きもちのいい五月晴れ。
朝5時起き。7時半に立川集合という家人を玄関で見送る。
来月発行予定の小平図書館友の会の会報40号、原稿が集まってきたので編集を始める。
8時半頃、近くのコインランドリーへ。冬毛布の洗濯、乾燥。そろそろ夏のタオルケットに交換する時期だ。
帰りにコープで買い物。
コインランドリーでの待ち時間に、本をすこし読む。
図書館から借りていて2週間が過ぎ、貸出延長している本、『琉球独立は可能か』(解放出版社、2018年2月)。まだ半分ほどしか読めていない。
はっとする箇所があった。第五章「暴圧に向かう涯に」(P.162あたり)、松島泰勝氏の発言。
氏は「沖縄」と言わずに「琉球」と言い、「本土」と言わずに「ヤマトゥ」と言う。
以下、この本の松島氏の発言要旨――。
米軍基地が琉球に集中したのはヤマトゥでの反基地闘争の劇化からだという。ヤマトゥ(本土)の米軍基地の移設先として日米政府が考えたのが琉球。1950年代のことだ。当時の琉球は米軍政下で、日本国憲法が及ばない。つまり、やり放題。いわゆる「銃剣とブルドーザー」で琉球に米軍基地を建設していった。
これまでアメリカ政府は琉球に”地政学的理由”で琉球に基地を建設してきた、と言われているが、そうではない。(私も、なんとなくそう思っていた)
アメリカ政府は1972年と73年、さらに1995年、2005年に琉球に駐留する海兵隊を、カリフォルニア州や韓国などへ移転することを提案したが、日本政府はこれを拒否。日本政府は意図的に琉球に米軍基地を押しつけているのだ。
「地政学的に琉球に米軍基地がなくてはならない」と基地容認派は指摘する。だが、在琉米軍はアジア太平洋地域を定期的に移動するローテーションを繰り返しており、常に琉球に常駐してヤマトゥを守っているわけでもない。
また、中東地域での紛争に出撃する米軍は、琉球から長崎の佐世保にある米軍基地に移動し、そこから紛争地に向かうという「回り道」をする。
在琉米軍の主体となる海兵隊は、紛争地に真っ先に送り込まれる「殴り込み部隊」であり、ある地域を守って「抑止力」を発揮する軍隊ではない。
米軍が琉球に常駐して琉球人の生命や生活が破壊されたのであって、それらが守られたことは一度もない。そのような琉球の歴史や現実を日本政府や国民の大部分は知っているから、意識的に琉球に米軍基地を押しつけている。
(この部分は、ちょっと違う気がする。日本政府はともかく、国民の大部分は「地政学的に琉球に米軍基地がなくてはならない」という一種の「神話」を、なんとなく信じているのではないか、と私は思う)
――ブログ日記らしからぬ長い引用になったが、理路整然と在琉米軍の現実を指摘しているこの部分に、目から鱗が落ちる思いをした。もっと琉球(沖縄)の歴史を学ばなければいけないな、という思いを強くした。
日帰り旅行に出かけている家人の帰りを待ちながら、ビデオ録画してあった金城実さんのインタビュー番組(2017年7月30日放送、こころの時代 ~宗教・人生~ 「沖縄は我が念仏」)をDVDにダビングしながら見る。金城実さん、なんと魅力的は人だろう。
もう一本、石牟礼道子さんの特集番組(2018年3月2日放送、くまもとの風スペシャル「あした、石牟礼道子を読む」)も、ダビングしながら見た。
(17:50記)