カテゴリー「浅草弾左衛門」の20件の記事

2012年12月16日 (日)

【読】江戸は鎖国だったのか

ちょいと読むのに苦労したが、なんとか読了。
私が知らなかった江戸時代の一面を教えてくれた。

近くの図書館で目にして借りてきたもの。

片桐一男 著
『それでも江戸は鎖国だったのか――オランダ宿 日本橋長崎屋』

 吉川弘文館 2008年11月 196ページ 1,700円(税別)

<鎖国と呼ばれた時代、江戸にオランダ人の定宿、長崎屋があった。
将軍謁見に出府したカピタンの宿を、杉田玄白、平賀源内らが訪れ、そこは異文化交流のサロンであった。
江戸は本当に鎖国だったのか。> (本書カヴァー裏)


私などが学校で習った「鎖国」のイメージを覆す知見が得られて、興味深かった。
江戸時代の実際の姿を知れば知るほど、これまでのイメージが崩れ、魅力的な江戸の姿があらわれてくる。

「浅草弾左衛門」と同じように、この「長崎屋」の主「長崎屋源右衛門」も、十一代を数える世襲だったという。

例によって、この本から得た知見を上手に要約できないため、Wikipediaに頼る。


― 以下、Wikipedia 長崎屋源右衛門 より ―

<長崎屋源右衛門(ながさきやげんえもん)とは江戸時代、江戸日本橋に存在した薬種問屋長崎屋の店主が代々襲名した名前である。
 この商家は、日本橋本石町三丁目(のちの東京都中央区日本橋室町四丁目2番地に相当)の角地に店を構えていた。>

<薬種商として
 江戸幕府御用達の薬種問屋であった。幕府はこの商家を唐人参座に指定し、江戸での唐人参(長崎経由で日本に入ってくる薬用人参)販売を独占させた。>

<旅宿として
 この商家は、オランダ商館長(カピタン)が定期的に江戸へ参府する際の定宿となっていた。カピタンは館医や通詞などと共にこの商家へ滞在し、多くの人々が彼らとの面会を求めて来訪した。この商家は「江戸の出島」と呼ばれ、鎖国政策下の日本において、西洋文明との数少ない交流の場の一つとなっていた。
 カピタン一行の滞在中にこの商家を訪れた人物には、平賀源内、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵、最上徳内、高橋景保などがいる。学者や文化人が知識と交流を求めて訪れるだけにとどまらず、多くの庶民が野次馬となってオランダ人を一目見ようとこの商家に群がることもあり、その様子を脚色して描いた葛飾北斎の絵が残されている。
 幕府は滞在中のオランダ商館員たちに対し、外部の人間との面会を原則として禁じていたが、これはあくまでも建前であり、時期によっては大勢の訪問客と会うことができた。商館員たちはあまりの来訪者の多さに悩まされもしたが、行動が大きく制限されていた彼らにとって、この商家は外部の人間と接触できる貴重な場の一つであった。商館の一員としてこの商家に滞在し、積極的に日本の知識を吸収していった人物には、エンゲルベルト・ケンペル、カール・ツンベルク、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトらがいる。
 カピタンの江戸参府は年1回行われるのが通例であったが、寛政2年(1790年)以降は4-5年に1回となり、参府の無い年にはカピタンの代わりに通詞が出府した。この商家はカピタン参府と通詞出府の際の定宿として使われていたが、それ以外には全く宿泊客を受け入れていなかった。……>

<長崎出身の江原源右衛門が、徳川家康の時代に江戸へ移り、初代長崎屋源右衛門となった。初代の頃から幕府御用達の薬種問屋であったが、享保20年(1735年)には幕府がこの商家に唐人参座を置き、幕末まで江戸での唐人参専売を行った。
 カピタン一行の定宿となったのは17世紀前半、初代が逝去した後のことである。以後、嘉永3年(1850年)まで定宿として使われていた(安政5年、1858年に駐日オランダ領事官が江戸へ来た際には、この商家を宿としていない)。
 江戸時代、日本橋一帯は幾度も大火に見舞われた。この商家もたびたび焼失し、カピタン一行が被災することも一度ならずあったが、焼失の都度オランダ商館からの援助を受け再建している。……>

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2012年6月16日 (土)

【読】上原善広 『私家版差別語辞典』

市内の図書館にあることを知り、借りてきた本。
先日、おなじ著者の 『日本の路地を旅する』 (文藝春秋・2009年) を読んだばかりだったので、興味を持ったのだ。

たいへん面白く、タメになる本だった。

上原善広 『私家版 差別語辞典』
 新潮選書 2011年5月発行
 234ページ 1200円(税別)

「私家版」名づけられているところがミソ。
著者自身によるルポルタージュも多く、観念的な「辞典」とはちがって読ませる内容だ。

<そもそも差別とは何か? なぜ差別する言葉は生まれたのか?……
 被差別部落に根ざす隠語、あるいは心身障害、職業、人種にまつわる言葉をめぐり、語源や歴史的背景、どこでどのように使われてきたのかなどを具体的に解説。また、抗議と自主規制により「消された言語」となってしまった現状も抉る。〝路地〟に出自を持ち、「差別の現場」を精力的に取材し続け深く関わりを持ってきた著者だからこそ書けた、「言葉」たちのすべて。>  ― 本書カバーより ―


「路地」「心身障害者」「職業」「その他」の四つのパートに分けられ、74の言葉がとりあげられている。
著者の豊富な体験と、幅広い調査・知識に裏づけられていて、しっかりした内容。
手もとに置いておきたい一冊だ。
買っておこうかな、と思う。

路地
路地、部落、新平民、特殊部落、同和、士農工商、穢多、非人、ヨツ、乞食、河原乞食、サンカ、願人坊主、ぐれ宿、不可触民、ヤクザ、ハク、浅草弾左衛門、車善七、革坊、長吏、カワタ、藤内、下町、ラク町、鉢屋、茶筅、犬殺し、勘太郎、京太郎、木地師、宮番、猿回し、青屋、番太、家船、陰陽師、谷戸

心身障害者
障害と障碍、五体満足、おし、つんぼ、めくら、ビッコ、かたわ、片手落ち、気違い、らい病(ハンセン病)、文盲、どもり、小人

職業
職安、土方・沖中士、浮浪者、隠亡、屠殺、くず屋

その他
学歴、片親、あいのこ(ハーフ)、育ちが悪い、丙午、ブス、土人、外人、支那、毛唐、トルコ風呂、ジブシー、カゴ、チョンコ、インディアン、オロッコ、ギリヤーク


目次を書き写していて(漢字変換入力して)気づいた。
著者も書いているように、「差別語」とされている単語は、日本語変換辞書に登録されていないのだ。
考えてみれば不思議なことだ。

一例をあげると、「穢多(えた)」「非人(ひにん)」「隠亡(おんぼう)」「毛唐(けとう)」などは古くから使われている言葉なのに、パソコンの日本語変換の世界でも「自主規制」されているのだろう。


著者 上原善広氏については、Wikipediaに詳しい記載がある。
Wikipediaの記述は眉に唾をつけて読むようにしているが、なかなか興味ぶかいことが書いてあった。

 Wikipedia 上原善広
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E5%96%84%E5%BA%83

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2011年5月15日 (日)

【読】【震】安政大地震

二カ月前の大地震のあと、地震や原発の本ばかり読んでいる。
たかだか数十年の歴史しかない原子力発電はさておき。
日本列島が、大昔から繰り返し大きな地震災害にみまわれてきたことに、いまさらながら驚く。

首都東京(江戸)を襲った大きな震災では、88年前の関東地震(関東大震災 1923年)がとりわけ大きなものだったが、それより前では安政2年10月2日(1855年11月11日)の「安政大地震」(安政江戸地震)がある。
直下型地震である。


安政の大地震 ―Wikipedia―
安政江戸地震(あんせいえどじしん)は、1855年11月11日(安政2年10月2日)午後10時ごろ、関東地方南部で発生したM6.9の地震である。南関東直下地震の一つに含まれる。
(略)
震源は東京湾北部・荒川河口付近と考えられている。
(略)
特に強い揺れを示したのは隅田川東側(江東区)であった。隅田川と江戸川に挟まれた沖積地が揺れを増幅したものと考えられる。震度6以上の揺れと推定されるのは江戸付近に限られる一方で、震度4以上の領域は東北地方南部から東海地方まで及んだ。


北原糸子さんという学者さんが書いた、こんな本を図書館から借りて読みはじめている。

北原糸子 『安政大地震と民衆―地震の社会史』
 三一書房 1983年  264ページ 1700円(税別)

新本は手に入らず、文庫版(講談社学術文庫・2000年)も入手不可能だ。
学者らしく、くどいほど綿密な記述なので、読むのがたいへんだが、面白そうだ。

Kitahara_ansei_jishin

内容(「BOOK」データベースより)
1855年、震度6の地震が百万都市江戸を襲った。安政大地震である。明日を見失った被災民は、生へ向う意志と復興への願いをこめて、地震鯰絵やかわら版に熱狂する。これら民衆のメッセージは、時空を越えて現代のわれわれにも何事かを訴えかけているに違いない。残された資料の中に災害史の新しい可能性を探る好著。
著者紹介
1939年生まれ。津田塾大学学芸学部英文科卒。東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了。東洋大学講師。著書に『都市と貧困の社会史』『磐梯山噴火──災異から災害の科学へ』『江戸城外堀物語』、訳書に『災害と千年王国』などがある。

江戸時代末期といえば、浅草弾左衛門(十三代目 弾直樹)が生きた時代。
ずいぶん前に読んだ、塩見鮮一郎さんの『浅草弾左衛門』(三部作)にも、この地震が描かれていたはず。
そう思って、本棚から文庫版の方をひっぱりだしてみた。
近いうちに読みなおしてみたいと思う。

塩見鮮一郎 『浅草弾左衛門 第三巻 幕末躍動篇(上)』
        『浅草弾左衛門 第四巻 幕末躍動篇(下)』
 小学館文庫 1999年  各657円(税別)

 

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2010年1月31日 (日)

【読】差別するココロ (3)

後先になったが、こんな本があることも知り、読んでみた。
吉本隆明さんの著作中の「差別表現」を厳しく糾弾する内容のサイト(ブログ)を見て、差別される側の人たちの痛みを感じたのだが、そのサイトで紹介されていた本だ。

Saitou_mibun_sabetsu斎藤洋一・大石慎三郎
 『身分差別社会の真実』 新書・江戸時代 2
  講談社現代新書
  1995/7/20 第1刷  2007/4/4 第23刷

たしかにロングセラーである。
シリーズの他の数冊は品切重版未定なのに、これだけは23刷だ。

講談社のサイトより
 http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1492586

斎藤洋一氏は、日本近世史を専門とする学者さん。
現在は、長野県佐久市にある「五郎兵衛記念館」の学芸員とのことだ。

 佐久市ホームページ 五郎兵衛記念館
  http://www.city.saku.nagano.jp/kankou/shinaimeguri/asashina.htm


朝日新聞 2010年1月29日(夕刊)、「ニッポン 人・脈・記 差別を越えて(10)」の記事で、次のように紹介されている。

<長野県佐久市。江戸時代の新田開発をしのぶ五郎兵衛記念館の中に信州農村開発史研究所がある。千葉県生まれで、学習院大学助手だった斎藤洋一(59)がここで部落史を研究するようになったのは、30年余り前に相次いだ差別事件がきっかけだ。/なぜ差別されるのか、部落の人たちは、自分たちの部落の歴史を知りたい、と思った。資料を探すと、旧名主宅の古文書約2万点が学習院大に寄贈されていた。返還交渉で学習院大の末席にいたのが斎藤だった。/教授が「部落のことを書いた資料だけを返せばいいのでは」と述べた。部落の代表は「先生には見えなくてても、差別されてきた私たちには見えるものがある。全部返してほしい」。/あっ、と斎藤は思った。「江戸時代の農村史を研究していたのに、被差別身分の人たちは目に入っていなかった」/古文書は地元に返され、80年に研究所が設立された。斎藤は大学と兼務していたが、5年後に退職し、移り住んだ。…(後略)…>

このいきさつは本書にも書かれていた。
本書は「被差別部落」の歴史的背景を探る内容。
勉強にはなったが、私にはちょっと物足りなかった。
学者さんらしい厳密さで、好感がもてるのだが。


Shiomi_igyou塩見鮮一郎 『異形にされた人たち』
 河出書房(河出文庫) 2009/1/20発行
 257ページ 780円(税別)
 ※親本:三一書房刊 1997年

<差別・被差別問題に関心を持つとき、必ず避けて通れない「異形」視された人たちに関する考察・研究をここにそろえる。貧民窟、サンカ、弾左衛門、乞食、別所、東光寺、俘囚、山哉『特殊部落の研究』…。四民平等で、かつて差別された人々は忘れ去られたが、近代の目はかれらを「異形の人」として、「再発見」するのである。> (カバー)

塩見さんは、出版社編集部(河出書房新社)出身だが、学者ではなく作家である。
袋小路に入りこまず、自由な視点を持っているように思う。
スリリングな内容の本だ。
(いま読んでいるところ)

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2009年10月30日 (金)

【読】期待を超えるおもしろさ

今日から読みはじめたばかりで、まだ40ページほどしか読んでいないけれど、期待していた以上におもしろい。

Shiomi_hinmin_teito_2『貧民の帝都』 塩見鮮一郎
 文春新書655 2008/9/20
 770円(税別)

まえがき(序章 山手線の男)から、興味ぶかいエピソードが語られる。
私にも経験があるが、混雑する電車のなかにひと所だけ人が寄らない空間ができていることがある。
そこには、煮しめたような服をまとい、シートをひとりじめして眠っている人がいる。
まわりには、ぷーんと、異臭がただよっていたりする。

いまは 「ホームレス」 などという、なんだかインチキくさい呼び方になっているが、こどもの頃、ルンペンとかホイト(私の田舎ではそう言っていた)と呼ばれる、住む家をもたない人がけっこういたものだ。
いまでも、街でみかけることがある。

著者の塩見さんは、こどもの頃からそういう人たちに、人一倍魅かれていたという。

<わたしは十代のころから困窮者が気になって仕方がない。自分でも理解できないのだが、戦後すぐのころに幼少期をすごしたからだろうか。まわりにはいつも戦災孤児がぶらついていたし、白衣か軍服の傷痍軍人がいた。おさない子の手を引きながらゴミ箱を漁っている母親も見た。みだれた白髪の老婆が闇市で食べ物のかけらをさがいていた。少年のわたしも着の身着のままでハダシだったが、かれらから目が離せなくなる。じっと観察している。> (本書 「序章 山手線の男」)

<日比谷公園で、隅田川河畔で、山谷掘のあたりで、すこしむかしのことだが、わたしはなんどか路上生活者と会話をかわしている。世間話ですむこともあれば、酒かタバコをねだられるケースもあった。たまに険悪な雰囲気になったが、それはかれらが泥酔しているときだけだ。ふしぎなのは、ふつうに話すことができても理解がいっこうにふかまらない。ディスコミュニケーションを確認する結果になった。……> (同上)

― 目次より ―

序章 山手線の男
一章 混乱と衰微の首都
 こじきの新都/三田救育所と浪人保育所/明治二年の大窮状/麹町と高輪の救育所/町会所と寄場と溜
二章 困窮民を救え
 維新後の町会所/営繕会議所/露国皇太子来朝/浅草溜時代/工作所と日雇会社
三章 さまよう養育院
 上野護国院時代/育児院や訓蒙院の誕生/神田和泉町へ/渋沢栄一のたたかい/本所長岡町時代
四章 帝都の最底辺
 四大スラム――鮫ヶ橋、万年町、新網町、新宿南町/感化院と全生園/孤児救済と救世軍/大塚本院と別院/スラムの賀川豊彦
五章 近現代の暗黒行政
 関東大震災と移転/『何が彼女をそうさせたか』/戦時下の養育院/一億の浮浪者/いじめと無策の果て
終章 小雨にふるえる路上生活者


この目次をながめて興味のわく人は少ないと思うが、ほー、と思われた方は、ぜひ書店や図書館で手にとっていただきたいと思う。
べつに、誰かれかまわず推奨する気はないが。

この本には浅草弾左衛門(十三代、弾直樹)の名もでてくる。
(江戸時代に関東地方の賤民を統括)


街を歩けば、きらびやかな服装をまとい、お金に困っていない顔をした人びとばかりだが、いまの東京も、この本に書かれた時代とさほど変わっていないと思う。
ひと皮むけば――のはなしだが。

ちょうど、きれいに舗装された街のアスファルトやコンクリートをはがせば、そのすぐ下には、昔から堆積された地層があるように。


ふと、いま、こんな詩をおもいだした。
高田渡さんが、すこし歌詞を変えて歌にしている。

 歩き疲れては、
 夜空と陸との隙間に潜り込んで寝たのである
 草に埋もれて寝たのである
 ところ構はず寝たのである
 寝たのであるが
 ねむれたのでもあつたのか!
 このごろはねむれない
 陸を敷いてはねむれない
 夜空の下ではねむれない
 揺り起されてはねむれない
 この生活の柄が夏むきなのか!
 寝たかとおもふと冷気にからかはれて
 秋は、浮浪人のままではねむれない。

   山之口貘 「生活の柄」
    (思潮社 現代詩文庫 1029 「山之口貘詩集」)

山之口貘(1903-1964)という沖縄出身の詩人も、若いころ、土管のなかで寝るような生活をしていたという。

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2009年10月29日 (木)

【読】読了 『禁じられた江戸風俗』

なかなか本が読めない生活が続いているが、一週間以上かけて読みおえたのがこれ。

Shiomi_edo_huuzoku『禁じられた江戸風俗』 塩見鮮一郎
 現代書館 2009/8/20刊
 213ページ 1800円(税別)

塩見鮮一郎という人は、『浅草弾左衛門』 という本で知った。
浅草弾左衛門については、このブログでカテゴリーをたてているので、興味のある方はご覧いただきたい。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/cat8007726/index.html

この本は、帯に書かれているように、江戸(天保)の事細かな禁令風俗を検証したもの。
エキサイティングな内容だった。
カバーの絵は、歌川国芳の「ひとをばかにしたひとだ」というだまし絵。
「天保の改革」で役者絵が禁じられていた頃、これに反発した浮世絵師が描いた。

本書の内容から離れてしまうが、あとがきに、うれしいことが書かれていた。
何がうれしいかって、私の住む町の図書館がでてくるのだ。

<あとがき  小平中央図書館は市役所と西武多摩湖線をまたいだ位置にある。二十数年まえのわたしは自転車でよく通った。完成してまだ間もないのか、きれいで気持ちがよかった。開架の書棚がひろくて、『賀川豊彦全集』までもがならんでいた。それよりも、二階の辞書や事典、古地図や復刻本、和漢書の、ふつうは目にふれないような本がひょいと手にとれるのがいい。……>

その通りなのだ。
この図書館の二階には、貴重な資料がたくさんあり、しかも貸出しているものが多い。

塩見さんは、続けてこう書いている。

<わたしのように大学の図書館の恩恵に浴せなかった者は、これでじゅうぶん、宝の山である。それを思い出して、ネタ探しにでかけた。/なん年ぶりだろう。/七十パーセントぐらいの本がむかしの場所にあった。歴史や民俗など、頭によみがえった本を確かめに書棚にむかうと、なんとハチ公のようだ。ちゃんとまっていてくれた。>

この二階でみつけた、東京大学出版会の『大日本近世史料』のうちの「市中取締類集」が、この本を書くきっかけになったという。

図書館好きにはうれしい話だ。
引用が長くて、ご退屈さま。
(ここまで読んでくださった方に、感謝)


そういえば、同じ著者のこんな本も買ってあった。
読んでみようかな。

Shiomi_hinmin_teito『貧民の帝都』 塩見鮮一郎
 文春新書(文藝春秋) 2008/9/20刊
 251ページ 770円(税別)

<明治期、東京に四大スラムが誕生。維新=革命の負の産物として出現した乞食、孤児、売春婦。かれらをどう救うか。渋沢栄一、賀川豊彦らの苦闘をたどる。近代裏面史の秀作。> (本書カバーより)

<東京はスラムの都だった 日本を近代国家に! 首都にあふれる生活困窮者を救え! 時代の大波に振り落とされる人々の群れ。 奇案、姦計が入り乱れる救済策。 東京のかくしておきたかった<過去>……> (本書帯より)

塩見さんの、地べたから見あげるような視線が、私は好きなのだ。

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2008年2月12日 (火)

【読】江戸に学ぶ(続)

一昨日から読んでいるこの本が、とても面白い。

Tanaka_yuuko_ooedo_volunteer『大江戸ボランティア事情』
 石川英輔・田中優子 著 (講談社 1996年)

目次はこんな感じ。
序章 ボランティアのいない社会
長屋暮らし/お師匠さまの学校/火消しと町の暮らし/旅はなさけ/村の民主主義/大家さんは大忙し/連は楽しいからみ合い/ご隠居さんの活躍/終章とあとがきをかねた対談

どのページにも、江戸時代の書籍から転載された挿絵があって、たのしい。
この本で引用されている、二冊の書物が興味ぶかい。

『日本その日その日 Japan Day by Day』 平凡社 東洋文庫
 エドワード・S・モース (大森貝塚の発見者として有名、明治10年来日)

『九峰修行日記』 三一書房 「日本庶民生活資料集成 第二巻」
 野田泉光院 (日向佐土原=現・宮崎県佐土原町=の安宮寺という山伏寺の住職、全国を旅した)
 ※ 石川英輔 著 『泉光院江戸旅日記 -山伏が見た江戸期庶民のくらし-』 講談社 1994年

江戸時代の都市民、農民の生活像がだんだん見えてきた。
そういえば、以前読んだ、『浅草弾左衛門』 (塩見鮮一郎) という長大な小説にも、当時の人々の生活が生き生きと描かれていた。

江戸時代は面白い。

『浅草弾左衛門』 塩見鮮一郎 批評社

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文庫も出ている。
小学館文庫 全6冊。

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宮部みゆきの時代ものも、面白い。

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さらに、船戸与一 『蝦夷地別件』 (新潮社版ハードカバーと新潮文庫)

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2007年9月13日 (木)

【読】「悪所」の民俗誌

Okiura_akusyo沖浦和光 『「悪所」の民俗誌』 文春新書
290ページのやや分厚い新書。
半分ほど読んだ。
とても刺激的な内容で、付箋がたくさんついた。
文章力がないので上手に紹介できないのだが、面白いと思った箇所をランダムに書いてみたい。

第一章 わが人生の三つの磁場
沖浦さんの「生存の根っこに横たわる<人生の磁場>」。
(この表現が、ちょっと学者っぽくてカタイ気がするが・・・)
第一は、幼少年期を過した「まだ近世の面影が残っている旧摂津国(現・大阪府北部)の農村」。
その街道筋で昭和初期の民俗(トボトボと街道を旅する遊芸民、遊行者)を見聞した。
第二は、小学校低学年時代に生活した、大阪市南部の釜ヶ崎(日本最大のスラム)。
第三は、青春前期、敗戦直後に上京して住んだ、隅田川の東岸地域。
永井荷風の『濹東奇譚』に出てくる地帯だ。 下町の職人の小さな家に下宿していた。

「悪所」を構成する三条件
江戸時代から「悪所」と呼ばれていた地域には、三つの条件があった、と沖浦さんは言う。
色里・遊里、芝居町、被差別民の集落、の三つ。
大阪では、釜ヶ崎、飛田、天王寺、西浜周辺。
東京なら、浅草、吉原、山谷と深川あたりが渾然一体となったような感じの「社会的トポス(場)」。

<私は今でも高尚を自称する「貴族趣味」や、もったいぶった「ブルジョア気取り」には違和感を感じる。 それはほとんど本能的といってもよい。その逆に、「周縁や辺界」あるいは「底辺や悪所」と呼ばれていたものには、どういうわけか自然にそこへ吸引されていく。 体内で先天的な共鳴感が生じるのだ。> P.15

第二章 「悪所」は「盛り場」の源流
「盛り場」は、江戸期では「栄り場」とも表記されていた。
「盛り場」の原義は、人出で賑わう繁華街だった。
今日の大都市の「盛り場」の源流は、近世初期まで遡ることができる。
浅草、新宿、品川、深川など、大東京の盛り場の大半は、近世の「悪所」を核として形成された。
大阪、京都もほぼ同じ。
東京の銀座のように、維新後の都市計画に基づいて新しく造成された繁華街は、例外。

「阿国歌舞伎」
天正末から慶長初年にかけて、加賀国や出雲国の出身と名乗る「ややこ踊」の座が出てきた。
その中のひとつ、「阿国歌舞伎」が評判になり、「かぶき踊」と呼ばれるようになった。
「かぶき者」に扮した女性が、きらびやかな衣装で登場する「茶屋遊びのまね」が、大人気となった演目。
(まさに、ミュージカル「阿国」の世界だ)

興味ぶかい「註」がある。
<覆面にヘルメット、右手にゲバ棒を持った70年代の全共闘も、この「ばさら」→「かぶき者」の系譜の末裔になる。 いずれ乱世が極まるであろうが、また新しい「ばさら」が現れるか。 ただし、今の「かぶき者」風の若者から、何か新しいものが産まれる気配はまだない。> P.50

もうひとつ面白い「註」が。
<そもそも「役者」は、寺社の祭祀儀礼の際に特定の「役」を持つ者の呼称だった。 それがしだいに例えば能役者のように、芸能をもって祭事に奉仕する者を指すようになった。> P.63

第三章 遊女に潜む霊妙なパワー
いくつかキーワードを。
後白河法皇、『梁塵秘抄』、大江匡房(まさふさ)、『遊女記』、『傀儡子記(かいらいしのき)』。
この後白河院というのが、なかなか魅力的な人物に思える。
もうひとり、後鳥羽院も。

<後白河院は、いろんな意味で、院政史上だけではなく、天皇制の歴の中でも特筆すべき異能の王であった。> P.82
その第一は、政治家としての力量。 平安末期から鎌倉幕府創設期に至る「武者(むさ)の世」の始まりを告げる大激動期に、権謀術数と果敢な行動力で、なんとか未曾有の難局を切り抜けた。
第二は、行真という法名を名乗って、旺盛な政治活動のかたわら、仏道に精進した。
33回とみられる熊野御幸を始め、生涯を通じて深く仏教を信仰した。
第三は、芸能の分野における功績。
院が愛好したのは、貴人にもてはやされていた芸能ではなく、下層の民衆の間で流行した俗謡、「はやりうた」だった。
<院は卑賤の女たちの「声わざ」を心から愛して、ついに『梁塵秘抄』の編纂を決意したのである。> P.84

第四章 「制外者」と呼ばれた遊女と役者
<「制外者」は「にんがい者」とも読まれていた。 その意は「人外」であって、人倫の理に背いていること、儒教的に言えば、人と人とのあるべき社会秩序から外れていることを意味した。> P.124
ここで、浅草弾左衛門が登場する。
この章の節題をあげておく。
 戦国期からの「河原者」の進出
 江戸幕府と近世賤民制
 三都を中心とした近世都市の成立
 都市設計の思想と「遊廓」の位置


第五章 特異な都市空間としての「悪所」
いま読んでいるところ。

この後、
第六章 <悪>の美学と「色道」ルネサンス
第七章 文明開化と芸能興業
 (巻末あたりでは、夏目漱石、永井荷風、徳富蘆花らも登場するようだ)
と続く。

いったんは、途中で投げ出そうかとも思ったが、だんだん面白くなり、はまってしまった。
なかなか人間味あふれる内容なのだ。
ちょっと難しいところもあるけれど。

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2007年9月 4日 (火)

【読】沖浦さんの新刊(続)

沖浦和光さんの、こんな本も出版されていたのだった。
Okiura_akusyo_2沖浦和光
 『「悪所」の民俗誌 色町・芝居町のトポロジー』
 文春新書 497 2006.3.20
トポロジー(topology)とは、位相数学(幾何学)、地勢学、という意味の言葉らしい。

いま読んでいる 『旅芸人のいた風景』 には、浅草弾左衛門とその配下の「非人」、「乞胸(ごうむね)」らの芸能民も登場し、私にとって、このうえなくおもしろい。
私の幼児の頃のかすかな記憶をたどってみると、流しの遊芸民がまだ身近にいたような気がする。

川端康成の 『伊豆の踊り子』 も、旅芸人一座とのふれあいの話だ。
そういえば、この有名な小説をきちんと読んでいない。
「物乞い、旅芸人、村に入るべからず」 と書かれた立札が、伊豆の村の入口にあったと、『伊豆の踊り子』 に書かれているという。

『「悪所」の民俗誌』 の帯の惹句もおもしろい。
 そうだったのか、ひとの世は!
 天に「星」あり、地に「悪所」あり
 賤視された「制外者(にんがいもの)」の聖なる世界

帯の裏には――
 中世の遊女は<聖性>を帯びていた
 出雲阿国はアルキ巫女だった
 悪所は、遊女町・芝居町とワンセット
 河原は、あの世とこの世をつなぐ
 などなど、<色><惡><遊>から読み解く日本文化

『旅芸人のいた風景』  目次から
遊行する渡世人 / 乞食巡礼と御詠歌 / 「辻芸能」としての大道芸 / 川端康成の『伊豆の踊り子』 / 宝塚歌劇、温泉、箕面の滝 / 修験道の行場と西国三十三所巡礼 / 芝居小屋と活動写真 / 最後の役者村・播州高室 / 村に旅の一座がやってきた / 一晩で出現する祝祭空間 / 舌先三寸の啖呵売 / 大道芸の王者「ガマの膏売り」 / ひとり旅の「フーテンの寅さん」 / 香具師の本義は愛敬芸術 / 市川団十郎のお家芸「外郎売り」 / 大江戸の辻芸――非人・乞胸・願人坊主・香具師 / 近世の身分制と芸人 / 香具師からテキヤへの「渡世替え」 / ヤブ医者・渡医者・辻医者

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2007年8月 2日 (木)

【読】小説・菅江真澄

Sugae_masumi_novelこれが、じつに面白い。
中津文彦 『天明の密偵 小説・菅江真澄』 (文藝春秋 2004年)
半分ほど読んだが、はたと膝を打つことが多いのだ。
実在の人物・菅江真澄をモデルにしたフィクションではあるが、当時の時代背景がていねいに描かれている。
老中 田沼意次が専横をきわめた時代、浅間山の大噴火(天明3年・1783)、天明の大飢饉(天明3~8年)、青嶋俊蔵、最上徳内らによる蝦夷地探索、・・・そうか、菅江真澄が生きたのはそういう時代だったのか。
蝦夷地の「お試し交易(試み交易)」といえば、1789年(寛政元年)には「クナシリ・メナシ」の反乱が起きている。
弾左衛門も登場する。 夷人(アイヌ)のイコトイも出てくる。
『蝦夷地別件』(船戸与一)や『浅草弾左衛門』(塩見鮮一郎)の時代と、ぴったり符号するのだ。
これまで関心をよせてきたいろいろなものが、この小説でいっきに繋がり、200年以上前の江戸時代のダイナミックなうねりが、目の前にひろがってくる。

― 作者あとがきから抜粋 ―
菅江真澄の名は、江戸後期の民俗学者としてつとに有名である。 生涯を旅にすごし、各地の風俗、民俗などを日記体で詳細に書き残した。・・・
真澄は、三十歳ぐらいのときに郷里を後にして生涯の旅に出るのだが、プライベートなことは何一つ明かさずに旅を続けており、日記にも綴っていない。・・・
この旅に出た目的を「日本中の古い神社を拝んで回りたいと思ったからだ」と真澄は述べている。 だが、どうやら蝦夷地(北海道)に渡ろうと決意していたふしが窺われる。 旅に出た当時は、折悪しく天明の大飢饉の最中だったし、信濃路を辿っていたときには浅間山の大爆発が起きたりした。 このため、ひどく困難な旅を強いられたのだが、それでも蝦夷地に渡る決意に揺るぎは見られない。・・・
当時の蝦夷地に、何かあったのだろうか。 そう思って調べてみると、意外な史実が浮かび上がってきた。 田沼意次が老中として絶大な権勢を誇っていた時代で、蝦夷地に巨大な陰謀を巡らしていたことがわかったのだ。 このことは、次の松平定信による政権下で抹殺され、歴史書にも登場しない。・・・

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