりと詰まっているのだ。
つまり、情報量が多い。
まあ、がんばろうと思う。

柳田国男のテクストに難航していたら、別の本でおもしろいものを読んだ。
yanagita
『新文芸読本 柳田國男』 河出書房新社 1992年
執筆陣が、なかなかのもの。
三島由紀夫、鶴見和子、谷川雁、宮本常一、小島美子、松谷みよ子、鶴見俊輔、吉本隆明、大江健三郎、等々。

谷川雁の 「柳田國男と宮澤賢治」 が面白かった。
(1990年8月、遠野常民大学発行 「『遠野物語』の世界―第七回・八常民大学合同研究会記録」所収)
宮澤賢治の作品にみられる、柳田国男的な世界についてふれている。

柳田国男、明治8年生まれ。宮澤賢治、明治29年生まれ。
柳田の『遠野物語』は、明治43年に出版されている。

賢治の童話のなかに、『座敷童子』という、あきらかに『遠野物語』の影響をうけたとみられるものがある。
『遠野物語』を柳田に聞かせた遠野の佐々木喜善(明治19年生まれ)は、しばしば花巻にあらわれて、エスペラント語を習いに来たり、民俗学の話を若者たちに聞かせたりしていたという。

その佐々木喜善が花巻から興奮して帰ってきて、「きょう、花巻ですばらしい青年と出会ったぞ、宮澤賢治というのだ」と、息子さんに語ったという逸話を谷川雁が紹介している。
賢治の『座敷童子』は、この佐々木喜善の影響ではないかという。

他にも、谷川雁は賢治の作品に『遠野物語』的な民潭世界の影をみている。

『水仙月の四日』 ・・・女神が子どもを取ろうとする話。これは、まさしく『遠野物語』の世界である。
『どんぐりと山猫』・・・裁判をする山猫の前にどんぐりたちが群がるのを見て、一郎が「奈良の大仏に参詣するみんなの絵のようだ」と思うところ。
説経節『山椒太夫』お「誓文」(厨子王をかくまった坊さんが、日本国中の大きな神さまを並べて、ここには子どもはいないと誓う)に通じる。誓文に奈良の大仏が出てくる。
また、山猫が陣羽織を着ているあたりも、説経節の影響がみられる、という。

ほかにも山男(赤い顔、金色の目をもつ異人)がでてくる話として
『山男の四月』 『狼森と笊森、盗森』 『紫根染めについて』 『風の又三郎』 『祭りの晩』
などがあるという。
谷川雁の講演の面白さをうまく紹介できないが、刺激的なはなしがたくさんある。

これまでずっと、ぼくには宮澤賢治の童話が不思議でならなかった。
西欧的な要素がありながら、どこか泥くさい感じがあり、そこが魅力なのだが、いったいどういうことなのかという疑問があった。
谷川雁の指摘を要約すると、「賢治は『遠野物語』的な民潭の世界を自ら作った」ということだろう。
なるほど、と思ったのである。

柳田国男の世界も、ぼくにはいよいよ面白くなってきた。
まあ、人物としては南方熊楠の方がより魅力的なのだが・・・。


《参考》 ― Wikipediaから
谷川雁(たにがわがん) 本名 谷川巌(タニガワイワオ)
1923年12月16日 - 1995年2月2日
詩人、評論家、サークル活動家。 熊本県水俣市に六人兄妹の次男として生まれる。
兄は、民俗学者の谷川健一。
1945年、東京大学文学部社会学科卒。
戦後、西日本新聞社に勤務。「九州詩人」「母音」に詩を発表し、安西均、那珂太郎などと交遊。
1947年、日本共産党に入党すると大西巨人、井上光晴らと活動し、新聞社を解雇される。
1960年、安保闘争を機に共産党を離党し、吉本隆明らと「六月行動委員会」を組織して全学連主流派の行動を支援する一方、地元の大正炭鉱を巡る争議では「大正行動隊」を組織して活動した。「多数決を否定する」「連帯を求めて孤立を恐れず」といった、個人の自立性、主体性を重視し既成組織による統制を乗り越えようとした組織原理と行動原理は、その後の全共闘運動にも大きな影響を与えている。
1961年、吉本隆明、村上一郎と思想・文学・運動の雑誌「試行」を創刊したが、8号を最後に脱退(「試行」はその後、吉本の単独編集となる)。評論集「戦闘への招待」を発表。
1963年、評論集「影の越境をめぐって」を刊行。大正鉱業退職者同盟を組織して退職金闘争を展開。
1965年、闘争の終息とともに執筆を含めた一切の活動を停止、上京すると語学教育を展開する「ラボ教育センター」を設立した。組合との対立では、かつての左翼運動家谷川雁の「変節」が話題を呼んだ。
1978年、長野県黒姫山へ移住。
1981年から「十代の会」を主宰し、宮沢賢治を中心に児童文化活動に取り組むなどの活動を再開した。
1991年、作曲家新実徳英と共作で合唱曲「白いうた 青いうた」の制作を開始。全100曲を目指したが、雁の死により53曲で中断。
1995年2月2日、肺がんにより死去。

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2006年2月19日 (日)

【読】五木寛之と沖浦和光

沖浦和光 (おきうら・かずてる) という人がいる。
民俗学者、社会学者と呼べばいいのか。
なかなかユニークな学者さんで、ぼくは好きなのである。

okura_sankaokiura_setouchiokiura_take『幻の漂白民・サンカ』 文藝春秋 2001年
『瀬戸内の民俗誌』  岩波新書569 1998年
『竹の民俗誌』 岩波新書187 1991年

この沖浦さんと五木寛之の対談
 『辺界の輝き』 岩波書店 2002年
が面白い。

okiura_henkai『辺界の輝き 日本文化の深層をゆく』
― 目次 ―
 漂白民と日本史の地下伏流
 「化外の民」「夷人雑類」「屠沽の下類」
 遊芸民の世界――聖と賤の二十構造
 海民の文化と水軍の歴史
 日本文化の深層を掘り起こす

五木寛之の 『戒厳令の夜』 が「小説新潮」に連載されたとき(1975年)、ぼくは毎号たのしみにして購読していた。五木寛之をリアルタイムに読んだのは、これが最初だったかもしれない。
その後の『風の王国』は、「サンカ」をクローズアップした小説。

「サンカ」という言葉じたいに問題があるようだが、柳田国男、三角寛によって紹介された「幻の漂白民」である。明治以降、いわれない差別を受けたりもしている。
初期の柳田国男はまだしも、三角寛という人がクセ者で、センセーショナルなとりあげかた、紹介のしかたをしたものだから、好奇の目で見られることが多かった。

ここにあげた本は、いずれも、ぼくにとっては衝撃的で「目から鱗」の読書体験だった。

marginal 《参考》
「サンカ」 ― Wikipedeiaから ―
山窩(サンカまたはサンガ)は日本の山地を漂泊し、河川漁労、竹細工などを生業としていた非定住民の集団である。
山家とも呼ばれる。独特の隠語を喋り、サンカ文字を使用し、農耕せず、定住せず、政治権力に服従しないなど、大和民族とは明らかに文化が違っていた。
その実態は明らかでなはく、分類や起源には様々な説があり、謎に包まれているがゆえに一部には滑稽な珍説も見られる。
サンカが、日本の少数民族の範疇なのか、歴史的に様々な姿や呼称で日本の様々な時代に記録されてきた、非定住文化をもつ日本人なのかは現在不明である。
少なくとも、近世以降、政治権力に公認された共同体である、町や村に編成された人々ではなかった。
柳田国男は、「人類学雑誌」に彼等の記述を行っている。
サンカは、明治から徐々に被差別部落や都市労働者層に吸収され、また戸籍と定住を強要され徴兵されていった結果、戦後に日本文化と同化し、姿を消した。


ネット検索で興味深いサイトをみつけた。
「サンカ(山窩)を考える」
http://www.kumanolife.com/History/kenshi1.html
(メインサイトはこちら)
「自然の中へ そして心の中へ!」
http://www.kumanolife.com/index.html
制作者がどういう人かは知らないが、情報としての価値はあると思う。

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2006年2月11日 (土)

【読】柳田国男

柳田国男 (やなぎた・くにお 1875.7.31 - 1962.8.8)
日本の民俗学を学問として構築した。
農政学を学び、のち民俗学者となった。
近代化の中で忘れられていた民衆(柳田が提唱した語では常民)の世界に目を向け、日本民俗学の祖となった。急速な近代化にさらされて省みられなくなった伝統的な生活を学問の対象に初めてすえた功績は大きい。
各地に民俗学者を育成し、系統的な民俗学研究、郷土研究を行う基礎を築いた。 (Wikipediaから)

・・・とまあ、こういうふうに紹介されているエライ人物である。
興味はわくが、とっつきにくいのである。
『遠野物語』 などという有名な著作は、読んでみてとても面白かったのだが・・・。

近くの図書館に、膨大な文庫版全集(ちくま文庫・全32巻・各巻700ページ!)という気になるものが置いてあるのだが、いったいどこから手をつけたらいいのか・・・と、途方にくれていたのである。

ところが、さきごろ面白い本を読んだ。

akasaka_yanagita赤坂憲雄 著 『柳田国男の読み方 ―もうひとつの民俗学は可能か』
 ちくま新書 1994.9.20  (カバー表紙のコピーから)
・・・「民俗学」が排除したモノたち、物語という異形の身体、山の神や山人・アイヌの人々、漂白する人々や被差別の民・・・、そのいずれもが稲作・常民・祖霊の周縁ないし外部であることは、いったい何を意味するのか。

この200ページほどの新書を読んで、ぼくの「柳田国男像」が焦点をむすんだ気がする。
著者の赤坂憲雄さんは、20代の終わりに、古本屋で柳田国男全集(全36巻)を手に入れ、読破したという。
国立にある谷川(やがわ)書店という古書店の名前まであげている。
じつは、ぼくもこの店を知っている。
それだけのことで著者が身近に感じられ、なんだかうれしくなった。

「 ・・・『定本柳田国男全集』はそこで買った。たしか四万五千円の値段だった。初版の、固い箱入りのもので、読まれた形跡はまるでなかった。格安だったが、当時のわたしにとってはかなりの勇気がいる買い物だった。段ボール箱に詰め、自転車の荷台にくくりつけて、国分寺のアパートまで運んだ。荷台から伝わってくるずっしりとした重量感が、心地よかった」 (著者あとがき)

このような人の書いた、たんねんな論考だから、ぼくは信用する。

著者は、柳田国男の仕事を「初期」「前期」「後期」に分け、初期(明治30年代)・前期(明治40年代~大正末年)の柳田の関心のありようにスポットをあてる。
そこには、後期の柳田が切り捨てた「非・常民」(山人、漂泊者、被差別民)への、柳田の強い関心と熱い視線が感じられるのだ。

これまで、柳田国男にはなかなか手が出なかったが、この赤坂さんのガイドを道案内に、柳田国男という巨人の森にすこしずつ踏みこんでみようかな、という気になっている。

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2006年2月10日 (金)

【読】日本幻論

五木寛之 『日本幻論』 という本もあった。

ituski_genron1993年 新潮社 (1996年 新潮文庫)

(新潮文庫カバー裏のコピー)
この国には、見えていないもう一つの国がある―。
幻の隠岐共和国、かくれ念仏の神仏習合的なありかた、柳田国男と南方熊楠の違い、蓮如の教えの俗信的な力強さなど、いずれも正統に対する異端、民俗に対する土俗などの位置づけを踏まえてテーマを展開している。 非・常民文化の水脈を探り、隠された日本人の原像と日本文化の基層を探る九編。 五木文学の原点を語った衝撃の幻論集。

この本、しばらく忘れていたが、あらためて広げてみると五木さんの着眼点の鋭さに気づく。
「柳田国男と南方熊楠」の章など、ぼくが感じていたことと一致して、我が意をえたような気がした。

五木さんは、柳田国男よりも南方熊楠が「ひいき」らしい。
ひいき、なんて、へんな言い方かもしれないが、柳田国男の業績は認めながらも、彼がたどった「常民」への退却というか、視点の後退に五木さんは異をとなえる。
五木さんの立場は、終始、「非・常民」である。

「彼のいう常民というのは、決して都会のルンペンではない。 これはもうはっきりしている。 農村に定住する人々である。 焼畑農業をやって移動しながら生きている人たちではない。 炭焼きをしながら放浪している人たちでもない。 マタギとか、木地師とかいろんな連中がいるけれども、そういうものも、一応、常民の枠の中には入らない」

柳田国男について、ぼくは詳しく知らないのであまり言えないが、彼もはじめは「非・常民」に関心をよせていたのである。 このあたり、とても興味深い。
五木さんも、南方熊楠との往復書簡について引用しながら、柳田国男の変化を指摘している。

『柳田国男 南方熊楠 往復書簡集』 (平凡社ライブラリー、他)が面白かった。
「晴れときどき曇りのち温泉」の資料蔵―南方熊楠の項で、すこしだけふれた。
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/kura.html#minakata

南方熊楠とともに柳田国男についても、この先いちどはきちんと読んでみたいと思っているのである。

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