カテゴリー「こんな本を読んだ」の245件の記事

2009年11月14日 (土)

【読】さすが、船戸与一 (三都物語)

きのうから通勤の電車とバスのなかで読み継いでいる。
さすが、船戸さん。
ぐいぐいと引きこまれていく。

Funado_santo_monogatari船戸与一 『三都物語』
 新潮社 2003年刊

読みはじめてすぐに、巻末の「初出一覧」をなにげなく見た。

すべて「小説新潮」
 樫の扉の向こう  2003年2月号
 鉛の残光 1998年7月号
 落ちた柿の実 2003年6月号
 驟雨の夜 2001年9月号
 昏き曙 2002年8月号

おや、中編小説集なのか?
と思いながら、一作目、二作目と読みすすんでいくうちに、どうやら連作になっているようだと気づいた。
登場人物は、いずれもプロ野球関係者だが、暗い翳をひきずって生きている男たちばかりだ。
横浜、台中、光州の「三都」が舞台。


帯の文句の意味するところが、読んでいくうちにわかってきた。

 割れるような歓声さえ、魂の飢えを満たしはしない。
 横浜、台中、光州。
 異国の球場に招かれた助っ人たちが味わったのは、
 黒社会の触手、野球賭博の密、そして未だ癒えぬ内戦の匂い。


船戸ワールドは、奥が深いな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月11日 (水)

【読】船戸ワールドの魅力

残すところ100ページばかりとなった。
おもしろくてたまらない。

こういう小説をおもしろいと感じるかどうか、人それぞれの好みの問題であることはとうぜんだが、私にはたまらなく魅力的だ。

Funado_vietnam船戸与一 『蝶舞う館』
 講談社 2005年刊

船戸ワールドの一端を、登場人物の会話から。
船戸さんの歴史観、世界観がよくあらわれている部分だ。
長い会話なので、一部省略する(……の部分)。

 「……おれが東南アジアの現代史に興味を持ったのは祖父のことがあるからなんです。日本人は二百万人を餓死させたとされる占領政策でベトナム人には評判が悪い。しかし、……第二次大戦で日本軍が無条件降伏したあと、日本のインドシナ駐屯第三十八軍・独立混成第三十四旅団のうち七百六十六人がベトナムに留まった。フランスと戦うためにベトミンに入隊したんです。……つまり、ディエンビエンフーでのベトナムの勝利には少なからず日本人が貢献してる。独立混成第三十四旅団の参謀だった井川省(いがわあきら)という少佐はクァンガイ陸軍士官学校の創設に協力してます。そこで教育を受けた……がこう証言してる。ベトミンの青年は独立意識や社会主義の理想には詳しかったが、実戦の知識にはまるで疎かった。作戦命令書の作成。壕を掘る技術。戦闘指揮。夜間戦闘技術からゲリラ戦まで。それらは日本人を教師とするクァンガイ陸軍士官学校で教わったとね。……」
 「それで、きみの祖父というのは?」
 「戦死しました。井川省参謀とともにフランスのアンブッシュ攻撃を受けてザライ省の省都プレイクの近くで」  (本書 249ページ 第三章 殺戮の牙)

 「モンタニャール問題はベトナムのアキレス腱だ。……」  (321ページ 第四章 中部高原の渦)

 ※モンタニャールとは、ベトナムの中部高原地帯に住むバナ族やエデ族、ザライ族などの少数民族を指す。この小説の舞台。

 「きみと瀬戸くんの中部高原からの追放はベトナムという国家が命じてるんだ。国家の意思がそうである以上、もう動かすことはできない」
 「国家なんてただの幻想に過ぎない」
 「そのとおりだ、国家というのは幻想でしかありえない。だが、ベトナム社会主義共和国という幻想の背後には無数の死体が横たわってる。死者たちの霊によって支えられた幻想はそれなりの実体を持って機能する。軍隊やら公安局やらが現実の物理的な力を振るって動きだしているんだ。個人が国家に逆らえるわけがない」  (337ページ 同上)


船戸さんの長編小説には、いつもたくさんの参考文献が載っている。
幅広く綿密な文献調査と、徹底した現地取材に裏打ちされた小説世界なのだ。
ノンフィクションという形式をとらないのは、フィクションでしか語れないものがある――というのが船戸さんの考え方だ。

 →2009年2月20日 (金) 【読】もうすぐ読了(船戸与一『満州国演義5』)
   http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/5-2b45.html


私には、教科書的な歴史書や案内書より、船戸小説のほうがよほど信頼できるし、そこからたくさんのことを学んできた。
ここしばらくは、船戸ワールドに浸りたい気分である。
あらたにまた、数冊仕入れてしまった……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 8日 (日)

【読】船戸与一ワールドに戻る

船戸与一さんの本で、手元に何冊か、読んでいないものがある。
きのうから、これを読みはじめた。

じつは、三年前に買って、すこし読んだだけで投げだしていた。
 2006年10月19日 (木) 【読】600gの長編小説
 http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/600g_4460.html
たしかに、電車のつり革につかまったまま片手で読むには、ぶ厚く重すぎる。


Funado_vietnam_2船戸与一 『蝶舞う館』
 講談社 2005/10/26刊
 493ページ 1900円(税別)

60ページほど読んだだけだが、船戸ワールドにどっぷりと浸かってしまった。
現代ベトナムが舞台の、冒険小説。
ボリュームがある。

Amazon
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062131242

出版社 / 著者からの内容紹介
<大地の精霊たちの声が聴こえる。戦え、と。
船戸与一が初めてベトナムを描いた、圧倒的長編小説!
日本人有名歌手の誘拐。犯行声明で名指しされた元ジャーナリスト。民族解放戦線に「呼び出された男」が、ベトナム戦争のかつての激戦地で見せつけられる、途轍もない現実!??おまえは、「行動者」たることを選べるのか?戦いの傷が癒えないアジアの人々と、戦いを知らない日本人に捧ぐ。魂を揺るがす大傑作! >


ところで、さきごろ、船戸さんの健康に関して悪い噂を目にした。
ネット上の噂なので、ほんとうのところはわからないが、気になってしかたがない。

『満州国演義』 の続巻(第6巻)が、この冬に出版されるという予告が、第5巻の帯に書かれていたのだが……。
どうなるんだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年11月 6日 (金)

【読】読了 『貧民の帝都』(塩見鮮一郎)

これも日数がかかったが、今日、帰りの電車のなかでようやく読みおえた。

Shiomi_hinmin_teito_2『貧民の帝都』 塩見鮮一郎
 文春新書 2008/9/20刊
 251ページ 770円(税別)

東京養育院という、明治5年(1872)に創設され、平成9年(1997)まであった施設の歴史を詳細に綴った本だ。
この施設は、「首都の窮民や、病者、障害者や老人の救済」を目的としたものだった。

著者は、まえがきでこう言う。

<養育院の創設を福祉関係の人がかたるとき、しばしば非人の組織との関連が無視される。ふれてもお座なりで、お茶をにごしている。その悪弊を廃し、江戸とのつながりをここでは明確にしたい。養育院は文明開化のもとでの「鬼っこ」、富国強兵の「足手まとい」として存在したが、やがて市民社会になくてはならない一時期がくる。その変遷と変質の意味を問い、大都市がいやおうなく抱えこむ無収入・無住居の人びと、こじきとかルンペンとか浮浪者、いまではホームレスなどと呼ばれる難民について考えた。>  (本書 P.3)

とても真面目な内容なので、読み通すのはちょっとしんどかった。


終章 「小雨にふるえる路上生活者」 という文章が、私の胸を打った。
すこし長くなるが、転載して紹介したい。

<春なのに強烈な低気圧が接近して荒れ模様だ。マフラーをしてくればよかったと、老人のわたしは思った。駅を出てすぐに高速道路の下の横断歩道をわたった。霧雨がふりはじめて空気がつめたい。むこうからくる人が傘をさしている。わたしは折りたたみの傘をバッグから出すかどうかまよったが、待ち合わせの場所はすぐそこなので足をはやめた。中央分離帯のスペースに黒っぽい姿があった。歳は五十か六十か、男はかじかんだ手で足にビニールの透明なふくろをまきつけ、高架のわきからふきこんでくる雨つぶてをよけようとしている。>

<「さむいね」 目があったので小声でいった。 男に反応はない。言葉が通じるだろうかという躊躇がこちらにあるのとおなじで、むこうもなにも期待していないし、つよい警戒心をいだいている。路上生活者にとって、わたしは別世界にいる別種の人間で、いつ高圧的になるかしれない。おたがバリアで体と精神を守りながら相手をみているのだから、コミュニケーションの成立はむつかしい。男の髪はもじゃもじゃに乱れてべとつき、顔も黒くよごれていたが、目にはまっとうな光があった。なぜもっとあたたかいところをさがさないのか。こんなふきっさらしのコンクリートの地面では段ボールすらなくては、真冬でなくても凍死する。そんな腹立ちが生まれたが、わたしは赤信号になるまえに横断歩道をわたろうといそいだ。>

<目的の店に入り、あたたかい空気につつまれてから、不意に悔恨の情にとらわれた。ああ、なんで千円札の一枚をわたして、「酒でも買って体をあたためてくれ」といわなかったのだろう。あのときなにかしてあげたいと心のどこかが叫んでいたのに、それをしなかったのは、そうする習慣がいまの社会にないという、ただそれだけのことだ。母が花売りからだまって野の草を買ったように、仏教のほどこしの文化がまだのこっていたならカネをすなおにわたせた。>

<「同情」とか「あわれみ」の気持を封じるものが近代の思想にはかくされていた。個人主義の社会を確立するためには、べたっとした温情主義をつよく批判する必要があったのかもしれない。……>

<……小雨がぱらつくなかでふるえている男になにがしかの援助をするのはけっしてまちがいではない。ワンカップの酒が一夜の延命にしか役にたたない対症療法にすぎなくても、そうしないよりはしたほうがいい。拒絶するかどうかはむこうの考えにまかされるから、人格の尊厳はまもられる。わたしが路上にうずくまる側ならば、涙がでるおどうれしいだろう。「ありがとうございます」と、頭をふかくさげていただく。>  (本書 P.239~242より)


私が、塩見さんと同じ場面に遭遇したら、どのように感じ、行動しただろうか。
千円札一枚を、ごく自然に、この路上生活者に「恵む」ことができるだろうか。

私もまた、そういう行為を「偽善的」だと考えて、自分のこころに自然に生じた「同情」「あわれみ」の感情に蓋をし、見なかったことにして通り過ぎてしまうだろうか。
暖かい店にはいって、こころの片隅にひっかかった、垢だらけの男のことを気にかけるだろうか。
それとも、何も感じないのだろうか。

この本を読みおえて、しばらく考えさせられたのである。

いつから、この国では、困っている人を見捨てるようになってしまったのだろう。
「助けあい」 という言葉は、死語になってしまったのか――なんて、おおげさなことも考えてしまった。


さて、次は、軽めの本にしよう。疲れた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月30日 (金)

【読】期待を超えるおもしろさ

今日から読みはじめたばかりで、まだ40ページほどしか読んでいないけれど、期待していた以上におもしろい。

Shiomi_hinmin_teito_2『貧民の帝都』 塩見鮮一郎
 文春新書655 2008/9/20
 770円(税別)

まえがき(序章 山手線の男)から、興味ぶかいエピソードが語られる。
私にも経験があるが、混雑する電車のなかにひと所だけ人が寄らない空間ができていることがある。
そこには、煮しめたような服をまとい、シートをひとりじめして眠っている人がいる。
まわりには、ぷーんと、異臭がただよっていたりする。

いまは 「ホームレス」 などという、なんだかインチキくさい呼び方になっているが、こどもの頃、ルンペンとかホイト(私の田舎ではそう言っていた)と呼ばれる、住む家をもたない人がけっこういたものだ。
いまでも、街でみかけることがある。

著者の塩見さんは、こどもの頃からそういう人たちに、人一倍魅かれていたという。

<わたしは十代のころから困窮者が気になって仕方がない。自分でも理解できないのだが、戦後すぐのころに幼少期をすごしたからだろうか。まわりにはいつも戦災孤児がぶらついていたし、白衣か軍服の傷痍軍人がいた。おさない子の手を引きながらゴミ箱を漁っている母親も見た。みだれた白髪の老婆が闇市で食べ物のかけらをさがいていた。少年のわたしも着の身着のままでハダシだったが、かれらから目が離せなくなる。じっと観察している。> (本書 「序章 山手線の男」)

<日比谷公園で、隅田川河畔で、山谷掘のあたりで、すこしむかしのことだが、わたしはなんどか路上生活者と会話をかわしている。世間話ですむこともあれば、酒かタバコをねだられるケースもあった。たまに険悪な雰囲気になったが、それはかれらが泥酔しているときだけだ。ふしぎなのは、ふつうに話すことができても理解がいっこうにふかまらない。ディスコミュニケーションを確認する結果になった。……> (同上)

― 目次より ―

序章 山手線の男
一章 混乱と衰微の首都
 こじきの新都/三田救育所と浪人保育所/明治二年の大窮状/麹町と高輪の救育所/町会所と寄場と溜
二章 困窮民を救え
 維新後の町会所/営繕会議所/露国皇太子来朝/浅草溜時代/工作所と日雇会社
三章 さまよう養育院
 上野護国院時代/育児院や訓蒙院の誕生/神田和泉町へ/渋沢栄一のたたかい/本所長岡町時代
四章 帝都の最底辺
 四大スラム――鮫ヶ橋、万年町、新網町、新宿南町/感化院と全生園/孤児救済と救世軍/大塚本院と別院/スラムの賀川豊彦
五章 近現代の暗黒行政
 関東大震災と移転/『何が彼女をそうさせたか』/戦時下の養育院/一億の浮浪者/いじめと無策の果て
終章 小雨にふるえる路上生活者


この目次をながめて興味のわく人は少ないと思うが、ほー、と思われた方は、ぜひ書店や図書館で手にとっていただきたいと思う。
べつに、誰かれかまわず推奨する気はないが。

この本には浅草弾左衛門(十三代、弾直樹)の名もでてくる。
(江戸時代に関東地方の賤民を統括)


街を歩けば、きらびやかな服装をまとい、お金に困っていない顔をした人びとばかりだが、いまの東京も、この本に書かれた時代とさほど変わっていないと思う。
ひと皮むけば――のはなしだが。

ちょうど、きれいに舗装された街のアスファルトやコンクリートをはがせば、そのすぐ下には、昔から堆積された地層があるように。


ふと、いま、こんな詩をおもいだした。
高田渡さんが、すこし歌詞を変えて歌にしている。

 歩き疲れては、
 夜空と陸との隙間に潜り込んで寝たのである
 草に埋もれて寝たのである
 ところ構はず寝たのである
 寝たのであるが
 ねむれたのでもあつたのか!
 このごろはねむれない
 陸を敷いてはねむれない
 夜空の下ではねむれない
 揺り起されてはねむれない
 この生活の柄が夏むきなのか!
 寝たかとおもふと冷気にからかはれて
 秋は、浮浪人のままではねむれない。

   山之口貘 「生活の柄」
    (思潮社 現代詩文庫 1029 「山之口貘詩集」)

山之口貘(1903-1964)という沖縄出身の詩人も、若いころ、土管のなかで寝るような生活をしていたという。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月29日 (木)

【読】読了 『禁じられた江戸風俗』

なかなか本が読めない生活が続いているが、一週間以上かけて読みおえたのがこれ。

Shiomi_edo_huuzoku『禁じられた江戸風俗』 塩見鮮一郎
 現代書館 2009/8/20刊
 213ページ 1800円(税別)

塩見鮮一郎という人は、『浅草弾左衛門』 という本で知った。
浅草弾左衛門については、このブログでカテゴリーをたてているので、興味のある方はご覧いただきたい。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/cat8007726/index.html

この本は、帯に書かれているように、江戸(天保)の事細かな禁令風俗を検証したもの。
エキサイティングな内容だった。
カバーの絵は、歌川国芳の「ひとをばかにしたひとだ」というだまし絵。
「天保の改革」で役者絵が禁じられていた頃、これに反発した浮世絵師が描いた。

本書の内容から離れてしまうが、あとがきに、うれしいことが書かれていた。
何がうれしいかって、私の住む町の図書館がでてくるのだ。

<あとがき  小平中央図書館は市役所と西武多摩湖線をまたいだ位置にある。二十数年まえのわたしは自転車でよく通った。完成してまだ間もないのか、きれいで気持ちがよかった。開架の書棚がひろくて、『賀川豊彦全集』までもがならんでいた。それよりも、二階の辞書や事典、古地図や復刻本、和漢書の、ふつうは目にふれないような本がひょいと手にとれるのがいい。……>

その通りなのだ。
この図書館の二階には、貴重な資料がたくさんあり、しかも貸出しているものが多い。

塩見さんは、続けてこう書いている。

<わたしのように大学の図書館の恩恵に浴せなかった者は、これでじゅうぶん、宝の山である。それを思い出して、ネタ探しにでかけた。/なん年ぶりだろう。/七十パーセントぐらいの本がむかしの場所にあった。歴史や民俗など、頭によみがえった本を確かめに書棚にむかうと、なんとハチ公のようだ。ちゃんとまっていてくれた。>

この二階でみつけた、東京大学出版会の『大日本近世史料』のうちの「市中取締類集」が、この本を書くきっかけになったという。

図書館好きにはうれしい話だ。
引用が長くて、ご退屈さま。
(ここまで読んでくださった方に、感謝)


そういえば、同じ著者のこんな本も買ってあった。
読んでみようかな。

Shiomi_hinmin_teito『貧民の帝都』 塩見鮮一郎
 文春新書(文藝春秋) 2008/9/20刊
 251ページ 770円(税別)

<明治期、東京に四大スラムが誕生。維新=革命の負の産物として出現した乞食、孤児、売春婦。かれらをどう救うか。渋沢栄一、賀川豊彦らの苦闘をたどる。近代裏面史の秀作。> (本書カバーより)

<東京はスラムの都だった 日本を近代国家に! 首都にあふれる生活困窮者を救え! 時代の大波に振り落とされる人々の群れ。 奇案、姦計が入り乱れる救済策。 東京のかくしておきたかった<過去>……> (本書帯より)

塩見さんの、地べたから見あげるような視線が、私は好きなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月20日 (火)

【読】読了 『日本残酷物語 1』

ひと月近くかけて、ようやく読み終えることができた。
読むのはしんどかったけど、おもしろい本だったな。

Nihon_zankoku_monogatari_1_2『日本残酷物語 1 貧しき人々のむれ』
 平凡社ライブラリー
 平凡社 1995年初版第1刷/2002年初版第9刷
 宮本常一・山本周五郎・揖西光速・山代巴=監修
 B6変形判(16.0cm) 総ページ544
 1359円(税別)

[要旨]
日常的な飢え、虐げられる女や老人、掠奪やもの乞いの生涯、山や海辺の窮民…ここに集められた「残酷」な物語は、かつての日本のありふれた光景の記録、ついこの間まで、長く貧しさの底を生き継いできた人々の様々な肖像である。 
[目次]
第1章 追いつめられた人々;第2章 病める大地;第3章 弱き者の世界

内容が幅広く、重いので、かんたんに紹介することはむずかしい。
<これは流砂のごとく日本の最底辺にうずもれた人々の物語である> という、「刊行のことば」 を引くしかない。

うーん、続編があと4巻もあるのだが、とうぶん読めそうもないな。
(以下、e-honサイトより、[要旨]は「BOOK」データベース)

『日本残酷物語 2 忘れられた土地』
[要旨]
離島、マタギ・木地屋などの住みなす山間の地、「新天地」北海道など、かつて粗かった交通・通信の網の目をこぼれ落ちた地域が、列島中に散在していた。そこには、過酷な自然を相手に黙々と闘う人々の暮らしがあった。
[目次]
第1章 島に生きる人々;第2章 山にうずもれた世界;第3章 北辺の土地

『日本残酷物語 3 鎖国の悲劇』
[要旨]
外に向かう自由なエネルギーを封じられ、抑圧と束縛の中を生きた人々、禁教下のキリシタン、漂流民、流刑者、また身分制の重石を一身に受けた者ら、そしてその苦闘は、近代の幕開きとともに終わったのではなかった。
[目次]
第1章 禁制をおかす者;第2章 国を恋う人々;第3章 領国の民;第4章 身分制のくさり

『日本残酷物語 4 保障なき社会』
[出版社/著者からの内容紹介](Amazon)
明治維新とそれに続く近代化の激変に翻弄される人々。「血税」に恐怖し、入会地を失い、ラシャメンに身売りし共同体の崩壊により流離の境涯に落ちる巨大な群。
[目次]
第1章 過渡期の混乱;第2章 ほろびゆくもの;第3章 流離の世界

『日本残酷物語 5 近代の暗黒』
[要旨]
急激な「近代化」は、その真っ只中に巨大な暗黒を抱えて進んだ。都市のスラム、使い捨ての女工たち、タコ部屋や坑内の過重労働、・私刑・死…その暗黒を生きた人々、忘れられた私たちの隣人の多様な生。
[目次]
第1章 根こそぎにされた人々;第2章 地のはての記憶;第3章 大地のうめき;第4章 狩りたてられた者

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月16日 (金)

【読】【楽】ピーター・バラカン(続)

Peter_barakan_black_musicピーター・バラカン 選
 『ブラック・ミュージック』

  ― アフリカから世界へ ―
 Gakken 2009/9/28 第1刷発行

アフリカ的な要素をもった音楽、それが「ブラック・ミュージック」ということだろう。
この本で紹介されている音楽のほとんどは、私には未知の世界で、それだけに刺激的だ。

ジャズと呼ばれる音楽にも、とうぜんのことだが、アフリカ的要素が色濃くみられる。
ピーター・バラカンさんが紹介している(彼のお気に入りの)ジャズのアルバムのなかには、私が好んで聴いてきたものもいくつかある。
そんなページにぶつかると、嬉しくなる。

(アルバムジャケット画像はAmazonから拝借した)

51by3spj8el__sl500_aa240_Albert Ayler Trio  Spiritual Unity
 アルバート・アイラ・トリオ
 スピリチュアル・ユニティ

<アルバート・アイラは音楽でフィ-リングが肝心だと言ったそうです。ある意味で当たり前な発言かもしれませんが、ジャズの世界では技術だけを重視する向きもありますから、ゴスペルのようなフィーリングを持って完全にフリーに吹きまくる彼のテナー・サックスを受け入れない人も少なくないでしょう。無理に説得するつもりもありませんが、この人のサウンドそのものはとても魅力的です。太くて、ヴィブラートがかかっていて、優れたソウル・シンガーにたとえてもいいと思います。>

Albert_ayler_ghostsこのアルバムには、「ゴースツ Ghosts」という、アイラの代表曲が二つのヴァージョンで収録されている。
ピーターさんは 「非常にかわいらしいメロディ」 と評しているが、うまい表現だと思う。
私もこのアルバムが好きだが、「かわいらしいメロディ」 という言葉を、これまで思いつかなかった。
それはそれは単純だが、忘れられないメロディ(テーマ)なのだ。

You Tube
 Albert Ayler - Spiritual Unity - 04 - Ghosts_second variation Visit my website:
http://www.youtube.com/watch?v=_gYdekQUcUU


51wr26rp8kl__sl500_aa240_John Coltrane  Live At The Village Vanguard
 ジョン・コルトレイン
 ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード

あまりにも有名なこのアルバムを、堂々と推薦しているところがかえって小気味よい。
エリック・ドルフィが好きな私には、彼が参加しているこのアルバムは愛蔵盤の一枚。

<中学生の時に友だちに聴かされたこれをすんなり好きになって、いまだにコルトレインの中で最も馴染みのあるアルバムです。録音された当時これは最先端の音楽で、彼の自由な即興を拒絶したジャズ・ファンもいたわけですが、今は聴きやすい感じがするほどジャズの概念が大きく変わりました。>


もうひとつ、「第1章 アフリカ」 「南アフリカ」 の冒頭でのインタビューに、ピーターさんらしさがよくでていると思うので紹介したい。

<やっぱりポリリズムというのはアフリカの音楽には不可欠な要素なので、いったんその面白さをつかめたら、アフリカの音楽にどんどんハマっちゃうと思いますよ。/ただ、ロックの1、2、3、4というリズムしか知らない人だと、身体にすぐにはなじまないかもしれません。……73年だったかと思いますが、僕の弟がやっていたグループのドラマーと一緒に、ドクタ・ジョンとアラン・トゥーサンとミータズの出るライヴにいに行ったことがあるんです。>

<僕はもう彼らのレコードも聴いているし、大好きだったんですが、でも隣にいる彼は、ミータズのドラムがヘタだというんです。リズムが合っていないというんですね。ほとんどロックしか聴いていない人間は、ニューオーリンズのあのシンコペーションを聴いてもヘタくそに聞こえちゃうわけです。>

<普通のジャズを聴いているかなり専門的な知識を持った人でも、セロウニアス・マンクを始めて聴いたときに、あのピアノがヘタくそに、音が外れて聞こえてしまうということはあるものです。マンクが自分なりにアフリカ的な音感をピアノで出そうと思って隣りあった音を弾いているということがわかる人とわからない人がいて、わからない人の方がはるかに多かった。……>  (インタヴュー●アフリカ2 アフリカ音楽の魅力を探る)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月15日 (木)

【読】【楽】ピーター・バラカン

今日、本屋に立ち寄ったところ、こんな面白そうな本がみつかった。

Peter_barakan_black_musicPETER BARAKAN
 200CD+2 BLACK MUSIC
ピーター・バラカン 選
 『ブラック・ミュージック アフリカから世界へ』

 Gakken 2009/9/28 250ページ 2100円(税別)

ピーター・バラカンさんが選んだ、ブラック・ミュージックのCD紹介。
いいガイドブックだと思う。

アフリカ(西アフリカ、南部アフリカ、中央アフリカ、東アフリカ)、カリブ海/ラテンアメリカ(カリブ海、ラテンアメリカ)、アメリカ(ニュー・オーリンズ/ルイジアナ、ブルーズ/R&B、ジャズ、ゴスペル/ソウル/ファンク)。
このように分類され、さまざまなCDが紹介されていて興味ぶかい。
ほとんど私のよく知らないミュージシャンばかりだが、聴いてみたいものがたくさんある。
バラカンさんを信用して、おすすめCDをすこしずつ買って聴いてみようと思う。

ところで、バラカンさんは、英語の日本語(カタカナ)表記に強いこだわりがあり、bluesはブルー、Miles Davisはマイル・デイヴィス、Thelonious Monkはセロニアス・ンク、Jimmy Smithはジ・スミス、といったぐあい。
何もそこまで、と思うものの、納得できる。

Peter_barakan_mokey_money『猿はマンキ、お金はマニ』
 ― 日本人のための英語発音ルール ―
 ピーター・バラカン  NHK出版
 2009/1/25 127ページ 800円(税別)

この本もおもしろかった。
私たちの英語の発音がいかに奇妙なものか、痛感したものだ。

はなしは横道にそれるが、バラカンさんは私と同い年だ。
音楽に関して、信頼できる人だ。
土曜日の朝、NHK-FMで放送しているバラカンさんの音楽番組は、週末の楽しみで、毎週愛聴している。

NHK-FM : WEEKEND SUNSHINE DJ: PETER BARAKAN
http://www.nhk.or.jp/sunshine/pc/

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月 3日 (土)

【読】ひさしぶりに勢古浩爾さんの一冊

『日本残酷物語 1』(平凡社ライブラリー)を読みつづけているが、そのあいまに、こんな本も。

Seko_iyana_yononaka勢古浩爾
  『いやな世の中 <自分様の時代>』
 ベスト新書 KKベストセラーズ
 2008/4/14 742円(税別)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4584121842

あいかわらずの勢古節が痛快だ。

<だいたい、だれもかれもが「様」になりたがりすぎである。というより、いつのころからか、客商売の人間たちから「様」扱いをされるようになって、そうか、おれは「様」なのかとわたしたちはのぼせあがったのである。そりゃそうだよな、お客様は「神様」だもんな(ほんとは「金様」ね)、と調子に乗ったのである。>

<近年における気の利いたふうな言葉の第一位は、なんといっても「自分らしさ」であろう。大ヒットである。二位が「楽しみたい」か。「地球(環境)にやさしい」「人にやさしい」の「やさしい」もあるな。そして三位は「がんばらない」と同率の「元気をもらった」「勇気をもらった」であろうか。>

<すこし前だったら「感動をありがとう」がヒット作であった(いまも生き延びている)。なにがありがたいんだか。いちいち「感動した」と口に出していうものではないと思うが、それもいうなら「感動した」だけで充分である。なんだ「ありがとう」って。もらってばかりじゃないか。>

次から次と、まことに気もちがいいが、勢古さんは根がまじめな人なので、ほんとうに言いたいことは次のようなセンテンスにこめられていると思う。
なにやら最近の五木寛之に似てきたような気もするが。

<努力しても報われない。人生は自分の思い通りにならない。裕福にはなれない。宝くじにはあたらない。健康は損なわれる。失恋する。傷つく。コケにされる。挫折する。なりたいものになれない。年老いて醜くなる。だれも認めてくれない。すべて、あたりまえのことである。
 それでも生きる。自棄になることは簡単だ。それでもまっすぐに生きる。生きられなければ、それでもいい。よくはないだろうが、是非もない。>

目次より
 第1章 蔓延する「自分病」
 第2章 空々しい言葉は聞き飽きた
  「美しい国」にげんなり/「セカンドライフ」が白々しい/いい気な「おひとりさまの老後」
  「夢を持て」という強迫/「元気をもらった」が暑苦しい 等々
 第3章 あえて時代に遅れる
 第4章 「低く暮らし高く思う」人生

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月24日 (木)

【読】ようやく読了 「赤い人」(吉村昭)

本がなかなか読めない生活が続いている。

この本も、読みはじめてから十日もかかっただろうか。
最後は北海道にまで持っていって、飛行機の中で読んだりしていた。

今日、ようやく読了。
じつに面白い小説だった。

Yoshimura_akaihito_2『赤い人』 吉村昭
 講談社文庫 1984/3/15
 265ページ 495円(税別)
 親本 1977年11月 筑摩書房刊

「赤い人」とは、朱色の囚人服を着た明治の囚人をさす。
北海道にあった「樺戸(かばと)集治監」が舞台だ。
道路もできていない明治初期、ここに収容された囚人たちの犠牲によって、北海道の道路は開拓された。
吉村昭の筆運びは淡々としていて、私は好きだ。

<樺戸監獄の関係書類は旭川監獄に映されたが、それらの書類に記録されている共同墓地に埋葬された囚人の遺体は千四十六体で、そのうち遺族に引き取られたのは二十四体に過ぎない。死因は、心臓麻痺が八十三パーセント強にあたる八百六十九体、逃走にともなう銃・斬殺、溺死、餓死及び事故死、自殺が百十三体、その他四十体と記されている。> (『赤い人』 講談社文庫 P.245) 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月 2日 (水)

【読】江戸時代のエコロジー

執筆陣に萱野茂さんの名前があったので、図書館から借りて読みはじめた本。
いい本なので、ネット販売で新本を入手してしまった。

Edojidai_kankyo_hozen『江戸時代にみる 日本型環境保全の源流』
 農文協【編】  農山漁村文化協会
 2002/9/30発行  282ページ 1619円(税別)

序章に、石川英輔さんの「環境問題で悩まない100万都市江戸の社会システム」という一文がある。
内容は、石川さんの別の著書に書いてあったのと同じなので、このブログで紹介したことがあるかもしれない。
「ミクロコスモス」のことや、同時期のヨーロッパの都市との比較、それに、石川さんの悲観的な(しかし納得できる)未来観など、興味ぶかい。

<人間の肉体は、旧石器時代あたりの自然環境に適応しているので、厳しい環境に対しては極めて抵抗力が強く、飢餓状態の時にはいろいろなホルモンが分泌されて栄養不良に耐えられるようになている。ところが、栄養の取りすぎに対しては、ほとんで抵抗力がなく、……(中略)……/おかげで、三十年前には老人病といわれた症状が四十代から現れるようになって成人病と呼ばれ、ついには十歳前後の小児成人病患者まで増えて来た。(後略)>

<それでは、いったいどうすればいいのだろうか。/このまま進むほかないというのが私個人の結論である。出発点から間違っていた現代文明がにっちもさっちも行かなくなる時は、それほど遠くない将来に迫っているはずだ。/よほどひどい目にあってこりない限り人類が愚行を止めないことは、これまでの歴史が証明している。にっちもさっちも行かなくなるその日まで、正しいと信じている現在の方向へ日本人やアメリカ人が先頭に立ってまっしぐらに進み、いよいよこのままではどうにもならないことが本当にわかるまでけっして止まらないし、方向転換を真剣に考えるはずもない、と予想するのがもっとも自然ではなかろうか。>

いまさら江戸時代の生活に戻ることは不可能だが、これだけゴミを出し続ける(消費するだけで再利用・再生産を考えない)生活のスタイルが続くかぎり、人類の未来は暗い、と私も思う。
ペットボトルの「リサイクル」なんかじゃどうにもならないのだ。
それどころか、今いわれている「リサイクル」は、化石燃料(石油)をたくさん消費するらしい。

それでも、「江戸に学ぶ」ことは、今からでもできると思う。
江戸時代は、ほとんど「ゴミ」を出すことなく、徹底的に資源を再利用していたのだ。
それこそ、屎尿から紙くずから木を燃やした灰にいたるまで、利用しつくして、最後には自然に帰す仕組みがうまく働いていた。
ほんとうの意味での「リサイクル」(自然循環)。
現代とくらべてどちらが「環境に優しい」のか(イヤな言葉だ)、誰にでもわかるのだけれど、私も含めて、みーんな目をふさいで便利さを追い求めている。

現代の先進国と言われている世界の生活は、そもそも出発点から間違っている。
そう考えると、石川さんじゃなくても悲観的になってしまうだろう。

なんとかしたいなあ……。
こんなところで、ああだこうだとつぶやいてもどうにもならない、「人類」の大きなテーマなんだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月27日 (木)

【読】読了 「おれの二風谷」

読みやすい本だったので、私にはめずらしく三日で読み終えた。

Kayano_nibutani『おれの二風谷』 萱野茂 著
 すずさわ書店 1975年刊

アイヌ語を母語として育った萱野さんだけあって、アイヌ語の言いまわしや会話がふんだんにでてきて、生きたアイヌ語の勉強になる。
一話一話が、1ページからせいぜい4ページほど。
たくさんの逸話が掲載されていて、読みやすく、いい本だ。
単行本は入手困難なので、文庫ででるといいのだが。

<六月のシーズンになると、北海道のすずらんが環境客に喜ばれ、東京あたりでも北海道空輸のすずらんがもてはやされているようです。しかし、これも桜の花やまりもと同じく、アイヌはひとつも珍重せずに、「セタ プクサ」つまり「犬のプクサ」とかたづけてしまっていたのです。「プクサ」とは「行者にんにく」のことで、行者にんにくの葉がすずらんそっくりだったからでした。すずらんは人間が食えないものだから、「犬の行者にんにく」と名づけたのです。/また、行者にんにくのことを北海道に住んでいるシャモはアイヌねぎと呼んでいます。アイヌばかりが食ったわけではなく、昔は多くの開拓者がこれを食べて命をつないでいたにもかかわらず、かれら和人の開拓者やその末裔たちが侮蔑的にしか聞こえない呼び方をするわけです。(以下略)> (「観光用伝説 セタ プクサ」 P.264より)

こんな調子で、おだやかな口調ながら、言うべきことははっきり言う、萱野さんらしい語り口だ。


続いて、萱野さんのこの本を読んでみようと思う。

Kayano_ainu_minwa『炎の馬 アイヌ民話集』 萱野茂 著
 すずさわ書店 1977/5/20初版
 1998/2/25新装版第一刷
 299ページ 2000円(税別)

<アイヌの民話ウウェペケレは、一話一話のおしまいに教訓めいた言葉が入っているのが特徴です。それによって大人も子供も自然に善悪を知ることができるのです。/ウ=お互い、ウェ=それ、ペケレ=清らか――つまり、話を聞くことでお互いが清らかになるとアイヌは考えていたのです。> (あとがき より)

萱野さん自身が身近な古老(フチ)たちから収録し、日本語に翻訳した昔話=民話(ウウェペケレ)やカムイユカラと、フチたちが書き残したはなしをまとめた本。
登別、静内、沙流川地方の古老(お婆さん=フチ)たちの貴重な遺産だ。
萱野さんは、昭和35年から古老たちの話の録音を始めて、この本が出版された時点では、四百数十時間もの音源になったという。

巻末に、語り手のお婆さんたちが一人ずつ紹介されている。
黒川てしめさん、平賀さだもさん、金成まつさん(金田一京助の協力者であり、知里幸恵さんの叔母さん)、川上うっぷさん、西島てるさん、貝沢とぅるしのさん、福島そまてっさん、木村きみさん、貝沢こきんさん、木村まっとぅたんさん、木幡うもんてさん、鍋沢ねぶきさん、鹿戸よしさん、葛野きくさん。
アイヌの文化を大切にした、萱野さんらしい気配りだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月25日 (火)

【読】おれの二風谷(萱野茂)

ずいぶん前にはじめて読んだ本。
そのときは図書館から借りて読んだのだが、最近、ネット販売で古本を手に入れた。
今日から再読している。

Kayano_nibutani『おれの二風谷』 萱野茂 著
 すずさわ書店 1975/4/30発行
 278ページ 980円(税別)

故 萱野茂さんは1926年生まれだから、この本は四十台おわりの頃の著作。
読んでいて、なんとなく若々しい感じがする。
二風谷ダムが完成して間もない頃だ。

<昭和20年前後までは、沙流川にも川面に白く光って産卵を終えた鮭の体がたくさん浮いていたものです。現在はダムができて鮭も遡れなくなりました。ダムをつくるときは必ず魚道をつくるなどの配慮があってもいいと思うのです。> (「熊と鮭」 P.88)

「アイヌの内側からの目で見た昔の風習の一端を知ってもらえれば望外の幸せです」と、あとがきにあるように、萱野さんらしいおだやかな語り口で、往時のアイヌの人々の暮らしぶりが描かれている良書。
各章の扉に添えられている貝沢美和子さんのイラストが、いい。

― 目次より ―
水の神/木彫りと私/イナウ/よもぎの力/疱瘡/葬式/熊と鮭/自然とアイヌ/火事/宝物/神の囁き/まじない/不思議な話/姦通の罰/アイヌ/アイヌ的表現/悪口/子供の遊び/想い出話/蛇の話/観光用伝説/地名と伝説/アイヌの苗字

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月21日 (金)

【読】暑い夏の読書

毎日暑くて、本もなかなか読めない。
お盆休みのあいだ電車もすいていて、国分寺駅からいきなり座れたりして良かったのだけれど、本を読みはじめてもすぐに眠くなってしまう。
困ったものだ。
こうなると、早く涼しくなってほしいと思う。
勝手なものだ。


ボリュームがあって読むのに一週間かかったが、いい本だった。

Chikappu_moritodaichi『森と大地の言い伝え』
 チカップ美恵子 編著  北海道新聞社
 2005/3/3 初版発行  333ページ
 1800円(税別)

第一部 森に宿る言霊(ことだま)
チカップさんの伯父(母の長兄)にあたる、山本多助さんの『釧路アイヌの昔話と伝説』(第一巻、第二巻)から。
第二部 故郷の記憶
チカップさんの母親、伊賀ふでさんが晩年に執筆した子どもの頃の体験記。

気負わず、淡々と語られる昭和の頃のアイヌの人たちの暮らしぶり。
文章も嫌味がなく、読みやすかった。
以下、目次から章題。

はじめに(チカップ美恵子) 伯父・山本多助の思い出
第一部 釧路アイヌの系図と伝説/釧路川とカムイ・ト(神の湖)/釧路地方のアイヌ遺跡/アイヌ民族の流儀/樺太を旅して
第二部 祖母の思い出/母と歩いた道のり/兄たちとともに/兄・多三郎の葬儀
あとがきにかえて(チカップ美恵子) 心に残る旅探し

巻末に、「山本家先祖の名称と20代目からの系図」が掲載されている。
文字をもたなかったアイヌの人々は、口承で先祖の系図を伝えてきたという。
山本多助・ふで兄妹の代から四代までさかのぼって詳しく書かれた系図に驚く。


アイヌ民族の口承文芸のすばらしさを、もう一冊の本で味わっている。
これは、今日から読みはじめた。
長いあいだ、私の本棚にあったもの。

Yamamoto_tasuke_yukar_3『カムイ・ユーカラ アイヌ・ラックル伝』
 山本多助 著  平凡社ライブラリー
 1993/11/15 初版第1刷 2004/4/26 初版第7刷

山本多助さんが子どもの頃から慣れ親しんだユーカラ 十六篇(日本語訳)がまとめられている。
多助さんも、アイヌの文化遺産を後世に伝えようと努めた人である。

<アイヌ民族は自然の子です。/むかしのアイヌ民族は、狩猟民族として、自然の恵みに感謝しながら、そのおきてに従って、自由に生きていました。>

あとがき(おわりに)の冒頭に記されたこの言葉は、知里幸恵さんの『アイヌ神謡集』序文を思いおこさせる。

巻末、藤村久和さんの「解説――アイヌの語り」がためになる。

<アイヌの人々が伝承してきたものは、その内容も然ることながら、節つきの語り口調か、節なしの口調で演ずるかで物語全体の形式の位置づけが明確になることとなる。節をつけて英雄の一代記を語ったとすれば、それはユーカ、地域によってはハウキ・サコペなどと位置づけるのに、節をつけずに話し口調となれば、ウウェペケレ、イルパイェ、トゥイタ、イソイタッキなどということになるだけでなく、……>

ほんらい、アイヌの口承文芸は耳で聴くものなのだな。
文字にすると抜け落ちてしまうものが、たしかにある。
それは、人の息吹と呼べばいいのか。
魂、言霊(ことだま)と言ってもいい。

(左) 『アイヌ神謡集』 知里幸恵 岩波文庫
(右) CD 『「アイヌ神謡集」をうたう』 片山龍峯(復元)/中本ムツ子(謡) 草風館
 このCDはすばらしい。
 知里幸恵さんが文字で残したユカラを、ほんらいの謡(うたい)に復元しようとした試み。

Ainu_shinyou_2Ainu_shinyou_utau_3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月14日 (金)

【読】サハリン、アイヌ民族

この本がとてもよかった。

Tanaka_sakhalin『奇妙な時間(とき)が流れる島 サハリン』
 田中水絵 著  凱風社 1999/11/25発行
 262ページ  1800円(税別)

著者は「終戦のわずか三年後に生まれ」たというから、私よりも少し年上の「団塊の世代」のひとり。
一週間の予定でぶらっと訪れたサハリンに、その後六年にわたって何度も行っている。
現代のサハリンに住む人々との交流が、なんとも温かみがあって、いい。
コウイウヒトニワタシワナリタイ、と思うほどだ。

<ルーブル切り下げの一か月ほど前、私はユジノサハリンスク市のレーニン通りにある美術館、かつての「北海道拓殖銀行豊原支店」の石造りの建物の前に立っていた、かつて、樺太の経済を支えたこの銀行は、前年、つまり1977年11月、経営破綻から解体していた。日本中でバブルがはじけていた。/旧銀行の前で私は思った。この私もバブルだったと。私は終戦のわずか三年後に生まれ、日本の急速な経済的発展に乗っかり、共に年を重ねてきた。ぬくぬくと、ふわふわ生きてきた。戦争も、父が戦争に行ったことも、私には遠い遠い昔話だった。>

<サハリンに渡るたび、私は無意識に感じていた自分というバブルの空洞が少しずつ埋まっていくのを感じた。>

<サハリンから帰るたび、私は奇妙な時間(とき)が流れているのは、海峡のこちら側、日本の国だと感じる。この国に流れている時間は、決して消えない過去を忘れ、おかしな方向に流されているのではないか。>  (以上、あとがきより)

田中水絵さんには、興味ぶかい訳書がある。
読んでみたいが、値がはるので考え中。
この町の図書館にも置いていない。残念。

『沿海州・サハリン近い昔の話―翻弄された朝鮮人の歴史』
 アナトーリー・T・クージン (著)/ 岡 奈津子・ 田中 水絵 (訳)
 凱風社 1998/7月発行  317ページ 3500円(税別) 
Amazon
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/477362213X

出版社/著者からの内容紹介
ロシア極東の朝鮮人が、どのように中央アジアやカザフスタンへ強制移住させられたのか、日本によってサハリンに連れてこられた朝鮮人はなぜ、祖国に帰れなかったのか。サハリン在住の研究者がソ連時代の公文書をもとに著した過去の「真実」。 
I:ロシア極東の朝鮮人●1862~1937年(移住の始まり/法的問題/文化の発展 ほか)
II:サハリンの朝鮮人●1870~1992年(サハリン人として生きて/強制移住と弾圧 ほか)

e-honサイト
 http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000030426254&Action_id=121&Sza_id=E1

凱風社
 http://www.gaifu.co.jp/
 http://www.gaifu.co.jp/books/ISBN4-7736-2213-X.html


田中水絵さんの本に続いて、いま読んでいるのがこれ。

Chikappu_moritodaichi『森と大地の言い伝え』  チカップ美恵子 編著
 北海道新聞社 2005/3/3発行
 333ページ  1800円(税別)

チカップ美恵子さんは、アイヌ文様刺繍家。
山本多助さんの姪であり、母は伊賀ふでさん(山本多助さんの妹)。
この本は、「第一部 森に宿る言霊」 が山本多助さんの著作 『釧路アイヌの昔話と伝説』(第一巻、第二巻)から。
「第二部 故郷の記憶」 は伊賀ふでさんが晩年に執筆した子どもの頃の体験記をまとめたものだという。

ずいぶんまえに手に入れ、ずっと本棚でねむっていた本だが、山本多助さんが昭和11年に樺太を訪れたときのはなしが載っていたのこともあって、このところの私の中の 「樺太熱」 の延長で読みはじめた。
山本多助さんの文章がいい。
アイヌ民族の歴史がよくわかる好著。


このほか、最近になって古本屋でみつけた本がある。

Ooe_shokuminchi『日本植民地探訪』  大江志乃夫 著
 新潮選書  1998/7/30発行
 492ページ  1600円(税別)

サハリン、南洋諸島、関東州、台湾、韓国、北朝鮮と、かつて日本の植民地だった土地を探訪した記録である。
中身が濃くボリュームもあるため、読むのはたいへんそうだが、いつか読んでみよう。
大江志乃夫さんの本は、ずいぶん前に一冊だけ読んだことがある(日露戦争に出征した兵士たちの手紙のはなし)。
信頼できる人だと私は思う。

田中水絵さんの本に何度もでてきた逸話だが、この大江さんの本も、岡田嘉子と杉本良吉の北緯五十度線越境(ソ連への亡命)の話からはじまっているのが興味ぶかい。


Yamashita_ezo_daimyou『北海道の商人大名』  山下昌也 著
 グラフ社  2009/4/5発行
 278ページ  1400円(税別)

今日の昼休み、職場の近くにある BOOK OFF で目にとまった。
題名にひかれて手にとってみると、なかなかおもしろそうなのだ。
江戸時代の松前藩の話だ。
とうぜんのことだが、アイヌ民族との確執についても詳しく書かれている。

松前藩は、他の藩とちがって米を基盤にしない大名だった。
当時の蝦夷地は米がとれなかったため、「○○万石」という石高がなく、米の代わりに商売で得た利益で藩を経営していたのである。
グラフ社という出版社ははじめて目にしたが、なかなかしっかりした内容だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月 7日 (金)

【読】樺太、敗戦直後

ちょうど去年の今頃、買ってあった本を、ようやく読みはじめた。

【読】さらに二冊  2008年8月21日 (木)
 http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_8880.html

Eiketsu_no_asa『永訣の朝 樺太に散った九人の逓信乙女』
 川嶋康男 著  河出文庫
 2008/8/10初版発行 244ページ 720円(税別)

親本
 『「九人の乙女」はなぜ死んだか』 (恒友出版、1998年)
 『九人の乙女一瞬の夏』 (響文社、2003年)

そういえば、昨年の今頃だったろうか、日本テレビでドラマ化、放映されたのだった。
私は見ていないけれど。

【参考サイト】 2009/8/9追記
 日本テレビ
  http://www.ntv.co.jp/
 霧の火~樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち
  http://www.ntv.co.jp/kyu-otome/

<終戦まもない昭和20年8月20日の朝、南樺太・真岡郵便局に勤務する、九人の若い女性電話交換手が自決した。/ソ連軍の進駐がどんなものなのか予測不可能な状況下、通信業務の使命を全うする中で、何が彼女らを死に追いやったのか……。/関係者への徹底取材で、当時の乙女らの日常と、悲劇の真相を追跡するドキュメント。> (本書帯より)

徹底した取材で、美談仕立てではなく歴史の真実を追求している――こう言えばいいのか。
十代、二十代の若い電話交換手の写真が本文中の随所に掲載されている。
彼女たちの生きた姿が目にうかぶような、クールな筆致で書かれた好著である。

70ページほど読んだところ。


もう一冊、現代の樺太・サハリンが舞台の本を手に入れた。

Tanaka_sakhalin『奇妙な時間(とき)が流れる島 サハリン』
 田中水絵 著  凱風社
 1999/11/25初版発行 262ページ 1800円(税別)

上の本を読み終えたら、読んでみよう。
現在のサハリンの姿が見えてきそうな本だ。








Amazon
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4773624027

<長い間のロシア暮らしの経験をきっかけに、著者は1992年から98年にかけて何度もサハリン(旧樺太)を訪問、その機会にサハリンに住む多くの人々(民族)と交流を重ねる。本書は、東アジアの近現代史を機軸にして、著者自身が歴史認識を深めていく過程を、悲喜こもごものエピソードをまじえて綴った紀行書。サハリンの過去と現在を知るには、好個のテキストでもある。>

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年8月 5日 (水)

【読】身軽なサハリン紀行

吉村昭の小説 『間宮林蔵』 は面白かった。
ずいぶん時間がかかったけれど、今朝の通勤電車の中でようやく読了。

きっと帰りの電車の中で読む本に困るとだろうなと予測して、持って行った本がある。
先週日曜日に図書館へ本を返しに行ったとき、備えつけの端末で検索して見つけたものだ。
検索キーワードは「サハリン」。

Igura_yuuki_sahhalin_kikou『ロシア・ビギナーのサハリン紀行』
   ― 船で5時間のヨーロッパひとり旅 ―
 井椋有紀(いぐら・ゆうき) 著
 文芸社 2003/6/15発行 1000円(税別)

文芸社なので自費出版と思われる。
著者については、よくわからない。
巻末の著者プロフィールがこんなふうにとぼけた調子だから。

― 著者プロフィール ―
<江戸時代より多くの旅人を迎えた三重県生まれ。/旅に目覚めたのは社会人になってから。/旅人としては、かなり遅咲きのデビューを飾ることになる。/そのせいか、本書のサハリンがやっと10回目の渡航である。/これまでに訪れた国はペルー、ブータン、パキスタン、北朝鮮、グリーンランドなど。決して奇をてらって行き先を決めているわけではないと、ここで明言しておく。>

うら若き、旅好きの女性という感じを受ける。
サハリンへ、行きは稚内からフェリー、帰りは函館まで飛行機という手段を選んだこの人。
格別、サハリンに思い入れがあるわけでもなく、船で外国へ行ってみたかったのと、帰りは国際線のプロペラ機に乗りたかったというのが理由らしい。

なんとも、身軽というか能天気というか。
そんな軽い旅行記だが、読みはじめてみるとなかなか面白いのだ。

この人は、名古屋空港から千歳空港へ、札幌から稚内までは夜行特急 「利尻」 のお座敷車両を使い、稚内からコルサコフまでのフェリーは二等桟敷席を利用。
稚内港の国際ターミナルまでなかなかたどり着けなかったったり、コルサコフに着岸して船内でのロシア係官による手続きの現場を写真に撮ろうとして止められたりと、ドタバタ続きで面白い。
物怖じしない、好奇心に富む人らしい。

ページの下、三分の一ぐらいのスペースを割いた「脚注」がぎっしり書かれているが、これがなかなか参考になる。

例えば――

<お座敷列車 「利尻」では7月4日~8月17日の間(2002年のスケジュール)、毎日「ゴロ寝カー」という名のお座敷車両が連結されます。これは文中にも出てきますが、フルフラットのお座敷で横になることができます。毛布と枕が無料でついていて、料金は指定席と同じなのでかなりお得。ただし、一人当たりのスペースはかなり狭いので寝相が心配な方は座席か寝台の方がいいかも……(笑)。/このお座敷車両については札幌発稚内着、または稚内発札幌着と通しでしか買えませんのでご注意ください。>

<サハリンの絵はがき 船内の売店でサハリンの絵はがきが売っていました。ロシアのキリル文字だけではなく、日本語も書かれています。日本で印刷されているもののような印象を受けました。この絵はがきはガイドブックにもサハリンの土産物として載っていましたが、私は現地で見つけることができませんでした。サハリンで購入したものは別なものだったので、たくさん絵はがきを買われる方で、船で行くのであれば、ここで一セット購入しておくのも一つの手かもしれません。……>

といったぐあいで、へたなガイドブックよりよほど役に立つかもしれない。
何よりも臨場感があって、いいのだ。

読みはじめたばかりだが、先が楽しみな本だ。


e-honサイト
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031136951&Action_id=121&Sza_id=HH

Amazon
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4835558065

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年7月31日 (金)

【読】間宮林蔵(続)

吉村昭 『間宮林蔵』 という小説を、夢中になって読んでいる。

Yoshimura_mamiya『間宮林蔵』  吉村 昭
 講談社文庫 1987年  461ページ 695円(税別)

吉村昭の小説を読むのは、『戦艦武蔵』『零式戦闘機』に続いて三冊目だが、淡々とした物語の運びが好ましい。

それにしても、間宮林蔵という人、これほど魅力的な人物だったとは思わなかった。
長大な小説の半分ほど、ちょうど、樺太探検を終えて伊能忠敬に出会うあたりまで読みすすんだ。
現在のサハリンはロシアの領土で、すっかりロシア風になっているらしいが、今から200年ほど前は住む人のほとんどない土地だった。
間宮林蔵、よくもまあ、ちいさな船と徒歩だけで樺太の西岸から海を渡り、清国が支配していた大陸(黒竜江=アムール河沿岸)までたどりついたものだ。
アイヌやギリヤーク(ニブヒ)の人々との交流も、なにやら胸あたたまるものがある。


Taiyo_nihon_tamkenka別冊太陽 「日本の探検家たち」
 平凡社 2003年  2600円(税別)

間宮林蔵、松田伝十郎、近藤重蔵、最上徳内、伊能忠敬など、18世紀末から19世紀初頭にかけて同じように苦労しながら探検した人たちが紹介されている。

― 間宮林蔵の項 より ―
筑波の農民の子に生まれる。後に江戸幕府に奉職し、1808年、松田伝十郎の従者として樺太を探検。翌年、一人で再び樺太へ渡り、松田が到達したラッカ岬からさらに北上、北端の未踏査海峡水域を突破。大陸に渡って黒竜江を遡った。南極、北極とならんで当時、世界地図の空白部だった樺太北部に踏み入った間宮が著した『北蝦夷図説』を見たロシアの探検家クルーゼンシュテルン提督は、「われ日本人に破れたり」と叫んだという。


【参考サイト】

間宮林蔵の世界へようこそ
 http://www.asahi-net.or.jp/~xc8m-mmy/index.htm
  林蔵の末裔である間宮正孝さんの、樺太紀行が掲載されている。
  写真満載の興味深い記事。

間宮林蔵記念館
 http://cobalt.nakasha.co.jp/hakubutu/mamiya/mamiya.html
(ナカシャクリエイテブ株式会社 http://www.nakasha.co.jp/

[記念館] 間宮林蔵記念館 - 茨城 - goo 地域
 http://local.goo.ne.jp/leisure/spotID_TO-8000292/

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月28日 (火)

【読】間宮林蔵

北海道に住む友人が、つい先日、サハリン(旧 樺太)を訪れたという。
友人のブログでサハリン探訪記が連載されており、毎日楽しみにしている。

 北海道通信
  http://northlancafe.kitaguni.tv/

ところで、樺太といえば間宮海峡(タタール海峡)。
この間宮海峡を「確認」し、海峡名に名を残したのが間宮林蔵だ。

― Wikipedia 間宮林蔵 より ―
<安永9年(1780年) - 天保15年(1844年)
文化5年(1808年)、幕府の命により松田伝十郎に従って樺太を探索。間宮はアイヌ語もかなり解したが、樺太北部にはアイヌ語が通じないオロッコと呼ばれる民族がいることを発見、その生活の様子を記録に残した。文化6年(1809年)、樺太が島であることを確認した松田が帰ったあと、鎖国を破ることは死罪に相当することを知りながらも、樺太人から聞いた、何らかの役所が存在するという町「デレン」の存在、およびロシア帝国の動向を確認すべく、樺太人らと共に海峡を渡って黒竜江下流を調査した。その記録は『東韃地方紀行』として残されており、ロシア帝国が極東地域を必ずしも十分に支配しておらず、清国人が多くいる状況が報告されている。間宮は樺太が島であることを確認した人物として認められ、シーボルトは後に作成した日本地図で樺太・大陸間の海峡最狭部を「マニワノセト」と命名した。海峡自体は「タタール海峡」と記載している。>
 
樺太(サハリン)とユーラシア大陸(現在はロシア、間宮林蔵の当時は東韃靼)とのあいだに海峡のあることは、ここを往来していた人たちには古くから知られていた。とうぜんのことだ。
アメリカ大陸をヨーロッパ人が「発見」したと称するのに似た、一方的な史観ではある。

― Wikipedia 間宮海峡 より ―
<樺太や対岸の沿海州には古来からアイヌ、ニヴフ、ウィルタ、女真(満洲民族)などの民族が居住・往来していた。このため、古くからここに居住していた人達にとって、樺太が島であることは、良く知られたことだった。1644年に作成された正保御国絵図においても、樺太は島として描かれている。>


今日から読みはじめた、この小説がおもしろい。
さすがに吉村昭だ。
うまい、と思う。

Yoshimura_mamiya『間宮林蔵』 吉村 昭
 講談社文庫 1987年刊  461ページ 695円(税別)
 親本 講談社刊 1982年

まだ70ページほどしか読んでいないが、冒頭、エトロフ島でのいわゆる「シャナ事件」(文化4年/1807年)の様子が描かれていて興味深い。
 ※シャナ(紗那)はエトロフ島北岸の地名
「クナシリ・メナシの叛乱」と呼ばれるアイヌ民族の蜂起(寛政元年/1789年)からそれほど年月を経ていない頃のことだ。

― Wikipedia 択捉島 より ―
<1807年4月、紗那と内保(留別村)の集落が、ロシア海軍大尉のフヴォストフ率いる武装集団らよって襲撃されるという「シャナ事件」が発生。/この時、日本側に動員されたアイヌもいる中で、日本側を攻撃してきたアイヌもいた(この時、間宮林蔵も同島にいて応戦行動に参加していた)。その後、南部藩など東北諸藩が警備にあたり、あるときはロシアと交戦し、あるときは友好的に交流した。>

ひさしぶりに、日本語で書かれた小説の醍醐味を感じながら読みすすめている。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年7月25日 (土)

【読】獏さんの本

最近読んだ、夢枕獏さんの本。
なかなかおもしろかった。

Yumemakura_baku_kisouka『夢枕獏の奇想家列伝』 夢枕 獏
 文春新書 689  2009/3/20発行
 213ページ  780円(税別)

七人の「奇想家」――知的好奇心から、危険を顧みず時代に抗して行動した歴史上の人物――がとりあげられている。
NHKが2005年8月・9月に放映した、「知るを楽しむ この人この世界 夢枕獏の奇想家列伝」をベースに書かれたものだ。

とりあげられている七人。
玄奘三蔵、空海、安部晴明、阿部仲麻呂、河口慧海、シナン、平賀源内。
シナンは、15世紀トルコの建築家で、イスラム教のモスクをたくさん残した人だ。
安部晴明は10世紀末に生きた有名な陰陽師(おんみょうじ)で、獏さんも連作小説に書いているし、近ごろはコミックなどでもブームになっているらしい。

小説といえば、私は読んでいないのだが、空海や阿部仲麻呂、川口慧海、平賀源内についても獏さんは書いているようだ。

 『陰陽師』シリーズ(文藝春秋)
 『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』(徳間書店)
 『平成講釈・安部清明伝』(中央公論社)
 『シナン』(中央公論社)
などだ。

川口慧海については『ダライ・ラマの密使』(別冊文芸春秋)、平賀源内については『大江戸恐竜伝』(小学館『本の海』)を執筆中という。
驚くほどの多作ぶりで、私などはとてもついていけないが、『神々の山嶺(かみがみのいただき)』 だけは私の愛読書である。

Baku_kamigami1Baku_kamigami2『神々の山嶺』 (かみがみのいただき)
 夢枕 獏  集英社文庫(上・下)
 2000/8/25発行
 上巻 504ページ 724円(税別)
 下巻 564ページ 800円(税別)

ヒマラヤが舞台のダイナミックな山岳小説である。
獏さんにしては珍しく「直球勝負」で、ひとりの魅力的なクライマーを描いている。
私の別サイトで紹介しているので、ご覧いただけるとさいわいです。

晴れときどき曇りのち温泉 > この一冊 > 神々の山嶺
 http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/b_baku_kamigami.html 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月24日 (金)

【読】星と嵐(レビュファ)

この本もまた、星野道夫さんの愛読書だったという。
ずっと前に文庫版を買い、途中まで読んで放ってあった本だ。

Rebuffat_hoshi_to_arashi『星と嵐 6つの北壁登行』
 ガストン・レビュファ 著/近藤 等 訳
 集英社文庫 1992/4/25
 249ページ 440円(税込)

山岳書の古典的な名著。
ガストン・レビュファは、フランス生まれのガイド・登山家である。
私がこの人を知ったのは、いまから十数年前、八ヶ岳の山小屋に通っていた頃、そこの小屋主さんであり山岳ガイドをされている方から教わったものだ。

レビュファの文章はロマンチックで、当時の私には読み続けることができなかったのだろう。今なら、読める。

<岩と氷の王国アルプス。その壮麗な美しさは、人々を挑戦へと駆りたてる。/山に生命を賭け、垂直の岩壁に身をさらしながら青春を生きぬいた名クライマーが、グランド・ジョラス、マッターホルン、アイガーなど、アルプスの6つの北壁登行の苦闘と歓喜を詩情溢れる筆致で描く山岳文学の名著。> (本書カバー)

Hoshino_coyote_no2何度もこのブログに登場してもらった 「Coyote」 第2号の画像。
「特集 星野道夫の冒険」 には、星野さんが愛読した魅力的な本が紹介されている。
『星と嵐』(白水社 1955年刊)もそのなかの一冊だ。

<山は人を孤高な場所へといざなう。/登攀とは、けっして高度な思想や哲学ではなく、ただ考え、そして実際に登ることである。/ガストン・レビュファは、しばしば「山の詩人」と称される。「星と嵐」では、その「まえがき」ですらすでに一篇の詩である。> (「Coyote」 赤坂友啓:文)

<レビュファは登攀用具を多く用いることをせず、必要最低限のものだけを使って垂直の壁を登ったという。それは自分と自然との距離をなるべく近づけておきたいという思いからだろうか。そういえば星野も銃を持つことなくアラスカの原野を旅した。> (同上)

『星と嵐』で読むレビュファの文章(日本語訳)は、もちろん詩的で美しいが、彼のクライミングもまた美しい。
「1940年代から70年代にかけて、ガストン・レビュファは最も美しいフォームで登るクライマーとして憧れの的であった」 というキャプションのついた写真が、この文庫版に掲載されている。

私は岩登りの初歩を教わっただけで、まったくの素人ではあるが、そんな私にも岩登りの魅力(魔力と言ってもいい)が伝わってくる本だ。
半分ほど読んだところ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月13日 (月)

【読】Today is a very good day to die.

Nancy_wood_many_winters_2『今日は死ぬのにもってこいの日』
 原題 MANY WINTERS
 ナンシーウッド Nancy Wood 著
 フランク・ハウエル Frank Howell 画
 金関寿夫(かなせき・ひさお) 訳

 めるくまーる 1995/9/20発行

ナンシー・ウッド
 ニューメキシコ州のタオス・プエブロ・インディアンと30年以上の交流を持つ。大地との深い結びつきに根ざした、彼らの高雅な精神性を学びとり、詩・小説・ノンフィクション・写真と、多岐にわたる仕事に反映させてきた。国営芸術基金からの文学奨励金のほか、多数の賞を授与されている。1977年には、彼女の詩集のひとつが、ピューリツァー賞の音楽部門にノミネートされた。ニューメキシコ州サンタフェ近郊に在住。

内容を知らないまま、図書館にリクエストして借りてきたもの。
金関さんの日本語訳はそれほどいいと思わないが、巻末に英語の原詩が載っているのがうれしい。

邦題になっている詩(今日は死ぬのにもってこいの日)も、日本語訳より英語の原詩が美しい。
英語が得意じゃない私にもわかる、やさしい言葉で書かれている。


  Today is a very good day to die.
  Every living thing is in harmony with me.
  Every voice sings a chorus within me.
  All beauty has come to rest in my eyes.
  All bad thoughts have departed from me.
  Today is a very good day to die.
  My land is peaceful around me.
  My fields have been turned for the last time.
  My house is filled with laughter.
  My children have come home.
  Yes, today is a very good day to die.


日本で異常なほどもてはやされた「千の風になって」も、もとはきっと、こういう素敵な英語の詩だったのだろう。
日本語に翻訳するのって、むずかしいもんだな。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月12日 (日)

【読】『インディアスの破壊についての簡潔な報告』

ずっと気になっていた本を読みはじめた。
200ページほどしかない薄い文庫本なのに、なかなか進まない。

この本は池澤夏樹さんの著作で知ったのだが、池澤さんのどの本に書かれていたのか忘れてしまった。
購入してからずいぶん日がたつ。
『魔法としての言葉 アメリカ・インディアンの口承詩』(金関寿夫)を読んだあと、そうだ、こんな本があったっけ、と思いだしたのだ。

Las_casas_indias『インディアスの破壊についての簡潔な報告』
 ラス・カサス 著  染田秀藤 訳
 岩波文庫(青427-1)
 1976/6/25 第1刷発行/2005/5/24 第36刷発行
 205ページ 560円(税別)

インディアス(las Indias)――スペイン人が発見、征服した地域をの総称して、当時インディアスと呼んでいた。おおむね現在の西インド諸島、南アメリカおよび北アメリカの一部を指す。ラス・カサスはインディアスがインドの一部であると信じ、「新大陸」であることに気付いていなかった。 (本書巻末訳注による)


この「報告」が書かれた時代背景は、本書巻末解説によれば、こうだ。

<1492年10月12日、スペイン王室の援助をうけたイタリア人 クリストバル・コロン(コロンブス)がカリブ海に浮ぶ小島グワナハニ島に到着した。 その後、コロンは三回にわたって航海を行ない、アンティール諸島、中米、南米北部を探検し、また、その後多くのスペイン人征服者(コンキスタドール)が、自らの生命と財産を賭してインディアスへ渡り、数々の探検、征服を行なった。 その動機は未知なる土地への憧れ、金銀財宝に対する欲望、あるいは熱烈な宗教心など種々様々ではあったが、彼らは、コロンの第一次航海より僅か半世紀余りの間に不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を発揮して南北両アメリカ大陸をほとんど踏査した。 彼らは金銀財宝のみならず、トマト、玉蜀黍(トウモロコシ)、タバコ、カカオ、ジャガイモ等当時ヨーロッパでは知られていなかった数々の産物をヨーロッパにもたらした。>

ラス・カサスについては、Wikipediaから引用する。

<バルトロメ・デ・ラス・カサス(Bartolome de Las Casas, 1484年8月24日 - 1566年7月17日)は16世紀スペイン出身のカトリック司祭、後にドミニコ会員、メキシコ・チャパス教区の司教。当時スペインが国家をあげて植民・征服事業をすすめていた「新大陸」(中南米)における数々の不正行為と先住民(インディオ)に対する残虐行為を告発、同地におけるスペイン支配の不当性を訴えつづけた。主著に『インディアス史』、『インディアス文明誌』などがあり、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』でも有名。生前から激しい批判を受け、死後も相反する評価を受けることが多かった。「インディオの使徒」とも呼ばれる。>


ところで、ネット検索してみたら、池澤夏樹さんのサイト 「Cafe Impara」 の中の 「異国の客」 という連続エッセイに興味深い記事をみつけた。
自著の 『静かな大地』 と、この 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』 に触れ、「敗者の歴史を誰が書くか」 をテーマに池澤さんらしい考えを述べている。

Cafe Impara
 http://www.impala.jp/

 「異国の客」 063 冬の到来、エッフェル塔、敗者の歴史 その2
 (池澤夏樹 執筆:2006‐11‐25)
  http://www.impala.jp/ikoku_wp/?p=66


池澤さんが言うように、ラス・カサスの報告書は 「告発調で、ある意味では紋切り型」。
読みにくいものだが、書かれている内容は驚くべきものだ。
ヒトという生物は、よくもまあ、ここまで残忍なことができるものだ、という思いを重ねながら読んでいる。

その、ごく一部。
読んでいて胸が悪くなる、当時のスペイン人たちの悪逆非道ぶりである。
引用中の「彼ら」はインディオ。

<そこで、彼らは馬を落し入れるための罠を考えた。彼らは道に穴を掘り、そこに落ちこんだ馬の腹部に突き刺さるよう、先を尖らせ、焦がした棒をその中へいっぱいうめ込み、穴の上には小枝や草をかぶせて何もないように見せかけた。しかし、スペイン人たちはそれから身を守る術を心得ていたので、馬が罠にはまったのは僅か一、二度であった。その仕返しに、スペイン人たちは、老若男女を問わず全員インディオたちを生け捕りし、その穴の中へ放り込むことにした。こうして、彼らは身重の女や産後まもない女、それに、子供や老人、そのほか生け捕りにしたインディオたちを穴の中に放り込み、その穴の中は、しまいには串し刺しになったインディオたちで一杯になった。ことに、母親とその子供の姿は胸の痛む光景であった。スペイン人たちは残りの人びとを全員槍や短刀で突き殺し、獰猛な犬に分け与えた。犬は彼らをずたずたにして食べてしまった。>
 (「グワテマラ地方と王国について」 P.77-78)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 7日 (火)

【読】アメリカ・インディアンの詩

日曜日に図書館から借りてきた本。
昨日と今日でいっきに読んでしまった。

Kanaseki_america_indian『アメリカ・インディアンの詩』 金関寿夫
 中公新書(中央公論社) 1977/6/25発行

よく知られているように、インドに行こうとしたコロンブスが、1492年にたまたま「発見」した大陸に、その二万年も前から住んでいた原住民(この言葉も近ごろは嫌われているようだが)――彼らを呼ぶ便宜的な名称が 「インディアン」 である。

この本では、アメリカ・インディアンの素晴らしい口承文学が紹介されている。
( 「文学」 と呼ぶのも、便宜的なカテゴリーだろう。なぜなら、彼らはこれを 「文学」 とは考えていないから)

たとえば、次のような短い詩。

<トウモロコシの種子を植えたあと、アリゾナのパパゴ・インディアンは、その順調な生育なを祈って(古来のリズムに合わせて足拍子を踏みながら)つぎの詩をとなえる。

  青い夜が下りてくる
  青い夜が下りてくる
  ほら ここに ほら あそこに
  トウモロコシのふさが震えている >


文字を持たない民族の口承が英語に翻訳され、それをさらに日本語に翻訳することには、どだいムリがある。
著者も、それを承知のうえで、魅力的なたくさんの詩を紹介し、アメリカ・インディアンの精神・文化を論じている。
1977年に、このようないい本が出ていたことに驚く。

それにしても、なんと豊饒な世界だろう。
アイヌ民族の口承文学(ユカラなど)に通じるものを感じる。


Kanaseki_oral_poetry_2引き続き読んでみようと思う本。

『魔法としての言葉 アメリカ・インディアンの口承詩』
 金関寿夫 思潮社 1988/5/1発行

星野道夫さんの書棚に残されていたのがこの本だ。
中公新書版が絶版になった後、同じ著者が書き改めたもの。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 3日 (金)

【読】遭遇と襲撃

クマは人を襲う危険な動物なのか?
クマとの遭遇(encounter)が、クマからの攻撃(attack)にすぐに結びつくのか?
クマと人間の共存は、どうすれば可能なのか?

Bear_attacks_2『ベア・アタックス II』
  ― クマはなぜ人を襲うか ―
 S.ヘレロ著 嶋田みどり・大山卓悠 訳
 北海道大学図書刊行会 2000/9/10発行
 全二巻 各2400円(税別)
 521ページ(二巻計)

ページ番号が、二巻通しで振られているのがおもしろい。
下巻(II)は、250ページからはじまる。

膨大な事例をひとつひとつ検証して、クマが人を襲う原因を詳細に分析している。
なによりも、クマを愛する著者の姿勢が好ましい。


<もしクマのために、「ピープル・アタックス」というタイトルの本が書かれていたら、そこにはわれわれヒトという種は典型的な血に飢えた殺人(熊)鬼――攻撃的で、危険で、しばしばクマに致命傷をあたえるもの――として描写されることだろう。>
 (17章 クマの管理 「クマも安全に」 P.428)

<グリズリーもブラックベアも、生態系が機能していくうえで重要な役割をはたしているわけではない。 グリズリーもブラックベアも、私たち人間と同じように、生態的には何でも屋である。 彼らは草を食み、木の若芽を食べ、死肉をむさぼり、また捕食者として機能するものたちである。 …(中略)… すべてのクマを殺したとしても、生態系が崩壊するわけではない。
 しかし、多くの人たちにとって、クマがいなくなったら、世界はもっと貧相なものとなるだろう。 私たちがクマの生存を護っているのは、彼らが自然のなかの不可欠な部分だからではなく、人間の心や身体や魂にはたらきかけてくれるものがあるからだ。>
 (17章 「クマは何の役に立つ?」 P.435-436)

本書のおわりの方に書かれている著者のこの言葉は、星野道夫さんの次の文章を彷彿させる。

<もしもアラスカ中にクマが一頭もいなかったら、ぼくは安心して山を歩き回ることができる。 何の心配もなく野営できる。 でもそうなったら、アラスカは何てつまらないところになるだろう。>
<人間はつねに自然を飼い馴らし、支配しようとしてきた。 けれども、クマが自由に歩きまわるわずかに残った野生の地を訪れると、ぼくたちは本能的な恐怖をいまだに感じることができる。 それは何と貴重な感覚だろう。 これらのクマは何と貴重なものたちだろう。>
 (星野道夫)


すこし値がはるけれど、とてもいい本だ。
日本語訳も、いい。

巻末に、「解説」として、JBN(Japan Bear Network:日本クマネットワーク)会員三氏による文章を併録。

「日本と北米のクマ対策」 (山中正実:JBN会員・斜里町自然保護係)
「北海道のヒグマ」 (間野 勉:JBN会員・北海道環境科学研究センター野生動物科)
「日本のツキノワグマ」 (羽澄俊裕:JBN会員・(株)野生動物保護管理事務所)


日本語版刊行にあたって著者みずから書き下ろした補章 「星野道夫の死」 も、興味ぶかい内容。
著者によると、星野さんの事故の真相はこうだった。

<……世界的な写真家星野道夫は、1998年8月8日、ヒグマに襲われて死んだ。 星野を殺した雄グマは、彼が愛してやまなかった野生の動物ではなかった。 星野を襲って死にいたらせ、その一部を食べたクマは、それまでにも人間とかかわる経験を重ねていた。 クマは、食物が不適切に保管されているキャビンやその他の場所に押し入ることを学習していた。 ロシアのローカルテレビ局経営者によって意図的に餌づけされていたようでもある。 ……>

また、著者の星野さんに対する敬愛の思いも随所に満ちあふれている。

<星野道夫が撮影したグリズリーやムース(ヘラジカ)、そして野生の地の写真は、私のなかに自然の美や生命の完璧さへの畏敬と霊感を呼び起こしてくれた。 そこには、自然のなかに堆積された悠久の時があった。>

<星野ほど自然を丸ごとらえることのできた写真家は、そうはいないだろう。 広大なツンドラと山々の風景のなかで小さな点景でしかないグリズリーの写真は、クローズアップで体の細部までとらえた写真よりも、グリズリーについてはるかに多くを語っている。>

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年6月28日 (日)

【読】読書日誌 2009年上半期

6月も残すところあと二日。
今年は、一年間に100冊読もうと目標をたてた。
たんなる目安ではあるが、それぐらいのペースで読もうと思ったのだ。

今年も半分になるので、リストアップしておこうと思う。
自分のための記録である。

最後の49冊目は、現在進行中。

今年出会ったのは、高野秀行さんと、内澤旬子さん。
服部文祥さんという魅力的な人に出会うこともできた。
読みたい本はたくさんあるけれど、今の生活スタイルの中で読めるのはこれぐらいなんだろうな。

Hattori_survival_climberUchizawa_sekai_tochiku_kikou_2Takano_kaijuuki_3_2『サバイバル登山家』
 服部文祥 みすず書房
 ※未読
『世界屠畜紀行』
 内澤旬子 解放出版社
『怪獣記』
 高野秀行 講談社





1月
宮部みゆき 『あやし』 角川文庫
山田順子 『なぜ、江戸の庶民は時間に正確だったのか?』 実業之日本社
水木しげる 『猫楠』 角川文庫
水木しげる 『水木しげるのラバウル戦記』 ちくま文庫
石川直樹 『いま生きているという冒険』 理論社
水木しげる 『コミック昭和史①』 講談社文庫
船戸与一 『満州国演義1』 新潮社
船戸与一 『満州国演義2』 新潮社

2月
船戸与一 『満州国演義3』 新潮社
船戸与一 『満州国演義4』 新潮社
上笙一郎(かみ・しょういちろう) 『満蒙開拓青少年義勇軍』 中公新書
船戸与一 『満州国演義5』 新潮社
平岡正明 『日本人は中国で何をしたか』 潮文庫
平岡正明 『石原莞爾試論』 白川書院

3月
朝日新聞山形支局 『聞き書き ある憲兵の記録』 朝日文庫
澤地久枝 『わたしが生きた昭和』 岩波現代文庫
澤地久枝 『もういとつの満州』 文藝春秋社
赤塚不二夫 『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝』 文春文庫
野島博之 『謎とき 日本近現代史』 講談社現代新書
森史朗 『松本清張への召集令状』 文春新書
高野秀行 『ミャンマーの柳生一族』 集英社文庫
船戸与一 『河畔に標なく』 集英社(2006年)
高野秀行 『アヘン王国潜入記』 集英社文庫

4月
高野秀行 『世界のシワに夢を見ろ!』 小学館文庫
高野秀行 『ワセダ三畳青春期』 集英社文庫
高野秀行 『幻獣ムベンベを追え』 集英社文庫
美しい日本の常識を再発見する会編 『日本人は桜のことを何も知らない』 学研
盛口満 『わっ、ゴキブリだ!』 どうぶつ社(2005年)
植松黎 『毒草を食べてみた』 文春新書
エマニュエル・ドンガラ/高野秀行訳 『世界が生まれた朝に』 小学館
高野秀行 『メモリークエスト』 幻冬舎
蔵前仁一 『ホテルアジアの眠れない夜』 凱風社
高野秀行 『異国トーキョー漂流記』 集英社文庫
高野秀行 『怪しいシンドバッド』 集英社文庫

5月
高野秀行 『巨流アマゾンを遡れ!』 集英社文庫
高野秀行 『西南シルクロードは密林に消える』 講談社
高野秀行 『神に頼って走れ!』 集英社文庫
高野秀行 『怪魚ウモッカ格闘記』 集英社文庫
高野秀行 『辺境の旅はゾウにかぎる』 本の雑誌社
高橋秀実(たかはし・ひでみね) 『素晴らしきラジオ体操』 小学館文庫
斉藤政喜/内澤旬子(イラスト) 『東方見便録』 小学館(1998年)

6月
内澤旬子 『世界屠畜紀行』 解放出版社(2007年)
斉藤政喜/内澤旬子(イラスト) 『東京見便録』 小学館(2009年)
高野秀行 『怪獣記』 講談社(2007年)
服部文祥 『サバイバル!』 ちくま新書(2008年)
アルセーニエフ/長谷川四郎訳 『デルスウ・ウザーラ』 東洋文庫(1965年)
内澤旬子 『おやじがき』 にんげん出版(2008年)
平岡泰博 『虎山(こざん)へ』 集英社(2003年)
スティーヴン・ヘレロ 『ベア・アタックス I』 北海道大学図書刊行会(2000年)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月25日 (木)

【読】朝、一時間の読書タイム

朝、体調の良いとき、最寄りの国分寺駅ではなく、ひとつ新宿よりの武蔵小金井駅から始発電車に乗る。
電車が到着するまでホームに行列して待たなければいけないが、早めに行けば必ず座れる。
総武線各駅停車で、錦糸町駅までたっぷり一時間。
途中で居眠りしてしまうこともあるが、ゆっくり本が読める「読書室」のようなものだ。

今朝は、この電車の中で平岡泰博著 『虎山へ』 (集英社)を読了。

Hiraoka_kozan『虎山(こざん)へ』 平岡泰博 著 集英社
 2003/11/22発行 262ページ 1600円(税別)

ひさしぶりに、さわやかな本に出会ったと思う。
著者の平岡さんは、関西テレビの映像カメラマンだった。
沿海州に住むシベリヤタイガーを追う番組の取材で、この広大な地域を苦労して歩きまわる。

<1996年7月24日午後、ロシア沿海地方(プリモルスキー)の州都ウラジオストクを出発した僕らは、沿海地方中部にあるシホテ・アリニ自然保護区を目指した。 七百キロの旅。 車は二台。 一行は自然保護区の山中に住むシベリアトラを追跡し、撮影しようというテレビチームである。>

平岡さんとコンビを組む、地元のレンジャーである、ヴィーチャという男が魅力的だ。

<その夜、僕らは一人の男に会った。
一メートル九十、百キロはあろうかという大男だ。 がっしり引き締まり、均整のとれた四十半ばの男である。 鳶色の瞳と黒髪。 頬のひげは青々と剃られている。>

ヴィクトル・ヴォローニン(愛称ヴィーチャ)は、1951年、ウクライナ生まれ。
なんと、私と同い年だ。
「黒海沿岸のステップ(草原地帯)で少年時代を過ごし」、「大自然のなかで、ノロ(シカの一種)やノウサギを友とする孤独な子供」だった。
レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)の美術学校に入って画家への道を目指したが、挫折。
シベリア鉄道に乗って極東に向かい、故郷を遠く離れたこの地で二十年間、レンジャーとして過ごしている。

彼の自然に対する感覚は、あたかも、百年前のデルスウ・ウザーラのようだ。
地元のレンジャーたちでもめったに遭遇できない、シベリアタイガーに出会い、映像に収めることができたのも、このヴィーチャの力によるものだった。


映像カメラマンらしい細やかな観察と、広大な自然の描写がすばらしい。
「凍寒(マローズ、とルビをふっている)」という言葉が、頻繁にでてくる。
著者とヴィーチャが虎に出会うことができたのは、11月29日だった。


さて、往路の電車の中で、持っていった本を読んでしまったので、もう一冊、念のために鞄に入れていた本にとりかかった。
ずいぶん前に買って、なかなか手をつけられなかった二巻ものだ。


Bear_attacks_1『ベア・アタックス』 スティーヴン・ヘレロ 著
 嶋田みどり・大山卓悠(たかはる) 訳
 北海道大学図書刊行会 2000/9/20発行
 全二巻 各2400円(税別)

 BEAR ATTACKS
  Their Causes and Avoidance
 Stephen Herrero  1985

星野道夫さんが亡くなる前にアメリカで出版されていた本。
星野さんの書斎にも残されていたという(彼が読んだかどうかは不明)。

日本語版刊行にあたって、著者みずから補章を書き下ろし、「日本語版によせて」という巻頭の文章で、次のように星野さんを偲んでいる。

<1996年、極東ロシアのさらに遠隔の地カムチャツカ半島の南端で、私にとっては世界最高の写真家だった男、〝星野道夫〟がヒグマに殺された。 星野道夫氏はそのユニークな才能で、アラスカの広大なツンドラや沿岸地方の自然構成物のひとつとして、野生のクマをとらえた。 彼の写真からは、クマや、クマが生きる野生のままの自然環境への深い理解が伝わってくる。 およそ20年間にわたって、彼は毎年何ヵ月も自然のなかで暮らし、グリズリー(ヒグマ)やムース(ヘラジカ)のような危険を秘めた動物にそっと近づき、事故に遭うこともなく、優れた写真を撮りつづけた。 彼がこれらの動物たちをよく知り、理解していたからできたことだ。
 その彼が、なぜクマに殺されたか? その答は、悲しいことに、星野氏を殺したクマは、彼が愛した、まだ人間によってそこなわれていない野生のクマではなかったということだ。 (以下略)>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月21日 (日)

【読】読了 『デルスウ・ウザーラ』

とうとう読みおえた。
しんどかったな。
こういう本を通勤電車の中でこま切れに読みつづけるのはつらい。
ある程度の集中が必要な本だから。

最後の100ページは、週末にまとめて読むことができた。
おかげで、いい印象が残った。

Derusuu_uzara『デルスウ・ウザーラ 沿海州探検行』
 ウラディーミル・クラウディエヴィチ・アルセーニエフ 著
 長谷川四郎 訳
 平凡社 東洋文庫 55
 1965/11/10初版第1刷 / 2004/1/27初版第18刷

アルセーニエフは、1872年に生まれ1930年に亡くなったロシア極東地域の探検家。
1906年以後、ウスリー地方を調査旅行して記録を残している。
本書は、1907年春から翌年1月にかけて、ほとんど徒歩で沿海州南部を探検した記録。
冬には氷点下三十数度にもなる、過酷な土地である。
まさに、探検と呼ぶにふさわしい。

アルセーニエフは、デルスウ・ウザーラという名のゴリド族(ナナイ族)の男を同行した。
この探検隊のいわばガイド役である。
デルスウは「天然痘で身内のものをみんな失い、一人で狩猟をして生計をたてている、ずんぐりした六十歳ちかい男」 (巻末、長谷川四郎による解説)。

<彼は出会いの当初からアルセーニエフをひきつけた。 以来、彼はアルセーニエフの道案内となり、また、密林(タイガ)における生活方法の教師となった。> (同解説)

エスキモーやアイヌの古老をおもわせる、魅力的な人物である。
デルスウは古老と呼ぶほど老いてはいないが(58歳だと自称している箇所がある)、独自の世界観をもっている。

星野道夫さんがこの本を愛読したというのも、そんなデルスウに代表される 「土地の人々」 の魅力によるところが大きかったのだろう、と思う。
それに、舞台となっている自然生態がアラスカに通じるところもある。

アラスカではムースと呼ばれているヘラジカが、沿海州のあちこちにいる。
ネットで調べてみると、ヘラジカの世界的な分布は、ヨーロッパ北部からシベリア、中国大陸東北部、北アメリカ大陸の北部と、ちょうど帯状に広がっていることがわかる。

私にとって馴染みのある動植物もたくさん登場して、嬉しかった。
ワタリガラス、ライチョウ、シマフクロウ、といった鳥たち。
コケモモ、クロマメノキなどは、八ヶ岳の山の上でよくみかけたものだ。
オンコ(イチイ)やナナカマドも懐かしい。


長谷川四郎の訳文もいいのだろう。
美しい描写が随所にある。

<晩の十時にユルタを出て、私は思わず空に心をひかれた。 空気の特別の清澄さのためか、それとも、何かべつの原因によってか、星の光がいつもより大きく明るくみえ、そのため空は地上より明るかった。 近くの山々の輪郭やエゾマツの木のとがった頂きはくっきりとみえたが、下のほうはすべて暗黒の中に沈んでいた。 定かでない、ほとんど耳にとらえられない音が眠れる大気をみたしていた。 夜の鳥のとぶ音、枝から枝へおちる雪、枯草にゆらぐ軽い微風のさらさらいう音――これらすべてが一つになっても、自然をみたしている大きな静寂を破ることはできなかった。> (二十一 冬の祭日 P.266)

この物語の結末は悲しい。
黒澤明監督による日ソ合作の映画(1975年)を観ていない私は、悲劇的な結末を知らなかったから、なおさら印象的だったのかもしれない。

<デルスウの墓、とける雪、とんで日没には死ぬだろうチョウ、さらさら音たてる小川、いかめしい静かな森……すべては語っていた――、絶対的な死は存在しない。 相対的な死があるだけだ。 そして地上における生の法則が同時にまた死の法則である、と。> (二十四 デルスウの死 P.303)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年6月19日 (金)

【読】おやじがき(内澤旬子)

一週間前から読んでいる 『デルスウ・ウザーラ』 が、なかなか手ごわい。
面白いのだが、動植物や鉱物の名前、地名(どれもカタカナ語)がたくさんでてきて、つまりは、情報量が多いわりにはイメージがわかない部分が多く、疲れる。
せめて、詳細な現地地図がついているといいのに、と思う。

それでも、後半にさしかかり、沿海州の探検行も佳境にはいってきたので、だんだん入り込めるようになってきた。
無事に読み終わったら、感想文を書こう。

さて、そんな厳しい読書生活の気分転換に、こんな軽~い本を読んだ。
20分もあれば読みおえてしまうような軽さがいい。

Uchizawa_oyajigaki『おやじがき』  内澤旬子 (絵と文)
  にんげん出版  2008/12/1発行
  82ページ  1300円(税別)

ちょっと割高感のある本だが、内澤さんの絵と文章がいい。
「絶滅危惧種」「中年男性圖鑑」とサブタイトルにあるように、巷に生息する(内澤さんが電車の中や街でみかけた)おやじたちの肖像である。

身につまされるところも多いけれど、腹をかかえて笑ってしまう。
そうそう、こういうおやじって、いるよな。
ほら、そこにも、ここにも。


<現代の人物絵師・内澤旬子が電車で、喫茶店で、路上で遭遇した哀しくも愛らしい「おやじ」の観察記録>
<すだれ、耳毛、肉だまり、大あくび……カレセン幻想を抱いている女子は、この本でリアルなおやじの姿を正視された方が良いでしょう/男は枯れるのではなく、煮詰まってゆく……濃厚なおやじ汁が余白から滴っています  辛酸なめ子(漫画家、コラムニスト)> (本書帯)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月14日 (日)

【読】デルスウ・ウザーラ

ずっと気になっていた本を読もうと思いたち、きのうから少しずつ読みはじめた。
活字が小さいのがつらいけれど、描かれている世界は広くて深い。

Derusu_uzara『デルスウ・ウザーラ 沿海州探検行』
 アルセーニエフ 著/長谷川四郎 訳
 平凡社 東洋文庫 55
 1965/11/10 初版第1刷
 2004/1/27 初版第18刷
 314ページ 2400円(税別)

黒沢明監督の映画で有名になったが、長谷川四郎が戦前(1943年)、南満州鉄道会社調査部に勤めていた時に翻訳した、古典的な名著である。

私がこの本を読んでみようと思いたったのは、星野道夫さんの愛読書だったことを知ってからだった。
手に入れたものの、これまでなかなか読めないでいた。

【過去記事】
 【読】星野道夫さんの本棚(続) 2008/7/2
  http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_1476.html


Hoshino_coyote_no2「Coyote 第2号」 スイッチ・パブリッシング 2004/10/8発行
 特集 星野道夫の冒険
  ― ぼくはこのような本を読んで旅にでかけた。 ―

星野さんは、この本を擦りきれるまで愛読したという。
この雑誌には、星野さんの文章が引用されている(出典は書かれておらず、私も星野さんのどの本からなのかすぐにはわからないが)。

<夜になると(太陽は沈まないが)、川岸から集めてきた流木で焚火をした。……焚火は一人でいるときの最良の友だちだ。 火を見つめていると、時間が経つのを忘れてしまう。 火のそばに寝ころびながら、灰だらけのコーヒーをすする。 そして、もう何度読み返したかわからないアルセーニエフの『デルスウ・ウザーラ』のページを繰っていると、これほどぜいたくな時間はほかにないだろうと思われる。>

星野さんのアラスカの家の書斎には、ボロボロになったこの本を改めて装幀しなおしたものが残されていたそうだ。
「Coyote」の特集には、星野さんの愛した本が挿画(赤井稚佳)で載っていて、こういう本なら読んでみたいなと思ったものだ。
(Coyote 第2号 P.52)

一年ちかく本棚で眠っていたこの本を引っぱりだしてきたのは、服部文祥さんの本 『サバイバル!』(ちくま新書)に刺激され、私のなかに埋もれていた「自然への欲求」のようなものが目をさましたせいだろうか。

Hattori_survival_2_2『サバイバル!』
 服部文祥 ちくま新書

第二章「サバイバル実践」 冒頭(P.67)に、『デルスウ・ウザーラ』の一節が引用されている。

 「わし、こう、見て、思う――空気、軽くて、重くない」 ゴリド人は息をして、自分の胸をゆびさした。
 彼はすっかり自然といっしょに生活していて、自分の体そのもので生れながらに天気の変化を予感できたのである。
 (ウラジミール・アルセーニエフ 『デルスウ・ウザーラ』)

服部文祥さんも、この本を愛読したのだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年6月13日 (土)

【読】サバイバル登山 (続)

通勤電車・バスの中で、二日間で読みきった。
後味のいい本だった。

第一章 登山からサバイバルへ
第二章 サバイバル実践 ――日本海から上高地へ
第三章 サバイバルの方法論
第四章 サバイバル思想

私には、第二章、北陸本線「青海」(おうみ)駅から上高地まで、徒歩で北アルプスを縦断した12日間の記録がたまらなく面白かった。
登山道をたどるのではなく、道がないと仮定して、渓谷づたいに歩き続ける、まさに「サバイバル登山」である。
食料は現地調達(岩魚を釣り、山菜を採る)、焚き火、野宿。
沢登りのバリエーションと言えなくもないが、現地調達が基本だから、渓流釣りで動物性蛋白質を現地で手に入れるスタイルになる。
笑ってしまうようなユーモラスなエピソードがあちこちにあって、ほんと、面白かったな。

読むまえに私は勝手に、もっと原始的な山歩きかと思っていたが、必要最小限の装備は持っている。
雨露をしのぐためのタープと寝袋といった「近代装備」を使っていることも意外だったが、その理由も第三章に詳しく書かれていて納得できた。
道具の大切さがよくわかる。

私にはとうてい真似のできない山行スタイルだが、山恋しさが募ってくる内容だった。

星野道夫さんのことに、さりげなく触れているあたり、ああ、この人も星野さんが好きだったんだなあと、嬉しくなった。

Hattori_survival_2_3『サバイバル! ――人はズルなしで生きられるのか』
 服部文祥  ちくま新書 751
 2008/11/10発行  254ページ 760円(税別)

<このサバイバル山行記に何度も出てくるゲストという言葉。「お客さん」。ズルしないで登る、ズルしないで生きる。それは自分が人生の主になれるか、ということだと思う。 現代の日本で普通に生きていたら、お客さんにならないで過ごすのは難しい。 おおよそのことはお金を払えば解決し、いくつかのことはお金を払わなければ解決しない。 毎日のように乗客、買い物客、食事客、患者などなど、気がつくとわれわれはさまざまなお客さんをやらされている。 人生はお金を払えばそのまま進んでいく。 人生はお金を払えばそのまま進んでいく。 今は、お金を稼いで、お客さんをするのがわれわれの世界のサバイバルなのだ。>

<本来自分ですべきサバイバルの主要事項「衣・移・食・住・治」を金銭で解決するわれわれ都市生活者は、気づかないうちに悲しい卑怯者をやらされているのではないだろうか。> (本書 P.138-139)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月11日 (木)

【読】サバイバル登山

Takano_kaijuuki高野秀行さんの 『怪獣記』 は昨日読了。
クルド民族のことが詳しく書かれていて、興味ぶかかった。
ジャノワールと呼ばれるUMAを探索しに行った場所、トルコのワン湖一帯は、クルド民族の居住地ということだ。

さあ、次に何を読もうか、と迷って、今朝出がけに決めたのが服部文祥(はっとり・ぶんしょう)さんという人が書いた 『サバイバル!』 という新書だ。
これまた高野さんが  『辺境の旅はゾウに限る』 (本の雑誌社 2008年)掲載の書評でとりあげていた著者の本である。
高野さんが書評でとりあげていたのは 『サバイバル登山家』(みすず書房)だが、これはいずれ入手予定。
図書館から借りようかとも思ったのだが、ずっと貸出中だし、いっそ手元に置きたいと思うほど魅力的な本だから。


今日から読んでいるのがこれ。

Hattori_survival_2_4『サバイバル! ――人はズルなしで生きられるのか』
 服部文祥(はっとり・ぶんしょう)  ちくま新書
 2008/11/10発行  254ページ 760円(税別)

著者はこういう人だ(同書カバーの著者略歴)。
服部文祥(はっとり・ぶんしょう)
サバイバル登山家。1969年横浜市生まれ。
94年に東京都立大学文学部フランス文学科とワンダーフォーゲル部を卒業。
96年にカラコルム・K2(8611m)登頂。
デビュー作 『サバイバル登山家』(みすず書房)でスポーツ・ノンフィクションの新たな地平を拓き、脚光を浴びる。
現在は、東京新聞出版局の「岳人」編集員。
三児の父。

「フランス文学科とワンダーフォーゲル部を卒業」というのが何やら可笑しく、「三児の父」というのも、ほのぼのしていて良いが、この人のやっていることはすごい。

<日本海から上高地へ。200kmの山塊を、たった独りで縦断する。持参する食料は米と調味料だけ。岩魚を釣り、山菜を採り、蛇やカエルを喰らう。焚火で調理し、月の下で眠り、死を隣りに感じながら、山や渓谷を越えてゆく――。生きることを命がけで考えるクライマーは、極限で何を思うのか?……> (本書カバー裏)

出版人だけあって、文章がとてもいい。
自分を客観視でき、ユーモアのセンスもあって、読んでいてほんとうに気持のいい本だ。

なによりも、私が長らく忘れていた山の空気が感じられて、うれしくなる。
もちろん、この人のように極限的な山歩きは私にはできないけれど、わたしもかつて 「登山者」 のはしくれだった。
(事実上、現役をなかば引退してしまっているのが悲しいが……)
著者の心意気はとてもよくわかる。

<現在、山には三種類の人間がいるといわれている。登山客、登山者、登山家である。 登山客とは山岳ガイドの客、山小屋の客、場所は山だけどやっていることは観光客、を指す。 連れてきてもらっている人々、登山の要素の多くを他人任せにしている人々のことだ。>

――と、なかなか手厳しいが、私も同じことを感じる。

<登山者とは山にまつわるできる限りの要素を自分たちで行ない、その内容にも自分で責任を持つ人々のことである。 自分で何もかも行なうというのは面倒くさい。 だが、真の自由とは自立のなかにしか存在しない。 登山者とは自立した自由なる精神を、そのリスクを含めて知っている人のことである。 登山家は登山者のなかでも登山関係で生活の糧を得ていたり、登山の頻度と内容からして、人生のほとんどを登山に賭けてしまっているような人のことをいう。>

<登山者も登山家も夏の北アルプスでは絶滅危惧種だ。……> (本書 P.89)


私も、できることなら 「登山客」 ではなく、「登山者」 としての心意気を持ち続けたいと思う。

今日一日で100ページほど読めた。
快調。
こういう本を、満員の通勤電車という自然からもっとも遠い最悪の場所で読んでいると、救われる気がする。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年6月 9日 (火)

【読】高野ワールドに戻る

内澤旬子さんがらみの本を読みおえて、高野秀行さんの本を今日から読んでいる。

Takano_kaijuuki_2『怪獣記』 高野秀行/(写真)森 清
 講談社 2007/7/17発行
 281ページ 1500円(税別)

今日一日で半分ほど読んでしまった。
高野さんの 「UMA(Unidentified Mysterious Animal 未確認不思議動物)」 探索ものの中で、これは最高に面白い部類にはいると思う。

どうでもいいけど、この本、使われている紙が立派すぎて(分厚い上質紙)、重い。
この旅に同行した写真家、森 清さんの写真が美しい。
(森さんは、高野さんの 『西南シルクロードは密林に消える』 のときにも同行している)

トルコへ行ってみたくなくなる、そんな気にさせる写真がたくさん載っている。
森さんの写真を見ていると、写真という表現手段でたいせつなのは、「いかに切り捨てるか(写さないか)」 ということなんだと思い知らされる。

(本書の帯をはずしたカバー)
Takano_kaijuuki_2_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 7日 (日)

【読】雲取山の公衆便所

内澤旬子さんの 『世界屠畜紀行』 (解放出版社 2007年)を読みおえて、斉藤政喜・内澤旬子コンビによる 『東方見便録』 の続編、『東京見便録』 (文藝春秋 2009年) を読んでいる。

Saitoh_tokyo_kenbenroku『東京見便録』
 斉藤政喜(文)・内澤旬子(イラスト)
 文藝春秋 2009/3/15発行
 174ページ 1429円(税別)

前作 『東方見便録』 ほどのワイルドさはないが、身近な東京都内のトイレ事情が興味ぶかい。
たとえば、二子玉川駅から徒歩20分の場所にある「岡本公園民家園」の古民家の厠(かわや)など、行ってみたくなるほど魅力的だ。

まだ読みはじめたばかりなのだが、第二章「現役ですッ」に、雲取山山頂の公衆便所が紹介されていて、懐かしい。

東京都の最高峰 雲取山(くもとりやま・2017m)の山頂には、立派な避難小屋が建っていて、その横に公衆便所がある。
私の記憶にあるのは古いときのものらしく、避難小屋の改築後に公衆便所も改築されたのかもしれない。
展望のいい場所である。
水場こそないが(北側の雲取山荘の水場まで下って汲んでくる)、山頂の立派な避難小屋には私も泊まったことがある。

 ※当時の避難小屋の写真がどこかにあるはずだが、
  探しだすことはむずかしく(整理が悪いので)あきらめた。
  私のWebサイト(休眠状態だが)に、雲取山について書いたことがある。

  晴れときどき曇りのち温泉 > 山岳展望写真館
   http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/panorama.html


この本、例によって、内澤さんのイラストが楽しい。

雲取山、また登ってみたいなぁ……。

Saitoh_tokyo_kenbenroku_p45

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月31日 (日)

【読】「屠畜」ということ

内澤旬子さんがイラストを描いている 『東方見便録』 (斉藤政喜著/小学館)は、とても面白かった。
さきほど読了。

続いて、内澤さんじしんの文章とイラストによる、『世界屠畜紀行』 (解放出版社 2007年)にとりかかる。

Uchizawa_sekai_tochiku_kikou『世界屠畜紀行』 内澤旬子
 解放出版社 2007/2/10発行
 367ページ 2200円(税別)

「屠畜」 とは耳慣れない言葉だが、「屠殺」 を使わなかった理由を内澤さんはこう書いている(まえがき)。

<生きた動物を肉にするには、当然殺すという工程が含まれるのだけど、殺すということばにつきまとうネガティブなイメージが好きでなかったことと、…(略)…なによりも殺すところは工程のほんのはじめの一部分でしかない。そこからさまざまな過程があって、やっと肉となる。そう、ただ殺しただけでは肉にならないのだということを、わかってもらいたくて……>

この 「屠畜」 という言葉の由来は、「案外古く、明治期の専門書にはすでに登場している」 のだそうで、これを機会に 「屠畜」 という言葉が広まればいいな、と内澤さんは思っているという。

彼女がなぜこういう紀行を思いたったのか。
それは、モンゴル、中部ゴビの大草原に点在するゲル(遊牧民のテント)に滞在していたとき、ゲルの脇で夕食のもてなしのために、女性が数人がかりで羊の内臓を洗っていたのを見て、衝撃を受けたことからだという。

<血で赤く染まった鍋に浮かぶ長い腸を見てぐわんと衝撃を受けた。すごい! これをこれから食べるんだ。そうだよな。肉って血が滴るものなんだよな。グロテスクだとか、羊がかわいそうだとか、そんなところまでまったく気が回らなかった。>

この内澤さんという若い女性が(1967年生まれ)、斉藤政喜さん言うところの 「タフな女性」 だと私も思うのは、次のような部分だ。

<なによりもその辺を走っている羊が、鍋にちゃぷちゃぷ浮かぶ内臓や肉になるまでの過程を見損なってしまったことが悔しくてたまらない。どうやるのかな、羊の中身ってどうなってんのかな。肉ってどうついてんのかな。頭の中はもうそれだけでいっぱい。>

そして、いつも肉を食べているのに、これまでは 「肉になるまで」 のことをまるで考えたことがなかったのは、なぜなんだろう、と考える。

<日本の屠畜についての本はほとんどなかった。肉になるまでの過程について、まるでなにも想像してほしくないかのようだった。>


ここでひとつ、屠畜に携わる人々への 「差別」 という問題がある。
これについては、次のように書いている。すごい。

<このような状況は、日本でこの仕事にかかわる人々がずっと昔から差別を受けてきたことと、深く関係してるんだということはわかっていた。差別発言や嫌がらせを恐れる人が多いため、作業中の顔が映ったり写真や映像を公に出すことが非常にむずかしいのだということも。>

<けれども、日本人が肉をおおっぴらに食べられるようになって、もう150年も経ってるんだもの。いい加減、忌まわしいだの穢らわしいだの思う人も減って、私のようにどうやって肉を捌いているのか、単純に知りたいと思う人も、それなりに増えてるんじゃないだろうか。>

<第一この忌まわしいだの穢らわしいだのという、食べものに似つかわしくないくらい感情って、日本以外の国や地域の人たちも持ってるものなんだろうか。もっとあっけらかんとやっている国もたくさんあるはず。彼らと私たちではなにがどう違うんだろう。>


ということで、内澤さんの 「世界屠畜紀行」 につきあってみようと思う。
私も、日頃じぶんが口にしている畜肉が、どうやって私のもとまで来るのか知りたいという欲求を強く持っていた。
屠畜をタブー視したり、考えようとしない(見ないふりをする、見せない)この国の人々(私もその一員だが)のありようにも、強い不満があった。

この人は、あっけらかんとしていて、でも、芯の強い、精神的にタフな人だと思うので、なかなか楽しみなのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月29日 (金)

【読】「もの出す人々」から見たアジア考現学

昨日から読んでいる本のサブ・タイトルである。
「考現学」の字が、MS-IMEのかな漢字変換ではでてこない。
やはり造語なのだろうか。
南伸坊とか、あのあたりの人たちが言いだした言葉かもしれない。
(『ハリガミ考現学』 なんて本があって、私は好きだったが)

「もの出す人々」 とは、言いえて妙である。
椎名誠氏は、「くう、ねる、のむ、だす」 と言ったが、人間にとって基本的でたいせつなことなのだ。

Saitoh_toho_kenbenroku『東方見便録』
  ― 「もの出す人々」から見たアジア考現学 ―
 斉藤政喜(文)/内澤旬子(装幀、イラスト、本文レイアウト)
 小学館 1998年 302ページ 1500円(税別)

著者の斉藤政喜氏は、シェルパ斉藤というペンネームだった。
そこで思いだした。
ずっと前に、『シェルパ斉藤の行きあたりばっ旅』 というこの人の本を読んだことがあったのだ。
自称、バックパッパー。
八ヶ岳に自らの手で家を建てて住んでいるという。
(この本の中でも、八ヶ岳の家での排泄物処理について触れていて興味ぶかい)

斉藤氏の本文もさることながら、文をそえたイラストを描いている内澤さんが、とてもいい。
彼女の細密なイラストと文をコピーして、ここに載せたいぐらいだ。
この本のカバーに印刷されている澄まし顔の写真(美形である)からは考えられないほど、ユーモアがあり、大胆さを持ち合わせた旅慣れた人のようで、ファンになってしまいそうだ。
内澤さんについては、いずれあらためて書くこともあるだろう。


全部で八章からなる。
それぞれ、中国、サハリン、インドネシア、ネパール、インド、タイ、イラン、韓国と、アジア圏を二人で歩きまわって、ひたすらトイレ事情を見てまわるという、考えようによっては贅沢な旅。

アジアのトイレ事情は、ひと昔まえの日本の厠(かわや)を思いださせて、なにやらほっとする。
いまやシャワー付き水洗便所の便利さに慣れきって、すっかり堕落してしまったわが身が悲しくなる。
こどもの頃、田舎の便所は外にあって、木でつくられた簡単なものだった。
今でも古い山小屋などでは排泄物の行方とその後の処理方法が目に見えて、人間的とも言えるが、水洗便所でジャーっと流してしまっているようでは、じぶんの出したブツがどこへ行ってどう処理されるのか、その行方を思いやることもなくなってしまった……。


本書の各章の節タイトルには、「第1便」「第2便」……と振られていて、なにやらおかしい。
この「便」はあくまでも「ベン」と読むべし。

沢木耕太郎の名著 『深夜特急』(新潮社 1986年) は、「第一便 黄金宮殿」「第二便 ペルシャの風」「第三便 飛光よ、飛光よ」 (ビンである)というぐあいで、言ってみれば芥川賞的世界だが、こちらは、なんたって 「エンタメ・ノンフ」 、直木賞の世界である。

節のタイトルのいくつかを紹介しておこう。
これだけでも、この本の楽しさが伝わるのではないかと思うので。

(中国) 流しそうめんスライダー/上海特製簡易式トイレ/天安門広場に273の穴/薄暗がりに男の尻3つ/不思議便座と高齢化社会/焚き火式集団放尿の図……
(サハリン) 木製便座にアジアを見た/個室と美女とバケツと/北の和式便器は治外法権
(インドネシア) 水と左手で尻を洗う法/全方位開放トイレの恐怖/神の御許で排泄すれば/足元グラグラ止まり木式/ウンチリサイクルは魚で/黄色いウンチ魚を食う
(ネパール) ブタトイレを求める旅へ/思い出のあの白いウンチ/空港の女子トイレ潜入/枯れ葉トイレの安らぎ……


半分ほど読んだところ。
こういうノンフィクションはいいものだ。
電車通勤の友。


― e-honサイトより ―

斉藤 政喜 (サイトウ マサキ)        
1961年長野県生まれ。一人旅と野宿を愛するバックパッカー&作家。八ヶ岳山麓に自らの手で家を作り、田舎暮らしと旅暮らしの日々を過ごしている。著書に、「犬連れバックパッカー」(小学館)「野宿の達人、家をつくる」(地球丸)「シェルパ斉藤の行きあたりばっ旅」1~5(小学館文庫)など。
内沢 旬子 (ウチザワ ジュンコ)        
1967年神奈川県生まれ。東アフリカ、イスラム諸国を始め、各国の古本、装飾、様々な道具を収集して巡るイラストルポライター。共著に下川裕治編「アジア路地裏紀行」(徳間文庫)「遊牧民の建築術」(INAX出版)がある。

この本の文庫版はこちら
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000030808915&Action_id=121&Sza_id=Z2
東方見便録 「もの出す人々」から見たアジア考現学
文春文庫
斉藤政喜/著 内沢旬子/著
出版社名 文芸春秋
出版年月 2001年4月
ISBNコード 978-4-16-715717-3
(4-16-715717-9)
税込価格 630円
頁数・縦 429P 16cm
分類 文庫 /日本文学 /文春文庫
出荷の目安
入荷時にメールでご案内します


― Wikipediaより ―

考現学(こうげんがく、the study of modern social phenomena)とは、現代の社会現象を場所・時間を定めて組織的に調査・研究し、世相や風俗を分析・解説しようとする学問。考古学をもじってつくられた造語、モデルノロジー(modernology)。
考現学は、1927年(昭和2年)、今和次郎が提唱した学問である。今はそれまで柳田國男に師事し、民俗学研究の一環として民家研究などで業績を挙げていたが、本人の語るところによると考現学研究のため柳田に「破門」されたという。その研究のはじまりは、1923年(大正12年)の関東大震災後の東京の町を歩き、バラックをスケッチしたことからであった。
これを機に新しく都市風俗の観察の学問をはじめ、1925年(大正14年)には「銀座街風俗」の調査をおこなって雑誌『婦人公論』に発表した。「考現学」の提唱は、1927年の新宿紀伊国屋で「しらべもの(考現学)展覧会」を催した際のことであった。1930年(昭和5年)には『モデルノロジオ』が出版されている。今の提唱した「考現学」の発想から、生活学、風俗学、そして路上観察学などが生まれていった。

「考現学」関連図書
泉麻人『「お約束」考現学』ソフトバンククリエイティブ<SB文庫>、2006年
鷲田清一『てつがくを着て、まちを歩こう ファッション考現学』筑摩書房<ちくま学芸文庫>、2006年
辰巳渚『なぜ安アパートに住んでポルシェに乗るのか ミステリアス・マーケット考現学』光文社<Kobunsha paperbacks>、2004年
斉藤政喜・内沢旬子『東方見便録 「もの出す人々」から見たアジア考現学』文藝春秋<文春文庫>、2001年
江夏弘『お風呂考現学 日本人はいかにお湯となごんできたか』TOTO出版、1997年

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月28日 (木)

【読】エンタメ・ノンフの面白本

エンターテインメント・ノンフィクション、略して「エンタメ・ノンフ」。
ずいぶん思いきった略称だけれど、これは高野秀行さんの命名。
肩のこらない、ノンフィクション界のいわば直木賞対象となるような本を指す。


Takano_zou1高野秀行 『辺境の旅はゾウに限る』 (本の雑誌社 2008年)の中で、「エンタメ・ノンフ」の面白本がたくさん紹介されていたのを読んで、手にはいりやすいものを何冊か入手した。

どんな本が書評でとりあげられているか、すこし前に書いた。

 【読】この本が面白そうだ(書物を知る楽しさ)
  2009年5月23日
 http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-ee20.html

足(古本屋=BOOK OFF)とネット販売を駆使してあつめた本が、こんなにも。

 『素晴らしきラジオ体操』/高橋秀実 (小学館文庫)
 『魔境アジアお宝探索記』/島津法樹 (講談社+α文庫) ※続編も入手
 『秘境駅へ行こう!』/牛山隆信 (小学館文庫) ※続編も入手
 『KAMIKAZE神風』/石丸元信 (文春文庫)
 『世界屠畜紀行』/内澤旬子 (解放出版社) ※到着待ち

このほかに、内澤旬子さんのイラストにひかれて、こんな本も。

 『東方見便録』/斉藤政喜(イラスト 内澤旬子) (小学館)
 『東京見便録』/斉藤政喜(イラスト 内澤旬子) (小学館)

さらに、高野さん推薦の 『サバイバル登山家』/服部文祥 (みすず書房) の関連本。

 『サバイバル!』/服部文祥 (ちくま新書)


どれも読むのがたのしみで、ワクワクする本ばかり。
さっそく読んだのがこれ。

Takahashi_radio_taisou『素晴らしきラジオ体操』
 高橋秀実(たかはし・ひでみね)
 小学館文庫 2002/9/1発行
 264ページ 552円(税別)

私たちがこどもの頃からやっていたラジオ体操(今でも日本全国で熱心に行われている)が、こんなにも奥深いものとは思わなかった。
1925年(大正14年)、ニューヨーク。
生命保険会社がはじめた 「ラジオで体操する」 が起源だったとか、戦前・戦中の日本での 「国民体操」 とか、戦後の占領軍支配下での 「民主的な」 ラジオ体操の復活だとか、興味ぶかい話が独特の語り口で綴られていて、後半はいっきに読んでしまった。

ラジオ体操をやりたくなる気分にさせる本だ。


続いて読みはじめたのがこれ。

Saitoh_toho_kenbenroku『東方見便録』
 斉藤政喜(文)・内澤旬子(イラスト)
 小学館 1998/5/1発行
 302ページ 1500円(税別)

単行本、文庫版ともに絶版(または版元品切れ)。
手に入れるのに苦労した。
Amazonでは、古書に驚くほど高値がついていたため、「日本の古本屋」 というネット販売サイトで古書店に注文。
代金を先に振り込む方式なのでめんどうだったが、届いたときは嬉しかった。
古本だが、きれいな状態だった。

 日本の古本屋
  https://www.kosho.or.jp/servlet/top

タイトルがふるっている。
「東方見聞録」 ならぬ 「見便録」。
ウンチ(アジア各国のトイレ事情)の話である。
このての話が、じつは大好きなのだ。

食事、排泄、睡眠。
この三つがニンゲンの生きていくことの基本で、その他は皆、「余分」なことだと私は思う。


斉藤政喜さんは、以前、雑誌「BE-PAL」で連載を読んだことがある。
小学館文庫で何か読んだおぼえもあるが、内容は忘れてしまった。
リヤカーで日本全国を旅した話だったか。

この本、内澤旬子さんのイラストが、味があってじつに楽しい。
小学館 「週刊ヤングサンデー」 に連載していた旅行記とのこと。


【2009/5/31 紹介した本の画像を掲載】

Shimazu_makyou_asia_otakaraShimazu_hikyou_asia_kottouUshiyama_hikyouekiUshiyama_motto_hikyoueki











Ishimaru_kamikaze_2Hattori_survival_2    

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月24日 (日)

【読】船戸さんの魅力

Takano_zou1高野秀行 『辺境の旅はゾウにかぎる』 (本の雑誌社、2008年)を今日読みおえたのだが、船戸与一さんとの対談が面白かった。

船戸さんと高野さんは、早稲田大学探検部の先輩後輩の関係。
年齢が二十二歳ほど離れているらしいから、船戸さんの方がが大先輩である。

『河畔に標なく』 という、ミャンマーを舞台にした船戸さんの小説の取材旅行の案内役を、高野さんがつとめている。 大先輩に命じられた形だ。

この旅行のてんまつは、高野さんの 『ミャンマーの柳生一族』 (集英社文庫) に書かれている。
私がはじめて読んだ記念すべき 「高野本」 第一号であり、この一冊で高野さんのファンになってしまったのだ。

 【過去記事】
  2009/3/19 【読】船戸さんの素顔
    http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-4fbd.html
  2009/3/26 【読】快調、船戸与一
    http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-8dc6.html
  2009/3/26 【読】カハーニーシルベナーク
    http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-86f8.html


その対談だが、早稲田大学探検部の話からはじまり、船戸さんがノンフィクション畑から小説家に転向したいきさつが語られている。

船戸さんは、もともと小説など読まない人だったらしい。
それが、彼のノンフィクションを読んだある編集者から、「あんたの筆は小説に向いてるから小説を書いたらどうか。ミステリーならすぐデビューできるから、ミステリーを書け」 とすすめられたのがきっかけだったという。

船戸さんは聞き流していたが、半年ぐらいたって、「この間お願いしたのは進行してますか」 という葉書がきて、ようやく本気になった。
ミステリーなど読んだことがないので、ミステリー好きの人に相談して、ハードボイルドの名作を十冊選んでもらって読んだ。

「それを全部読んだんだけど、そういう作家たちの手法をいろいろ真似しても誰の作品だかわからなくなるだけだから」、「こういう書き方はしない」 という縛りを自分に課して、書くようにした。云々。

船戸小説誕生のヒミツがわかった気がして、興味ぶかい。


そういえば、高野さんのこの本に、船戸さんの 『金門島流離譚』 の書評があり、その中で <船戸作品特有の「負のカタルシス」> という表現をしている。
なるほどな、と思う。
船戸小説の魅力をうまくあらわした言葉である。


それにしても、対談での船戸さんの発言には、胸のすくような爽快さがある。
ちょうど、船戸小説の語り口のような。

高野さんに対して、(小説を) 「書いたほうがいい。年齢的にもちょうどいい時期だよ」 と、さかんにすすめているが、「自分の好きなことを書けばいいだけであって、誰かを見習うとか、そういうのは絶対やめたほうがいい。最初から自分のスタイルはこうだとやったほうがいい」 と、言いきる。

自信というか、ふてぶてしさというか、このあたりが船戸さんの人間的な魅力なのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月22日 (金)

【読】高野熱、続く

高野秀行さんの本を、続けて読んでいる。

Takano_zou1『辺境の旅はゾウにかぎる』 高野秀行
 本の雑誌社  2008/6/25
 253ページ  1500円(税別)

軽いエッセイと対談、それに書評を集めたペーパーバック。
対談相手は、角田光代、井原美紀、内澤旬子、船戸与一、大槻ケンヂという面々。
井原さんと内澤さんは、わたしの知らない人だが。
「辺境読書 エンタメ・ノンフ+・ブックガイド」 と題された書評も興味ぶかい。

冒頭の50ページほど読んだところだが(「ケシの花ひらくアジアの丘」)、期待にたがわず面白い。

たとえば、ミャンマー(ビルマ)での体験記に、ちょっと驚いてしまった。
ヤンゴンで床屋をみつけて髪を切ってもらおうとしたところ、店の兄ちゃんから「ガソリンを買いに行くからちょっと待っていてくれないか」と言われた話。
そのワケはここに書かないけれど(ネタバレになるから)、高野さんはこう書いている。
考えさせられる。

文脈を無視して引用すると――

<…ミャンマーにいると、物事のつながりがよくわかることに気づいた…/…日本ではどうなのか。電灯をつけるにもバリカンをつかうにもスイッチ一つだ。 スイッチを押しさえすれば、すべて片付くと思い込んでいる。 そのスイッチの向こうにいったい何があるのか、考えてみることさえない。>

「アヘン王国脱出記」 のドタバタも、何やらおかしく、これまた考えさせられる話だ。
アジアはほんとうに面白い。


ところで、今日たまたま入ったBOOK OFFでみつけてしまった。
昨日書いた、吉田敏浩さんの本だ。
BOOK OFFの書棚分類は、整理されているようで、あんがいいい加減なのだが、歴史だか地理だかのコーナーで、まったく偶然に目にとまったのがこの本。

「本との出会い」の不思議。
なんといっても、昨日の今日のことだもの。

Yoshida_morinokairou『森の回廊 ―ビルマ辺境民族解放区の1300日―』
 吉田敏浩  NHK出版 1995/9/20発行
 494ページ  2500円(税別)

きのう画像を載せたNHKライブラリー版(大き目の文庫サイズ)は再販で、このハードカバーがオリジナル版だ。
(第27回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞)
すでに絶版となっているこの本が、定価のほぼ半額で入手できた。
しかも、古書店に入って数分後に目に飛び込んできたのだ。

図書館から借りると返却期限に追われるようで、かえって読めなかったりするのだが(途中であきらめたりする)、手もとにあればしめたもの。
と言いながら、「積んどく」本がたまっていくのも事実だが……。


― e-honサイトより ―
吉田 敏浩 (ヨシダ トシヒロ)   
1957年、大分県臼杵市に生まれる。1981年、明治大学文学部卒業後、フリーのジャーナリストに。現在、フリーのジャーナリスト集団「アジアプレス・インターナショナル」に所属。1977年にビルマ・シャン州の解放区を訪れて以来、ビルマ、タイ、アフガニスタン、インド、バングラデシュなど、アジアの諸民族の世界を訪ねる。1985年3月から88年10月まで、ビルマ北部のカチン州、シャン州へ長期取材。その記録をテレビ番組「回想のジャングル」(NHKスペシャル:1989年6月18日放映)で発表する。『森の回廊』で1996年に、第27回・大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。著書に『宇宙樹の森』(現代書館)、『北ビルマ、いのちの根をたずねて』(めこん)、『生命の森の人びと』(理論社)がある。共著に『アジア大道曼陀羅』(現代書館)、『世界の民・光と影』(明石書店)などがある。


高野さんの 『辺境の旅はゾウにかぎる』 のおしまいのほうに、こんなことが書いてある。
(書評 「探検部のカリスマは最上のペテン師だった ―― 『流木』 西木正明」 より抜粋)

<突然だが、世間に名の知れたマスコミ・出版関係者の名前をいくつか挙げてみる。
本多勝一/関野吉晴/吉田敏浩/高山文彦/長倉洋海/星野道夫/惠谷治/船戸与一/西木正明
年も仕事も志向性もまったく異なる九名だが、彼らには一つだけはっきりした共通点がある。 なんだか、おわかりだろうか。
「行動派」「硬派」「辺境をテーマにしている」「冒険的」……。
どれも近い。だが、もっと具体的な共通点というか共通体験がある。>

さて、正解は?

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年5月21日 (木)

【読】順序がちがったけれど

高野秀行熱は続いている。
今月11日から、三冊読んだ。
ちょいとばかり、読む順序をまちがえたけれど。

Takano_sylkroad『西南シルクロードは密林に消える』
 高野秀行  講談社 2003/2/25発行
 367ページ 1900円(税別)

ハードカバーで、読み応えがあった。
じつに面白かった。
これまでに私が読んだ「高野本」(12冊)のなかでも、一、二を争う傑作といえる。
高野さんは、この旅の後、インドに入国できなくなるのだが……詳しくは書かない。
続編というか、この旅の後遺症で苦労する話が、次の二冊。





Takano_jitenshaTakano_umokka『神に頼って走れ!』 高野秀行
 集英社文庫 2008/3/25発行
 242ページ 476円(税別)

『怪魚ウモッカ格闘記』 高野秀行
 集英社文庫 2007/9/25発行
 331ページ 571円(税別)

西南シルクロードの旅 → 怪魚ウモッカ探し(インド) → 国内自転車旅行、という時系列だったのだ。
先に 『神に頼って走れ!』 という、東京から波照間島までの自転車旅行記を読み、その後 『怪魚ウモッカ…』 を最後まで読んだところで、国内自転車旅行の意味がわかった。

この三冊の内容は、ここに詳しく書かないほうがいいと思う。
私のブログに影響力などまったくないと承知しているが、ひょっとして、この記事がきっかけで高野さんの本を読んでみようと思う人がいないともかぎらないから。
いわゆるネタバラシになりそうなので、遠慮しておく。


ところで、図書館から高野さんに関連する(そして、船戸与一氏も推薦している)本を借りてきた。
きっと読めないと思うが、どういう本か知りたかったのだ。

Yoshida_morinokairou_1Yoshida_morinokairou_2『森の回廊』 (上・下)
 吉田敏浩 NHKライブラリー
 2001/2/15発行(絶版)
 308ページ/306ページ
 各970円(税別)

非常に丹念に書かれた、誠実なビルマ(ミャンマー)紀行である。
船戸与一氏も高野さんも絶賛し推奨しているが、気まじめ過ぎる内容で、今はとても読めそうにない。
まだ高野熱がさがらないので、このように硬い内容はじっくり時間をかけないと無理だ。
今の私には、根気が足りないのだ。
でも、いつか読んでみたいと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月11日 (月)

【読】高野さんの語り口

高野秀行さんの本を、次々と読んでいる。
最近読んだ、『巨流アマゾンを遡れ』(集英社文庫)の巻末解説(浅尾敦則さん)に、高野さんの魅力が的確に書かれていた。

Takano_amazon高野秀行 『巨流アマゾンを遡れ』
 集英社文庫  2003/3/25発行
 261ページ  514円(税別)

私は、以前このブログで、高野さんの文体がいい、と書いたことがある。
浅尾敦則さんの巻末解説では、「文体、というよりも語り口」がいいのだ、と書かれていて、なるほどと頷かされた。

― 本書巻末解説 (浅尾敦則) より ―
<(前略)いったい彼の本の何が私をそこまで狂わせて……ではなく、魅了しているのだろうか。/まず第一に挙げられるのはその語り口だろう。 文体ではなく、「語り口」である。彼の本は、本であるからには当然文字で書かれているわけだが、その文章はほとんど語り芸に近いものといっていい。>

そうなのだ。
すっかり高野秀行中毒になってしまった私も、高野さんの魅力がどこからきているのか、うまく表現できなかったが、「語り芸」と言われて思わず膝を打った。

浅尾さんの解説をもう少し引用しよう。

<(前略)ひと口に語りといっても、そこにはいろんな要素が混在している。(中略)舞台となっている地域の歴史的背景や少数民族事情などが知らず知らずのうちに理解できて勉強になるという点では、ちょっと講談に似ている。また、語り手のリズムに読者を強引に引きずり込んでいつのまにか感覚をマヒさせてしまう、呪術的といってもいいくらいの被共振力はあたかも阿呆陀羅経的である。/そして彼が語る物語の中身はというと、これはもう落語以外のなにものでもない。>


「被共振力」というのは聞き慣れない言葉だが、「阿呆陀羅経的」と言われれば、そうかもしれない。
「落語以外のなにものでもない」 ―― よくぞ言ってくれた。


今日から、ハードカバーのとても魅力的な本を読みはじめた。
真打ち登場、といったところか。
高野ワールドにどっぷり浸かっている。


Takano_sylkroad高野秀行 『西南シルクロードは密林に消える』
 講談社  2003/2/25発行
 367ページ  1900円(税別)

<中国・成都からビルマ北部~インド・カルカッタまでの古代通商路。/それは謎にみちた最古のシルクロードと言われている。/戦後、世界で初めて、この地を陸路で踏破した/日本人ノンフィクションライターが見たものは?/ジャングルの自然、少数民族、ゲリラたちと織りなす、/スリルとユーモアにあふれる奇想天外な辺境旅行記。>

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年5月 3日 (日)

【読】読了 『怪しいシンドバッド』

高野秀行さんのこの本も、期待を裏切らずおもしろかった。

Takano_sindbad高野秀行 『怪しいシンドバッド』
 集英社文庫 2004/11/25
 293ページ 552円(税別)
 (親本 朝日新聞社 1997/7)

高野さんが「十九歳から二十九歳にかけての十年間に経験した、旅や海外生活のエピソードを集めたもの」(著者あとがき)である。

集英社文庫からでている高野さんの本では、『幻獣ムベンベを追え』(文庫2003年1月/親本1989年)、『巨流アマゾンを遡れ』(文庫2003年3月/親本1991年)に続く、三冊目にあたる。

インド、アフリカ、タイ・ビルマ、中国、コロンビア、などを旅した時のおもしろいエピソードが満載。

高野さんは、ご自身を 「自分のやっていることがシンドバッドに似てるなと気づいた」 という。
「シンドバッドの冒険」 の、あのシンドバッド。
高野さんに言わせると、航海先でいつも災難にぶつかり死ぬほどの目にあいながら、懲りずにまた航海に出る、「懲りないやつ」――それが船乗りのシンドバッドである。

この本のタイトルはそこから来ている。

<ちがうところと言えば、シンドバッドは仕事で航海に出るが、私の場合は「旅」であることだろう。 つまり、好きでやっていることだから、彼よりもずっと楽しいことが多い。
 シンドバッドが聞いたら、「冗談じゃねえ、一緒にするな!」と怒るかもしれない。 でも、彼だって、転職すればもう少しは楽な生活が送れるかもしれないのに、懲りもせず航海に出かけるわけだから、やっぱり好きなんだとしか思えない。 何が好きかって? そこが、世界で最も有名かつ最も哀れな船乗りに、おこがましくも私がいちばん共感するところだ。 「何か未知なるもの」――これに尽きる。>  (はじめに)


出版順序からすればすっかり後まわしになってしまった、アマゾンの旅の本(『巨流アマゾンを遡れ』)を次に読んでみようと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月28日 (火)

【読】高野秀行さんの魅力

Kuramae_hotel_asiaTakano_tokyo蔵前仁一 『ホテルアジアの眠れない夜』
 (凱風社)
高野秀行 『異国トーキョー漂流記』
 
(集英社文庫)

続けて読んだ。
蔵前さんの本は、長く本棚で眠っていたもの。
期待していたほど面白くなかった。

このところすっかりハマっている高野秀行さんの著作、文体に慣れてしまったからだろうか、蔵前さんの今から20年前に出版された本は、少々もの足りなかった。
お行儀がよすぎるというか、ハメをはずさないというか。
もちろん、つまらない内容ではなかったが。

いっぽう、高野さんの 『異国トーキョー漂流記』 は、内容に関する予備知識ゼロで読みはじめた。
それがよかったのだろう。
私には新鮮な内容だった。
ここに詳しくは書かないが(まだ読んでいない人の楽しみを奪わないために)、高野さんの優しさを感じた。
この人は人間が好きなんだな、と、あらためて思う。


高野さんの著作の魅力は、その文体だと私は思う。
じつによく考え抜かれた上手な文章だ。

蔵前仁一さんが解説(『異国トーキョー漂流記』 集英社文庫書き下ろし)で、高野さんの魅力をうまくまとめているので引用する。

<さて、高野さんの本を読むたびにいつも思うことがある。 それは、冒険家でありながら冒険家らしい文章を書かないということだ。 普通の冒険記は、たいていの場合、自分がいかにすごい冒険をやったかが書かれているものだ。 あるいは、冒険家はつねに勇気ある立派な人として描かれている。 冷静沈着な判断力と勇気で危機を乗り越えられるからこそ冒険は成功するのだろう。>

<高野さんの冒険記は、いつもそこらか逸脱している。 脱線しているというか。 だから、アフリカ奥地を探検する理由としては、ちょっといかがなものか、というような怪獣探しが目的だったり、幻のシルクロードを探しに行った割には、単にビザの問題で帰国できなくなりそうになったり、アヘン栽培のルポにいったはずが、自らアヘン中毒にかかったり、いちいち間が抜けている。 全然立派な探検家じゃない。 冷静な判断力があるとも思えない。 とっちかというと成り行きまかせである。>

<だからこそ高野さんの冒険記はおもしろいんだと僕は思う。> (蔵前仁一)


3月18日から高野さんの著作を読みはじめて、かれこれ7冊読みおえた。
この人が翻訳した本(『世界が生まれた朝に』 エマニュエル・ドンガラ)を含めると8冊。
そして、これから読もうとしている、手元の7冊。
その表紙を並べてみよう。

これまで読んだ7冊 (私が読んだ順) +1

Takano_myanmaTakano_ahen_oukokuTakano_sekai_no_shiwaTakano_wasedaTakano_mbembeTakano_memory_questTakano_tokyo_2Sekaiga_umaretahini_2











これから読みたい7冊 (順不同)

Takano_sindbadTakano_sylkroadTakano_jitenshaTakano_zou1Takano_umokkaTakano_amazon_5Takano_gokuraku_tai_2

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月24日 (金)

【読】この本もおもしろかった

高野秀行さんの新刊を、あっというまに読んでしまった。
通勤電車とバスの中、二日間でほとんど読み、最後の数ページは、今夜帰宅後いっきに読んだ。


Takano_memory_quest高野秀行 『メモリークエスト』
 幻冬舎  2009/4/10発行
 327ページ  1400円(税別)

どんな内容かまるで知らずに買った本である。
「メモリークエスト」という題名から、勝手に、藤原新也の『メメント・モリ-死を想え-』のような内容を想像していた。
(藤原新也のこの本は、あいにく読んでいないけれど、なんとなく雰囲気が……)

まったくちがった。
高野さんの独壇場とも言える、世界をまたにかけたドタバタ旅行記。
それも、他人の探し物(人探し)を異国で実践(代行)するという目的をもった、じつにユニークな企画だ。

タイから、セーシェル(インド洋、アフリカ大陸の東にある小国)、南アフリカ共和国、そして、旧ユーゴスラビアと、行き先にはなんの脈略もない。

ひたすら、他人から依頼された探しもの(幻冬舎のWebマガジンで読者から募集、26件の応募があった)、「これを探してほしい」というリクエストに応える、世界を股にかけた旅。

他人の古い「記憶」を「探しに行く」旅だから、メモリークエスト(Memory Quest)というわけだ。

どの逸話も面白いが、私がとくに気に入ったのは、セーシェルの「春画おやぢ」探しだ。
ここに詳しくは書かないけれど、愉快だった。


あえて購入まではオススメしないけれど、読んで損はない一冊。
もちろん買っていただいてもかまわない。
その方が著者は喜ぶだろうし、新刊なので図書館で借りられるようになるまで時間がかかるだろうから。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月22日 (水)

【読】読みました

タイミングよく、朝の通勤電車が錦糸町駅に着いたとき、本文を読みおえた。
帰りの電車の中で、解説(立松和平)と訳者(高野秀行)のあとがきを読んだ。
あとは、電車の中でぼーっとしていた。
もう一冊持って、出かけるべきだったな。


Sekaiga_umaretahini『世界が生まれた朝に』
エマニュエル・ドンガラ 著/高野秀行 訳
 "Le feu des origines" by Emmanuel B. Dongara, 1987
小学館 1996/12/10発行 1942円(税別)

小説のタイトルは、最後まで読んだところで種明かしがあった。
ここには書かないけれど。

立松和平の解説も、それなりに面白かったが、なによりも訳者あとがきに、この小説の魅力が要領よくまとめられている。
魅力あふれるこの小説を、たくさんの人に読んでもらいたい願いをこめて、紹介しておこう。
ほぼ、高野さんが書いている通りの文脈、表現で。

1.アフリカ的世界
 この一冊の本にアフリカの全てがたたきこまれている。
祖先の霊、呪術、儀礼、タムタム、森や大河が支配する伝統社会に始まり、征服者である白人の到来、植民地時代、独立闘争、そして独立後の混迷と急激な近代化。
 この、ほとんど全アフリカに共通の歴史を、一人のコンゴ人の一生と重ね合わせながら描ききっている。

2.普遍性
 アフリカをはるかに超えた普遍性を有している。
 アフリカの物語である以上に、「この世に生を受けた一人の人間の物語」であり、「アフリカ人であること」の奥に「人間であること」という光がはっきり見てとれる。
 ドンガラの淡々とした語り口に、いつも人肌のぬくもりのある普遍性が感じられる。

3.思想――≪知≫と≪力≫
 アフリカの思想に正面から取り組んでいる。
 アフリカでは、精神と物質を切り離して考えることはない、とよく言われる。
 なんらかの≪力≫が働けば、物質にも魂が宿るし、心に念じたことも物理的な存在になりうるという。
 その≪力≫を動かすものが≪知≫である。
  ※ 「知」という言葉は、「知性」よりも「知恵」のニュアンスか。

4.物語性
 この作品を見るかぎり、ドンガラは特に際立った小説技法やレトリックを持ち合わせていないようだ。
 代わりに、めりはりのきいた話の展開と快いテンポでストーリーテラーとしての能力を存分に発揮している。
 冒険、恋愛、戦い、家族、長老、魔術、夢……といった物語のあらゆる要素が盛り込まれており、純粋にエンターテインメントとしても十分楽しめる。


以上であるが、私には、最後の「物語性」が、この小説の魅力の大きな部分だと思える。

ちなみに、この作品は、作者(ドンガラ)が日本滞在中に書きあげられた。
本文の最後にも、こう記されている。

 モンペリエ/ボコ/ブラザヴィル/東京
 1975―1978、1983―1986


繰り返しになるが、この素晴らしい小説を、たくさんの人に読んでもらいたいと願う。
高野秀行さんという人を教えてくださった、「こまっちゃん」に感謝。
高野秀行さんに出会わなければ、この小説にも出会うことがなかっただろうから。



ところで、今日、ネット注文(e-hon)してあった高野さんの新刊が書店に届き、さっそく受けとってきた。

Takano_memory_quest『メモリークエスト』 高野秀行
 幻冬舎  2009/4/10 発行
 327ページ  1400円(税別)

ユニークな発想・企画で書かれた、興味ぶかい内容(書き下ろし)。

e-honサイトより
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032232784&Action_id=121&Sza_id=C0

[要旨]
あの日、あの時、あの場所で消えたあなたの記憶、探しにいきます。「探索のプロ」を自任する著者は、縁もゆかりもない赤の他人のために、不安を抱きつつも世界へ飛び立った。時空を超えた空前のドラマが、いま始まる。
[目次]
第1章 スーパー小学生(タイ)(「白紙」の船出;ゴルゴ杉山一家、西へ ほか);第2章 根無し草の男(タイ)(早く来い来いメーサロン!;タイ・ミャンマー国境へ ほか);第3章 楽園の春画老人(セーシェル)(曙がいっぱい;驚異の観光アイランド ほか);第4章 大脱走の男(南アフリカ共和国)(なぜか南アフリカ;最悪の都市の最悪の宿 ほか);第5章 ユーゴ内戦に消えた友(旧ユーゴスラヴィア)(謎の国セルビア;「日本」といえば「ナゴヤ」 ほか)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月21日 (火)

【読】読んでいます

『百年の孤独』 (ガブリエル・ガルシア=マルケス) が引き合いにだされていたので、さぞかし難しい小説かと思っていたが、まったくそんなことはなかった。
読みやすく、おもしろい。
高野さんの訳文もいい。

280ページほどの本文の、200ページまで読みすすんだ。


Sekaiga_umaretahini『世界が生まれた朝に』
エマニュエル・ドンガラ 著/高野秀行 訳
 "Le feu des origines" by Emmanuel B. Dongara, 1987
小学館 1996/12/10発行 1942円(税別)

ストーリーがすっきりしていて、登場人物もわかりやすい。
ただし、描かれている世界が、アフリカ コンゴの住民たちの、私たちの日常からかけ離れている。
そこが面白い。

― 訳者あとがき より ―
<……ドンガラは、ローカル性と普遍性を実にうまく利用している。 最も顕著な例は、原始共産性から貨幣経済の導入、十九世紀型の帝国主義、そして現在の民主化問題を問う時代まで、言ってみれば人類が何千年もかけて昇ってきた文明の諸段階を、一人の人間が一生にうちに全部体験してしまうという設定である。 こんなことはアフリカのコンゴを舞台としないかぎり不可能な話だ。……>

主人公は マンダラ・マンクンクという、バナナ畑で産みおとされた男。
青緑色の目をもつ、いわば異能者である。
彼が生まれた部族社会は、まさに「原始共産性」的で、その社会にとつぜん西欧文明(近代帝国主義)の波が襲い、急激な変化にみまわれる。

このあたり、被征服民族の悲哀は、アイヌ民族を思いおこさせる。
武力による支配、略奪と虐殺、そして言葉巧みな交易を装った収奪……。
時期こそ、日本列島北端の島で繰り広げられた頃よりすこし下るが、アフリカ大陸を舞台に同じような歴史が繰り広げられていたのである。

第二次世界大戦ではフランス軍に徴用されて欧州戦線でドイツ軍と戦い、その後、ベトナムでのフランスの戦い(ディエン・ビエン・フーの戦い)にもたくさんの兵が駆りたてられる。
そんな苦難の歴史も、この小説に描かれている。



【参考】

コンゴ共和国  ― Wikipedia より ―

コンゴ共和国(コンゴきょうわこく)は、中部アフリカに位置する共和制国家。東にコンゴ民主共和国、北にカメルーンと中央アフリカ、西にガボン、南アンゴラの飛地カビンダと国境を接している。首都はブラザヴィル。
二つのコンゴとアンゴラは15世紀頃まではコンゴ王国として一つだったが、ポルトガルによる征服を経て19世紀にベルギー領(現在のコンゴ民主共和国)とフランス領(現在のコンゴ共和国)に分けられた。

1903年 中央コンゴと呼ばれるようになる
1910年 フランス領赤道アフリカの一部となる
1946年 フランス議会に議席を獲得
1958年 フランス共同体内の自治共和国になる
1960年 コンゴ共和国として正式独立
1968年 憲法を改正


エマニュエル・ドンガラ
  ― 本書 著者紹介 より (1996年日本語訳出版当時) ―

1941年、コンゴに生まれる。 中等教育を終えたのち、アメリカ合衆国に渡り、物理学を学ぶ。 物理学博士。
現在はブラザヴィル大学教授。
最初の小説 『手には銃を、ポケットには詩を』でラディラス・ドルマンディ賞を受賞。 また、コンゴで最も有名な劇団 “Theatre de l'Eclair” を主宰し、自作の戯曲のほか、サルトルから三島由紀夫にいたる幅広い作家の作品を上演している。
弟が日本に長期留学していた関係で、しばしば日本を訪れており、コンゴを代表する親日家でもある。
なお、本書 『世界が生まれた朝に』 は、1988年のブラックアフリカ文学大賞を受賞。 ヨーロッパ各国でも絶賛され、原版のフランス語のほか、ドイツ語、スペイン語、デンマーク語、ノルウェー語に翻訳されている。
また、近くアメリカで英語版が出版される予定。


高野秀行オフィシャルサイト
 http://aisa.ne.jp/takano/

 訳書紹介 『世界が生まれた朝に』
  http://aisa.ne.jp/takano/books_page/dongala.html

訳者から一言
<主観的にはアフリカ文学の最高峰、客観的に見ても五指には入る名作である。
原書のフランス語のほか、英語、ドイツ語、スペイン語、デンマーク語、ノルウェー語など世界中で翻訳されている。
最初の1ページだけ堅くて読みにくいが、2ページ目からはすごく平易な文章になる。 立読みですぐ断念なさらぬよう。
メリハリの利いたストーリーと詩情に満ち満ちた文体が感動的で、読み出すと止まらない。
もちろん、訳文も冴えている!?>


高野さんのブログも面白そうだ。

辺境・探検・冒険ブログ MBEMBE ムベンベ
日本を代表するエンタメ・ノンフ辺境探検作家、高野秀行のオフィシャル・ブログ
 http://www.aisa.ne.jp/mbembe/

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月17日 (金)

【読】毒草の本(続)

とても面白い本だったので、続きを書いてみる。

Dokusou_tabetemita『毒草を食べてみた』  植松 黎 (うえまつ・れい)
 文春新書 099  2000/4/20発行
 221ページ  690円(税別)

興味ぶかい話が満載。

薬になったり、薬物(ドラッグ)になったり、あげくの果てに毒になったり、そんな植物がたくさんあることに驚いた。
人類と植物のかかわりは、太古にまでさかのぼるらしい。
昔の人は、よくもまあこんな毒草をみつけたものだ。

それにしても、なぜこんな植物が?と思うような、奇妙なものが生存している。
地球は、なんとたくさんの「不思議」に満たされていることか。


チョウセンアサガオ (38話)
 曼荼羅華
 ナス科・チョウセンアサガオ属
 学名 Datura metel (ダツラ・メテル)
 英名 Datura
 成分 ヒヨスチアミン、スコポラミン、アトロピン
 精神錯乱 せん妄、幻覚

江戸時代の外科医 華岡青洲は、このチョウセンアサガオの調合薬で全身麻酔をおこない、乳癌の手術をした。
1805年(文化二年)のことだ。
青洲が使ったとおもわれるのは、インド原産のダツラ・メテルという種類。
ダツラはインドの古い地名に由来し、そこでは古代からこの植物の向精神作用が利用されてきたことが、サンスクリットの文献に残っているという。
種名のメテルは、アラビア語の「麻薬性」をあらわすmathelが語源。

インドから中国、朝鮮に渡り、日本に伝わったのは1680年代の貞享の頃だったといわれる。
「近頃朝鮮より来り……」と、『和漢三才図会』に紹介されている。
園芸にはチョウセンアサガオ、薬用には曼荼羅華と呼んで、区別されていた。

その曼荼羅華を使えば、夢うつつのうちに手術ができるであろうと、日本の医師たちは文献で知ることができたが、誰も試そうとはしなかった。
華岡青洲はそれを実行に移した、すごい人だった。
妻と実母の二人を実験台にして……。
くりかえしの実験によって、青洲の母は亡くなり、妻は失明した。

チョウセンアサガオの麻酔作用は、この数十年後に実用化されたエーテルとちがって、眠りをもたらすものではない。
幻覚や錯乱状態をひきおこす。
それを麻酔薬として使うということは、「大量のドラッグと酒を一緒に飲ませるにもひとしい」。
意識は混濁し、痛覚も麻痺して、大量に飲めば昏睡状態におちいって、ちょっとやそっと傷つけられても感じないだろう。
つまり、現代の麻酔薬にはほど遠いものだった。

 ― 本書 P.190-192 ―



長々と要約引用したが、こういう話が私には興味ぶかい。

さらに、著者は日本人と「幻覚」の関係について、次のように考察している。

<……日本人は、文化的にも風土的にも、この幻覚というものになじめない人種といえる。 ところが、ダツラ・メテルの原産国であるインドでは、現在でもこの種子をマリファナに混ぜて吸い、幻覚と陶酔の両方を楽しむ文化がある。 (中略) メキシコなどでは聖なる植物として古代から宗教儀式に欠かせなかった。 メキシコの先住民であるウイチュール族には、チョウセンアサガオ占い師(キエリ・ニノウィヤリ)なるものの修行があり、チョウセンアサガオの種子を飲まされた弟子たちは、初めはめまいで喉がしめつけられたようになるという。 しかし、足がもつれ、身をよじって地面に倒れながらも、高い岩山に登ってそこから飛び降りたい衝動にかられるのだという。 幻覚植物がひきおこす高揚感は、世俗的な世界から神聖な世界へと飛び出すすばらしい神秘体験なのである。>

<しかし日本人は、同じ現象にたいしてウイチュール族のような心境になれるだろうか。 チョウセンアサガオの種子を間違って食べた日本人は、ほとんどが幻覚の恐怖という心の傷を生涯残している。>


このような話が、他にもたくさん紹介されているのだが、紙数が尽きた(ナンノコッチャ)。

バッカク(麦角)から偶然発見された、LSD。
アンデスの「聖なる植物」 コカの葉から、ヨーロッパ人がつくりだした「白い粉」、コカイン。
漢方薬でも使われるマオウ(麻黄)の成分からつくられる、ヒロポン。

ちなみに、あの「スカッとさわやかコカ・コーラ」は、1886年、アメリカ人化学者 ジョン・ベンバートンが、コカの葉とアフリカのコーラナッツ(興奮作用のある果実)を調合し、コカ・コーラと名づけたものだった。
その後、コカインは取り除かれ、風味を添えるためにコカイン抜きのコカの葉が使われていたが、とうぜん、現在は風味づけのコカの葉も使われていない。……


薬物(ドラッグ)の話は、なぜか魅惑的である。
もちろん、私は試したことはないが。


薬物と人類の関わりにつても、興味ぶかい話が多い。

第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)で、日本軍は、戦場での恐怖心を手っとり早くとりのぞくために、ヒロポン(覚せい剤)を利用していた。
<打ったとたんに気持ちがよくなり、やるぞ、という高揚感とともに集中力が高まり、人間性への抑制もとりのぞかれてしまうかららしい。>

戦後、日本におびただしい数のヒロポン中毒者が出現したのは、余剰品が街にあふれだしたためだという。
坂口安吾は、覚せい剤の禁断症状に苦しみ、精神病院にまで入院した。
静養先の伊豆にさえ、ヒロポン屋というものがいて、風呂敷包みを背負って御用聞きにやってきたという。


長くなって、きりがない。
こんどこそ、紙数が尽きた。ウソだけど。


まだ絶版にはなっておらず、新刊書店でも入手可能なので、興味をもたれた方はぜひどうぞ。

e-hon
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000030676820&Action_id=121&Sza_id=B0

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月15日 (水)

【読】毒草の本

ずいぶんまえに、古本屋で手に入れた本。
タイトルにひかれ、内容にもひかれた。

今日から読みはじめたのだが、すこぶる面白い。

Dokusou_tabetemita_2『毒草を食べてみた』  植松 黎 (うえまつ・れい)
 文春新書 099  2000/4/20発行
 221ページ  690円(税別)

この本でとりあげられている毒草。
馴染みぶかいものもあれば、私の知らなかった植物もある。
列挙してみよう。
全部で44。

ドクウツギ、バイケイソウ、キョウチクトウ、トリカブト、フクジュソウ、キナ、バッカク、シキミ、ドクゼリ、アサ、スイトピー、ヒガンバナ、スズラン、タバコ、コカ、ジギタリス、イヌサフラン、インドジャボク、クラーレノキ、マチン、ストロファンツス、イラクサ、ケシ、クサノオウ、スイセン、オトギリソウ、アセビ、マンドレーク、ヒヨス、ベラドンナ、アイリス、イチイ、ポインセチア、クリスマスローズ、ビンロウ、マオウ、トウワタ、チョウセンアサガオ、ペヨーテ、ドクニンジン、ニガヨモギ、エゴノキ、ミトラガイナ、ゲルセミウム・エレガンス。


まだ15番目の「コカ」までしか読んでいないが、意外な植物にも猛毒のあることがわかって、おもしろい。
バイケイソウ、キョウチクトウ、フクジュソウ、シキミ、スイートピー、スズランなどがそうだ。

たとえば、フクジュソウ(福寿草、キンポウゲ科フクジュソウ属)。
アセボトキシンという心臓に作用する毒が、根に含まれる。
このフクジュソウが、「食用の山菜」としてテレビで紹介されたことがある(平成10年4月)というから驚く。
実際に、心臓病と糖尿病を患っていた老女が、「フクジュソウの根を煎じて飲めば心臓にいい」ということを聞いて試したところ、発作を起こして亡くなったという話も紹介されている。
なまはんかな民間療法も怖いものだ。

アサ(麻、アサ科アサ属)は、麻薬的用途には大麻(マリファナ)、繊維には麻(ヘンプ)、植物学的にはアサ(カンナビス)と、利用目的に応じて呼び方が変えられている、ということも、この本を読むまで知らなかった。

いま、世間を騒がせている大麻草は、ロープの原料となる麻とは別物だと思っていたが、成分(THC:テトラヒドロカンナビノール)の含有量の多寡の違いしかないらしい。

大麻と人類とのつきあいは古く、治療薬として紀元前1000年頃から利用されていたという。
1997年のWHOの調査では、「大麻は酒やタバコより安全」という結果が出たのに、公表されず握りつぶされたということも紹介されている。
ちかごろの日本の大麻騒ぎも、どこかおかしいと思う。


いろいろと考えさせられる内容が満載の本である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月 6日 (月)

【読】桜について読んでみた

きのう図書館でみつけた本。
きわめて軽い(薄い)内容だったので、一日で読みおえてしまった。

ほとんど得るところなし。
ソメイヨシノをぼろくそに書いているかと思うと、あとがきで、「なんと言われようと、ソメイヨシノが好きだ」というこの本の著者の頭のなかがわからない。

記述者の名前がどこにもなく、「美しい日本の常識を再発見する会 編」とある。
「○○を××する会」などと自称する「会」に、ろくなものはない。

こういう本でも、いくつか知識を得ることができるものだが、ここに書くほどのことが何もないのが残念。
唯一、カバーのイラストのかわいらしいところが気に入った。


Nihonjin_sakura『日本人は桜のことを何も知らない』
 美しい日本の常識を再発見する会 編
 (株)学習研究社
 2003/3/6発行  190ページ
 1200円(税別)

いちおう、読書記録として書いておく。

―目次―
第1章 ソメイヨシノ的なる国
第2章 はやすぎる生長、はやすぎる死
第3章 日本人とサクラ史
第4章 サクラの植物学
第5章 サクラに愛を込めて

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 5日 (日)

【読】ワセダ三畳青春期

二日前から読んでいた、高野秀行さんの本である。

Takano_waseda高野秀行 『ワセダ三畳青春期』
 集英社文庫  2003/10/25発行
 293ページ  552円(税別)
 文庫書き下ろし

早稲田大学正門から徒歩五分。
大きな胡桃の木のかたわらにある古い木造二階建てのアパート。
そこは、高野さんが、1989年から2000年までの11年間、22歳から33歳にかけて暮らした場所である。
三畳一間、風呂なし、トイレ・台所共同で、家賃はなんと12,000円。

これが1970年代ではなく、80年代が終わろうとしていた頃の話とは、とても思えない。
浮世離れした暮らしぶりに、ただただあきれてしまうが、読後感は、爽やかのひとこと。

帯にある、「酒飲み書店員さんたちが強力にオススメする1冊」というコピーは、実際に読んでみて妙に説得力がある。

帯裏には、「酒飲み書店員さん絶賛の声!」が紹介されているので、その中のいくつかを書き写してみよう。

●まるで高品質の駄菓子。笑撃の連打で哀愁を包んだ青春の軌跡!
  (ときわ書房本店 宇田川氏)
●面白いけど、どこからかスッパイ臭いがしそうだよ!
  (旭屋書店水道橋店 和泉沢氏)
●椎名誠 『哀愁の町に霧が降るのだ』 にハマッた人には特にオススメ!
  (本の雑誌社 炎の営業 杉江氏)

椎名誠さんの 『哀愁の町に霧が降るのだ』 (略して、「哀霧」などと呼ばれていた)は、その昔読んだ記憶があるが、細かい内容は忘れてしまった。
ただ、たしかに、この本と雰囲気は似ていると思う。

著者の高野さんの年齢は、すこしいっているけれど、「青春記」だなあと思う。
この早稲田のアパート(野々村荘、ただし仮名らしい)で、高野さんは何冊かの本を書いたという。
うーん、こんなアパートで、という感もあるが、なにやら納得。

 『幻獣ムベンベを追え』 (集英社文庫)
 『巨流アマゾンを遡れ』 (集英社文庫)
 『極楽タイ暮らし』 (ワニ文庫)
 『ビルマ・アヘン王国潜入記』 (草思社)

 以上、本書「あとがき」より。

高野さんは、早稲田大学探検部に所属し、しょっちゅう外国へ行っていて、大学の授業はあまり受けていないように見える(そのあたりのことは、あまり書かかれていない)。
だが、すごいことに、7年生で卒業したらしい。
「あとがき」によると、<私が奇跡的に卒業できたのは、コンゴでたまたま知り合いになった作家の小説を翻訳し、それが卒論として認められたから>だという。

 エマニュエル・ドンガラ著 『世界が生まれた朝に』 (小学館)

読んでみたいが、絶版らしい。

http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000019852332&Action_id=121&Sza_id=F3
世界が生まれた朝に
エマニュエル・ドンガラ/著 高野秀行/訳
出版社名 小学館
出版年月 1996年12月
ISBNコード 978-4-09-356041-2
(4-09-356041-2)
税込価格 2,039円
頁数・縦 287P 20cm
分類 文芸 /海外文学 /フランス文学
出荷の目安 現在ご注文できません
[要旨] 「マンクンク、おまえは破壊者だ!」「「力」と、「力」に敬意を捧げるタムタムをひっくり返す者」と運命づけられ、大河に、氏族の王に、植民地支配の異人に、そして、自分の社会そのものに挑んでいった永遠の革命児マンダラ・マンクンク。コンゴのとあるバナナ畑で孤独な生を受け、長じては偉大な“ンガンガ”(呪術師)となった男が、半世紀に及ぶ試練の旅を乗り越えて、最後に見たものは…。「知」と「力」を巡る現代アフリカの創世神話。人間の根源に迫るアフリカ大河小説。1988年のブラックアフリカ文学大賞を受賞。


ちょっと、興味ぶかい。
さいわい、近くの図書館にはあるので、読んでみようかな。

―小平市立図書館蔵書データより―
抄録 現代西欧文明の最高レベルの教養と、アフリカの思想を「百年の孤独」にインスピレーションを得て重層的に描いた作品。生まれながらにして光る目と聖痕を持つマンクンク、長じて偉大な呪術師となった男が最後に見たものは。
著者紹介 〈エマニュエル・ドンガラ〉 1941年コンゴに生まれる。中等教育を終えたのちアメリカ合衆国に渡る。物理学博士。プラザウィル大学教授。劇団を主宰するかたわら、小説も書いている。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年4月 1日 (水)

【読】高野さんのトホホ話

読みはじめると面白くてたまらない。
またこんな本をみつけて、読んでいる。

Takano_sekai_no_shiwa高野秀行 『世界のシワに夢をみろ!』
 小学館文庫  2009/1/13日発行
 237ページ  495円(税別)
 親本  2005年9月 小学館より刊行

勤務先のすぐ近くにあるBOOK OFFで数日前に入手。
読まれた形跡のない真新しい本が、定価の6割程度で買えるのはありがたい。

『ヤングチャンピオン』(秋田書店)に連載されたエッセイが集められた、軽い読み物だ。
高野さんの世界各国の旅のエピソードが31話。

本のタイトルと、文庫版のカバー写真が秀逸だと思う。
「世界のシワ」とは、要するに「辺境」とか「僻地」と呼ばれる地域のことだ。

高野さんいわく。

今、世界の中心はアメリカである。
政治も経済も文化も、「グローバリゼーション」という名の「アメリカナイゼーション」、つまりアメリカ化が世界中に広まっていこうとしている。
(アメリカが広めようとしている、と言うのが正確かもしれない)

アメリカ化がすべて悪いということもないが、ひとつ言えるのは、アメリカ化が進むと「世界はのっぺりとする」。
「イメージで言えば、先進国と大都市を中心に、みんながせっせと大地にアイロンがけをしているようなものだ。」

この譬えは、わかりやすい。

そういうわけで、この本は、高野さんが「世界のシワ」、つまり、まだ「アイロン」のかかっていない国や地域を歩きまわって経験した 「トホホ話」 を集めたものだ。
魅力的なエピソードが満載。


半分ほど読んだが、私が気に入った逸話がいくつかある。
この本は、四つの章にわかれていて、それぞれ「奇の章」「妙の章」「珍の章」「異の章」と名づけられている。

「奇の章」は、「初デートは洞窟だ![日本・奥多摩]」ではじまり、例のゴールデン・トライアングル地帯でのアヘン研究(『アヘン王国潜入描かれている 「コンプリートな男 [タイ・バンコク]」 など、7話。

「妙の章」に収められている 「うんこ臭いプレーでいくべし [中国]」 と、「珍の章」「世紀末バスのすさまじき自由 [中国・貴州省]」 に大笑いした。

詳しいことはここに書かないが、かなりババッチイ話であり、私は、ババッチイ話が好きなのだ。


電車の中で、笑いをこらえるのに苦労した。
高野さんが「はじめに」で書いているとおりだった。

<これからお話しする三十一のエピソードは私が探検部時代の七年間と、卒業後の十数年間に体験した出来事である。「奇」「妙」「珍」「異」の四章に分けたが、読者が読みやすくなるようにという配慮以外、特に意味はない。ただし前半はわりと軽めのエピソード、後半は比較的ディープなエピソードという傾向はある。全篇を通して、食事中や電車の中では読まないほうがいい。思わず噴き出しても大丈夫な環境で楽しんでいただければ幸いだ。>  (本書 「はじめに」)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年3月31日 (火)

【読】読了 『アヘン王国潜入記』

用があって有給休暇をとったので、午後、ゆっくり本を読む時間があった。
高野秀行さんの本をいっきに読了。

いろいろな意味で、目から鱗の落ちる一冊だった。


Takano_ahen_oukoku高野秀行 『アヘン王国潜入記』
 2007/3/25発行 集英社文庫
 387ページ 667円(税別)
 親本 『ビルマ・アヘン王国潜入記』 草思社 1998年

ミャンマー(ビルマ)といえば、「ビルマの竪琴」、「援蒋ルート」、軍事政権、アウン・サン・スー・チー、といった単語しか頭にうかばないほど、断片的な知識(知識とも呼べないほどのこと)しか、私にはなかった。

この本は、そんなミャンマーの辺境、少数民族シャン人の住むシャン州、さらにその中の「ワ州」(ワ人の地域)に潜入、その地に7ヵ月滞在して村人と生活をともにし、播種から収穫までケシ栽培に従事するという、ちょっとやそっとではできない体験のルポルタージュだ。

「潜入」といっても、ワ州連合軍(ワ軍)のつてを頼って、中国側からの「不正」入国(パスポートなしの密入国)である。

ワ州について、プロローグでこう紹介している。

<ワ州、人口は不明。住民の九割以上はワという少数民族が占めている。面積はおよそ四千平方マイル(約一万二百平方キロ)で、岐阜県とほぼ同じくらいである。けっして大きくない。世界中で市販されているいかなる地図にもワという名前は記されていない。が、知名度の低さのわりに世界に対する影響力がこれほど大きいところは、ほかには存在しないだろう。>

<ゴールデン・トライアングル、もしくはその和訳「黄金の三角地帯」という名称は誰しも一度は耳にしたことがあると思う。インドシナのタイ、ラオス、ビルマの三国が境を接するあたりに広がる、いわゆる≪麻薬地帯≫である。麻薬といってもいろいろあるが、ここは麻薬の王たるアヘンもしくはアヘンを精製して商品化された非合法モルヒネやヘロインの世界最大の生産地である。世界のアヘン系麻薬の60~70パーセントはこの国境地帯から流出されているという……>


なにやら危険地帯に踏み込んでスリリングな体験をしたように思われがちだが、高野さんが滞在した山村では、ケシは農作物であり、生活のための手段なのである。
(もっとも、ワ軍による収奪があって、彼ら村民の現金収入は微々たるものだが)

著者の高野さんのすごいところは、村民といっしょに暮らしながら、ケシ栽培の一シーズンを体験するばかりか、アヘンの吸引まで現地で試し、ついには中毒になってしまう、その徹底ぶりである。

おかげで(?)、読者は、アヘンとはどういうものか、中毒症状はどうなのか、といったことが具体的にわかるのだ。


アヘンの歴史についても、この本の中で詳しく記述されていて、興味ぶかい。
巻末の「主要参考文献」に、ホメ―ロスの『イーリアス』『オデュッセイアー』があげられていて意外だったのだが、ホメ―ロスのギリシャ時代は言うに及ばず、紀元前1550年頃のエジプトのパピルスにも、すでにアヘンに関する記録が認められているという。
それほど人類とケシ、アヘンの関係には長い歴史があるらしい。

一口に「麻薬」というが、「麻薬」即「悪」とも言えないのである。
アヘンから作られるモルヒネは、今や末期癌の苦痛をやわらげるために不可欠であることからもわかるように、その昔、人類はアヘンを「薬」として利用しはじめたのだった。

しかし、困ったことに、「薬」は一歩まちがえると「毒」にもなる。


高野さんは、現地滞在中、「アヘン=モルヒネ化計画」を思いつき(つまり、ケシ栽培を合法的な行為に転化して、彼が寝食をともにした山村農民の細々とした生活をなんとかしようという発想から)、「建白書」を書く。

その要旨は、こうだ。

「ワ州でアヘンの生産を停止する、もしくは減らすのは非現実的である。今までどおり、せっせと作るのがよろしい。ただし、アヘンをヘロインに精製して密輸するのは好ましくない。代わりに、モルヒネに精製して医薬品として公的に輸出すべきである。ワ州は≪麻薬地帯≫の汚名を返上し、≪国家≫の収入も減らず、なによりも農民の生活が安定する」
(本書 第五章「アヘン=モルヒネ化計画建白書」)

残念ながら、この建白書は採用されなかったが。


最後に、高野さんのこんな言葉が印象に残った。

<今やすっかり身近になった東南アジアの一角に、こんな国があるという人は少ない。「ビルマ」といえば、アウン・サン・スー・チーくらいしか思いつかないのがふつうだろう。「ビルマ」に関心を持っていても、「民主化問題」で止(とど)まっている人が大半だと思う。そういう人を私は、「ラングーン中心主義者」と呼んでいる。
 民主化は、私の目からは問題解決のとば口にしか映らない。何度もいうが、軍事政権が居直っているのは、少数民族を抑えられるの軍事力しかないと確信しているからではないか。>


いわゆる「民主化」運動に欠けているのは、少数民族(ビルマ族を含む8部族、全体で135に及ぶ民族―Wikipedeiaによる)が孕む矛盾に対する展望であろう。
難しく言うと、そういうことだろう。


――などと、小難しいことをぐだぐだ書いてしまったが、じつにおもしろい読み物だった。
高野さんの文章が、とてもいい。
人がらが滲みでているというか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年3月27日 (金)

【読】高野秀行さんに、はまる

図書館から借りてきた松本清張の本は、読まないまま返却しよう。
『昭和史発掘』は文庫版を四冊手に入れたことだし、『遠い接近』(カッパブックス)は活字が小さすぎて読むのがつらいので。

高野秀行さんの本がおもしろく、はまってしまいそうだ。

Takano_ahen_oukoku_2高野秀行 『アヘン王国潜入記』
 集英社文庫  2007/3/25発行
 387ページ  667円(税別)
 親本 『ビルマ・アヘン王国潜入記』 1998年10月 草思社

ミャンマー北部、反政府ゲリラの支配区・ワ州に、非合法で入国し(つまり密入国)、七か月にわたってケシ栽培を体験し、おまけにアヘン中毒まで体験するという、すごいものだ。


カバー写真がいい。
ケシ畑で、銃器をもった兵士たちが屈託なく笑っている。
撮影したのは、この本の著者 高野さん。
よほど気を許してくれなければ、こういう写真は撮れないものだ。

高野さんは、いささかの気負いもなく、辺境の民にとけこむことができる才能をもっているようだ。

ミャンマーには少数民族がたくさんいて、複雑な情勢を呈している。
巻頭に、「ミャンマー少数民族居住州」「シャン州の武装勢力支配区」の二枚の地図があり、「本書に登場する主な人物」一覧が掲載されている。
まるで、船戸与一の小説だ。

そうそう。
うれしいことに、巻末の解説が船戸与一。

<……ビルマの辺境は秘境中の秘境だと言っていいだろう。そこで何が起きているかを報告できるのは新聞記者やTVクルウではない。時間を気にする連中には向いていないのだ。それはフリーランスのみが可能であり、その証左が本書なのである。> (船戸与一による解説)


ちなみに、船戸与一はこの解説の冒頭で、ミャンマー(ビルマ)の国名についてこう書いている。
船戸さんらしく、爽快だ。

<海外のある民族や国家の呼称について喧(かまびす)しく論議されるようになってから二十数年が経つように思う。従来からの慣例に従えば差別主義者と誣(し)いられ、国際化しつつある用語を使えば軍事独裁の擁護者という烙印が待ち受けているのだ。>

<これらの議論はたいてい現地を知らない連中によって交わされる。それは単に政治的立場の表明であたり、ひとりよがりの倫理観の発露として行なわれているにすぎない。もううんざりだ。>

<タイ、ラオス、中国、インド、バングラディッシュの五ヶ国に囲まれた五千万の人口を持つ六十七万六千平方キロの地域の国名を何と呼ぶかはいまも日本では問題になっている。
わたしにはどっちでもいい。そういう議論に首を突っ込む気はさらさらない。
高野秀行はもっとないだろう。
彼はビルマと呼ぼうがミャンマーと謂おうが、そういう呼称とは無縁の山奥で暮して来たのだ。……>


今日は、高野さんの本を二冊仕入れてきた。

 『巨流アマゾンを遡れ』 (集英社文庫 2003年)
 『西南シルクロードは密林に消える』 (講談社 2003年)

前者は、勤務先近くのBOOK OFFで。
後者は、帰り道、新宿のジュンク堂に立ち寄って。
これは、ぜひ読みたかったのだ。

これでまた、本がふえてしまった。
今年は百冊以上読もうと、ひそかに目標をたてているのだが、どんどん読まない(読めない)ままの本が……。
だが、この二冊は、確実に読むことだろう。


Takano_amazonTakano_sylkroad

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年3月26日 (木)

【読】カハーニーシルベナーク

<……空路で二週間ぶりに首都ヤンゴンへ戻ってきた。
 川下りもインド国境も、ただの観光といった程度で私には印象が薄かったが、船戸与一は御機嫌だった。
 「小説の題名を思いついた」という。
 「どういうのですか?」
 「カハーニーシルベナークだ」 船戸さんは得意気に言ったが、私は眉をひそめた。
 『アンナ・カレーニナ』とか『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』みたいな東欧系のタイトルは船戸さんには珍しい。というか、ミャンマーに全然合っていない。
 そう言うと、「バカ!」と叱られた。「『河畔に標なく』だよ」>

船戸さんは、このタイトルが閃いたときに「もうこれで小説は書けたも同然だな」と言った。
「え、タイトルだけで万事オーケーなんですか?」と聞くと、「そうだよ。あとはこの題名に沿うように書きゃいいだけなんだから」と言った。

(高野秀行 『ミャンマーの柳生一族』 集英社文庫)


Funado_kahan_ni_shirubenaku『河畔に標なく』 船戸与一
 集英社  2006年
 493ページ 1900円(税別)

ついに、読了。
おもしろかったな。

ミャンマー(ビルマ)の中央部を北から南へ流れる川が、イラワジ川(エーヤワディー川)だ。
この物語は、そのイラワジ川に沿って展開する。
ミャンマー北部のカチン州。
ミャンマー国内では、民族対立が続いていて、とくにカチン州では独立をめざす勢力(カチン独立軍)がいまも活動している。
ミャンマー国軍、カチン新民主軍、ナガ民族社会主義評議会軍、といった勢力も、この地をめぐってしのぎを削っている。
軍事費を捻出するために、阿片をとる芥子が栽培されている。
かなり複雑な事情をかかえた国だということを知った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月23日 (月)

【読】快調、船戸与一

土曜日に、図書館から松本清張の本を三冊借りてきたが、日曜日に追加で借りた船戸与一を先に読んでいる。

書名 遠い接近(カッパ・ノベルス)
著者名 松本清張著
出版社 光文社
出版年月 1979

書名 昭和史発掘 1
著者名 松本清張著
出版社 文藝春秋
出版年月 1974

書名 昭和史発掘 2
著者名 松本清張著
出版社 文藝春秋
出版年月 1974

松本清張は、ちょっと辛気臭く、なかなか手をつけられない。


Funado_kahan_ni_shirubenaku書名 河畔に標なく
著者名 船戸与一著
出版社 東京 集英社
出版年月 2006.3
価格 1900円
ページ数 493p
大きさ 20cm
ISBN 4-08-774804-9
抄録 ミャンマー山岳地帯で200万ドルを載せたヘリが墜落。この金を巡って、後ろ暗い経歴をもった男たちが密林を彷徨う。裏切りの夜を生き抜き、この国を「永住の地」とし得るのは誰か? アジアの深き闇を描く、迫力の冒険巨編。
著者紹介 〈船戸与一〉1944年下関市生まれ。早稲田大学法学部卒。79年「非合法員」でデビュー。「伝説なき地」で日本推理作家協会賞、「砂のクロニクル」で山本周五郎賞、「虹の谷の五月」で直木賞を受賞。  (小平市立図書館のデータ)


船戸小説特有の、登場人物がたくさんでてきて、それぞれの視点から物語が展開するというストーリーに、読み始めはなかなかつらいのだが、やがて、読んでいるこちらに登場人物のイメージができてくると、慣れてくる。
そうなればしめたもの。

物語のうねりのようなものが感じられて、たまらないのだ。

船戸ファンならではの、読書の醍醐味である。
本日、快調に、三分の一まで読みすすむ。


これは私の持論であって、異論のある向きも多いと思うが、小説は面白くなくちゃいけない。
いわゆる「純文学」(いまどき流行らない言葉だが)が、私は苦手であり、なかなか読めない。


Takano_myanmaそういえば、先日読んだ高野秀行さんの本 『ミャンマーの柳生一族』 に、おもしろいことが書いてあった。

ミャンマーでは、貸本屋が大繁盛していて、読書大国だという。
識字率も83パーセントという(1995年の十五歳以上のミャンマーの識字率、高野さんの本より)。
高野さんが聞いたところでは、冒険もの、恋愛もの、幻想もの、といった大衆小説がよく読まれているらしい。

たとえば――
<二千六百年前から輪廻転生しながら生きつづける絶世の美女、彼女の切り取られた右手首、その右手首に刺青で刻まれた不思議な印、その印が引き起こす不可思議な悲劇、その悲劇に巻き込まれる男と女、彼らを救おうとする謎のインド人修行者や中国人僧侶……。>

これは、ミンテインカという現代ミャンマーの最高人気作家のベストレンタル小説 『マヌサーリー』 の内容として、高野さんが紹介しているもの。
この小説は、高橋ゆりさんの翻訳で、日本語訳が出版されているそうだ。


『ミャンマーの柳生一族』 (集英社文庫)の第四章の扉(P.164)には、「巨大ウリの上で読書する少女」 のモノクロ写真が掲載されている。
この写真が、いい雰囲気である。
高野さんも、この少女に惚れてしまったようで、次のように書いている。

<茶を飲み終わって、またぷらぷらと大木並木を歩いて宿に戻った。/大木のたもとで物売りが品を広げている。彼らもまた本を読んでいる。
 (中略)
その中に、川を背にして、ツバの広い麦わら帽子をかぶった三つ編みの少女がいた。彼女は、売り物である巨大なウリがゴロゴロ転がっている上にすわって、私が見つめるのにも気づかず、一心不乱に本を読んでいる。/大木の木陰で人が本を読む姿は美しい。そして、やっぱり可憐な少女の読書姿のほうがコワモテの冒険作家よりもはるかに絵になるのだった。>


「コワモテの冒険作家」とは、言うまでもなく、船戸与一氏である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年3月20日 (金)

【読】1970年代の五木寛之

明日が図書館の返却期限なので、がんばって読みおえてしまった。
他の本を読むあいまに、少しずつ読んでいた、五木寛之さんの若い頃のエッセイ集だ。

Itsuki_jigazou_2五木寛之 『深夜の自画像』
 1974/4/10発行  創樹社
 291ページ  価格不明

文春文庫で出ていたのだが、すでに絶版。
古本屋で探してみたが見つからなかった。
ずっと昔に文庫版で読んだはずだが、なぜか手許にない。
どうして手放してしまったんだろう。

ひさしぶりに読み返してみると、五木さんの作家としての出発点での意気込みが感じられて、新鮮だった。

「旅」「時代」「人間」「書物」「自己」「小説」とジャンル分けされ、 さまざまな文章が収められている。

「旅」の冒頭に、学研の「現代日本の文学31(太宰治)」に収録されている、「根の国紀行=太宰の津軽と私の津軽」(1969年)という、じつに興味深いエッセイがある。

<津軽を訪れるのは何年振りだろう。……私にとって、津軽という土地はなぜか自分の内部に或る重みをもって存在し続けている土地だった。>

という内容ではじまるこの津軽紀行を読むと、私もまた、津軽を訪れてみたい気持ちになる。

幼、少年期を過ごした朝鮮半島のことに触れた文章もある。
(「長い旅の始まり=外地引揚者の発想」 毎日新聞 1969年)
引き揚げ体験をあまり語らない人だと思っていたが、かなり具体的に書かれている。

おもしろかったのは、唐十郎や、緑魔子、太地喜和子といった演劇人へのオマージュともいえる文章だ。
(「同時代との出会い=唐十郎」 1973年、「魔女伝説=緑魔子」 1971年、「魔女伝説=太地喜和子」 1971年)

そうだ、あの頃は演劇界に異様な熱気があったな。
私はほとんど観ていないが、一度、友人に誘われて黒テントを観にいったことがあったっけ。


そんなこんなで、私自身の二十代と重なる1970年代の時代の空気を思いださせる本だった。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2009年3月19日 (木)

【読】船戸さんの素顔

このブログにときどきコメントを寄せてくれる知人(こまっちゃん)が教えてくれた本。
メチャメチャおもしろかったな。


Takano_myanma『ミャンマーの柳生一族』  高野秀行
 集英社文庫  2006/3/25発行
 238ページ  429円(税別)

謎のタイトルだが、種明かしは控えておく。
カバーに印刷されている簡単な紹介文を転載する。

<探検部の先輩・船戸与一と取材旅行に出かけたミャンマーは武家社会だった! 二人の南蛮人に疑いを抱いたミャンマー幕府は監視役にあの柳生一族を送り込んだ。 しかし意外にも彼らは人懐こくて、へなちょこ。 作家二人と怪しの一族が繰り広げる過激で牧歌的な戦いはどこへ…。 手に汗握り、笑い炸裂。 椎名誠氏が「快怪作」(解説)と唸り仰天した、辺境面白珍道中記。>


この通りの内容である。
まさに、「快怪作」。

本屋に行くと、高野さんの文庫本がたくさんでていた。
なかなか面白そうな著作ばかり。
顔写真は、ちょっと中田英寿に似ている。
中田よりも男前か。


本書の解説は、あの椎名誠さんだが、別の本 『幻獣ムベンベを追え』 は宮部みゆきさん、『アヘン王国潜入記』 は船戸与一さんが、それぞれ解説をよせている。
(いずれも集英社文庫。私のてもとにある。)

私にとっては、関心のふかい人たちばかりだ。


この本では、船戸さんとの珍道中が笑える。
取材旅行のはずだが、船戸さんはメモをとったり写真を撮ることは、いっさいしない。
ただあちこちを動きまわって、観察するだけ。
不思議な作家である。

船戸さんにまつわるエピソードが、なんといってもおかしい。
腹をかかえて笑ってしまう。


【エピソード その一】

船戸さんがひとりで、暇つぶしにミャンマーの首都ヤンゴンの街をぶらつこうとタクシーを拾った。

<で、「ミャンマーではみだりに政治の話をしてはいけません」 というガイドブックの教えなどまったく無視して、いきなり運転手に 「あんた、アウン・サン・スー・チーをどう思うか?」 と訊いた> のだそうだ。

ところが意外なことに、運転手の返事は 「あー、好きだよ」 だった。
さらに、「1988年の民主化動乱のとき、政府は死者千人などと言ってるけど、ほんとうは一万人くらい殺されたんだ」 とか、「ここは市民や学生の遺体が軍のトラックで運ばれて、捨てられてたんだ」 などと、気さくに案内してくれたという。

船戸さんのスケールの大きなところは、タクシーの運転手にとどまらず、この取材旅行に同行したお目付け役のミャンマー軍情報部(著者はこれを「柳生一族」と呼ぶ)と思われるアブナイ相手にまで、このテの質問を平気で発することだ。

<……この男が柳生の手の者という可能性だってある。 私は 「下手に話を政治問題へもっていくまい」 と思った。>

そんな著者(高野さん)の心配をよそに――

<しかし、ヤンゴン市内を抜けて、草葺きの家と田んぼに景色が変わったころ、船戸さんはまた唐突に訊いた。
「あんた、アウン・サン・スー・チーは好きか?」
すると、助手席の男は、さきほどの世間話の続きみたいな調子で、「もちろん」 と答えた。 そして、政府の批判をとうとうと述べ始めた。 私は拍子抜けしてしまった。>


【エピソード その二】

「柳生一族」 は、船戸・高野コンビの取材旅行にずっとくっついてくる。
そもそも、この旅行は、ミャンマーの軍情報部が経営する旅行社 「ナーガ・トラベル」 のお膳立てによるものだった。
というか、ミャンマーの辺境を旅することは、そう簡単にはできないのだ。
いわば、監視付きである。

そんな 「柳生一族」 と夕食をともにした時のはなし。
気をつかいつつも、いっしょに酒を飲んでいるうちに、いつしか酔いがまわり――

<一時間くらいたったころだろうか。 船戸さんが突然改まったような調子で言い出した。
「ところで、あんたたちに一つ、訊きたいことがある。」>

<私はギクッとした。 また、唐突に政治問題に触れそうな気配がしたからである。 柳生たちも顔をあげた。
船戸さんが凄みのきいた低い声で問う。
「いったいどっちがミャンマーの国民に人気があるんだ?……」>

<来た! 幕府とスー・チーをこの場でいきなり天秤にかけるというのか。 船戸さん、ちょっと早すぎる!>

ここでちょっと注釈を加えると、「幕府」 とはミャンマーの軍政部。
著者は、現代のミャンマーの政治状況を、日本の江戸時代になぞらえて書きすすめているのだ。

それまで談笑していた座の雰囲気は、にわかに緊張する。
「柳生」 たちの持つグラスもピタッと止まった。
そのとき、船戸さんはこう言った――

 「どっちが人気があるんだ……ミャンマービールとマンダレービール?」

このひとことで一座の緊張はいっきに解けたが――

<船戸さんはわざと柳生たちをからかっているのかと思えばそんなこともない。 「どっちのビールのほうが人気があるんだ?」 としつこく訊いている。 もしかしたらこれも取材の一環なのかもしれない。 いや、ただ酔っ払っているだけかもしれない。>


その後、船戸さんは突然話題を変え、アメリカを罵りだす。

<「勝手にイラクに戦争をしかけて、後始末を日本の軍隊に手伝わせようとしている」 とか 「いつも自分たちが正しいと思っているバカ野郎だ」 と言ったあと、バーン!とテーブルを叩いて怒鳴った。
「アメリカ、マザーファッカー!」>

<柳生たちはみんな親指を立てて、「そうだ、そうだ!」 と大喜びである。 なにしろ、ミャンマー幕府にいちばん圧力をかけているのはアメリカである。 幕府はアメリカを忌み嫌っており、柳生一族も例外ではない。>


な、なんなんだ。
いったいこの人は。
船戸与一、おそるべし。


【エピソード その三】

ミャンマーの北西部、ホマリンという田舎町の宿でのこと。
古い木造二階建ての宿のベランダに、籐の椅子を持ちだしてくつろいでいた船戸さん。

いっぽう、高野さんは木陰の特等席を船戸さんにとられたため、部屋で本を読んでいた。
宮部みゆきさんの 『堪忍箱』 という文庫本だった。

<旅先で読むには文庫本の短編集がいい。 江戸時代にタイムスリップしたようなミャンマーで時代ものを読むのも粋というもんだ。>

<ところがである。
「高野!」 と、ドスのきいた声が聞こえた。 「何か、本、持ってないか? ヒマでしょうがねえ」>

<しょうがない。 私はため息をつき、開きかけた文庫本をそのまま、船戸さんのところに持っていった。 「これ、どうです?」>

船戸さんの反応が、また、笑える。

<「ん? おー、みゆきの本じゃねえか」 (略)
船戸与一は宮部みゆきのことを 「みゆき」 と呼ぶ。
前に初めて船戸さんが 「みゆきは売れっ子だからよお……」 とか言ったときには、私は馴染みの芸妓の話でも始めたのかと思ったものだ。>

意外なことに、船戸与一と宮部みゆきは、<どういうわけか、気が合うらしく、たまに一緒に酒を飲んだりするらしい。>

うーん、不思議な組み合わせだ。


<「オレよお、みゆきの本、一冊も読んだことねえんだよ。 たぶん、みゆきもオレの本、読んだことねえと思うけどな」 とのことだ。 さもありなん、という感じである。>

<「よし、一度くらい読んでみるか」
フセインのような面構えの男がえらそうにふんぞり返り、宮部みゆきの人情時代物を読む姿は不似合いに極まっていた。>


もともと私は船戸与一の大ファンで、しかも、宮部みゆきファンなのだ。
もう、このエピソードなんかは、うれしくてたまらない。

電車とバスの中だけで、二日間で読みおえたこの本。
ほんと、たまらなかったなあ。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年3月16日 (月)

【読】『松本清張への召集令状』(続)

私にしてはめずらしく、二日目で全体の三分の二ほど、新書の220ページまで読んでしまった。
それほど、ぐいぐい読ませる内容なのだ。

Seichou_shoushuu『松本清張への召集令状』
 森 史朗 著  文春新書 624
 2008年3月20日発行  890円(税別) 317ページ

著者は、文藝春秋で松本清張の担当編集者だった人。
清張さんへの愛情が感じられる、なんとも心優しい文章だ。

<……この小文は松本清張論といった大上段に振りかぶったシロモノではない。ごく私的な、私が清張担当として浜田山に通った頃の私的メモといった小論にすぎないことを、あらかじめお断りしておきたい。/それゆえに、文中では筆者が気軽に「清張さん」と呼びかけることをお許しいただきたい。>

<これには、わけがある。/担当編集者のだれもが「清張さん」と呼び、「松本先生」という固苦しさでもなく、「松本さん」というよそよそしさでもない。ましてや、「松本清張先生」という格式ばった言いかたでもない。それは、一般読者にとっても同じことのようだ。>

引用が長くなったが、これは本書の「まえがき」に書かれている文章の一部で、続いてこんなエピソードが紹介されている。

筆者が浜田山の清張宅を訪ねた折のこと。
タクシーの運転手に行き先をつげると、「ああ、清張さんの家ですね」と気軽に案内してくれたという。

本書に掲載されている写真をみると、なかなかの豪邸なのだが、このエピソードだけで私は「清張さん」が好きになってしまった。


第一章 松本清張への召集令状
第二章 最初の軍隊生活
第三章 ある日の松本清張
第四章 孤高の作家
第五章 召集令状とは何だったか
第六章 松本衛生兵の真実


こういう構成。
第三章、四章は、松本清張の軍隊生活からいったん離れて、その人となりが描かれている。

ざっと、目次をあげておこう。
内容紹介は私の手に余るので。

第三章
 I 浜田山通いの日々
    清張古代史の挑戦/通説をくつがえす/「陸行水行」ブーム/
    「風雪断碑」のモデル/若き学者妻の死
 II 学会との対立
    モデルと実像/『二粒の籾』/学会へのいらだち/井上光貞教授との確執/
    清張史論について
第四章
 I  作家への道
    『文豪』三部作/清張さんとの取材行/小説の語り口/山田美紗の「愛欲日記]/
    「筆は一本、箸は二本」/『九州文学』を飛び出す
 II 痛烈な文壇批判
    文壇ぎらい/大佛次郎の激励/水上勉と松本清張/タイトルの秘密/
    井上ひさしへの手紙


今日はちょうど、この第四章まで読んだのだが、後輩作家の水上勉や井上ひさしに対する清張さんのあたたかさを示すエピソードがよかった。


その一例。
『手鎖心中』 で直木賞を受賞した井上ひさしへの、清張さんの手紙。
(清張さんは、このときの直木賞選考委員で、『手鎖心中』を強く推した。井上ひさしからの礼状への返事)

<これから忙しくなると思いますが、作品の質と健康のバランスに気をつけて下さい。>

<とにかく忙しさに挑戦していくような気魄は持つべきですが、なにぶんにもトンネルの暗黒に似ているので、ときには孤独感、絶望感にも捉われることがあるでしょうが、こういう自分との闘いも生じてきます。空洞内の雑音に迷わされることなく、自分の磁石を持っていて下さい。>

<自己の才能についてあらゆる可能性をさぐるのは、結局自分だけにしかできないことです。他の者(批評家を含めて)には判りません。前にかえりますが、ほかの人の言うことに謙虚に耳を傾ける態度はもとより必要ですが、納得のいかないものは無視して進んで下さい。当面の瑣末な「悪評」には全然気にしないことです。>


井上ひさしは、著者にこの手紙を見せたあと、こう言ったという。

<……井上さんは、「ちょっと、これを見て下さいよ」と手紙のあて先を指でしめした。流れるようないつもの文字で、堂々と宛名が書かれてあった。
 「井上ひろし様」――。>  (太字部分は、原文では傍点)

いい話である。
私は、こういう人が好きだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年3月10日 (火)

【読】「生きてたら、…オモ…シロイ」

このタイトルは、赤塚不二夫の自叙伝に載っていたセリフである。


Akatsuka_koredeiinoda『これでいいのだ ―赤塚不二夫自叙伝―』
 赤塚不二夫  文春文庫 2008/10/10発行
 223ページ 571円(税別)

 親本
  1993年8月 日本放送出版協会刊
  2002年12月 日本図書刊行センター刊


きのうの昼休み、勤務先近くのBOOK OFFで入手。
ちょうど澤地久枝さんの本がおわるところだったので、帰りの電車・バスの中、そして今日の通勤途上で、この一冊を読みおえてしまった。

赤塚不二夫が好きだった。
惜しいことに、昨年亡くなってしまったけれど。
告別式で、タモリが感動的な弔辞をささげていた。
この本にも、タモリとの出会いが書かれていて、タモリ(森田一義)という才能を発掘したのが赤塚不二夫だったことを改めて思いだした。


赤塚不二夫は、旧満州国で昭和10年(1935年)に生まれている。

父親は、満州国で抗日ゲリラと対峙する「古北口国境警察隊」の特務警察官だったが、その前は、新潟県新発田の16連隊で憲兵をしていた。
満州に渡ってから、昭和8年、「上官の理不尽ないい分が我慢できず」憲兵隊をやめて特務警察官になった。
この父親の結婚までのいきさつなども描かれている。

この自叙伝によると、赤塚不二夫の父親は、「反満、反日の中国人ゲリラと、目に見えない最前線で命を張って渡り合う」職務をこなしながらも、理不尽なことはせず、中国人から慕われていたという。


こんなエピソードがある。

<ある朝、おやじは突然何かを思い出して部下に命じた。
「おう、忘れとったぞ、やつを出してやれ!」
3か月前、最後まで口を割らない一人のパールー(註 八路軍=中国共産党軍の兵士)を地下牢に放り込んだまま、おやじは仕事に追われ彼のことをすっかり忘れていたのだった。>

<連れてこられた中国人は、憔悴しきってはいたが眼光だけは鋭かった。彼は処刑かと思っただろう。だが、やがてそうではなさそうだということに気づく。>

<おやじは彼を家に招待し、「悪かったなお前を忘れていた」と詫びたうえ、あったかいご飯を食べさせた。食べ終わると新しい中国服を着せ、何十円かを持たせて町へ帰してやった。>

<「シェ、シェ(謝々)」 彼は何度も振り返っては頭を下げ、町のほうへ消えて行った。>

 ― 以上 「戦中編(満洲1) P.15 ―  (一部、原文の改行を変えて引用した)



また、こんなことも書かれている。

赤塚不二夫の父親は、家族に対して、「中国人から絶対ものをもらってはいけない!」と厳命していた。

<当時、日本人の大人も子供も中国人に対して多かれ少なかれ優越感を持ち、こちらが欲しいものは相手の気持と関係なくもらって当然、という風潮があった。>

<一方、おやじの部下である〝満系〟の人たちや利害関係を意識する中国人は、なにかといっては留守宅につけ届けをしようとした。生来、潔癖なおやじはこれを極端にきらったのである。>

<おやじの首には当時の金で2千円の賞金がかかっていた。当時としては途方もない大金である。べつに護衛に守られていたわけではないおやじが、裏切りや密告によってつかまる可能性はそれほど低くなかったはずだ。 (中略) だが村人は誰もおやじを敵に売り渡さなかった。こういうわけで、おやじだけでなく赤塚家も襲撃されることがなかった。>

 ― 以上 「戦中編(満洲1) P.16-18 ―


こういう父親だったから、赤塚不二夫一家(父は抑留され、母と不二夫と弟、妹二人の母子五人)は、敗戦後の引き揚げ時にも、ずいぶんと中国人からよくしてもらったという。

具体的なエピソードもたくさん書かれていて、とても興味ぶかかった。


ところで、今回の記事の題名だが――。

敗戦後、シベリアでの四年間の抑留生活を終えて、昭和24年に帰国した父親は、郷里で苦労し(生活のための借金苦)、結核で長い闘病生活をしていたが、奇跡的に治癒。
しかし、妻(赤塚不二夫の母)を事故で亡くす(昭和45年)。

昭和53年、その父親が癌で亡くなるときの話。

父親の首筋にできたリンパ腺ガンのはれものが日増しに大きくなり、手術もできない状態になって、あと数日しか生きられないと医者から言われた赤塚不二夫。

「おやじ、長生きしたいか?」
と彼が聞くと、病床の父親は、いよいよ息苦しくなってきた喉から、声をしぼり出すようにして答えた。
「ああ、したいなァ」

<その言葉に思いがけないほどの執着が感じられて、ぼくは思わず問い返した。
 「長生きして、どうするんだ?」
 「生きてたら、……オモ……シロイ」
 晩年になって、もう一度人生を取りもどしたおやじは、毎日、生きているために新しく味わえる人生の喜びを噛みしめていたのだ。そしてもっと生きたいと思い続けていたのだ。>

 ― 以上 「戦後編2 (東京) P.207 ―



母親が亡くなるときの場面も、胸にしみるものだった。

また、五人いた弟妹のうち、末の妹二人を幼いころに亡くし、弟の一人とは、やはり幼い頃に生き別れた(養子にいった)、そんな数々のエピソードからも、彼のあたたかい気持ちが感じられる。

満州での幼年時代。
中国からの引き揚げ。
わんぱくだった少年時代のおもいで。
(彼のギャグ漫画の主人公たちは、父親や、わんぱく仲間がモデルになっている)
帰国後の貧乏な生活。
父の帰国。
東京に出てからの売れない漫画家修行時代(トキワ荘時代)。
そして、突然のヒットで売れっ子漫画家に。
唐十郎、大島渚、佐藤慶、李麗仙(李礼仙)、山下洋輔、篠山紀信、野坂昭如らとの交流。
自身の結婚、離婚。
そして、父母や弟妹のこと。


<9年前、かあちゃんが臨終の時、ぼくの「かあちゃーん!」の一声でかちゃんを幽冥の世界から呼びもどした。今度は「もういいよな!」でおやじを冥土へ押しやったことになる。>

<ぼくは死に際に、誰かに呼びもどされるのかな、それとももういいだろうと念を押されていくのかな……。>

 ― P.209 ―


赤塚不二夫(本名 赤塚藤雄)。
平成20年(2008年)8月2日、肺炎により永眠。享年72歳。
その六年前、脳内出血で緊急手術。
一命を取り留めるも、以後、病院で眠り続け、意識の戻らないまま亡くなった。
眞知子夫人(二度目の妻)が平成18年7月12日に亡くなったことも、江守登茂子・前夫人が三日前に亡くなったことも知らずに、彼は逝った。
夫人と前夫人は、とても仲が良かったという。

 ― 巻末 「解説にかえて」 武居俊樹 より抜粋、加筆 ―


赤塚不二夫のマゴコロが伝わってくる、いい本だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 9日 (月)

【読】読了 『もうひとつの満州』(澤地久枝)

まれにみる良書だった。
私にしてはめずらしく、土曜の夜から日曜日をはさんで、今日、月曜日の通勤電車の中で早くも読了。
図書館に返さなくてはいけないと思うから、よけい集中して読んだということもあるが、それだけ魅力的な内容だったのだ。

「あの戦争」と「満州」を知ろうとする人には、ぜひお勧めしたい本だ。

迷った末、Amazonで中古を購入することにした。
本体95円、送料340円。
Amazonには、文庫版を含めてたくさん出ている。


Sawachi_manshuu澤地久枝 『もうひとつの満州』
 文藝春秋 1982/6/1 発行
 292ページ 1000円

楊靖宇という「反満抗日」の士(1940年没)を追って、旧満州(中国東北地方)を訪れた著者の、ノンフィクションである。

楊靖宇という人物の情報は少ない。
Wikipediaにもこの人の経歴は載っていなかった。
あるサイトによると、こうだ。


鉄の戦士―楊靖宇
http://japanese.cri.cn/81/2005/07/19/1@45230.htm
より転載(改行を加えた)

 楊靖宇は、東北抗日連合軍の創設者であり指導者であった。
 本名は馬尚徳、1905年、河南省確山県に生まれる。
 学生時代は、反帝国主義愛国運動に積極的に参加。
 1926年、中国共産主義青年団に入団。
 1927年4月、確山の農民暴動において指導者として参与。同6月、中国共産党に入党。
 1931年「9・18」事変ののち、中共ハルビン市道外区委書記、市委書記、満州省委軍委代理書記を兼任。1932年秋、南満州に派遣され、中国工農紅軍第32軍南満遊撃隊を編成。政治委員となり、盤石紅を遊撃根拠地の中心とした。1939年、東南満地区における秋冬期反「討伐」作戦では、部隊を率いて濛江一帯転戦。最後はただ一人、5昼夜にわたって敵と渡り合った。
 彼は想像を絶するほどの持久力で、弾が尽きるまで戦い続け、1940年2月23日、吉林濛江三道庶?子にて壮絶な最期を遂げた。残忍な日本軍によって頭をかち割られ、腹も切り裂かれていた。彼の胃には枯れ草や木の皮、綿の実が入っているばかりで、食糧を口にしていなかったことが分かった。
 彼を讃え、1946年、東北民主連合軍通化支隊は「楊靖宇支隊」と改名。濛江県も「靖宇県」となった。


(註)
 「頭をかち割られ」というのは、澤地さんのこの本から得られる情報とは違っている。
 楊靖宇の首は切られ、みせしめのために「さらしもの」にされたのは事実。
 また、「腹も切り裂かれていた」というのも事実だが、当時、日本軍は抗日戦士を捕えると、胃の中味を調べて彼らの食生活を知り、討伐のための情報源としたという。


澤地さんのこの本には、ここで紹介したい「いい話」がたくさんある。
その中から。

澤地さんのお父さんに触れた部分。
(「五 故山にして他山」 P.214)
少し長い引用になるが、澤地さんがお父さんによせるあたたかい気持ちが伝わってくる。

<父は新京郵便局の三年間に中国語を学び、設計の図面をひくカラス口の使い方も習熟して、満鉄の試験を受けた。昭和十二年四月に採用になっている。三十二歳になったばかりだった。
 この九月、満鉄は新京鉄路局を吉林に移転し、吉林鉄路局と改称している。そのために新規採用の枠がひろげられたということが、父にとってのチャンスであったのであろう。しかしけっこう二枚目で、貧乏はしても粋人であった父の努力は買ってやりたい。人生の階段を半段でものぼることがどんなに大変か、私はこの父から教えられたのだから。建国の理想などを私に説教もせず、わが家の必要が選ばせた渡満であることを心得ていた点でも、私はやはり父が好きである。>

「私ははやり父が好きである」 という言葉に、(中国人に対する)「加害者の一員」としての日本人移民ということを肝に銘じながら、「それでも……」という澤地さんの思いがよくあらわれている、と思う。



この本について書きたいことはたくさんあるが、私が書きはじめると、例によって引用だらけになりそうなので、つまり、私には上手に内容を紹介できるだけの技量がないので、これぐらいにしておく。

ご興味のある方は、ぜひ本書を手にとって読んでいただきたい。


楊靖宇について、ネット検索してみつけたサイトを紹介しておく。


【参考サイト】

通化・楊靖宇列士陵園
(吉林省・延辺朝鮮族自治州 フォトギャラリー)

http://yb.gnk.cc/yb2/2005huijia/yangjingyu/sub.htm

中国近現代史観光ガイド
http://www.chinatravel-modernhistory.com/index.html
 >地域別観光>東北 通化 靖宇陵園
 http://www.chinatravel-modernhistory.com/tiiki/tohokud.html

「中国近現代史観光ガイド」は、よくできたサイトで参考になる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 7日 (土)

【読】読了 『わたしが生きた「昭和」』

はなしは前後する。
澤地久枝さんの 『わたしが生きた「昭和」』(岩波現代文庫)に、印象に残るいいエピソードがいくつかあった。

Sawachi_shouwaそのうちのひとつ。
「7 文化の闇」 という章に書かれている、祖母のはなし。

澤地さんの母方のおばあちゃんは、文字の読み書きができなかった。
慶応2年生まれで、苦労しながら二人のこども(澤地さんの母と叔父)を育てた。

久枝さん一家といっしょに満州(新京)に渡った後、久枝さんの叔父にあたる長男夫婦といっしょに朝鮮半島で暮らし、そこで昭和20年1月に亡くなっている。

<さて、無筆ではあったが、無学や無知ではなかった未識字の人。わたしの祖母もそういう一人である。(中略)/慶応二年(1866)、幕末生れの祖母は、敗戦の昭和二十年(1945)一月五日、老衰で亡くなった。息子一家の自決は知らずに死んだが、祖母の遺骨は行方知れずである。五十年前の死、目に一丁字なしの、七十九年間の人生であった。>

こういう記述もある。
澤地さんの温かい人柄が感じられる、いい文章だ。

<若かった日、「きりょうが悪い」と言われたというが、愛すべき小柄な老人になり、身仕舞いのいい人であった。しかし炎天下も酷寒もいとわず、戸外で働きぬいたためか、なめしたような皮膚は色黒い。体を資本として生きた人間らしいしっかりした手でもあった。>

<かくしておきたい一家の過去が祖母の一身にかくしようもなくそなわってしまっている。(中略)/吉林駅前の公園に長く座って涙をこぼしながら話したあと、祖母はついと立ちあがり、腰をのばすとしっかりした声で言った。/「久枝ちゃん、着物買ってあげよう」>

澤地久枝さんにとって、いいおばあちゃんだった。



この章を通勤電車の中で読んでいるうちに、私は、ずっと同居していた父方の祖母のことをおもいだしていた。

私の祖母も文字の読み書きができなかったが、それこそ「体を資本として生きた」、生きることの知恵を身につけた、りっぱな人だった。
初孫の私は、この祖母にことのほか可愛がられた。

澤地さんのおばあちゃんよりもだいぶん歳下ではあるが、私にはじぶんの祖母のおもいでとかぶさって、不覚にも涙がこぼれた。
本を読みながら涙を流すなんて、ずいぶん久しぶりのことだった。

乾いたこころに、ひととき、あたたかい潤いが満ちて、感動とはこういうものだったな、ということを思いだした。



もうひとつのエピソードは、澤地さんのおとうさんのはなしだ。
(「2 写真が語るもの」「10 日本人難民」)

東京で大工仕事をしていた澤地さんの父親は、昭和9年(1934)、単身で満州国へ渡った。
東京では仕事がうまくいかず、一家はずいぶん貧乏をしていたから、満州に行けばなんとかなる、という思いがあったのではないか。

<昭和九年(1934)、父は単身で満州国に渡る。前景には、日本での生活がまったくゆきづまったという事情がある。昭和五年(あるいはその前年)以来の不景気に、父親は生活を投げる様子を見せた。母の内職などではおぎないきれない。道をはずれはしまいかと思案した母は、満州での生活を考える。「匪賊、馬賊の満州」とおそれられた知らない土地に対して、母にはほとんど警戒心はなかったように思われる。>

翌、昭和10年、家族を呼び寄せ、一家は敗戦まで満州で暮らすことになる。

<昭和十年の初夏、わが家の女三人は、門司から大連へ渡り、新京の父もとへ行くことになる。祖母の都屋七十歳、父三十一歳、母二十九歳、わたしは六歳だった。/青山墓地に中村の形ばかりの墓はあっても、その他にはなにひとつのこらない旅立ちである。祖母はひとまず新京で暮し、叔父が所帯をもったら朝鮮へ移ることに話はまとまっていたのであろう。>

澤地さんの父は満鉄で職を得て、そこそこの暮らしができるようになった。


しかし、10年後、一家は満州から追われることになる。
日本の敗戦。

<敗戦、しかも支配者として位置した異国での逆転した事態に、日本人はまったく馴れていない。「策なし」だった。さらに今思うと、それまでの生活のレベルが、敗戦体験の内容を左右している。/噂が流れる。根拠のない噂を、裏切られながらも幾度も幾度も信じた大人たち。とくに父。それは、十月に引揚げがはじまるという噂。十月が過ぎれば、年内には確実に日本へ帰れるという噂。>

たくさんの人たちが体験した、悲惨な引き揚げ。

澤地さんの父親が「敗戦を知ってすぐに指示した具体的なことは、乾飯(ほしいい)を作ること。日本へ帰りつくまでの非常食」だった。
これは、結果的に、引揚げ船で飢えをしのぐのに役立ったのだが、「乾飯以外では、父は気の毒なほど無力だった」。

<戦争は終っている。当時、その惨状は伝わっていなかったが、空襲で焦土となった日本へ帰ってゆくのである。空襲を経験しない吉林生活で手許にのこされているもの、換金性の高い、できれば小さくて軽いものをと今の私なら考える。/金銀宝石のたぐいに縁のないわが家であっても、引揚げ後の生活を少しでも助ける品々はあった。父をそして母を哀れと思うのは、すぐにも日本へ帰ることができると考えて生活の方針を決めたこと。なにに価値があるのかを見きわめる豊かな暮しの実績が乏しかったこと。生活者としての貧しい過去は、判断を鈍らせたし、換金性が高く財産価値のあるものを持たなかったことと結びついてもいる。/それにしても、無残だった。父母はそれまでの生活で築いたすべてを失った。>

澤地さん一家は、着物や、置時計、靴、父親の「道楽だったカメラとその付属品の数々」といった財産を、中国人に十把ひとからげで売り払ったり、知り合いの中国人に気前よく贈ったりして、手許には何も残らなかった。

発疹チフスが流行し、澤地さんの父も感染して臥せってしまう。
そんなある日。

<病み上りの危うい足どりで、父はソ連領事館(当時の呼び方)へ大工仕事に通いはじめる。そこでは、日本人の所持品がかなりの金額で売られ、ソ連軍士官(女性もいた)が凱旋みやげに買いまくっているという話だった。/和服なら総絞りの振袖や丸帯、毛皮、装身具あるいはカーペットなどなど、よくこれほどと思う品々が並んでいたという。父の心に、「早まった」という後悔が走った可能性がある。>

なんとも、せつないはなしである。


この部分を読みながら、私は、私の父親のことを思いだしていた。

北海道の地方小学校の教員をしながら、けっして余裕のある生活ではなかったけれど、父はレコードを買ったり、バイオリンを買って練習したりしていた。
カメラもそうで、二眼レフを買い、じぶんで現像していた。
父のおかげで、私たちの幼い頃の写真がたくさん残されている。

母親(私の祖母)と親子二人きりで苦労して育ち、ようやく師範学校を卒業、教員になった父。
そんな父のささやかな道楽(趣味)だったのだと、今ならわかる。

私は、澤地さんの父親と、じぶんの父を、いつのまにか重ねあわせながら読んでいた。

いい本だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 5日 (木)

【読】わたしが生きた「昭和」 (澤地久枝)

そういえば、この人の本を読むのは初めてかもしれない。
ずっと長いあいだ、気になっていた人ではある。

Sawachi_shouwa澤地久枝 『わたしが生きた「昭和」』
 岩波書店(岩波現代文庫)
 2000/1/14  241ページ  800円(税別)
 (親本) 1995年 岩波書店刊

<貧しさゆえに一家で、「満州」に渡り過ごした少女時代、敗戦後の難民生活と家族の運命……。つねに声なき民の側に立って歴史を見つめ続けてきたノンフィクション作家が、今初めて自身の今日までの人生と家族の歴史に焦点をあて、「昭和」という時代の検証に挑む。作家活動の原点を示す記念碑的作品。> (本書カバー)


澤地さんは、1930年(昭和5年) 東京生まれ。
四歳のとき両親とともに「満州」に渡り、敗戦で引き揚げてきた。
まだ90ページほどしか読んでいないが、軍人だった叔父(お母さんの弟)一家は、昭和20年8月19日に朝鮮半島で自決したという。

自身の幼い頃からの体験記と、作家の冷静な目からの戦争批判が、バランスよく書かれていて好感が持てる。


次の一節には、ちょっと感動した。
名文である。

<歴史とは、大気のようでもあり、海のようでもある。一つの時代に生きていて、自分がどこにいるのか見定めることのできる人は稀であろう。現に隣りで、目前で、進行していることの本質が見えない。> (「四 有事の作為」 P.81)


この人は立派だな、と思う。

というのは、戦争指導者を鋭く批判しながらも、当時の大衆の多くが戦争を支持する心情をもっていたことを、きちんと押さえていることだ。
もちろん、兵役を喜んだ人はいなかったにちがいないが、戦勝に沸いたり、中国や朝鮮の人びとを蔑視する気持ちを疑わなかった大衆が、あの戦争を支えていたことも事実だろう。


被害者であり、加害者でもあった日本の大衆。
明治維新、開国、朝鮮半島への進出(侵略)、日露戦争を経て中国大陸へ。
大きな歴史の流れは、まさに、「大気のようでもあり、海のようでもある」。
大衆(他に適当なことばがないので、やむをえず使うが)は、その中で、流されていくだけだったのか。

戦後に生まれた私が「あの戦争」にこだわるのは、この疑問に自分で答えをみつけたいから、かもしれない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年3月 4日 (水)

【読】「やった側」の記録

この記事のタイトルは、ちょっとどぎついとは思うが……。

Honda_chuugoku_tabi本多勝一 『中国の旅』 (朝日文庫、1993年 第19刷)を古書で手に入れた。
だが、ネットで調べているうちに、モンダイの多い著作だということがわかり、まだ読まずにいる。
いずれ、眉に唾をつけながら読んでみようとは思う。

モンダイというのは、掲載写真(日本軍残虐行為の「証拠」写真)に、捏造の疑いがあるということだ。
Amazonでの一般読者の評価はさんざんであり、著者の本多勝一もずいぶん攻撃されている。
本多勝一の取材方法、捏造指摘後の対応にも、問題が多かったようだ。
これについては、詳しく調べてみたい。

それはともかく。
もう一冊、おなじ朝日文庫だが、こんな本をみつけたので購入。
三日で読みおえた。

Kikigaki_kenpei『聞き書き ある憲兵の記録』
 朝日新聞山形支局 著 朝日文庫(あ 4-37)
 1991/2/20発行 262ページ 480円(税込)

土屋芳雄さんという人が語った、中国大陸での憲兵体験談で、執筆は朝日新聞山形支局の二人の記者である。
朝日新聞記者らしい、いやな感じも受けたが(うまく説明できないが、一言でいうと「正義漢ぶった」感じが鼻につく)、最後まで読んでみると、なかなか重い内容だった。

本書の文章から、土屋芳雄さんの略歴をひろってみる。
(まとまった略歴は載っていないので、私なりの要約)

■明治44年(1911年)、山形県の農村に生まれる。
父は鉄道の保線工夫、母が四反(約40アール)ほどの田の小作をしていた。
貧しい暮らしで、家は3.6×7.3メートルの一間だけ。床は土間、ワラをまき、ムシロを敷いただけの一間に、祖父母、父母、兄弟(土屋芳雄氏とその弟)の六人が暮らしていた。

■昭和6年(1931年)、徴兵検査で甲種合格。
召集される前に、みずから満州の独立守備隊を志願。

志願した理由は、召集されて地元「山形歩兵三十二連隊」へ入営した場合の、初年兵に対するリンチへの恐怖心からだった。
「(山形歩兵三十二連隊は)主に県内出身者といっても、知らない人が多い。どんないじめ方をされるか分からない。それに、村の青年訓練所の一年先輩が、満州の公主嶺独立守備隊に行っていた。どうせ兵隊にとられるなら、その先輩のいる独立守備隊に行きたい。古兵にリンチをくらいそうになっても、その先輩がかばってくれるのではないか、という気持ちだった」 (P.31)

■昭和6年(1931年)12月、二十歳で関東軍独立守備隊に入隊。
中国大陸へ渡る。
「満州事変」が、その年の9月18日に起きて、すでに「満州」は戦場と化していた。
これは、土屋氏の計算違いだったが、両親ほどには心配しなかった。

彼は、軍隊内でまじめに努力し、早く上等兵になろうとする。
初年兵は、いつまでたってもいじめの対象になるからだ。
「匪賊」討伐にも積極的に参加。
日本軍の残虐行為を目撃もし、みずからも手をそめる。
上官に命じられて中国農民の「刺突」も体験。
(縛りあげた中国人捕虜を銃剣で突き刺す、というアレだ。上官が日本刀で捕虜の首を切ることも、目の前でおこなわれた。)

■昭和8年(1933年)5月、憲兵を志願。
成績優秀だったにもかかわらず、上等兵になかなかなれなかったのが動機だった。
憲兵になって、えこひいきをする人事担当の特務曹長を、やっつけたいと思ったそうだ。
「憲兵といえば軍の警察、狙ってさえいれば、あの憎い特務曹長をやっつける機会に恵まれるかもしれない。」 (P.70)

■敗戦までの12年間、憲兵として「反満抗日分子」の虐待(凄惨な拷問、殺害)に手を染めていく。
敗戦後、ソ連での抑留、中国での戦犯取調を受け、そこで、憲兵時代にやったことを振り返り、「オレが殺したのは何人か」「拷問したのは何人か」と数えあげた数字がすさまじい。

<結果は想像を超えていた。 昭和六年、入営した時から数えて、土屋が直接間接に殺したのは三百二十八人。逮捕し拷問にかけ、獄につないだのは実に千九百十七人だった。> (P.252)

■昭和20年(1945年)8月15日、チチハル市で「玉音放送」を聞く。
8月18日、ソ連軍に投降。
10月、ソ連領内トーリンスカヤで、森林伐採の強制労働に従事。
抑留生活のはじまり。
その後、ハバロフスクへ移され、取り調べを受ける。

■昭和25年(1950年)7月、中国 撫順戦犯管理所へ移され、本格的な取り調べ開始。
中国での待遇はよかった。
なによりも、強制労働がなく、旧日本兵の罪状を念入りに調べ、「戦犯の一人ひとりについて、殺された被害者の遺族や拷問された当人から告訴状をとり、関東軍司令部や憲兵隊司令部から押収した書類で裏づけ」したうえで、「完璧な罪状を目の前に突きつけ」るというやり方だった。
「自白すれば軽く、拒めば重く」 ――それが中国による戦犯の扱いだった。
土屋氏は、ここで、じぶんの罪状をすべて認めて、謝罪する。

■彼の抑留生活は、昭和31年(1956年)まで続いた。
敗戦から、11年間である。
死刑を覚悟していたが、中国での判決は起訴猶予だった。

■昭和31年(1956年)8月、帰国。


最後まで読んで、私は驚いた。
昭和31年といえば、私が五歳の頃だ。
そんな時代(敗戦後十一年が経過)まで、大陸に抑留されていた元日本兵がたくさんいたことに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 1日 (日)

【読】読了 『石原莞爾試論』 (平岡正明)

面白く、勉強になる本だった。
この一冊を論評する力量が私にはないが、怪著というかなんというか。

日に焼けたカバーをはぐと、こんな表紙だった。

Hiraoka_ishihara_kanji3平岡正明 『石原莞爾試論』
 白川書院 1977/5/15発行
 四六判 224ページ  1300円

雑誌 『第三文明』 に連載されたものらしい。
だからどうした、ということもないが、潮出版社、第三文明社と平岡正明の関係は深いようだ。
石原莞爾は「熱心な日蓮主義者」(Wikipedia)であったが、平岡氏のこの著作では、その点までは言及されていない。
(著者は、「本書が石原莞爾論として未完成のものだ」と、あとがきで断わっている。)

終章 「石原莞爾と若き大山倍達」 が、とても興味ぶかい内容。
大山倍達と石原莞爾のあいだにつながりがあったことは、意外だった。

平岡氏は、極真空手の猛者(有段者)でもある。
私は、空手や武術にはまったく詳しくないが、「空手バカ一代」 という劇画は一世を風靡したもので、懐かしく思いだす。


以下、この終章で平岡氏が描く大山倍達氏の若き日のエピソードの一部。
感動的な話だ。

<山梨少年航空学校を卒業した彼は航空機の整備兵にまわされる。 そして一度軍隊から脱走するのだ。 上官の兵いびりが原因だ。 夜、宿舎で、大山倍達が遠く妹さんからきた手紙と写真を眺めていると、上官がやってきて、写真をとりあげ、破りすてた。>

<怒った倍達の一撃、上官を半殺しの目にあわせた。 反抗罪で八か月の重営倉である。 夜毎、上官は仲間とやってきて、竹刀による私刑(リンチ)。 さしも頑健な倍達も、殺されると思い、自ら口唇をかみ切って大量に出血し、ために病院にかつぎこまれた。 そしてこの病院から彼は脱走した。 たった一枚の写真から――。 その写真には朝鮮の民族衣装を着た妹さんが写っていた。>

(本書 218-219ページ)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月26日 (木)

【読】石原莞爾

平岡正明という評論家がいる。
1941年東京生まれ、1963年早稲田大学露文科中退。ジャズ評論等で活躍。
――著者略歴には、そのように書かれている。

60年代安保世代で、いろいろ活動してきたらしいが、私はよく知らない。
とくべつなファンというわけでもないが、何冊か読んできた。
この人の文章は面白くて、読ませる。

ただし、いいことを言っているかどうか、内容は保証しかねる。


Hiraoka_nihonjin_chugoku平岡正明 『日本人は中国で何をしたか』
 潮文庫 1985/7/30発行 (親本:1972年 潮出版社)
 350円 236ページ

単行本で読んだ記憶があるが、手元に残っておらず、ネット販売で中古の文庫版を入手。
二、三十年ぶりに読んでみたが、興味深い内容だった。
勉強にもなった。

先の戦争に関する書物はたくさんあるが、どちらかというと 「やられた」記録(いわゆる、わだつみ系の手記など)が圧倒的に多く、日本人がアジアで何を 「やった」 か、加害者の立場から書かれた記録は少ない。

ひどいことをした人たち(自ら進んでやった人ばかりではなく、「やらされた」人も多いだろうが)は、みんな口をつぐんでいるのだろう。


著者 平岡氏はこう書く。
(本書 106ページ、「3 三光における国家意思と兵の実情」)

<日本軍隊の教育は、まず具体的に人を殴ってみること、殺してみることである。
 皇道イデオロギーにもとづく日本軍隊の軍事教育および軍隊教育…(中略)…については、その奇形の精神病理学的分析にしても、集団心理学的分析にしても、あるいは軍隊内の階級対立にしても、戦中派イデオローグによる多くの内省があり、ここでくりかえすものではない。>

<興味ある読者は雑誌『新評』(1971年7月号)、安田武「日中・太平洋戦争を知るための150冊の本」リストを参照されたい。>


――として、この雑誌でとりあげられている 「わだつみ派文献」 を紹介している。

<戦没学生遺稿集、その他の遺稿集、戦争体験者の証言、女性の戦争体験、捕虜収容所・外地引き揚げ、沖縄、原爆、空襲、学童疎開、戦争文学主要作品の十項目について百五十冊の本がリストアップされている。>

<われわれは、これらの 「わだつみ派文献」 を読むべきであり、私自身もあんがい読んでいる。>


続けて、こう言う。

<しかし、安田武のこのリストアップのしかたはまちがっている。 このリストは、日中戦争および太平洋戦争で自分たちがどれだけやられたかという観点で網羅されている。 なにをやってきたかという観点が欠如しており、ことに三光関係の文献が一冊もなく、戦犯クラスの、つまり職業軍人の上層の手記も一冊しかない。 戦史、戦争論、軍事科学関係の本の匂いもない。 これでは日中戦争、太平洋戦争について半分しか知ることはできない。>


まったく、そのとおりだと、私も思う。


Hiraoka_ishihara_kanji平岡正明 『石原莞爾試論』
 白川書院 1977/5/15発行 1300円 224ページ

市の図書館には置いていないので、ネット販売で入手。
かなり変色している(ヤケがひどい)のに、いい値段がついていた(1830円)。
執筆当時(70年代後半、ある意味で騒然としていた時代だった)の「匂い」が濃厚な著作だが、面白い。

船戸与一の 『満州国演義』 にもひんぱんに顔を出す、この不気味な将軍 石原莞爾に関心があったので、読んでみようと思ったのだ。


まさに、「やった」側からの論考である。

<石原莞爾は日本近代史上稀な 「武装せる右翼革命家」 である。 たんに軍国主義者、武断派というだけではない。 職業軍人であり、陸大出の、ドイツ留学をしたエリート軍人である。 職業軍人とはなにか。 軍隊組織の内部にいなくてはアホみたいなものであり、軍隊(もっとも明確な階級制度と指揮命令の系統)がなければ無に等しいい。 これと異なって石原莞爾は、世界戦略をもった軍人であった。>
(本書 17ページ、「おりもおり、満州国建国問題を」)


読み始めたばかりなので、ためになる本なのかどうかは、まだわからない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年2月22日 (日)

【読】読了 『満州国演義 5 ―灰塵の暦―』

Funado_manshu5船戸与一 『満州国演義 5 ―灰塵の暦―』
 新潮社 2009/1/30発行 2000円(税別)
 469ページ

― 帯より ―
「兵士たちは復讐心に燃えてるんだ。強姦や理不尽な殺戮。人間の残虐性がかならず爆発する」
満州事変から六年。理想を捨てた太郎は満州国国務院で地位を固め、憲兵隊で活躍する三郎は待望の長男を得、記者となった四郎は初の戦場取材に臨む。そして、特務機関の下で働く次郎を悲劇が襲った――四兄弟が人生の岐路に立つとき、満州国の命運を大きく揺るがす事件が起こる。
読者を「南京大虐殺」へと誘う第五巻。



1937年(昭和12年)12月13日、日本軍の南京入城前後の場面でこの巻はおわる。

「南京大虐殺」はなかった、などというとんでもないことを言う輩が後を絶たない。
近頃なぜか書店にはそのての本が並んでいて、私は苦々しく思う。

「それほどの数ではなかった」だとか、「あの状況ではしかたがなかった」、などという輩もいるらしい。
「大虐殺」か「虐殺」か、といった規模の問題ではない。

船戸与一の、資料に裏づけられた記述をみよ。
私は、小説の形で語られたこの歴史的事実を疑わない。

(参考文献一覧はまだ掲載されていない。最終巻に掲載されるという。楽しみだ。)



南京大虐殺 関連リンク集 (Wikipedeiaより)
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/Link.htm



― 『満州国演義 5』 P.448- ―

<敷島三郎は寝床台で半身を起こした。眠れそうにない。南京の城内にはいったのは三日まえだ。あまりにも多くの死体を見過ぎた。それが澱となって脳裏のどこかに溜まっている。>

<南京攻略が下命されてから中支那方面軍のうちの上海派遣軍に帯同して来たが、憲兵としての責務を果たせたとはとても思えない。派遣軍の動きは怒涛のようだった。糧秣の現地徴発。それが派遣軍参謀の通達だったのだ。兵士たちが巣を離れた蜂の群れのように農家に押し入っていく。そこでは輪姦や強姦殺人がつき纏ったが、補助憲兵たちはそれを止めようともしなかった。 (中略) 通州で支那の保安隊が日本人に行なった蛮行の仕返しのつもりだったのだろう。>


― 『満州国演義 5』 P.459- ―

<便衣の支那人たちが連行された先は城壁のそばだった。 (中略) そこにはすでに百名近い支那人が集められていた。だれもが麻縄で縛られている。連行されて来た支那人たちも城壁のそばに押しやられた。
 それを監視する中支那方面軍の兵士たちは三百名近くいた。二個中隊以上がそこに集まっているのだ。だれもが着剣した三八式歩兵銃を手にしている。軽機関銃も二十機ばかり大地に据えつけられていた。>

<将校服を着たひとりが低い声を発した。
 「処理に取り掛かる。手順どおりに進める」
 三人の兵士が進み出た。城壁のそばに踞っている縛られた三人の支那人を引きずりだし、城壁から四米ばかり離れたところに跪かせた。三人のその眼を黒い布で蔽って、そのそばを離れた。
新たな三名が兵士たちのあいだから抜けだして来た。三八式歩兵銃は持っていなかった。その替わりに下士官用軍刀を手にしている。>

<軍刀の刃がゆっくりと引き抜かれた。それが雲間から差し込む陽光に輝いた。軍刀が振り上げられた。何が行なわれようとしているのかはもちろんわかっている。しかし、四郎は動けなかった。竦みきっているのだ。カメラを持ちあげる気力もなかった。濁った気合いとともに三降の軍刀が同時に振り下ろされた。>

<軽機関銃の掃射音がその直後に響いた。
 城壁のそばの百名近い便衣がぎこちなく動いた。麻縄に縛られて踞ったままなのだ、大地に腰を落としたままその体が左右に揺れた。掃射音がつづいている、硝煙の臭いが鼻腔を濡らす。城壁のそばの便衣がすべて崩れ落ちた。掃射音が熄んだ。>

<「残り四十名弱は刺突処理」将校の低い声が響いた。「刺突担当は初年兵」 (中略)
 四十名ほどの兵士たちが進み出ていた。着剣した三八式歩兵銃をかまえている。白兵戦のための刺突訓練は初年兵がかならず受けるものと聞いていた。どれも若い。十八か十九だろう。初年兵なのだ、銃剣をかまえたその姿勢はいかにも腰の座りが悪かった。>

<「刺突開始!」
 だが、兵士たちはすぐには動こうとはしなかった。上海戦から南京攻略へと転戦して来てはいても、この連中は銃弾以外で国民革命軍を殺したことはないのだろう。表情はどれも怯えきっていた。
 「刺突開始!」
 二度目の命令にようやく右足を踏みだした。しかし、城壁に向かって突っ込みはしなかった。ひとりがその場にしゃがみ込んだ。首を左右に振りながら泣きじゃくりはじめた。>

<「刺突開始!」
 怒気を含んだ三度目の命令に銃剣を手にした兵士たちがわあっという声をあげながら城壁に向かって突進した。そこに踞っている麻縄に繋がれた便衣に銃剣を突き刺した。叫びと呻き。それは便衣と兵士の両方から発せられた。兵士たちは便衣の胸を突き刺しては引き抜き、また突いた。そのたびに血液が飛び散った。>



ものごとは単純化して、原則で考えることもたいせつだと思う。
ひとさまの国に、だんびらぶらさげて土足であがりこみ、やりたい放題をやった。
―― 日中戦争を、ひとことで言えばこうなる。

長い小説だったな。
あと三巻、続きが出版される予定のようだが、とりあえず読了。

あの時代が生き生きと描かれている、ありがたい小説だった。
歴史教科書や評論、研究書のたぐいとちがって、あの時代に生きたふつうの人々の表情が見える。


引き続き、この本