カテゴリー「こんな本を読んだ」の254件の記事

2009年12月16日 (水)

【読】この対談集はいいぞ

まだ読みはじめたばかりだが、とてもいい対談集なので紹介しておきたい。

Sekino_taidan_2『関野吉晴対談集』
  ― グレートジャーニー 1993~2007 ―
 東海大学出版会 2007/6/21発行
 270ページ 2400円(税別)

船戸与一、池澤夏樹、西木正明、萱野茂、河合雅雄、石毛直道、赤坂憲雄、島田雅彦、椎名誠、春風亭昇太、瀧村仁、といった著名人との対談が満載。
サブタイトルが示すように、1993年から2007年にかけての対談で、未発表のものがたくさんある。

1998年の、萱野茂さんとの対談(未発表)には、とくに感銘をうけた。
他の人との対談では、話がかみあわなかったり、一方的なインタビューのような内容もあるが、萱野さんとのこれは、対話がはずんで、興味深い。
まるで、上質のデュオの即興演奏を聴くように。

萱野さんもたくさん発言しているけれど、ここでは、二人の共通認識ともいえる関野さんの次のことばをひいておこう。

関野 <グレートジャーニー>の旅を通じて、たくさんの先住民と接触しました。気候が違う、環境が違う。狩猟民族がいれば牧畜民もいる。農民もいる。それだけ違うのに、どこか共通するものがあるんです。自然と対する姿勢とでもいうのでしょうか。自然に溶け込んでいる。自分たちも自然の一部である。そういう発想なんですね。みんな自然との調和を考えている。自然との調和だけじゃなくて、人間同士の調和も考えている。西欧的な合理主義、自然は打ち負かして利用するものだという発想とはまったく違う。昔はアイヌも、それから日本人もそうだったと思います。…(後略)…  (本書 P.95)


萱野茂さんは2006年5月に亡くなったが、大きな人だったなと、あらためて思う。
そうえいば、萱野さんの本で読んでいないものが手もとにたくさんあるな。
ひさしぶりに読んでみたいきもちになった。

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2009年12月13日 (日)

【読】2009年 こんな本を読んだ

まだ半月ほど残っているけれど、今年の 「こんな本を読んだ」 の総集編。
今年のはじめ、年間100冊を目標にしてみた。
今のところ、80冊ほどしか読んでいない。
途中で読むのをやめた本も何冊かある。
何日もかかった本、数時間で読みおえた本、いろいろあったな。

持っている本の量や読んだ本の数を、ついつい自慢したくなるのが人情だけれど、そこにたいせつな意味があるはずもない。
読書体験の中味がたいせつなのだ、と自戒しつつ、この一年、濃厚な読書体験をさせてくれた本をふりかえってみたい。


Mizuki_rabaul水木しげるの本を何冊か読んだ(コミックを含む)。
『水木しげるのラバウル戦記』 (ちくま文庫)が印象に残っている。
『コミック昭和史』 (講談社文庫)は、最初の巻しか読めなかった。

白土三平の 『カムイ伝』 とともに、年末年始の休みにでもゆっくり読んでみたいと思う。






Funado_manshu5 船戸与一 『満州国演義』 (新潮社)をまとめて5冊、1月から2月にかけて読んだ。
4巻目までは、再読。
5巻目『灰塵の暦』が1月に出版されたのを機に、通して読んでみた。
続巻はまだ出ていない。
船戸さんに関して、健康面で悪い噂を耳にしているので心配だ。
全8巻の予定と聞いているが、未完のままおわってしまうのだろうか。






Funado_kahan_ni_shirubenaku船戸与一さんの著作で、まだ読んでいなかったものをいくつか読んだ。
これからも読みつづけたいと思う。
『河畔に標なく』 (集英社2006年)
『蝶舞う館』 (講談社2005年)
『三都物語』 (新潮社2003年)
対談集 『諸士乱想』 (徳間文庫1998年)
『流沙の塔』 (新潮文庫2002年)

そこから派生して、高野秀行さんという人を知ったことは、今年の収穫だった。
教えてくださった、こまっちゃんに感謝。


高野秀行さんの本を立て続けに乱読した。
ハマった、と言っていい。

Takano_ahen_oukoku『アヘン王国潜入記』 (集英社文庫)
『世界のシワに夢を見ろ!』 (小学館文庫)
『ワセダ三畳青春期』 (集英社文庫)
『幻獣ムベンベを追え』 (集英社文庫)
『メモリークエスト』 (幻冬舎)
『異国トーキョー漂流記』 (集英社文庫)
『怪しいシンドバッド』 (集英社文庫)
『巨流アマゾンを遡れ!』 (集英社文庫)
『西南シルクロードは密林に消える』 (講談社)
『神に頼って走れ!』 (集英社文庫)
『怪魚ウモッカ格闘記』 (集英社文庫)
『辺境の旅はゾウにかぎる』 (本の雑誌社)
『怪獣記』 (講談社2007年)
どの本もおもしろかった。

さらに、高野さんの著作から、内澤旬子さんや服部文祥さんといった、魅力ある人たちを知った。

Uchizawa_sekai_tochiku_kikou斉藤政喜/内澤旬子(イラスト) 『東方見便録』 (小学館1998年)
 『東京見便録』 (小学館2009年)
内澤旬子 『世界屠畜紀行』 (解放出版社2007年)

どれも「目から鱗が落ちる」思いをさせられた内容だった。







Hattori_survival_climber服部文祥
『サバイバル!』 (ちくま新書2008年)
 『サバイバル登山家』 (みすず書房2006年)

この二冊も、魅力的な本だった。
服部さんのサバイバル登山というワイルドな登山スタイルを知ったちょうどその頃、北海道の大雪山系 トムラウシ山で、いたましい集団遭難事故があったので、なおさら強く印象に残った本だ。





先の戦争に関する本を、今年も読んだ。

Sawachi_manshuu上笙一郎(かみ・しょういちろう) 『満蒙開拓青少年義勇軍』 (中公新書)
朝日新聞山形支局 『聞き書き ある憲兵の記録』 (朝日文庫)
澤地久枝 『もうひとつの満州』 (文藝春秋社)
 『わたしが生きた昭和』 (岩波現代文庫)
赤塚不二夫 『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝』 (文春文庫)
森史朗 『松本清張への召集令状』 (文春新書)
川嶋康男 『永訣の朝 樺太に散った九人の逓信乙女』 河出文庫(2008年)

読みたい本は、まだたくさんあったが、いつのまにか興味が別の方向にいってしまった年だった。


Hiraoka_ishihara_kanji平岡正明 『日本人は中国で何をしたか』 (潮文庫)
 『石原莞爾試論』 (白川書院)
平岡さんは、今年、惜しくも亡くなってしまった。
私の兄貴分にあたる年代の人がいなくなるのは、さびしい。







その他、たくさんの魅力的な人たちに、本の世界で出会えた年だった。
充実していた、とい言っていいだろう。
ことに、関野吉晴さんと長倉洋海さんを知ったことが、うれしい。

金関寿夫 『魔法としての言葉 アメリカ・インディアンの詩』 (思潮社1988年)
ナンシー・ウッド/フランク・ハウウェル(画)/金関寿夫訳
  『今日は死ぬのにもってこいの日』
(めるくーまーる1995年)
長倉洋海・関野吉晴 『幸福論』 (東海大学出版会2003年)
関野吉晴 『グレート・ジャーニー①南米~アラスカ篇』 (ちくま新書2003年)
 『グレート・ジャーニー②ユーラシア~アフリカ篇』 (ちくま新書2005年)
長倉洋海 『ヘスースとフランシスコ』 (福音館書店2002年)

Kanaseki_oral_poetryNancy_wood_many_wintersSekino_nagakura_kofukuron2Sekino_great_journey_1_2Sekino_great_journey_2Jesusu_francisco_1       

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2009年12月11日 (金)

【読】写真のちから

長倉洋海さんの 『ヘスースとフランシスコ』 (福音館書店/2002年) を読んで、「写真のちから」ということを考えさせられた。

Jesusu_francisco_1中米の小国、エル・サルバドル(El Salvador スペイン語で「救世主=イエス・キリスト」を意味するという)を何度も訪れ、現地の人たちと仲よくなっていく話は、とても胸にしみる。
乾いたこころを潤してくれるエピソードがたくさんあって、いい本だと思う。

この人のすごいところは、現地の人たちの中にはいって行き、とけこんでいきながら写真を撮り続けることだ。
はじめ警戒していた子どもたちも、彼になついて写真を撮ってくれとねだる。
長倉さんは、子どもたちの写真を次に訪れたときにプレゼントする。

<すぐに子どもたちが集まってきた。顔を覚えている子も大勢いる。前に撮った写真をわたすと大喜びだ。わいわいやっているうちに、子どもたちの数はどんどんふえ、口々に「ぼくを撮って」「私も」とせがまれる。> (「エル・サルバドル再び 1984~85」 P.44)

<気がつくと、すごい数の子どもたちがぼくたちを取り囲んでいる。おとなが追いはらっても、またすぐに集まってくる。目くばせで「写真を撮って」と合図を送ってくる子。ベルトを引っぱったり、手を握って放さないヨチヨチ歩きの子。髪の毛はバサバサ、衣類もボロボロだけど、どの子も人なつっこくてかわいい。ヘスースのいちばん下の妹マルタは、おみやげのチョコレートをほおばっては口からまた出して、ぼくに食べさせようとする。ここにいると楽しくて、なつかしい家族のもとに帰ったようだ。> (「内戦の終結 1995,1997」 P.83)

写真がもつ、すばらしいちからを感じさせられる。


いっぽう、写真を撮るという行為が、撮られる側にとっては暴力となることがある。
ある種の信頼関係がないと、写される側の人たちは、暴力を感じて撮影を拒絶する。
長倉さんも、はじめの頃は何度もそんな経験をしている。
拒絶されるのは、撮影する側の姿勢に問題がある。
人間を「被写体」としてしかとらえない姿勢に。
そういった体験が、このまえ読んだ 『フォト・ジャーナリストの眼』(岩波新書/1992年)に、たくさん語られていた。


私にも苦いおもいでがある。

もうずっと昔のことだが、尾瀬の木道を、写真を撮りながら歩いていた時。
私が木道でひと休みしていると、後方から、何メートルもある背の高い独特の背負子(しょいこ)を背負った、二人のボッカさんがゆっくり近づいてきた。
尾瀬にはボッカ(山小屋への荷物の運搬)を職業としている人がいる。
湿原に続く木道と、そこを歩くボッカさんの姿は、「絵になる」すばらしい光景だ。

私は、恰好の被写体に出会ったことに喜び、木道とボッカさんの風景を撮ろうと三脚にのせたカメラのシャッターを切った。
その時――。
先を歩いていた男性のボッカさんが私に気づき、「撮るな!撮るな!」と叫びながら手で顔を覆いながら近づいてきた。
私は、とっさにじぶんの行為の間違いに気づき、あわててカメラを片づけた。

二人は私のところまで来ると、背負子をおろし、隣りに座った。
一服するらしい。
近くで見ると、どうやらご夫婦のボッカさんらしい。

私は、ばつが悪くなり、頭をさげてあやまった。
「すみません」と。
それ以上の言葉を持ちあわせていなかった。

男性の方は私に目もくれない。
奥さんと思われる女性は、何も言わず、険悪な雰囲気をとりなすような、あるいは、とがめるような視線で私を見ていた。
私は、ふたたび「すみません」とあやまってから、その場を去った。
木道を一人とぼとぼ歩きながら、私の胸は苦い思いでいっぱいだった。
あの時ほど、じぶんの迂闊さを恥じたことはない。

この本を読んで、ひさしぶりにそんな体験をおもいだしていた。

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2009年12月 8日 (火)

【読】長倉洋海さんの好著

図書館から借りて、今日から読みはじめたこの本。
いい内容だ。

Nagakura_photo_journalist_3長倉洋海 (ながくら・ひろみ)
 『フォト・ジャーナリストの眼』
 岩波新書 新赤版223 1992/4/20 第1刷発行
 244ページ 602円(税別)

<「右眼でファインダーを、左眼でそこには映らない世界を」 戦乱のエル・サルバドールでは一人の少女を10年間撮り続け、またアフガンの戦士と250日間生活を共にするなど、世界を駆け巡るなかで、彼の「眼」はどう変化していったか。 国内外で同時代の鼓動を撮り続ける気鋭のカメラマンが、情報過多社会における舗道写真のあり方を熱っぽく語る。> (本書カバー裏)

第一章はエル・サルバドルが舞台。
今日読んだところで、とてもいいエピソードがあった。
「難民キャンプの少女ヘスース」 という文章だ。
長倉さんには、『ヘスースとフランシスコ エル・サルバドル内戦を生きぬいて』(福音館書店/2002年)という児童向けの本もあるらしい。
新本では入手不可能なので、図書館から借りて読んでみたい。

『ヘスースとフランシスコ エル・サルバドル内戦を生きぬいて』 長倉洋海
e-honサイト
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031029428&Action_id=121&Sza_id=F2
Amazon
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4834018857


ところで、本書で私が感銘を受けた箇所。
長倉さんの文章も、てらいがなく、好感がもてる。

以下、本書34-36ページより。

<…(略)…四年ぶりのキャンプの中はガランとしている。はずれにある一軒の家の戸口に立った。女の子が顔を出す。背が伸びて体も大きくなったけれど、ヘスースに間違いない。突然の訪問にきょとんとしているヘスースに、彼女が写っている写真を見せる。「わぁー、私だ。お母さん、見てよ」と写真をもったまま家の中に駆けこむ。以前、日本から送った写真は届いていなかったのだろう。>

<ヘスースはいま十歳。髪を長くして大人っぽくなたが、最初(82年)に見たときは、まだほんの子どもだった。家の前でだだをこね、お母さんに怒られて泣いていた。キャンプに来たばかりで、まだ環境になじんでいなかったのだろう。>


ヘスースが3歳のときの写真「母に叱られ泣き出した3歳のヘスース(サンタ・テクラ難民キャンプ,1982年)」が掲載されている。
この本の写真はモノクロ印刷だが、先日読んだ『幸福論』(東海大学出版局、関野吉晴さんとの対談)には、カラー写真が載っていた。

長倉さんの、子どもたちに対する優しいきもちがにじみでている、いい写真だ。
『幸福論』には、おなじヘスースの10歳のときの写真(1990年)と、若い母親になって娘を抱きあげている17歳の写真(1997年)が並べて掲載されている。
中米の一人の少女とこれだけ長いあいだつきあい続けたところに、長倉さんの、一本筋の通った生き方を感じる。


<84年にエル・サルバドルを訪れた時は、クリスマス・シーズンだった。町では子どもたちがアメやお菓子を買ってもらい、教会の前で着飾って記念撮影する光景があった。キャンプにも、慈善団体の人たちがプレゼントをもってやってきた。きれいに着飾った女の子が木からつるしたぬいぐるみを棒で割り、中からこぼれ落ちたキャンディを、キャンプの子どもたちに拾わせた。その奪い合いに入って行けずに、遠巻きに眺める子どもたちの一人に、ヘスースがいた。/苦しい生活なのに、彼女の表情には人を魅きつける明るさがあった。>

<ヘスースはいま週に数日、学校に行っているという。84年と違って、キャンプの外にも出られるようになった。…(中略)…ヘスースの将来の夢は「秘書になること」だ。隣りでパンを作っていた母親が、「まだ字も書けないくせに」というとヘスースは恥ずかしそうに下を向いた。>

<エル・サルバドルを離れてしばらくしてから、一通の手紙が届いた。キャンプを訪ねた友人からのものだった。便箋の中に、「Jesus(ヘスース)」とサインが書かれてあった。よれよれの曲がりくねった字……。ヘスースだ。字が書けるようになったのだ。キャンプを訪れると、駆け寄って来て、手を引っ張っては他の子のところに連れて行き、「私の写真と同じように、きれいに撮ってあげてよ」と私に頼みこむヘスースの表情を思い出していた。>

引用が長くなったが、心あたたまる、とてもいいエピソードだったので紹介した。

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2009年12月 3日 (木)

【読】グレートジャーニー

さっそく読みはじめた関野吉晴さんの新書。
これが、とてもいい。

Sekino_great_journey_1関野吉晴
 『グレートジャーニー ①中南米~アラスカ篇』
  ちくま新書390 2003年刊
  188ページ 950円(税別)

120点のカラー写真が美しい。
足かけ十年にわたる「人力」の旅のエッセンスという感じで、駆け足ではあるが、旅の途中での現地の人たちとのふれあいが、この人らしい。
あたたかさを感じる。

<1990年、私は「私のグレートジャーニー」を計画した。人類拡散の「グレートジャーニー」を逆ルートで、自分の脚力と腕力だけで辿ろうというものだ。/南米最南端パタゴニア・ナバリーノ島からビーグル水道をカヤックで漕ぎ出したのは、1993年12月5日のことだった。ここを出発点として、アメリカ大陸を北上、ベーリング海を渡り、ユーラシア大陸を横断して、人類誕生の地であるタンザニア・ラエトリに到達したのが、2002年2月10日。足かけ10年の旅となった。> (「グレートジャーニーとは」 本書P.9)

<われわれの周囲を見渡してみよう。金属、プラスチック、化学繊維、合成樹脂だけでなく、それが何でできているか素材のわからない物がほとんどだ。私たちと自然のあいだには、しっかりと障壁が作られている。自分たちが自然の一部であるということも忘れてしまう。> (「シンプル」 本書P.83)


星野道夫さんや池澤夏樹さんの志向に似たものを感じる。
ついこのあいだまで、この人のことを知らなかったのだが、いい人に(書物の世界で)出会えたことがうれしい。

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2009年12月 2日 (水)

【読】しあわせって、なんだっけ なんだっけ

かつて、こんなCMソングがあったな。
明石家さんま。
キッコーマン ポン酢しょうゆのあのCMは、好きだった。

まだ10ページほど残っているけど、二日間で読むことができた。
世界の「辺境地帯」(いい言葉ではない)を股にかけて活躍している行動的な二人の対談には、納得できることが多かった。
いつかまた読みかえしてみたい。そんなきもちになる本だった。

Sekino_nagakura_kofukuron『幸福論』 長倉洋海・関野吉晴
 東海大学出版会 2003年刊
 227ページ 2300円(税別)

関野 人間にとって幸福とはなにか。とっても大きなテーマなんだけれど、ぼくはスピードについてよく考えるんです。アマゾンにしてもヒマラヤにしても、あるいはエチオピアにしても、ぼくが出会った先住民たち、動くスピードってほとんど時速五キロくらい。……それにしてもぼくらの世界は時速八〇キロくらいで動いているでしょう。……

長倉 飛行機でいろんな国に行って、ときどきふっと思うのは、人間がこんな楽していいんだろうかってことなんです。だから、なんだか考えが古いのかもしれないけど、人間にとっては歩く速度が自然で、新幹線とか飛行機とか、ああいう速いものに乗ると不自然な疲れを感じます。……

♪ かぎりないもの それが欲望 ♪ (井上陽水)

♪ つみあげすぎた世の中は 生きてることがみえないよ ♪
  (山崎ハコ/工藤順子)


関野吉晴さんの 「グレートジャーニー」 シリーズは、児童書もふくめ多数出版されているけれど、手頃なところから新書を二冊手にいれた。

Sekino_great_journey_1_2Sekino_great_journey_2関野吉晴
 『グレートジャーニー ――地球を這う』

 ①南米~アラスカ篇
   ちくま新書(カラー新書) 390
   2003/3/10 第一刷発行
   188ページ 950円(税別)
 ②ユーラシア~アフリカ篇
   ちくま新書(カラー新書) 568
   2005/11/10 第一刷発行
   206ページ 950円(税別)

関野さんは、こどもを写真に撮るのが好きだと言っている。
カバーのこどもの顔、なんともいえない、いい写真だ。


【参考まで】
グレートジャーニー  ― Wikipedia ―
『グレートジャーニー』は、フジテレビジョン系で不定期に放送されるドキュメンタリー番組。人類の足跡を南アメリカ・チリナバリーノ島からタンザニアまで(北ルート)逆ルートから遡って行く旅の過程を、探検家・関野吉晴が歩く。最近は「地球デイプロジェクト」(2008年3月21日放送分)の一環として、ヒマラヤから日本までの南ルートを、日本人が日本に到達するまでを歩いた。

【さらに補足】
人類は、四百万年前、東アフリカに誕生したと言われ、百数十万年前、アフリカを飛び出してアジアに広がり、やがて極北の地を経て、ついには南米大陸の最南端、パタゴニアに達した。
この人類拡散の長大な旅を、イギリス生まれの考古学者 ブライアン・M・フェイガンは「グレートジャーニー」と呼んだ。 (関野吉晴 『グレートジャーニー ①』 ちくま新書 より要約)

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2009年11月30日 (月)

【読】あと少し

船戸与一の長編小説を十日間もかけて読みついでいる。
十一日目の今日、読みおえたかったのだが、20ページほど残ってしまった。

Funado_ryuusa_2『流沙の塔』 船戸与一
 新潮文庫 2002年刊
 (親本 朝日新聞社 1998年刊)
 上巻 526ページ 下巻 449ページ (本文)

スケールの大きな小説だ。
『蝦夷地別件』 には負けるけれど、登場人物も多彩。

横浜の華僑で客家(ハッカ)の実力者に拾われ育てられた海津(かいづ)明彦。
漢人の軍人、東明正。
東トルキスタン・イスラム党の青年。
彼らにからむ、何人かの魅力的な女性たち。
謎の老人、間垣浩市は、『満州国演義』 に登場する満州浪人の成れの果てに思えてくる。
この物語で重要な役割を担う、中華人民共和国 国家安全部保安局内事第一処次長、蒋国妹という不気味な女性もまた、不幸な過去を背負っている。

登場人物たちの 「顔」 が見えてくるところが、船戸与一の筆力のすごいところだと私は思う。


題名の 「流沙の塔」 の由来が、登場人物のひとりの口を借りて語られる。
なるほど。そういうことだったのか。

 「芥子に頼るは流沙に塔を築くがごとし……」
 「何ですって?」
 「清朝末期の詩人の言葉だよ。そのころは芥子からはまだヘロインは精製されず阿片の段階だったがね。組織の財政を阿片に依拠すれば、流沙のうえに塔を築くのと同じで最初は一応の見てくれを形成する。だが、そんなものはすぐに崩れ落ちてしまう。その詩人はそう言ったんだよ」
  (第五章 「枯骨の遺跡」 P.209)

西州回鶻(かいこつ)国の遺跡が、この物語の最後の舞台。
文庫のカバー写真がそれだ。
西州回鶻国とは、唐の時代にウイグル族が作った国で、ゾロアスター教から分派したマニ教を信仰していたという。

上巻の巻頭に、次の言葉がかかげられている。

 ――沙河(さが)に多くの悪鬼、熱風あり。遇えば即ち皆死して、一として全き者無し。上に飛鳥なく、下に走獣なし。遍望曲目、渡る処を求めんと欲すれば、即ち擬する所を知らず、唯死人の枯骨を似って、標識と為すのみ。   
  東晋の求法僧・法顕(ほっけん) (長沢和俊・訳)

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2009年11月24日 (火)

【読】船戸与一ワールドに没頭

せっかく図書館から借りてきた魅力的な本も、読みかけの小説をかたづけるまで手がつけられない。

Sekino_nagakura_kofukuron船戸与一さんの小説をまだ読んでいる。
単行本を持っていたはずなのに、どこかに行ってしまった。
たぶん、BOOK OFFに売り払ってしまったのだろう。
その代わりに文庫本があった。

てっきり一度読んだと思っていたが、まだ読んでいないようだ。
読もうと思って新刊を買う → 読まずに売り払う → やっぱり読みたくなって文庫を古本で買う……これがパターンになってしまった。
本に関しては、ずいぶんと無駄なお金を使っていると、じぶんでも思う。
けれど、これでいいのだ(赤塚不二夫)。


Funado_ryuusa『流沙の塔』 船戸与一
 新潮文庫 2002/12/1発行
 上巻 526ページ 705円(税別)
 下巻 449ページ 629円(税別)
 親本 1998年5月 朝日新聞社刊

流沙=りゅうさ と読む。
私は長いこと「るさ」と読むのだと思いこんでいた。
こういう思いちがいも多い。

文庫の装幀がしゃれている。
二冊並べると、カバーの絵が組み合わせになっているのだ。

現代中国の西北端、新疆ウィグル自治区が舞台。
横浜の華僑、客家(はっか)と呼ばれる人々、現代中国の暗部、そういったドロドロした世界が船戸さん一流の筆致で生き生きと描かれている。


http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101343160
内容(「BOOK」データベースより)
人骨の柄に狼を刻んだナイフが左胸を貫き、真紅の薔薇の花びらがちりばめられた屍体―。横浜で起きたロシア女殺しの手口と、広東省・梅県の事件は酷似していた。育ての親・張龍全の命を請けた海津明彦は、背後を探るべく、梅県へと飛ぶ。黒社会の覇権を争う秘密結社・哥老会と三合会の抗争、香港駐屯権をめぐる公安の暗躍。そして…。中国を揺さぶる闇を圧倒的スケールで抉る。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101343179
内容(「BOOK」データベースより)
横浜と梅県の殺人の裏には、思いもよらぬ構図が隠れていた。アフガンのイスラム原理主義派タリバンから密輸される麻薬―。その莫大な利権は、ウイグル民族独立を掲げる東トルキスタン・イスラム党の民族派とイスラム原理派の軋轢に火をつけた。正義を標榜する組織に巣くう内紛と腐敗。自らの信ずる幻を追い、その呪縛にのたうちながら、流沙に彼らが築こうとしたものとは…。

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2009年11月18日 (水)

【読】船戸さんの対談集

15年も前の対談集だが、なかなか面白い。
船戸さんは、対談の名手でもあったのだ。

Funado_taidan『諸士乱想 トーク・セッション18』  船戸与一
 徳間文庫 1998/4/15刊
 325ページ 552円(税別)
 (親本 KKベストセラーズ 1994/6刊行)

18人の対談相手は――
張本勲、原田芳雄、長倉洋海、ファイティング原田、森雞二(棋士)、前田哲男、大藪春彦、黒田征太郎、荒勢(元力士)、関野吉晴、北方謙三、内藤陳、中村敦夫、鈴木邦男、辺見庸、大沢在昌、若松幸二(映画監督)、牧野剛

括弧内は私が補った。
錚々たる顔ぶれだ。
黒田征太郎との対談まで読んだところだが、今のところ、この黒田征太郎との対談がいちばん面白い。

ちなみに、本書のタイトル 「諸士乱想」 という言葉は、吉田松陰の 「処士横議」 をもじったものらしい。
といっても、「処士横議」 なんて、はじめて耳にした。

<処士とは、「身分」ではなく「志」によて立った吉田松陰のいう草莽の士、横議とは彼らが藩の境界を踏み破って全国的に展開した横断的議論> (巻末 家上隆幸氏の解説より)
―― ということらしい。

私には難しくてよくわからないけれど、タイトルにこめられた船戸さんの意気込みは、なんとなくわかる気がする。

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2009年11月14日 (土)

【読】さすが、船戸与一 (三都物語)

きのうから通勤の電車とバスのなかで読み継いでいる。
さすが、船戸さん。
ぐいぐいと引きこまれていく。

Funado_santo_monogatari船戸与一 『三都物語』
 新潮社 2003年刊

読みはじめてすぐに、巻末の「初出一覧」をなにげなく見た。

すべて「小説新潮」
 樫の扉の向こう  2003年2月号
 鉛の残光 1998年7月号
 落ちた柿の実 2003年6月号
 驟雨の夜 2001年9月号
 昏き曙 2002年8月号

おや、中編小説集なのか?
と思いながら、一作目、二作目と読みすすんでいくうちに、どうやら連作になっているようだと気づいた。
登場人物は、いずれもプロ野球関係者だが、暗い翳をひきずって生きている男たちばかりだ。
横浜、台中、光州の「三都」が舞台。


帯の文句の意味するところが、読んでいくうちにわかってきた。

 割れるような歓声さえ、魂の飢えを満たしはしない。
 横浜、台中、光州。
 異国の球場に招かれた助っ人たちが味わったのは、
 黒社会の触手、野球賭博の密、そして未だ癒えぬ内戦の匂い。


船戸ワールドは、奥が深いな。

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