【読】柳田国男を読んでみる
前回につづき、カタイ話。
「柳田国男を読む」といえばカッコイイところだが、どうしても「読んでみる」となってしまう。
腰がひけてしまうのだ。
何度も書いているが、なかなか手ごわい。
https://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=9912003&blog_id=157056
これまで、ぼくの手元にあったのは二冊。
手にはいりやすい岩波文庫。
『遠野物語・山の人生』 岩波文庫
これは、まったく同じ本が二冊、手元にあった。
何度も読もうとして読めなかったらしい。
「遠野物語」は通読した記憶があり、それなりに印象がある。
「山の人生」も、一部を読んだ記憶がある。
『海上の道』 岩波文庫。
これは、数ページで投げた。
近くの図書館にちくま文庫版の全集が揃っていることは、前にも書いた。
貸し出されている形跡もある。
気になる存在だった。
赤坂憲雄の『柳田国男の読み方』(ちくま新書)に触発されて、柳田国男のオリジナル・テキスト(原文)を読んでみようという気になった(これも、前に書いた)。
まあ、チャレンジ、といったところだ。
さて、その柳田国男の文章については、いくつかおもしろい批評がある。
谷川雁 「柳田さんの本を読んでいますと、だんだんもうろうとしてきましてね」
赤坂憲雄 「蛇行と結ぼれにみちた記述」
「まれなる珍文」 (「新文芸読本 柳田國男」 巻末ブック・ガイド)
ぼくもこれらの意見に同意する。
「毛坊主考」という、大正3年から4年にかけて『郷土研究』に発表された論文を読み通していると、ぼくもまた「もうろう」としてきた。
博覧強記、というか、膨大な文献や言い伝え、柳田自身、あるいは協力者による調査事例が羅列されているのだ。
が、読みにくさをがまんして辛抱づよく読みすすめているうちに、柳田国男が言いたかったことがなんとかうっすらと見えてきた。
もちろん、赤坂さんのガイドのおかげで、こちらの頭の中が整理できていたからでもあるが。
柳田国男の初期論考である「巫女考」、「毛坊主考」などには、何かひかれるものがあるのは確かだ。
『柳田國男全集 11』 (妹の力、巫女考、毛坊主考 ほか)
ちくま文庫 1990年3月 (新本は入手困難)
― 赤坂憲雄 『柳田国男の読み方』 (ちくま新書) から ―
・・・柳田のこうしたひと連なりの試みは(注:「『イタカ』及び『サンカ』」明治44~45、「所謂特殊部落ノ種類」大正2、「巫女考」大正2~3、「毛坊主考」大正3~4、などを指す)その半ばにして挫折し、漂泊する人々への関心そのものがいつしか、あいまいに表層から沈められていった。 天皇制と被差別部落にかかわる厳しいタブーが、陰に陽に影を落としていることは、たやすく想像されるところだ。 柳田の試行錯誤にみちた漂泊民論には、いくつもの誤謬や限界が含まれる。 時代的な制約もあった。 しかし、わたしはその試みの先駆性と、そこから拓かれてゆくかもしれぬ新しい差別論の地平にこそ、ある可能性を託したいと思う。
(第三章 漂泊から定住へ P.166~167)
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