カテゴリー「星野道夫」の17件の記事

2008年7月 3日 (木)

【読】星野道夫さんをめぐって(続々)

こんな本も手に入れた。

『ベア・アタックス クマはなぜ人を襲うか』 I・II
 S.ヘレロ 著
 嶋田みどり・大山卓悠 訳
 日本クマネットワーク 解説
 北海道大学図書刊行会  2000.9

この市の図書館に置いていないのでネット注文したのだが、届くまで時間がかかった。

『星野道夫 永遠のまなざし』 (小坂洋右・大山卓悠/山と渓谷社) の中で知った。
訳者の一人、大山卓悠さんが日本語訳を買ってでた経緯が、詳しく書かれていたのだ。

その前に読んでいた 『クマにあったらどうするか』 (姉崎等/木楽舎) の中でも紹介されていたので、どんな本なのか気になっていた。

英文の原著は星野さんも持っていたという。
だが、星野さんはこの本を読まずに亡くなってしまったらしい。
原著者は、星野さんとも交友があり(訳者もそうだが)、そんないきさつから、星野さんの死後、日本語版を出すにあたって、あらたな章が追加された(補章 星野道夫の死)。

というわけで、読むのはまだまだ先になりそうだが、ここに紹介しておきたい。

原著
BEAR ATTACKS
Their Causes and Avoidance
Stephen Herrero

スティーヴン・ヘレロ (Stephen Herrero)
1939年米国サンフランシスコ生まれ。 カリフォルニア大学バークレー校で動物行動学の博士号取得。 1968年よりカナダのカルガリー大学に勤務。 現在、環境計画学部教授。 主な研究分野は、野生動物生態学、保全生物学。 1999年来日し、北海道をはじめとするクマ生息地を訪ね、各地で講演や関係者との意見交換を行なった。
(本書著者紹介より)


― 本書巻頭 「日本語版によせて」 (スティーヴン・ヘレロ) より転載 ―

 1996年、極東ロシアのさらに遠隔の地カムチャッカ半島の南端で、私にとっては世界最高の写真家だった男、"星野道夫"がヒグマに殺された。 (中略) およそ二十年間にわたって、彼は毎年何ヵ月も自然のなかで暮らし、グリズリー(ヒグマ)やムース(ヘラジカ)のような危険を秘めた動物にそっと近づき、事故に遭うこともなく、優れた写真を撮りつづけた。 彼がこれらの動物たちをよく知り、理解していたからできたことだ。
 その彼が、なぜクマに殺されたのか? その答は、悲しいことに、星野氏を殺したクマは、彼が愛した、まだ人間によってそこなわれていない野生のままのクマではなかったということだ。 彼を殺したのは、野生のクマのカリカチュア――攻撃的に食物を得ようとする性格のクマが、何ヵ月にもわたって不適切に保管された人間の食物や生ゴミを食べ、その攻撃性がさらに助長されていたのだ。 (後略)
 

Bear_attacks_1Bear_attacks_2 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 2日 (水)

【読】星野道夫さんの本棚(続)

星野道夫さんの本棚にあった一冊。
愛読書だったようだ。

Hoshino_coyote_no2Coyote №2 (2004.10.8) スイッチ・パブリッシング
 特集 星野道夫の冒険  より引用

(P.52) 人はこうして生きてきた

『デルスウ・ウザーラ』 は星野道夫がこよなく愛した本の一つである。 書斎にはボロボロになった本を改めて装訂(装丁/装幀のまちがいか?)し直したものがある。
(中略)
著者のアルセーニエフが1906年の調査旅行途上で出会ったのが、ゴリド族の男デルスウ・ウザーラ。 (中略) 彼ら二人の短くも心深い交流を描いたのが、この 『デルスウ・ウザーラ』 である。 ……


ネット販売で注文してあった東洋文庫版が、きょう届いた。
Coyote にも、同じ本がイラストで紹介されており、上で引用した文章が書かれている。
星野さんの本棚には、別の訳者による同じ書もあったようだ。


Derusuu_uzara『デルスウ・ウザーラ 沿海州探検行』
 アルセーニエフ  長谷川四郎訳
 平凡社東洋文庫 55  1965年

訳者の長谷川四郎が好きなので、この本がほしくなったのだ。
こういう探検記、それほど読んでいないが、好きな分野だ。

(Wikipediaより)
長谷川 四郎(はせがわ しろう、1909年6月7日-1987年4月19日)は、北海道出身の作家。法政大学卒業後、南満州鉄道株式会社に入社。退社後招集。復員後、シベリア捕虜体験をもとに「近代文学」に作品を発表した。その後、新日本文学会で活躍し、1960年代の同会を花田清輝とともにささえた。1974年には、花田とともに戯曲『故事新編』(魯迅の同名の作品に基づいたもの)を共同制作もした。
牧逸馬・林不忘・谷譲次のペンネームを用いた小説家長谷川海太郎は実兄。



長谷川海太郎(谷譲次・牧逸馬・林不忘)も好きで、一時期、夢中になって読んだことがある。

「デルス・ウザーラ」 という映画がいっとき話題になったが(黒沢明監督、日ソ合作、1975年)、私は観ていない。

今日から、『流亡 日露に追われた北千島アイヌ』 を読んでいる。
宮本常一さんの本は、一時中断。
しばらくのあいだは、星野道夫さんの周辺をぐるぐるまわる読書が続くのか、自分にもわからない。
こういう本の読み方もいいじゃないか。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

【読】星野道夫さんの本棚

これも先日読んだ 『星野道夫 永遠のまなざし』 (小坂洋右・大山卓悠、山と渓谷社) に書かれていて、気になっていた本だ。
ネット販売で入手できた。

Kosaka_yousuke_toubou『流亡 日露に追われた北千島アイヌ』
 小坂洋右 北海道新聞社(道新選書) 1992.7

著者の小坂洋右(こさか・ようすけ)さんは、星野道夫さんと親しくしていた人。
『星野道夫 永遠のまなざし』 に書かれていたことだが、小坂さんはこの本を星野さんに渡していた。

「Coyote」 №2(2004年、スイッチ・パブリッシング) 「特集 星野道夫の冒険」 に、アラスカ フェアバンクスの星野さんのログ・ハウスに残された、彼の本棚が紹介されている。
その本棚のリストには、たしかにこの本もあった。

小坂さんは、星野さんがカムチャッカ半島で事故で亡くなった後、『逃亡 日露に追われた北千島アイヌ』 を星野さんに渡したことを、後悔したという。

カムチャッカ南部はこの本の舞台の一つになっていて、「本を読んだ星野道夫は、カムチャッカ南部がヒグマの一大生息地であると同時に、悲劇を生んだ人類史の一舞台であったことも知っていたはず」 だと思ったのだ。

アイヌ民族と星野道夫――このつながりは、それほど突拍子もないことではなさそうだ。
星野さんの著作に、クリンギットインディアンのエスター・ジェイという女性の言葉が記されている。

エスターは、星野道夫に一冊の本を示し、あるページの写真を見せて 「この人々は一体誰なのか」 と尋ねたという。

<それは日本のアイヌの人々の写真だった。 エスターは自分たちの祖先とその写真を結びつけていたわけではないだろう。 ハイイログマのクラン(家系)に属するエスターは、なぜ同じような信仰を持つ人々が遥かなアジアの世界に存在しているのかという不思議さを感じたのかもしれない。>
 ― 星野道夫 『森と氷河と鯨』 ―

すぐには読めないが、この小坂さんの本は、私にはとても興味ぶかい。


Hoshino_coyote_no2Hoshino_eien_no_manazashiHoshino_moritohyouga

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月30日 (月)

【読】星野道夫と見た風景 (星野直子)

こんな本もあった。
いつ手に入れたのかも覚えていないが、まだ読んでいなかったようだ。

Hoshino_naoko『星野道夫と見た風景』
 星野道夫 星野直子
 新潮社 とんぼの本 2005.1.25

1993年に星野道夫さんと結婚した直子さんが、星野さんのことをこう語る。

― 本書 P.120- ―
 01年の夏には、アラスカの海でクジラを追う道夫さんを長い間サポートしてくれた、リン・スクーラーの船に乗る機会がありました。 私と翔馬(注:星野夫妻の子息)、それに私の両親に、クジラを見せてくれるためです。
 船上でのある夜、リンにも協力してもらってできた 『森と氷河と鯨』 の本を渡したとき、彼がおもむろに、私に尋ねたんです。
「ナオコはクマを許すことができたのか?」
 私は、
「クマを許せないと思ったことはない」
 と答えました。 なぜなら、カムチャッカに迎えに行ったときの道夫さんの表情には、苦痛の影が少しもなかったから……とても静かな顔でまるで眠っているようだったから。
 もし、その表情に苦悶や痛みを見ていたら、クマに対する想いはちがったものになっていたかもしれません。

この本は、いい。
星野直子さんの文章も、好ましい。

フェアバンクス郊外の住宅地の森の一部を購入して、友人の大工に頼んで作った星野さんの家の写真がある。
落ちついた造りのログハウスのまわりに、花がたくさん咲いている。

「もともとは岩がごろごろしているような粘土質の斜面の土地で、どちらかいえばやせた土質」 だったところへ、「業者に頼んで肥えた土を運び込んでもらい、種をどっさり蒔いたのだ」 という。 (本書 P.12)

星野さんは、とてもいい場所で最後の数年を暮らしたのだった。 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年6月29日 (日)

【雑】身近な自然と遠い自然

「……僕らの周りには二つの大切な自然があるような気がします。 一つは身近な自然です。 つまり生活の中で自分の家の近くの森や川や草花が毎日見ることができる、そういう身近な自然が大切なんですね。 もう一つは、遠い自然も大切だと思うんです。 つまりそこには行けないかも知れないけれど、そこにあるというだけでホッとできる。 ……」
(『魔法のことば』 星野道夫 ―1994年6月11日 東京都渋谷区松濤美術館での講演―)

ほんとうに身近なところで、ガクアジサイがきれいに色づいている。
雨に濡れて、とてもいい。
気持がなごむ。

08062900010806290002













星野道夫さんが言う 「遠い自然」 が、私のこころの中にもある。
それは、まだ行ったことのない地球のどこかの雄大な景色だったり、八ヶ岳の深い森だったり、南アルプスの稜線だったり、北海道の原野だったりする。

「少しだけ遠い自然」 と呼びたいような、日本の中のこれまでに訪れた場所のことを、ときどき思い出す。
思い出すことで、ちょっとだけ元気になれる。
いまこの時、あの風景、あの自然が確実にある、と考えることで元気がでる。
 
 

Hoshino_alaska_kaze『アラスカ 風のような物語』
 星野道夫 小学館文庫 1999年
 (1991年刊行本=下記を再構成した文庫版)

ひししぶりにこの本をとりだして、アラスカの遠い自然と、星野さんのことばを、味わっている。

― 巻末解説 より ―
彼の動物の写真を見ると、撮影者と被写体の動物との間に何か会話があるような気がしてならない。 言葉はなくても成り立つ会話がそこにある。 チーズといわせてポーズをとった写真でもなく、やみくもにシャッターを押し続けて偶然の僥倖をねらった写真でもない。 シャッターチャンスを計算したわけでもないのに、これ以外にないという瞬間の表情をフィルムに収めるのは、無言の会話を通じて被写体と一体になったカメラマンの業というしかない。  (大庭みな子)


Hoshino_alaska_kaze_large『Alaska 風のような物語』
 星野道夫 小学館 1991年7月 大型写真文集

― 『星野道夫 永遠のまなざし』 山と渓谷社 より ―
星野道夫には、その土地をより深く知ろうとする姿勢があった。 人が住んでいても住んでいなくても、好きになった場所が自分を受け入れてくれるかどうか、それが判るまでじっとそこに佇むのだそうだ。 そしてその場所と一体になれた時、星野道夫ははじめてカメラを取り出すのだという。 それだけでは終わらない。 今度はカメラで切り取った景色の中に生命を入れることを考えるという。 風景の中に生命があると、空気が引き締まるのだと言った。 (大山卓悠)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月27日 (金)

【読】星野道夫さんをめぐって (続)

この本のつづき。

Hoshino_eien_no_manazashi『星野道夫 永遠のまなざし』
 小坂洋右、大山卓悠 著
 山と渓谷社 2006年

巻頭に星野さんの人なつっこい笑顔のカラー写真がある。
デナリ国立公園、1984年というキャプションがついている。
ほんとうに、少年のような屈託のない笑顔だ。

そのページに続いて、星野さんが最期をむかえたカムチャッカ半島南端のクリル湖周辺の写真と、星野さんを襲ったとみられるヒグマの写真が掲載されている。
北海道をおもわせる、美しい風景だ。
あの事故さえなければ、ここはここで、すばらしい場所だっただろう。

キャプション 「星野道夫が最後に見た風景」
―― 北緯51度、カムチャッカ半島南端部にあるクリル湖は、周囲45キロほどもある大きなカルデラ湖。 周囲には富士山にそっくりのイリインスカヤ山など、標高1500~2000メートル級の火山が点在している。 (中略) ベニザケを餌とするヒグマも多く棲息し、その密度は世界でも有数。 (後略) ――


ところで、この本の最終章だけは、星野さんと親交のあった 大山卓悠(おおやま・たかひろ)さんが執筆している。
星野さんの人がらが生き生きと描かれていて、好感がもてる文章だ。

その中に、ほほえましいエピソードが書かれてる。
星野さんが結婚する前の話だと思う。

大山さんは家族を連れて、フェアバンクスの星野さんの家に遊びにいった。
星野さんの家は、白樺とアスペンとトウヒの森の中にひっそりと建っていた。


―― 以下、原文から引用 ――

「じゃあ、今夜はぼくのいちばん得意なスパゲッティーを作りますから」
 星野道夫は得意顔で宣言した。 すると四歳になるぼくの長女がすかさず言った。
「パパもスパゲッティー得意だよね。 アルデンテだもんネ」
 子供は正直だというが、残酷でもある。 星野道夫はそのひと言にプレッシャーを感じてしまったのかすっかり緊張し、緬を茹でながらしょっちゅうスパゲッティーをすすっている。 緬の固さを確かめていたのだと思うが、それを見ながら長女が心配そうに言った。
 「星野さん、スパゲッティーをみんな食べちゃうんじゃないの」
(中略)
 結局、長女の予感は的中し、最初に茹でた分では皆の皿に行きわたらなかった。
「すみません。 ちょっと味見しすぎちゃったみたいで……」
 星野道夫は頭をかきながら、新たにスパゲッティーを茹で直した。

  ― 本書 第四章 「星野道夫が残してくれたもの」 より ――


この後、星野さんが大山さんのアンカレジの家を訪ねたときのエピソードが、とてもいい。
星野さんと大山さんのお嬢さんが、ムース(アラスカに住む大型のヘラジカ)の干からびた糞を投げっこして遊びだした。
その時、星野さんは容赦なく四歳の少女に糞をぶつけるのだった。


―― 以下、原文から ――

(前略) 長女も負けじと両手で糞をすくい取り、星野道夫にぶつけ返した。 さあそうなると二人とも、つかんでは投げつかんでは投げの激しい交戦になった。 星野道夫も娘も必死の形相で投げ合っている。 娘はまだ四歳の子供だ。 そんな年端も行かない女の子に、星野道夫は大人に対してするように真顔でぶつけている。 いずれ娘は泣き出すに違いないと、傍ではらはらしながら見ていたが、結局二人は飽きるまでぶつけ合って平気な顔をして息をついた。
「ああ、面白かった。 星野さんまたやろうね」
「ウン、ここはいいね。 フンがたくさんあるもんね」
 二人は息を切らしながら、目をきらきらさせてうれしそうに話している。 そんな二人を見ながら、ぼくは何か未知のものに触れたような気がした。 星野道夫も娘も、ぼくが生きる世界とは別の境界に住む人々のように見えたのだ。 あれほどひどくムースの糞をぶつけられて、なぜ長女は泣き出さなかったのだろう。 とても痛かったはずだ。 星野道夫も星野道夫で、いい大人がたった四歳の子供にああまですることはない。 まるで子供同士の喧嘩のようだった。 そう思った途端、ぼくは二人の関係がすっと理解できた。 そう、二人は子供同士で、それも仲のよい友だち同士なのだ。 (中略) 泣き出さなかったのは、星野道夫が大人でなかったからなんだ。
 星野道夫の人間性にそんな一面があることを心に留めながら、ぼくと彼の付き合いは続いていった。

  ― 同 P.221~ ―

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月26日 (木)

【読】星野道夫さんをめぐって

こんな本が私の本棚にあった。
何年前に買ったのかも忘れてしまったが、機が熟したとでもいうのだろうか、読んでみることにした。

Hoshino_eien_no_manazashi『星野道夫 永遠のまなざし』
 小坂洋右(こさか・ようすけ)
 大山卓悠(おおやま・たかひろ) 著
 山と渓谷社 2006.9.30

カバーの写真は、1996年8月4日、クリル湖畔でくつろぐ星野道夫さん。
カムチャッカ半島南端の、すばらしい風景だ。
しかし、これが彼の最後の写真になった。
四日後の8月8日未明、一頭のヒグマが星野さんのテントを襲い、星野さんをくわえて去ってしまった。
悲惨な事故だった。
享年43歳。

この本は、星野さんがなぜヒグマに襲われたのか、その真相を追い求めた話だが、それだけにととまらず、星野さんの生き方と晩年にやろうとしていたことを、友人の立場からていねいにたどっている。

私は、星野さんがクマに襲われたニュースをほとんど憶えていない。
そもそも星野道夫という人を当時は知らなかったから、関心もうすかったのだろう。
そういえば、ひとりの日本人「動物写真家」が、カムチャッカ半島でクマに襲われて死亡したニュースが流れていたような気もする、という程度だ。

この本を読みはじめて知ったことだが、当時、流されたニュースは誤解を招くものだったようだ。
「獰猛な一頭の人食い熊に襲われた」 というニュアンスで、クマはやっぱり怖いものだという誤った風聞がひろまったらしい。

星野さんを襲ったヒグマは、ロシアのある人物がエサを与え続けて 「餌付け」 したことにはじまって、人間の食糧を襲うようになり、しばしば撮影現場の近くに出没していたという。
(星野さんは、日本のテレビ局の撮影に同行していた)

「餌付け」 という日本語は誤解を招くかもしれないが、英語では Food Conditions といい、人間の食べ物の味を覚えて人間を恐れなくなったクマを指すという。
つまり、人馴れして、人間のそばに行けば食べ物があることを知っており、それが意外と簡単に手に入ることを学習してしまったクマである。
けっして、「獰猛で人間を食うクマ」 ではなく、本来の野生が人の手によって狂わされた特殊な個体なのだ。

続きは、また後日。


ちなみに、この本の著者のひとり、小坂洋右さんという人は、すこし前に私が手にいれた本の著者と同一人物であることを知った。
不思議な符合である。

Kosaka_ainu_ikiru小坂 洋右 著  写真/林 直光
『アイヌを生きる 文化を継ぐ 母キナフチと娘京子の物語』

 大村書店   1994.4.20

小坂洋右
1961年札幌市生まれ。旭川市で育つ。北海道大学卒。
アイヌ民族博物館勤務などを経て、1989年から北海道新聞記者。
(『星野道夫 永遠のまなざし』 山と渓谷社の著者略歴より、抜粋)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月25日 (水)

【読】魔法のことば(星野道夫) 続々

Hoshino_mahou『魔法のことば』 星野道夫 講演集
  スイッチ・パブリッシング 2003.4.25

この本については、感じるところがたくさんあったので、何回も書いてしまった。
あと数ページを残すばかりとなった。

繰りかえし語られるエピソードも多いが、それは何度聞いても飽きることのない昔話、物語に似ている。

巻末、池澤夏樹さんが寄せた文章 「星野道夫の講演」 に、池澤さんらしい鋭い考察がある。
引用ばかりで気が引けるが、いくつかポイントを書いておこう。

<星野道夫が優れた話し手であったことは、その講演を文字で読んでいるだけでもわかる。 彼の話はただの情報ではない。 彼自身が二十年以上をかけて得た知恵を語るものであり、その背後にはアラスカの自然と先住民の暮らしという叡智の体系があった。>

<彼自身それを本などから得たのではなく、時として非常な危険に満ちた体験を通じて体得し、また村々の老人たちの話を聞くことによって集めたのだ。>

星野さんは、アラスカの自然にひかれていたことは確かだが、それ以上に、アラスカに住む人々が好きだったのだと思う。
星野さん自身がこう語っている。

「もしアラスカに人が暮らしていなくて、美しい自然だけだとしたら、僕はアラスカにそれほど魅かれなかったでしょう。」 (本書 P.276 1996年5月12日 八ヶ岳自然ふれあいセンターでの講演)

たしかに、星野さんの撮った雄大なアラスカの風景、動物たちの写真はすばらしく、感銘を受けるものばかりだが、私がそれ以上に好きなのは、エスキモーやインディアンと呼ばれる人々(星野さんは彼らをこう呼んでいる)のじつに魅力的な写真の数々だ。
あるいは、人間の気配が感じられる、朽ち果てたトーテムポールや、クジラの骨の墓標を撮った写真がいい。

星野さんの晩年(突然の事故死だったから、晩年ということばがふさわしくないかもしれないが)、アラスカのインディアンやエスキモーに伝わる伝説(ワタリガラスの伝説)のルーツを追って、シベリアへ足を伸ばそうとしたのも、星野さんが人間を好きだったからだと思う。

池澤さんは、上に引用した文章に続けて、星野さんの講演についてこう書いている。

<本当は公民館や講堂ではなく冬の炉端で、あるいは夏の夜に星空を見ながら、聞くべき話かもしれない。 また、できればあなたは子供であった方がよかったかもしれない。 もちろん、それをこの本で読むのではなく、彼の話を直に聞ければそれがいちばんよかった。 でも贅沢は言うまい。 (後略)>

<これは彼が語ったところを本にまとめるという変則的な成り立ちの本である。 読み手の方もこれを読むのにはちょっとした工夫がいるとぼくは考える。 (中略)>

<まず、ゆっくり読むこと。>

<次に、一度にたくさん読んではいけない。 彼は本当に大事なことしか言わなかった。 そして本当に大事なことは何度でも言った。 先住民の語り手は同じ話をいくどとなくする。 大事なことはそうやって聞き手の心の奥深くにしっかりと刷り込むものなのだ。>

星野さんが、あの事故にあわずに仕事を続けていたなら、今の私とほぼ同じ年齢になるはずだ。
(同期といっていい年齢の人だったから)
今頃どんな写真を撮り、どんな話を聞かせてくれただろうか、と思う。
さびしいことだが、しかたのないことである。



以下、全くの蛇足で、星野さんの本の価値をおとしめるものではないのだが、この本(2003年4月25日 第一刷)には、あきらかな誤植がいくつかある。
まちがったまま受け取る人はいないだろうし、その後訂正されているかもしれないが……。

P.70 「第三章 めぐる季節と暮らす人々」 の講演場所
 北海道十勝市清水町 → 北海道上川郡清水町
※私は、市町村合併でこんな市(十勝市)が誕生しようとしていて、それを先取りしてこう記述したのかと思った。 一瞬だが本当にそう思って、調べたりした。

P.266 「第九章 100年後の風景」 の講演場所
P.286 「第十章 インディアンたちの祈り」 の講演場所
 山形県八ヶ岳自然ふれあいセンター → 山梨県八ヶ岳・・・
※これも、一瞬だが、山形県にも八ヶ岳という地名があるのかと思った。 厭味でも皮肉でもない。

八ヶ岳山麓で星野さんが講演していた頃(1996年5月)、私は、まさにその八ヶ岳連峰の南端にある山小屋へ、足繁く通っていた。
その当時、星野さんのことをまったく知らなかったので、今からおもうと残念なことをした。
しかし、これも人生での巡りあい、「縁」というものなのだろう。

星野さんは、八ヶ岳山麓での講演で、八ヶ岳によく通っていた頃のはなしもしている。
彼にとっても思い入れの深い土地だったようだ。



【参考サイト】

(星野さんの写真が見られるサイト)
写真家 星野道夫 | 富士フィルム ウェブ写真美術館&ショップ
 http://fujifilm.jp/promotion/museum/photographer/hoshino/index.html

(星野さんの事故死の謎を追求した本)
山と渓谷社-商品紹介>星野道夫 永遠のまなざし
 http://www.yamakei.co.jp/products/detail.php?id=340200

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年6月24日 (火)

【読】魔法のことば(星野道夫) 続

「switch」 19994年7月号 (Vol.12, No.3) を手に入れることができた。

Switch_100407特集 星野道夫
 狩猟の匂いを我々は嗅ぐことができるか

モノトーンの星野さんの写真が表紙に使われていて、なかなかいい。
先日読んだ
  『終わりのない旅 星野道夫インタヴュー』
 (スイッチ・パブリッシング)
の元のインタビュー記事が掲載されている。

LONG INTERVIEW
 「原野に生命の川が流れる」 (P.49-62)
 文 湯川豊 / 写真 垂見健吾

今読んでいる講演集 『魔法のことば』 (スイッチ・パブリッシング) にも、ちょうどこの時期(1994年)の講演が載っている。
南東アラスカに、星野さんの関心が移っていった時期だ。

星野さんの「魔法のことば」を、ここでまた引用したい。
(1994年4月9日、第4回国際イルカクジラ会議江ノ島フォーラムにて行われた講演。講演タイトルは「南東アラスカとザトウクジラ」)

 エスキモーの考え方、精神世界というものはだんだん消えつつありますけど、一つはイヌアという考えが精神世界の中で非常に大きな意味を占めています。 イヌアというのは、あらゆる生物や、山とか川とか流氷などの無生物も含めて、すべてのものに人間が住んでいる。 つまり万物が人間のように生きているという考え方があります。 (中略) もう一つはシラという考え方で、災害や病気など人間の手に負えない超自然の世界を支配している神の存在をさします。 このイヌアとシラと霊魂が昔から彼らの精神世界を支えている。 (後略)  ― P.199 ―

 生物は気が遠くなるくらいの時間を経てここにあるわけですが、毎年そこに戻ってくるザトウクジラと氷河と原生林、この三つをテーマにそのことをとても分りやすく表現できるんじゃないか、そう思ったわけです。 (中略) そういう長い時間ということを考えたときに、では人間の持っている時間とはどういうものなんだろうか、(後略)  ― P.202 ―

この後、星野さんは面白いことを言っている。
私はちょっと意表をつかれたが、なるほどなと思う。
引用だと長すぎるので、一部を要約して引用する。

 歴史というものは、それほど遠いときに起ったものではない。 ずっと続いているということだ。
 人間の歴史を頭の中で考えるとき、人間の一生を基準にしたスケールで考える。
 例えば、弥生時代を考えたとき、それが1800年とか2000年前の遠い昔の出来事のように思ってしまいがちだが、人間の一生を辿っていくことで見てみる。
 弥生時代がどれくらい前かというと、自分が今ここにいて、その前に親がいて、その前にまた親がいて、そういう人の一生を繋げていくことによって歴史を見ていくと、弥生時代なんていうのは人間が一列に並んだら60人から80人くらいが並んでいるに過ぎないのではないか。

(以下、原文)
 つまりその一列に人間が並んでいる場合に、ふと自分と血が繋がっている弥生時代の人間というのは、顔の形さえきっと見えるんじゃないかというふうに思ってしまう。 そういふうに考えると、人間の歴史はとても短いような気がしてしょうがないんですね。 つまり地球のスケールや歴史を考えた場合、一億年というタイムスケールはやはり手が届かない。 例えば恐竜が絶滅した何万年前というのはちょっと僕らの感覚では分らないけれども、一万年前だったら人間の歴史を遡ることで本当についこの間のことのように感じられる気がするんです。  ― P.203 ―



Hoshino_moritohyouga『森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて』
 星野道夫 1996.12.10 世界文化社

月刊「家庭画報」 (世界文化社刊)に、1995年8月号から1996年9月号まで連載されたが、星野さんの急逝(1996年8月8日)によって、未完のままとなった。
星野さん晩年(結果的には、だが)の大きな仕事のとっかかりだった。

Life is what happen to you while you are making other plans.
(人生とは、何かを計画している時起きてしまう別の出来事のこと)
― 星野さんの友人だった シリア・ハンターのことば ―

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月23日 (月)

【読】魔法のことば(星野道夫)

通勤途上で何を読むか、じつは難しい選択である。
活字が小さい本は目がつらいし、分厚い単行本は重い。

そうだ、星野道夫さんの講演録があった、ということで、今日から通勤途上で読んでいる。

Hoshino_mahou『魔法のことば』 星野道夫 講演集
  スイッチ・パブリッシング 2003.4.25

タイトルがいい。
星野さんのことばは、ほんとうに魔法のようだ。
語られているのは、いつも同じことが多いが、何度聴いても(読んでも)あたたかい気持になれる。

  彼は本当に大事なことしか言わなかった。
  そして本当に大事なことは何度でも言った。 ――池澤夏樹


 ……人間にとって大切な自然が二つあるような気がします。
 一つは、皆にとっての身近な自然です。 例えば家の近くの森や川、鳥だとか、そういう日常に近い自然の大切さがありますよね。 それは日々の暮らしの中で変わっていく自然ですが、もう一つ、遠い自然も人間にとって大切なのではないかと思うんです。
 そこには一生行けないかもしれないけれども、どこか遠くにそういう自然が残っていればいつか行くことができるかもしれない。 あるいは、一生行けないかもしれないけれども、いつも気持の中にある、そういう遠い自然の大切さがある。
 それはアラスカだけに限らず、アフリカであれ南米であれ、また日本であれ、たとえ自分がそこに行かなくても、日常の暮らしに関わりがなくても、ただそこにあることで人の気持が豊かになる自然があるのだと思います。

(本書 P.98-) 「第三章 めぐる季節と暮らす人々」
 1993年2月6日
 北海道清水町で行われた写真展「アラスカ」に際して行われた講演

 1993年2/6~11 「ALASKA 風のような物語」 北海道清水町文化センター


星野道夫公式サイト
 http://www.michio-hoshino.com/index.html

スイッチ・パブリッシング
 http://www.switch-pub.co.jp/

―上記サイトより―
星野道夫 (ほしのみちお)
写真家、作家。1952年千葉県市川市生まれ。76年慶應義塾大学経済学部卒業後、アラスカ大学野生動物管理学部に留学。以後アラスカに身を置き、厳しい自然に生きる動物や人々を撮り続け、誠実な人柄を表すような透明感あふれる文章も高い評価を受ける。96年8月8日、取材先のカムチャツカ半島クリル湖畔にて、ヒグマに襲われ急逝。享年44歳。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月22日 (日)

【読】星野道夫さんとクマ(続々)

星野道夫さんの魅力は、なかなか語りつくせないのだが、ちょうど今読んでいるインタビューの本に、探していた言葉がみつかった。

Hoshino_yukawa_interview『終わりのない旅 星野道夫インタヴュー』
 湯川豊  スイッチ・パブリッシング 2006.8

すこし長く引用する (本書 P.114-)。
星野さんの思想の核がよくあらわれていると思うので、彼の語り口をそのまま省略せずに引用してみる。

(湯川) さて、最後にひとつうかがっておきたいことがあります。 星野さんは、いろんなところでたびたび、人間のいない自然、人間のいない世界について書いていますね。(中略)
 人間のいない自然というものがある。 人間が見ない自然、人間を知らない自然。 人間が見れば、その瞬間にすでに見るということで人間が自然に関わるわけだでれど、ときとして、見ながらも、その見たことから、人間の関わらない自然の世界を直観することがある。 星野さんが語ろうとしていることは、そういうことですね。

星野 あのう、自分でもよくわからないんですが、子どもの頃からずっと、ある一つの映像みたいなものがあるんです。 昔、北海道に対して強く憧れていたとき、開拓時代のことを書いた本なんかを読んでいて、北海道にクマがいるということをすごく不思議に思ったことがあった。 思ったことがあったというより、そんなふうに思い続けていた時代があったんです。
 自分が本を読んでいるそのとき、あるいは東京で電車に乗っているとき、同じ時間に、北海道のどこかの山の斜面を、クマが歩いている。 確実に。 当たり前のことですよね。 でも、北海道の遠さとかクマという動物の大きさがごっちゃになって、そういうヘンな感じをもったと思うんですが、今自分が生きている瞬間に、日高なら日高の山のなかで、クマが呼吸していたり、歩いたり、木をとび越えたりしている。 それをすごく不思議なことのように思った時代というのがあるんですよ。 そして、子どもじみた考えなんですけれども、自分がまったくいない、消えた状態で、上からそっとでもいいから、山のなかを歩いているクマを見てみたいなあ、と思った。 今この瞬間、クマは自分とは関係なく、どこか山のなかを歩いている。 それを見たい。 でも自分がそこにいたら、もう出会っちゃっているのだから、自分のいない状態でのクマは見られない。 その自分のいないときのクマの映像を見てみたいという憧れがあって、そんなふうに思うと、なにか現実の世界が漠々としたものに思われてくる。 ……なんだか子どもじみた、それだけの話なんですが。 でも、そんなことが、自分が自然というのは本当に面白いなと思う、最初のきっかけだったんですね。

淡々と語られているが、このような感じ方が星野さんのすごいところだと思う。
星野さんの写真とエッセイの底に、通奏低音のように流れる自然観である。
自然観というよりも、地球観、宇宙観とでも呼びたいような、スケールの大きな感覚。


北海道のヒグマの本からはじまって、こんなところまできてしまった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月21日 (土)

【読】星野道夫さんとクマ(続)

Hoshino_coyote_no2「coyote」 №2 2004.10.8
  特集 星野道夫の冒険
 株式会社 スイッチ・パブリッシング

この中に、「星野さんへの質問箱」 というページがある。
星野さんは、このように質問に答えている。

 クマに出合ったらどうすればいいんですか?
 そうですね。 それこそがアラスカにおける永遠のテーマの一つだんだけれども、誰も正しい答えは持っていないんですよ。 でも僕が思うのは、みんな、二つの間違いを犯すケースが多いんです。 一つは怖がりすぎるということ。 クマと出合った時に、やっぱりクマも怖いわけだからとっさに判断するわけですよね。 怖いから襲うか、怖いから逃げるかって。 そういう時にこちらが落ち着いていると、クマにもそういう気持ちが伝わると思うんです。 (後略)

この雑誌はとてもすばらしいのだが、引っ張り出してきたのにはわけがある。
今日、近くの図書館から、星野さんへのインタビューの本を借りて、読んでいるのだ。
ぐいぐい引き付けられる内容で、今日中には読み終えるだろう。

Hoshino_yukawa_interview『終わりのない旅 星野道夫インタヴュー』
  ― 原野に生命の川が流れる ―
 湯川豊 スイッチ・パブリッシング 2006.8.22

このインタビューは、1994年2月、星野さんが帰国していた折に二回にわたって行なわれたもので、「Switch」 同年7月号に掲載され、星野さんの死後、『表現者』 という本に収録されたものだ。
「Switch」 は持っていないが、そういえばこんな雑誌があったな、と思いだしたのが上の 「coyote」 だ。


Hoshino_hyougensha1Hoshino_hyougensha2『表現者 星野道夫』
 株式会社 スイッチ・パブリッシング
 1998.9.10
何年か前、星野さんのことを知った当時、立て続けに読んだ本のなかの一冊。
図書館から借りて読んだのだが、深く感銘をうけ、その後購入。

湯川豊さんは、文藝春秋社の編集者だった人で、星野さんと親交があったそうだ。
星野さんの 『旅をする木』 (文藝春秋社) は、湯川さんが編集者だったときに、「原稿を書くのにまとまった時間をつくるのがむずかしい、といった彼に、僕(という読者)に宛てた手紙を書くかたちにしたら、と勧め」、「三部に分かれているうちの(I)の部分は、その手紙がそのまま収録されている」 という。
(『終わりのない旅 星野道夫インタヴュー』 はじめに/湯川豊)


ということで、いま読んでいるインタビューは、私には再読のはずだが、胸にしみる会話である。
巻末に、池澤夏樹さんの一文があるが、その中で池澤さんはこう書いている。

<星野道夫が死んでもう十年になると聞かされて、ぼくは驚く。
だってあれはついこの間のことではなかったか。 (中略)
星野道夫はアラスカを自分の領域として選んだ写真家であり、行動的な思索者だった。 死んだ時、彼には写真と文章を通じて伝えるべきメッセージがあった。 その内容は決して単純明快なものではなく、一点の写真、一行の文章によって伝わる部分もあれば、彼のすべてを見てすべてを読んでも掴みきれないものもある。 (後略)>

<彼が遺した写真と文章は福音書によく似ている。 一行だけでも意味が深い一方で、ぜんぶを読んでもまだその全容は理解できないと思わせる。 繰り返しの多い、しかも強烈なエピソードに満ちた、フラクタルな文体。>

 (本書巻末 「星野道夫の十年」 池澤夏樹)


星野さんが遺したたくさんの写真、文章は、汲めども尽きない清冽な泉のようだ。



※ フラクタル fractal
 自己相似図形 小さな部分が全体の図形の縮小である図形
  (三省堂 コンサイス カタカナ語辞典 第2版)
いかにも池澤さんらしい理科系用語だが、星野さんの文体の特徴をよくあらわしていると思う。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年6月20日 (金)

【読】星野道夫さんとクマ

めずらしく四日間で読みきった本。
それほど、引き込まれる内容だった。

Anezaki_kuma『クマにあったらどうするか』
  ― アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 ―
 聞き書き 片山龍峯 / 語り手 姉崎等
 木楽舎 2002年

最終章(第八章 クマの生きている意味) 、とつぜん星野道夫さん(写真家、故人)の文章が引用されていて、はっとした。

以下、引用と孫引きばかりでちょっと気がひけるが。
(原文の漢数字はアラビア数字に置き換えた)

<本書 315ページより>
 姉崎さんは、2001年6月に、長い間持っていた銃を手放した。 (中略)
 12歳から77歳まで65年間にわたって狩人として生きてきた姉崎さんは、鉄砲を手放した今、ヒグマをどのように思っているのだろうか。 そして、ヒグマが生きている意味をどう考えるのだろうか。 アラスカでクマをはじめ野生動物と自然を撮ってきた写真家の故星野道夫氏は、クマの生きている意味について次のように述べている。
「もしもアラスカ中にクマが一頭もいなかったら、ぼくは安心して山を歩き回ることができる。 何の心配もなく野営できる。 でもそうなったら、アラスカは何てつまらないところになるだろう」
「人間は常に自然を飼いならし、支配しようと考えてきた。 けれども、クマが自由に歩きまわるわずかに残った野性の地を訪れると、ぼくたちは本能的な恐怖をいまだに感じることができる。 それはなんと貴重な感覚だろう。 これらの場所、これらのクマはなんと貴重なものたちだろう」
(『ベア・アタックス』) と。 この文章を読んだとき、姉崎さんならば、クマが生きている意味をどのように考えるのだろうか、無性に聞いてみたくなった。


星野道夫さんが書いたか、語ったものの中で、私の記憶に強く残っているエピソードがある。
正確ではないかもしれないが、星野さんが高校生の頃、電車のつり革につかまって、ぼんやりと北海道のヒグマのことを思っていたという、そのような話だ。
都会の電車の中で、じぶんは今こうしているけれど、同じときに、北海道の広大な山中をヒグマがゆっくりと自由に歩きまわっている……。

このイメージが、私には鮮烈だった。
星野さんはそういう少年だったから、アラスカの広大な自然を、じぶんのフィールドに決めたのだと思う。

姉崎等さんという、和人を父に、アイヌ女性を母にもった根っからの猟師は、生き方こそちがっているが、星野道夫さんの考え方に通じるものをもっている。


もう一箇所、この本のあとがきで、星野道夫さんの文章が引用されている。


<本書 338ページより>
 私たちヒトは望むと望まざるにかかわらず、これからも野生の生きものたちの性格を変えてしまうほどの重大な影響を及ぼしながら進化の道を歩むことになる。 そのことを考えると、私たちヒトは、他の生きものたちから生き方を問われているのだと思い知るのである。
 一方、私たちヒトもクマがこの世界に存在することで大きな影響を受けている。 写真家の星野道夫は、
「アラスカの自然を旅していると、たとえ出合わなくても、いつもどこかにクマの存在を意識する。 (中略) クマの存在が、人間が忘れている生物としての緊張感を呼び起こしてくれる」 (『星野道夫の仕事 第3巻』) と延べている。


思わぬところで、星野道夫さんの世界とつながった本だった。
ひさしぶりに、星野さんが残した美しい文章に触れたくなった。

Hosihino_books1_3Hosihino_books2
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月19日 (土)

【読】NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版

今日、立ち寄った BOOK OFF で、思わぬ収穫があった。

Geograhic_199512_2NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 1995年12月号
わずか105円。
ジェーン・グドールの特集が掲載されている。
「ジェンーン・グドール チンパンジーに捧げた35年の記録」
28ページもの特集だ。
(文=ピーター・ミラー、写真=マイケル・ニコルズ)







この女性のことは、星野道夫さんの本 『アフリカ旅日記 ゴンベの森へ』 で、だいぶん前に知っていた。
星野さんの本は、とてもよかった。
(図書館から借りて読んだが、その後購入した)

Hoshino_gombeジェーン・グドール (出典:Wikipedia)
ジェーン・グドール(Jane Goodall,1934年4月3日 - )は、イギリスの動物行動学者、霊長類学者、人類学者、国連平和大使。
ロンドンで生まれ、幼い頃より動物が好きだっため23歳の時にアフリカへ渡る。そこで人類学者ルイス・リーキーに師事し、ルイスの薦めで1960年7月、26歳の時よりタンザニア・ゴンベのジャングルにてチンパンジーの研究を始める。 世界で初めて、草の茎を使ってアリを捕る行動の報告などで、人類固有とされてきた道具使用などの行為や能力がチンパンジーにも存在すること、チンパンジーの性格にも大きな個人差があることを確認するなど、目覚しい研究成果をあげ、チンパンジー研究の世界的な権威となる。1977年には、野生動物研究・教育・保護団体ジェーン・グドール・インスティテュート(JGI)を設立。1990年に京都賞受賞。2002年から国連平和大使を務める。2007年に京都大学は名誉博士号を授与することを決めた。現在、執筆のかたわら、ほとんど休みなく世界中をめぐり、講演や教育活動をおこなっている。



NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版のバックナンバーは、BOOK OFF にたくさん置いてあり、一冊105円という廉価。

以前、エベレストの特集が載っている号を手に入れたことがあった。
(2003年5月号)
夢枕獏さんの山岳小説 『神々の山嶺』 で、「マロリーのカメラ」 の謎が物語の中心になっている。
「マロリーのカメラ」 と言っても何のことだかわからないかもしれない。
1924年、英国第三次エベレスト遠征隊のアタック隊の二人、ジョージ・マロリーとアンドリュー・アービンが頂上付近で消息を断つという事故があった。
その時、マロリーが持って行った、コダック社のインスタントカメラだ。
マロリーの遺品がいくつかみつかったものの、カメラは見つかっていない。
そのカメラが残っていて、フィルムの現像ができれば、彼ら二人がエベレストの初登頂に成功していたことが証明されるのだ。

Geograhic_200305_2Geograhic_200305_p52この遭難事故のことは、私のWEBサイトに詳しく書いたことがある。
マロリーのことを、ずいぶん詳しく調べたものだった。
 → 晴れときどき曇りのち温泉
  この一冊 「夢枕獏 神々の山嶺」
 http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/b_baku_kamigami.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月27日 (月)

【読】東北ルネサンス

この本が予想以上におもしろい。
Akasaka_touhoku_renaissance『東北ルネサンス』 赤坂憲雄 編
 小学館文庫 あ8-1 2007.8.12 600円(税別)
巻頭の五木寛之との対談もおもしろかったが、続く、中沢新一との対談も興味ぶかい内容。
東北の縄文文化(蝦夷=えみしの文化)が、アイヌ民族や、さらにはアラスカの(エスキモー、イヌイットと呼ばれる)先住民、(インディアンと呼ばれる)ネイティヴ・アメリカンともつながっている、という指摘が刺激的だ。
宮澤賢治の童話の世界に垣間見える縄文人の世界にも言及している。
これを読んでいて、ふと思いを馳せたのは、写真家の星野道夫さんが探ろうとしていたアメリカ大陸先住民のルーツである。

中沢 <アメリカ先住民たちが氷結したベーリング海を越えてアメリカ大陸に入っていったのは一万二千年から三千年前です。>
赤坂 <どのあたりが源流になるんですか。>
中沢 <バイカル湖の東方周辺あたりから少し北へ行った人々ですね。 二つに分かれていると思うんです。 一方は黒龍江省の方へ下ってきている人たちがいますね。 もう一方の人たちは、これは物凄く寒いところに適応することに成功した人たちで、(略) これがいまのシベリアのベーリング海峡の近くまで接近していきました。>

赤坂 <千年前に古代の東北の蝦夷たちはヤマトにそういう形で抵抗して敗れた。 それから、百年、二百年前に北海道のアイヌの人たちがやはり国家というものをつくらない部族社会の段階で、強大なヤマトの国家と遭遇して敗北する。 その敗北というのは、ある種の必然かもしれないけれども、思想的にはどちらが優れていたのかはわからないと僕も思いますね。>
中沢 <思想といってしまうと、思想なんか何になるという言い方がありますけれども、ただ人間のディグニティー(尊厳)ということを考えると、東北の縄文の人たち、あるいは平安時代の蝦夷の人たちが選びとった道というのは、人間の尊厳を守ろうとする立派な考え方だったと思います。>

中沢新一には、『森のバロック』 という南方熊楠をテーマにした著作がある。
気になっていた本だ。 こんど、読んでみようと思う。
Nzkazawa_mori_no_baroque_4『森のバロック』 中沢新一
 講談社学術文庫 -1791-  2006.11発行
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061597914

『チベットのモーツァルト』 (せりか書房)を、だいぶん前に古本屋で手に入れていたが、まだ読んでいない。 おもしろいのかもしれない、と思う。 (講談社学術文庫でもでている)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061595911

『東北ルネサンス』の中で、中沢氏がこんなことを言っている。
<たとえばチベットなんかですごい荘厳な儀式をやったりしているでしょう。 あれが昔から何かたいへんな根拠をもって行なわれているかのように思うかもしれませんけれども、違うんですよ。 ある時代にやっぱりアイデアマンが出て、この儀式をこういうふうにしたらもっとおもしろいとか・・・>

携帯ストラップのマスコットや、武士の刀の「根付」が、縄文時代の土偶に通じる、という思いがけない指摘にも驚いたのだった。

| | コメント (0)

2006年10月 9日 (月)

【雑】星野道夫という生きかた

きのう、HNKのBSハイビジョンで、星野道夫さんをしのぶドキュメンタリー番組を見た。
ハイビジョン特集 「アラスカ 星のような物語
  ~写真家・星野道夫 大地との対話~」

  http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2006-10-08&ch=10&eid=6380
 アラスカを撮り続けた写真家・星野道夫、享年43。
 彼の残した写真と文章は、亡くなって10年がたつ今でも、人々の心をとらえる。
 星野はいかにして、作品をつくっていたのだろうか。
 それを探るために、10か月におよぶアラスカロケを行い、作品の舞台を
 ハイビジョン映像で収めた。
 クマの親子、カリブーの大群、クジラ、氷河、花、荒野に降る雪、四季折々の大地・・・。
 残された文章と日記から、星野道夫の足跡をひも解いていく。

ハイビジョン映像の威力は、さすが。
星野さんの写真で見ていたアラスカの風景が、動く映像でみごとに捉えられていた。

星野さんの珠玉のような言葉の数々に、勇気づけられる。
たぶん、これから先も、生きていくのがつらくなったとき、励まされることだろうな。

 彼は本当に大事なことしか言わなかった。
 そして本当に大事なことは何度でも言った。
  
 ―池澤夏樹 『魔法のことば』 の帯

星野道夫さんの生きかたそのものが、ぼくに勇気をくれる、と言っていい。

Hoshino_mahouHoshino_tabi星野道夫 (ほしの・みちお)
1952年千葉県生まれ。慶応大学経済学部卒業。アラスカ大学野生動物管理学部に留学。86年アニマ賞、90年木村伊兵衛賞受賞。96年、カムチャッカにて逝去。著書に、『星野道夫の仕事』、『ノーザンライツ』などがある。

『魔法のことば』 星野道夫 講演集 2003年
『旅をした人 星野道夫の生と死』 池澤夏樹 2000年



Hoshino_nagaitabi_2Hoshino_tabiwosuruki_1『長い旅の途上』 (遺稿集)
 1999年 文藝春秋社 / 2002年 文春文庫
『旅をする木』
 1995年 文藝春秋社 / 1999年 文春文庫





図書館から、5冊ほど借りてきた。
「たくさんのふしぎ傑作集」 という、こども向けの写文集がある(福音館)。
『アラスカたんけん記』 1986年
『森へ』 1993年
『クマよ』 1998年(没後に作られた本)
Hosihino_books1Hosihino_books2星野道夫公式サイト
http://www.michio-hoshino.com/
清里で写真展がひらかれているようだ。
こんど訪ねてみたい。 

| | コメント (0)

2006年3月 3日 (金)

【読】名作写真館

きのうの昼休み、書店でおもしろい写真集(ムック)をみつけた。
ちかごろ、こういうムックスタイルの出版物が多いが、これも一冊500円。
35ページほど。

「小学館アーカイヴス ベストライブラリー 名作写真館シリーズ」
 「01 白川義員 (1) 世界百名山」
 「04 星野道夫 アラスカ」
の二冊を買った。

写真集として出版されているものからの抜粋なので、目新しさはないが、他では見たことのない写真(星野さんの若い頃の写真、奥さんといしょの写真)、また、「白川義員写真集ガイド」、「星野道夫写真集ガイド」 という、いい解説がついている。
大判(A4ワイド判)、印刷もきれいだ。

全部で30冊のシリーズのうち、4冊が出ている。

shirakawahoshino白川義員 (しらかわ・よしかず) 1935~
 ダイナミックで色鮮やかな山岳写真がいい。
 この人の空撮現場をTV番組で見たことがある。
 たいへんな撮影だと知った。
星野道夫 (ほしの・みちお) 1952~1996
 ぼくの大好きな写真家、文章家。
 この人の写真、文章、生き方そのものが好きだ。 

| | コメント (2)