カテゴリー「石光真清」の10件の記事

2007年8月25日 (土)

【読】笹森儀助と石光真清

Miyamoto_tsuneichi_henkyou宮本常一 『辺境を歩いた人々』 (河出書房新社) のおしまいのほうを読んでいたら、笹森儀助と石光真清が、満州で出会っていたことが書かれていた。
石光真清の手記 『曠野の花』 に、このときのことが書かれているという。
『曠野の花』 は、すこし前に読んでいた。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_bd47.html
どうりで、笹森儀助という名前になんとなくおぼえがあるような気がして、ひっかかっていたのだ。 なるほど、合点。

『辺境を歩いた人々』 の目次には、四人の名前しか出ていない。
近藤富蔵、松浦武四郎、菅江真澄、笹森儀助。
しかし、宮本さんの文章には、その時代に彼らをとりまいていた魅力あふれる人々がたくさん紹介されている。
笹森儀助の章では、田代安定(あんてい)と伊能嘉矩(よしのり)の二人にかなりのページが割かれていて興味ぶかかった。
彼らは、明治18年頃(日清戦争の年)から、沖縄や台湾を歩いて調査した人たちだ。
笹森儀助にとって、沖縄探検の先輩にあたる。
笹森儀助の琉球列島探検は徹底していて、明治26年、沖縄本島の那覇に着いたあと、宮古、石垣、西表、鳩間、さらには与那国島まで足をのばし、沖縄本島に戻り、奄美大島をみて鹿児島に戻る、四か月以上の旅をしている。
現在のように、交通が発達していない時代のこと、船とじぶんの足だけが頼りの旅。
マラリアにも苦しめられ、野宿もいとわない旅だったらしい。
すごいな。

ところで、この本の巻末年表も興味ぶかい。
その一部を抜粋してみよう。

1754(宝暦四) 菅江真澄、三河国に生まれる
  最上徳内、羽前に生まれる
1771(明和八) 近藤重蔵、江戸に生まれる
1778(安永七) ロシア人、クナシリ島に来る
1780(安永七) 間宮林蔵、生まれる
1782(天明二) 伊勢国の光太夫ら、ロシアに漂着
1783(天明三) 東北地方大飢饉(翌天明四年まで、天明の大飢饉)
1784(天明四) 菅江真澄、信濃から越後、奥羽、津軽、南部への旅
1785(天明五) 徳内、幕府の調査隊に加わり、千島列島の旅へ
1788(天明八) 真澄、津軽から松前へ、寛政四年(1792)まで松前地方の旅
  古川古松軒、幕府の巡見使に加わり東北地方へ
1792(寛政四) ロシア使節ラクスマン、伊勢の光太夫らを送って松前に来る
1798(寛政十) 徳内、第六次蝦夷探検でエトロフへ
  重蔵も同行、モヨロ湾に「大日本恵土呂府」の標柱を立てる
1799(寛政十一) 重蔵、第二回の蝦夷地探検
  間宮林蔵と松田伝十郎、蝦夷地探検、冬をすごす
  東蝦夷地が幕府の直轄支配地になる
1800(寛政十二) 重蔵、高田屋嘉平とともにエトロフへ
  伊能忠敬、初めて北陸と蝦夷地の測量
1805(文化二) 近藤富蔵、生まれる
1807(文化四) 近藤重蔵、利尻島を探検
  西蝦夷地が幕府の直轄支配地となる
1808(文化五) 間宮林蔵、カラフトから黒竜江方面の探検
  間宮海峡を発見
1811(文化八) ロシア艦長ゴロウニン、捕われる
  外国船打ち払い令
1814(文化十一) 伊能忠敬、『沿海実測全図』完成、ロシアとの国境を決める
1818(文政元) 松浦武四郎、伊勢国に生まれる
1821(文政四) 幕府、蝦夷地を松前氏に返す
1823(文政六) シーボルト、長崎に来る
1826(文政九) 近藤富蔵、人を殺める(翌年、八丈島へ流刑)
1829(文政十二) 真澄、秋田の角舘で死去 重蔵、江州で死去
1836(天保七) 最上徳内、死去
1840(天保十一) 清国でアヘン戦争
1841(天保十二) 天保の改革始まる
1844(弘化元) 松浦武四郎、蝦夷、カラフトの探検を志して旅に出る
1845(弘化二) 武四郎、蝦夷地探検
  笹森儀助、陸奥国弘前に生まれる
1846(弘化三) 武四郎、第二回の蝦夷地探検
1847(弘化四) 近藤富蔵、流刑先の八丈島で『八丈実記』を書き始める
1849(嘉永二) 武四郎、第三回の蝦夷地探検(おもに千島列島)
  最初の北海道地図『蝦夷大概図』を描く
1851(嘉永四) 武四郎、『三航蝦夷日誌』35冊を書き上げる
1853(嘉永六) ペリーが浦賀に、ロシアのプチャーチンが長崎に来る
1856(安政三) 田代安定、鹿児島に生まれる
1860(万延元) 井伊大老、桜田門外で暗殺
1867(慶応三) 明治天皇、皇位につく
1868(明治元) 伊能嘉矩、岩手県遠野に生まれる
1869(明治二) 松浦武四郎、北海道の道名、国名、郡名を選定
1880(明治十三) 近藤富蔵、罪を許される
1887(明治二十) 富蔵、八丈島で死去
1888(明治二十一) 松浦武四郎、死去
1889(明治二十二) 帝国憲法発布
1890(明治二十三) 教育勅語発布、帝国議会召集
1893(明治二十六) 笹森儀助、南島探検をし、『南島探検』をあらわす
1894(明治二十七) 日清戦争勃発
1895(明治二十八) 日清戦争勝利、台湾を譲り受け、台湾征伐を行なう
1902(明治三十五) 笹森儀助、第二代青森市長に 日英同盟
1904(明治三十六) 日露戦争勃発
1905(明治三十七) 日露戦争勝利、カラフトの北緯50度より南側が日本領土に
1914(大正三) 第一次世界大戦に参戦
1915(大正四) 笹森儀助、死去
1925(大正十四) 伊能嘉矩、死去
1928(昭和三) 田代安定、死去

もう一冊、宮本常一さんの同じシリーズで、こんな本も出ていたので入手。
Miyamoto_tsuneichi_minaminoshima宮本常一 『南の島を開拓した人々』
  河出書房新社 2006.1.20発行
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309224458
この本の目次に登場するのは、次の七人。
中川虎之助を除いて、私の知らない人ばかりだが。
藤井富伝(諏訪之瀬島を開拓)
中川虎之助(石垣島・台湾で精糖事業を興した)
村岡伊平治(南洋で出稼ぎ女性に尽くした)
菅沼貞風(南方交易史を研究)
太田恭三郎(タバオで麻園を経営)
原耕・捨思 兄弟(南方漁場を開拓した兄弟)


石光真清 『曠野の花』 中央公論社(中公文庫)
Ishimitsu2― 「異郷の同胞たち」 (P.57) より ―
三等客車の中には露支韓人の下層階級のものばかりがそれぞれ自国語で語り合っていたが、私はただ一人窓際に坐って前途をぼんやり考えていた。 そのうちにうとうと眠ってしまった。 汽車が停ってふと眼を覚すと、六十歳を少し越えたと思われる日本人が乗込んで来た。 私はその風体を見て思わず微笑した。 ところどころ破れて色のさめたフロックコートに、凸凹の崩れかかった山高帽をかぶり、腰にはズダ袋をぶらさげ、今一つ大きな袋を肩から斜めに下げていた。 しかも縞のズボンにはカーキ色のゲートルを巻き、袋の重みを杖にささえて入って来たのである。 (略) 「わしは青森の者でナ、笹森儀助と申しますじゃ。 老人の冷水と笑われながら、笑う奴等には笑わせておいてナ、飛び出して来ましたじゃ。 これもお国へのご奉公ですよ」 (後略)

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2007年5月16日 (水)

【読】船戸与一『満州国演義 1』

Funado_manshu1_1船戸与一著 『風の払暁 満州国演義 1』 (新潮社)
読み始めた。
期待を裏切らない、面白い小説だ。
以前、このブログで紹介した際
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_a737.html
(4/27 【読】船戸与一と満洲)
新潮社のサイトへのリンクを載せたが、その中の「書評/対談」のページで著者自身によって、この小説の主人公たち(敷島四兄弟)について述べられている。
もちろん、この四兄弟は、船戸与一によってつくられた架空の人物ではある。

100ページほど読んだところで、次郎(馬賊の頭目)、四郎(無政府主義に傾倒する早大生)、太郎(奉天総領事館駐在の外交官)の三人が登場。 残る三男の三郎(陸軍将校)も、ちらっと顔を出した。

興味深いのは、石光真清の手記に登場していた実在の人物である、花田仲之助(陸軍少佐、浄土真宗の僧侶姿で諜報活動に従事)について触れていることだ。
また、これは実在の人物をモデルにしただけかもしれないが、馬賊の女頭目として男勝りの活躍をするお菊(山本菊子)、お静(古賀静子)など、登場人物それぞれが人間的な魅力にあふれている。

船戸与一らしい、血沸き肉踊る冒険小説であり、綿密な調査にもとづく雄大な歴史小説。

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2007年5月13日 (日)

【読】石光真人

石光真清のご子息で、真清の手記(四部作)を編集した石光真人の編著作。
Ishimitsu_shba_gorou『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』
 石光真人 編著 中公新書 1971.5.25発行
柴五郎は、安政6年(1859)、会津若松の上級武士の五男として生まれた。 幕末・維新の会津戦争で祖母、母、姉妹を失い(自刃)、落城後、俘虜として江戸に収容、後に下北半島の火山灰地に移封されて、悲惨な飢餓生活を続けた。
脱走、下僕、流浪の生活を経て軍界に入り、藩閥の外にありながら陸軍大将にまでなった、という数奇な生涯を送った人物である。

石光真人は、この著作の「第二部 柴五郎翁とその時代」の冒頭で、次のように書いている。
<柴五郎翁の遺文に初めて接したとき、おそらく誰もが受ける強いショックを、私も同じように強く受けて呆然とした。 呆然としたというより、襟を正したというほうが適切かもしれない。 このショックから立ちなおって、「いったい、歴史というものは誰が演じ、誰が作ったものであろうか」と答えの与えられない疑問を持ったことも、私ひとりではないであろう。>

ずっと本棚に眠っていた本だったが、このたび読んでみて、強い衝撃を受けた。

ところで、船戸与一の新作 『満州国演義 1 風の払暁』 (新潮社)
 → http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_a737.html
を手に入れた。 昨夜、その冒頭部を拾い読みしていたら、この鶴ヶ城落城の悲劇が描かれていた。
とうぶん、この傾向の読書が続きそうな予感。
Funado_manshuu_1 

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2007年4月27日 (金)

【読】船戸与一と満州

新聞の出版広告に、船戸与一の新作がでていた。
ついに、満州を舞台にした小説を書いたのだ。
これは読まなくちゃ。

Funado_manshu1Funado_manshu2船戸与一
『風の払暁―満州国演義1―』
 http://www.shinchosha.co.jp/book/462302/
『事変の夜―満州国演義2―』
 http://www.shinchosha.co.jp/book/462303/
 新潮社 2007/04/20

船戸与一には、現代中国(ウィグル自治区)を舞台にした
『流沙の塔』 (朝日新聞社 1998年) という刺激的な小説もあった。

きょう、ようやく石光真清の手記(四部作)を読みおえた。
文庫本、小さな活字で、合計1300ページほど。 われながらよく頑張ったと思う。
なんども掲載した画像だが、記念に。
Ishimitsu1_4Ishimitsu2_4Ishimitsu3_1Ishimitsu4_2








【4/28追記】
上記新潮社のサイトに掲載されている作者へのインタビュー記事から転載
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/462302.html

<『蝦夷地別件』が、日本の中に、日本の民の中にという意味で、国家論が芽生える瞬間を描いた作品だとすると、『満州国演義』は、日露戦争、第一次大戦を経て、日本の中で明治維新の残光が消える瞬間を描こうと思ったんだ。
従来の満州を語る姿勢を分類すると、ひとつは、ロマン説。新しい国家というのをまっさらに作り上げることの魅力だね。もうひとつは、侵略説。この二つの溝はとても埋められるようなものじゃない。どういうふうに満州国が出来上がっていったのかを語ること以外に解答はないんだ。ロマン説であろうが侵略説であろうが、意義を語るだけでは何の解決にもならないので、具体的な内実を語ることが必要だと思った。だから、断片的な事例や論を語るのではなく、これで満州の全てが丸ごと分かるような作品を書きたかった。>

さすが船戸さん。 これを読むと、ますますこの小説に惹かれる。

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2007年4月24日 (火)

【読】津田巡査の人生

大津事件に新たな光
 富岡多恵子さんの新作 『湖の南』

こんなタイトルの小さな記事を、きょうの朝刊(朝日新聞23面)でみつけた。

<訪日中のロシア皇太子に警護の巡査がサーベルで切りつけた1981(明治24)年の「大津事件」。富岡多恵子さんの新作小説『湖の南』(新潮社)は、近年発見された、犯人津田三蔵が家族にあてた手紙を丹念に読み込み、新しい像を描いている。・・・> (朝日新聞の記事から)

大津事件については、ついせんだって読んだばかりの石光真清の手記 『城下の人』に、同時代の記録として詳しく書かれていた。

Ishimitsu1_3石光真清が近衛師団にいた頃の体験談である。
 『城下の人』(中公文庫) P.229- 「天皇と皇后」

あたりまえのことだが、「犯人」の津田巡査にも彼なりの人生があったのだ。
石光真清という人も、歴史の表舞台からほど遠いところでいっしょうけんめいに生きた人だが、この津田巡査も(有名ではあるが)、人となりについてはほとんど知られていないだろう。
富岡多恵子のこの小説、読んでみたいと思った。
http://www.shinchosha.co.jp/book/315005/

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2007年4月20日 (金)

【雑】お静かに

新年度がはじまったせいなのか・・・。
このところ、通勤バスの中がにぎやかだ。
数日前は、女子大学生が四、五人、バスの後部座席を占領。
まあ、よく喋ること。
こちとらは、本を読みたいのだけれど、すぐ後ろで、のべつまくなし喋り続けるので、ついつい耳がダンボ状態(この表現、古いかなぁ)になってしまう。
聞いていると初めはおもしろかったのだが、さして深い内容でもなく、寮がどうのこうの、クラスがどうのこうのと、要するにおばちゃんの世間話とかわらないので、いいかげんにしてほしいと思う。
いいとこのお嬢さんふうなのに、集団になるとまわりが目にはいらないんだろうな・・・。

今日は今日とて、電車の中で、わりと上品そうなおばさま数人が、えんえんとお喋りしていた。
いやでも話の内容がわかってしまう。
こどもの話、勤め先(なのかな?)の話、化粧の話、今夜のおかずの話・・・。
いいかげんにしてくれい。
やはり、読書に集中できない。
さほど大きな声でもないのだが、よくもまあ、あれほど喋り続けられるもんだ、と、呆れてしまう。
来週からは、耳栓を持って歩こう。

石光真清の手記(四分冊)、ようやく四巻目に突入。
はやく読み終えてしまいたいな。
Ishimitsu4_1

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2007年4月 8日 (日)

【楽】【読】加藤登紀子と哈爾浜

加藤登紀子さんのアルバムを聴いていた。

Tokiko_okinawa01_3Tokiko_okinawa02_2『沖縄情歌』 加藤登紀子
 2003.5.28 UNIVERSAL
 UICZ-4065
告井延隆さん、古謝美佐子さん、新良幸人さんらが参加している。 ジャケット・デザインはジミー大西。

そういえば、加藤登紀子さんは満洲生まれだったな、ということを思いだした。
登紀子さんの公式サイト http://www.tokiko.com/
を見ると、1943年、ハルビン(哈爾浜)生まれとある。
こんな本が出ていたことも知り、図書館から借りてきた。

Tokiko_book_1『ハルビンの詩(うた)がきこえる』
 加藤淑子(としこ) 著、加藤登紀子 編
 藤原書店 2006.8.25
加藤淑子さんは、登紀子さんのおかあさん。
20歳で結婚すると同時に、夫の津田幸四郎氏とともに当時の満洲ハルビンへ渡り、11年間のハルビン生活を経て、1946年に帰国。

ちょうど今、哈爾浜が舞台になっている石光真清の手記 『曠野の花』 を読んでいるところだった。

Ishimitsu2_3『曠野の花 ―石光真清の手記―』
明治の末、日露戦争開戦前夜の満洲、哈爾浜なので、登紀子さんが生まれた前後とは時代がちがうが、今からは想像もできない混沌とした状況で、たくさんの日本人が、この地に渡っていたのだった。
赤塚不二夫、小澤征爾(ともに1935年生まれ)も、この地で生まれて敗戦後に帰国した人たちだ。

お登紀さんの歌は好きだ。
CDやLPの他に、なぜかドーナツ盤のレコードが何枚か手許にあったので、今日はそれを聴いていた。

Tokiko_hitomiTokiko_konosorawoTokiko_komoriuta 

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2007年3月17日 (土)

【読】石光真清の手記

石光真清(いしみつ・まきよ)という人がいた。
子息の石光真人(いしみつ・まひと)が次のように書いている。 こういう人だ。
<私の父は明治元年に熊本城下に生れ、稚児髷に朱鞘の刀をさして神風連、西南の役動乱のさなかをとび廻った。長ずるに及び軍人となり、やがて大津事件や日清戦争にあい、またロシア帝国の南下政策におびやかされる弱小国の一人として熱心にロシア研究を志し、ついに身をもって諜報勤務にその一生を捧げる境涯に立ち至ったのである。>
(中公文庫 『城下の人 石光真清の手記』 カバーより)

Ishimitsu1_1Ishimitsu2_1Ishimitsu3Ishimitsu4この四部作の手記の一冊目を読んでいる。 活字が極端にちいさくて目が疲れるのだが、おもしろい。
まだ、幼年期から少年期にかけての部分、明治16年に士官学校幼年生徒隊(のちの陸軍幼年学校)に入校するところまで読んだだけだが、波瀾にとんだ人生の幕開けといったところか。

このブログにしつこく書いた、勢古浩爾さんの 『新・代表的日本人』 (洋泉社 新書y)には、このように紹介されている。
Seko_nihonjin_3<広瀬武夫が生まれた三ヶ月後の明治元年八月、大分県の隣県の熊本市に石光真清は生まれた。幼名は正三。長じて陸軍軍人となる。しかし、そのことが真清を数奇な運命の波に放りこむことになる。生きているあいだには、運命などない。死んでから、運命がきまる。真清は、自分の意思で立ちながら、現在のわたしたちから見るかぎりにおいて、運命に翻弄された、というほかはない。>
(勢古浩爾 『新・代表的日本人』 洋泉社 P.46)

『城下の人』 の冒頭、真清が四歳でジフテリヤに罹り、呼吸困難に陥って危うく命を落としそうになったときのエピソードが感動的だ。
当時、ジフテリヤは「ノドケ」と呼ばれた難病で、もはや手の施しようがなく、あとは臨終を待つだけという状態になった。
添い寝して看病を続けていた真清の母(弟の真臣を身ごもっていた)は、手の届くところにあった硯箱から何を思ったか筆をとりだした。
筆の毛をむしりとり、その竹筒を真清の口の中にさしこんで、それで真清ののどに詰まっていた痰を吸いとった。二昼夜、一睡もせずに吸い続けたおかげで、真清は一命をとりとめた、という話だ。

四冊読みおえるのに、たっぷり時間がかかりそうだが、ひさしぶりに夢中になって読んでいる本だ。

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2007年3月11日 (日)

【読】何を読もうか

新しい週がはじまる前夜(つまり、今夜のような)、翌日から通勤電車・バスの中で読む本を決める、このひとときが楽しみだ。
携帯性、読みやすさからいって、新書や文庫が望ましい。

Miua_iwanitatu三浦綾子 『岩に立つ』 講談社文庫 1994.10 第1刷
となりの図書館にもあったのだが、幾人もの読み手に愛読されてきたようで、すっかり痛んでしまっていた。
それで、近くのBOOK OFFをのぞいてみたら、状態のいいものがあったので購入(300円)。
勢古浩爾さんが、『白洲次郎的』(洋泉社 新書y)のなかで紹介していた、たいへん興味ぶかい小説である。
― カバーの紹介文から ―
<お袋の貧乏と苦労を見て育ちましたでしょう。 女郎さんたちは叩き売られた可哀そうな女たちだ。 とても遊ぶ気にはなれませんでしたよ。 ・・・一本気で、無法者にも膝を屈しない。 信念と信仰にささえられた腕で建てる家は、誰もが褒める。 人間らしく生きる一人の棟梁、その逞しい半生を、感動をこめてつづる長編。>

いずれ読んでみるつもりだが、ちょっと重そうなので、先送りにする。
というか、このところ関心が向いている満州・シベリア抑留関係の本を読んでみようと思う。
Ishimitsu1石光真清 『城下の人』 中公文庫  1978.6
 石光真清の手記 四部作の一冊目
 続編は、『曠野の花』 『望郷の歌』 『誰のために』
まえにこのブログにも書いたことだが、30年近く前に友人にすすめられて買ったものだと思う。
ずっと本棚で埃をかぶっていたが、ついせんだって、若い友人が読んでみたいというので、四部作揃いで貸していたもの。 満州関係の本をずっと読んでいるその友人は、読破したといって返してくれた。 たいしたものだ。
さて、活字は小さいけれど(老眼にはきつい)、おいらも入り込んでみようかな。

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2007年1月13日 (土)

【読】勢古浩爾さんの三冊目

ひさびさの読書日誌。
長ったらしいので、興味のない方は読み流していただきたい。

年があけて最初に読みおえた本がこれ。
Seko_kouji2_1勢古浩爾 『自分をつくるための読書術』
 ちくま新書 134 1997.11 \680(税別)
― カバーから ―
<「自分」をつくるということは、割合しんどいことである。 そんな思いまでして、しかもどんな保証もないのに、なぜ「自分」をつくらなければならないのか。 いったいなんの得があるのか。 理由は簡単だ。 「自分」をつくらないで生きていくことは、もっとしんどいからである。>

このての読書案内が好きなので、おもしろそうだなと思って読みはじめた。
なかなか刺激的な内容である。
冒頭、<はじめに ――「自分」をつくるとはどういうことか>から、意表をつくようなことが書いてあり、うなってしまった。
<人間の気質や性格(人間性)は、そのほとんどが三歳までにできあがってしまうから、それ以降どんなに変えようとしても無駄である、という考えがある。 悪あがきはやめなさい、というわけでもあるまいが、この三歳決定論に関しては、わたしも基本的には信じるほかないという気がする。 しかし、だから自己形成へのあらゆる意思や試みは無効であるという諦観にわたしは同意しない。 もしも自分で「自分」をつくることができないのなら、そんな「自分」にひとは責任をとる必然性がまったくないからである。
(太字は原文のまま)

全6章のタイトルをあげておく。
この章題に勢古さんの考え方がよくあらわれていると思うのだ。
各章の末尾に、ブックリストがあり、勢古さんの推薦書があげられている。
そのなかで、ぼくが興味をもった本も書いておこう。
(読んだことのある本も、いくらかあるが、もういちど読んでみようかと思う)

第1章 「世間」を生きぬくための読書 ~あらゆる形式を疑え~
阿部謹也さんの「世間」論からはじまるところが、ぼくにはうれしかった。
■ブックリストから■
『無名人名語録』(永六輔/講談社文庫)
『アイルトン・セナ日本伝説』(松本洋二/新潮文庫)
『この国のかたち(四)』(司馬遼太郎/文春文庫)

第2章 「弱さ」を鍛えるための読書 ~一冊の本は決定的に発火する~
<学生時代、『共同幻想論』という本が薄暗い生協の本棚に平積みにされていたのを思い出す。ベストセラーだという噂は知っていたが、なにがキョードーゲンソーロンだとわたしは無視した。吉本隆明氏が何者かはまったく知らなかった。自慢じゃないが相当無知であった。・・・大学卒業後のある日、友人のNが「おまえなんか吉本があうんじゃないかなぁ」といった。かれの真意はわからなかったが、わたしはその日、はじめて吉本氏の本を買った。> という、勢古さんが出会った「衝撃的かつ決定的な一冊」は、吉本隆明さんの『情況』(河出書房新社)。
■ブックリストから■
『共同幻想論』(吉本隆明/河出書房新社、角川文庫)
『犠牲』(柳田邦男/文藝春秋)
『夜と霧』(V・E・フランクル/みすず書房)

第3章 「論理」の力をつけるための読書 ~読むなら考えよ考えぬなら読むな~
論理(論理的な考え方)はたいせつである。しかし、論理の限界点には<理不尽>がある。・・・と勢古さんは言う。
<「自分」をつくるうえで論理の重要性はいくら強調してもしすぎることはない。だが論理だけでひとを感動させることはできない、というのもまた事実である。論理がその力をもつためには、論理に根性がはいっていなければならない。>
この章で引用されている、吉本隆明さんの次のことば(『カール・マルクス』から)は、ぼくも好きだ。
<市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかあらわれない人物(註:カール・マルクスのこと)の価値とまったくおなじである。>
■ブックリストから■
『重力と恩寵』(シモーヌ・ヴェイユ/ちくま学芸文庫)
『敗北の構造』(吉本隆明/弓立社)
『ぼくならこう考える』(吉本隆明/青春出版社)

第4章 「理不尽」を生きるための読書 ~すべての本を軽蔑せよ~
■ブックリストから■
『悲しみの家族』(宮城賢/春秋社)
『岸辺のアルバム』(山田太一/角川文庫)
『冷い夏、熱い夏』(吉村昭/新潮文庫)
『人間の土地』『夜間飛行』(サン=テグジュペリ/新潮文庫)

第5章 「覚悟」を決めるための読書 ~わたしがルールブックである~
この本を通して、<自分さがし>などするな、ということが繰り返し言われている。
同様に<自分らしさ><人間らしさ>などという、口あたりのいい、それでいて何の意味もない言葉を痛烈に批判する。読んでいて爽快。
■ブックリストから■
『単純な生活』(阿部昭/講談社文芸文庫)
『神聖喜劇(全5冊)』(大西巨人/ちくま文庫)
『鹽壷(しおつぼ)の匙』(車谷長吉/新潮文庫)

第6章 「自分」をゆさぶるための読書 ~自分に関係のない本などない~
著者・勢古浩爾さんは、若い頃(およそ30年前)、ほぼ一年をかけてヨーロッパ、中近東、アジアを旅し、そのときに持っていた本は、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(ペーパーバックの原書)一冊だけだったという。
■ブックリストから■
『昭和精神史』(桶谷秀昭/文春文庫)
『ねむれ巴里』(金子光晴/中公文庫)
『東南アジアを知る』(鶴見良行/岩波新書)
『深夜特急(全6冊)』(沢木耕太郎/新潮文庫)
『望郷と海』(石原吉郎/ちくま学芸文庫)
『広島第二県女二年西組』(関千枝子/ちくま文庫)
『泥まみれの死 「沢田教一写真集」』(沢田サタ編/講談社文庫)
『大地の子(全4冊)』(山崎豊子/文春文庫)
『城下の人』『曠谷の花』『望郷の歌』『誰のために』(石光真清/中公文庫)
『生きることの意味』(高史明/ちくま文庫)

以上です。 ああ、しんど。
もちろん、ぼくには、こんなにたくさん読めやしないが、何冊かは手に入れて読んでみたい、あるいは再読したいと思ったのである。
この新書は、良質のブックガイドであり、骨のある自前の「思想」が語られている一冊。

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